「ん? この本……」
放課後――太刀凪書店でのバイト中、ファッション雑誌のコーナーの棚を横切った際、奥まった場所にある本の表紙が気に掛かり、俺は足を止めた。
あの本の表紙に載ってる人……どっかで見た事あるような……誰だっけ?
改めて気に掛かった本に目を凝らすが、他の雑誌に隠れて顔がよく見えない。このままスルーしてしまうのはなんだかモヤモヤするし、俺は千鶴さんが近くに居ない事を確認してから、その本を棚から取り出して表紙に目を通した。
雑誌の表紙に載っていたのは、冬物の洋服を着こなし、背中合わせでポーズを取る、香澄ちゃんと小鳥遊さんだった。
ああ、この二人だったのか……どおりで見た事あるなって思った訳だ。しかし、アイドルはこんなファッション雑誌のモデルみたいな仕事もするのか……大変だなぁ。
「世名君、どうかしたの?」
二人が表紙を飾る雑誌を眺めていると、別の場所で作業をしていた天城がこちらへやって来る。彼女は俺が手にする雑誌の表紙を見るや否や、小さく口を開いた。
「その雑誌……そっか、今日が発売日だって言ってたっけ」
「あ、やっぱり聞いてるもんなんだ?」
「うん。なんでも、業界で有名なファッションデザイナーさんがデザインした服の特集らしくって、本人も現場に居て色々疲れたーって、香澄が愚痴ってたから」
と、天城は苦笑いを浮かべながら言う。
香澄ちゃんも苦労してるんだな……その割には、楽しそうに仕事してる感じだけど。そこは流石プロだな。
折角だし、どんな内容なのか確認しようと雑誌を開こうとしたその時、カツン! と、背後で床を踏み鳴らす音が響いた。慌てて振り返ると、そこには木刀を担いだ千鶴さんが立っていた。
「なーに立ち読みしながら談笑してんだテメェら」
「あ、いや、これはその……」
「言い訳無用。早く仕事戻らねぇと脳天かち割るぞ世名」
何故俺だけ――と反論したい気持ちを抑えながら、雑誌を元の場所に戻して、俺と天城は黙って仕事を再開した。
それから一時間ほど経過し、バイトは無事終了。買い物があると言う天城と店の前で別れ、彼女の姿が見えなくなってから自分も帰ろうとした、その時だった。
「あれ? あそこに居るの……飛鳥さん……?」
数メートルほど離れた場所に、黒のロングコートを身に纏い、艶やかな金髪を靡かせながら歩く女性――出雲ちゃんの実の姉である飛鳥さんの姿を発見する。
彼女は確か白場では無く、電車で四十分以上離れた黄嶋市に住んでいるはずだが、こんな時間帯に何故ここに居るのだろうか?
そんな事を考えながら遠目から見ていると、不意に彼女がこちらに顔を向ける。すると俺の事に気が付いたのか、驚いたように口を開き、飛鳥さんはこちらへ歩み寄って来た。
「ああー、やっぱり! 世名君じゃない! 久し振りねー。元気にしてた?」
「あ、はい、お久し振りです。……あの、飛鳥さんはどうしてここに? また出雲ちゃんの為に大学サボった……とかですか?」
「ん? ああ、今回は違うわ! 今日はね、こっちに仕事しに来たの」
「仕事? バイトとかですか?」
「うーん……まあ、バイトっちゃバイトね」
「はぁ……」
気になる言い方だな……一人暮らししてるんだし、バイトぐらいはしてるだろうけど……わざわざこっちに来てまでするバイトってなんだ?
