モテ期と修羅場は同時にやって来るものである   作:藤龍

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サン・アフェクション②

 

 

 

 

 

「……この時季は流石に寒いな……」

 

 今日から十一月、冬の始めと言っても過言では無い季節だ。夜は当然冷える。とはいえしっかり服を着て防寒していれば、大した寒さでも無い。しかし、今の俺は防寒からもっともかけ離れた状態にあった。

 俺の現状は海パン一枚で、ひんやりとした空気が流れる廊下に突っ立っているという、馬鹿げた状態なのだ。どうしてこんな格好をしているかというと、それは俺が裸族な訳でも、馬鹿になった訳でも無い。

 

「友くーん、もういーよー!」

 

 縮こまり、体をさすってなんとか体温を上げていると、後ろの脱衣所の中から陽菜の声が飛んでくる。それに俺はようやくこの状況から解放されると、ホッと息を吐きながら脱衣所の扉を開けて中に入る。

 脱衣所の中には、夏にも何回か使っていた、オレンジ色の水着を着た陽菜が、俺と同じように体をさすっていた。

 

「夜は冷えるねぇ……ごめんね友くん、外で待たせちゃって」

「いいよ別に」

 

 そう、俺が外に居た訳は、彼女が水着に着替えるのを待っていたのだ。そして何故俺達が水着に着替えたかというと――それはつい先ほど決まった、一緒に風呂に入る為だ。

 陽菜は水着は無くてもいいと言っていたが、俺は色んな意味でそうはいかない。この状態なら、まあギリギリオーケーという事で許した。……もし彼女達にバレたら、ただでは済まないだろうが。とはいえ……

 

「えへへ、一緒にお風呂入るの久しぶりだね! なんだかワクワクしてきたよ!」

 

 陽菜はこんな楽しそうにしている。却下して落ち込ませる訳にはいかない。今日は彼女の誕生日だし、気持ちが盛り下がったまま終わらせる訳にはいかない。

 でも、風呂か……別に裸の付き合いな訳でも無いし、何かがある訳でも無いが……

 少し離れた正面に立ち、ザッと陽菜の姿を眺める。いくら水着を着ているとはいえ……いや、むしろ着ているからこそ、彼女の姿は男心を刺激するものになっている。多分女性に飢えている男子がこの状況に居たら、欲望のままに動くだろう。

 俺は幸い……というかそうでないというか、もし欲望のまま動けば、某四名が嫉妬のままに動いてどうなるか分からないので、なんとかブレーキが利いている。陽菜も、彼女達の事を考え変な気は起こさないだろう。

 

 だが、それでも緊張するものは緊張してしまう。浴室は人が四人ぐらい入ってしまえば身動きが取れなくなるほど狭い小部屋だし、そんな空間に二人きりだ。もう考えただけで心臓に悪い。

 昔はこんなドキドキせず、当たり前のようにしていたのに……あの頃は陽菜とこんな風になるとは、思ってもいなかったな――

 

「どしたの? ぼーっとして。寒いし早く入ろ!」

 

 感情や思考が色々こんがらがり、いつの間にか思い出に耽っていたところを、陽菜の声で我に返り、俺は慌てて浴室の扉を開く。

 瞬間、暖かい湯気が一気に俺達の体を包み込み、全身が暖まる。半分ぐらいは緊張からくる暖かさだろうが、それを気にしたらキリが無いのでさっさと中に入る。

 

「……それで、どうするですか?」

「なんで敬語? あ、友くん緊張してるんだね!」

「い、言わなくていい……さっさと済ませて出るぞ!」

「えー、折角だしゆっくりしよ! やりたい事いっぱいあるんだから!」

「や、やりたい事ってなんだよ……?」

 

 陽菜はうーん、と唸りながら下唇に人差し指を当てる。

 

「まずは……頭洗ってあげるよ! 昔よくやったでしょ?」

「……まあ、それぐらいなら」

 

 正直照れ臭いし、「いいよ、自分で洗うから!」と否定したいところだが、陽菜は楽しみにしていたと言わんばかりに眩しい笑顔を見せている。こんな顔を見てはもう何も言えない。

 頭を洗うぐらいならまあ……ギリギリいいだろう。なんだかギリギリのラインが物凄く緩くなっている気がするが、もうここまで来たら引き下がらない。ライン寸前でも受けてやる!

