モテ期と修羅場は同時にやって来るものである   作:藤龍

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レイン・チェンジ 後編

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私はようやくずっと会いたかった、感謝を伝えたかった、思いを告げたかった人物――世名友希の事を見つけた。

 学校で彼を偶然見掛けた後、すぐに彼のクラスも特定する事が出来た。これで後は、彼に出会い思いを告げるだけ。

 あの時、私がイジメっ子達に刃向かう事が出来なかった時に、代わりにイジメっ子に立ち向かい私を救ってくれた事に対する感謝の気持ちを。そしてそれから彼を思い続け、ずっと好きでいた事を、真っ直ぐ向き合って告げるだけ。

 

 ……だけなのだが、それが私にはどうしても出来なかった。

 休み時間に彼の教室に赴き、話し掛けようとしても、入口の陰から彼の姿を見ると何故か急激に恥ずかしくなり、結局自分の教室に退散して、休み時間が終わる。それを彼を見つけた日から、何十回も繰り返している。

 

 ただありがとうと、好きですと彼に伝えるだけなのに、その言葉を口にする――いや、それどころか彼の前に立つ事すら恥ずかしく、勇気を出せずにいつまでもくすぶる事しか出来なかった。

 私は強くなった。大勢の前で堂々とする事も、時には強気に口論を交わす事も出来るようになった。だが告白は全くもって出来る気がしない。

 どうやら私は強くはなっても、好きな男子の前にも立てない、恥ずかしがり屋で臆病者なところは未だに変わっていないようだ。

 

 そんなこんなで、どうやれば勇気を出せるのだろうかと毎日毎日考える内に、学校は夏休みに突入してしまった。

 

 

「…………はぁ」

 

 夏休み初日。道場での稽古の合間、私は自分の情けなさに落ち込み、部屋の隅っこの方で体育座りをしながら深い溜め息を吐いた。

 

「どーしたの、溜め息なんてついてさ」

 

 それに同じく休憩中だった薫が反応し、私の隣にドスンと座る。

 

「あ、分かった! 夏休みの宿題が多くてうんざりしてるんでしょ? しょーがないなー、私が協力して――」

「ただ単にお前が手伝ってほしいだけだろう」

「うぐっ……! バレましたか……んで、実際どうしたのさ?」

「いや……その……」

「……恋の悩みとか?」

 

 と、恐らく山勘と思われる適当な口調で薫の口から放たれた言葉に、私は思わず肩をピクリと跳ね上げてしまう。

 

「あ、ウッソ正解!? へー、海子好きな奴居んだー」

「ぐぅ……」

「なんだ乙女なとこあるねー。ねぇ、誰が好きなの? 言ってみなって! 優香や由利には言わないからさ!」

 

 と、グイグイ顔を近付けてくる薫。これは言い逃れは出来ないと判断し、私は渋々彼の名前を口にして、告白出来ずに悩んでいる事を彼女に打ち明けた。

 

「へぇ……なるほど……海子、あいつの事が好きなの」

「か、薫は彼と知り合いなのか!?」

「ん? いや、私の知り合いの友達の友達らしい。何回か話聞いた事ある」

「……それってつまり、赤の他人に近いのでは?」

「まあそうだね。アハハハ!」

 

 薫と彼が知り合いなら、色々話を聞こうと思ったのだが……そう簡単に人脈を築ける訳も無いかと、私は内心落胆する。

 

「んで、海子はどうしてその世名の事を好きになったの? あんまり知らないけど……ぶっちゃけなんか普通じゃない? 悪い奴では無いだろうけど」

「そ、それは……色々な」

 

 なんとなく、薫に過去の事を教えるのが嫌で、言葉を濁す。

 

「ふーん……ま、詳しくは聞かないよ。で、その世名に告白出来ずに悩んでいる、と。うーん……勢いで言っちゃえばいいんじゃない? 好きです! って」

「そ、そんな簡単に行くか! そんなの恥ずかしいし……それに、なんの関わりも無いに等しい相手にいきなり告白されたとしても、不審がられるだけだろう!」

「そう? 海子案外美形だし、告白したら世名もコロッと落ちんじゃない?」

「適当な事を言わないでくれ!」

 

