あの日以降、私は家の事を一切やらなくなり、夏休みの間はほとんどが自宅に籠もる毎日だった。
理由は当然、お父さんに一人暮らしを認めてもらえなかった事がショックで、心が落ち込んでいたから。高校卒業まで友くんの下へ帰れない――そう思うと、とても笑って楽しく遊ぶ気にはなれなかった。
それに椿ちゃんは旅館のお手伝いが忙しくて、恵理香ちゃんと斗真君もなんだか家の事で慌ただしいらしくて遊べなかった事もあり、そもそも遊ぶ相手も居なかった。
そんな今まで経験した事が無い暗い夏休みはあっという間に終わり、二学期が始まった。
「あっ……陽菜ちゃん、久しぶりやな」
久しぶりの教室を自分の席に座り眺めてみると、後から来た椿ちゃんがこちらへ手を振りながら近寄って来た。
「椿ちゃん、久しぶりだね」
「夏休みは旅館が忙しくって、全然遊べなくてごめんなぁ……もう体調は平気なん?」
「うん、もうスッカリ。大丈夫だよ」
心配掛けてはならないと笑顔を作りながらそう言うが、自分でもあからさまに声に元気が無いのが分かる。それを感じ取ったのか、椿ちゃんは表情を暗くする。
「……陽菜ちゃんのお母さんから聞いたで。一人暮らし、認めてくれへんかったらしいな」
「うん……ごめんね、色々力貸してくれたのに」
「陽菜ちゃんは悪ぅ無いよ。残念やけど、まだ白場に行ける機会が消えた訳や無いやろ? 高校卒業した後ならええって言われたんやろ? せやったら、その時に友くんに再会出来るやん」
「そう、なんだけどさ……」
私がそこで言葉を詰まらせると、椿ちゃんは不思議そうに首を傾げる。
「なんか、不安でもあるんか?」
「……前にさ、友くんに恋人が居たらこの恋はキッパリ諦めるって言ったけどさ……やっぱり、そんなの嫌なんだ。だから私は早く帰って、早く友くんにこの思いを伝えたい。けど、それが遅くなったら……何もかも手遅れになる気がして怖いんだ」
そう、私がこうしている間にも、友くんに惚れた女の子や、友くんが好きになった子が出来ているかもしれない。そうなれば、私の恋が叶わなくなるかもしれない。それを考えると、怖くてたまらない。友くんが遠くへ行っちゃう気がして。最近は友くんの現状を知るのも怖くて、裕吾とも連絡を取り合っていない。
だから私はいち早く友くんのところに帰って、この思いを伝えたい。手遅れになる前に。けれど……その機会は、遠のいてしまった。
「私が高校卒業する頃には、友くんに恋人が出来て、新しい幸せな生活を過ごしているかもしれない。友くんが幸せならそれでいいって言ったけど……せめて、思いだけは伝えたい……この思いを閉じ込めたまま消すなんて、嫌だ……!」
「陽菜ちゃん……」
椿ちゃんはまるで自分の事のように悲しそうな顔をしながら、小さく口を動かす。しかし、その口から言葉が吐き出される直前、教室の扉が開き、恵理香ちゃんと斗真君がやって来た。
「あ、エリちゃんに斗真君……久しぶり」
「ん? ああ、久しぶり久しぶり。……はぁ」
「なんや、エリちゃんまで元気無いんか。どないしたん?」
「いや、大した事無いんだけどさ……夏休み、色々あってね」
「色々?」
椿ちゃんの疑問の声に、斗真君が答える。
「実は……母親が再婚して」
「再婚!? ほんまかいな!」
「マジよマジ。夏休みに急に結婚するとか言い出してね。しかも、相手もバツイチ。もう色々大変だったんだから!」
「そら、大変やな……でも、エリちゃんのお母さん、離婚したの最近や無かったっけ?」
「うん。確か陽菜の来る前……私達が小四の時だっけかな。ま、人の心なんてそんなもんよ。前に好きだった人が居ても、新しい相手を見つけたらすーぐ忘れちゃう。移り変わりが激しいもんなんだよ。それが悪いとは言わないけどさ」
恵理香ちゃんが軽い口調で放った言葉に、私の心の中が少しだけ揺らめいた。
昔から私と友くんは仲が良かった。だからもしかしたら友くんも私の事を好きでいてくれてるんじゃないかと、正直思っていた。だから白場に帰るのが遅くなっても、友くんはまた私と仲良くしてくれると、どこか安心していた。
けれど、もし友くんに好きな人が出来ていたら……いやそうでなくても、友くんは私と仲良かった事なんて忘れてるんじゃないか? もう、私の事なんてどうでもいいと思ってるんじゃないのか? 帰っても、私と仲良くしてくれないんじゃないか?
