モテ期と修羅場は同時にやって来るものである   作:藤龍

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デートの誘いは勇気がいるものである

 

 

 

 

 

 

「優香ー! 香澄ー! ご飯出来たでー!」

 

 下の階から、お母さんのビックリするほどに大きな声が二階の自室に居る私の下までハッキリと届く。他の人が聞いたら肩を大きく震わせてしまうかもしれないが、私にとってはいつもの事なので、一切動じずに読んでいた本を閉じて、席を立って部屋の外に出る。

 

「ふわぁ……あ、お姉ちゃんおはよー」

 

 部屋を出てすぐ、眠そうにあくびをしながら隣の部屋から出てきた香澄と行き合う。

 

「おはようって……今は午後の七時よ?」

「ふぇ? ……ああ、そうだったね……」

「随分と眠そうだけど……大丈夫?」

「平気平気……今日のレッスン、ゆかりさんが厳しくてさぁ……もうクッタクタ」

 

 疲弊した表情で首に手を当てて、左右に動かす。

 

「そっか……大変だったね」

「ま、ご飯食べて寝ればすぐ回復するよ。さ、早く行こ」

「うん」

 

 腕をグルグルと回しながら歩く香澄の後ろに、私は彼女の様子を眺めながら続く。

 結構疲れてるみたい……後でマッサージでもしてあげようかな? たまにはお姉ちゃんとして、妹に助力してあげるのも大事だよね。

 

「ねぇ、もしよかったら後でマッサージでもしてあげようか?」

「お姉ちゃんが? ……折角だし、お願いしよっかな。あ、ついでにお風呂も付き合ってもらっていい? 正直クタクタで髪洗うのもシンドイや……」

「もう、仕方無いなぁ……じゃあまずは、ご飯食べて元気付けないとね」

「だね。パーッとお肉食べて精を付けたいところだけど、それだと体重がなぁ……ちょっとなら増えても平気かな? あー、でもマネージャーうるさいしなぁ……」

 

 と、小言を口にする香澄を背後で見守りながら、お母さんが待つリビングへ向かう。

 

「お、来たな。さ、さっさと食べよー」

 

 リビングに着くと、既にお母さんが定位置に腰を下ろしていた。私と香澄も席に座り、テーブルに広がる夕飯を見渡す。

 

「お、今日はお刺身なんだ」

「スーパーで特売やっとったから、つい買ってしもうてなぁ。残さず食べるんやでー」

「はいはい。いただきまーす」

「いただきます」

 

 手を合わせてお決まりの言葉を口にしてから、みんな夕飯を食べ始める。

 時折何気ない会話を交えながら、楽しく夕飯を味わっていると、不意にお母さんがある事を口にした。

 

「せや、アンタらバイキングって興味あるか?」

「バイキング? 急にどうしたの」

「いや実はな。えっと、どこやったかなぁ……」

 

 お母さんが箸を置いて、ガサゴソとズボンのポケットを探る。

 

「お、あったあった……これやこれ」

 

 と、ポケットから取り出した何かをテーブルの上に出す。

 

「紙? ていうかシワだらけ……何これ?」

「確か、商店街の近くに最近出来たバイキングの店の割引券……やったかな」

「商店街の近く……ああ、そういえばそんなのあったかも」

 

 確かバイトの帰りに、何度か見掛けた事がある。毎回結構多くの人が並んでいたし、美味しいお店なのかなって、割と印象に残ってる。

 

「ふーん……で、これどうしたの?」

「スーパーで顔見知りのお姉さんに貰たんや。なんや彼氏と二人で行こう思っとったらしいけど、その彼氏が風邪引いてもうて、中止になったらしいねん。ほんで、もうすぐ期限切れでただ捨てるのも勿体無いから差し上げます――って、貰たんよ」

「なるほど……確かに、期限明後日までだね」

「せやけど、あたしも一緒に行く相手居らへんし、バイキングもあんま興味無いねん」

 