 覚悟を決め、俺は端に置いてあった風呂用の腰掛けに座り、陽菜に背中を向ける。陽菜もシャンプーを取り、俺の髪をシャワーで軽く濡らしたりと準備を進める。

 

 な、なんかさらに緊張してきた……いや、気にするな。そうだ、頭を洗うなんて散髪でもする。俺は髪切りに来たただの客だ――そう何回も自己暗示を繰り返す。

 

「よし! それじゃあやるよ! 痒いとこあったら言ってね!」

「……おう」

 

 短く返事をした直後、泡立った陽菜の両手が俺の頭に触れた。瞬間、頭から全身にむず痒い感覚が走る。変な声が漏れそうになるがなんとか噛み殺し、そのままジッと不動を貫く。

 

「どう? 気持ちいい?」

「……ああ」

「よかった! じゃあもっとやるね!」

 

 陽菜は優しい手付きで、俺の髪をワシャワシャと洗う。彼女の手付きはとても心地良く、このままいつまでも体感していたいぐらいだ。だが、この状況の恥ずかしさが若干勝るので、俺はそろそろ終わりにしてくれと催促した。

 

「そ、そろそろいいかな」

「ん、分かった。じゃあ洗い流すね!」

「そ、それぐらいは自分で……」

「いいのいいの!」

 

 俺が慌てて伸ばした手より先に、陽菜がシャワーベッドを掴み取る。お湯を出し、そのまま俺の頭にそれを持って行く。急に来たシャワーの温水に俺は目と口を閉じる。温水に流れる泡が顔面を通り過ぎる感覚を感じながら、それが収まるのを待つ。

 

「うん、これでよし! もういいよ!」

 

 陽菜の声と共にシャワーが止まり、俺は目を開けて頭を軽く振るう。

 

「……一応、ありがとな」

「どう致しまして! じゃあ、交代ね!」

「こ、交代?」

「今度は友くんが私の髪洗ってよ! いいでしょ?」

「……分かったよ」

 

 最早反論する気も起きず、俺は腰掛けから立ち上がり、交代に陽菜が腰を下ろす。

 先の陽菜と同じように、彼女の髪を軽く濡らし、シャンプーを手に出して泡立てる。

 

「じゃあ……やるぞ?」

「うん……ううっ、なんかドキドキしてきたよ……」

 

 胸に手を当てながら、陽菜が楽しそうに少し跳ね上がった声を出す。湧き上がってくる緊張を押し殺し、俺は泡立った両手で陽菜の頭に触れた。

 

「ひゃっ!」

 

 瞬間に、陽菜はいつもより高いトーンの短い声を上げて、体をピクリと震わせる。

 

「へ、変な声出すなよ!」

「ご、ごめんごめん……思ったよりくすぐったくて……続けてどーぞ!」

「たくっ……」

 

 今の声にさらに鼓動が高鳴ったが、どうにか抑えて彼女の髪を洗う。陽菜の赤茶色の髪は、濡れているにも関わらずとても手触りがよく、洗っているこっちも気持ちよくなった。

 もう遠い記憶だが……昔はこんなにサラサラしてなかった気がするな……あいつはいっつも外で遊んだり、割とガサツな奴だったもんな……こいつも、今じゃ立派な女の子って訳か。

 

「フヘヘ……」

「な、なんだよ急に変な笑い声出して」

「だって気持ちいいんだもん。友くん、昔からこういうのは得意だよねー。毎日お願いしたいよ」

「……余計な事言わないの。ほら、流すぞ」

 

 シャワーベッドを手に取り、温水で陽菜の頭を覆う泡を洗い流す。彼女の長髪にまとわる泡は綺麗に流れ、浴室の排水口へと消える。

 

「ほい、終わったぞ」

「ふぅ……さっぱりしたー! ありがと、友くん!」

「いいよ別に……」

「お、照れてる照れてる! それじゃあ、次は背中洗いっこだ! 今度は友くんからお願いね!」

「はいはい……」

 

