モテ期と修羅場は同時にやって来るものである   作:藤龍

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サン・アフェクション⑤

 

 

 

 

 

 

 

 椿ちゃんの旅館での楽しいお泊まり会も終わり、家に帰ったその時から、お父さんと約束した私の疑似一人暮らしの期間がとうとう始まった。

 朝起きるのもお母さんに起こしてもらうのでは無く自力で起きて、朝ご飯も自分で作り、慌ただしく学校へ向かう。学校から帰った後も靴下や下着類、汚れた物を自分で洗濯して、自分で片付ける。その後は高校受験の為の勉強に、家事の練習。そして晩ご飯を自分で用意して、食べ終えたら再び勉強して、寝る。それが、私の一日の基本の流れとなった。

 当然それだけで無く、部屋やお風呂の掃除なんかもこまめに行い、自分の身の回りの事は出来る限り自分の力だけでこなした。

 

 今まで家の事はほとんどお母さんに任せっきりで、自分自身では何もやった事が無かったので、最初は本当に何も分からなくて、失敗の連続だった。それに今までやってきていなかった慣れない事に、疲れも異常なほど溜まり、正直すぐに投げ出したいぐらい辛くて苦しい毎日だった。

 

 けれど、ここでめげていたら駄目だ。簡単に諦めてしまったら友くんのところに帰れない。絶対に乗り越えて、友くんと再会するんだ――その一心で、私はこの辛い疑似一人暮らしの日々を過ごした。

 

 辛くて厳しい毎日だったが、それでも決して救いが無かった訳では無い。初めての事の連続に苦労する私に、助け船を出してくれる協力者が沢山居たから。

 普段はお父さんと同じく私の事を黙って見守っているだけだが、私があれこれ悩んでいるとお母さんがお父さんに内緒で助言をくれたり、ほんの少しだけだが手伝ってくれたりした。

 もちろんそれは時々でちょっとした協力だが、その小さな優しさが私の心強い味方になった。

 

 そして椿ちゃん、恵理香ちゃん、斗真君の三人も、定期的に私に協力してくれた。

 家に来て私の家事を手伝ってくれたり、家に招待して私が自宅で仕事をしないくていい状況にして負担が減るように気遣ってくれたり、前のように料理の練習なんかに付き合ってくれたり――自分の時間を捨ててまで私に手を貸してくれた。本当に、彼女達が居なければ、私は早い段階で心が折れてたかもしれない。

 

 

 そして疑似一人暮らしが始まって、あっという間に三ヶ月近く経ったある日。夏休みという貴重な時間さえも気にせず、椿ちゃん達は今日も私の料理練習に付き合ってくれていた。

 

「ど、どうかな?」

 

 場所はまたまた椿ちゃんの旅館の厨房。私が作った肉じゃがを三人が試食してくれるのを、唾を飲みながら見守る。

 

「うーん……ちょっとしょっぱいかな?」

「そうだね……あんまり体には良くない感じかも」

「陽菜ちゃんには悪いけど、これは美味しいとは言えへんかなぁ」

「そっか……また失敗かぁ……」

 

 三人の申し訳無さそうな顔をしながら出したコメントに、肩をガックリと落としながら私は目の前にある肉じゃがを箸で摘み、口に運んだ。

 確かに少ししょっぱいかもしれない。それにジャガイモは固くて、肉はなんだかシンプルに美味しく無い。こんな物をみんなに食べさせてしまった事を心の中で謝罪しながら、捨てるのも勿体無いので箸を進める。

 

「しっかし、陽菜は本当に料理下っ手くそだね」

「姉さん、もっとオブラートに包みなよ……」

「でもエリちゃんの言う通りやで。他の家事は形にはなってきたのに、料理だけ一向に上手くなる気配無いもんなぁ」

 

 そう、この三ヶ月間で私の家事スキルは少なくとも酷いというレベルからは脱したはずだ。時々失敗はするが、それでも粗方の事は一人でこなせるようになった。

 だけど、料理だけは全くもって上手くならないのだ。最高でもなんとか食べれるレベルで、決して美味しくは無い。最低の場合は料理が完成する事すら無い。

 

