モテ期と修羅場は同時にやって来るものである   作:藤龍

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姉は恐ろしい存在である

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺と陽菜の合同バースデーパーティーが決定した翌日――テスト期間中には丸々休みを貰っていた太刀凪書店のバイトに復帰する事になった俺は、お昼過ぎからせっせと働いていた。

 今まで休んでいた分、とことん千鶴さんにこき使われた。とはいえ今日は客の数が少なく、特に忙しい訳でも無かったので、そこまで辛い作業は無く、割と楽々と仕事に取り組めた。

 

 そしてだんだんと暇が出来始め、シフトが同じだった天城と適当に話しながら店内をなんとなく見て回っていると、突然千鶴さんが俺の前に立ちはだかった。

 それに一瞬説教されるかと思い少し後ずさってしまうが、千鶴さんは木刀に手を添える事は無くそのまま口を開いた。

 

 

「世名、今から数時間ほど店を開けるって三澤に伝えといてくれ」

「えっ? あ、はい」

 

 なんだ……説教じゃ無かったのか。緊張して損した。

 

「あと暇だからってペチャクチャ喋ってんな」

「……すんません」

「あの……何か用事ですか?」

「ただの野暮用だよ。店が暇だから今の内に済ませとこうと思ってな」

 

 暇だからって、自由だな……それが千鶴さんとこの店のいいとこなんだろうけど。

 要件を伝え終えると、千鶴さんは「じゃあ頼んだぞ」と言い残し、俺達の前から立ち去る。それを見送った後、言伝を伝えに行こうとしたところ、店の奥から偶然我が店のバイトリーダー、三澤零司さんがやって来る。

 ナイスタイミング、探す手間が省けたな。……というか零司さんに会ったのなんか久しぶりな気がするな。最近シフトバラバラだったしな。

 

「零司さん、千鶴さんから言伝です。しばらく店を開けるって」

「店長が? 分かったよ。全く、相変わらず自由な人だな……」

「ですね……もう慣れましたけど」

 

 自由奔放という言葉が世界一似合う店長だろうな、あの人は。さらに最近はほぼ毎日機嫌が悪い気がする。最初会った頃はもうちょっと温厚なとこがあった気がするんだけどなぁ……

 千鶴さんの性格はどうにかならんのかと割と真剣に頭を悩ませていると、天城が不意に口を開く。

 

「あの……そういえば一つ聞きたいんですけど……」

「ん? なんだい?」

「その……店長って昔レディースの総長って聞いたんですけど……本当ですか? レディースってその……暴走族の事ですよね?」

 

 ああ、そういえば文化祭の時冬花さんがそんな事言ってたな……鬼鶴やらなんやら。

 

「知ってたんだ……僕も噂で聞いた程度だけど、本当らしいよ。数年前にこの街のワル達を牛耳っていた伝説のレディースチーム――武零怒(ブレイド)の伝説の総長、鬼鶴こと太刀凪千鶴。それが店長だよ」

「ブ、ブレイド……凄そうですね……」

「まあ特に犯罪行為をしたとかじゃ無いだろうから平気だよ。ちょっとその時の影響もあって性格が荒いってだけだから」

 

 それが一番の問題なんだけどなぁ……しかし、なんで千鶴さん暴走族なんかやってたんだ? ……若気の過ちってやつかな? 身近な人なら知ってるかな?

 

「――おーい、鶴姉居るー?」

 

 そんな事を考えていると、入り口の方から大声が飛んでくる。それに振り返ると、入り口の前に燕さんが立ってる姿が見えた。

 

「あれ? どうしたんですか燕さん」

「おお、友希に優香か。鶴姉居ないか?」

「千鶴さんなら……今出てますけど」

「そっか……ならいっか」

「なんか用ですか?」

「いんや、大した用じゃねーよ。ただちょっと金欠気味でな……ここで一日ぐらいバイト出来ねーかなーって……」

 

 と、燕さんは頭をポリポリと掻きながら苦笑いを浮かべる。

 燕さん……またバイトクビになったのか。頼んでも無理そうな気がするけど。

 