彼女の言うバイトがなんなのか気になっていると、突然飛鳥さんが思い付いたように手を叩き、口を開く。
「そうだ! もしよければ、私の仕事、少し見学してみない?」
「へ? 見学……ですか?」
「ええ! 許可は貰えるだろうし、どう? 少し時間は掛かっちゃうかもだけど」
仕事の見学って……飛鳥さん、一体どんな仕事してるんだ? ……どんなものか気になるし、折角の誘いを断るのも失礼だし……ここは誘いに乗ってみるか。
「じゃあ……そうさせてもらいます」
「おお、流石ノリがいいわね! じゃあ行きましょうか!」
「あ、あの、どんな仕事なんですか?」
「それは着けば分かるわ! ゴーゴー!」
と、飛鳥さんは俺の質問には答えようともせず、俺の腕を引っ張って歩き出す。
この人も自由な人だな……着けば分かるって、本当にどんな仕事なんだ?
少しばかりの不安を覚えながら、今は黙ってついて行くしか無いと、俺は何も言わずに彼女の後に続いた。
数十分後――飛鳥さんについて行き、俺はある建物に辿り着いた。どうやらそこが目的地らしく、飛鳥さんは何も言わずに建物の中に入っていったので、俺も困惑しながらもその後に続いた。
長い廊下を進み、やがて開けた場所に着いた瞬間、俺は目の前に広がった光景に言葉を失った。
人の顔よりも大きい照明に、三脚とカメラ、そしてテレビなどでよく見る――名前は知らないが、白い背景のあれ。そんな普段あまり目にする事の無い物が沢山集まる場に、俺は呆然と立ち尽くすしかなかった。
これって……いわゆる、撮影スタジオってやつだよな? ここでするバイトって、それってやっぱりそういう事なのか?
「あ、あの飛鳥さ――」
「おお飛鳥ちゃん! 久し振りー!」
俺の考えがあっているのか確認しようと、飛鳥さんへ話し掛けようとした時、突然近くに居た三十代ぐらいの男性が、気さくな感じで飛鳥さんに声を掛けてきた。
その男性に対し、飛鳥さんは微笑みながら頭を下げる。
「お久し振りです。今日はよろしくお願いします」
「こちらこそよろしく。ところで……その子は?」
と、男性は俺の事を指差す。
「あ、彼は私の知り合いです。見学させたいんですけど……いいですか?」
「見学? それは構わないけど……あんまり物に触らないでね?」
「あ、はい……」
「よろしい。じゃあ飛鳥ちゃん、早速着替えお願い出来る?」
「はい。それじゃあ世名君、適当な場所に座って待っててね?」
そう言い残して、飛鳥さんは俺の前から立ち去る。
結局何も知る事が出来ず、どうすればいいのか困っていると、男性が「とりあえずあそこに座ってな」と言ってくれたので、俺はそれに従って、空いている椅子に腰を下ろした。
慣れない空間に緊張しながら、先の男性を含め、多くの人が忙しなく動く中で待つ事数分。
「お待たせー」
その言葉と共に、飛鳥さんが戻ってくる。彼女はさっきまで着ていたロングコートに代わり、春物らしい黒と白を基調としたワンピースに着替えていた。
「ごめんねぇ、突然こんな場所に連れられて、びっくりしてるでしょ?」
「ま、まあ……あの、飛鳥さんのバイトって……」
「そう。いわゆる、モデルってやつよ」
「やっぱり……飛鳥さん、モデルなんてしてたんですね」
「意外? こう見えて、結構雑誌に載ったりしてるのよ? まあ、本業の人に比べたら全然少しだけど」
「そうなんですか……」
飛鳥さん美人だし、モデルとして普通に通用するだろうけど……それでも意外だな。モデルって、いわゆる特殊な職業な訳だし。
「あの、飛鳥さんどうしてモデルの仕事を?」
「うーん、言っちゃえば小遣い稼ぎね。最初はお願いされたから始めたんだけど、案外向いてると思って、今も続けてるって感じ」
「お願い? それって誰に――」
「飛鳥ちゃーん! そろそろ撮影始めるよー!」
「あ、ごめん行かないと。今回の撮影は比較的すぐ終わる予定だから、ちょっと待っててね?」