そんな事は無い。友くんは優しい人だから。それは分かっている。けど、一度浮かんだ不安は収まらず、私の心を締め付け続けた。
「……ッ! ちょおエリちゃん!」
「えっ? ……あ、もしかして私……また余計な事言った?」
「そうや。ちょっとは考えて物言いや!」
「ご、ごめん……そんなつもり無かったんだけど……」
「……桜井さん、平気?」
「……ちょっと平気じゃ無いかな……不安がいっぱいで、余計な事考え過ぎてる……いっそ、全部忘れたら楽になるかな?」
「ちょっ!? 何言ってんの! 弱気になっちゃ駄目だって! まだ終わってないんだから!」
「……そうだね。ごめん、ちょっと気にし過ぎてた」
でも、本当にその方が楽なのかな……友くんだって、ずっと会ってなかったのに今更戻ってきた私に告白なんてされても、迷惑かもしれないし。
頭の中がぐちゃぐちゃにこんがらがって、もうどうしたらいいか分からない。椿ちゃん達もそんな私を見て声を掛けようとするが、担任の先生が教室に来たのをキッカケに、それぞれの席に戻っていった。
そして気が付いたら、時間は昼休みになっていた。どうやら色々深く考えている間、無意識で午前の授業を乗り切ったみたいだ。
周りのみんなは既にお昼ご飯を食べていて、既に和気あいあいのムードが流れていた。そんな中、椿ちゃん達がお弁当箱を持って私の席へやって来る。
「陽菜、ずっとぼけーっとしてたけど、平気?」
「アハハ……なんか、不安でいっぱいで……」
「……まあ、考える事は悪く無いで。とりあえずいったんお弁当食べて、ゆっくりしよか」
「うん……その前に、私お手洗い行ってくるね……」
席を立ち、そのまま教室から一番近い女子トイレに向かう。
そこの洗面所で顔を洗い、鏡に映った自分の顔を見つめる。そこに映ったのは、暗い表情をした私の顔。まるで私じゃ無いみたいに、とっても暗い。
どうしてこんなにも嫌な予感がするんだろう……自分でも異常だって思う。けど友くんの事を考えると、さっきみたいに不安が溢れ出てくる。
もういっそ全部忘れて楽になりたい……そんな思いまで、浮かび上がってくる始末だ。
「……私は、どうしたらいいんだろう……」
どうすればいいのか答えが見つからないまま、私はモヤモヤした気持ちを抱えて女子トイレを出て教室に戻る。その途中――
「――桜井さん」
突然、正面からやって来た斗真君に呼び止められた。彼はどこか真剣な表情で私の顔を見つめながら、こちらへ歩み寄ってきた。
「少し……話いいかな?」
「えっ、いいけど……何の話?」
「……ここじゃなんだし、少し場所を変えようか」
そう言って、斗真君は上の階に続く階段を登り始める。私はそれに困惑しながらも、大人しくついて行く。
斗真君と共にやって来たのは、学校の屋上。いつもは昼休みは人も多くて、私達もよく使うのだが、今日は風が強いせいか生徒が一人も居ない。
「こんなところで……一体何なの?」
「ごめん……ちょっと真面目な話をしたくて」
「真面目な……?」
「……高校卒業まではここに居るって事になった訳だけどさ……桜井さんはそれでも、白場に帰りたいの?」
「えっ……?」
突然投げ掛けられたその質問に、私は思わず言葉を詰まらせた。
どうしていきなりそんな質問をしたのか、色々疑問を抱いたが、とりあえず私はその質問に答えを返す。
「それはもちろん……帰りたいよ」
「……でも、帰った時には例の幼なじみさんに恋人が出来ているかもしれないんだよ? それでも……帰りたい?」
「そ、それは……」
確かにそうかもしれない……もし友くんに恋人が出来てたら、帰っても私は思いを伝えられない。それじゃあ、再会出来たとしても辛いだけだ。私は、友くんの隣に居られないのだから。
「そうなれば、きっと桜井さんはとっても悲しむでしょ?」
「……うん」
「……僕は、そんなのは嫌だな」
「えっ……?」
「僕は……桜井さんに悲しい思いなんてしてほしく無い。……僕は桜井さんが幸せそうに笑ってる方が、好きだからさ」
