モテ期と修羅場は同時にやって来るものである   作:藤龍

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子供の世話は大変なものである

 

 

 

 

 

 ある日曜日の午後――たまには健康の為に軽く運動でもしようかと、ふと思い立った俺は、家を出て一人で散歩をしていた。

 寒空の下を目的も無くブラブラさまよい続ける事、約一時間。自宅のある住宅街から離れた、海子の家がある別の住宅街を徘徊していると、不意にどこからかワイワイと騒がしい、子供の声がうっすらと聞こえてきた。

 そういえば、ここら辺に公園あったな……夏休みに海子と一緒にラジオ体操した。あの時は子供達にからかわれて、海子がてんやわんやしてたっけな。

 などと懐かしい記憶を思い返しながら、なんとなく公園のある方へ歩みを進める。次第に例の公園が視界に見え始め、子供達の声もだんだんと大きくなる。

 

「おい、お前達! あんまりはしゃぎ過ぎると怪我するぞ!」

「ん? この声……」

 

 その子供達の声に混じり聞こえた、凛とした女性の声に、思わず足が止まる。

 

「あ、こら! そんなところに登るな! 危ないだろう!」

 

 一瞬聞き間違えかと思ったが、再び同じ声が公園の方から聞こえる。

 この声……間違え無い、やっぱり海子だ。ここからあいつの家は近いし居ても不思議じゃ無いけど……何してんだあいつ。

 一体公園で、しかも子供達と一緒に海子が何をしているのかをこの目で確かめる為に、再度公園に向かって歩みを進め、入口の陰からこっそりと公園の中を覗き込む。奥の方にある遊具の近くで六人の子供達と戯れる、海子の姿を発見する。

 子供は風の子と言う通り、元気いっぱいに遊具で遊ぶ子供達の中心で、海子は大声で注意を飛ばしたり、砂場で遊ぶ女の子の相手をしたりしている。さながら、休日に子供の世話をするお父さんのようだ。

 

「何してんだあいつ……」

 

 いや、普通に見て子供の世話だろうが……何がどうしてあんな状況になったんだ?

 それを彼女らの様子を見ながら考えていると、一人の男の子と目が合う。その子は不思議そうに俺をジッと見据えた後、何か思い出したように口を開いた。

 

「あー! 海子おねーちゃんのカレシだー!」

「い、いきなり何を叫んでる――って!? 友希!? どうしてここに!?」

 

 男の子の叫びに海子は振り返り、俺と目が合うと同時にビックリして、砂場に尻餅をつく。遅れて、他の子供達が次々と俺に気付き、内数名が一斉にこちらへ駆け寄って来る。

 

「ほんとだー! 海子おねーちゃんのカレシだー!」

「何しに来たのー? 海子おねーちゃんとデート!?」

「やっぱりお休みだから、一緒にいたかったとかー?」

「ラブラブだねー! ヒューヒュー!」

 

 怒濤の如く質問を投げ掛けてくる子供達に、思わず一歩後ずさる。

 元気だなぁ……というかよく見ると、前にラジオ体操とプールの時に会った子達だな。相変わらずどこかませてるっていうか……海子おねーちゃんの恋愛事情に興味津々か君達。

 どう対応しようかと困っているところに、海子が駆け足でこちらへやって来て、俺に群がる子供達の頭に軽いチョップをお見舞いする。

 

「いい加減にしろ! 子供がそういう事に首を突っ込むな!」

「あー、海子おねーちゃんまた照れてるー」

「そういうからかう事も言わない! ともかく、私は少しこの人とお話するから、お前達は遊んでなさい! くれぐれも危険なマネはするな!」

「はーい!」

 

 みんな揃って返事をしてから、子供達は遊具の方へ走り去る。

 

「ハハハッ……大変だな、海子おねーちゃん」

「お前までからかうな……! 全く……」

 

 軽く赤面しながら、海子は咳払いを挟んでから、俺に問い掛ける。 

 

「それで、お前はどうしてここに居る? も、もしかして……私に用事がある……とかか?」

「あ、いや、たまには運動でもしようかなーって適当に散歩してたら、偶然ここに辿り着いたってだけで……」

「そ、そうなのか……私の早とちりだったな、うん」

 