 手っ取り早く済ませようと、ささっとスポンジを取り、ボディーソープを垂らして泡立てる。陽菜の真後ろに膝を突き、スポンジで彼女の背中を洗おうと手を伸ばす。――が、スポンジを当てる直前に手を止める。

 その状態で静止したまま、俺はジッと彼女の背中にある、水着の紐を見つめる。

 これ……あんまり強くやり過ずきると、解けたりするのか? ……気を付けてやろう。

 もし紐が解けて水着が脱げたりしたら、それはもう大惨事だ。その事態を避ける為に、紐を避けて洗わんとな……

 

「どしたの?」

「いや、なんでも無い……」

「そう? あ、そうだ! 前は私が洗うから、もう一個スポンジ取って! 友くん、流石に前洗うのは恥ずかしいでしょ?」

 

 と、陽菜は後ろを向きからかうようにニヤリと笑う。

 分かってるなら言うなよ、余計恥ずかしいだろうが……ま、前も洗ってよ! とか言われなくてよかったわ……流石にそれぐらいは分かってくれてたか。

 言われた通りもう一つスポンジを取り、渡す。陽菜はそれを受け取るとすぐにボディーソープを泡立て、自分の腕を洗い始める。それに遅れて、俺も彼女の背中を洗い始める。

 さっきと違い俺の手で直接洗っている訳でも無いので、前より緊張はしない――訳でも無く、彼女の綺麗な背中を直視出来ず、目を逸らし、紐を解かないように弱めの力でスポンジを上下に黙々と動かす。

 

「うーん……友くん、なんだか力弱くない? もっとガシッと洗っていいよ?」

「なんだよガシッとって……汚れは落ちるからいいの!」

「まあいいけどさ……あ、そういえば水着着てると胸とか洗えないな……」

「ぬ、脱ぐとか言うなよ!」

「分かってるよ。けど、そのままはあれだし……いや、このままでもいけるか」

 

 そうボソッと呟くと、陽菜はスポンジを持った手を胸元辺りに持って行く。後ろからでよく見えないが、恐らく陽菜は今スポンジを水着の中に突っ込み、胸を洗っているのだろう。

 

「バッ!? 何やってんだよ!」

「だって、なんか洗わないと嫌じゃん。友くんには見えないからいいでしょ?」

「見えないからって、大胆というか警戒心無さ過ぎだ! 俺目ぇ瞑ってるから、さっさと済ませろ!」

「もー、大げさだなぁ」

 

 お前が気にしなさ過ぎなんだ! そう心の中で叫びながら、俺は目を閉じる。

 

「……終わったからいいよー」

 

 数分後、その声が聞こえたので俺はゆっくり目を開く。視界に泡を洗い流し、しっかりと水着を身に着けた陽菜が映る。

 

「はぁ……お前な、少しは気を付けろ? そんなんだとお前変な男に絡まれんぞ?」

「ムッ、失敬だなぁ! 私は、友くんを信頼してるから自由に振る舞ってるだけ! 友くん以外ならしっかり警戒するよ!」

「その警戒心を俺にも向けてくれ……」

「友くんを警戒する理由なんて無いよ! だって、友くん優しいから私や優香ちゃん達が嫌がるような事しないもん!」

 

 陽菜はお気楽にアハハと笑い、腰掛けから立ち上がる。

 その信頼、嬉しいような、なんというか……複雑な気分だな。

 

「さ、次は友くんの番だよ! ゴッシゴシ洗ったげる! 背中の皮が剥けそうなぐらい!」

「……それはやめろ」

 

 冷静にツッコんでから、交代で腰掛けに座る。俺も前は自分で洗おうと、使っていたスポンジを洗ってから再度泡立てて体を洗い始める。

 

「よっし、私もやるぞー」

 

 直後、陽菜もスポンジを俺の背中に当て、無駄に気合いを込め、全身を使って上下に動かす。その激しい動きに、水着しか支えのない彼女の大きな胸が揺れ動く。俺は慌てて視線を前方に固定して、上半身と足をさっさと洗い、あとはジッと終わるのを待つ。