「それって……?」
「……僕は、桜井さんの事が好きだ」
好きだ――そのいきなりで、突然な言葉に、私は一瞬理解が遅れた。そしてそれが私に対しての告白だという事に気付いた時、私はその事実に困惑し、慌ただしく声を上げた。
「す、好きだって……私が?」
「いきなりでビックリだよね。でも、僕は真剣だよ。僕は……桜井さんが好きだ」
「そ、そんな……今までそんな素振り……」
「一応気付かれないように、必死に隠してたからね。気付かせたら、桜井さんは間違え無く気を使うしさ。でも、決めたんだ」
「決めた……?」
斗真君は照れ臭そうに頬を掻き、一瞬間を空けてから、口を開く。
「……前に言ってくれたよね、目標をこれから見つければいいって。四月から桜井さんが頑張る姿を見て、ずっと思ってたんだ、彼女の支えになりたいなって。今までずっと姉さんに振り回されて、自分では何にも考えた事も、何かをしたいって思った事も無かった……けど、桜井さんを見ていると不思議とそう思った」
「斗真君……」
「もちろん、そんな資格は僕に無いって分かってる。桜井さんには好きな人が居て、その人の為に頑張ってるって事も。……だけど、僕はこの気持ちを……初めて自分の意志で思った気持ちを――曲げたく無い。だから、言うよ」
そう力強く口にすると、斗真君は私の前に立ち、真っ直ぐとこちらを見つめた。
「桜井さん……僕は君には白場へ帰らず、ここに残ってほしいと思ってる。僕は桜井さんの事を……支えていたいんだ。それが……僕の見つけた目標だ」
「斗真君……」
「ズルいよね……一人暮らしを反対されて気が滅入っているところにこんな事を言うなんて……でも、僕はそれだけ本気なんだ。白場に帰って桜井さんが悲しむかもしれないのなら……僕は、ここに桜井さんを留めておきたいんだ」
斗真君のその言葉に一切の迷いは感じられない。真剣に、私に告白をしている。
椿ちゃんに恵理香ちゃん、それに斗真君という友達が出来たここでの暮らしは、今や私にとって大切な日常になっているのも確かだ。みんなと過ごすのは楽しいし、離れると思うとやはり悲しい気持ちもある。
白場に帰れば友くんと再会出来る。けど、友くんと恋人同士になれるか……いや、そもそも思いを伝える事が出来る状況かすら分からない。もしそうなら、私はとても辛い思いをするだろう。
それならば、彼に思いを伝えるという事を諦めて、ここに留まる方が幸せ――それも、一理あるのかもしれない。
けれど――
「……ごめん」
私が口にした答えは、その一言だった。一瞬の戸惑いはあった。だけどその答えに辿り着くのに、迷いは一切無かった。その答え以外は、有り得ないと。
「斗真君の気持ちは素直に嬉しいし、私も出来るならここでみんなと一緒に居たいとは思うよ。けど、やっぱり私はそれ以上に、友くんに会いたいんだ」
「……自分の気持ちが叶わなくても?」
「うん……斗真君にはとっても悪いけどさ、今の答えを出すのに全然迷わなかった。だって……私は、やっぱり友くんが好きだから。斗真君の思いに答えたら、その気持ちを消しちゃう事になっちゃう」
さっきまで、全部忘れた方が楽になるんじゃとか考えた。けれど、それでもやっぱりこの気持ちだけは忘れられない。だって友くんを好きな気持ちを忘れる方が……とっても辛いはずだから。
「斗真君に告白されて、ようやくハッキリ気付けたよ。私は、やっぱり友くんが凄く好きなんだって。私もこの気持ちだけは……曲げたく無い。私は白場に帰るよ。……何もせずに諦めるなんて、絶対嫌だから」
そう、まだ私が友くんに思いを伝えられない、叶わないなんて決まった訳じゃ無い。そんなの、私が想像しちゃっただけなんだから。
不安がいっぱいで気持ちが揺らいでたけど、もう迷わない。チャンスがある限り私はこの思いを貫いて、友くんに会って思いを伝えるんだ。この愛情だけは……絶対曲げない!