「わ、分かりました」
飛鳥さんはカメラや照明が集まる方面へ向かい、他のカメラマンやスタッフと思われる人達も同じ方面へ集まる。
「じゃあ、よろしくお願いしまーす」
と、カメラマンの人が声を上げた直後、白い背景の前に立った飛鳥さんが、それらしいポーズを取る。それをカメラマンはシャッターを切って写真を撮り、さらに続けざまにシャッターを切る。その間にも、飛鳥さんはちょくちょくポーズを変えていく。
モデルの撮影風景とか生で初めて見たけど、こんな感じなんだな……飛鳥さんも慣れてる感じだし、凄いカッコいいな。
飛鳥さんの意外な一面に驚嘆しながら、俺は彼女の撮影をジッと見守った。
それから約三十分後――どうやら撮影が終わったらしく、飛鳥さんがスタッフの人達に「お疲れ様でしたー」と頭を下げ、こちらへ小走りでやって来る。
「待たせてごめんねー。退屈じゃなかった?」
「いや、こういうの初めてだったし、見てて意外と楽しめましたよ」
「そう、ならよかった。連れて来た甲斐があるってものよ」
「……そういえば、どうして俺をここに連れて来たんですか? ただ自分の仕事風景を見せるだけ……なんて事は無いですよね?」
「ん? そうね……まあ、その通りね。実はある人に会わせたくって」
「ある人?」
一体誰なのか問い掛けようとした直前、背後からヒールのような足音が聞こえてくる。
「どうやら無事に終わったようね」
その足音が止まると、今度は女性の声が聞こえた。振り返ると、そこには声の主と思われる、金髪ショートカットの女性が一人。白シャツに黒のロングスカート、そして首には派手な赤いストールを巻いていて、どことなく業界人っぽい空気を醸し出していた。
この人もスタッフの一人だろうか――そう考えながら女性を見ていると、不意に彼女がこちらへ視線を向けた。
「……その子、誰かしら?」
と、女性は威厳のある声を発した。眼鏡の奥に見える、全てを圧倒するような迫力を感じさせる鋭い眼に、俺は思わず息を呑む。
「もう、そんな顔で睨んだら、彼が驚いちゃうでしょう?」
「……顔は生まれつきよ。それで、誰なの?」
「彼は世名友希君。ここに来る途中で偶然会ったから、今日の撮影を見学してみないって私が勝手に誘ったの」
「世名……そう、あなたが例の。直接顔を合わせるのは初めてね」
そう小さく呟くと、女性は眼鏡をクイッと上げてから、俺に話し掛ける。
「初めまして世名君。私は大宮
「えっ!? 出雲ちゃん達のお母さん……ですか!?」
「そう。そして、今、私が着ているこの服は母さんがデザインした物なのよ。母さん、業界内ではかなり有名なファッションデザイナーなの」
と、飛鳥さんは身に着けるワンピースを指差しながら言う。
ファッションデザイナー……だからここに居るのか。にしても、この人が出雲ちゃんと飛鳥さんの母親……正直そうは見えないな。雰囲気も全然違うし、何より見た目が若い。せいぜい三十代前半、とても成人している娘を持つ母とは思えない。
「あっ……もしかして、飛鳥さんが会わせたいって言ってたの……」
「母さんの事よ。二人って今まで会った事無いんでしょう? 世名君は将来イズモンと交際するかもしれないんだから、顔合わせぐらいはしといた方が二人も安心でしょ?」
「余計なお節介をするわね……それに、そこの彼はまだ出雲と交際すると決まった訳では無いのでしょう? なら、わざわざ顔合わせする必要も無いわ」
八重さんは少し機嫌が悪そうな口調で言いながら、腕を組み、目を閉じて俺から顔を背ける。
なんか怒ってる……? もしかして俺、八重さんにあまり良い印象持たれてない? まあ、それも仕方無いか……彼女からしてみれば、俺は娘を弄ぶ輩――って感じの印象だろうしな。
「もう、母さんったら。そんな態度取らなくていいのに。イズモンを取られて悲しいのは分かるけどさ」
