モテ期と修羅場は同時にやって来るものである   作:藤龍

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猫好きに悪い奴はいない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 月曜日――今日はいよいよ、中間テストの結果発表の日だ。前回同様に全生徒の点数が張り出される、人によっては公開処刑日となる地獄の昼休み、俺は早速結果を見に裕吾、翼、孝司と共に一階の掲示板前に向かった。

 

「はぁ……とうとう来てしまったか、この日が……」

「そう気を落とすなよ孝司。補習頑張れ」

「勝手に決め付けないで! ……まあ、多分補習だろうけどさ」

「ど、どんまい……友希君と裕吾君はどう?」

「俺は前と代わり映え無いだろうな」

「俺も……多分そうかな」

 

 可もなく不可もなくって感じだったしな。赤点よりは数百倍マシだからいいけど。

 三人と適当に駄弁っていると、掲示板前に辿り着く。そこには前回と同じように大勢の生徒が集まっていて、掲示板の周囲を埋め尽くしていた。

 その人混みから聞こえる歓喜の声や悲痛な叫びを傍らで聞いていると、人混みから少し離れた場所に何やら様子がおかしい陽菜の姿が見えた。

 あいつ……何してんだ? 人混みが凄くて入れないのか?

 

「おい、何してんだよ。結果見ないのか?」

「あ、友くん! えっと……何だか結果見るの怖くて、つい躊躇しちゃって……」

「怖くてって……どうせ結果は決まってるんだから、ささっと見て楽になれ」

「わ、分かってるよ……友くんも一緒に見よ? ね?」

「はいはい……」

 

 全く……こんなんで怖がっててどうするんだっての……気持ちは分かるけどさ。

 不安と緊張を全開にする陽菜の背中を押し、人混みを掻き分けて掲示板の前まで移動する。掲示板の正面に着くと、陽菜はオドオドしながら自分の名前を探し出す。それに続いて、俺も自分の名前を探し始める。

 えっと……お、あったあった。順位は……真ん中辺りか。前よりはちょっと上がった程度かな。とりあえず、補習は回避出来ててよかった。

 自分の結果を見つけて一安心しながら、ついでに陽菜や他のみんなの名前を探してみる。

 

 一位は……また夕上か。相変わらず凄いもんだ。そして二位は海子で、三位は天城か。ここは前回と全然変わんないな……裕吾と翼も安定してるし。で、孝司はまた赤点っと。

 ざっと二年の結果を見てみたが、陽菜の名前を見つける事が出来なかった。見逃しだのだろうと、もう一度下の方から順に彼女の名前を探していると――

 

「あったぁ!」

 

 と、隣で急に陽菜が叫ぶ。不意の大声に耳を塞ぎながら、俺は陽菜へ視線を送る。

 

「いきなり叫ぶなよ……あったのか?」

「うん! ここ! これってさ、赤点じゃ無いよね?」

 

 陽菜が興奮気味に指差す先に目を向ける。そこには確かに桜井陽菜の名前が。順位は結構下の方だが……点数はギリギリ赤点より上だ。つまり、補習の回避に見事成功したのだ。

 

「確かに、赤点では無いな……よかったじゃん」

「本当!? うぅ……やったぁ! やったよ友くーん!」

 

 突然、陽菜は大きく腕を広げ、うっすら涙を浮かべながら俺に抱き付く。

 

「ちょっ!? いきなりなんだ……!」

「赤点回避出来たよー! 頑張った甲斐あったよぉ!」

「わ、分かった! 分かったから落ち着け!」

 

 歓喜と興奮が収まらない陽菜をなんとか離し、人混みの中から抜け出す。

 

「はぁ……全く、テンション上がるのは分かるけど、大概にしろよ……」

「ご、こめんつい……でも、これで補習しなくていいんだよね!?」

「まあ……赤点じゃ無かったからな。決していい点数では無い――」

「やっ……たぁ! これで勉強地獄ともおさらばだ!」

 

 駄目だこいつ、赤点回避出来た事が嬉しすぎて話聞いてない……ま、今ぐらいは素直に喜ばせといてやるか。……どーせ期末になったら嫌でも勉強する事になるしな。

 

「ふぅ……安心したら、なんかお腹空いちゃったよ……友くん、お昼一緒に食べよ!」

「はいはい……」

 