 と言いながら、海子は微かに残念そうな表情を浮かべ、肩を落とす。恐らく自分に用事があって来たと、内心喜んでいたのだろう。

 なんか悪いな……でも嘘を付いて変に期待させる訳にもいかないもんな。

 

「……で、お前は何してるんだ? あんなに沢山子供連れてさ」

「あ、ああ……色々あってな。とりあえず座ろうか」

 

 海子の指差すベンチまで二人で移動し、隣り合わせに座ってから、海子は今に至るまでの説明をしだした。

 事の始まりは今朝。海子の母親である水樹さんを含め、この住宅街に住む大半の大人が日帰りのバスツアーへ参加する事になったらしく、夜まで家を開ける事になったらしい。そのバスツアーにはあの子供達の親も参加しているのだが、母親達はまだ幼い彼らに一人でお留守番をさせるのが心配だったらしい。

 そこに、水樹さんが「よかったらウチの娘に面倒見てもらいます?」と勝手に提案したらしい。母親達はそのご厚意を有り難く頂戴し、海子は水樹さんから半ば強引にあの子供達の世話を一任された――という事らしい。

 

「で、あいつらが外で遊びたいと駄々をこねたのでここに来た……というのがここまでの経緯だ」

「なるほど……それは、大変だったな」

「まあ、実は今までも似たような事があったし、もう慣れたがな。それに、あいつらの相手をするのは楽しい。色々と疲れるがな……」

 

 グルグルと肩を回し、海子は背もたれに寄り掛かる。

 楽しいのは本心だろうけど、やっぱり疲れも多いんだろうな……そりゃあんな元気な子達を一人で相手してるんだ、疲れも溜まるってもんだ。

 

「あ、やっぱり……あのときのおにいちゃんだ!」

 

 不意に、砂場で遊んでいた女の子の内、一人が俺達の下へやって来る。先ほど俺に群がってきた輪の中には居なかった子だ。

 

「あれ? 君は確か猫探しの時の……」

 

 以前、ここの近くで海子と夏紀と猫探しをした事があった。俺の記憶が正しければ、この子はその猫の飼い主だった子だ。

 俺の記憶が間違っていないか、海子に目線を送り確かめる。彼女は「友希の思った通りだ」と頷き、女の子の頭を優しく撫でる。

 

「あいなちゃんとはあの一件以降、時折遊ぶ事があってな」

「へぇ……久し振りだね。えっと……マルちゃ……じゃない。マルくんは元気にしてるか?」

「うん! さいきんはケンカもしなくなったし、いっぱいおさんぽしてるよ!」

「そっか。それはよかったね」

「……おにいちゃん、やっぱりおねーちゃんのカレシさんなの?」

「ッ……!? ゲホッ! ゴホッ……!」

 

 唐突にあいなちゃんが放った質問に、動揺したのか海子は激しく咳き込む。

 

「あ、あいなちゃんまで、いきなり何を言ってるんだ!」

「ちがうの?」

 

 と、あいなちゃんは純粋な眼差しで海子を見ながら、小さく首を傾げる。それに海子は頬を掻きながら視線を逸らし、数秒間を空けてから答える。

 

「ま、まあ、違……くは無い……の、かな……?」

「やっぱりそうなんだ! おにあいだね!」

「そ、そうか……? あ、ありがとう」

 

 と、海子は照れ臭そうにしながら頭を掻く。

 

「ねぇ、よかったらおにいちゃんもいっしょにあそぼ?」

「俺も?」

「うん! そのほうが、きっとおねーちゃんもうれしいもん!」

 

 と、あいなちゃんは満面の笑顔を浮かべる。

 子供達の相手か……あのわんぱく小僧達の相手をするのは凄く大変そうだよな……でも、どうせ運動しようって外に出た訳だし、丁度良いかもしれないな。俺が何人か相手すれば海子の手助けにもなるし、一石二鳥ってもんだ。

 