 多分、これ端から見たらイカン状況だよな……いや、気にしたら負けだ。別にいかがわしい事じゃ無いんだ、俺は悪くない……彼女の願いを聞いただけなのだから。

 

「……フフッ」

 

 脳内で言い訳に近い自己暗示を繰り返していると、不意に陽菜が漏らした笑い声が耳を通り過ぎる。

 

「……なんだよ?」

「ううん、なんか……友くんの背中、大きくなったなーって……なんか、嬉しくって」

「なんでお前が嬉しいんだよ……」

「なんでだろ? 友くんの成長が嬉しい……のかな?」

「……オカンかよ」

 

 陽菜はそれから一分ほど背中をゴシゴシとスポンジで洗い続け、しばらくすると腕を止める。もう満足したと判断した俺は、シャワーで泡を洗い流す。

 

「ふぅ……これで満足か?」

「うん……久しぶりに出来て、なんだか嬉しかった! でも、まだまだこれからだよ! 一緒にお風呂の中に入ろ!」

「い、一緒にか?」

「うん! 無理じゃないでしょ?」

 

 確かに、ウチの浴槽はまあまあ広い。とはいえ、二人入ればかなりぎゅうぎゅう詰めだ。

 

「これが最後だから! ……駄目?」

「……分かったよ」

「やった! それじゃあ、レッツ入浴!」

 

 陽菜は子供のようにはしゃぎながら、お湯がたっぷり溜まった浴槽に入る。俺も少し躊躇しながら、彼女の向かい側に入り込む。湯船の程よい温度が全身を包み込み、一気に力が抜ける。陽菜も脱力したように表情を綻ばせ、そのまま首元まで湯に浸かる。

 

「ふいぃ……極楽極楽……」

「おっさんかよ……」

「おっさんとか女の子に言わない! 友くん、余計な一言多いよ!」

 

 お前が言うなよ……在り来たりなツッコミを心の中で放ち、浴室の縁に頭を乗せる。

 なんだか、この状況に早くも慣れちまったな……ま、昔はよくこうしてたし、それを思い出したのかもな。

 

「ね、友くん。こっち向いて」

「ん?」

 

 急に声を掛けられ、天井を仰ぎ見ていた顔を下ろし、陽菜に向ける。

 直後――突然、俺の顔目掛けて、一筋の水が襲い掛かった。

 

「ぶふっ!?」

「アハハ! 引っ掛かったー!」

「水鉄砲って……子供かよ全く……」

「フフッ、昔もよくこうして遊んだよねー。それで長湯しちゃって、オバサンに怒られたり」

「ああ、そんな事もあったな……」

 

 あの時はやられたらやり返すで、キリが無かったしな……本当、今思うと何が楽しかったんだか。

 

「友くん、やり返さないの?」

「もうガキじゃないからな」

「なーんだ、つまんないなー」

 

 少しガッカリしたように、陽菜が目を瞑って肩を落とす。完全に油断している。その時、俺の中にあるいたずら心が微かに姿を表し、俺はいつの間にか自然と湯船の中で水鉄砲の用意をした。そして――

 

「……そら!」

「へ――むぶっ!?」

 

 勢いよく発射した水鉄砲が、陽菜の顔を襲った。

 

「もー……不意打ちなんてズルいよ!」

「お前が先にやったんだろ?」

「ムムムッ……こうなったら、前みたいに勝負だ!」

「悪いけどパスだ。いつまで経っても終わらないし、テレビあんだろ?」

「むぐぅ……仕方無い、今日は許してあげる!」

 

 ムスッとした顔で湯船に潜り、ブクブクと泡を立てる。しばらくして顔を上げ、天井をポカンと見つめると、陽菜は不意にクスリと微笑む。

 

「どうした?」

「なんか、とっても幸せだなーって……こうしてまた昔みたいに、友くんと一緒にワイワイ出来てさ。私、引っ越した時、もうこんな風に友くんと楽しめないんだって思ってたから……」

 

 引っ越した時の事を思い出したのか、陽菜は物悲しそうに目を細める。

 