 さっきまでテストの結果が不安でオドオドしてのに、それが嘘みたいにテンションが上がった陽菜に少し呆れながら俺は陽菜、そして結果を見終わった裕吾達と昼飯を食べに屋上へ向かった。

 

 ちなみにその昼飯は、陽菜と違い補習を回避出来なかった孝司を、励ましながら食べる事になった。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 放課後――文化祭、中間テストとイベント続きだった日々から、何も無い普通の授業に戻った一日を乗り越えて、俺はさっさと下校した。

 本当ならすぐに家に帰ってゆっくりしたいとこだが、今日は母さんから買い物を頼まれたのでそういう訳には行かず、真っ直ぐ近所のスーパーへ向かった。本当は友香や陽菜も付き添うはずだったが、用事があるとかで俺は一人で買い物をする事になった。

 買い物自体は簡単で荷物も少なくて問題は無いからいいんだが、俺一人に押し付けるというのは如何なものか。……暇だからいいんだけどさ。

 

 

 そんなこんなで俺は一人で寂しく、手っ取り早く買い物を終わらせ、そのまま帰宅しようと家路を歩いた。しかしその途中――

 

「ん? あれって……」

 

 商店街の近くで見覚えのある後ろ姿を見掛け、俺は足を止めた。顔はよく見えないが、ウチの制服にあのポニーテール――間違え無い、あれは海子だ。

 下校時間なんだから外を出歩いているのは不思議では無い。だが、俺の記憶が正しければ彼女の家はこことは反対方向だ。なのに何故彼女はこんなところに居るのだろうか――それが疑問になり、俺は彼女に声を掛けようと後を追ってみた。

 すると直後、海子は不意に近くの建物に足を運び、姿を消した。俺はその建物の前まで走り、顔を上げる。

 海子が入った建物はいくつかの店が集まる五、六階建てぐらいのビル。正直、高校生がこんな時間に来るような店は無さそうに見える。

 

「海子の奴……こんなとこに何の用だ?」

 

 あんまり人のプライベートに足を踏み入れるのは良くない事だろうが、ここで帰るのは少しモヤモヤする。海子には悪いが、少し探らせてもらおう。

 とりあえず、海子が行きそうな店をビルから探してみる。見たところ、三階にカフェがあるみたいだ。行くとしたらそこだろう。

 

「行ってみるか……悪いな、海子」

 

 一応海子になんとなく謝罪をしてから、ビルの中に入る。そのまま階段で三階に上がり、上がった先にあった店の扉を開けて中に入る。同時に――中から喫茶店とは少し違う、獣のような臭いが俺の鼻を刺激した。

 この臭い……猫?

 その臭いを不思議に思いながら、店内を見回してみる。普通の喫茶店とは違った、少し広めなオシャレな内装。そして店内のあちらこちらには、嗅覚が感じ取った通り多くの猫が自由に歩き回っていた。

 ここ……もしかして猫カフェってやつか? 看板チラッとしか見てねーから気付かなかった。

 初めて来る空間に困惑していると、店員さんらしき女性が声を掛けてくる。

 

「いらっしゃいませー。お一人様ですか?」

「えっ? あ、いや、自分はその……」

 

 マズイ……つい入っちゃったけど、どうしよう……海子も居ないみたいだし、大人しく帰っておくか。

 今日の事は明日学校で聞けばいいかと、店員さんに客では無いと告げて店の外へ出ようとしたその時――チラリと窓際に向けた視線の先に、彼女が居た。

 

「可愛いなぁ……にゃんにゃーん」

 

 周りにハートが浮かび上がりそうなほど幸せそうな顔で、膝を抱えてしゃがみ込んで、猫じゃらしを使い猫と戯れる海子が。彼女は普段の雰囲気からは想像出来ないほど、だらしなく顔を綻ばせてにゃんにゃんと甘ったるい言葉を呟いていた。

 ……なんだろう、この見てはいけないものを見てしまった感じ。そういえば海子って可愛いの好きだったな……こういうとこ来るんだな、あいつも。

 しかし、海子もこういう事は知られたく無いだろう。多分俺がここで声を掛けたら彼女は「な、何故ここに居る!?」と言って盛大にテンパるだろう。

 ならば俺がする事はただ一つ――見なかった事にして、そっと立ち去ろう。それが海子の為だ。

 

「俺、客じゃないです。それじゃあ」

 