「……うん。そうだな。俺も一緒に遊ぶか!」

「友希……!? い、いいのか……?」

「別に用事も無かったしな。それに、俺が手伝えば少しは海子も楽出来るだろ? 少しは力になれたらなって」

「友希……相変わらずだな。では、お言葉に甘えさせてもらう。あのわんぱくな男子達は任せた」

「おうよ」

 

 ベンチから立ち上がり、男子三人が遊ぶジャングルジムの方へ向かう。

 

「おーい! ちょっといいか?」

「あ、海子おねーちゃんのカレシ。もしかして一緒に遊ぶのー?」

「その呼び名は固定なのか……まあ、そんなところだ! 俺も混ぜてくれるかー?」

「うん、いいよー! じゃあ鬼ごっこしよーよ!」

「海子おねーちゃんのカレシが鬼ねー! よーい、スタート!」

 

 と叫び、男子三人はジャングルジムから素早く降りて、俺から逃げるように一斉に走り出す。

 

「自由だな子供は……よっしゃ、いっちょやりますか!」

 

 

 ◆◆◆

 

 

 約一時間後――鬼ごっこ、かくれんぼ、ヒーローごっこと、目まぐるしく様々な遊びに付き合わされた俺は、早くも体力の限界に達し、公園のベンチに倒れ込むように腰を下ろした。

 こ、子供の相手って、こんなにシンドイもんなのか……お父さんって生き物はスゲェんだな。

 完全にスタミナ切れの俺に対し、男子三人組は疲労感など一切感じさせずに、未だ元気にブランコで遊んでいる。若さって凄いなぁ、と中年みたいな事を考えていると、海子が少し心配そうな面持ちでこちらに来る。

 

「大丈夫か?」

「なんとかな……あのわんぱく小僧達の相手一人でしてたなんて、凄いな」

「ハハッ……まあ、あいつらの相手には慣れているからな」

 

 笑いながら、海子は俺の隣に腰を下ろす。

 

「慣れてるか……あの子達と遊ぶ事はよくあるのか?」

「そうだな……月に一度ぐらいはな。今日みたいな理由であいつらの親が家を留守にして、世話を任されたりする事もよくあるからな。とはいえ……最初の頃は苦労したものだ」

「そうなのか?」

「私はあいつらと同じ年の頃は、一人で居る事が多くて、友達と遊ぶなんて事は無いに等しかった。だから、子供はどんな遊びをするのかが、よく分からなくてな。あいつらを退屈させない為にどうすればいいのだろうかと、頭を悩ませたものだ」

 

 その時の事を思い出したのか、海子は俯き、少し物悲しそうに目を細めた。

 子供がどんな遊びをするか分からない、か……海子は昔、一人で居る事が多かったみたいだしな。経験が無い事を考えるのって、凄く難しいよな。

 もしかして余計な話を振ってしまっただろうか、落ち込ませてしまっただろうかと心配になり、海子の横顔をジッと見ていると、不意に彼女は顔を上げ、小さく微笑んだ。

 

「私にはそういった経験が無い……だから、とにかくがむしゃらに頑張った。どうすればあいつらが楽しんでくれるか、喜んでくれるのか、必死に考えて努力して、実践した」

「……その結果、今、あの子達とこんなに仲良く出来た訳か」

「ああ。当時はとても苦労したが、投げ出さなくてよかったよ」

「そっか……」

 

 あの子達の海子と接する様子を見れば分かる。あの子達が喜ぶように、楽しませる為に、きっと海子は凄く努力したに違いない。だからあの子達はあんなにも海子に懐いてる。楽しく遊んでくれる海子が大好きなんだ。

 

「……本当に、海子は努力家だな。そういうところ、尊敬するよ」

「な、なんだいきなり……!?」

「あの子達の事だけじゃ無い。海子は色んな事で努力してきたんだろ? 俺の知らないところでも、きっと色んな事を頑張ってる。そんなに頑張れるなんて、簡単な事じゃ無い。本当に尊敬するよ」

「……何を言うんだ。私がそうなれたのは、お前のお陰だよ」

 

 海子は胸に右手を当て、安らかな表情を浮かべながらそっと目を閉じる。

 

