「ただいま」
扉を開き、海子が自宅の中へと入る。俺は「お邪魔しまーす」と呟きながら、続いて足を踏み入れる。
彼女と知り合ってから、もう三回目の自宅訪問だ。流石にそこまで緊張する事は無く、海子と一緒に雨で濡れた髪を玄関先で払っていると、リビング方面から海子母こと、水樹さんがやって来る。
「お帰りー……って、友希君じゃない! 久しぶりねー!」
「ど、どうも、お邪魔してます……」
「そんなお行儀良くしなくっていいわよ。ところで、今日はどうしたの?」
首を傾げる水樹さんに、ここを訪ねた理由を告げようとした直前――不意に何かを察したように口を小さく開き、海子へと視線を送り、口元にピンと伸ばした手を添えながらニヤつく。
「あらあら、まあまあ……とうとうあなたも自分から積極的に行動したって訳ね……お母さん感動したわ!」
「な、何か勘違いしていないか!? 別に、そういう訳では……」
「ようやく大人の階段を登る決意が出来たのねぇ……安心しなさい、お母さん空気読んで今日は留守にするから。あ、明日は晴れみたいだからベッドを汚す事については気にしなくていいから!」
「だーかーらー! 少しは話を聞けバ母さんが!」
勘違いで娘が成長したのだと勝手に喜ぶ水樹さんに、海子は顔を真っ赤にして怒鳴り散らしながら、先ほどあった猫のマル探しの件について説明する。
時折水樹さんが余計な口を挟んで話が逸れたりしながらも、海子が必死に説明する事約三分、ようやく事を理解した水樹さんが、首をコクコク縦に振る。
「なるほどそんな事が……よく見れば友希君泥だらけね」
よく見なくても泥だらけだと思うんですけど。
「ともかく、そういう事だ。ここに連れて来たのは、友希に風呂を貸して怪我の手当てをしてやるだけだ」
「そう……全く、海子は相変わらずねー。折角のチャンスなんだから、もっとグイグイ攻めなさいよ! 帰しちゃってどうするの! 今夜はお前を帰さないぐらい言ったらどうなの?」
「だから……母さんには関係無いだろう!」
「関係大ありよ! 私は友希君気に入ってるし、頑張ってくっ付いてほしいの! これも親心よ!」
「その親心は余計だ! いいから風呂を沸かしにでも行ってくれ!」
「反抗期真っ盛りねぇ……お風呂ならもう沸いてるわよ」
「そ、そうか……それじゃあ友希、さっさと入ってこい。私は手当ての準備をして待ってる」
腕を組みながら、目線で風呂場の方を指す。
「いいのか? お前だって雨で濡れたりしてるだろ」
「私のこれはタオルで拭けばどうにでもなる。それに、そんな泥だらけな状態で家の中に居座られる方が困る」
「……それもそうか。じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうよ」
「はぁ、駄目ね海子……そこは、じゃあ一緒に入ろう――ぐらい言わないと」
「そんな事言うか! 私達はあくまで友人関係なのだから、一緒に風呂に入るなんてありえん! だろ!?」
「えっ!? お、おう……」
スマン海子、俺は先日そのあくまで友人関係の相手と一緒に風呂入っちゃったから、どうも言えない。
「そんな事言って、海子だって本当は友希君とのバスタイムを満喫したいんでしょ?」
「そそそ、そんな事は……」
「はいそれ嘘付いてる顔。お母さんは騙せないわよー」
「か、からかうな!」
水樹さんが圧倒的に優勢な親子の口論を横に、俺は巻き込まれない内に以前の記憶を辿りながら、風呂を借りる為に浴室へと向かった。
「あ、服は適当に洗濯機に放り込んどいてー。洗っといてあげるからー」
後ろから飛んで来た言葉に、頷いて答えながら、俺は脱衣場の扉を開き中へ入る。
泥で汚れた服を脱ぎ捨て、言われた通り洗濯機に放り込む。その時、ポケットに入れていたスマホを目にして、そういえば家にこの事を連絡していない事に気が付いた。
一応、連絡しとかなきゃだよな……買い物の件もあるし、ちょっと怖いけど。
