朝倉先輩や出雲ちゃん達を加えた、久し振りの我が家での夕飯も終わり、俺はパンパンになった腹を落ち着かせる為に、ソファーに腰を下ろした。
さっきまでみんなですき焼きの鍋を囲んでいたテーブルでは、後輩組が俺の買ってきた八ツ橋を開けて、早くも食後のオヤツを堪能していた。
「はむっ……やっぱり美味しいですね、生八ツ橋は!」
「愛莉、よく食うねぇ……」
「もう三個目……よく食べれるよね」
両手で八ツ橋を持って、幸せそうな笑みを浮かべながら、まるで小動物のように生八ツ橋をパクパクと食べる中村。それを苦笑を浮かべながら見て、同じく生八ツ橋を食べる友香と小波。
ハイペースで生八ツ橋を食べる中村を二人は呆れ半分な様子で見ているが、俺からしたら二人も呆れるレベルだ。さっきすき焼きという結構ボリュームのある物を食べたばかりなのに、よく八ツ橋に手を付けようと思えるものだ。
「先輩、隣いいですか?」
女子の別腹とは凄いものだなぁ、と感心半分、呆れ半分で彼女達のオヤツタイムを眺めていると、どこからかやって来た出雲ちゃんが、声を掛けてくる。
「ん? 別に構わないけど……」
「やったぁ! それじゃあ、失礼しまーす!」
と、嬉しそうな愛嬌のある声を出しながら、出雲ちゃんは俺の隣に腰を下ろす。そのままにんまりと笑みを浮かべながら、俺の左腕に抱き付く。
「ちょ、いきなり過ぎない……?」
「だって、久し振りに先輩と再会出来て嬉しいんですもん! 食事中だって、ずっと我慢してたんですから!」
脳がとろけそうな猫撫で声を出しながら、出雲ちゃんはさらに身を寄せ、コテンと頭を肩に乗せる。なんだか久し振りな気がする出雲ちゃんの力強い抱擁に、腹が突っ張っている苦しみなどどこかへ吹っ飛び、体温が上昇する。
そんな緊張全開で固まる俺とは正反対に、出雲ちゃんは本当に嬉しそうに頬を綻ばせながら、擦り付くようにどんどん身を寄せる。
「エヘヘ……やっぱり先輩とくっ付いてると、スッゴく幸せな気分になれます……離れ離れになってたから、より一層幸せです!」
「は、離れ離れって言っても四日間だけだろ?」
「私にとっての四日間は凄く長いんです! この四日間、凄く寂しかったんですから!」
「そ、そっか……ごめん」
冗談の欠片も感じない本気な言葉に、思わず謝罪の言葉が口から出る。
恋する乙女にとっては、四日間という期間はかなり長いものだったようだ。俺に会えずに溜まっていた思いが爆発したから、今こんなに甘えているんだろう。
それは全然構わないのだが、やっぱりこうして抱き付かれるのは少し恥ずかしい。それに話し掛けてはこないが、さっきから友香達の視線がめっちゃ飛んでくる。正直居た堪れない。
しかし毎度の如く出雲ちゃんは離れそうな気配は無いし、無理やり引っ剥がすのは心が痛い。俺に出来る事は、現状維持のみだ。
このまま出雲ちゃんが満足するのを待とうと、理性を保てるように別の事を考えながらジッとしていると――突然、背後から柔らかい何かが襲い掛かった。
「えっ……!?」
後頭部に走った弾力を持った感触に驚き、慌てて振り返ろうと首を回す――寸前、背後から俺の体を包み込むように、腕が伸びる。
「全く……油断も隙も無いわね」
直後、耳元から落ち着いた声が流れる。その声に俺は全てを悟った。
俺の背後に居るのは、間違え無く朝倉先輩だ。見えないからよく分からないが、後ろから抱き付いている形になっているはずだ。そうなれば、この後頭部に当たるフニフニとした物の答えも、自ずと理解出来る。
それを完全に理解した瞬間、羞恥心が一気に混み上がり、顔が燃え上がるように熱くなる。慌てて離れようと、上体を動かそうとするが、それを阻止するように朝倉先輩の腕は俺を抱き寄せる。