「だから……ごめんね。斗真君の思いには、答えられない」
「……そっか」
そう悲しそうに呟くと、斗真君は何故か安らかな笑みを浮かべた。
「やっぱり、桜井さんはそうでなくちゃ」
「え?」
「こうなるんじゃないかって事は、なんとなく想像出来てた。だって桜井さんの強い思いは僕も知ってるから。だからどれだけ思い悩んでも、絶対にその思いは曲がらないって分かってた」
「斗真君……もしかして、私の迷いを消して気付かせる為に、告白を……?」
「……その気持ちも少しはあったかな。桜井さんには、いつまでも暗い顔させたく無かったし。まあ、割と本気で告白はしたんだけど。ここがチャンスかなとか、ゲスな考えもあったといえばあったし。結局振られちゃったけど」
力無く笑い声を漏らし、斗真君は頭を掻く。
「ご、ごめんね……」
「謝らないでよ。桜井さんは悪く無いよ。それだけ、その幼なじみの事が好きなんでしょ?」
「……うん」
「なら、僕は素直に諦めて、その恋を応援するよ。僕は、そういう風に何かに頑張る桜井さんが好きだから。……複雑ではあるけどね」
「斗真君……私、頑張るよ。絶対、友くんのところに帰る!」
だって約束したもんね……別れの時に、絶対友くんのところに帰るって。またねって、約束したんだもん。だから私は諦めずに、頑張るんだ!
「……さてと。いい加減出てきなよ」
不意に、斗真君が私の後ろに目を向ける。すると、後ろの扉からガタンと物音が聞こえ、扉が開く。
「アハハ……バレてた?」
「え、恵理香ちゃん!? それに椿ちゃんも……」
「帰って来ーひんから心配になって探しに来たんやけど……」
「まさかこんな状況になってるとは思わなくてさ……えっと……」
二人は気まずそうに扉から出て来て、こちらへと歩み寄る。
「気なんか使わなくていいよ。僕は別に気にしないから」
「……斗真、あんたいつの間にか男らしくなったわね」
「いつまでも、姉さんの腰巾着ではいられないから」
「……そっか」
と、出会ってから初めて見たかもしれない、姉らしい優しい微笑みを向けながら、恵理香ちゃんは斗真君の頭をポンと叩いた。
「頑張ったわね。そして、よくやった。お姉ちゃん、なんだか誇らしいわ」
「……そう」
「陽菜ぁ!」
斗真君の頭に手を乗せながら、恵理香ちゃんがこちらへ人差し指を突き付ける。
「あんた、私の可愛い弟を盛大に振ったんだから、絶対例の友くんに思い告げなさいよ! じゃないと、この菊池……じゃないや。蒼井恵理香が許さないんだからね!」
「恵理香ちゃん……うん、頑張る!」
「ならよし! 斗真も不本意かもしんないけど、友人として私達と一緒にこれからも陽菜を支えるわよ! しっかり向こうで頑張れるようにさ!」
「わ、分かってるよ……」
「全く、振られたばっかで傷心中やのに、なかなかキツイ事言うなぁ」
「赤坂さんもなかなかにキツイ一言を……その通りだけどさ」
「ご、ごめんね……」
「さ、桜井さんは謝らなくていいって……」
「そうそう! こいつが望み薄い告白して撃沈したんだから、陽菜は悪くないよ!」
「エリちゃん……ほんま余計な一言多いなぁ……」
◆◆◆
斗真君から告白されて、自分の気持ちをハッキリと理解した私は、それからくよくよ思い悩んだり、不安を抱く事は止めて、ただひたすらにがむしゃらに、白場に帰る為に出来る事をやった。
もちろん高校卒業するまで一人暮らしは駄目だと反対されてしまったのだから、頑張っても友くんに再会出来る時が早まる訳でも無いだろう。