 店員さんに小声でそう告げてから、店から立ち去ろうと扉に手を掛ける。――その時、不意に店の中を歩き回ってた猫の一匹、全身真っ黒な黒猫が俺の足元に歩み寄ってくる。その黒猫はしばらく俺の足元をクンクンと嗅ぎ回る。

 その様子をなんとなく立ち止まって眺めていると――黒猫は不意に口を開き、ガブリと俺の足に噛み付いた。

 

「イッタイ!」

 

 予想外の不意打ちに、その愛らしい姿からは想像出来ない鋭い牙の威力に思わず声を荒げて飛び跳ねる。

 なんだいきなり噛み付いてきて……俺なんもしてないよ!? 何様だあの黒猫!

 何事も無かったように立ち去る黒猫の後ろ姿を睨み付けていると、ふと別の方向から視線を感じ、そちらへ顔を向けてみる。

 

「……あっ」

「…………」

 

 その視線の正体は、時が止まったようにあんぐりと口を開いてこちらを見つめる海子だった。

 まあ……あれだけ大声上げたら気付くよね、そりゃ。

 この後どうしようか、頭を回して次の行動を考えていると、ようやく時が戻った海子が素早く立ち上がり、こちらを猫じゃらしで指す。

 

「どどど、どうしてお前がここに居るんだ!?」

「あー、いやー、なんと言いますかその……お前の姿見掛けたから、気になって追い掛けちゃっというか……」

「追い……!? いや、それはいい……一つ聞きたい! その……見たか?」

 

 見たか――十中八九、先の海子が猫と戯れていた件についての質問だろう。それに対する俺の答えは、一つだ。

 

「……見ました」

 

 気まずくて少し目を逸らし気味にそう答えると、海子は一気に顔を赤くし、声にならない悲鳴を上げながらその場にしゃがみ込んだ。

 ……やっぱこうなったか。こうなったら、しっかり訳を話すか。

 

 俺は店員さんに「やっぱり客です」と告げてから、顔を隠してしゃがみ込む海子の元に歩み寄り、軽く慰めてやった。それから近くの席に腰を下ろし、俺がここに来た理由――家とは反対方向の場所に居た海子が気になり、悪いと思ったが追い掛けてきたという事を丁寧に告げた。

 

「そ、そうか……そういう事だったか……」

 

 訳を聞いた海子は、ようやく落ち着きを取り戻し、ひと息ついてからこちらを見る。その瞳はまだ少し恥ずかしそうだった。

 

「その……悪かったな、勝手につけたりして」

「いや、別にそれ自体は構わない……気に掛けてくれるのは嬉しい事だ」

「そっか……にしても、海子ってこういうとこ来るんだな」

「わ、悪いか! 別に、よく来る訳では無いぞ! 今日はテストも終わったし、自分へのご褒美で来たというか……」

「悪いとは言ってないよ! 海子が可愛いの好きなのは知ってるし……」

 

 前に水族館行った時もペンギンにメロメロだったしな……猫なんて可愛い動物の代表的存在も当然好きだよな。

 

「でも、あそこまでデレデレするとは、猫好きなんだな」

「うっ……わざわざ掘り返すな! 私だって、羽目を外す事はある! ……お前に見られてるとは思ってもいなかったが……」

 

 海子は先ほどの自分の振る舞いを思い出したのか、再び顔を赤くして目を伏せる。

 

「ま、まあ気にすんなよ……女の子ならあれぐらい普通だよ、うん」

「フォローするな! ……逆に恥ずかしい」

「わ、悪い……俺帰ろうか? 一緒に居たら思う存分楽しめないだろ?」

「そ、そんな事は無い! むしろ……」

 

 そこで言葉を切り、海子はツンツンと人差し指同士をぶつける。

 

「お、お前がよければだが……一緒に楽しまないか? その……前から、こういう場所でお前と楽しみたいなとか……考えてたんだ。も、もちろん嫌なら帰っていいぞ!」

「海子……分かった、こんなんでよければ付き合うよ」

 

 いつか文化祭で付き合ってやれなかった分、何か付き合ってやろうと考えてたし、丁度いい。

 

「そ、そうか! よかった……」

 

 その返答に、海子も嬉しそうに表情を明るくする。こんなんで喜んでくれるなら、こちらも幸いだ。

 