「うおっ……!」
「ちょっと目を離したら友希君と二人きりの時間を満喫してるんだから……ズルイ子ね」
「あ、あなたに言われたく無いです! というか先輩から離れて下さいよ!」
「あなたが離れたらね」
と言いつつ、先輩はさらに俺を強く抱き寄せる。後頭部に伝わっていた感触は耳、そして頬まで伝わり始め、顔がいわゆる谷間というものに挟まれる。
「ちょ、朝倉先輩、流石にこれは……!」
「先輩が苦しがってるじゃないですか! さっさと離して下さい!」
「そうね……流石にこれは窮屈よね。ごめんなさいね、友希君」
パッと、案外あっさりと朝倉先輩は俺を離す。ようやく先輩の抱擁から解放され、俺はブルブルと頭を振るう。
い、色々と危なかった……これで何回目だ、先輩の谷間に抱き寄せられるの。
と、今までの記憶を思い返そうとしたが、恥ずかしさが半端ないので止めておく。
「油断も隙も無いのはどっちですか……」
出雲ちゃんは朝倉先輩の事を敵意剥き出しな目で見据えながら、俺を譲らないと言わんばかりに抱き付く。
このままでは一悶着起きそうだったので、二人の口論が激化する前に、適当に話題を振る。
「えっと……そういえば、さっきまで姿が見えませんでしたけど、どこに?」
「ちょっとキッチンの方で、香織さんとお話……というより、少しお願いをね」
「お願い?」
「そこまで大層なお願いじゃ無いわ。今日ここに泊まってもいいかと、お願いしただけだから」
「えっ……」
「はぁぁぁぁぁぁぁあ!?」
俺が驚きの声をこぼした直後、それを優に越える出雲ちゃんの絶叫がリビングに響いた。
「と、泊まるってどういう事ですか!」
「言葉通りの意味よ。今晩は友希君の家に泊まらせてもらう事にしたの。もちろん、香織さんも許可をくれたわ」
「な、なんでそんな……」
「久し振りに友希君と再会したのよ? 夕飯を共にしたぐらいじゃ満足出来ないわ。それより、あなたには前もって宣言したはずだけど?」
「あ、あれは本気だったんですか……」
出雲ちゃんは愕然とした表情で肩を落とす。が、すぐに表情を引き締め、先輩に向かってビシッと人差し指を向ける。
「と、泊まるって言っても、着替えとかどうするんですか!?」
「それなら心配ございませんわ」
と、朝倉先輩の代わりにキッチンの方からやって来た冬花さんが、出雲ちゃんの言葉に返す。彼女の右手には、紙袋が一つ。
「お嬢様のお着替えはバッチリとスタンバイ済みでございます。それに歯ブラシや愛用のシャンプーなど、長期間のお泊まりにも準備万全オールオッケーな状態でございますわ」
「んなっ……!?」
「それから余計なお世話かと思いますが、世名様が大人の階段を昇りたい衝動に駆られてしまった場合の事を考え、世名様がお好みになりそうなランジェリーセットに、それっぽいBGMをまとめたCDもご用意しております」
「それは本当に余計なお世話だから持ち帰りなさい」
と、朝倉先輩は少し早口に言う。それに、冬花さんは「承知しました」とニッコリ笑顔で返す。
用意周到だな……完全に泊まる気満々だったって訳だ。まあ、母さんが拒否するなんて無さそうだしな。
「……ともかく、勝手で申し訳無いけど、今日は泊まらせてもらう事になったから。別に構わないわよね?」
色っぽい微笑を浮かべながら、先輩は俺の隣に座り、上目遣いで覗き込んでくる。
「ま、まあ……断る理由も無いですし、構いませんよ」
「フフッ、そう言ってくれると思っていたわ。ありがとうね、友希君」
全てを見透かしていたと言わんばかりな笑顔を作りながら、先輩は俺の腕に抱き付く。ついさっき顔が挟まれていた谷間が今度は二の腕を包み込み、弾力と生暖かさが走る。