「友くん、今日はありがとう。最っ高に楽しかった!」

「……別に、今日はまだ終わってねーだろ」

「アハハ、それもそうだね! 友くん、またいつか一緒にお風呂入ろうね!」

「きょ、今日は誕生日だから特別に付き合ってるだけだ!  あくまで、俺達は友人なんだ! こんな事は、これっきりだ!」

「そうだよね……じゃあさ……」

 

 浴槽の縁から体を離し、俺の方へ身を寄せる。そのまま顔を覗き込み、おっとりと目を細める。

 

「もし結婚したら、一緒に入ろうね? 私、毎日友くんの背中、流してあげるよ!」

 

 ニッコリと、純粋無垢な笑顔を見せる。その言葉と笑顔に、訳も分からず恥ずかしくなった俺は、思わず視線を逸らす。

 湯船に浸かった時よりさらに体が熱くなり、汗が滲み出る。このままでは何かマズイと、慌てて口を開く。

 

「そ、そろそろテレビ始まるな! もう上がるぞ!」

「あ、そうだね! 急ごう急ごう!」

「……お前、先に出て、着替え先に済ませてくれ」

「うん、ありがと」

 

 陽菜はゆっくりと湯船を出て、そのまま脱衣所へ消えた。一人になった俺はふぅ、と息を吐いて、湯船に改めて浸かる。

 とりあえず一線は越えなかった……と思う。やっぱり彼女達にバレたら確実にアウトだろうが、陽菜が楽しんでくれたならそれはそれでいいか。

 

 ――結婚したら、一緒に入ろうね?

 

「……結婚か」

 

 確かに、その内誰かと結婚はするだろう。そうしたら、こんな風に風呂に入ったりするのだろうか? ……なんだか想像出来ないな、彼女達と風呂、なんて。

 

「友くーん、着替え終わったから、先にリビング行ってるねー!」

 

 浴室に陽菜の大声が響き渡り、脱衣所に微かに見えていた陽菜の影が消える。

 それをしっかり確認してから、俺も湯船から出て、脱衣所で着替えをさっさと済ませ、リビングへと向かった。

 

 

 リビングに戻ると、そこにはパジャマに着替え、ソファーに座りチョコレートを食べる陽菜が居た。彼女の横に座り、同じくテーブルの上にあるチョコレートを食べながら、テレビに目を向ける。

 

「もうすぐ始まるね! 友くんは好きなお笑い芸人とかいる?」

「さあ、あんまり無いかな……」

 

 チラリと、番組が始まるのを待つ陽菜へ目を向ける。いつもと違く、髪は結んでいないロング。その髪はしっとりと濡れていて、シャンプーの香りが漂う。パジャマも若干着崩れでいて、正直さっきの水着姿よりドキドキする。

 視覚と嗅覚、二つの感覚を刺激され、思わず陽菜をジッと見ていると、不意に彼女が顔を動かす。

 

「ん? 私の顔に何か付いてる?」

「い、いや別に……」

「ふーん……変な友くん。あ、番組始まるよ!」

 

 時刻が七時を回り、例のお笑い番組が始まった。

 なんか、不思議な感覚だな……いつもと変わらないのに、二人きりってだけでこんなに緊張するなんて……陽菜もそうなのかな?

 なんだか不思議な感情を抱きながら、俺は陽菜と共にテレビ番組を見続けた。

 

 

 それからは特に変わった事も無く、お菓子を食べ、時折くだらない会話を交えながらテレビを見続けるだけの時間を過ごした。陽菜には本当にこんなんでいいのかと、何回か聞いたが、彼女は「これでいーの!」と返すだけだった。

 俺も彼女がそれで満足なら何も言うまいと、黙ってテレビ鑑賞に付き合い続けた。

 

 そして、時刻はいつの間にか夜の十一時。陽菜も見たい番組も全て終わったようで、大きく背伸びをしながらあくびをかいた。

 

「ふわぁ……ずっとはしゃいでたから、もう眠いや……」

「だな……明日学校だし、寝ようか」

「うん……ねぇ、友くん。今日、一緒に寝てもいいかな?」

「……どーせ、いつもみたいに潜り込んでくんだろ。それぐらい許さないほど、心狭くねーよ」

 

