モテ期と修羅場は同時にやって来るものである   作:藤龍

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父と娘

 

 

 

 

 

 

 

 

 驚きを隠せなかった。離婚した後、一度も顔を合わせていなかった……いや、それどころか所在すら知らなかった実の父親が、私の目の前に現れたのだから。

 遠目から見た時は見間違えかと思った。しかしこうやって面と向かった今、疑う余地は無い。

 うっすらと髭が生えたり、ほんの少し太ったりしているが、力強さの中に優しさがある顔――目の前に居る男性は間違えなく、私の父だ。

 

 どうしてここ、京都に父が居るのか。さらにどうして私の父が、陽菜の友人の親としてこの場に居るのか。分からない事だらけなこの状況に、私の思考は酷く混乱した。

 ただ一つだけ思考が乱れる中で、なんとなく理解出来た事はある。恐らく父は隣に居る同年代と思われる女性と、再婚したのだろう。それが偶然、陽菜の友人の母親だった訳だ。

 それは理解出来た。だが、突然の事実にそれを上手く受け入れる事が出来なかった。理解が全く追い付かない。

 混乱はさらに激しくなり、思考もさらにこんがらがる。もう何を考えているか、自分でも訳が分からなくなってきた。

 

「――おい海子、どういう事だ?」

 

 だが、背後から届いた友希の声に、私はハッと我に返った。

 

「す、すまない……ぼーっとしていた……」

「それはいいんだけど……今のどういう事だ? 父さんって……」

「あ、ああ……」

 

 当然の疑問だろう。友希達にとっては見知らぬ男性、さらには陽菜の友人の父親に父さんなどと声を掛けたのだから。

 しかし、どう説明したものか……というより、私の方が説明してもらいたい気分だ。

 口にするべき言葉が思い浮かばずに、私は再び目の前に立つ父さんを見つめる。すると、今まで呆けていた父さんの顔が一変する。

 

「海子……まさかお前、海子なのか……?」

 

 と、驚きの色を目に浮かべながら、父さんは口を開いた。どうやら、父さんは私が自分の娘だという事に今気付いたようだ。

 正直今更気付いたのかと、少しだけショックだった。だが無理もないだろう。今の私は昔とは別人同然。もし過去の自分に会いに行ったとしても、私が未来の自分自身だとは気付いてはもらえないだろうし、信じてもくれないだろう。

 父さんもそうなんだろう。自分の記憶の娘と、今の私が別人にしか見えないのだろう。

 

「……ああ、そうだ」

 

 だから私は小さなショックをすぐに捨て去り、父さんの質問に頷きを返す。自分が、あなたの娘であると。

 すると父さんはさらに大きく目を見開き、一歩こちらへ近付く。だがすぐに立ち止まり、頭を抱えた。多分私と同じで、理解が追い付かないのだろう。

 私だってまだ動揺している。だが二人揃って動揺していては、話が進まない。だから私は平常心を出来るだけ保てるように、気を引き締めた。

 

「一体何事だ?」

「何々? なんかあったの?」

 

 頭を抱える父さんを見つめながら、私も必死に思考を回していると、騒ぎに気が付いた新庄や法条達が集まってくる。

 だが今の私は父さんの事で頭がいっぱいで、彼らに上手く言葉が返せなかった。

 

「……俺達にも、よく分からないんだ」

 

 すると私の代わりに、友希が皆にそう声を掛ける。直後、ゆっくり私の方へ視線を移す。

 

「海子、落ち着いてからでいいから、説明してもらえるか?」

「……ああ」

 

 友希の優しい声に少しだけ心が安らぎ、動揺がほんの少し収まる。

 ゆっくりと深呼吸をして、まずは彼らに、目の前に居る男性が私の父だという事を説明する。それを聞いたみんなは、目を丸くして父へと視線を移した。

 

「あれが……海子のお父さん?」

泉利(せんり)オジサンが海子ちゃんのお父さんって……どういう事?」

 

 と、陽菜が父さんへ目を向けながら問い掛ける。

 泉利……間違えない、父さんの名前だ。やはりこの人は、私の父さんだ。

 

「すまない……こっちも混乱していな……本当に、海子なのか?」

「……そうだ。私は蒼井泉利の娘、蒼井……いや、雨里海子だ」

「そう……なのか……」

 

 呟き、父さんは目を伏せた。それに釣られて、私もそっと目を伏せる。

 何を話せばいいか分からない。話すべき事、話したい事は沢山あるはずなのに、どうすればいいか分からない。父さんも同じなんだろう。

 どこから、何を話せばいいのか――ゴチャゴチャになった頭を回転させ、必死に言葉を考えていると、不意に誰かに肩を叩かれた。

 

「落ち着け海子」

「と、友希……?」

「詳しくはよく分かんないけど、あの人はお前の父さんなんだろ? だったら、二人でゆっくり話して状況を整理してこい。それに、話したい事もあるんだろう?」

「そ、そうだが……」

「俺達は気長に待ってるからさ。だから、お前の好きにしろ」

 

