「あ、おはよう友くん!」
朝。起床してリビングへ向かった俺を待っていたのは、エプロンを身に着けた陽菜からの挨拶だった。
彼女が俺より先に起きている事も珍しいが、エプロンなんかを身に着けているのはさらに珍しい……というより、初めて見る。
その初めて目にする光景に寝起きの脳では処理が間に合わず、ついその場でフリーズしてしまう。数秒後、なんとか回復した俺は、頭を振ってから彼女に声を掛けた。
「えっと……どうしたんだその格好?」
「お? 気になる? フッフーン、実はね……」
陽菜は得意気な表情を浮かべながらエプロンを外し、適当に
「じゃーん! なんと私、早起きしてお弁当作ったんだー!」
「…………べ、弁当!?」
数秒ほどの間を空け、彼女の言葉を理解した俺は、思わず大声を上げた。
あの料理が大の苦手な陽菜が早起きして弁当を作っていたという、衝撃的な状況に驚きを隠せず、思わず絶句してしまう。
「お、お前……料理作れるのかよ……!?」
「ヘッヘーン! 最近は海子ちゃんや雪美さんとかに、いっぱい練習に付き合ってもらったお陰で、結構出来るようになったんだよ! まあ、まだ失敗しちゃう事もあるんだけどね……」
「そ、そうなのか……練習してるってのはなんとなく知ってたけど、そこまで上手くなってたのか……」
以前までの陽菜は料理を作ればぼや騒ぎを起こす――というレベルで酷かったのだ。そんな彼女が何も問題を起こさずに料理を作れるようになったのは、少し失礼な評価だろうが、俺から言わせればかなりの奇跡だ。恐らく、かなり努力したのだろう。
「そっか……陽菜が料理をねぇ……」
「えへへ……でも、まだまだ自信無いから、今回はお試しとして自分用だけ作ってみたんだ。もし自信を持って美味しい! と思えるようになったら、友くんのお弁当も作ってあげるね!」
「……まあ、期待しとくよ」
「うん! よし、忘れない内にお弁当鞄に入れとかないと!」
そう言って、陽菜は弁当箱の入った包みを持ってリビングを飛び出した。
まさか、陽菜が自分の弁当を自分で作るなんてな……あいつは一生料理出来ないもんだと思ってたけど、あいつも成長してるんだな。
「ウフフ……陽菜ちゃん、嬉しそうでよかったわ」
微笑みながら、母さんがキッチン方面からリビングへやって来る。
「母さんもあいつの練習に付き合ったりしたのか?」
「ちょっとね。陽菜ちゃん、スッゴく頑張ってたのよ? きっとあなたの為に頑張ってたんだろうから、少しは褒めてあげなさい?」
「褒めるって……」
まあ、母さんの言う通り、料理の練習した理由は俺の為……というより、もし俺と付き合う事になって、その先で俺と将来結婚した時の事を考えて、奥さんとして料理ぐらいは出来ないと……って事だろう。
まあ、それなら少しは言葉を掛けてやった方がいいかもな。俺の為に、時間を削っていっぱい努力したんだろうから。
機会を窺って、何か労いの言葉でも言ってやろう――そう決めて、俺は朝食を食べる為に席へ座った。
◆◆◆
昼休み――いつもの五人で昼食を食べる為に、俺は授業が終わってすぐに同じクラスの海子と一緒に、屋上に向かって移動していた。
「そういえば……海子、陽菜の料理練習に付き合ってくれてたんだって?」
その移動中、ふと今朝の事を思い出し、俺は後ろを歩く海子にそう話し掛けた。
「そうだが……どうした急に?」
「いや、実は今日さ、陽菜の奴が自分で弁当作ったらしくてさ。その時お前や朝倉先輩に練習付き合ってもらってたって言ってたから」
「自分で? そうか……それは朗報だな。頑張って練習に付き合った甲斐があったというものだ」
と、海子はまるで自分の事のように嬉しそうな笑顔を浮かべる。
「大変だったろ? 陽菜の料理下手は、半端ないからな」
「確かに、苦労はしたな。でも、陽菜の気合いは大したものだった。だから私も全力であいつに助力したつもりだ。実を結んだようで何よりだ」
「……本当、世話焼きだな海子は」
「なんだいきなり?」