 お母さんはシワの付いた割引券を人差し指と親指で摘み上げ、ヒラヒラと揺らす。

 

「せやから、アンタらのどっちか、友達でも誘って行って来たらどうや? なんならアンタら二人で行ってもええし」

「バイキングねぇ……」

 

 と呟きながら、香澄はお母さんの摘む割引券を取り、ジッと見据える。

 

「興味はあるけど……私は遠慮しとく」

「どうして?」

「単純に今日明日は忙しいし、それに今はあんまり体重増やせないんだよね。もうすぐ雑誌の撮影あるから、変に太れないの。もしちょっとでもお腹出てたら、マネージャーにどやされるし……」

「そうか……今更やけど、アイドルも大変やなぁ」

「まあね……お姉ちゃんは?」

 

 と、割引券をこちらに差し出す。私はそれを受け取り、香澄と同じようにジッと見据える。

 バイキングか……私も出来れば太ったりするのは避けたいしなぁ……食べ過ぎなきゃ平気なんだろうけど、こういう場所って変に食べ過ぎちゃう事あるし、ちょっと心配だな……でも、このお店には少し興味あるし、行ってみたいな……だけど行くとしても、誰を誘おうかな?

 海子は、こういう場所に興味はあるだろうが、私と同じように太るのを嫌いそうだし……由利や薫なら、喜んで付き合ってくれそうかな?

 行ってみようか、だとしたら誰を誘おうか、ジッと割引券を見つめながら考えていると、不意にお母さんが何か思い付いたように手を叩く。

 

「そうや、折角やから世名君誘って行って来たらええんちゃう?」

「…………へ?」

「あ、そうだよ! お兄さんと一緒に行けばいいじゃん! バイキングデートだよバイキングデート!」

「バイキング……デート……」

 

 その呟きから遅れる事、約十秒。私の頬が燃え上がるように、一気に熱くなった。

 せ、世名君とバイキングデートって……確かに、そんなの出来たら凄く楽しいし、嬉しいと思う……だけど――

 

「む、無理無理! そんなの無理!」

「なんでや? メッチャええやん!」

「だだ、だってそれって、私の方から世名君を誘わないといけない訳だよね……?」

「当たり前やん。割引券アンタが持ってんやから」

「…………そんなの、恥ずかしいよ……」

 

 小さく私が呟くと、少しの間を空けてから、お母さんと香澄が揃って深い溜め息をついた。

 

「お姉ちゃん……またそんな情け無い事言って……」

「ホンマやで……ちょっとは勇気出せや! あたしはそない意気地の無い子に育てた覚えは無いで!」

「そ、そうは言われても恥ずかしいものは恥ずかしいの! わ、私から世名君をデートに誘うなんて……」

「今更何を……デートぐらいした事あるでしょ!」

「あ、ある事にはあったけど……でも、それは誕生日とか、特別な日だけだし……」

「ならええやん! 割引券貰った記念日としてデートに誘えや!」

「そんなの記念日にならないよ!」

 

 別に何かイベントがある訳でも無いのに、自分から世名君を誘うなんて……そんなの恥ずかし過ぎる。もちろん世名君とバイキングデートをしてみたい。けど、やっぱりそれ以上に恥ずかしさが勝ってしまう。

 それに、世名君は優しいからそんな事は無いかもしれないが、断られる可能性も無くは無い。予定とかがあって、やむなく……とか。

 勇気を出してデートに誘ったのに、もし断られたりでもしたら……凄く凹む。

 きっと誰を誘おうか考える時に世名君が思い浮かばなかったのも、恥ずかしくて無意識に避けてたんだと思う。

 自分でも情け無いと思うが、やっぱり何にも無い日にデートに誘うというのは、私にはハードルが高い。

 本当は凄く行きたいが、諦めよう――そう、割引券をお母さんに返そうとしたが、それを香澄が私の腕を掴んで阻止する。

 