「といっても、猫カフェって何するんだ? 俺全然知らないんだけど……」

「そ、そうだな……基本は猫と戯れて……その楽しみを共有するとか。友希は猫は好きか?」

「うーん……嫌いでは無いけど、俺の方が猫……というか動物に好かれないんだよな」

「そうなのか?」

「ああ。昔はよく近所の犬に吠えられたり、追い掛けられたりしたもんだ」

 

 現にさっきも猫にいきなり噛まれたし。きっと動物に好かれない体質なんだろうな、俺は。

 ちょっと悲しい気持ちになっていると、不意に俺の膝に向かい一匹の三毛猫がピョンと飛び上がり、チョコンと座る。

 

「なんだ、普通に好かれてるじゃないか。友希の勘違いだろう」

「そ、そうか……? 偶然じゃないか?」

「偶然で登ってくるようなものじゃ無いだろう。抱っこでもしてやったらどうだ?」

「お、おう……」

 

 困惑しながら、膝の上に座る猫を抱き、眼前まで持ち上げる。三毛猫はダラリと体を伸ばした状態で、こちらを円らな瞳で真っ直ぐと見つめてくる。

 おお、なんかいい感じ……俺のモテ期は動物にまで影響があるのか?

 と、そんなお気楽な事を考えていると――突然三毛猫は可愛らしい顔を、威嚇するような声を上げながら凶悪な顔に変化させ、俺の顔に強烈な猫パンチを繰り出した。

 

「ギャアァァァァァ!」

 

 突然の不意打ちを繰り出した三毛猫はそのまま地面に着地し、スタスタと歩き姿を消した。

 なんなのいきなり!? 何か気に障る事した!? したとしてもいきなりパンチは無いでしょう! いや、あんなのもはや猫パンチじゃ無いよ、猫スラッシュだよ! ガッツリ爪立ってたよ!

 

「だ、大丈夫か……?」

「な、なんとか……やっぱり俺は動物に好かれないようだ……」

「ぐ、偶然機嫌が悪かっただけだきっと! そう気に病むな!」

 

 海子は必死にフォローをしてくるが、そんな事は無い。現に先の三毛猫は他の客に喉を撫でられ気持ちよさそうにしている。超機嫌がいい証拠だ。

 

「す、すまない友希……どうやらここはお前には合わないようだな……」

「気にすんな……俺の事は気にせず、お前は満足するまで楽しんでくれ」

 

 そう言ってやると、海子は申し訳無さそうにしながら近くの猫と遊び始める。俺はその様子を見守りながら、店内を見回してみる。

 いつの間にか客も増えている。主婦っぽい人から大学生、中には俺達と同じ高校生も居る。……男が一人も居ないのが少し気まずい。

 

「……ん?」

 

 その時ふと、ある事が引っかかり動かしていた視線を止める。その視線の先には、猫と戯れる一人の女子高生。

 あれ、あのセーラー服……最近どっかで見たな。しかもあのキャップからはみ出てる髪……赤くないか?

 セーラー服に赤い髪――最近見た覚えのある組み合わせに、俺はその女子高生の顔を覗き込もうと体を横に倒す。そして視界が女子高生の顔を完全に捉えた瞬間――

 

「あっ……!」

 

 思わず大きめな声を上げてしまう。その女子高生はビックリしたようにピクリと肩を震わせて、ゆっくりとこちらへ目を向ける。そして俺と目が合った瞬間、彼女は驚いたように口を小さく開いたと思うと、さっと目を逸らした。

 あの顔……間違いない、昨日会ったハル先生達の妹さんだ。どうしてこんなとこ居るんだ? しかも、なんか昨日と雰囲気が違うというか……

 

「どうした友希?」

「えっ、あ、いや……」

「どこを見ている? ……女子高生だな」

 

 彼女の姿を見ると、海子はジトッとした目をこちらへ向ける。

 

「いや、そういうんじゃ無いから! その、あの子は昨日会った、ハル先生の妹さんで……」

「叶先生の? 冬花さん以外に居たのか……それで、どうして彼女を不思議そうに見つめていた?」

「見つめてないって……その、なんか昨日と雰囲気違うなーって思っただけだよ……昨日はまんまヤンキーみたいな感じだったからさ……」

「……気になるなら話し掛けてくればいいだろう」

「えっ? そ、そうだな……なんか怒ってない?」

「……お前が他の女子に気を向けていていい気分な訳あるか」

 