「ほんま、なんでやろなぁ?」

「もう天性の料理下手って事じゃ無いと説明つかないんじゃない?」

「まあ、レシピはしっかりしてる訳だしね」

「ううっ……でも! ここで諦めて努力を止めたら駄目! 残り半分も無いけど、頑張って料理下手を克服してみせる!」

 

 それぐらい頑張らないと、本当の一人暮らしなんてやって行けない。どうにかしてなんとか普通に美味しい料理の一つや二つ作れるようにならないと、お父さんも認めてくれないはずだから。

 頬を叩いて気合いを入れ直してから、私はシンクの上にある包丁を手に取り、腕を上げようとした――その瞬間、包丁がスルリと手を抜けて床に落ちた。

 

「うわっ!? ちょっと陽菜大丈夫?」

「う、うん……ちょっと力抜けちゃった……」

「……陽菜ちゃん、少し休んだらどうや? 最近、なんだか元気無いで?」

「確かに言われてみれば……慣れない事したり、色々頑張り過ぎて疲れ溜まってんじゃ無いの?」

 

 と、恵理香ちゃんが私の顔を心配そうに覗き込む。

 言われてみれば、ここ最近ちょっと寝不足かもしれない。勉強の方があまり上手くいってないから、夜中に徹夜をして勉強時間を増やしているせいだろうか?

 ……けれど、こんな事で立ち止まってはいられない。私は心配掛けないように笑顔を作りながら、二人に声を掛けた。

 

「そんな事無いよ……最初の方は確かに疲れてたけど、今はもう慣れてきたから大丈夫!」

「……ほなええけど。体壊したらアカンよ?」

「そうそう! 無茶して体壊したら結局戻れないんだからさ!」

「分かってるよ。これぐらい平気だよ。私、元気が取り柄だから!」

「ほんまに平気か? ……ウチ、これから手伝いで抜けるけど、ほどほどにして休みや?」

「あ、私もちょっとトイレ……斗真! 陽菜が無茶しないよう、見張っときなさいよ!」

 

 そう言って、椿ちゃんと恵理香ちゃんは厨房を出て行く。二人の事を手を振って見送った後、私は料理の練習を再開しようと、向き直る。

 

「桜井さん、本当に大丈夫?」

 

 すると、一人残った斗真君が心配そうな顔をこちらに向けてくる。

 

「大丈夫だって! ちょっと疲れちゃっただけだからさ!」

「そう……でも、少しは休んだ方がいいと思うよ?」

「気遣いありがと。でも、今は一秒も無駄にしたく無いんだ」

「それって……?」

「お父さんとの約束の日まで、あと三ヶ月も無い。けれど、私はまだ家事も完璧じゃ無いし、料理もこの様。これじゃあ、きっとお父さんは一人暮らしを認めてくれない。だから、立ち止まっていられない! 少しでも成長しないと!」

「……そんなに、白場に帰りたいんだね?」

「うん! いち早く白場に帰って、友くんに会いたい! その為なら、私はどこまででも頑張れるもん!」

「……そっか。少し、羨ましいな」

 

 不意に、斗真君が寂しそうな笑い声を漏らす。それに私は手を止めて、彼へ顔を向ける。

 

「そんな風に自分の意志で頑張る事が出来るなんて、羨ましい。僕はずっと、姉さんに振り回されるままに生きてきたから。自分の意志で何かをしたいなんて、思った事が無い。だからそうやって目標を持って頑張れる桜井さんが……羨ましい」

「斗真君……なら、目標を今から見つければいいよ!」

「今から……?」

「うん! 私だって、友くんのとこに帰るって目標を昔から持ってた訳じゃ無いんだしさ。何かを頑張るのに、いつからなんて関係無いよ。今からでも、明日からでも、目標見つけて精一杯頑張ろうよ! 誰だって、自分の意志で行動出来るんだからさ!」

「桜井さん……そうだね」

 

 と、斗真君は少し嬉しそうに口元を緩ませ、笑顔を見せる。

 

「僕も何か目標を、やりたい事を見つけて頑張ってみるよ。上手く行くかは分からないけどさ」

「うん! 頑張れ斗真君! まあ、現在その目標達成するのに苦戦してる私が言える事じゃ無いかもだけど……よし! 私もまだまだ頑張るぞ!」

 