 どうやら薫は恋愛といったものに関して、全然関心も無ければ知識も無いらしい。

 やはり彼女にこの事を打ち明けたのは間違いだったか、そう後悔し始めていると、不意に薫が立ち上がりながら、口を開いた。

 

「ま、別に焦んなくてもいいんじゃない? 勇気が出るまで待ってみなよ」

「勇気が出るまでって……それがいつになるか分からないから悩んでいるんだ……それに、出せるかどうかも分からないし……」

「海子なら大丈夫でしょ。ちょっと前までなよなよしてたけど、今じゃ強気でハキハキしてられんだから! だからいつか、勇気なんかポロッと出せるよ」

「薫……ああ、そうだな」

 

 薫の言う通りだ。こんな風に変わる事も出来たんだ。だからいつか、恥ずかしがり屋な自分から、少しは積極的な自分に変われる……はずだ。

 ウチの学校は中高一貫。彼が高校も乱場にするつもりなら、まだまだ時間はある。だから今は焦らずに、その時を待とう。そして努力しよう。彼に思いを伝えられるように。

 

 

 ――だが、残念ながら現実とはなかなか上手くいかないものである。

 夏休みが終わって学校が再開した後も、何度か彼への告白を試みた。だが結果は変わらず、直前になって恥ずかしくなり、逃げ帰ってしまうばかり。

 まずは交友関係を築こうともしたが、なかなか接点を作る事も出来ずに、学年が変わっても同じクラスになる事は無かった。

 伝えたいけど伝えられない。もどかしい気持ちを抱きながら、勇気を出そうと努力し、そして上手く行かない日々が続き――とうとう、中学の三年間が終わりを告げた。

 

 結局、勇気を出せないまま中学生活が終わった事に我ながら落胆しながらも、高校でこそはと意気込みながら迎えた、高校生活初日――私に、大きなチャンスが巡ってきた。

 そう、中学三年間別々のクラスだった彼と、遂に同じクラスになれたのだ。

 今までは別々のクラスで、そもそも顔を合わせる機会すら無かった。しかし、同じクラスともなれば少なからず顔を合わせたり、話したりする機会が出来るかも。

 そうすれば、彼との距離が自然と縮まるかも。そうすれば、私も勇気を出せるかもしれない。

 

「これは……ようやく私に巡ってきたチャンスだ!」

 

 このチャンスを逃す訳にはいかない。この一年間で、絶対彼との距離を縮めるんだ。そう奮起しながら、私は新しいクラスへと向かった。

 教室に入ると、そこには既に何人かの生徒が。そしてその中には、彼の姿があった。

 

「……ッ!」

 

 彼の顔を見て、反射的に教室から飛び出しそうになってしまうが、今は彼と同じクラスなのを思い出し留まる。

 当然だが彼はこちらに目もくれず、以前見掛けた、恐らく友人と思われる男子達と会話を交わしていた。楽しそうに笑う顔が、とても愛らしかった。

 そんな彼の顔を遠目から、入口付近に突っ立ってぼーっと見つめていたその時、不意に背後から声を掛けられる。

 

「おはよう、海子」

「うわぁ!? な、なんだ優香か……そ、そういえば同じクラスだったな」

「う、うん……どうしたの? なんだかぼーっとしてたけど……」

「い、いやなんでも無い……」

「そう? それより、早く席を確認しちゃおう」

「だ、だな……」

 

 ビックリして速まった鼓動を落ち着けながら、黒板に書かれている席を確認する。

 席は五十音順。あ行である私は最初の方で、さ行である彼とは、当然席は離れている。こればかりは仕方が無い。

 一応彼の隣は誰なのか確認しようと、名前を探してみる。すると真ん中辺りに、彼の名前を見つける。

 

「なっ……!?」

 