「いや、いわゆる恋敵である陽菜の成長をそこまで喜ぶなんて……やっぱり、海子は根っからの世話焼きなんだなって思っただけだよ」
「お、お前に言われたく無いな……ほら! 早く屋上へ行くぞ!」
海子は照れ臭そうに目を逸らし、歩調を速めて、俺を抜き去って屋上へ続く階段を上る。俺も密かに笑いながら、彼女の後を追い掛ける。
「あ、友くんに海子ちゃん! こっちこっちー!」
屋上に辿り着くや否や、先に来ていた陽菜が俺達を呼び掛ける声が聞こえてくる。視線を向けると、そこには出雲ちゃん、朝倉先輩、天城の姿もあった。
「遅いよ二人とも! ほら、早く食べよ食べよ!」
「あなた、何だか今日は一段と騒がしいわね? 何かあったの?」
「えへへ……実は、今日のお弁当、私が自分で作ったんです! だから早く食べてみたくって!」
「自分で? ……桜井先輩、料理は凄い下手だったはずですよね?」
出雲ちゃんの指摘に、陽菜は今朝も見せたしたり顔を作る。
「フッフッフ……私だって成長するんだよ! いっぱい練習して作れるようになったんだ!」
「ふぅん……でも、本当に美味しく作れてるの? だって桜井さんでしょう?」
「うぐっ……! 優香ちゃんキツい事言うね……」
天城の容赦無い一言に、陽菜はちょっとショックを受けたように肩を落とす。
まあ、天城が疑うのも無理もない。陽菜の料理下手は最早才能と言えるものだったし、ちょっとやそっとで変わるとは思えない。陽菜には悪いが、俺も少しばかり本当に美味しく出来てるのか怪しいと思ってる。
「でも正直、私もそう思うわね。雨里さんと一緒にちょっと練習に付き合ったりもしたけど、その時は散々だったしね」
「……まあ、そうではありましたね」
「ううっ、二人まで……でも、今回はきっと大丈夫! ねぇ友くん!」
「いや俺も見てないからなんとも……とりあえず、さっさと実食してみたらどうだ? あれこれ言うより、それが一番手っ取り早いだろ?」
「あ、それもそうだね! 早速食べよう!」
陽菜は膝の上に置いてある包みを解き、弁当箱の蓋をゆっくりと開ける。
「よかった……崩れてなかった……」
「へぇ……見た目はまあまあ良いですね」
隣に座る出雲ちゃんが、陽菜の弁当箱の中を覗きながら言う。俺も天城と朝倉先輩の間、陽菜の正面に腰を下ろして、陽菜の弁当箱を覗き込む。
中身は白いご飯に卵焼きに、ウインナーにミートボールに唐揚げなど、スタンダードな内容となっていた。
「……ほとんど既製品じゃない」
「アハハ……でも! 卵焼きとかは自分で作ったし、ウインナーも自分で焼きましたよ!」
「まあ、弁当なんてそんなものだろう。問題は、その卵焼きが美味く出来てるかだ」
「そ、そうだね……よぉーし……」
緊張した面持ちで、陽菜は箸を自分で作った卵焼きに伸ばし、掴んでゆっくりと持ち上げ、パクリと口にする。
「…………」
「どうだ?」
「……どうなんだろう? 自分じゃよく分かんないや」
アハハと笑いながら、陽菜は頭を掻く。
「駄目じゃん……」
「うーん……でも、なんか違う気がするんだよねぇ……香織オバサンが作るのは、もっとこう、なんというか……私のも不味くは無いと思うんだけど……」
「ふむ……陽菜、私にも一口くれるか?」
海子の言葉に陽菜はコクリと頷き、弁当箱を差し出す。海子は卵焼きを一つ、自分の箸で掴んで食べる。
「ど、どうかな……?」
「うん……少ししょっぱいかもしれないな。これはこれで悪く無いんだが……」
「ふぅん……私も一つ貰っていいかしら?」
「あ、はい!」
陽菜は今度は朝倉先輩の方に弁当箱を差し出し、先輩は一つを箸で取って食う。
「……確かにしょっぱいわね。醤油でも多く入れすぎたんじゃない?」
「やっぱりそうですか……香織オバサンのは、もっと甘くて美味しいしなぁ……」
「でも雨里さんの言う通り、悪くは無いんじゃない? 絶品とは言い難いとは思うけど、あなたにしたら十分に上出来よ」
「そうだな……ちょっと前までは、その……失敗するのが当たり前だった訳だし、しっかり成長してると思うぞ」