「あ、そうだ。ちょっと聞きたいんですけど……燕さんは千鶴さんが昔レディースの総長やってた理由って知ってます?」

「鶴姉が? んー……アタシも理由は聞いた事ねーな……まああれだろ。青春したかったんだろ、鶴姉も」

「そんなもんですかね……」

「そんなもんだろ。じゃ、アタシは帰るわ。鶴姉居ないみたいだし、仕事の邪魔しちゃ悪いからな」

 

 ヒラヒラと右手を振りながら、燕さんは俺達に背を向けて店の外へ出ようとする。その時――

 

「――見つけたぞ! 太刀凪燕!」

 

 突然、店の外から女性と思われる叫び声が店内に響き渡る。

 

「な、なんだ!?」

「この声……はぁ、まーたアイツか」

「し、知ってるんですか?」

「まーな。お前達は気にしなくていーよ」

 

 そう言って、燕さんは若干面倒臭そうに首筋を掻きながら、店の外に出る。

 燕さんには気にしなくていいと言われたが、こんなの気になって仕方が無い。声の正体を知るべく、俺は零司さんに許可を取り、天城と共に燕さんの後を追って外へ出る。

 店の外に出ると、すぐ正面に燕さんがポケットに両手を突っ込んで立ち尽くしていた。そしてそんな彼女の正面に、先の声の主と思われる女性が立っていた。

 真っ赤に染まった長髪に、キツイ吊り目、そして黒いセーラー服に竹刀という色々インパクトが強い、俺と同い年か少し下と思われる少女。その少女は威嚇するように燕さんを睨んでいた。

 

「太刀凪燕! ここで会ったが百年目! 今度こそお前をぶっ潰す!」

「はぁ……お前もしつけーな。いい加減諦めろよ」

「うるせぇ! 武零怒の二代目総長として、テメーには負けらんねーんだよ!」

 

 少女はちょっと可愛さがある声色で、荒っぽい言葉を吐きながら竹刀で燕さんを指す。それに燕さんは珍しく深い溜め息を吐き、髪を掻きむしる。

 

「ぶ、武零怒って確か……」

「ああ、さっき言ってた千鶴さんが総長やってたレディースだ。それの二代目総長って……」

 

 なんだか面倒事に巻き込まれたっぽいなこれ……

 やっぱり気にしない方がよかったかなと、少しだけ後悔し始めていると、その少女がこちらへ視線を向けてくる。

 

「誰だよそいつら。お前の舎弟かなんかか?」

「アタシは舎弟なんて作らねーよ。コイツらは関係ねーから気にすんな」

「フーン……おいお前ら! 怪我したくねーなら下がってろ! 決闘の邪魔だ!」

「け、決闘……?」

「せ、世名君。ここはとりあえず下がっておこうよ……」

 

 と、天城は彼女の迫力に気圧されたのか、少し怯えた様子で俺の服の裾を引っ張る。俺はそれに頷いて答え、天城と一緒に店内に戻り、入り口からこっそりと二人の様子を見守る。

 

「あの子、二代目とか言ってたけど……何なんだろう?」

「さあ……正直何が何だかさっぱり……」

「ああ……彼女、また燕ちゃんに突っかかってるんだね……」

 

 二人を見ながら天城と小声で言葉を交わしていると、店の奥から零司さんが歩み寄ってくる。

 

「零司さん、知ってるんですか?」

「まあね。彼女はさっき言った武零怒の二代目総長。つまりは……店長の後継ぎって感じかな」

「それは……聞いてたからなんとなく分かります。で、またってどういう?」

「彼女、先代の千鶴さんの妹である燕ちゃんによく喧嘩を吹っ掛ける事が多くてね。何回か今みたいに店の前で騒ぎになった事もあるんだよ」

「そ、そうなんですね……どうして喧嘩なんてするんだろう……」

「多分だけど、プライドってやつじゃ無いかな? 知っての通り燕ちゃんは強いしね。先代の妹だし、武零怒の総長には彼女の方が向いてるって、その世界ではよく言われてるみたいだし」