 そう言って、友希は柔らかな笑みを浮かべた。他のみんなも、黙って頷いてくれた。

 

「……ああ、ありがとう。そうさせてもらう。……父さんも、いいか?」

「……構わない。悪いが、桜井さん達と待っていてくれるか?」

 

 父さんは隣の女性――多分、今の奥さんにそう声を掛ける。女性は何も言わずに頷き、そっと父さんの近くを離れる。

 父さんと視線を交わし、私は父さんと共に無言のまま噴水近くのベンチへ向かう。友希達は空気を読んでくれたのか、私達の前から姿を消してくれた。

 そのまま私と父さんは空いていたベンチに腰を下ろし、互いに前を見据えた。

 真後ろから聞こえる噴水の音、公園に響き渡る元気な子供達の声――それ以外は何も聞こえない。私も父さんも、無言を貫いていた。

 二人になったはいいが、相変わらず何を話せばいいか分からない。ただただ、無言の時間が続く。

 

「……まさか、海子とこんなところで再会するとはな」

 

 すると不意に、父さんがそう口にする。それを皮切りに、私達の親子の会話が始まった。

 

「それはこっちのセリフだ……父さん以上に、私の方が驚いている」

「それもそうか……お前は、どうして京都に?」

「簡単な事だ。高校の修学旅行だ」

「そうか……海子も、もう高校生だもんな」

「……それより、聞きたい事が山ほどある。どうして京都に居るのかとか……色々な」

「そうだな……お前には全部、話しておかなくてはいけないよな」

 

 父さんは腰を折り曲げ、膝に腕を乗せる。その姿を、私はジッと見つめた。

 

「……水樹と離婚した後にすぐ、水樹がまた白場に戻ってくると聞いてな。水樹は白場を気に入っていたからな。水樹は、別にあなたも白場に居ても構わない……そう言ってくれたんだが、こっちはなんとなく気まずくてな。だから東京での仕事を止めて、引っ越す事にしたんだ」

「そう、だったのか……」

「ああ。それで新しい仕事先として、知り合いが勤めている会社で働かせてもらう事になってな。その会社がある場所が、ここ京都だったって訳だ」

 

 なるほど……新しい勤め先が京都だったのか。だからこっちに引っ越して来たと。

 

「……ここに居る理由は分かった。なら次は、どうして父さんが陽菜の友達の父親になっているのか……説明してくれるか?」

「海子、陽菜ちゃんの友達だったんだな。変わった縁もあったものだ。……そうだな、それもキッチリ話さないとな」

「…………」

「お前は馬鹿じゃ無いからもう分かっているだろうが、再婚したんだよ」

 

 再婚――分かってはいたが、少し複雑な気持ちになった。

 父さんも一人の男性なんだから、離婚して独り身になれば、恋愛をする権利は当然ある。二度と結婚をするなと言うつもりは無いが、自分の知らないところで父親が再婚していたとなると……少し気持ちがざわつく。

 

「こっちに来て何年か経った頃かな……同じく離婚をしたばかりで、京都に引っ越してきた彼女と出会ってな。最初はバツイチ同士って事で気が合って、飲み仲間として仲良くしていたんだが……次第に関係が変わってな」

「それで再婚した訳か……母さんは知っているのか?」

「一応な。てっきり、お前も知っていると思っていたがな」

「……母さんは、父さんの事に関しては何も話してくれないからな」

「そうか……」

 

 と呟き、父さんは顔をしかめながら深くうなだれる。

 

「……お前と水樹には、悪い事をしたな」

「父さん……?」

「あの頃は仕事が大変でな……家の事を何もしていなかった俺の方が悪いのに、疲れでストレスが溜まっていて、水樹とは何度も喧嘩してしまった。海子の事も、全く構ってやれなかった」

「…………」

「これ以上一緒に居ても、お前達に迷惑を掛ける。だから別居を提案した。そして……離婚を決意した。それが互いの為だとな」

 

 父さん、そんな事を思っていたのか……確かにあの時期は、母さんも父さんも酷く荒れていた。顔を合わせても言葉は交わさず、時々話をしたとしても、二言目以降は怒号に変わっていった。正直、離婚は成功と言えるだろう。

 

「間違えだとも思っていないし、後悔もしていない。水樹の方も、離婚した後もしばらくは連絡を取り合っていたが、順風満帆といった感じだったしな」

 

 確かに、母さんは別居生活が始まってからストレスを感じているような様子は無かったな。時折、悲しそうな顔はしていたが。

 