 そして隣の席に書かれている名前を見た瞬間、私は思わず驚きの声をこぼした。なんと、彼の隣は優香だったのだ。

 確かにた行である優香と、さ行である彼が近い席になるのは当たり前だが、まさか隣になるとは思わなかった。

 その事実に私は思わず、羨ましいという気持ちを全開にして、隣に居る優香を見てしまう。その時ふと、彼女が何故かほんの少し浮かない顔をしている事に気付く。

 私だったら思いっきりにやけてしまうであろう状況に、彼女は不満があるのだろうか。心配になり、私は優香に声を掛ける。

 

「どうしたんだ? 何かあったか?」

「え? ううん、なんでも無いよ!」

「そうか……?」

 

 そうは言うが、彼女は明らかに気持ちが沈んでいる。続けて問い掛けようとしたが、あまり踏み込むのもあれだと思い、私はそれ以上は何も言わずに、自分の席へ向かった。

 

 

 何はともかく、その日から私は彼のクラスメイトとなった。

 まずは彼と少しでも知り合いになる。その為にクラス委員長をやってみたりした。そうすれば少なからず、彼の記憶の中に私という存在が、僅かに残る。

 だが、別にクラス委員長になったからといって、彼が私に話し掛ける理由が出来る訳でも無ければ、私が彼に話し掛ける勇気が出る訳でも無い。

 授業でも席が遠いので関わる事はほとんど無く、個人で話す機会は全く無かった。結局、中学時代と何も変わらない状況が続いた。

 

 このままではマズイ……こんな調子では、一年などあっという間に過ぎ去ってしまう。そうすればクラスも別々になり、二度とチャンスが巡ってこないかもしれない。

 危機感に迫られながらも、勇気のゆの字も出ずに、悶々とする日々が続いて半年ほど経過した、ある日の事だった。私に、最大のチャンスが訪れた。

 

 あれは昼休みに担任の先生に頼まれ、プリントを教室まで運んでいる最中だった。その移動中にも、私は彼に思いを伝えるには一体どうしたらいいのかと、必死に考えていた。

 

「直接顔を合わせて話すのが無理なんだから、ラブレターとか? いや、でもそれは少々古典的では――キャッ!」

 

 そんな不注意極まりない私は、廊下で他の生徒とぶつかってしまい、プリントを全て床にぶちまけてしまった。

 ぶつかった生徒は急いでいたのか、「ごめんなさーい!」と言いながら手伝いもせずに走り去ってしまった。

 普段なら、手伝う気持ちぐらい見せたらどうだと、注意の一つはしただろう。だが今回は考え事をしていた自分が悪いと、文句を言わずに一人でそのプリントを拾う事にした。

 

「――ほい、これ」

 

 その時だった。プリントを半分ほど拾い集めた頃、他の誰かが残りのプリントを拾い集め、それを私に渡してくれた。

 

「ん? ああ、ありが――」

 

 顔を上げ、感謝の言葉を伝えようとした瞬間――私は、思わず言葉を失った。

 私にプリントを差し向ける相手、私の視線の先に居たのは、世名友希だったのだ。

 

「えっ、なっ、ふぇっ……!?」

 

 突然すぎる思わぬ対面に、私は動揺を隠せず、意味不明な声を連ねた。顔が急激に熱くなり、全身から変な汗が滲み出る。恐らく顔は真っ赤っか。

 

「どうした? なんか様子変だぞ?」

「えっ!? いや、その……」

 

 声が半音上がっている。焦点も合わない。頭がクラクラしてきた。

 

「お前ウチのクラス委員長の……雨里だろ? 大変だな、クラス委員長って。こんなプリント運びもするなんてさ」

「ひいぇ、そっ、あっと……」

「よかったら手伝おうか? どーせ教室戻るところだったし」

「あっ……」

 

 彼に何か話し掛けなくては。初めて、彼と面と向き合って話すチャンスが来たんだ。ここで何か言って、距離を近付けねば。

 いや、それともここで言ってしまおうか。感謝を、思いを。でも、それだと変な子扱いされてしまうんじゃ。

 

「ほら、それ持つよ」

 