 

 なるほど……だからそんな燕さんを倒して、自分こそがレディースの総長に相応しいって証明したいって感じか……というか零司さん詳しいな。

 その情報を聞き、俺達は再び燕さんと対峙する赤髪の少女――二代目総長へ再び目を向ける。周囲の通行人は皆足を止め彼女達を眺めたり、避けて逃げたりしている。

 しかし彼女はそんな周囲の視線も気にせず、右手の竹刀を力強く振るって燕さんへ言葉を投げ掛ける。

 

「今日こそお前をケチョンケチョンにしてやる! そして先代に、私の事を認めさせてやる!」

「だーかーら、鶴姉は別にアンタの事を認めてねー訳じゃねーと思うぞ? もしそうだとしても、アタシは関係ねーだろ」

「うるせぇ! 先代が私を認めてくれねーのはきっとアンタに勝てないからだ……だからアンタを倒して、私は真の二代目になるんだ!」

「話聞けっての……アタシはアンタと喧嘩する理由なんて――」

「問答無用!」

 

 燕さんの言葉が終わる前に、少女は地面を蹴って走り出した。

 

「はぁ……」

 

 それに燕さんは面倒そうに肩を落としてから、迫り来る少女と向き合う。少女は赤髪を靡かせながら走り、竹刀を両手で握り頭上へ振りかぶる。

 

「覚悟ぉぉぉぉぉ!」

 

 猛々しい叫び声を上げながら、少女は小さく飛び上がり、燕さんへ向けて竹刀を振り下ろす。千鶴さんの木刀の一閃と同じ――とまではいかないが、素早い速度で竹刀が燕さんの脳天に襲い掛かる。

 その一撃は燕さんに激突して激しい音を鳴らせる――そう思われたが、燕さんはそれを数センチほど真横に移動して軽々と回避。竹刀は地面に当たり音を響かせる。

 そして攻撃を外した衝撃で手が痺れたのか、少女は少し涙目で顔をしかめ、そのまま着地する。直後――燕さんはチョイっと右足で彼女の足を払う。

 

「ひゃん!?」

 

 と、綺麗に足払いを食らった少女は可愛らしい悲鳴を上げ、そのままその場に顔面からバンザイをした状態ですっ転ぶ。

 

「えぇ……」

 

 そのあまりにも無様なやられ方に、思わず声が漏れ出る。

 正直に言っちゃ悪いけど……弱いな、あの子。素人の俺でも分かるぞ。

 

「おーい、大丈夫かー?」

「ぐぬぬっ……まだまだぁ!」

 

 しかし、少女はすぐさま立ち上がり、再び燕さんへ竹刀を振り下ろす。燕さんは呆れたように頭を掻き、彼女が振り下ろした竹刀を片手で受け止める。

 

「なっ……!?」

「ちょっと痛いけど我慢しろよぉ……セェイ!」

 

 燕さんは流れるように少女の腕を掴み、そのまま背負い投げを繰り出す。少女の体は軽々と持ち上がり、地面に打ち付けられる。その激しい動きに彼女が身に着けるセーラー服は激しく乱れ、スカートが捲れて中身が露わに――

 

「見ちゃ駄目!」

「ふがしっ!?」

 

 直前、天城が突然両手で俺の目を塞ぎ、視界が暗闇に包み込まれる。

 

「こっの野郎……!」

「しつこいっての!」

「痛っ! まだまだー!」

「怪我するから止めろっての!」

「ぐぅ……! このくらい……!」

 

 その間にも二人の喧嘩は続いているようで、音だけが情報として入り込んでくる。

 一体何が起こってるんだ……多分赤髪の子が燕さんに軽々とあしらわれ続けてるんだろうけど。

 

「あの、天城さん……そろそろ手を……」

「えっ? あ、ごめんね、つい……スパッツ履いてたから、大丈夫……!」

 

 天城は慌てたように声を出しながら、手をそっと離す。しばらく暗闇に包まれていたせいか、少し視界がぼやけていたので軽く擦る。

 天城の手、柔らかかったな……じゃなくて。二人はどうなったんだ?