それでも形だけでも頑張ろうと、私は再び自分の身の回りの事を自分の力でやるようにした。どうせ高校卒業したら白場に帰り一人暮らしをするのだから、決して無駄では無い。
そして椿ちゃんや恵理香ちゃん、それに斗真君も、変わらず私に力を貸してくれた。告白を断ったのだから、斗真君とはほんの少しだけ気まずいとこもあったが、それでも彼は純粋に私の恋を応援してくれている。
私の為に協力してくれるみんなの思いを裏切らない為に毎日、今度は体調に気を付けながら将来の為に、努力を続けた。
そんな生活を続けて二年が経とうとしていた、高校二年の夏休み前――奇跡が起こった。
「……実は昨日、偶然和希さんと会ったんだ」
「和希……オジサンと!?」
夕食中、お父さんが唐突に口にした人の名前が友くんのお父さんである事にすぐに気が付いた私は、思わず席を立って声を上げた。
「どうやらこちらに出張で来ていたらしくてな。久しぶりに飲んだんだ」
「そうなんだ……オジサン、こっちに来てるんだ」
「……それでな、お前が白場で一人暮らしして、友希君に会いたがっている事を話したんだ。……そしたら、和希さん酔っていたせいか色々勘違いしたらしくてな」
「勘違い?」
「ああ、どうやらその一人暮らしが今年の事だと勘違いしたらしい。そして父さんがお前を心配していると言ったら……『それならウチに空いてる部屋がありますし、居候させるってのはどうですか? 私達が一緒なら、桜井さんも安心でしょう!』――という事になってな」
と、お父さんが恐らくオジサンの真似であろう口調で放った言葉に、私は意味がよく分からず首を傾げた。
「……お前、今でも白場に帰りたいか?」
「……うん、帰りたい」
「そうか……父さんは、お前に一人暮らしをさせるのが心配で仕方が無い。あんな事もあったしな。……ただ、和希さん達のところならば……安心出来る」
「それって……」
「ああ、お前にその気があるならば……お前が白場に行くのを認めようと思う」
白場に行くのを認める――その一言に、私の胸は大きく高鳴った。ずっと欲しかった言葉に、気持ちが高ぶった。
「ほ、本当にいいの?」
「正直、不安はまだある。だが、和希さんや香織さん……それに友希君に友香ちゃん。彼らのところなら、安心してお前を預けられる。……それに、お前はとても頑張っていたしな。父親として、それを無視する訳にはいかない」
「お父さん……!」
「ただし、絶対に和希さん達に迷惑を掛けるなよ。もしも何かあったら、即刻戻ってきてもらう。いいな?」
「うん……うん! お父さん、ありがとう!」
嬉しさのあまり、私の目から涙が自然とこぼれ落ちた。ようやく……ようやく彼の下へ、友くんのところに帰れるんだと。しかも、彼の家に居候という、思っていたよりも最高の形で。
一つ屋根の下で……ずっと友くんと一緒にいられる。そう考えると嬉しくてたまらなかった。
「詳しい話はこの後に和希さんと話す予定なんだが……いつ帰りたい?」
「今すぐ! 出来るだけ早く……帰りたい!」
「全く……分かった。そういう風に伝えておくよ。決まったら連絡する」
「うん! ありがとうお父さん!」
「……父親としては、なんだか複雑だがな」
「ウフフ……親離れは突然やって来るものですよ。陽菜、頑張りなさいよ」
「お母さん……ありがとう!」
ああ、やっと……やっとだ。ずっとこの日の為に頑張ってきた。それがようやく叶う。待っててね友くん……もうすぐ、会いに行くから。
「あ、そうだ……」
白場に帰るなら、知っておきたい事がある。少し怖かったが……私は夕食を手早く済ませ、部屋に戻った。そしてすぐさま携帯を手に取り、恐らく二年振りに、彼へ電話を掛けた。