「お前に出会うまでは、私は何もしようとしなかった弱虫だった。でも、お前に救われたから、私は変わろうと決意出来た。お前みたいに強くなりたいから、お前と胸を張って再会したかったから、お前に……好きになってほしいから、努力するようになったんだ」

「海子……」

「私の努力の源はお前なんだ、友希。だからあいつらと仲良くなれたのも、ある意味お前のお陰だ。ありがとうな」

 

 と、海子は俺を見つめながら笑った。とても綺麗で、可愛らしいその笑顔に、俺は思わず見惚(みと)れ、彼女を直視したまま静止してしまう。

 しばらく経つと、海子は急に顔を赤くして、バッと視線を逸らしながら口を開く。

 

「な、何をジッと見てる! ……照れるだろう」

「あ、わ、悪い……」

 

 その言葉に我に返り、俺も海子とは反対方向へ目を背ける。

 海子は普段から美人だけども、時々目を奪われる時があるというか……こういった不意の変化には弱いな、俺。

 それから数秒ほど、気まずさから互いに無言を貫いたが、流石に居た堪れなくなってきたので、わざとらしい咳払いをしてから、話を振った。

 

「な、なんだか寒くなってきたな……子供達も風邪引いちゃうかもしれないし、そろそろ戻ったらどうだ?」

「そ、そうだな! よし……!」

 

 表情を引き締めるように頬を軽く叩き、海子はベンチから立ち上がる。

 

「おいお前達! そろそろ私の家に戻るぞ!」

「えー、まだ遊びたりないー!」

「もっとここで遊ぶー!」

「わがままを言うな! 風邪を引いたら嫌だろう?」

「はーい……」

 

 納得しきっていないのか、男子三人組は不機嫌そうな顔をしながらも、海子の下へ集まる。遅れる事数秒、あいなちゃん達女子三人組も集まる。

 

「よし、全員居るな? さて……友希、お前はどうする?」

「俺か? うーん……海子がいいなら、俺も行こうかな。まだ手伝える事もあるだろうし」

「そうか……なら、一緒に行くか」

「海子おねーちゃん、カレシと部屋でいちゃいちゃするの?」

「いっ……!? そういう事を言うな!」

 

 海子がからかった男の子に軽く拳骨を食らわせ、周りの子達が笑い声を上げる。

 仲良いなぁ……まるで本当の姉弟みたいだな。彼女と子供達が仲良くなれたのは俺のお陰って海子は言ってたけど……そうなら、海子の力になれてよかったな。

 そのまま俺達は揃って公園を出て、海子は女子二人と手を繋ぎ、俺は男子三人組にちょっかいを出されながら海子の家を目指した。

 数十分ほどで海子の家に到着。子供達は元気良く家に上がり、男子三人組がリビングの方へ一直線に走り出す。

 

「こら暴れるな! まずは洗面所でうがい手洗いをしてからだ!」

「はーい……」

 

 海子の注意に、三人組は大人しく洗面所へ向かい、女子組も後に続く。

 

「ハハッ、海子お母さんみたいだな。様になってる」

「……それは誉め言葉という事でいいのか?」

「もちろん。もしかしたら、海子って幼稚園か小学校の先生とかに向いてるのかもな」

「先生……? 私が?」

「ああ。子供好きだし、子供の扱いに慣れてる。勉強も出来るし、頼りになるし、世話焼きだし、何より努力家。スゲェ向いてると、俺は思うかな」

「い、言い過ぎだ…………先生か」

 

 と、海子は小さく呟く。

 

「ん? もしかして意外と乗り気?」

「そういう道も悪くは無いかもしれないなと、少し思っただけだ」

「そっか……自分から振っといてなんだけど、興味持たれるとは思わなかった」

「私も少し意外だ。そんな選択肢、今まで考えた事も無かったからな」

 

 海子は考え込むように、腰に手を当てて小さく俯く。

 なんとなく口にしてみただけだけど、まさかここまで関心を抱かれるとは思わなかったな。

 

「とりあえず、俺達も中に入ろうぜ」

「んっ、そうだな。この後もきっと大変だぞ?」

「望むところ」

 