 定まってきた視界で、二人の姿を捉える。どうやら赤髪の少女はコテンパンにやられたようで、大の字で地面に倒れていて、燕さんはそれを呆れたように腕を組んで見下ろしていた。

 

「結構一方的だったみたいだな……」

「ちょっと見ててかわいそうだね……燕さんも手加減してると思うけど」

「全く……友希君、彼女の怪我を店の奥で手当てするから、手伝ってくれる? 燕ちゃんも付き合ってよ?」

「分かってるよ……はぁ、これだからコイツとは関わりたくねーんだ」

 

 これまた珍しい言葉を口にしながら、燕さんはぐったりと倒れる少女を背負い、店内の奥に向かい歩く。それを俺と天城も追い掛ける。

 

 

 

 裏の従業員室まで彼女を連れて行き、そこで零司さんが救急箱にある物を使って、怪我の手当てを始める。彼女は少しムスッとした顔をしながらも、その手当てを黙って受ける。

 意外と素直なんだな……もっと反抗的かと思った。

 

「これでよし。もうこういった事はしないでくれよ?」

「そーだそーだ。絡まれるアタシの身にもなってくれよな?」

「うっさい! 今度こそあんたをぶっ潰してやるからな! 覚悟しとけ太刀凪燕!」

「ハイハイ。全く……どうしてこうなったんだか」

「……なあ? どうしてそこまで燕さんを倒す事に執着するんだ?」

 

 なんとなく気になったので、彼女に問い掛けてみる。すると、彼女はギロリとこちらを睨み付ける。

 

「なんだお前。あんたに関係あんのか?」

「いや無いけど……少し気になったから」

「……どうせさっきの話聞いてたんだろ? なら分かんだろ?」

 

 さっきの……ああ、千鶴さんが認めてくれないとかなんとか言ってたやつか。

 

「私は一人前になりたいんだ。先代に認められて……そしてこの街で一番強いって言われてる先代の妹、太刀凪燕を倒す事で、私は一人前の女になるんだ! 武零怒の真の二代目として!」

「だから、アタシはそんな大物じゃねーし、鶴姉も認めてねーとかじゃ無いって」

「私がそうしないと気が済まないんだよ! そうしないと、強くなれねー気がすんだ!」

「迷惑だな……アタシは出来れば喧嘩なんてしたくねーんだけどな」

「……どうしてそこまで強くなろうとするんだ?」

 

 と、また頭に浮かんだ疑問を投げ掛けてみると、少女はさらに鋭い目付きでこちらを睨む。

 

「あんたさ……さっきからなんなの? あんたには関係ねーだろ?」

「そうだけどさ……気になったから聞いただけなのに、その言い方は無いだろ」

「フンッ、偉そうに……私はあんたみたいに人の問題にズガズガ入ってくる野郎は嫌いだ。それともなんだ? あんた私に惚れたか?」

「はいっ!? なんでそうなる!?」

 

 唐突な発言に思わず過剰に反応を返してしまう。すると、隣に立っている天城の空気がピリついたものに変わる。

 

「ち、違うよ!? こいつが勝手に言ってるだけだから! お前も冗談でも変な事言わないでお願いだから!」

「なんだいきなり……冗談ぐらいで騒がしいな」

「いいよ世名君。彼女の戯言だって分かってるから」

「お、おう……」

 

 とりあえず天城の機嫌が直った事に安堵していると、赤髪の少女は椅子から立ち上がり、燕さんを指差す。

 

「太刀凪燕! もう一度私と勝負だ!」

「はぁ? またやんのかよ……せめて明日にしろよ……いや明日来ても困るけど。言っちゃ悪いけど、アタシには勝てないって分かってんだろ? 怪我増やすだけだぜ」

「そんな事無い! 今度こそ完膚無きまでに叩きのめしてやる! 表に出ろ! 先代直伝の必殺の一閃、お見舞いしてやる!」

 

「――そんなの直伝した覚え、私は無いがな」

 