「雪美さん、海子ちゃん……うん、そうだよね! もっと練習すれば上手くなるよね! 今度は完璧な料理を作ってみせるぞー!」
そう言いながら、陽菜は気合いを込めるようにガッツポーズを作り、空に向かって高々と掲げる。
陽菜の奴、やる気だな……ま、頑張ろうって思える事があるのはいい事だよな。料理は得意でも無いし、俺が力になれる事は少ないだろうけど、陰ながら応援してやろう。
「精が出るな。私もいつでも協力するつもりだから、いつでも相談しろよ?」
「うん! ありがとう海子ちゃん! 次回こそ美味しいの作るんだから! その時こそ、友くんにも食べさせてあげるね!」
「あら、今日のはあげないのね。あなたの事だから、友希君には一番に食べさせてあげると思ってたのに。まあ、それはそれで私としてはあまり喜ばしくは無いけど」
「友くんには、ちゃんと美味しいの食べてほしいですから!」
「ふぅん……ま、その時が来るといいわね」
「ま、いくら桜井先輩が美味しい料理作っても、先輩の一番は私ですけどね!」
「大宮さん、調子に乗らない事ね」
「ハハッ……まあ、とりあえず昼飯食べようぜ?」
これ以上料理話が発展すると修羅場が起こりそうな予感を覚え、俺は早急に昼食へ移るように仕向けた。
それから特に空気が悪くなるような事は無く、平和のまま昼休みは終わった。
◆◆◆
「ただいまー」
放課後――学校から自宅に帰宅。靴を脱いで二階の部屋に上がり、荷物を片してから一階のリビングへ向かう。
「あ、友くんお帰りー!」
リビングには先に帰宅し、ソファーに座って何やら雑誌を読む陽菜が一人だけ居た。
「友香はまだ帰ってないのか?」
「えっとね、友香ちゃん今日は愛莉ちゃんの家でお夕飯食べるからって、少し前に出て行ったよ!」
「中村の家にか……母さんは?」
「オバサンは買い物じゃないかな? もう少ししたら帰ってくるんじゃない?」
「そうか」
そこで会話を止め、俺は飲み物を取りにキッチンへ足を運ぶ。冷蔵庫にあったコーラを二口ほど飲んでから、リビングに戻る。
戻ると、陽菜が姿勢を座った状態から寝転んだ状態へ変えていた。その姿を見た瞬間、俺はすぐさま彼女から視線を逸らした。
理由は陽菜の服装が俺と同じで制服のままだったから。当然下はスカートのままで、そんな状態で下半身をこちら側に向けていて、足を大きくパタパタと動かしていたら、スカートの中が見えてしまうに決まっている。
だから彼女の下着を目視するのを避ける為、俺は視線を外しながら、彼女のスカートの中が見えない位置まで移動した。
「ん? どしたの友くん?」
すると、俺の行動が気になったのか、陽菜が顔だけをこちらに向けて声を掛けてくる。
少しは注意をしろと言おうとしたが、どうせ「友くんなら気にする必要無いもん!」みたいな事を返されるだけだろうと判断し、溜め息を吐いただけで、何も言い返さなかった。
「……? 変な友くん」
「たくっ……ところで、何読んでるんだ?」
「これ? 料理の本! ちょっとでも勉強しようと思ってさ!」
「そうか……どうしてリビングで読んでるんだ?」
「いいじゃん別に。それに、ここなら友くんと一緒に居られるでしょ?」
「そ、そう……」
躊躇わずに恥ずかしい事言うなこいつは……まあ、今更か。
「あ、見て見て友くん! この肉じゃが美味しそうだよ!」
「ん? どれ……本当だ、美味そうだな」
「私もいつかこんなお料理作ってみたいなぁ……いっぱい頑張らないと!」
「張り切ってるな……でも、大分上手くなってると思うし、案外作れる日も近いんじゃないか?」
「そうかな? そう言われると照れるなぁ……」
ニヤニヤと笑いながら、陽菜はゆらゆらと体を左右に転がす。
「あんまり動きすぎると落ちるぞ? ……まあ、なんというか――」
「ただいまー!」
「あ、オバサン帰ってきた。って、友くん今、何か言おうとしてなかった?」
「いや、大した事じゃ無いから気にすんな」