 私がどうするべきか必死に思考をフル回転させていると、彼が私の方へ手を伸ばした。

 その瞬間、私はもう何がなんだか分からなくなってしまい、彼の手から残りのプリントを全て奪うように取り――全速力で、彼の前から立ち去った。

 

「……俺、なんかしたか……?」

 

 こうして、私は最大のチャンスを逃した。

 

 

 ◆◆◆

 

 

 あの日から時は流れ、冬休み。あれ以降、私は彼と一切話す事が無くなってしまった。

 私は未だにあの時の事を後悔していた。あの時、彼とちゃんと話していれば親密になれたかもしれない。そうしたら毎日話すような間柄になり、そして自然と思いを告げる事が出来て、全てが上手く行ったかもしれないのに。

 どうしてあそこで逃げ出してしまったのか……あそここそ勇気を出すべき機会だったのに。恥ずかしくて逃げてしまった……私の馬鹿ぁ!

 後悔がいつまで経っても拭えず、私は目の前のテーブルにゴツンと頭をぶつけた。

 

「――どうしたのみっちゃん?」

 

 すると、一緒に居た由利に心配そうな声を掛けられる。

 そういえば今は彼女達三人と一緒に、冬休みの宿題をこなしていたんだという事を思い出し、私は慌てて顔を上げた。

 

「な、なんでも無い……」

「そう? スッゴい険しい顔してたよ?」

「あれだよあれ、海子にも悩みの一つや二つあるんだよ」

 

 と、私の恋の悩みを知る薫はニヤリと笑いながら、こちらを見る。

 

「へぇ、みっちゃんが悩みねー。どう思う? ゆっちゃん」

「…………」

「……ゆっちゃん?」

「えっ!? な、何……?」

 

 今まで気付かなかったのか、優香は慌てて由利の言葉に返事をする。

 

「どしたぼーっとして」

「もしかして、ゆっちゃんもお悩み中? どんなお悩み?」

「そ、それは……」

「もしかして、恋の悩みとかか?」

 

 と、薫が問い掛けると、優香は一瞬「えっ?」と呟くと、考え込むように俯いた。

 その反応にどうしたのだろうと、少し心配になったが、他の二人は気にする事無く話を続ける。

 

「ゆっちゃんが恋ねぇ……お年頃だねぇ」

「ま、この年頃の女の悩みは大体そんなんだよ。な?」

「えっ……そ、そうだな……」

 

 あからさまなからかい目的の言葉に、私は曖昧に言葉を返した。

 そこで一旦その話は終わり、みんな再び宿題に戻った。しかし優香だけは、一人だけ思い悩むように俯いていた。

 

 この時はそっとしておいた方がいいだろうと、私は何も言わなかった。だが今思えば、彼女がこの時悩んでいたのは、彼の事に関してだったのかもしれない。

 この時私が彼女としっかり話をしていれば、あの日、あの出来事が起きる事を予測出来たかも……そして、その出来事を起こさずにするという事も、出来たかもしれない。

 

 

 運命の日は私が二年生になり、四月も終盤に差し掛かった、ある日の放課後。

 二年生になっても、私は彼と同じクラスになる事が出来た。まだ距離を縮めるチャンスが消えた訳じゃ無い――そう喜びながらも、やはりなかなか彼と話す事が出来ずにいた。

 それでもいつか、必ず告げられる日が来ると信じながら、部屋のベッドに倒れ込んだその時、突然枕元に置いた電話が鳴った。

 

「誰だ……って、薫か。はいもしも――」

『海子! 聞いた? 例の噂!』

 

 電話に出た途端、鼓膜を破りそうな大きさで薫の声が電話から響き渡った。

 

「い、いきなりなんだうるさい……」

『わ、悪い……それで、あんた例の噂聞いた?』

「なんだその例の噂とは」

『いや実は、あの優香が男に告白したんだって!』

「告白……って、優香が!?」

 

 予想だにしなかった事に、私は思わず薫の声量にも負けないほど、大声で叫んだ。

 あの大人しく、普段あまり男性と仲良くしない優香が男性に告白。あまりにも予想外すぎる事に、一瞬言葉を失ってしまった。

 