 そんな会話を交えながら靴を脱いで、俺と海子はリビングを目指して歩き出す。

 それから海子の言う通り、遊び場を公園から雨里家に変え、子供達の世話は第二ラウンドへ突入した。とはいえ男子達は持ち込んだ携帯ゲーム機、女子達は折り紙と、さっきとは違って体力をあまり使わない遊びだったので、そこまで大きな苦労はせずに済んだ。

 そして数時間ほど経過した頃、子供達は疲れ果ててしまったのか、全員ソファーに座ったまま眠りについてしまった。

 

「全く……こんなところで寝ると結局風邪を引いてしまうだろう……」

 

 と言いながら、海子はどこからか持ってきた毛布を子供達に掛けてあげる。

 

「ともかく、これで私達も一休みできるな……ココアでも淹れるか?」

「お、じゃあお願いしようかな」

 

 海子はキッチンに移動し、俺は椅子に座りグッスリと眠る子供達を見守りながら待つ。

 数分後、海子がココアの入ったカップを二つ持って戻ってくる。彼女は俺の正面に座り、湯気の立つココアを一口啜ってから、息を吐く。

 

「ふぅ……改めて、今日は手伝ってくれてありがとうな。お陰で大分楽が出来た」

「俺は別に。ただ男子達に振り回されてただけだよ」

「それが助かってるんだ。いつもは私一人だから、振り回されっぱなしで大変なんだぞ?」

「頭が下がるよ……本当に頑張ってるな、海子」

「確かに大変だけど、その分あいつらの楽しそうな笑顔を見れるからな」

 

 笑い、海子は再びココアを口にする。

 

「……私は昔、心の底から笑う事がほとんど無かった。だからあいつらには少しでも長い時間、幸せに、笑顔で過ごしてほしいんだ。だから、私は頑張れる」

「……優しいんだな、海子は」

「私は一人ぼっちの寂しさを知っている。だからあいつらにも、同じ思いをさせたく無いんだ。一人というのは、とても辛いからな。……だから、確かに私は向いてるのかもしれないな、先生に」

 

 海子は両手の指を絡め、テーブルの上に置く。

 

「きっと私のように、臆病で一人閉じこもっている子は、沢山居るだろう。学校の先生は、そんな子達に手を差し伸べる事が出来る存在だ。もし私がそんな子達の力になれて、少しでも救う事が出来るのなら……私は、教師という職を目指してみたいと思う」

「海子……うん、海子らしいよ。俺は良いと思うよ。海子ならいい先生になれるよ」

「……なあ、友希。一つ聞いていいか?」

「ん?」

「その、もしもの話だぞ? もし、お前と私が付き合う事になって、将来結婚したとしたら……お前は、私が教師という職に就くのは許容出来るか?」

 

 一瞬、質問の意味が分からず考える。そしてすぐに、俺は彼女の思いを悟った。

 教師という職業は、恐らくとても過酷で忙しい仕事だろう。そして目指すにしても、血の滲むような努力が必要だろう。きっと多くの時間を削らなければならないほどに。

 だからもし俺と海子が付き合い、結婚したとしても、海子が教師を目指す事になったり、実際に教師という職に就いたとしたら、二人の時間というものは少なくなるだろう。それこそ家事や家の事で俺に負担をかける事になるかもしれないし、すれ違いというものも生まれるかもしれない。

 海子はそれを気にしてるのだ。教師を目指す事で俺に迷惑を掛ける……いや、俺と付き合う、夫婦になるという未来を潰す事になるのでは無いかと。

 

「もちろん、お前が私を選んでくれると、決まっている訳では無いのは分かってる……でもその可能性を閉ざしてしまうのなら、私は……」

「……そんなの気にしなくていいよ」

「え……?」

「悪いけど……確かにまだ、俺は海子と付き合うかどうかを決めてる訳じゃ無い……けど、もし付き合って結婚したとしても、お前が教師を目指すと決めたのなら、俺は全力で応援するぜ」

「ほ、本当か……!?」

「ああ。むしろ、その為に力になってやりたいと、支えてやりたいと、俺は思うよ。だから気にする必要なんて無い。海子はひたすらに、自分が目指したい道を進めよ。俺、海子が頑張る姿、結構好きだぜ?」