「あなたと一緒にしないで。それより、終わったのなら早く帰るわよ。あなた、今晩はウチに泊まって、明日の朝に帰るんでしょう?」
「はいはーい。……あ、そうだ。よかったら世名君、ウチで夕飯食べていかない?」
「え? 夕飯ですか……?」
「ええ、付き合わせちゃったお詫びって訳じゃないけど。イズモンもきっと喜ぶだろうし、どう?」
「お、俺は別に構わないですけど……」
チラリと、八重さんの方へ視線を向ける。
「……私は別に構わないわ。一人増えようが、変わらないわ」
「だ、そうよ」
「……じゃあ、お言葉に甘えて……ご馳走になります」
「そう言ってくれると思ったわ! そうと決まれば早く行きましょう! イズモンが夕飯作って待ってるわ! 母さん、早く車出して!」
「その前に着替えて来なさい。私と彼は先に行って待ってるから。世名君、こっちよ」
そう言いながら歩き出した八重さんの後を、俺は慌てて追い掛けた。
大宮家で食事か……それ自体は全然いいのだが、八重さんが明らかに俺に良い印象持ってないから、ちょっと気まずいなぁ……俺の考え過ぎならいいのだが。
◆◆◆
八重さんが運転する車に乗って撮影スタジオから移動する事数十分、俺達は大宮家に到着した。
「久し振りにイズモンの手料理が食べれるー!」
と、ウキウキと小躍りをしながら、飛鳥さんが一足先に家へ向かい、扉を開く。俺と八重さんも後に続き、家の中へ足を踏み入れる。
「ああ、お帰りなさい」
玄関で順番に靴を脱いでいると、リビングの方面から出雲ちゃんが姿を見せる。
「イズモーン! ただいまー!」
「だから、いきなり抱き付こうとしないでって……」
飛び付くように迫った飛鳥さんを右手で拒みながら、出雲ちゃんはチラリとこちらの方へ視線を向ける。瞬間、彼女は「んなっ!?」と仰天した声を上げながら、目を丸くした。
「ど、どうして先輩がここに!?」
「ああ、色々あって今夜の夕飯に誘ったの。その方がイズモン喜ぶかなーって」
「い、色々って何!? そ、そりゃ先輩と会えたのは嬉しいけど、それなら前もって連絡ぐらいしてよ! 身だしなみとか全然なのに……!」
出雲ちゃんは俺に背を向けて、慌てた様子で髪や服を整え始める。
てっきり飛鳥さんが俺が行く事、もう出雲ちゃんに連絡してると思ってたけど……してなかったんだな。サプライズのつもりだったのかな?
「えっと……とりあえず、そういう事だから、今日はご馳走になるよ。今日の夕飯は、出雲ちゃんが作ったんだよね?」
「は、はい……! ううっ……先輩来るって分かってたら、もっと気合い入れて作ったのにぃ……」
「えー、私が帰ってくるって分かってるんだから、最初から気合い入れてよイズモーン!」
「はぁ……あなた達、お喋りしてないでさっさと上がって。世名君、あなたは出雲と一緒にリビングで待ってて頂戴。飛鳥、さっさとしなさい」
出雲ちゃんから引っ剥がすように飛鳥さんの腕を引っ張りながら、八重さんは玄関前から立ち去る。俺と出雲ちゃんも数秒遅れ、リビングへ向かい歩き出す。
リビングに着くと、テーブルの上には出雲ちゃんが作ったであろう料理が並んでいた。
「へぇ、カレーか」
「ありきたりなのですみません……先輩が来るって知ってたら、もっと色々作ったのに……」
「十分美味しそうだからいいよ。俺はどこに座ればいい?」
「えっと……今日は父は仕事で帰って来ないから、父の席にどうぞ」
出雲ちゃんが示した席へ座り、その正面の席に、出雲ちゃんがキッチンから俺の分のカレーを持ってきてから、腰を下ろす。
食欲を活性化させられる匂いを前に、八重さん達が戻って来るのを待っている間、俺はさっき飛鳥さんが適当に端折った事情を、出雲ちゃんへ詳しく説明した。
「そんな事があったんですね……なんか姉が迷惑掛けたみたいで、ごめんなさい」
「いや、俺も案外楽しめたからいいよ」