 深呼吸をしてリラックスしてから、再度練習を再開しようと、まずは手を洗いに移動しようと右足を前に出したその時――急に体から力が抜けて、そのまま私は四つん這いになりその場へ倒れ込んでしまった。

 

「さ、桜井さん!? 大丈夫!?」

「へ、へーきへーき……ちょっと足もつれちゃっただけだから……」

「そんな事言っても……って、顔凄く赤いよ!?」

「ほえ……?」

 

 斗真君の慌てた声に、私は地面に倒れ込んだままおでこに手を当てる。確かに、少し熱い。それになんだか頭がグワングワン揺れているし、ズキズキ痛む。視界は眩むし、体もダルい。

 

「これ……ちょっとヤバイ……かな?」

 

 そう呟いた次の瞬間に、私の意識は途切れた。

 

 

 ◆◆◆

 

 

 私は倒れた後、すぐに病院に運ばれたらしい。幸い倒れた原因は過労によるただの風邪で、そこまでの大事では無かった。

 とはいえ何があるか分からないので、大事を取って一日入院した後に、私は家へと帰った。家に着いた頃にはスッカリ体力は元に戻り、普通の生活が出来るまでに回復していた。

 でも病院の先生からは最低でも三日間は絶対安静にしていろと言われていたので、私はそれから三日間は家事を一切せずに、自室でジッとしているだけの生活を過ごした。

 

 ここ最近は忙しく、なんでも自分でする生活を送っていたせいか、だんだん何もせずにいるのに飽きてきた三日目のお昼頃、椿ちゃん、恵理香ちゃん、斗真君の三人が私の家にお見舞いに来てくれた。

 

「ごめんな、旅館が忙しくってお見舞い来れんかったわ……」

「僕達も部活の合宿があって……体はもう平気なの?」

「うん! もういっぱい寝たから全然大丈夫! 心配掛けちゃってゴメンね」

「ほんとだよー! あんた倒れた時、私死んじゃうんじゃ無いかって心配したんだから!」

「大げさ過ぎや。でも、ウチらはそれだけ心配したって事やからな。これ以上無茶せんといてな?」

「本当、ゴメンね……」

 

 今思うと、確かに無茶し過ぎてたかもしれない。友くんのところに帰りたいって気持ちが焦りを生んでた……そのせいで、疲れてるのも気にせずにがむしゃらに走り続けてた。時には止まらないと、最後まで保たないって事は分かっていたはずなのにな……

 自分の行動を内心悔やみながら、私はみんなに笑顔を向けた。

 

「これからはこんな事にならないよう、時々休みながら無茶せず頑張るよ! 一回失敗したら、もう大丈夫!」

「そっか……うっし! そんじゃあ私達も協力続けるよ! あんたに無茶させないように、キッチリ見張ってるかんね!」

「せやな。もう一度倒れてなんかあったら、洒落にならんもんな」

「……うん、僕達も全力でサポートするよ」

「みんな……ありがとう!」

 

 うん、大丈夫だ……みんなの協力があれば、今度は失敗せずに出来る。もう時間はあんまり無い。無茶せず、出来る限りの事をやるんだ。

 改めて疑似一人暮らしに向けて気持ちを強く固めたその時、不意に部屋の扉が開き、誰かが部屋の中に入ってくる。

 

「あ、お父さん……」

 

 その人物は、スーツ姿のお父さんだった。仕事が忙しくて最近家で顔を合わせる機会が無かったが、どうしてこんな時間帯に家に居るのだろうと不思議に思っていると、お父さんはその答えを口にしてくれた。

 

「わがままを言って少し長めの昼休みを貰って来た。……お友達か?」

「お、お邪魔してます……」

「……悪いが、今から陽菜と話をしたいんだ。時間も無いから、悪いが席を外してくれるか?」

「は、はい……」

「ほな、ウチらはこれで……陽菜ちゃん、ゆっくり休みや」

「う、うん……ありがとね」

 

 お父さんにぺこりと頭を下げながら、三人は部屋を出て扉を閉める。

 私と二人だけになると、お父さんは私が座るベッドの近くに腰を下ろした。お父さんが放つどこか重苦しい空気に、私は思わず唾を飲んで、お父さんの顔を見つめた。

 