しかし連絡をせず、友香達を心配させる訳にはいかない。意を決し、俺は家へと電話を掛ける。
『はいもしもし世名です』
「あ、友香か?」
『なんだお兄ちゃんか。……シュークリーム買うのに随分時間が掛かってるね』
「い、色々あってな……」
電話越しからでも伝わる、友香の不機嫌そうな声に思わず嫌な汗が出る。
シュークリームを楽しみにしてたからな……到着が遅れてたら、そりゃ機嫌も悪くはなる。
とりあえず、友香に今まであった事(例のシュークリームが原形を留めていないかもしれない事は除いて)を説明し、現在海子の家にお邪魔になっている事を伝える。
『ふーん……そんな事がね』
「しばらくしたら帰るからさ、母さんに伝えといてくれ」
『分かった。まあ、ごゆっくりどうぞ』
「いや、ごゆっくりする気は無いから……頼んだぞ」
『うん。……お兄ちゃん』
「なんだ?」
『シュークリーム、楽しみにしてるから』
その言葉を最後に、ブツリと電話が切れる。
若干声が怖かった……もしかしてシュークリームが崩壊している事に感づいている? いや、まだこちらも崩壊していると確認した訳では無い。
今すぐに確認したいところだが、今シュークリームは海子に預けている。とりあえず早くシュークリームの安否を確認する為に、風呂を済ませよう。
シュークリームの状態により、俺の取るべき行動が変わる。最高なのは何事も無く原形のままである事だ。これなら友香は満足してくれるし、俺は何もする必要が無い。
最悪なのはその逆、完全に崩壊しているパターンだ。怒られる事は無いだろうが、間違え無く機嫌が悪くなる。過去に友香のお菓子を間違って食べてしまった事があるが、その時は約一時間ほど謝り続けて、ようやく機嫌を良くしてくれた。
今回も、もしシュークリームが哀れな姿へ変わっていたら、それぐらい謝らないと許してもらえないだろう。それは出来れば回避したい。
「今は、期待するしかないか……」
シュークリームが無事である事を祈りながら、残りの衣服を全て脱ぎ、浴室に入った。
まず最初にシャワーで体に付いた泥を洗い流す。汚れを綺麗サッパリ洗い流した後は、折角なのでお湯に浸かって疲れを取ろうと、浴槽へ入る。
「ッ……!」
座り込んだ瞬間、腰に微かな痛みが走り、顔をしかめる。
やっぱりちょっと痛いな……ま、これぐらいなら少し休めばなんとかなるだろ。どっちかと言えば、マルに噛まれた腕の方が染みる。
腕に出来た生傷を見つめながら、全身を駆け巡る暖かさを感じていると、脱衣場の方から水樹さんの声が聞こえてくる。
「友希くーん。ここにバスタオルと着替え置いとくからねー」
「あ、ありがとうございます!」
「いーのいーの! 我が家だと思って、ゆっくりしてねー」
どこか楽しげな声と共に、うっすらと見えていた水樹さんの影が消える。
そうだ、ここはウチじゃ無いんだった……今更だが、女子の家でお風呂借りるって凄い事だよな。しかも今回で二回目。他のみんなが知ったら、何を言うか。
そんな事を考えながら湯に浸かり数分、もう十分温まったと湯船から上がり、脱衣場に出る。そこには水樹さんが置いてってくれたであろうバスタオルと、ジャージがあった。
まずはバスタオルで体を拭いて、次にジャージへ手を伸ばす。
「って、このジャージ……男物か?」
大きさが明らかに女性物のそれと違う。前に借りた海子の未使用のジャージは、少なくともこれよりもうちょっと小さかった。
男が居ないはずの雨里家にどうしてこのような物があるのか疑問に思いながらも、とりあえずそれに着替える。ささっと着替えを済ませ、脱衣場を出てリビングへと向かう。
「む、終わったか」
リビングに入ると、そこには呑気にココアを飲む水樹さんと、部屋着へと着替えた海子が居た。海子はテーブルの上にある救急箱を持ち、椅子から立ち上がる。
「さあ、早速手当てをするぞ。ここに座れ」
「いいよ、別に手当ては自分で出来るから」
「遠慮するな。それに、お前の怪我は私のせいだしな……私にやらせてほしい」