まさか泊まるなんて言い出すとはな……まあ、別に泊まられても困る事は無いし構わないのだが……彼女がどう思うかなんだよなぁ。
心配と不安を抱きながら、朝倉先輩とは逆サイドに座る出雲ちゃんへ目を向ける。直後、彼女は立ち上がって朝倉先輩を再び指差す。
「わ、私は認めませんから! 先輩の家にお泊まりなんて……」
「あなたの許可は関係無いわ。というより、あなたもここに何回かは泊まった事はあるのでしょう? なら私もいいじゃない」
「た、確かに友香達とのお泊まり会とかではありますけど……でも納得出来ませんよ! どうせあなた、夜に先輩と一緒に寝ようとか考えてるんでしょう!?」
出雲ちゃんの迫真の言葉に、朝倉先輩は平然な顔で頷く。
「当然よ。一つ屋根の下に居るのに、一緒に寝ないなんて勿体無いもの」
「って、俺の部屋で寝るんですか!?」
「あら駄目? 一度は夜を共にした事があるんだから……いいでしょ?」
「その言い方は誤解を生みそうなんで止めてもらえます!?」
恐らく別荘での事を言っているであろう過剰表現に、思わず声が裏返る。それを見て、先輩はクスクスと笑う。
「冗談よ。まあともかく、今日は友希君の部屋でお世話になるわ」
「そ、そんな急に言われても……」
「あら? 桜井さんとは一緒に寝てるのに、私は駄目なの?」
「うっ……」
それを言われちゃ何も言い返せない……朝倉先輩、それも分かってて一緒に寝るって言ったんだな、きっと。
「……分かりましたよ。こうなったなら、仕方無いです」
「そう言ってくれると思ったわ。友希君は優しいもの。安心して、嫌がるような事はしないから」
「は、はぁ……」
「って、何決定してる方向でいるんですか! 私はまだ認めてませんからね! 先輩の部屋で先輩と一緒に寝るなんて……流石にそれは私の許容範囲を越えてますから!」
出雲ちゃんは怒りを表すように、床を力強く踏む。
「お、落ち着いて……出雲ちゃんの気持ちは分かるけど、その……」
「ううぅ……だったら! 私も先輩の家に泊まります! それで、先輩と一緒に寝ますから!」
「と、泊まるって……それこそ、着替えとかどうするの?」
「そ、それは……友香の借ります! いいよね、友香!」
と、出雲ちゃんは友香の方へ目をやる。友香はそれに生八ツ橋をパクリと一口食べてから、返事をする。
「別にいいけど……サイズ合う?」
「ちょっとぐらいブカブカでもいいから! ねえ先輩、私も泊まっていいですよね? 一緒に寝てもいいですよね!?」
真剣な表現で、出雲ちゃんはズイズイと俺に顔を近付けてくる。
「お、落ち着いて落ち着いて! 俺は別に構わないけど、その……」
「私は別にそれで構わないわよ」
俺が出雲ちゃんに曖昧な言葉を返していると、朝倉先輩が迷い無くそう言った。
「え、い、いいんですか?」
「正直言えば、友希君と二人きりで無くなったのはとても残念だけど、それぐらいは認めてあげるわ。私は彼女と違って、許容範囲は大きい方だから。私に感謝しなさいよ」
「いちいち煽らないと気が済まないんですかあなたは……」
苦い顔をしながら、出雲ちゃんは朝倉先輩を睨み付ける。
また口論が始まりそうだなと、いつでも止められるように身構える――が、出雲ちゃんは責めるような言葉は口にせず、フイッとそっぽを向いた。
「感謝なんかしませんからね。あなたが言い出したりしなきゃ、こうはならなかったんですから」
「あら、私が動かなくても、あなたは自分から泊まると言い出したんじゃない? あなただって友希君と夜も一緒に居たいと思ったでしょう?」
「フンッ、あなたに言う必要なんてありませんよ」