『……はいもしもし』
「あ! 裕吾? ごめんねいきなり」
『別に構わんが……随分と久しいな。何か用か?』
「うん、実はさ……私近々白場に帰れる事になったんだ!」
『……そりゃまた急だな。で、それだけ伝えに来たのか?』
「う、うんっと……一つ聞きたいんだけどさ……」
ゴクリと、唾を飲む。
聞くのが怖い……聞いてしまったら、全て台無しになってしまうかもしれない。けど、ここで聞いておかないといけない気がする。その答えで、私が友くんにどう接するべきか決まるから。
「……今さ、友くんに恋人って……居る?」
『……なるほどな。帰る前にそれを聞くか』
「うん……知らないといけない気がしたから」
『そうか……』
短く呟くと、裕吾はしばらく黙る。その沈黙に、私の鼓動が高鳴る。
『……安心しろ。俺が見た限り、現状であいつに恋人や好きな奴は居ねーよ』
「本当!? そっか……」
それを聞いた瞬間、全身から力が抜け、携帯を耳から離してその場にへたり込んだ。
覚悟を決めたけど、やっぱりそれは少し不安だった。だから友くんに恋人が居ないと聞いて、物凄く安心した。私の恋は、まだ終わってないって。
『……まあ、あいつなら糞真面目に対応するだろうし、心配無いか』
ぐったりと脱力しながら安堵していると、不意に携帯からぼそりとした裕吾の声が流れる。
「ご、ごめん! 携帯耳から離してた……何か言ったよね?」
『独り言だ気にすんな。ま、一応再会を楽しみにしとくよ。あと、友希には一応伝えないでおく。あいつも大変だしな』
「大変?」
『……もうすぐテストだしな』
「あ、そういう事ね。うん、分かったよ。それじゃあ、またね」
『……お前も色々大変だと思うが、頑張るんだな』
そう言って、裕吾は電話を切った。
なんだか含みのある言い方だったけど……なんだったんだろう? 少し気になったが、それ以上に友くんとの再会が楽しみすぎて、私は興奮を抑えられなかった。
「友くん……やっと、約束を果たせるよ。……早く、会いたいな」
◆◆◆
白場へ帰る事が決まり、ワクワクを抑えられずにその時を待ち続けて数日、とうとう私の白場へ帰る日時が決まった。
私の夏休み前には帰りたいというわがままを聞いてくれて、白場に行くのは6月22日という実に微妙な日にちとなった。でも、少しでも早く帰れるんだという喜びで、さほど気にはならなかった。
そしてその事を椿ちゃん達にもキッチリと伝えた。みんな寂しそうな顔をしながらも、よかったねと私の白場行きを自分の事のように喜んでくれた。
私はそんな彼女達との思い出を出来るだけ多く作る為に、その日が来るまで彼女達と目一杯遊んだ。京都での生活を、最後の最後まで満喫する為に。
そして――6月22日、白場へ帰る当日。私はお昼頃の新幹線に乗る為に、駅へと来ていた。ホームにはお父さんとお母さんだけで無く、なんと椿ちゃん、恵理香ちゃん、斗真君も見送りに来てくれた。
「三人とも……学校は?」
「大切な親友が行っちゃうのに、学校なんか行ってる暇無いっての!」
「本当はいけない事なんだけどね……」
「説教は確実やな。まあ、陽菜ちゃん見送る為やもん。全然かまへんけどな」
「ご、ごめんね私の為に……」
でも、こうして私の為に来てくれた事は素直に嬉しい。やはり、彼女達と別れるのは寂しい。笑顔で別れたくても、目からは涙が流れてしまう。
「泣くんじゃ無いって! 情け無いよ!」
「そういうエリちゃんも泣いてるやん」
「はぁ!? 泣いて無いし! これはその……あくび凄い我慢してるだけだし! つーかあんたも泣いてんじゃん!」