労いの言葉……今が良いタイミングだと思ったけど、あやふやになっちまったな……まあ、また別の機会でいいか。
しばらくすると、両手にビニール袋を持った母さんがリビングにやって来る。母さんはドスンとビニール袋をテーブルの上に置き、パタパタと手で顔を扇ぐ。
「ふぅ……つい買い過ぎちゃったわ」
「うわぁ、食材いっぱい! もしかして、今日って夕飯豪勢ですか!?」
「あ、その事なんだけれど……ごめんなさい。今日は私、お夕飯作れないのよ」
「え、どうしてですか?」
「実はね、今さっき知り合いの奥さんにね、お夕飯に誘われちゃったのよ。もうすぐに出ないといけないから、お夕飯作る暇無くってね。悪いけど、友香に作ってもらってくれる?」
「そうなんですか……でも、友香ちゃんもお友達の家にお夕飯食べに行っちゃいましたよ?」
「あらそうなの?」
知らなかったのか、母さんは驚いたように目を丸くして、「困ったわね……」と呟きながら腕を組む。が、しばらくすると何か名案を思い付いたのか、ポンと手を叩く。
「そうだ! 陽菜ちゃん、よかったら今日のお夕飯、作ってくれる?」
「へ? ……えぇ!? 私がですか!?」
「ええ! いい機会だし、どうかしら?」
「で、でも私、まだ完璧に上手く作れる訳じゃ無いし……」
「そんなの、誰だってそうよ! それに陽菜ちゃんこれまでいっぱい頑張ってたんだから、大丈夫よ! ね、友希もいいでしょ?」
と、母さんは俺に目配せをする。
「ああ、俺は構わないよ。前の陽菜なら不安だけど……今の陽菜なら、任せられる」
「友くん……うん、分かった。私、お夕飯作る!」
「それでよし! 食材は好きなだけ使っていいから、頑張ってね!」
「はい! ありがとうオバサン! 私、頑張ります!」
陽菜はグッと拳を握り、母さんも同じようにグッと拳を握る。
「じゃあ、私はもう出なきゃ。陽菜ちゃん、ファイト!」
「はい! 行ってらっしゃーい!」
手を振りながら、母さんはリビングを後にする。それから数秒後、陽菜はバチンと頬を叩き、俺の方へ向き直る。
「よし、頑張るぞ! 友くん! 何食べたい!?」
「え? そ、そうだな……」
突然の質問に、視線を泳がせながら考える。その時、テーブルの上に広げてあった、さっき陽菜が読んでいた料理本が視界に映る。
「……肉じゃが、かな」
「お、家庭的な料理の代表だね! 任せてよ!」
「おう……なあ、俺も手伝うか?」
「……ううん、私一人でやる! これぐらい一人で出来るようにならないと! 心配かもしれないけど、信じてほしい!」
「陽菜……分かった。信じて待ってるよ」
「友くん……ありがとう! よーし! 早速準備だー!」
大声で叫び、陽菜は料理本を持ってキッチンへ向かう。
正直不安が無い訳では無い。けど、陽菜があんなに張り切って、信じてほしいと言っているんだ。なら、俺は彼女を信じて待つだけだ。
彼女の料理が無事に成功する事を祈りながら、俺はソファーに腰を下ろした。
それから数時間近く、陽菜はキッチンに籠もり、肉じゃが作りに奮闘した。時折心配になったりもしたが、俺は彼女を信じて動かず、ただ待ち続けた。
そして時は流れ、午後七時。夕飯時になった頃に、陽菜がようやくリビングに戻って来た。
「お疲れ様。肉じゃが、完成したのか?」
「ふぅ……うん、なんとか完成したよ! 味見もしたし……多分大丈夫!」
「おお、本当か? そりゃ楽しみだな」
「友くんが美味しいと思うかどうかは、ちょっと不安だけどね……お腹空いたし、早速準備しよ!」
「おう」
陽菜と俺、二人で協力してテーブルを拭いたり、料理を並べたりと夕飯の準備を進める。
テーブルに二人分の白米に、既製品のサラダなどが並び、そして最後に陽菜が、今回のメインディッシュを持って来る。
「お待たせ! これが……私のお手製肉じゃがだよ!」
陽菜はテーブルの中央に、手作りの肉じゃががぎっしりと盛られた器をそっと置く。
「……見た目は普通だな」