「か、香澄……?」

「お姉ちゃんの気持ちも分からなくは無いよ。でも、ここは行っといた方がいいって!」

「せやせや、香澄の言う通りや。そんなやったら、いつまで経っても先に進めへんで?」

「うっ……わ、私だって、頑張る時は頑張るもん……」

「なら、今この時が頑張る時だって! なんて無い事でも、距離を縮めるチャンス! お姉ちゃんだって言ってたでしょ、ちょっとでも油断したら他の人にお兄さんを取られちゃうって! お姉ちゃんがグダグダしてる内に、お兄さんの心が他の人に傾いちゃうよ?」

「そ、それは……」

 

 確かにそうかもしれない……私がこうしてくすぶっている間に、他の人達は世名君との距離を着実に縮めているかもしれない。

 誕生日とか、そういう特別な日だけじゃ無い……何気ない日常でも頑張らないと、置いてかれてしまうかもしれない。

 

「勇気出しなよ、お姉ちゃん!」

「そうや! 女は度胸やで!」

「お母さん、香澄…………うん……私、頑張ってみる……!」

 

 私だって、負けてられない……それに、やっぱり世名君と一緒にバイキングに行きたい! だって……絶対楽しいもん!

 お母さんに差し向けた割引券を胸元に寄せ、グッと押し当てる。

 大丈夫……勇気を出すんだぞ、私――!

 

 

 ◆◆◆

 

 

「――とは言ったものの……やっぱり恥ずかしいよぉ……」

 

 翌日――世名君と友香ちゃん……それから桜井さんと一緒に学校に行く為に、私は自宅の前で彼らを待っていた。その間、ずっと昨日受け取ったバイキングの割引券と睨めっこをしていた。

 期限が明日までだから……今日中に渡さないとだよね。でも、ちゃんと渡せるかなぁ……なんて言って渡せばいいのかな? 変に思われたりしないよね?

 緊張からか心臓がバクバクと高鳴り、頭がこんがらがる。こんなので上手く行くのか、我ながら心配で仕方無い。

 

「き、昨日お母さんから貰ったんだ……よかったら、一緒に行かない? ……これでいいかな? うぅん……なんか足りない気がするな……」

 

 ぶつぶつと、小声で何回も何回も、世名君をデートに誘うシミュレーションを繰り返す。が、これだという案が一切浮かばず、さらに頭がこんがらがる。

 あうぅ……もうどうしたらいいか分からないよ……今までデートに誘う時、どうやって勇気出してたっけ? ……よくよく考えると、私あんまり自分からデートに誘った事って無いや。

 

「はぁ……情け無いなぁ……私」

「――あ、優香ちゃーん!」

 

 自分の不甲斐無さに落ち込んでいると、元気の良い声が聞こえてくる。声の主はこちらに駆け寄って来る桜井さんで、彼女の後ろには世名君と友香ちゃんも一緒だった。

 彼らの姿を目にした瞬間、私は慌てて割引券をスカートのポケットに突っ込み、平然を装って彼らに向かい合う。

 

「おはよー、優香ちゃん!」

「え、ええ、おはよう……」

「……? どうしたの? なんか変だよ?」

「そ、そんな事、無いわよ……」

 

 不思議そうに首を傾げる桜井さんから、私は視線を逸らす。すると、偶然その先に居た世名君と目が合う。それに思わずビックリして、ビクンと肩が弾んでしまう。

 

「ど、どうした?」

「う、ううん! 何でも無いよ! ……あの、世名君!」

「ん?」

「…………」

 

 割引券の事を伝えなくては――そう強く思うのだが、どうしても言葉が出ない。いざ世名君を目の前にすると、頭が真っ白になってしまった。

 が、頑張れ優香! ただ、割引券を貰ったから一緒にバイキングに行こうって言うだけなんだから! それだけなんだから! 勇気を出せ私ぃ!