「間違い無いのか?」

『SNSとかで噂が流れてるらしくてさ。さっき知り合いの法条って奴に話聞いたんだけど、多分間違い無いって』

「ああ、あの新聞部の……とはいえ、どうしてそれをわざわざ私に伝える?」

『それが、その優香が告白した相手だけど……あの世名らしいって!』

「…………は?」

 

 その瞬間、私の思考は停止した。

 優香が、彼に告白をした? どういう事だ? 優香は彼と接点があったのか? それより、優香は彼が好きだったのか? それより告白って……彼女は、彼に自分の思いを伝えたのか? ……私よりも先に。

 訳が分からなかった。ここまで混乱したのは、人生で初めてだろう。

 

『ちょ、海子聞いてる? おーい、み――』

 

 私は無意識に、そこで薫との電話を切った。そしてすぐさま、電話帳から彼女の――優香の番号を出した。

 この噂は本当なのか。彼女に問い質さなくては。その一心で、私は指を動かした。

 

「…………」

 

 が、通話を押す前に、私の指は止まった。

 電話を掛けて……真相を確認して、どうする? 私も彼が好きだと伝える? そして……私はどうしようとしてるんだ? 告白を撤回しろと、そう言うのか?

 もしそれが真実だとしたら、優香は私と同じように彼を思っているんだ。そして私と違って、勇気を出して告白した。いつまでもくすぶっていた私と違って。

 そんな私が、私も彼の事が好きだから、彼と付き合わないでと言う? 馬鹿馬鹿しい。そんなの自分勝手だ。勇気を出さず思いを告げなかった私が悪い。

 それにそんな事を言っては、優香は傷付く。まだ分からないが、優香だって本気で彼を思っているだろうから。

 

「…………」

 

 私はどう行動すればいいのか。自分の感情さえも分からなくなってきて、私は電話帳を閉じて、ベッドに倒れ込んだ。

 嘘であってくれ。こんなの単なる噂だと。そう信じて、私は何もせずに祈り続けた。

 

 そして連休明けの月曜日――私は、答えを知った。

 結果は真実。世名友希は学園のアイドル、天城優香から告白された。その事実が学園中に広がり、私の耳にも嘘偽り無く、流れ込んだ。

 本当なのかと彼や優香に確認したかった。だが他にも多くの生徒が彼らに同じ質問責めをしていて、私は二人に接触する事すら出来なかった。

 だがいつまで経っても、告白の事実は誤報だという噂は流れなかった。つまり、告白は紛れもない事実。優香は、彼を愛していたんだ。私と、同じように。

 

 色々な感情がこんがらがった。

 彼を奪われてしまう、優香に彼を渡したくないという思いもあれば、優香を傷付けたくない、大切な友人として、彼女から彼を奪う訳にはいかないという感情もあった。

 私はどうすればいいんだ。友人を思い大人しく引くか、私の願いを叶える為に彼女と真っ向からぶつかり合い、彼を奪うか。

 どっちを取っても、私にとっては辛い選択だった。優香から彼を奪おうとすれば彼女は傷付き、最悪絶交も有り得る。

 だが彼女の幸せの為に私が引けば、何年間も抱いてきたこの思いは、伝える事無く終わってしまう。そんなのは嫌だ。私も、彼と一緒の幸せな未来を掴みたい。

 

 悩んで悩んで、悩み続けて――私は、とうとう答えを出した。

 優香は私にとって、大事な親友だ。私は友達を傷付けるような事は、絶対したくない。だから……私は、彼女の恋を応援しようと。自分の恋を諦める事を、決めた。

 だけど、せめて彼に感謝の言葉は伝えたい。あの時、私を助けてくれてありがとうと。そして、そんなあなたが好きだったと、思いだけを伝えよう。迷惑かもしれないが、そうしなければ私はいつまでもこの思いを引きずってしまう。

 だから私は一通の手紙を書き、彼の下駄箱にそれをコッソリ入れた。内容は放課後、教室へ来いという手紙。そこで全ての思いを伝え、潔く諦めようと。

 

 

 ――そして、その日の放課後。人が居なくなった教室で、私は彼の事を待った。

 