「そうよー。海子だって、手当てという口実で友希君に密着出来て、役得なんだから」
「だ、誰がそんな事思っているか! ともかく、さっさと終わらせるぞ! ……言っておくが、密着などせんからな!」
ビシッと指差しながら叫ぶ海子に、俺は苦笑いを返しながら椅子に座る。
「ん? 友希、そのジャージはなんだ? 私のでも、母さんのでも無さそうだが」
「あ、やっぱりそうなのか?」
「ああ、それは友希君の為に、前々から用意しておいた物よ」
「……どうしてそんなの用意してるんですか?」
「いや、こんな事もあろうかと用意しておいたのよ。海子がいつ勇気を出すか分からないしねー」
どうしてこんな事があると思ったんだこの人。……まあ、実際今起こってるから、用意してくれてて助かったけど。
「全く母さんは……まあいい、始めるぞ。まずはマルに噛まれた腕からだ」
それから海子は真剣な表情で、慣れた手付きで傷の手当てを進め、腕の怪我や腰の打撲、全ての手当てを数分足らずで終わらせた。
「よし、これで終わりだ」
「早いな……なんか随分慣れてた感じだったな」
「そうか? まあ、昔は道場で怪我する事が多かったからな。その度に、自分で手当てをしていた」
「へぇ……ともかく、ありがとな、海子」
「れ、礼はいらん……」
唇を尖らせながら、海子は照れ臭そうに目を逸らす。
「いやー、青春してるわねー。ところで友希君、よかったら夕飯食べてく? ご馳走するわよ」
「気持ちは有り難いですけど、遠慮しときます。そこまでお世話になっちゃうのは申し訳無いし、それに……」
チラリと、テーブルの上に置いてあった、例の限定シュークリーム入りの箱を見る。そのままそろりと手を伸ばし、箱の中身を確認する。
限定シュークリームは全部で三つ。その三つとも、俺の最悪の予想通りに、クリームが飛び出しぐちゃぐちゃに形が崩れていた。
やっぱりか……仕方が無い、正直に謝ろう。それが明日の平和への唯一の道だ。
「あら、それ最近出来た近所のスイーツ店のね。それがどうしたの?」
中身を覗き込みながら問い掛けられた質問に、これが妹に頼まれた買い物で、彼女がこれを非常に楽しみにしている事を告げる。
「なーるほど……それはこんなの持って行ったら怒られるわね。女の子のスイーツへの執念は凄いからねぇ」
「はい……だから、遅れて帰ったらさらに怒られそうなんで……」
「それじゃあ仕方無いわね。……よかったら、ウチの分けてあげようか?」
「え?」
「実は私も今日、このシュークリームを買いに行ったのよ。丁度まだ三つ残ってるし、あげるわ」
「い、いいんですか?」
「ええ。妹さんの為にも、ちゃんとした物を届けてあげなさいよ」
水樹さんは立って冷蔵庫へ向かい、そこから俺のと全く同じ箱を持って来る。中には、原形を維持した例の限定シュークリームが三つ。
「ほ、本当にいいんですか?」
「もちろん。海子もいいでしょ?」
「ああ。そのシュークリームが崩れたのは、私にも責任があるしな。友香ちゃんの為に、持って行ってやれ」
「海子、水樹さん……ありがとうございます!」
まさかこんな展開になるとは……ともかく、これで友香の機嫌を損ねずに済みそうだ。
二人の気遣いに深く感謝しながら、俺はそのシュークリーム入りの箱をしっかりと抱える。
「そうだ、よければ家まで車で送ってあげましょうか?」
「いや、そこまでしてもらうのは申し訳無いですよ」
「いいのよ遠慮しなくて。雨も小雨だけどまだ降ってるし、ここから友希君の家までちょっと遠いんでしょ? 妹さんの為にも、出来る限り早く帰宅しないと」
「……じゃあ、お言葉に甘えて」
「任せなさい! じゃあ、準備するからちょっと待っててね」
そう言うと水樹さんは身に着けたエプロンを脱ぎ捨て、廊下に向かい歩き出す。が、扉の手前で立ち止まり、海子を指差す。
「そうだ海子、あなたも一緒に来なさい」
「ど、どうして私も?」
「ちょっとでも長く友希君と一緒に居たいでしょ? 一緒に後部座席に座って仲良くお話でもしなさいよ」