 心の中で、何回も叫ぶ。しかし、私の口から出たのは――

 

「……な、何でも無いや……アハハ……」

 

 という、情け無いにも程がある、力の抜けた言葉だった。

 

「そ、そうか……?」

 

 世名君は困惑したように目を丸くして、顔を逸らして頭を掻く。

 私の馬鹿ぁ! どうしてそこで勇気を出せないの! うぅ、絶対世名君に変だって思われた……これじゃあ結局恥ずかしいよ……

 い、いや、まだチャンスが無くなった訳じゃない……それに今は桜井さんが居るんだし、今は誘うタイミングじゃ無いよね! うん、そうだよ。まだ大丈夫! むしろこれでよかった!

 そう、自分で自分を励ましながら、頬をペチッと叩いて気合いを入れる。

 

「……天城、本当に平気か? 悩みとかあるんなら、相談に乗るぞ?」

「えっ!? う、ううん! 本当に何でも無いよ! ほら、遅刻しちゃうし、学校行こう!」

「……おう」

「……変な優香ちゃん」

 

 誘うなら、昼休みかバイト中が仕掛け時……今度こそ、頑張れ私!

 

 

 ◆◆◆

 

 

 昼休み――由利達と一緒にお昼ご飯を食べ終えた後、私は世名君のクラスである2年A組の教室を訪ねた。

 もちろん目的は、世名君をバイキングデートに誘う為だ。彼が居るかどうか、沢山の生徒が駄弁を交わす教室の中を、入口からこっそりと覗き込んで探す。

 ここで渡せなかったら、チャンスはバイト中だけになっちゃう……もしそうなったら仕事に集中出来なくなっちゃうし、早く誘わないと。

 大丈夫、緊張する事なんて無い。世名君なら優しく受け取ってくれるはず! 私が勇気を出せばきっとデート出来る! だから頑張れ!

 心の中で何回も自分にエールを送りながら、教室に視線を巡らせる。が、世名君の姿が一向に見つからない。

 

「世名君、居ないなぁ……」

 

 お手洗いにでも行ってるのかな……あんまり長居してると目立っちゃうし、出直した方がいいかな? だけど、もうすぐ昼休みも終わっちゃうし……探してみようかな?

 

「――優香? 何か用か?」

 

 どうしようか悩んでいると、背後から声を掛けられる。思い掛けない事に驚きながらも、私は慌てて振り返る。

 

「って、なんだ海子か……驚かさないでよ……」

「す、すまん……で、一体どうしたんだ? 用も無くこんな場所に突っ立てる訳では無いだろう?」

「そ、それは……」

 

 海子の問い掛けに、つい視線を逸らしてしまう。

 どうしよう……世名君をデートに誘いに来た――なんて言ったら、色々と問い詰められちゃうよね。海子だって、世名君が私とデートするのを黙って見過ごす訳無いだろうし……それに騒ぎが大きくなると、他の人達にも知れ渡って、全て台無しになってしまうかもしれない。

 ここは適当にはぐらかしておくのが正解だろうと、私は早速言い訳の言葉を考える。

 

「ん? 優香、それはなんだ?」

 

 その最中、海子が私の胸元を指差しながら言う。それに一旦考えるのを止め、視線を落とす。

 瞬間――キュッと、心臓を掴まれたような感覚が襲い掛かる。

 私は今、両手を胸元の辺りで組んだ状態になっている。そしてその両手には、あの割引券がしっかりと握られている。つまり海子が指したそれとは、十中八九この割引券だ。

 見られたと、咄嗟に思った私は、無意識に両手を背中に回して割引券を隠した。

 

「ど、どうした?」

「なな、なんでも無いよ! そ、それじゃあ私、そろそろ教室に戻るね!」

「え? あ、おい――」

 