「ならいいですけど……にしても、びっくりしました……まさか先輩が家に来るなんて……」
「ごめんね、いきなりお邪魔しちゃって」
「い、いえ! 先輩ならいつでも歓迎だから全然いいんです! ただ……こんなの思っても無かったんで、おめかしとかしてないから……」
と、出雲ちゃんは毛先をいじりながら目を伏せる。女の子としては、好きな異性の前で家に居る気の抜けた姿で居るのは、やはり気になってしまうのだろう。
そんな彼女を少しでも安心させようと、小さく頭を横に振ってから、優しく声を掛ける。
「別に気にする必要無いよ。変なところなんて無いし、いつも通りの可愛い出雲ちゃんだよ」
「か、かわっ……!? い、いきなりそんな事言わないで下さいよ! ……突然で、心の準備も出来て無いんですから……」
出雲ちゃんは顔を真っ赤にして、尻すぼみな声を出しながら、俺から表情を隠すようにテーブルへ突っ伏す。
突然の訪問で完全にテンパってるな……これはいつも以上に言葉に気を付けないと、激しく動転しそうだな、出雲ちゃん。
余計な事は言わないようにと心に強く言い聞かせ、俺は口を閉ざして八重さん達を待った。
それから数分、飛鳥さんはラフな部屋着、八重さんは一応来客が居るからかキッチリとした服に着替えた姿でリビングにやって来て、それぞれ席に座る。
「はぁ……久し振りのイズモンのカレーだぁ……楽しみだなー!」
「はしゃがないでよ恥ずかしい……」
「相変わらずですね、飛鳥さん……」
「……じゃあ、いただきます」
八重さんの言葉を全員が復唱してから、一斉にカレーを口に運ぶ。
「うーん! やっぱりイズモンのカレーは美味しい! 流石だね!」
「うん、美味しいよ。全然良い出来だよ」
「そ、そうですか? ならよかったです……」
「……イズモンが私を見てくれない……世名君連れて来なきゃよかったわ」
「アハハッ……なんか、すみません……」
それからカレーを食べ進めながら、出雲ちゃん達と適当な会話を交えている最中、ふとバイト見学中の事を思い出し、俺は飛鳥さんへ問い掛けた。
「そういえば、飛鳥さんモデルの仕事を始めたのは頼まれたのが最初って言ってましたけど……やっぱりその頼んだのって、八重さんなんですか?」
「ええ、そうよ。母さんがデザインした服の特集する時、直接モデルをお願いされたの。母さんがファッションデザイナーって仕事してたし、私も前々からそれ関連の仕事には興味あったから、いいと思ってね」
「へぇ……どうして、飛鳥さんにお願いを?」
恐る恐る、隣に座る八重さんへ問い掛ける。が、彼女はこちらへ視線すら向ける事無く、淡々とした口調で返事をする。
「別に……デザインした服を飛鳥なら着こなせると思ったから、頼んだまでよ」
「そ、そうですか……」
「もう母さんったら、愛想無いんだから」
「愛想を振り撒く主義では無いだけよ。知ってるでしょう?」
「嫌な姑になりそうねぇ。イズモンもそう思わない?」
「えっ……あ、う、うん……」
出雲ちゃんは答え難そうに頷き、それ以上の発言を避けるようにカレーを口にする。
なんか空気悪いな……前に聞いた限りでは、家族の仲は悪くないはずだけど……普段を知らないから断言は出来ないけど、やっぱり俺が居るからだよな……八重さんが機嫌悪そうなの。家族団らんの時間を邪魔してしまったのなら、申し訳無いな。
「ほら、世名君も気まずそうにしてるじゃない。母さんがふてくされてるからよー」
「別にふてくされて無いわよ」
「全く……ま、気分を変えて別の話しましょうか。そういえば、実はイズモンも昔はモデルになるって言ってたの、世名君は知ってる?」
「えっ、そうなんですか?」
初めて聞いた話に、事実確認をする為に出雲ちゃんへ視線を向ける。彼女は目が合うとドキッとしたように肩を小さく跳ね上げてから、隣の飛鳥さんを見る。