 不意に、従業員室の入り口の方から声が聞こえてくる。それに全員が一斉にそちらに顔を向ける。

 

「ち、千鶴さん!? もう戻って来たんですか!?」

「三澤から連絡貰ってな。夏紀(なつき)、私の店で何してんだ?」

「うっ……そ、それは……」

 

 千鶴さんに夏紀と呼ばれた彼女は、さっきまでの強気な姿勢が嘘のように弱気な声を出す。

 

「アンタが何をしようが勝手だけど、私とそこの馬鹿妹には絡むなって言ったろ?」

「うっ……で、でも私は先代に認めてもらいたくて……」

「はぁ……私はもう武零怒とは縁を切ったの。認めてもらうも何も関係無いっての。今のチームだって、アンタが勝手に作っただけ。そうだろ?」

「で、でもそれでも私は憧れの先代に認めてほしくて……」

「あー、分かった分かった。その話はまた今度な。とりあえず……今はコイツと話せ」

 

 千鶴さんが親指で部屋の外を指す。直後、部屋の外から一人の人物が俺達の前に姿を見せる。――メイド服を着た、爽やかな笑顔を浮かべる女性が。

 

「ふ、冬花さん!? どうして……」

「あら世名様、ざっくり二週間ぶりですね」

「ふ、冬花お姉ちゃん……」

「冬花お姉……えぇ!?」

「なんだ聞いてないのか? ソイツは叶夏紀。冬花の妹だよ」

「嘘っ!?」

 

 この子が……冬花さんの妹!? 全然性格違うし、見た目も……いや、言われてみると似てる……のか?

 突然の衝撃事実に俺が困惑している間も、冬花さんとその妹さんの会話は続く。

 

「お、お姉ちゃんどうしてここに……?」

「簡単な事です。千鶴様とお話をしていたら、あなたが千鶴様の妹様とトラブってると聞いたので参上した次第です。それ以外に、何か質問が?」

「あ、えっと……その……」

 

 妹さんは先ほどまでの威勢はスッカリ消え去り、蛇に睨まれた小動物のような怯えた表情を浮かべながら、消え入りそうなか細い声を出す。目には涙が浮かんでる、肩は小刻みに震えてる。正直見ていてかわいそうだ。

 とはいえ、冬花さんに逆らってもいい事無いのは分かり切ってるので、俺は黙ってその様子を天城、零司さんらと見守る。

 

「全く……もう高校生なのに決闘だなんて、姉として少し恥ずかしいですよ。決闘したいならカードゲームでもしたらどうです? 七パックぐらいなら買ってあげますよ?」

「べ、別に決闘したいとか、そういんじゃなくて……ただ強くなりたいだけで……」

「だからといって人様に迷惑をお掛けになるのはいけませんね。お尻ペンペンされたいんですか?」

「ひぃ……! もうあんなのヤダよぉ……」

 

 もうって……された事あんのかよ。しかし、本当にさっきとは別人だな……普通のか弱い女の子じゃないか。お姉ちゃんには頭が上がらないんだろうな。

 だんだんとこの状況に居たたまれなくなりながらも、事が終わるのを待つ。その時――

 

「あ、居た居たー。お待たせしましたー」

 

 外からおっとりとした女性の声が聞こえてくる。その聞き覚えのある声に、妹さんは一気に顔が青ざめる。

 

「は、春菜お姉ちゃん……」

「夏紀ー、聞いたわよ? また喧嘩したんですって? お姉ちゃん喧嘩は駄目よーって何度も言わなかったっけ?」

 

 と、部屋に入ってきたもう一人の姉であるハル先生は、相変わらずの柔らかい口調で声を掛けながら彼女に近寄る。

 ハル先生の口調は怒っているとは思えないほどとても柔らかい――にも関わらず、彼女の顔は冬花さんに怒られた時よりもさらに恐怖を見せる。まるで化け物と出会してしまったように。

 