 海子が何か言い掛けた気がしたか、それを確認する事も無く、私は逃げ去るように自分のクラスの教室に向かって走った。

 

「…………はぁ……」

 

 教室に入って扉を閉めると、私はその場にへなへなとへたり込んだ。

 何やってんだろ、私……あんなの怪し過ぎるし、絶対変に思われた……別に割引券の事は隠す必要なんて無かったんじゃないかな? 緊張してて冷静な判断が出来なくなってるよ……海子には、後日改めて事情を説明しておかないと。

 それはさて置いて、結局また世名君を誘う事が出来なかった……いや、まだ昼休みは終わってないし、チャンスはある。少し時間を開けてから、再度誘いに――

 

「どうしたの? ゆっちゃん。そんなところに座って」

 

 と、不意に正面から聞こえた声に、私はそっと顔を上げる。そこには教科書を胸元に抱え、不思議そうにこちらを見下ろす由利が立っていた。

 

「な、なんでも無いよ……」

「そう? ならいっか。それよりゆっちゃん、一緒に行こ?」

「……? どこに?」

「もー、次の授業音楽だよ? 早めに音楽室に行こ」

 

 そ、そういえばそうだった……それじゃあ、残りの時間で世名君を探して誘うのは難しいかもしれないな……はぁ、結局駄目だったかぁ……

 仕方無いので、昼休みにデートに誘うのは諦めて、私は由利と一緒に音楽室へ向かった。

 これでチャンスは、放課後のバイト中だけになった……そこで誘えなかったら、割引券の期限が切れてアウトだ。そこでは何が何でも勇気出してよ、私!

 

 

 ◆◆◆

 

 

 放課後――私は太刀凪書店でのバイト中も、ずっと世名君をデートに誘える機会が来るのを窺っていた。

 流石に仕事をサボってデートの誘いなんかしてたら、店長に怒られてしまう。でも、ウチの仕事はそこまで忙しくは無いし、必ずと言っていいほど暇な時間がある。その時を狙えば、きっと大丈夫。

 本当は短時間でサクッと誘えればいいんだが、私がそんな流暢にデートに誘えるとは思えない。絶対テンパって、時間が掛かる。

 だから時間にそれなりの余裕が出来たタイミング――その時こそ、唯一のチャンスだ。

 自分の仕事をこなしながら、世名君が暇になるタイミングを見計らっていると、今までしゃがんで陳列作業をしていた世名君が、腰を叩いて立ち上がる姿が見えた。

 きっと仕事が一段落ついたんだ。そう確信した私は、自分の仕事を速攻で片して、彼の下へ向かう。

 

「あ、あの! 世名君!」

「ん? どうかしたか?」

「あ、その、えっとね……えーっと……」

 

 い、言わなきゃ……明日、一緒にバイキングに行こうって。割引券を貰ったからって理由があるんだし、恥ずかしくなんか無い!

 ポケットに手を入れ、中にある割引券をギュッと掴む。

 大丈夫、やれる……もう世名君とこんな関係になって、半年以上も経つんだ。いい加減少しは前に進め、天城優香!

 

「……あ、あの! 実は――」

「おーい世名! 悪いがしばらくレジを頼めるかー!?」

 

 という店長の声が、私の声を掻き消して店内に響き渡った。

 

「声デカいな……悪い天城、なんの話だ?」

「あ、えっと……なんでも無いよ! 早く行かないと、店長に怒られちゃうよ?」

「……そっか。じゃあ、悪いな」

 

 そう言い残して、世名君はレジに向かって走った。

 

「はぁ……運悪いなぁ、私……」

 

 中途半端な感じになっちゃったし、改めて話し掛けるのは、ちょっぴり気恥ずかしいな……本当に情け無いよ……もうちょっと早く勇気出してたら、難無く誘えたかもしれないのに……自業自得だよね。