「そう……まあ、それはどうでもいいわ。どうなろうと、私は友希君をこの腕で抱き締められるならそれでいいもの」
「言っときますけど、先輩に変な事したらタダじゃ済まないですからね?」
「その言葉、そっくりそのまま返すわ」
と、二人が静かな口論を繰り広る。その口論はどことなく、いつもより棘が控え目な気がした。
やっぱり、二人にも俺が修学旅行に行ってる間に、何かあったのかな……仲が悪いのは相変わらずみたいだけど。
「フフッ、話は聞かせてもらったわよ」
と、二人の変化の理由をざっくりと考えていると、キッチンの方からすき焼きの片付けをしていた母さんがやって来る。
「出雲ちゃんも雪美ちゃんも、歓迎するわ。ゆっくりしていってね」
「ありがとうございます」
「わがままを言ってすみません、香織さん」
「全然いいのよ! なんなら、愛莉ちゃんや悠奈ちゃんも泊まっていく?」
「え、わ、私達もですか!?」
突然話を振られた事に驚いたのか、中村は口に運び掛けていた八ツ橋を落としそうになる。
「泊まりか……そういえば、最近はしてないね」
「そうですね……でも、いいんですか?」
「お泊まりは多い方が楽しいもの。部屋も友香や陽菜ちゃんの部屋を使えばいいわ」
「そんな勝手に……いいけどさ」
「……あれ? そういえば、陽菜は?」
今、名前が出てきて初めて気付いたが、さっきから陽菜の姿が見当たらない。
「ああ、陽菜ちゃんならお風呂よ」
「風呂? あいつ、客来てるのに風呂入ってんのかよ……」
「修学旅行帰りで疲れてるんだから、それぐらいいいでしょ」
まあ、それもそうか……ここに居る面子もそういうの気にするような奴らじゃ無いしな。
「……で、どうする二人とも。陽菜ちゃんはきっと喜ぶと思うけど」
「うーん……お気持ちは嬉しいですけど、私は遠慮しておきます。明日、ちょっと用事があるので……」
「私もパス。同じく用事があるんで」
「あらそう、残念。まあ、また機会があったら、いつでもいらっしゃいね」
「はい、そうさせてもらいます」
中村の言葉に同意するように、小波もコクリと頷く。
「ウフフ、楽しみにしてるわねー。さて、それじゃあお泊まりするのは出雲ちゃんと雪美ちゃん……冬花さんはどうしますか?」
「私は仕事があるので、これにてドロンとさせてもらいます。少しの間、お嬢様をよろしくお願いします」
「分かりました。それじゃあ出雲ちゃんに雪美ちゃん、陽菜ちゃんが上がったら、お風呂に入ってきたら?」
「では、お言葉に甘えて」
「使わせてもらいますね」
「友希はその間に、部屋でも片付けておきなさい。女の子を汚い部屋に寝かせちゃ駄目よ?」
「わ、分かってるよ」
二人と一緒に寝る、か……色々と大変そうだな……ゆっくり寝れるかな、俺。
一抹の不安を抱きながら、俺は部屋を片付けにリビングを出た。
◆◆◆
数時間後――小波、中村が思う存分八ツ橋を堪能してから家に帰り、急遽我が家に泊まる事になった出雲ちゃんと朝倉先輩が入浴を済ませた後、俺は二人を自分の部屋に招き入れた。
修学旅行での荷物などは二人の入浴中に全て片したので、部屋は心なしかいつもより綺麗だ。突然決まったとはいえ二人をここで寝かせる事になったのだから、汚いままという訳にもいかないので、片付けは少し気合いを入れた。
ちなみに、あの後入浴を済ませてリビングに戻って来た陽菜が二人が今晩泊まるという事を知って、「私も友くんの部屋で寝たーい!」などと言い出したのだが、流石に四人で寝るには俺のベッドは狭すぎるので、彼女には悪いがそこは諦めてもらった。