「今日で、私の恋は終わるんだな……」

 

 とても辛くて悲しい。だが、これでいいんだ。友の幸せを、私が崩す訳にはいかない。だから私が諦めるんだ。今まで私がくすぶっていたせいなんだから、この結果は。

 そう自分に言い聞かせながら、私はポケットにしまった紙切れを取り出した。そこに書かれているのは、私の電話番号とメールアドレスだ。

 もし彼が優香の恋人になったとしても、別に彼と友人になれるチャンスはある。むしろ、彼の恋人の友人として、今より近い関係になれるかもしれない。それなら、私も少しは幸せだ。

 

「これで……いいんだ」

 

 そうボソッと呟いた瞬間に、教室の扉が開いた。その音に私は紙切れをしまい、扉へ目を向けた。そこには彼の姿があった。

 

「……来たか」

 

 私はあくまで冷静を保ちながら、そう口にした。すると彼は「へ……?」と呟きながら、顔を上げた。

 彼は驚いたような顔でこちらを見つめた。彼に見つめらている事に緊張してしまい、鼓動が少し速くなる。だがあくまで平然を装い続ける。

 

「すまないな、いきなり呼び出してしまって。あの騒ぎでは直接呼び出すのが難しくてな」

「お、おお……」

「ズバリ聞く。優香に告白されたという噂は本当なのか?」

 

 その質問に、彼は一瞬言葉を詰まらせた。どうやら何かを考え込んでいるようだが、私は急かすように言葉を続けた。

 

「おい、どうなんだ?」

「え? あ、いやー……まあ、ラブレターは貰いました……はい」

 

 ラブレターは貰った――その言葉に、私の胸が微かにチクリと痛んだ。

 ほんの少しだけ、あの噂は真実じゃ無いのではと、まだ信じていた。でも当事者である彼の口から出てしまえば、もう疑いようが無い。

 やはり、私の恋は終わったんだな……ここで。

 

「……でも、まだ返事は出して無いぞ!」

 

 が、彼は続けてこう言った。

 まだ返事をしていないのか……という事は、まだ彼は優香の思いに答えていない。付き合っていないのか。

 そう思った瞬間、私は無意識に、話を続けていた。

 

「そうか……お前はどう答えるつもりなんだ?」

「どうっ……て……とりあえず、ちゃんと話し合って……それから色々決めよう……かと。分かってない事も多いし」

「……では、今すぐ付き合うつもりは無いという事だな?」

「えっと……今すぐは無い……かな?」

「そうか……では、チャンスはあるな……」

 

 何を言っているんだ私は? チャンスがある? 私は優香の恋を応援するんじゃなかったのか? なのに……どうして喜んでいるんだ?

 彼がまだ優香の思いに答えるつもりは無い。つまりまだ付き合うつもりは無い、まだ優香を好きでは無い――それを知った瞬間、私の気持ちは高揚した。

 喜んだ、嬉しかった。まだ完全に終わった訳ではないと。

 

 いや、終わらせなければ駄目だ。彼が優香の気持ちにまだ答える気が無くても、優香は彼が好きなんだ。

 だから私はこの気持ちを抑え込まなければならない。先を望んでは駄目だ。この気持ちをぶちまけて、捨て去るんだ。

 だが私の思いとは裏腹に、体は勝手に動いた。足は彼に歩み寄り、腕は彼の胸ぐらを掴んだ。そして目は、彼の顔を見つめた。

 彼の顔を目の前にした瞬間、気持ちが高ぶった。全身が熱くなり、心臓の鼓動がやかましいほどうるさくなる。

 

 ああ、駄目だ……いくら抑え込んでも、溢れてくる。今までずっとしまっていた思いが、彼を前にしたら止め処なく溢れ出てきた。この気持ち……我慢する事なんて出来ない。

 例え友人を傷付ける事になっても、それで全てを失っても……私はこの願いを叶えたい。だって私は――この人を、どうしようもなく愛しているから。

 

 だから、私は口にした。この何年もの間伝えられずにしまい込んでいた……私の願いを、彼に向けて。

 