 まだ、帰り際とかにチャンスはあるかもしれない。でももう、私の弱い心はポッキリ折れてしまった。いくら経ってもデートに誘う事すら出来ない、自分の不甲斐無さに。

 だから私は、デートに誘うのを諦め、半分取り出した割引券を、そっとポケットに戻した。

 

 そのまま時間は流れ、バイトが終わる。私はなんとなく世名君と顔を合わせるのが気まずくて、そそくさと帰り支度を済ませて、店の外に出た。

 商店街を抜け、大通りを歩いていた、その時だった。

 

「おーい、天城ー!」

 

 後ろから飛んできた声に、私はピタリと足を止めて振り返る。視界に、こちらに向かって走って来る世名君の姿が映った。

 

「はぁ……追い付いたぁ……」

「せ、世名君……? どうかしたの?」

「い、いやどうかしたっていうか……さっきの、気になってさ」

「さっきの……?」

「その、俺の勘違いだったら悪いけどさ……さっき、何か言おうとしてただろ?」

 

 さっき……多分、私が世名君をバイキングに誘おうとして、未遂に終わった時の事だ。

 

「あの時は千鶴さんに呼ばれて、最後まで聞けなかったら、改めて聞こうと思ってさ」

「えっ……そ、その為だけに追い掛けてきたの……!?」

「まあな……あの時、天城真剣な顔してたからさ……きっと、重要な話だと思って。だからその……聞かないといけないって、思ったから」

「世名君……」

 

 もしかして、私を気遣って……? ……きっとそうだ。世名君は察しの良い方だから、朧気ながら私が何を言おうとしていたか気付いたんだ。そして私がそれを告げられないままだと、モヤモヤすると思ったから……だから、こうして追い掛けてまで私から話を聞きに来たんだ。

 

「俺の思い違いだったら悪いんだけどさ……折角天城が勇気出して何かしようとしてるんなら、見て見ぬ振りは駄目だと思って。それが……俺の義務だと思うしさ」

「……そっか……本当に、世名君は優しいね」

 

 世名君がこんなに私を思って、行動してくれてるんだ……だったら、私が逃げる訳にはいかない。

 彼の行為を無駄にしない為に。そして何より、世名君と一緒にデートを楽しむ為に。私は意を決して、ポケットから割引券を取り出して、彼に見せた。

 

「あのね、もしよかったら、私と――」

 

 一緒にこのお店に行かないか――そう、告げようとした瞬間だった。神様がイタズラしたかのように、とてつもない強風が私達を襲った。

 突然の横殴りの風に、手で掴んだ割引券はバタバタと激しく揺れ動く。飛ばされぬように、両手で必死に掴むが、今度は風でスカートが微かに捲り上がる。

 

「ヒャ!?」

 

 咄嗟に左手で押さえ、なんとか下着が露わになるのを阻止する。しかし、それが油断となったのか――割引券が私の右手を離れ、道路へ飛ばされてしまう。

 

「あ、待って!」

 

 慌てて手を伸ばすが、無情にも割引券は車が行き交う道路の宙を舞い踊り、走行する車のフロントに張り付き、そのまま私達の前から去ってしまった。

 

「…………あぁ……」

 

 思いもしなかった結末に、私は力無くその場にへたり込んだ。

 

「だ、大丈夫か?」

 

 そんな私を心配したのか、世名君が慌てた様子で私に駆け寄る。しかし、私は放心したまま、返事が出来なかった。

 こんな事になるなんて……運悪過ぎだよ、私……折角世名君が私にチャンスをくれたのに、折角勇気を出して誘えると思ったのに……どうしてこうなっちゃうのかな……

 ふと、私の瞳から一粒の涙が流れた。悲しくて、悔しくて、情け無くて。

 

「あ、えっと……とりあえず立とうぜ! 服汚れるからさ!」

「……うん」

 

 涙を拭い、差し出された世名君の手を取って立ち上がる。

 