しかし、まさか二人と一緒に寝る事になるとは……今まで考えてなかったが、天城と海子にバレたらどうなるんだろうか。……こういう事になる度に似たような心配してるような気がするな。
それはさて置き、二人とは夏休みに別荘で一緒に寝た事があるし、初めてという訳でも無いのだが、それでもやはり緊急はする。それに今回は二人一緒だし、さらに俺の部屋だ。
修学旅行での疲れを取る事が出来るのだろうかと少し心配しながら、俺は部屋の入口付近に立つ二人へ目を向けた。
「フフッ、友希君の部屋に来るのは初めてじゃ無いけど、少し緊張するものね」
そう言いながらも、どこかワクワクしたように笑顔を作る朝倉先輩。この後の事をかなり楽しみにしている事が、見て取れる。
ちゃっかり持参してきた愛用のパジャマに着替え、普段着より色気が三割り増しぐらいになった姿に、見ているだけで胸の鼓動が高鳴り、顔が熱くなる。
「…………」
一方で出雲ちゃんは、タンスの中から引っ張り出した来客用の枕を両手でギュウッと抱き締めながら、どぎまぎした表情で視線を泳がせている。どうやらかなり緊張しているようだ。
先輩と違い着替えを持参してこなかった出雲ちゃんは、友香から借りたパジャマを着ている。たがサイズは若干友香の方が大きいので、袖の部分で半分手が隠れている。そのいわゆる萌え袖というやつが、いつもより彼女の可愛らしさを引き出している気がする。
「な、なんですか、ジロジロ見て!」
そんな風に二人のパジャマ姿を観察していると、出雲ちゃんが若干上擦った声を出す。
「え? ああ、いやなんでも無いよ。ごめん」
「べ、別に見られるのは嫌じゃ無いしいいんですけど……」
歯切れ悪く話す出雲ちゃんに、朝倉先輩がからかうように言葉を掛ける。
「あなた、大分緊張しているみたいね。そんなので一緒に寝る事なんて出来るの? 今からでも桜井さんの部屋に移ったらどう?」
「へ、平気ですし! ただ、やっぱり緊張するじゃ無いですか……先輩の部屋で寝るなんて……」
と、尻下がりな声を出しながら、出雲ちゃんは真っ赤になった顔を枕に埋めた。
なんだこの可愛い生物。出雲ちゃんはたまに照れたりするところを見せるけど、ここまでなのは珍しいな。
だが、当然と言えば当然だろう。好きな相手の部屋でその好きな相手と一緒に寝るのだから、ここまで緊張しない方がおかしい。……例外も居るけど。
「……まあ、その気持ちは分からなくも無いわ。私も今までに無いほど鼓動が高鳴っているもの」
言いながらも表情はあまり変わらないが、ほんの少しだけ頬を染め上げ、先輩は右手をそっと自分の胸元に添える。
「……これで、あなたが居なければ最高なのだけれどね」
「それはこっちのセリフです! 二人っきりなら文句無しなのに……!」
「まあ、それはお互い様という事で我慢しましょう。それよりも、友希君も疲れているだろうし、早く寝ましょうか」
修学旅行帰りの俺を気遣ってか、そんな言葉を口にしながら、先輩は部屋の電気を消す。室内が一瞬で暗がりに包まれる。
「い、いきなり消さないで下さいよ!」
「ちょっとは見えるから大丈夫でしょ。じゃあ寝る順番は、大宮さんが一番奥、私が真ん中、そして端っこが友希君ね」
「はぁ……って、それじゃあ私と先輩離れてるじゃないですか! 真ん中は私か先輩です!」
「そういう事にはすぐ気付くのね。じゃあ、私が端っこで真ん中は友希君でいいわね?」
「本当ならあなたが奥で、私が真ん中が一番理想的ですが……まあ、妥協してあげますよ」
呟きながら、出雲ちゃんは薄暗い中を俺のベッドの近くまで移動する。そのまま枕を奥に置いて、ベッドに潜り込む――寸前、足がピタリと止まる。
「…………」
「早くしなさい。それともやっぱり桜井さんの部屋がいいのかしら?」