「世名友希――私と……付き合え」

 

 

 ◆◆◆

 

 

「……大体、こんなところだ」

 

 あの日から、私がどんな事を経験してきたのか――それを父さんに掻い摘んで話し終え、私は言葉を切った。

 

「そうか……お前にも、色々あったんだな」

 

 ずっと黙って私の話を聞いていた父さんは、そう一言口にするとクスリと笑った。

 

「しかし、こうやって娘の恋愛話を聞くっていうのは……なんだか不思議な感じだな」

「そ、それはこっちのセリフだ。恥ずかしくて仕方無かったぞ……」

「悪かったな。でも、お前の事を知れて、嬉しかったよ。そうか……海子は、強くなったんだな」

 

 小さく呟き、父さんは嬉しそうに微笑んだ。

 

「親の都合で振り回してしまって、お前には大きな迷惑を掛けたんじゃないかと心配してたが……もう、お前はそんなヤワな奴じゃ無いんだな」

「……ああ、まだまだかもしれないが、私は生まれ変わる事が出来た。だから大丈夫だ。もう昔みたいに、そう簡単に涙を流したりしないさ」

「そうか……安心したよ。……ところで、例の友希君というのは、さっき居た子かい?」

 

 その問い掛けに、私は首を縦に振る。

 

「なるほど、あの子が……どんな子か知らないが、お前が好きになった相手だ。きっと、いい子なんだろうな。友達と奪い合おうとするほどなんだから」

「……まあ、な」

 

 そう、私は大切な友人である優香から奪い取る気で、あの時、付き合えと彼に伝えた。

 最初は本当に思いを伝えるだけで、身を引こうとしていた。けれど、彼を前にして、やっぱり私は彼の側に居たい……思いを告げたその先を、願ってしまった。

 そして、私は友を裏切る行為を取ってしまった。彼女から彼を奪い取ると……決めた。

 それは決して誇れる行動じゃない。自分でも最低だと思うし、誰に非難されても仕方無いと思っている。

 

 それでも、私はそれほどに彼を愛していた。誰に責められようと、嫌われようと、彼を我が物にしたかった。

 まあ、結局私を責めるような事を言う者は居らず、むしろ薫達は私を応援してくれる。そして優香も、私をちゃんとしたライバルと認めてくれて、今も友人として仲良くしてくれている。

 だから私は後悔していない。この決断は正解だったと、今は胸を張って言える。

 

「俺はもう口出し出来る立場では無いが、応援するよ。お前の恋路を」

「……ありがとう、父さん。……そろそろ戻ろう。父さんの家族も待っている」

「そうだな……戻ろうか」

 

 私と父さんはゆっくり立ち上がり、友希達が居るはずの場所を目指し歩き出す。

 

 そうだ、私の恋路はまだ終わっていない。

 彼に感謝を、好きだという思いを伝える。その願いは叶った。だけど、今の私が目指すのはその先だ。

 それは彼と……友希と恋人になる事。そしてこの先もずっとずっと、幸せに生きていたい。彼と一緒に。

 その為には優香や陽菜、大宮や朝倉先輩――多くの恋敵を相手にしなければならない。

 

 私がやるべき事は、彼女達に負けないようにアピールし続けて、友希に私を好きになってもらう事。その為に……私は、まだまだ努力を続けなければならない。

 大丈夫……あんなに弱虫な私も、強気な性格に変わる事が出来た。諦めずに、努力を続けて。だからこれも同じだ。諦めずに、努力を続ければきっと変われる――友人という関係から、恋人という関係に。

 その未来を目指して……私は、歩みを止めない。新たな私に……世名友希の恋人という私に、生まれ変わる為に!

 

「だから頑張れ――雨里海子!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 弱虫な自分から、強い自分に変わる事が出来た海子。今度は友希の恋人という自分に生まれ変わる為に、努力して前に進みます。
 海子の過去編もこれにて完結。次回から、再び修学旅行編に戻ります。
 修学旅行はもうちょっとだけ続きますが、どうかお付き合い下さい。





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