「そりゃ悲しいし、泣くに決まってるやん」
「んなっ!? なんかズルイぞそれ! 私だって……スッゴく悲しいんだからぁ!」
「姉さんったら……桜井さん、向こうでも元気で」
斗真君の言葉に力強く頷いて答えると同時に、ホームに出発のアナウンスが流れる。
「……そろそろ行かないと」
「ううっ……陽菜! 夏休みはゆっくりしてていいけど……冬休みとかは、絶対こっちに遊びに来なさいよ! じゃないと……私の方からそっち行っちゃうんだからね!」
「それ結局会ってるやん……陽菜ちゃん、向こうでも頑張りや。例の友くんとこっち来た時に備えて、旅館の部屋は空けといたるからな」
「桜井さん……君に会えてよかったよ。頑張って……!」
「うん……ありがとうね、みんな!」
「陽菜……和希さん達に迷惑掛けず、しっかりやるんだぞ」
「友希君とも仲良くね。お母さん、応援してるから!」
「ありがとう……じゃあ、行ってくるね!」
涙を拭い、嬉しい気持ちを、感謝の気持ちをみんなに伝える為にとびっきりの笑顔を作りながら、私は新幹線へと乗り込んだ。扉が閉まり、新幹線は動き出す。
何かを叫びながら手を振るみんなの姿はあっという間に見えなくなってしまい、私は悲しい思いと嬉しい思いを感じながら、扉の前から離れた。
それから早まる気持ちを抑えながら、長い間新幹線に揺られ続けた。そして三時間近く経過し、とうとう私は――白場の地に、再び戻ってきた。
「……やっと……戻ったんだ」
駅前の光景を眺めながら、私は空気を思い切り吸い込んだ。なんだか懐かしい味がして、自然と心が安らいだ。
私は帰ってきたんだ……白場に、故郷に、友くんが居る場所に。本当にやっと……再会出来る!
嬉しさと喜びで心が爆発しそうな気持ちを、どうにかして抑えながら、私はキャリーバックを引きずりながら、友くんの家を目指して歩き出した。
見覚えのある店に、初めて見る店。六年近い時が経ち、変化した白場を新鮮な気持ちで見て回っていると、昔はよく友くんと一緒に歩いた住宅街に辿り着く。
自分の記憶と一切変わっていない住宅街をウキウキ気分で歩いていると、私が昔住んでいた家の前に辿り着いた。
「うわぁ、変わってないなぁ……今は、別の人が住んでるんだ……」
本当は中に入ってみたいけど、いきなり知らない人に中を見せてと言うのは流石に失礼なので我慢して、私すぐ近くにあるはずの友くんの家を目指し歩く。
そして以前と変わらない、五分という短い時間を歩くと――私の目の前に、彼の家が姿を見せた。
「着いた……友くんの家だ」
前と何も変わらない。毎日のように見ていた家を前にして、私の口角が自然と上がった。
今はもう学校が終わっている時間帯だ。つまりこの中に、友くんが居る……かもしれない。そう思うと興奮と緊張と高揚感で、心臓がバクバク言った。
高まる気持ちを深呼吸をしてなんとか抑え、身だしなみがちゃんとしているか手鏡で確認してから、私は扉の前に立ち、インターホンを押した。
「はいはーい……」
それから待つ事数十秒、家の中から男の人の声が聞こえ、扉がゆっくりと開いた。
「えっと……どちら様?」
扉の奥から姿を見せたのは、一人の少年。制服と思われる服を着た、黒髪の私と同い年ぐらいの少年。そしてどこか見覚えのある顔立ち――間違え無い、友くんだ。
六年振りに見た彼の姿に、私は思わず思考が止まり、ジッと彼を眺め回した。そしてしばらくして、私の中にある感情が、遅れて湧き上がった。
やっと会えた――その喜びの感情を爆発させ、私は彼の名を叫びながら、彼に抱き付いた。
「友くーん!」
◆◆◆