 海子はプイッとそっぽを向き、近くの猫を撫で始める。

 

「わ、悪い……でも本当に彼女とはそんなんじゃ無いから……」

「そんなのは分かっている。さっさと聞いてスッキリしてこい」

「お、おう……分かってるよ」

 

 海子には悪いけど、彼女のあの様子が気になるのは確かだ。軽く話を聞いてみよう。

 俺は席を立ち、こちらへ背を向ける彼女の元へ歩く。その背中からは昨日のような迫力を感じられない。さっきの三毛猫の方が怖いぐらいだ。

 彼女に一体何があったのか、疑問を膨らませながら、背後から声を掛ける。

 

「あの――」

「ヒィッ!」

 

 すると、彼女は小さな悲鳴を上げて肩を震わせる。これじゃあまるで俺が不審者みたいだ……というか、本当に彼女どうしたのだろうか。昨日の彼女なら「なんだテメェ!」と怒鳴ってきそうなものだが。

 その様子にさらに疑問が膨れ上がっていると、彼女がゆっくりと振り向き、俺と目を合わせる。その彼女の目は、何故か酷く怯えた様子で、若干涙を浮かべていた。

 

「え、えっと……」

「――友希」

 

 彼女の明らかにおかしい様子に動揺していると、 背後から海子の声が聞こえてくる。

 

「どういう状況か知らんが……女の子を泣かせているのは、いくらお前とはいえ見過ごせないぞ?」

「い、いや別に俺が泣かせた訳じゃ無いぞ! おいお前、昨日そんなんじゃ無かっただろう! どうしたの一体!」

「ヒィ……! ごめんなさぁい……!」

 

 なんで謝んの! マジでどうしちゃったのこの子!

 ビクビクと怯え続ける彼女を見て、海子の視線がさらに痛くなる。俺は慌てて海子と彼女を落ち着かせ、ひとまずゆっくり話をしようと彼女達を近くの席に誘導する。

 

 とりあえず最初は海子に昨日の彼女との出会いを(天城が居た事は隠して)、昨日の彼女はこんな風では無かった事を説明する。すると海子は一応納得してくれたようで、まだ怯えている彼女へ目をやる。

 

「一応事は理解した。だが、聞いた話と彼女の雰囲気は全く違うぞ?」

「そうなんだよな……なあ、本当にどうしたんだ? 何かあった?」

「そ、その……別に、何でも無いです……」

「いや何でも無い事無いだろ。まるで別人じゃないか。……昨日あの後ハル先生達に何されたの?」

「い、色々ありましたけど……別に関係無いです……こ、これが本当の私……なので」

「本当の私?」

 

 どういう事だ……昨日のは偽物って事か? いやそういうのじゃ無いよな。

 無理に聞くのは悪いので、彼女が続きを話してくれるのを黙って待つ。彼女は視線を泳がせ、不安そうに指を忙しなく動かし続ける事数秒、おちょぼ口で話し始める。

 

「き、昨日のあれはその……つ、作ってたんです……」

「つ、作ってた? ……つまり、あれか? わざとヤンキーらしく振る舞ってた……て事?」

 

 その問いか掛けに、彼女はコクリと小さく頷いた。

 マジか……にしても、全然違うじゃないか。昨日は吊り目で堂々とした佇まいだったのに、今日はずっと怯えた目付きで超猫背だぞ。

 

「そ、その……昨日はすみませんでした……関係無いのに巻き込んだり、失礼な口利いたりして……」

「え? べ、別に気にして無いから……!」

 

 だが、この様子を見る限り嘘では無さそうだ。今は演技してるって感じは無い素って感じだし。

 

「えっと……叶さんはさ……」

「あ、夏紀でいいです……むしろそうして下さい。お姉ちゃん達と同じ名字で呼ばれるのは、何だかおこがましいので……あと、さんもいらないです」

「わ、分かった……」

 

 そして凄いネガティブ……本当に同一人物か?