「もう、どうして何回言っても約束破っちゃうの?」

「だ、だって……」

「だってじゃありません! もう、こうなったらまたお説教ね」

「そ、それだけは勘弁して!」

「駄目よ。今度こそ分かってもらう為に――コッテリとお仕置きよ?」

 

 いつもと変わらない優しい笑顔にも関わらず、どことなく不穏な空気を醸し出すその顔を見た瞬間、妹さんは肩を上下に揺らして涙を流し始める。

 

「ひっく……! ご、ごめんなさぁい……」

「泣いても駄目よー? 夏紀はキッチリとお話しないと聞いてくれないんだから。さあ、お家に帰るわよ」

「ヤダァァァァ! 許してぇ! お説教ヤダァ!」

「わがまま言わないの」

 

 ガシッと彼女の腕を掴み、ハル先生はそのまま部屋の外に向かい足を進める。

 

「千鶴さん、お騒がせしてすみませんねー。それじゃあ世名君、天城さん、また明日学校でー」

「えっ……あ、はい!」

「ま、また明日です……!」

「さあ夏紀、行くわよー」

「ヤァダァ! ふぇぇぇぇぇぇん!」

「……妹がお騒がせしました。それでは皆様、グッバイでございます」

 

 ぺこりと頭を下げ、冬花さんはそっと部屋の扉を閉めた。その後も外からは彼女の悲痛な鳴き声が聞こえ続け、それが消えるまで俺達はその場に呆然と立ち尽くすしかなかった。

 

「なんか……凄かったね」

「ああ……言葉が浮かばない」

 

 色々あり過ぎて頭が追い付けていない……とりあえず分かった事は彼女がハル先生達の妹で、千鶴さんの後継者で、燕さんを敵対視していて……ハル先生は怖いって事か。……色んな情報が一気に来すぎだろ。

 

「はぁ……なんもしてないのになんか疲れた……」

「全くだ……これに懲りてもう喧嘩なんて仕掛けてこなきゃいいんだけどな。ま、とりあえず一件落着だな!」

「――そんな訳ねぇだろゴラァ」

 

 ガンッ! と、突然とてつもない音が鳴り響く。それは千鶴さんの木刀がロッカーに激突した音で、その数センチ真横に居た燕さんはタラリと汗を垂らして顔を引きつらせる。

 

「お前もこれからミッチリ説教だかんな? ケツ引っ叩くぐらいで済むと思うなよ」

「えっ……いや、今回アタシ悪くなくね!? だって喧嘩吹っ掛けてきたの相手だし……」

「その喧嘩買ってる時点で問題なんだよ」

「こ、こっちだって好きで買ってる訳じゃ――」

「黙れ」

 

 ガシッと千鶴さんは燕さんの襟首を掴み、部屋の外に向かい歩き出す。

 

「三澤、この愚妹を説教しにまた店開ける。適当に頼む」

「……分かりました」

「えっ、ちょっ、嘘……マジで!? アタシ悪くないって!」

「黙れ。テメェらのいざこざで騒ぎ起こすの何回目だ。今後の為に今回はとことんお話だ」

「絶対お話じゃ済まないでしょ!? 止め……アァァァァァァァァ!!」

 

 燕さんの悲痛な叫び声は、二人が部屋を出てからもしばらく響き続けた。その悲鳴が消えるまで俺達は、再び呆然と立ち尽くした。

 

「……まさに……鬼だね」

「……だな」

 

 あんな先代を越えるのは、相当大変だな。とりあえず……俺の周りの女性、怖い。

 

 

 

 結局それから働いている間に千鶴さんが帰ってくる事は無く、燕さんと、ついでにあの二代目の安否が少し心配になりながら、俺は帰宅したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 




 ついに登場、叶姉妹三人目。友希の周囲の世間は本当に狭い。ちなみに彼女が新ヒロインになる予定はございません。ただの賑やかしのサブキャラです。
 恐らく今後も作者の悪い癖でサブキャラがどんどん増えてしまうと思いますが、とりあえず頭の片隅辺りに記憶しといて下さいな。

 最近は叶姉妹を書いている時が一番生き生きしている気がする。






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