「す、好きっ……!?」

 

 と、海子は上擦った声を上げながら、顔を真っ赤に染め上げる。

 

「あ、いや、今の好きはそういうのじゃ無く……って、それはそれで凄い失礼か……!」

「わ、分かっている! 今のは言葉の綾だろう!? それぐらいの識別は出来る!」

「わ、悪い……ともかく、お前が教師を目指すからって付き合わないって事は無いから安心しろ。……その、だからって付き合うっていう訳でも無いけど……」

「分かってる。だからそんな申し訳無さそうな顔をするな。……でも、少し安心した」

 

 海子は小さくほくそ笑み、カップを手に持つ。

 

「じゃあ……やっぱり先生を目指すのか?」

「まだ決めた訳じゃない。ただ、視野には入れてみようとは思う。そろそろ進路を決めなければならない時期だしな」

「そっか……俺も見習わないとな。進路とか決めてねぇし……」

「だろうな。私達の誰と付き合うかすら、まだ決まってないんだからな?」

 

 海子の少し棘のある言葉に、思わず顔が強張る。

 

「本当、ごめんなさい……」

「少し意地悪だったか? お前はそれでいい。ゆっくりでいいから、ちゃんと答えを出してくれよ?」

「……ああ、もちろん」

「うん、それでいい……にしても、教師か……」

 

 カップに入ったココアを見つめながら、海子は可愛らしく笑みを浮かべる。

 

「旦那の友希に支えられながらの教員生活というのも、悪くは無いかもしれないな。もし子供が産まれたら勉強を教えてやったり出来るし……フフッ、案外幸せな家庭かもしれないな……子供は三人ぐらいがいいかもな……いや、でも教師となるとそんな時間も無いのか……?」

「…………」

 

 なんか幸せそうな顔でブツブツ言ってるけど……多分、心の声的なやつだよなこれ。海子の奴、無意識に声に出しちゃってるんだな。……まあ、ここは聞かなかった振りをするのが安定だな。

 

「――おねーちゃんとおにいちゃん、こどもがうまれるの?」

 

 ふと、ソファーの方からそんな声が飛んでくる。慌てて視線を向けると、そこには目を擦りながらこちらを見るあいなちゃんが。

 

「お、起きてたのか……というか、どうしたんだ急にそんな事を言って?」

「だって、いまおねーちゃん、こどもがうまれたらとかいってたよ?」

「へ……?」

 

 と、海子はキョトンとした顔で首を傾げる。ゆっくりと俺の方へ首を回し、そっと自身の唇に触れる。

 直後、海子はあいなちゃんの言葉の意味にようやく気が付いたのか、口をわなわなと震わせながら、顔を燃え上がらせた。

 

「ちちちち、違うんだぞ!? いや、違わないんだが……そうなったらいいなとか、考えてただけで、その……!」

「お、落ち着けって! ちゃんと分かってるから!」

「と、というか友希! 私が口に出していたのを聞いていたんだろう!? どうして注意してくれなかった!?」

「いや、指摘したら海子、恥ずかしがるかなーって……」

「指摘されず妄想を垂れ流してる方が数倍恥ずかしい! 忘れろ! すぐに忘れろ馬鹿ぁ!」

 

 パニック状態に陥った海子は、顔を真っ赤にしながら絶叫する。その声に、次々と子供達が目を覚ます。

 

「なーに……?」

「海子おねーちゃん、カレシとケンカー?」

「あ、これおれ知ってる! ちわげんかってやつだ!」

「どこで覚えたんだよ……とにかく落ち着けよ海子! 子供達の前だしさ!」

「ううっ……! はぁ……穴があったら入りたい……」

 

 子供相手には頼もしかったのに……俺が相手だとすぐこうなるんだよなぁ。でも、これも海子らしいっちゃ海子らしいか。

 

 

 

 

 

 

 




 海子と近所の子供達の休日。今更だが、海子はヒロインの中でも一際色んな一面がある気がする。
 先生という道を視野に入れた彼女が今後どうなるのか、どうか見守ってやって下さい。






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