 

「じゃあ……夏紀は、どうしてそんな演技をしてるんだ?」

「……笑いませんか?」

「わ、笑わないよ! な?」

「えっ!? も、もちろんだ……!」

「……強く、なりたいんです」

 

 ぼそりと、夏紀は呟いた。その言葉に、隣の海子がピクリと眉を動かす。

 

「私、昔からこんな風に気の弱い性格で……小学校の頃は、ちょっとしたイジメを受けてたりしてて……」

「そ、そうだったのか……」

「…………」

「でも、ある日あの人を見て、変わりたいって思ったんです」

「あの人?」

「……先代、千鶴さんです。昔偶然、彼女がまだ武零怒の総長だった頃の喧嘩を見て、私もあんな風に強くなりたいって思ったんです」

 

 なるほど……ちょっと目指す方向間違ってる気がするが、分からなくも無い。千鶴さんに憧れを抱きそうな人は多いしな。

 

「だから私、強くなろうって頑張りました。彼女の武器を真似て竹刀を買ったり、解散した武零怒を復活させたりして、強気に振る舞ってみたり――色々努力しました。……けど、全然駄目で」

「駄目?」

「私、武零怒の総長やってますけど、全然喧嘩強くなくって……知り合いが居ないと、こうして弱気な私に戻っちゃうし……お姉ちゃんに怒られたら、すぐ泣いちゃうし……」

「それは仕方無いと思うよ」

 

 しかしそうか……そんな事情があったんだな。燕さんに勝とうしてるのも、自信を付ける為なのかもな。

 

「アハハ……お恥ずかしいところ見せちゃいましたね……私、情け無いですよね……」

「そ、そんな――」

「そんな事は無いぞ」

 

 突然、俺の言葉を遮り海子が夏紀を励ます。

 

「お前は凄い人だよ。……私も同じだから、よく分かる」

「同じ……?」

「私も、お前と同じく昔は弱虫だったよ。引っ込み思案で、イジメられてた」

「そ、そうなんですか……? とっても強そうなのに……」

「私も努力したからな。力を付けて、変わろうと頑張った。けど、性格を根本から変える努力はとても辛く苦しい道だ。そんな道をお前は進もうとしているんだ。情け無くなんか無いさ」

「……! うっ、うぅ……!」

 

 健やかな笑顔を向けながら海子が話していると突然、夏紀が涙をポロポロと流し始める。

 

「ど、どうして泣くんだ……!」

「わ、わだし! そんな言葉初めて言ってもらって……スッゴイうれじぐで……ふえぇぇぇぇぇん!」

「あ、おい……と、友希! なんとかしろ!」

「俺かよ……周りに迷惑だから、泣き止め! 猫も驚いてるぞ!」

「うぅ……はい……」

 

 ズルズルと鼻を啜りながら、夏紀はどうにか泣き止む。

 全く……でも、昨日と違って大分印象変わったな。ただ変わりたいと努力してるだけで、悪い子じゃ無いんだな。……目指すのが不良ってのが惜しいな。

 

「グスッ……! 私、頑張ります! 挫けずに努力して、変わってみせます! 強くなります!」

「ああ、頑張れ」

「……でも、いくら筋トレしても全然力も身に付かないし、強くなるのは無理かなぁ……」

「挫けるの早いだろ……別に喧嘩は強くなくていいんじゃないか?」

「でも! 私が憧れるのは千鶴さん、先代なんです! 喧嘩も強くないと駄目なんです! 太刀凪燕を倒せるぐらい!」

 

 そこは譲れないんだな……でも千鶴さんクラスに強くなるのは無理だと思うけどな……あの人化け物だし。

 

「……もし力を付けたいなら、私がたまに稽古をしてやろうか?」

「え!?」

「こう見えて格闘技の経験はあるし、少しは力になれるかもしれん」

「ど、どうしてそこまで……?」

「何だか、昔の私を見ているようで放っておけないのかもしれない。友人にも格闘馬鹿が居るし、話せば協力してくれると思う。どうだ?」

 

 海子がそっと手を差し出す。それを夏紀はガシッと掴む。

 

「はい! 是非ともお願いします! えっと……」

「海子。雨里海子だ。よろしくな、夏紀」

「はい! よろしくお願いします、海子師匠!」

「し、師匠……と、時々付き合ってやるだけだぞ?」

「はい!」

 

 夏紀は嬉しそうに大声を上げて、ワクワクしたようにニコニコと笑う。

 

「……お人好しだな、海子は」

「お前に言われたくは無い。……昔お前に救ってもらったように、私も誰かの助けになりたいだけだ。私にとっての憧れは、お前だからな」

「あ、憧れって……そんな大層なもんじゃねーよ俺は」

「謙遜するな。私が救われたのは事実なんだからな」

 