陽菜の手作り肉じゃがは、牛肉にじゃがいも、にんじん白滝などなど、ごく普通の肉じゃがだ。食欲を掻き立てる湯気と匂いもとても美味しそうだし、今のところ何も問題点は無い。
これだけでも胸を張っていい出来だと思うのだが、作った当人である陽菜はまだ不安なのか、表情が少し固い。
「そんなに不安がる事無いんじゃないか? 凄い美味そうだぞ?」
「だって、お夕飯とか初めて作るし、友くんに食べてもらうなんて初めてだから、緊張しちゃうんだよぉ……」
「まあ、気持ちは分からなくも無いけどさ……さ、冷めない内に食べようぜ」
「う、うん……」
ぎこちなく頷きながら、陽菜は俺の正面に座る。
「じゃあ、いただきます」
「い、いただきます……」
お決まりの言葉を口にしてから、箸を手に取り、早速陽菜の作った肉じゃがに手を伸ばす。牛肉と白滝を一緒に掴み、一気に口へ運ぶ。
「…………」
陽菜は目を見開き、唇をキュッと噛み締めながら、俺の事をジッと見る。その様子に釣られ、俺も少し緊張しながら咀嚼を続け、ゴクンと飲み込む。
「ど、どう……?」
「……うん……凄く美味しいよ」
「ほ、本当に!?」
「ああ、本当だよ。凄く美味いよ、陽菜の作った肉じゃが」
「そ、そっか……はぁ……よかったぁ……」
俺の感想に安堵したのか、陽菜は涙声を出しながら、糸が切れたようにぐったりとうなだれ、テーブルに顎を乗せた。
大袈裟な奴だなぁ……しかし、本当に驚いた。あの料理下手な陽菜が、こんなに美味しい料理を作るなんて。味付けも文句の付け所が無いし、食感もとても食べやすい。流石に主婦歴の長い母さんやプロのには負けるかもしれないが、十分なクオリティだ。
最底辺と言えるレベルから、ここまでの成長……本当に、沢山努力したんだろうな、陽菜の奴。
「……頑張ったんだな、陽菜」
「へ……?」
「並の努力じゃ、ここまで変わる事は出来ない。ちょっと上から目線になっちゃうかもしれないけど、本当に頑張ったな、陽菜」
「友くん……うん、あんがとう! でも、私がこんなにも頑張れたのは、友くんのお陰だよ?」
「俺の?」
「うん! 友くんに美味しい料理を食べてもらいたいから、私は一生懸命頑張れたの! 辛い事があっても、友くんの為ならって頑張れた! だから、私が料理上達出来たのは、友くんのお陰だよ?」
ニコッと笑いながら、陽菜は小さく頭を横に倒す。
俺は別に何もしてないんだがな……しかし、ここまで俺の為って言われると、なんだか恥ずかしいな……その努力、無駄にしてしまうかもしれないのが申し訳無いな。
いや……今は考えるのを止めよう。それにどうなろうと、この努力は彼女の将来の為になる。その力になれたのなら、素直に喜んでおこう。
「でも、本当に安心したよ……ちゃんと出来たみたいで。私の料理、友くんに美味しいって言ってもらえたんだよね……? ……フフッ……!」
キュッと握った両手を口元に持って行き、小さく笑う。そんな無邪気で可愛らしかった彼女の姿に、つい目を奪われる。
「ん? どうかした?」
「あ、いや別に……」
「そう……? ねぇ友くん、もう一回美味しいって言ってよ!」
「はぁ……? そんな何回も言う事じゃねーだろ?」
「いーじゃん! 言ってよー!」
「たくっ……はいはい、美味しい美味しい」
「あー、なんかテキトー! もう……!」
陽菜は不満そうに、プクッと頬を膨らませる。しかし、すぐさまニマッと口角を上げる。
「いいもん! また今度も美味しい料理作って、美味しいって言わせてやるもん!」
「そう……期待せずに待ってるよ」
「もー、素直じゃ無いなぁ……覚悟してろー! ……えへへ」
笑い声をこぼし、陽菜も箸を伸ばして自分で作った肉じゃがを食べ始め、俺も彼女の努力の結晶とも言える肉じゃがを、目一杯堪能した。
それから適当な会話を交えながら食事を進め、肉じゃがを含め夕飯を残さず完食した俺達は、二人で協力して食器をキッチンに運んでから、片付け前にリビングで少し休憩を取る事にした。
「ふぅ……お腹いっぱい……自分で作った料理って、こんなにも美味しいんだねぇ……」