「……体調はどうだ?」

「うん、良くなったよ。もう大丈夫」

「そうか……スマンな、しばらく声すら掛けてやれなくて」

「お父さんお仕事忙しいんだし、仕方無いよ。毎日夜中に帰ってきて、朝早くに出掛けてるもんね」

「ああ……」

 

 そう短く返事をすると、お父さんは下を向いたまましばらく黙る。

 

「……お前がこうなったのは、父さんのせいだな」

「ど、どうして?」

「父さんが出した条件……あれさえなければ、お前は無茶なんてしなかった。お前の事もよく考えず、本当にスマン」

「お父さんが謝る事じゃ無いよ! 体調崩しちゃったのは、私が悪いんだし……」

「……お前がそこまで白場に帰りたいと思っているとはな……やはり、友希君か?」

 

 お父さんの質問に、私は迷わずコクリと頷く。

 

「そうか……お前の気持ちは分かる。父さんも出来れば白場に帰してやりたい……」

「……! じゃあ……」

「だが、やはりそれとこれとは話は別だ。お前に一人暮らしをさせる事は……出来ない」

「……!? どうして!? まだ約束の期間まで三ヶ月残ってるよ!?」

「今回の事でもう決めたんだ。疑似一人暮らしは終わりだ。そしてお前の一人暮らしも許さん。それが、父さんが三ヶ月間お前を見て出した答えだ」

 

 と、お父さんは真剣な目でこちらを見つめながら言った。

 

「……どうして? 料理が下手くそだから? 家事が完璧に出来ないから? それなら残りの三ヶ月間で頑張るから! だから――」

「もう決めた事だ。……自分の体調を管理出来ない奴に、一人暮らしはさせられん」

「そ、それは……それも、これから気を付けるから!」

「……父さんも昔、一人暮らしをしていたんだ」

 

 突然、私の言葉を遮るように、お父さんが語り出した。

 

「父さんも最初は一人でもやって行けるって思っていた。けどな、実際に始めてみるととっても厳しくてシンドイものだった。何もかも一人でやらなきゃ行けないし、学校やバイトだってある。体調管理を気を付けていても、上手く行かない。本当、家族が居る実家に帰りたいと思ったのは一度や二度じゃ無いさ」

「そう、なんだ……」

「父さんはそういう一人暮らしの苦労を知っている。だから、お前には荷が重いってのも分かってるんだ。お前は色々と未熟だと、父親として断言出来る」

「た、確かにそうかもしれない……けど、それでも私は……!」

「分かってくれ!」

 

 今まで静かな口調で話していたお父さんが急に声を荒げ、私は思わず言葉を詰まらせる。

 

「実際の一人暮らしは今よりもずっと辛い。力を貸してくれる人が居ても、結局は一人だ。……それなのに、今の状況で体調を崩して倒れたお前を一人にさせるのは、父親として心配なんだ」

「お父さん……」

「お前の気持ちを尊重したい気持ちもある。だけど、それ以上に父さんと母さんは心配なんだ。未熟なお前を一人にさせるのは。だからせめて、高校を卒業するまで……お前を見守らせてくれ」

「…………」

 

 頭を深く下げてお願いするお父さんの姿を見て、私は何も言えなかった。

 本当はそれでも友くんのところに帰りたいって叫びたかった。けど、お父さんとお母さんに心配も掛けたく無い。

 私だって分かっている。自分は未熟だ。この三ヶ月だって、お母さんや椿ちゃん達の協力が無かったらろくな生活を送れなかっただろう。そんな私が本当に一人暮らしを始めたら、きっと上手く行かず、今日みたいに体調を崩しちゃうだろう。そうなれば、またお父さん達に心配を掛けてしまう。

 

 だから私は……反抗したい気持ちを抑えるように唇を噛みながら、頷く事しか出来なかった。これ以上、誰かに迷惑を、心配を掛けたくないから。

 

 こうして、私の一人暮らしの為の挑戦は――失敗に終わった。

 

 

 

 

 

 

 




 次回、陽菜の過去編完結です。
 当初予定していた五倍はシリアスな話になった……今までも時々ありましたが、ラブコメなのにこういう重い感じの話があって申し訳無い。







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