 と、海子は微笑みをこちらに向ける。それに俺は思わず視線を逸らし、照れ臭い気持ちを誤魔化す為に頬を掻く。

 

「あの……ところで気になってたんですけど、海子師匠とそちらのお方は……恋人同士なんですか?」

「恋っ……!? いや、それは、その……ま、まあ……後々、そうなるかも……しれん、な」

「そうなんですか……私てっきり昨日の黒髪の人がそうなのかと思ってました」

「……黒髪?」

「は、はい……同じ店で働いてた女の……」

「おまっ……! バッ……!」

 

 慌てて夏紀の口を塞ごうとしたが、時既に遅し。海子はギロリと目を鋭くさせて、こちらを向く。

 

「……彼女と会ったのはバイト中と聞いたが……その女は優香の事か? ……一緒に居たのか?」

「えっと……アハハハッ……」

 

 予想外のタイミングでバレた……仕方が無い、もう隠しきれないか。

 諦めて、俺は海子に天城と一緒にバイトをしている事実を、そしてそれを隠してほしいと天城に言われていた事を告げた。それを聞いた海子は驚いた反応を見せるが、すぐにクスリと笑った。

 

「お、怒らないの……?」

「怒ってはいないが、いい気分では無いな。まあ、お前は悪く無いし、優香の気持ちも分からなくは無い。……私も同じ立場なら、同じ事をしたかもしれんしな。あとで優香に軽い文句を言うぐらいで許してやる」

「そ、そうか……」

 

 海子からお咎めが無い事に安堵しながら、事情をバラした夏紀に目をやる。

 

「ヒィ……! 私、余計な事言っちゃいました……? 許して下さぁい!」

「いや、別に怒ってないよ。結果オーライだったし」

「そ、そうですか……ごめんなさいです……」

「だから謝んなくていいって」

「ヒィィィ! ごめんなさぁい!」

 

 駄目だこりゃ……話題を変えるか。

 

「ところでさ……夏紀はどうしてこんなとこに居るんだ?」

「えっ? それは……単純に猫が好きだから、です……昨日お姉ちゃん達に叱られて、ちょっと元気が無かったから……」

「そ、そうか……」

「猫と遊んでると、触れ合っていると、とっても癒されるんです……特に肉球が一番好きで、触るだけで心が安らいで――」

「分かるぞその気持ち!」

 

 突然、海子が声量を上げて夏紀の声を遮る。

 

「私も肉球が一番好きだ! あのプニプニとした感触……想像しただけで気持ちがいい!」

「わ、分かります! あんな気持ちいい感触この世に無いですよね! 私、いつか肉球の枕で寝るのが夢なんです!」

「分かる、分かるぞ! 私もいつか肉球に囲まれて眠ってみたいものだ……」

「いいですねそれ……でも肉球だけじゃ無くて、耳もフニフニしてて気持ちがいいんですよねー」

「そうだな……私は鼻筋を人差し指で撫でるのが好きで――」

「分かります! 猫の気持ちよさそうな顔が可愛いんですよねぇ! こんな風に猫の事を楽しく話し合える相手、海子師匠で二人目です!」

「私も存分に語れる相手がいなくて寂しかった……思う存分語ろう!」

「はい!」

 

 ……なんか、猫談義で盛り上がってきたな……案外気が合うのかもな、あの二人。意外と似たもの同士だし。まあ、こういう友情の輪が広がるのはいい事だよな。

 新たなる友情が生まれた事を嬉しく思い、二人の様子を傍らで見守っていると、不意に真っ白な猫が俺の膝の上に飛び乗ってくる。

 

「…………肉球ねぇ……」

 

 二人の話を聞いて興味が湧いてきたので、そっと猫の肉球まで手を伸ばす。

 

 ――直後、猫は素早く俺の指先に顔を向け、ガブリと人差し指に噛み付いた。

 

「ギャアァァァァァァァァァァ!!」

 

 彼女達の語る猫の魅力を、俺は一生知る事が出来ないだろう――心の底から、そう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 




 意外な師弟関係が誕生。最近海子のイケメン度が高い気がする。
 本当は気弱な性格の夏紀ちゃん。彼女は作品が違ったらヒロインになっていただろう。

 そんな彼女のプロフィールを登場人物一覧に追加したので、興味ある方は是非。






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