「んなっ!? わ、私はそんな……」
「というか、今日はそのまま外食にするわ。という事で、あなたも早く着替えなさーい」
一方的に話を進め、水樹さんはリビングを立ち去った。海子は呆然としながら廊下に向かい手を伸ばし、しばらくしてガックリと肩を落とした。
「本当にあのバ母さんは……悪いな、友希」
「いや、むしろこっちが巻き込んだ感じで悪いな。ゆっくりしたいだろうに」
「構わないさ。それに、母さんが言っていた事は、あながち間違ってはいないしな……」
「間違って無いって?」
「な、なんでも無い! わ、私も着替えてくるから、適当に待っていろ!」
顔を赤くしながらそう言って、海子もリビングを立ち去る。
問い掛けてみたけど、もうちょっと一緒に居たいって事だよな、多分。
一人になった俺は、とりあえず適当な場所に座って待つ。しばらくすると、ラフな部屋着からキッチリとした服に着替えた二人がリビングに戻って来る。
着替え終えた二人と共に、そのまま軽く雨が降る外に出て、水樹さんの乗り込んだ車へと続けて乗り込む。
「水樹さん、車運転するんですね」
「まーね。あんまり使わないんだけど。海子、短い時間だけど友希君との会話、楽しみなさいよー?」
「う、うるさい!」
照れたように叫び、俺の隣に座る海子はシートベルトを付ける。俺もシートベルトをして、後ろに寄り掛かる。同時に、車がエンジンを唸らせながら動き出す。
まだ七時前だと言うのに、外はもうすっかり暗闇だ。車の中を照らすのは、微かな光のみ。そんな薄暗い空間で海子と隣り合わせだという事を考えると、少し緊張する。
その緊張を少しでも紛らわす為に、外の景色を眺めていると、不意に肩に何かがぶつかる。
「ヒャア!?」
同時に、甲高い海子の可愛らしい悲鳴が車内に響く。どうやら、海子の肩がぶつかったようだ。
「す、スマン! ぼーっとしていたら、ぶつかってしまった……」
「い、いや全然構わないから」
「たくっ、それぐらいでキャーキャー言うんじゃ無いわよ。自分から手ぇ握るとか、もっと積極的に行きなさいっての」
「か、母さんは黙って運転していてくれ!」
「はいはーい。お邪魔虫は黙ってますよ」
「全く……」
怒り三割、照れ七割といった風な顔をしながら、海子は勢いよく背もたれに寄り掛かる。そんな海子が少し可愛らしく見えて、思わずジッと見つめていると、不意に目が合う。すると彼女は暗がりにも関わらず、ハッキリと分かりやすく顔を赤くして、俺と目を合わさぬように窓の外へ目を向けた。
どうやら、彼女は俺以上に緊張しているようだ。今声を掛けたらさらにテンパりそうなので、そっとしておこうと、海子と同じように俺も窓の外へ目を向け、自宅に到着するのを静かに待った。
そのままこれといった会話も無く、目的地に到着。車は俺の自宅の前に停車した。
「ここでいいのよね?」
「はい。わざわざありがとうございました」
「いいのよこれぐらい。ところで海子、あなた全然話して無いじゃない。何しに来たのよ」
「う、うるさい! ……緊張して話題が浮かばなかったのだから、仕方無いだろう……」
物凄く小声で呟きながら、目線を斜め下に落とす。その反応に水樹さんは呆れたように溜め息をつき、小さくかぶりを振った。
「先行きが不安でしょうがないわね、これじゃあ。友希君も、あんまり海子に気ぃ使わずに、ズガズガと話してもいいからね」
「は、はあ……」
「もうこの話はいいだろう! ほら、家に着いたのだからさっさと降りろ! 友香ちゃん達が待っているだろう!」
「わ、分かってるよ。じゃあ、今日はありがとな」
水樹さんから貰ったシュークリームをしっかり持った事を確認してから、扉を開けて外に出る。パラパラと小雨が降る中、彼女達に別れの挨拶をしようと車に向き合うと、不意に運転席側の扉が開き、水樹さんが外に出て来る。
「どうしたんですか?」
「いや折角だから、友希君のご家族にご挨拶でもしようと思ってねー。ほら、よく考えたら私会った事が無いし」