「お疲れ様。片付けは俺やっとくから、お前はもうちょっとゆっくり休んでな」
「ううん、最後までやるよ! もしも奥さんになったら、毎日のように今日みたいな事するんだから! 今の内に慣れとかないとね!」
「……奥さんになったらか……」
「うん! 私の夢は、友くんの奥さんだもん! その為に色々頑張らないと!」
夢か……陽菜は変わらないな。でもその夢、俺の気持ち次第なんだよな……叶えさせてやりたいけど、きっと他のみんなも同じように将来を思い描いてる。だから……やっぱり、今は俺からは何も言えない。
でもそれは陽菜も分かってる。だから、彼女はこれからも努力を続けるだろう。俺の奥さんになる為に、彼女達に勝つ為に、色々な事を。俺に出来るのはそれをしっかり見て、受け止めて、決める事。何一つ蔑ろにしないよう、俺も彼女達の努力を見ていないとな。
「……でね! 私、一つ考えてる事があるんだ!」
「……? 考えてる事?」
「うん! 私ね……調理師の免許取ろうと思う!」
「……はぁ?」
いきなり突拍子もない事を言い出した陽菜に、思わずそんな声がこぼれる。
「あ、栄養士もいいかもね! あれ、栄養士と調理師って何が違うんだろう?」
「ちょ、待てって……! いきなりどうしたんだよ……? 料理屋でも開くつもりか?」
「お、それもいいかもね! 小料理屋とか! でも、ちょっと違うかな」
「じゃあ、どうして?」
「あんまりよく知らないけど、調理師って料理を知り尽くしてる人って事でしょ? 私、もっと料理を極めてみたいんだ。もっともっと料理が上手くなったら、友くんにもっと美味しいもの食べさせてあげられる! 友くんにもっと喜んでもらえる! だから調理師になって、最高の料理を友くんに毎日作ってあげる! そんな奥さんになりたいって、そう思ったんだ!」
と、陽菜は嬉々として語った。その彼女の考えに、俺は思わず言葉を失った。
「そ、そんな理由で調理師目指そうと思うか? 普通……」
「ムッ、そんな理由とは失礼な! 私は大真面目だよ! 調理師目指す勉強してればお料理に詳しくなれるだろうし、そしたら友くんの為に健康に良い料理とかも作れるかもでしょ?」
「……で、でも……その、悪いけど……お前が俺と結婚出来るって決まってる訳じゃ……」
「分かってる。それでも、私はやるよ。だって、友くんと付き合えないかもしれないから諦める……なんて、そんなの友くんと付き合うのを諦めちゃうようなもんだもん! だから私は、私の思い描く将来の為に全力で進む! 夢を叶えるのって、そういう事でしょ?」
「陽菜……」
ああ、そうだ……こいつはこういう奴だったな。一度決めたらもう止まらない。なら、俺は何も言うまい。結局同じだ。彼女の努力を見て、受け止めるだけだ。
「そうか……好きにすればいいさ」
「うん! よーし、そうとなればこれから頑張らないと!」
「でも、大丈夫なのか? 調理師ってただ料理出来るだけじゃ駄目だろ? 凄く勉強しないとだろ?」
「うっ……! 勉強かぁ……大丈夫! 友くんの為なら、私は頑張れる! ……はず」
不安だなぁ……ま、努力は無駄にならないし、好きにやらせるか。
「よぉし、まずは調理師について調べてみよっと! 明日から……いや、今から頑張るぞ!」
「……それもいいけど、学校の勉強もしとけよ? もうすぐ期末テストだぞ?」
「あっ……わ、忘れてた……ふえぇ、どうしよう……」
「お前な……俺の為と思って頑張れ。馬鹿だと、立派な奥さんにはなれないかもだぞ?」
「そ、そうだよね! うん、私頑張る!」
「全く……」
こんなんで調理師なんてなれるのかねぇ……ま、やれば出来る奴だし、平気……かな?
「……ふへぇ……でもやっぱり勉強やだよぉ……」
平気……なのかな……?
陽菜は最後まで料理苦手キャラで行こうと思ってたんですが、彼女の成長みたいなのを描きたかったので、こうなりました。
調理師免許持ちの奥さん、という目標を見出した彼女がどうなるのか、どうぞお楽しみに。