「い、いつの話してるの……! 確かに昔はそうだったけど、今は別だから! それに私なんかがモデルになれる訳無いじゃん! ……スタイルだってよく無いし」
「えー、そんな事無いよ! イズモン可愛いんだから、その魅力を世間に知らしめてやろうよ! そして行く行く、お姉ちゃんと二人でラブラブ姉妹として表紙を飾って――」
「それが目的でしょう……そんなつもり無いから! 今は私、先輩の事でいっぱいなの! 私の魅力は、先輩だけに知ってもらえればいいの!」
「……本当、随分と彼を好いているのね、出雲」
と言いながら、八重さんはスプーンを置いて、口周りを拭って出雲ちゃんをジッと見据える。
「そ、そうだけど……な、何……?」
「……世名君。この際だから、ハッキリと言わせてもらうわ」
出雲ちゃんの問いには答えず、八重さんは今度は俺をジッと見据える。
「正直に言えば……私はあなたと出雲が交際する事に関して、諸手を挙げて賛成する事は出来ないわ」
「……ッ!? お母さん……!?」
「娘の告白を保留の状態でいつまでも答えを見出さないあなたを、恋人として易々と認める訳にはいかない。高校生活は人生で一度しか無い貴重な時間。その大半を、将来結ばれるかどうかも分からない相手の為に割いているという現状は、私としては望ましく無い。さらにあなたは最悪娘の気持ちを裏切り、今までの時間を無駄にさせるかもしれないのでしょう? そんなあなたに対して、私は母親として好印象を抱く事は出来ない」
「そ、それは……」
八重さんの容赦の無い言葉に、俺は言葉を失う。
こんな風に厳しい言葉を真正面からぶつけられたのは、初めてかもしれないな……なんだかんだで俺と彼女達の関係を真っ向から否定する人は居なかったから。
彼女は母親として、真剣に自分の気持ちをぶつけているんだ。なら、俺も真剣に自分の気持ちを、偽り無くぶつけるべきだ。
「……確かに、八重さんの言葉はごもっともです。悪いけど……俺は出雲ちゃんの思いを裏切るかもしれない。努力を無駄にさせるかもしれない。でも、俺は彼女を、誰も傷付けるような事にならないように、真剣に考えてはいるつもりです。彼女の気持ちを、努力を、蔑ろにするつもりはありません。それだけは、断言します」
「…………」
「先輩……お、お母さん! 私は、今の時間を無駄だって思ったりしてない! 毎日楽しくて充実してる! だから、例え先輩と付き合えなくて努力が、今までの時間が無駄になったとしても、私は後悔しない! ううん、絶対無駄なんかじゃ無い! だから――」
「出雲」
スッと、八重さんは出雲ちゃんを黙らせるように右手を小さく挙げる。
「私はあなたの気持ちも、彼の気持ちも理解しているつもりよ。今のはただの私個人の意見。別に彼と縁を切れとは言わないし、あなたがする事に口出しをするつもりは無いし、結果がどうなろうと彼を責めるつもりは無いから安心しなさい」
「お母さん……」
「ただ、母親として言うべき事は言わせてもらうわ。……最後に一つ、いいかしら?」
八重さんの問いに、俺はゆっくり、首を縦に振った。
「もしも仮に……あなたが出雲を恋人として選んだとして……あなたは、完全に出雲へ愛情を向けられる?」
「えっ……?」
「あなたは他にも多くの子に好意を寄せられているのでしょう? 聞いた話だと、その子達も良い子達らしいじゃない。そんな他の子達に対して気持ちを残さないと……断言出来る?」
「……それって、世名君がイズモンと付き合ったとしても、他の子達に気持ちが残ってて、浮気するかも……って言いたいの?」
飛鳥さんの言葉に、八重さんは躊躇い無く頷く。
「所詮人間は欲の塊。邪な心はあるものよ。自ら手を伸ばせば手に入るものが沢山ある中で……あなたは、一つのものに絞れるのかしら?」
「……正直、まだなんとも言えません。誰と付き合うかも決められない俺には、まだなんとも。……でも、俺は誰かを悲しませたりしたくない。だからもし誰かと付き合ったとしたら、俺は、その相手を全力で愛します。恋人を裏切る事だけは、絶対しません」