 風呂に比べれば大分マシだ。……そう思うのも、色々おかしいがな。

 

 寝る前に、リビングの片付けを軽く済ませ、戸締まり確認をしっかりしてから、自分の部屋に向かう。部屋に入ると、そこにはすでにベッドの上に寝転んだ陽菜が居た。

 

「お前、もう寝てんのかよ……」

「えへへ……もうクッタクタでさ……友くんも早く寝よ!」

「……分かってるよ」

 

 いつも勝手に入ってきて一緒に寝てるが、こっちから入るのは少し緊張するな……

 少し躊躇いながら、部屋の電気を消してから陽菜の横にゆっくりと横たわる。すると、陽菜は急に俺に抱き付き、胸元に顔を埋めた。

 

「い、いきなりやめろよ!」

「いーじゃん、いつもの事なんだから! えへへ、友くんいい匂い……」

 

 力強くギュウッと俺を抱き締め、さらに深く顔を埋める。その最早だんだんと馴染んできた感触に、相変わらず顔が熱くなりながらも、彼女の好きなようにさせた。

 

「……フフッ」

「ひ、陽菜? どうかしたか?」

「私、もう何回も友くんをギュッと抱き締めた事あるのに、今スッゴイ幸せな気分なんだ。それだけ、私は友くんの事好きなんだなって思ったの。だって、好きな人が相手なら、何度経験しても幸せな気分になれるでしょ?」

「……お、俺に聞かれても……困る」

 

 陽菜のどこか大人びた笑みに、思わず目を逸らす。

 

「……私、また友くんに会えてよかったよ」

「陽菜……?」

「引っ越した時さ、もう友くんに会えないんじゃないかって、凄く不安だった。悲しかった、苦しかった。引っ越したあとは、しばらく夜一人で泣いてた」

「お前、そこまで……」

「でも、こうしてまた会えた。友くんの姿、友くんの声、友くんの匂い、友くんの感触……こうやってまた、感じられる。スッゴく、嬉しい」

 

 ほんのり目元に涙を浮かべながら、陽菜はうっすら微笑んだ。

 

「……なんだよ、一生の別れみたいな空気出してさ。……俺とお前が今後どんな関係になろうと、俺達はずっと幼なじみなんだからさ」

「……うん、そうだね……ところで友くんはさ、私と離れ離れになった時……悲しかった?」

「なんだよ急に……どうでもいいだろ……」

「えー、いいじゃん! 教えてよー!」

 

 陽菜は楽しそうにニヤニヤとしながら、顔を近付ける。

 これは答えないとしつこく聞いてくるパターンだと察した俺は、仕方無く彼女の質問に答えを返した。

 

「……まあ、あの時は寂しかったっちゃ寂しかったよ……お前は一番付き合い長い友人だったし。それに、お前音信不通で、どうしてるか分からなかったしさ」

「うっ、それは友くんと話すと、会えないのがより悲しくなっちゃうからで……」

「別に責めてねーよ。気持ちは分からなくも無い。……居なくなってからしばらくは、俺も寂しくはあったさ。……けど、それはすぐに無くなったかな」

 

 そう口にすると、陽菜は俺の服を掴み、ピクリと体を震わせる。

 

「お前には悪いけどさ……あの時は、お前は普通の幼なじみだった。時間が過ぎてく度に、お前の事を考える時間は減った」

「……そりゃそうだよね」

「でも、お前はいつも……俺の事考えてたのか?」

「……うん、もちろんだよ……だって、大好きな人だもん」

 

 と、小さな声を出す。その元気の無い言葉から彼女の悲しさが伝わり、胸が締め付けられる。

 

「友くんは悪く無いよ。連絡もしないでいたし、忘れて当然だよ」

「ごめん……でも、だからこそ、今はお前の事をいつでも考えてる」

「えっ……?」

「も、もちろん、お前だけじゃ無くて、天城達もだ。俺はいつか誰と恋人になる為、誰が好きなのかを、毎日考えてる」

「友くん……」

「その……それで昔、お前の事をすぐに考えずにいた事を許してくれって訳じゃ無いけどさ……今は真剣に、俺を好きって言ってくれるお前の事を考えてるからさ」

 