「えっと……ごめんね、世名君……変なところ見せちゃって……」

「いや……それより、今の……」

「あ、うん……もう、いいの。こうなっちゃったら、仕方無いよ……ごめんね、折角気遣ってくれたのにさ」

 

 でも、肝心の割引券が無くなってしまって、デートに誘う理由も無くなってしまった。だからもう、残念だけどこの話も終わりだ。

 悔しいけど……しょうがない事だ。私がもっとしっかりしてれば、この事態は避けれたんだ。こんな結果になってしまったのは、やっぱり自業自得だ。潔く、諦めよう。

 

「……今のさ、最近出来たバイキングの店の……割引券だよな?」

 

 と、世名君が不意に私に問い掛けた。

 

「えっ、そうだけど……よく分かったね」

「一瞬だけど見えたから。……その、よかったら今から二人で行くか?」

「え……で、でも、割引券もう無いよ?」

「そんなの無くたって、店には入れるだろ? 俺が奢るから、行かないか?」

「世名君……」

「その、間違ってたら悪いけど……きっと、天城はあの割引券を手にしたから、いい機会だから俺をデートにでも誘おうとか……そう考えてたんじゃ無いか?」

 

 と、世名君は私が考えていた事をズバリ言い当てる。

 

「ど、どうして分かったの!?」

「ハハッ……なんだかんだで付き合い長いからな……朝の時点でおかしいなと思ったし、昼休みに海子から教室に来た事聞いて、そしてさっきの事……ある程度は察せるよ」

「そ、そうなんだ……」

 

 ずっとバレバレだった訳だ……うぅ、そう考えるとスッゴく恥ずかしくなってきた……

 

「……さっきも言ったけど、天城が頑張ってるのに、見て見ぬ振りは駄目だと思うからさ。だから、その……なんだ。キッカケがあった時でも、そうじゃない時でも……もしお願いがあったら、いつでも言ってくれよ。出来る限り、叶えてあげようと頑張るからさ」

「…………」

「も、もちろん、可能な範囲だけどさ! 本当に申し訳無いけど、俺達はそういう関係性な訳で……」

「うん、分かってるよ……」

 

 やっぱり、世名君はスッゴく優しいな……私がウジウジしてるのを察して、私が望んだ言葉を掛けてくれる。私の事をしっかり見てくれて、傷付けないように接してくれる。

 そんなところに、私は惚れたんだって……改めて、そう思う。彼のそんな優しさが……好きなんだって。

 

「ありがとう、世名君……ごめんね、私、面倒臭いよね?」

「そんな事無いよ。天城が途方もない照れ屋だっていうのは、重々承知してるし、そこも天城の可愛らしいところだって、分かってるから」

「か、可愛いって……でも、ありがとう」

 

 そんな風に言ってくれるところも、私は好きだ。

 でも、いつまでもこのままじゃ駄目だよね。今回はキッカケがあって、香澄達が後押ししてくれたから、勇気を出そうと思えたけど……そうじゃない時でも、勇気を出せないと。でないと先に進めない。いつまで経っても、世名君が好きな女性にはなれない。

 だから少しずつ、遅いかもしれないけど一歩ずつ頑張ろう。世名君と、少しでも距離を縮める為に。

 その為に……まずは今、勇気を出さないと。

 

「……世名君」

「ん?」

「もしよければ……この後私と、デートしませんか? そこのバイキングのお店で……さ」

「ああ。行こうか」

「うん!」

 

 弱虫で、照れ屋な私じゃ時間が掛かっちゃうかもしれないけど……勇気を振り絞って、精一杯頑張れ、私!

 

 

 

 

 

 




 前回に引き続き、ヒロイン視点のお話。今回は優香視点。
 なんだか終始優香がテンパって、自分にエールを送ってるだけだったけど、楽しく書けたので良し。
 今後も彼女は勇気を振り絞って頑張ると思うので、どうか優しく見守ってやって下さい。



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