「先輩……」
「……そう」
小さく呟き、八重さんは再び出雲ちゃんへ目をやる。
「出雲、あなたにも一つ聞くわ。あなたが進む道の先は絶対の幸福では無い。後悔、無念、絶望……それ以上の物があるかもしれない。それでもあなたは、今の道を進むの?」
「……決まってるよ。確かに絶対って保証は無い……でも、ここまで来て道を外れるなんて死んでも嫌! 無理だったとしても、最後まで突き進む! だってその先には、最高の幸福だってあるかもしれないんだから! というかそもそも、無理なんて思っても無いから!」
「そう……なら、もう何も言う事は無いわ。あなたはあなたの思うまま、進みなさい。私は母親として、見守っててあげる」
「……うん、ありがとう」
嬉しそうにほくそ笑んで、出雲ちゃんは小さく頷いた。
「……空気を悪くしてごめんなさい。さあ、食事の続きにしましょう」
「本当よ全く。私、気まずくて仕方無かったんだけど」
「ちゃんと謝っているでしょう?」
「そうは見えないけどねぇ……ま、馴れてるけど。さて、気を取り直して……イズモン、カレーお代わり!」
「自分で取りに行きなよ、キッチンにあるから」
「えー、イズモンによそってほしいなー。ほら、早く早く!」
席を立った飛鳥さんが、強引に出雲ちゃんの腕を引っ張る。出雲ちゃんはそれに露骨に面倒そうな表情をしながらも、仕方無いといった風に立ち上がり、飛鳥さんと一緒にキッチンへ向かった。
「世名君、少しいい?」
直後、八重さんが声を掛けてくる。
「な、なんですか……?」
「そう畏まらなくていいわ。さっきはごめんなさいね、意地悪な事を言ってしまって。親として、あなたをしっかり理解しておきたくてね」
「い、いえ、それは分かってますんで……」
「ならよかったわ。……あの子はね、とても寂しがり屋なの」
お茶の入ったコップに手を添え、八重さんは静かに語り始める。
「とても繊細で、脆い。近くに居てくれる存在が居てくれないと、一気に崩れてしまいそうなぐらいにね。現に氷室君という遊び相手が居なくなった時、あの子は深く落ち込んだ」
「…………」
「私も旦那も、あの子に愛情を目一杯注いでるつもりだけど、仕事に追われて時間を作れないのが現状。だからあの子には、側に居てくれる存在が必要なの」
「……その役目を俺に?」
「強要はしないわ。無理矢理構ってもらっても、あの子の心が真に満ちる事は無い。さっきあなたも言ってたけど、愛するなら全力で愛して。それがあの子と付き合う際に、私が唯一望む事よ」
「それは……もちろんです。でも……」
「分かっている。もちろんあなたがあの子の気持ちに応えないのも自由。ただ……丁重に扱ってくれると助かるわ」
そう言って、八重さんはコップのお茶を一気に飲み干す。
「分かってます。彼女を深く傷付けるような事は……可能な限りしません」
「お願いするわね。……それから、もう一つ。親の私はこんなんだけど……あの子の事、嫌いにならないであげてね」
「……そ、それって?」
「私はこの通り捻くれ者と言われても仕方無い性格だけれど、あの子はとても素直で良い子なの。料理も家事も出来るし、毎日の努力も欠かさない。スタイルも本人は気にしているみたいだけれど、私から言わせれば磨けば光る原石とも言える美しい存在。是非あの子にあった服をデザインして、雑誌で特集したいぐらいよ。あとは勉強は苦手みたいだけれど、そこを補えるぐらい沢山の長所があって、本当に私には勿体無いぐらいの娘で――」
と、八重さんは急に人が変わったように、出雲ちゃんの魅力をペチャクチャと喋り出す。その変化に、俺は思わず言葉を失う。
いきなりどうしたんだこの人……めちゃくちゃ出雲ちゃんの事を誉めちぎってるぞ。もしかして……八重さん、相当な親バカなのか?