「ああ、そういえばそうですね」
でもどうして挨拶なんかを――そう問おうとした直前、後部座席の扉が開き、海子が出て来るなり声を上げる。
「母さん! 一体なんのつもりだ! これ以上余計な行動を取らないでくれ!」
「余計な行動とは何よー。私はただ、娘がお世話になるかもしれない家に母親としてご挨拶するだけ。こんな娘ですがどうぞよろしくーって」
「そ、それが余計だと言っているんだ!」
「私はあなたの為を思ってやってるだけ。それに、母親としてあなたの姑になるかもしれない相手の顔ぐらい見とかないとね」
そう言うと水樹さんは我が家の玄関に向かい歩き、インターホンをなんの躊躇無く押す。その数秒後、扉が開き中から母さんが出て来る。
「はーい。……どちら様?」
「どうも始めましてー。私、雨里水樹と言いますー。ウチの娘がお宅の息子さんにお世話になってるようで」
「雨里……ああ、海子ちゃんのお母さんですか! こちらこそ、お世話になってますー」
水樹さんの正体に気が付いた母さんは、ニコニコと笑顔を浮かべながら頭を下げる。
「ところで、本日はどういったご用件で?」
「友希君をここに送るついでに、ご挨拶でもしておこうかと。ほら、もしかしたらウチの娘がこちらでお世話になるかもしれないものですから」
「あら、それはご丁寧にどうも。ウチの愚息なんかがお宅の娘さんに釣り合うか分かりませんが」
「いえいえそんな事ございませんよ! あの子は寝ても覚めても友希君友希君ですから、一緒に居られるだけでハッピーですよ!」
「母さん! これ以上変な事は言わないでくれ!」
楽しそうに会話を交える母親コンビに、海子が血相を変えて割り込む。
「あら海子ちゃん、こないだのパーティーはありがとうね」
「あ、はい……それより母さん! そろそろ帰るぞ!」
「えー、もうちょっといいじゃない」
「これから外食なんだろう!? 私は腹が減った! 行くぞ!」
「あら、これから夕食で? 私ももうちょっとお話したいですし、よければウチで食べて行きませんか?」
「え?」
母さんの唐突な発言に、俺と海子の声がピッタリ揃った。
「あら、いいんですか?」
「ええ、今日は丁度お鍋にしようと思っていたので。材料もちょっと買い過ぎちゃったし、むしろ食べていって下さい」
「そーなんですか。それじゃあ、お言葉に甘えましょうかねー」
「ちょっ、何を勝手に決めてるんだ!」
「海子は嫌なの? 友希君の家で鍋パーティー」
「そ、それは……嫌、では無いが……」
ぼそぼそと曖昧に言葉を口にしながら、海子はチラリとこちらを見る。それが俺にも鍋パーティーに同意するかしないかの答えを求めているものだと、なんとなく察し、口を開く。
「あー……俺は、別に構わない、かな」
「だ、そうよ」
「……わ、分かった。お、お邪魔……します」
「よく言った! それじゃあ、お邪魔してもよろしいですか?」
「もちろんです。ママ友として、色々お話しましょう」
「ママ友……いい響きですねー! それじゃあ、私は近くのパーキングエリアに車停めてきますね。海子、あんたは先にお邪魔してなさい」
「……ああ」
まさか、こんな事になるとはな……母さん人付き合い良い方だし、水樹さんもそうっぽいしな。この短時間で馬が合ったのかもな。
まあ、こういう家族間の交流なんかも、将来の為には必要なのかもな。水樹さんの言う通り、もしかしたら海子と結婚して、今後も付き合いが続く事も有り得るんだし。
今はとりあえず、この後行われる雨里家の二人との鍋パーティーを楽しみにしておこう。
「――あれ? この車って……」
ふと、家の前に停めてある水樹さんの車の近くから、聞き覚えのある声が聞こえる。俺の隣でどことなく嬉しそうに口元を緩ませていた海子もそれを聞き取ったのか、車の方へ走る。
「ゆ、優香!?」
「み、海子!? どうしてここに……?」
そこには傘を差して仲良く横並びで歩く、天城、香澄ちゃん、明美さんの天城家の三人が居た。