「うっ……夢……?」
ふと、意識が戻った私は、そう呟きながら瞼を開いた。同時に窓から差し込んだ朝日が視界を覆い、私の目を完全に覚まさせる。
なんだか……とても懐かしい夢を見ていた気がする。白場を引っ越して、京都での寂しくも、楽しかった日々の夢を。
懐かしいなぁ……今でも時々連絡は取ってるけど、元気かな、椿ちゃん達。いつか遊びに行かないとね……じゃないと恵理香ちゃんが拗ねちゃうもんね。
昔の事を思い出し、クスリと笑い声を漏らしながら寝返りを打ち、窓に背を向けると、まだスースーと寝息を立てて寝る、友くんの顔が視界に入り込んだ。
そっか……昨日は誕生日で、一緒に寝たんだっけ。
「フフッ……友くん、気持ちよさそうに寝てるなぁ」
相変わらず可愛い友くんの寝顔をジッと見つめながら、そっと彼の頬をつつく。プニプニとした感触に自然と頬が綻ぶ。
あの時はこんな幸せな毎日を過ごせるなんて思ってなかったな……本当に、頑張ってよかった。あそこで諦めずにいて、本当によかった。
でも……結局、帰ってすぐに恋人になる……なんて事は出来なかったな。
あの時……友くんと再会した時に優香ちゃん達を見て、少し心がチクリとした。彼女達は誰? 友くんとどんな関係なんだって。そして彼女達が友くんを巡って競い合っているという事を聞いた時、心が締め付けられた。恐れてた事が起きていたって。
でもそれを悟らせて友くんに迷惑を掛けちゃいけないって、平気な振りして明るく振る舞ってた。でも内心、凄く不安だった。私の恋は終わっちゃったのかって。
だけどここで諦めちゃ駄目だって、ちょっといじわるだったかもしれないけど、優香ちゃん達の前で私は気持ちを隠さずに友くんを好きだって言い放った。
そしたら、友くんは言ってくれた。私の事も、彼女達と同じ立場で見てくれるって。
それを聞いた時、とっても嬉しかった。私にもまだチャンスがあるんだって。まだ、私の恋は終わってないんだって。
友くんは私の思った通り、真剣に私の思いに答えてくれた。きっと、裕吾もそれを分かってたからあの時に優香ちゃん達の事を言わなかったんだと思う。
「……本当によかった……諦めないで、本当に」
とっても険しくて、困難な道になった。けれど、まだ道は途絶えて無い。だから最後まで頑張るんだ。
もちろん、無理だったとしたら潔く諦める。友くんと、優香ちゃん達の内の誰か、二人の幸せを祈って、遠くから見守ろう。
でも、さらさら友くんの隣を渡すつもりは無い。正々堂々彼女達とぶつかって、私は勝ち取る。私に協力してくれたみんなの気持ちを無駄にしない為に、絶対幸せを掴んでみせる。
だから今日も私は伝えるんだ。彼に私と同じ気持ちが芽生える事を願いながら――私の有りっ丈の愛情を。
「大好きだよ、友くん」
彼の耳元でそっと囁きながら、私は友くんをギュッと抱き締めた。私の愛情が、少しでも彼に伝わるように。
変わらない愛情を抱き続け、彼女はこれからも頑張ります。
今回の過去編を書いてて、陽菜はちょっとだけ友希に依存してる感じがあるなと思った。不安になり過ぎたり、思い悩んだり。
まあ決して病んでるとかそういんじゃ無く、純粋に友希を好きなだけなんだけど。それに実際、不安通り高校卒業した後に戻ったら手遅れだったろうしね。
そんな陽菜の事を客観的に見れた気がする過去編も、無事完結です。
思ったより長く、ちょいシリアスになりましたが、お付き合い頂きありがとうございます。
次回からは、多分明るい日常回に戻ります。
あ、あと京都の三人組のプロフィールを登場人物一覧表に追加するので、気になる人は是非ご確認を。