「――という訳なの。あの子の事、しっかり見て頂戴ね」
「あ、はい……」
「あれ? お母さんと先輩、何か話してたの?」
八重さんの話が終わるとほぼ同時に、出雲ちゃんと飛鳥さんがリビングに戻って来る。
「何でも無いわ。さて……私もお代わりを頂こうかしら」
出雲ちゃん達と入れ替わるように、八重さんが綺麗に平らげた皿を持って、キッチンへと向かう。そんな彼女を見て、飛鳥さんが呆れたような微笑を浮かべながら、肩をすくめる。
「素直じゃ無いなぁ……世名君もそう思わない?」
「え? ああ……まあ、そうですね」
「……あの、先輩!」
「ん? どうかした?」
「あ、えっとその……お、お母さんの事ですけど! き、嫌いにならないであげて下さい!」
と、出雲ちゃんは少し前に八重さんが口にしたのと同じ言葉を言い放つ。
「お、お母さんあんな事言ってましたけど、本当は凄く良い人なんです! 優しくて、カッコ良くて、私にとっては理想の女性みたいな人で、昔モデルに憧れてたのも、お母さんのお洋服を着てお仕事してみたいなって思っての事だし……ああ、えっと……ともかく! 悪い人では無いんで!」
「……フフッ」
「って、なんで笑うんですか先輩!」
「いや、ごめんごめん……」
親子揃って似たような事言うんだもんなぁ……互いに愛し合ってるというか、仲が良いんだな、この家族は。
「全く……そういう事は大声で言うものでは無いんじゃない? 全部聞こえてたわよ?」
「お、お母さん!? 戻ってたんだ……ご、ごめん変な事言って」
「別に構わないわ。どうとも思わないしね」
「あれ? 母さん、口角上がってない?」
「気のせいよ」
飛鳥さんの指摘に、八重さんは若干つり上がっていた口元をすぐに真一文字に結び直す。
出雲ちゃんの言葉が嬉しかったんだな……最初は怖い人かと思ってたけど、全然良い人だったな、八重さん。
――私はあなたと出雲が交際する事に関して、諸手を挙げて賛成する事は出来ないわ。
――愛するなら全力で愛して。それがあの子と付き合う際に、私が唯一望む事よ。
でも、八重さんが今日俺に言った事は全て本心だろう。母親としての本心。彼女の言葉をしっかり胸に刻んで、ちゃんとした答えを見出さないとな。それが、俺の義務だ。
「先輩、どうかしました? なんか考え事ですか?」
「ん? いや、何も。さて、俺もお代わり貰おうかな」
「あ、私がよそって来ますよ! いっぱい食べて下さいね!」
「お姉ちゃんと対応があからさまに違う……!? お姉ちゃんショック!」
「騒がしい食卓……まあ、悪くは無いわね」
それから俺は出雲ちゃんのカレーをたっぷり堪能し、片付けを手伝って、軽く話を交えてから、自宅へと帰ったのだった。
過去編に少し出てた、出雲ママ登場。
彼女も最初は他のママさん達と同じで付き合う事に賛成してる感じのキャラだったんですが、この方が良さそうと思い、交際否定派になりました。
とはいえ、なんだかんだで付き合う事になったら素直に娘の幸せを喜ぶと思います。半分はただ可愛い娘取られて嫉妬してるだけ。
そんな親バカママのプロフィールは登場人物一覧に追加するので、気になる方は是非。