「そ、そんな訳無いです! 分かってるから黙ってて下さい……」
と、またまた若干上擦った声で叫びながら、出雲ちゃんはゆっくりとベッドに上がり、一番奥に寝っ転がる。
「せ、先輩のベッド……」
ゴロンと寝返りを打ってこちらに背を向けると同時に、とても小さな出雲ちゃんの呟きが耳に流れ込んだ。
その言葉を聞いて大体の事を察せた俺は、あえて何も口には出さずに、ベッドに移動した。
出雲ちゃんが先に居るせいで俺も緊張して、少しベッドに寝転がるのを躊躇ってしまったが、先輩をいつまでも立たせたままにさせる訳にもいかないので、勇気を出して中央に横たわる。
「ヒャァ……!」
同時に、出雲ちゃんがまるで猫のようなソプラノボイスをこぼす。
「ご、ごめん、ぶつかった?」
「なななな、なんでも無いです!」
「そ、そう……」
本当、凄い緊張してるみたいだな、出雲ちゃん。俺より彼女の方が寝れるか心配だな。
「その、あんまり無理しなくていいぞ?」
「む、無理なんてしてません! 死ぬほど緊張してるだけですから!」
「それかなり無理に近い状態なんじゃ……」
「それでもいいんです!」
クルリと、出雲ちゃんは寝返りを打って俺と向き合う。あとちょっと動けば額がぶつかってしまいそうな距離にドキドキしながら、俺は彼女の目を見つめる。
が、出雲ちゃんは途中で恥ずかしさに耐えられなくなったのか、目線を落とす。
「こんな幸せなのに、恥ずかしくて逃げるなんて勿体無いですから」
「そ、そっか……」
「……へ、変な意味じゃ無いですけど、いつもここで先輩が寝てるんだって思うと、嬉しいんです……凄く、先輩の近くに居る気がして……まあ、実際近くに居るんですけど……ともかく、私は最高に幸せなんで、心配無用ですから! 修学旅行一緒に行けなかった分、今日はいっぱい甘えますから!」
恥ずかしさを紛らわす為か、少し大げさな感じに叫びながら、出雲ちゃんは俺の顔を覗き込む。
暗がりの中でもハッキリ伝わる恥ずかしさ全開な顔に、思わずこっちの表情も強張る。
「――悪いけど、二人だけの世界に入るのは駄目よ?」
と、ベッドの外から少し嫉妬成分が混ざったような声が飛んでくる。直後、背中に覚えのある弾力がぶつかった。
「私だって居るんだから、ね?」
小さな囁きと共に、先輩は思いっきり俺を抱き締める。彼女の柔らかな肉体が俺の体を包み込み、感触が全身を走る。
「さて大宮さん、あなたは十分堪能しただろうから、今度は私の番ね。さあ友希君、私が修学旅行での疲れを癒やしてあげるわね?」
「な、なんですかそのターン制! あなたに好き勝手させませんから!」
先輩に対抗するように、出雲ちゃんも全身を目一杯使って、俺に抱き付く。
「ちょ、動け……」
「先輩を癒やしてあげるのは私なんですから! あなたの抱擁なんて、暑苦しいだけです!」
「そうかしら? あなたみたいに平坦で、焼け野原で、水平線のように貧相な体よりは遥かに男性好みだと思うけれど?」
「そこまで酷くありませんから! というかここ最近酷くありませんか!?」
「友希君が居なくて退屈だったからね。あなたをいじるのはまあまあ楽しいから」
「馬鹿にして……!」
「あ、あの、とりあえず落ち着いて! 夜も遅いから、静かにね!」
サンドイッチ状態されながら、いつものように口論を繰り広げる二人を宥めるように叫ぶ。すると二人はピタリと口を閉じ、俺を抱き締める腕をほんの少しだけ弱める。
「ご、ごめんなさい……」
「確かに近所迷惑よね……配慮が足りなかったわ」
「わ、分かってくれればいいですよ……ともかく、今日は寝ましょうか」