「ん? 明美さんじゃないですか!」
「あらあら、水樹さんやないの! 久しぶりやなー!」
「本当、久しぶりですねー。お元気でしたか?」
「元気や元気! そっちはどうですか?」
「まあまあですかねー。仕事と家事の両立は相変わらず辛いですわー」
まさかの遭遇に驚く俺達の横で、車に乗り込んだ水樹さんと明美さんが楽しそうに会話を交え始める。
海子と天城は友人同士だから、あの二人にも接点はあるのか。にしても……
「天城、三人揃ってどうしたんだ?」
「え、えっと、今日は久しぶりに香澄の仕事がお休みだから、家族みんなで買い物に行ってたの。今はその帰り」
「そうか……優香はこの辺りに引っ越したんだったな」
「うん。ところで……海子はどうしてこんな時間に世名君のお家に?」
「あ、いやこれは……」
どこか哀愁と嫉妬を感じる問い詰めに、海子は困ったように言葉を詰まらせる。その様子を見て、海子の代わりに俺が天城に今までの経緯を説明してやる。
粗方の説明を済ませると、それを聞いた天城は一応納得したようだが、どこか物悲しそうに俯く。
「そっか……そんな事があったんだね」
「あ、ああ……」
なんだこの空気……まあ天城にしちゃ俺と海子が二人で居た事や、海子が俺の家で夕飯をご馳走になるのは良い気分では無いのは分かるが。
そのなんとなく気まずい空気を察したのか、黙って天城の顔を見ていた香澄ちゃんが、空気を変えるように明るい声を上げる。
「それにしても、お兄さんの家もお鍋なんですね。実は、私達も今日はお鍋なんです!」
「へ、へぇ、そうなんだ。それは偶然だね」
「ですよね! で、もしよかったらなんですけど、材料は提供しますんで、私達もそのお鍋パーティーに参加させてもらえませんか?」
「あ、ああ、それもそう……え?」
とてつもなくあっさりと放たれた提案に、思わず一瞬同意しかけてから、驚きの声がこぼれる。
「ちょっと、何言ってるの香澄! そんなの迷惑でしょ!」
「そうかもだけど、お姉ちゃんだってお兄さん達と一緒にお鍋食べたいでしょ? それにここまで聞いてさようならー、なんて除け者みたいで嫌でしょ?」
「それは、そうだけどさ……」
「確かに迷惑かもだけど、ちゃんとこっちの分の材料は提供するし、お兄さん達にとっても損では無いでしょ? どうですかー?」
と、香澄ちゃんが玄関前に立っている母さんに大声で呼び掛ける。
「そうね……確かに、面白いかもしれないわね!」
「か、母さん!? いいの?」
「もちろんよー。ご飯は大勢で食べた方が美味しいでしょ? そっちの材料も貰えるなら、量が増えて丁度いいし。明美さーん! そっちはどうですかー?」
「こっちはかまへんでー! みんなで鍋パーティー、ええやんか! やろうやろう!」
「おー、なんか面白い事になってきましたねー! あ、私そろそろ車停めてきますね。後で酒でも飲みながらお話しましょーねー。あ、私は車なんで無理ですけど」
「お、ええなそれ! ほんならこっちも一旦ウチに帰って準備しよかー。優香ー、香澄ー、行くでー!」
「はーい! お兄さん達とおっ鍋ー!」
「ま、待ってよ二人とも! えっと、その……とりあえず、また後でね!」
ウキウキ気分で歩く香澄ちゃんと明美さんを、天城が慌てて追い掛ける。水樹さんも車をパーキングエリアへ停める為、車を走らせ立ち去る。それらを、俺と海子は呆然としながら見送った。
母親勢、みんな自由で適当過ぎるだろう……いや、みんな天城や海子の為にやってるのは分かるけども。
「なんだか、大変な事になったな」
「そうだな……でも、少し楽しみだ」
と、海子が微かに微笑む。
まあ、色々滅茶苦茶ではあったが、確かに少し楽しみかもな。……不安の方が大きいが。
何はともあれ、色々急過ぎて混乱しているが、世名家、雨里家、天城家の合同の緊急鍋パーティーが、決定したのだった。
何故か三家族で鍋パーティーを実施する事に。タイトル通り母親組が自由気まま過ぎる。
ともかく、次回へ続く。