「そしてこれからは互いに自由に暮らそうと決めて、俺の結婚以降、水樹と連絡を取り合うのを止めた。……だが、やはり申し訳無くてな」

「申し訳無い……?」

「俺はお前達と別れた後に、のうのうと再婚をして新たな幸せを掴んだ。……水樹は仕事に家事と、俺以上に忙しいはずなのに、俺だけ新たな幸せを手にしてしまった。俺のせいで、お前らの人生を振り回してしまったのにな……だから、お前らに申し訳無いと常々感じていたんだ」

 

 絞り出すような声でそう言うと、父さんは両手を組んで、額に押し当てた。

 父さん……そこまで私達の事を考えていたのか。確かに離婚した後は、母さんは仕事と家事の両立にとても苦労していた。突然大黒柱を失った事は、生活の大きな痛手となっただろう。

 父さんは根は優しい人だから、その事にこうやって気に病んでしまったのだろう。

 

「……父さん。別に、そこまで深く考えなくてもいいさ」

「え?」

 

 父さんの気持ちも分からなくは無い。自分だけ再婚をしたとなれば、多少の負い目は感じるだろう。けれど――

 

「母さんは今の生活を幸せに思っているさ。仕事も自由に楽しくしているし、家事は時々私が手伝っているからそこまで大変じゃ無い。それに再婚も、母さんはする気は無いみたいだしな。いつか『結婚なんて面倒なの、二度と御免よ』と、笑い飛ばしながら言っていたしな」

 

 そう、今の生活に私達は満足している。父さんが新しい幸せを手にしたように、私達も私達なりに幸せを手にしているつもりだ。父さんを恨んでも、憎んでもいないんだ。

 

「だから、父さんがそこまで心配する必要は無いさ」

「……そうか……水樹らしいな」

「……それに、父さんは別に悪く無いさ」

「それは……?」

「昔母さんにキツく当たってしまった事は、良い事とは言えない。それは反省するべきだ。でも、離婚とは互いに別々の道を歩む為にするもの……父さんはその道で、新たに恋をしただけなんだ。だからそれは決して罪では無いさ」

「海子……ハハッ」

 

 と、父さんは不意に笑い声をこぼす。

 

「な、なんだ?」

「いや、変わったなと思ってな……昔はおどおどしていた海子が、恋だとかそういうのを語るなんてな」

「そ、それは……私も成長したんだ! ……誰かに恋する気持ちも、分かる」

「そうか……海子も、そういう年頃になったんだな」

 

 父さんは初めて、穏やかな笑顔を作った。父親らしいその顔を見て、私は思わず顔が綻んだ。少しだけ、昔に戻った気がして。

 

「……ありがとうな、海子。父さんを許してくれて」

「何も悪い事をしていないんだ。咎める理由なんて、ありはしない」

「ハハハッ、本当に変わったな海子。なんだか嬉しいよ。もう、父親面する資格なんて俺には無いだろうがな……」

「……父さんが、私の父さんである事は変わりない。……父親面しても、怒らないさ」

「……ありがとう」

 

 そうだ……離れ離れになっても、再婚していたとしても、私が父さんと母さんの子供である事は絶対に揺るがない。私は雨里水樹と蒼井泉利の娘――雨里海子なんだ。

 

「……これで、俺の話すべき事は全て話したかな」

「そうか……今の家族とは、どうなんだ?」

「上手く行ってるとは思う。こうして今日みたいに時折外食に出掛けたりして、仲を深めたりしている。もう、すれ違いを起こさないようにな」

「そうなのか……家族と仲良くするのはいいが、体調には気を付けろ? 幸せ太りというやつだろうが、なんだか少しだけ太った気がするぞ?」

「そうかもしれないな。気を付けるよ。……それにしても、海子がこんなに力強い子になっているなんてな」

 

 父さんは私の顔をジッと見つめながら、言葉を続ける。

 

「友達も沢山出来たみたいで……安心したよ。お前は内気で、ずっと家で一人だったからな」

「……そう、だな」

 

 父さんの言う通り、昔の私はこんな風に誰かの前で堂々としていられるような、強い人間じゃ無かった。内気で自分からは前には出ず、イジメの対象になるような、まさに弱虫と言うに相応しい子だった。

 自分でも、よくこうして変わる事が出来たなと思える。それもこれもみんな……あいつに出会えたからだ。

 

「……なあ海子。よかったら、話してくれないか? 俺と離れた後に、何があったかを」

「……ああ、もちろんだ。父さんは全て話してくれたんだ。私も全て話すさ。これまでの事を」

 

 私はベンチの背もたれに寄り掛かり、空を見上げて目を閉じ、過去の記憶を呼び起こす。

 辛い事、苦しい事、色々思い出したく無い事もある。だが、それも大事な記憶だ。今の私になるまでの、大切な過程だ。

 

 これは泣き虫だった蒼井海子が、今の雨里海子になるまでの成長の記憶だ。

 八年前――彼に出会った時から、全てが始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 




 次回、海子の過去編開始です。
 友希との出会い、強くなろうと決意した海子の努力、そして再会から告白までを描きます。どうぞ、お楽しみに。




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