 恥ずかしさも今は忘れ、ありのままに思っていた事を伝えると、陽菜は嬉しそうに、満面の笑みを浮かべた。

 

「うん、それで満足だよ! やっぱり、友くんは友くんだ! 私の大好きな友くん!」

「そ、そういう事を大声で言うな! 近所迷惑だ!」

「フフッ、ごめん。……でも、やっぱり友くんの中ではまだ私は一人の友人、なんだよね」

「あ、ああ……悪いけどな……まだ、答えを出せずにいる。本当、ごめん……」

「謝らなくていいよ! なら、私がやる事は一つだもん!」

 

 再び、俺の事を力強く抱き締め、陽菜は上目遣いで俺の顔を見つめた。

 

「私が大好きって気持ちを、友くんに伝え続ける! そして友くんに私を好きになってもらえるように、頑張る! 優香ちゃん達に負けないように! 私、みんなと違ってあとからこの競い合いに参加したけど……絶対負けないから! だって、友くんを好きだって気持ちは世界一……ううん、宇宙一だって言えるもん!」

「う、宇宙一って……」

「だから、私は好きだって言い続けるよ。友くんにもそう思ってもらう為に。……大好きだよ、友くん!」

 

 何回も聞いた、大好きという言葉。けど、俺はそれを真正面から受け入れる事が出来ない。それでも、彼女は伝え続けるのだろう。いつか、俺が答えてくれるその時を夢見て。

 本当に、申し訳無い気持ちで押し潰されそうだ……俺は一体いつ、彼女の気持ちに答えられるのだろうか……それとも、裏切ってしまうのだろうか? それを考えると、気が滅入る。

 

「もう、友くん難しい顔してるよ。二人の誕生日、最後まで楽しく行こうよ!」

 

 と、陽菜は俺の考えを感じ取ったのか、明るい声を掛けながら俺の頬をペシペシと優しく叩く。

 

「悪いな……もう寝るか」

「うん。あ、その前に一つ……最後にわがまま……言ってもいい?」

「ん、なんだ?」

「えっと……頭ナデナデしてほしいな……なんて」

「……なんでまたそんな事」

「なんだか、急にしてほしくなったの。いいでしょ?」

「……分かったよ」

 

 彼女の今日最後のわがままを叶える為に、俺はそっと彼女の頭を撫でた。陽菜は嬉しそうにほくそ笑み、そのまま何も言わずに目を閉じた。それから数秒もせずに、彼女はスースーと寝息を立て始めた。

 

「もう寝たのか……早いなオイ……」

 

 陽菜の寝付きの良さに、クスリと笑いが漏れ出る。しばらく彼女の頭を撫で続けてから、そっと手を離し、俺も眠りに付こうとしたその時――

 

「友、くん……絶対、また会いに行くからね……」

 

 ポツリと、陽菜が呟いた言葉が耳に届いた。

 寝言か……また会いに行くって……昔の夢でも見てるのかな。

 

「本当、幸せそうな顔だな……」

 

 陽菜のあまりにも無防備で、そしてとても幸福そうな緩んだ寝顔を見つめる。

 今日は色々あったけど……陽菜が楽しんでくれたなら、それでよかった。彼女が幸せに思ってくれるなら、俺も嬉しい。俺も、なんだかんだ楽しかったしな。

 

「……おやすみ、陽菜」

 

 安らかに眠る彼女に一言告げてから、俺も瞼を閉じる。そこから俺が夢の世界に向かうのに、さほど時間は掛からなかった。

 

 こうして俺と陽菜の、長いようで短かった――誕生日の一日は、静かに終わりを告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 




 特に大きな変化は無かったけれど、幸福なまま終わりを告げた一日。陽菜にとっては、とても幸せな一日です。
 陽菜の誕生日編も、これにて完結です。なんだか二人が完全に夫婦みたいになってますが、別に最終回では無いです。これからも、友希君の苦悩の日々は続きます。


 陽菜の誕生日イベントは一応終わりましたが、彼女の話はもうちょっと続きます。次回をお楽しみに。




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