「そ、そうですね……不満はあるけど、先輩と寝れるなら幸せですから」
「同感ね。今は互いの事は忘れて、友希君との時間を楽しみましょうか」
二人とも落ち着きを取り戻し、出雲ちゃんはそのまま口を開かずに目を閉じる。これで安心して眠りに付けると、俺もゆっくりと瞼を閉じる。
が、それでも二人はしっかりと俺に密着している状態なので、やはり思うようには眠れなかった。
二人の体温、感触、匂い、その他諸々――色々なものが俺の睡眠を妨げる。
羊でも数えて気持ちを落ち着かせようかと考え始めた、その時。スースーという可愛らしい寝息が、聞こえてきた。
首を回すと、少し前まで朝倉先輩と口論を繰り広げていたとは思えないほど安らかな、出雲ちゃんの寝顔が見えた。
「あら、もう寝ちゃったのね」
しばらく彼女の寝顔を眺めていると、逆サイドから極小まで落とした先輩の声が届く。
「先輩、まだ起きてるんですか?」
「折角友希君と一緒に居るのよ? すぐ寝るなんて勿体無いわ。まあ、彼女の気持ちは分かるわ」
そう言うと、先輩は俺の腕に絡み付く。
「友希君の匂い、とっても落ち着くもの。すぐ眠っちゃうのも仕方無いわ」
「そ、そうですか……」
「ウフフ、緊張しちゃって……可愛いわね」
「か、からかわないで下さいよ……」
「それは無理な相談ね。……ところで友希君、修学旅行はどうだったかしら?」
と、からかいの雰囲気が無くなった質問に少し驚きながら、返答する。
「まあ、楽しかったですよ。色々とありましたけどね……」
「そう、ならよかったわ……私の方は、少し物足りない四日間だったわ。大宮さんも言っていたけれど、あなたとたった四日間会えないだけで、こんなに寂しい気持ちになるなんてね……」
「先輩……」
「まあ、悪い事だけでは無かったわ。お陰であなたへの愛を再確認出来た気がするし……こっちも色々あったからね」
と、先輩は俺の奥に居る出雲ちゃんへ目線を送った。
「……やっぱり、何かあったんですか?」
「それはご想像にお任せするわ。でもきっと、友希君にとっては嬉しい事だと思うわよ」
「……そうですか」
「まあ、それはさて置き……」
ズイッと、顔を俺に近付ける。
「友希君、明日は用事があるかしら?」
「え? いや、月曜までは暇ですけど……」
「なら、明日も思う存分付き合ってもらうわよ? 修学旅行で離れた分、沢山一緒に居るんだから」
「そ、それは……まあ、そうですね」
土日だし、先輩と出雲ちゃんには、好きなだけ付き合ってやるか。
「ウフフ、ありがとうね。それじゃあ今日は寝ましょうか。楽しい明日に備えて」
「で、ですね……」
「おやすみ……の前に最後に一つ、いい?」
その言葉に「なんですか?」と問い返そうとした、その時――先輩の唇が、俺の頬に当たった。
「なっ……!? 何を……!?」
「フフッ、おやすみのキスよ。明日の朝はおはようのキスをしてあげるから……楽しみにしててね?」
プルンと艶めく唇に指を添えながら、先輩はいたずらっ子のような笑みを浮かべた。そのまま先輩は俺の腕に縋り付き、そっと目を閉じた。
俺は先輩の言葉と行動に呆然としながら、眠って全てを忘れようと混乱する思考から見出した考えのまま、目を閉じた。
「ふにゅう……せんぱぁい……」
「ウフフッ……」
が、寝言を呟きながら擦り付く出雲ちゃんと、わざとらしく身を揺らす朝倉先輩、二人の抱擁に意識は現実に留まり続ける。
早く夢の世界に旅立ちたい――そう強く思いながら、俺は頭の中で羊を数え始めた。
すき焼きパーティーから、お泊まりへと発展。
今更だが、先輩後輩コンビは照れ屋なあの二人とは違い積極的なので、密着している事が多い気がする。……まあいいか。