神父と聖杯戦争   作:サイトー

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 薔薇のマリア19巻読みました。もう一度、一巻から読み直したくなりました。


51.発火する皿の上で

「いやはや。危なかったですね、エルナ殿。

 あの亡霊兵団から逃げ切る為とはいえ、囮にあの手札を切ったのは痛かったですね。気配遮断と視界遮断の効果を持つ煙幕と遮音の術だけでは欺けかったですが、私が使い魔の使用に優れている事が露見してしまいました。アレはアレで程良い亡霊なのでしたが……まぁ、使い道はまだあります。何体か殺されてしまいましたが、回収自体は成功していますし。

 しかし、不愉快なことに、ライダーの組以外にも見られてしまいました。私が使用する神秘の傾向も知られてしまいましたね、絶対」

 

 それは愚痴であった。現状を整理する為、敢えて言葉にしているのだが、聞いている者からすれば弱音に近い響きがある。そんな事はキャスターも分かっていたが、かなり無鉄砲なマスターに言いたい事は一つだけでは足りないのだ。折角苦労して捕えた良質な怨霊も早速使ってしまったのであれば、苦言も言いたくもなる。確かにあの奇襲は正解であったものの、他人の苦労を湯水の如く消費するのは、色々と黒いモノがたまってしまうのだ。

 まぁ、本拠地の城に着くまで暇な為、キャスターは後部座席から運転席に座る自分のマスターに愚痴を溢す程度は許されると勝手に納得した。それに自動車は乗り物酔いが酷いので、違う事に集中していのもあった。

 

「ぼやくなってキャスター。そんな事言えばさ、私も相当危ない状況なんだぜ。

 概念武装であるクノッヘンも見せてしまったし、後の切り札は城に残してある礼装くらいだ。だろ、ツェリ?」

 

 運転席に座るエルナは軽佻でお気楽な雰囲気だ。ばれた事を微塵も気にしていない……と言うよりも、別段その事を重点に置いていない。それよりも、ライダーの能力を知れた事を考えれば利点の方が高い。

 

「そうですね。エルナ様の言う通りです。……しかし、監視者の存在が痛いですね」

 

 四肢の一つが切れた筈のツェリだが命に別状は無い。血も流れていなければ、顔色にも変化が無い。それもその筈、腕の断面から流血をしていなかった。それは騎士に斬られた瞬間からであり、彼女は腕を切られても血を流さない生き物なのだ。

 ……もっとも、それはアインツベルン製の人造人間(ホムンクルス)だからではない。このメイドの四肢は初めから、“生まれながら”のモノでは無かった。

 

「アーチャーに加えて、恐らくはアサシンとアヴェンジャー。それに偵察に来ていたランサーの視線も感じました。また、バーサーカーのマスターも見てましたし……確か、貴女の親戚でもある衛宮士郎なる者もですかね?」

 

 既に冬木市全体がキャスターのテリトリーに近い。誰が何処で自分達を見ているのか、何て事は簡単に察知出来た。しかし、気配を隠されると漠然とした感知だけとなり、更に言えばアサシン程になればまず無理だ。アヴェンジャーも相当な技量を持っている為、アサシン同様に察知はほぼ不可能。

 ……本来ならば、そうであっただろう。

 だが、その不可能を可能にしてこそ魔術師の英霊。

 卓越した術の行使は、そう言った無理を道理と理論で押し通す。確かに何処に居るかは分からぬが、その監視網程度ならば看破しつつあった。

 

「……ああ、衛宮士郎ね。そいつとはそれなりに因縁がある。あの正義の味方を聖杯戦争でブッタ斬れるとなりゃ、幕切れの余韻も一味違いそうだぜ」

 

 猟奇的で、狂気に満ちている。エルナからすれば、前回の聖杯戦争の生き残りと言う意味以外にも彼には価値があった。運転にぶれが無いので理性的な思考で落ち着いている事が分かるが、内側が粘つく様に煮え滾っているのは見れば簡単に分かった。

 

「ヒヒヒ。アレヲ斬リ殺スノハ至難ダゼ、ゴ主人」

 

「んな事は分かってる。それでも、やりたい事はしてみたくなるのさ」

 

 助手席に座るメイドにとって、主たるエルナスフィールが持つこの執着心は如何ともし難かった。そして、エルナの武器であるクノッヘンからすれば、剣として人を斬り殺せる大義名分でしか無かった。

 

「エルナ様、それは余分です。今は敵の一人に過ぎません」

 

「無理だ。そんな風に考えるのは不可能だし、無駄に決まってる。

 死んだ筈のイリヤスフィール・フォン・アインツベルンが生きてアインツベルンに戻って来たのなら兎も角よ。前回の聖杯戦争に勝った男に加えて、裏切った衛宮切嗣が育てた正義の味方だぞ?

 ―――勿論、殺すさ。

 嗚呼、出来るならこの手で直接―――……って、考えちまうのさ」

 

「深いですね、良い憤怒です」

 

 人間と言う生き物はこうであった。伝承の世界で生きていたキャスターの生前は生者も死者も皆が皆、呪われており、呪っていた。自分の感情に自分自身が呪われて、その呪詛が裡から漏れ出すのだ。

 

「是非、殺シテクレ。出来タラコノ刃デナ」

 

「何故、アナタ達二人はそうやって煽るのですか?

 少しは仕える者としての自覚を持って欲しいです。エルナ様も見極めは慎重にして頂きたいです」

 

「おいおい。幾らなんでも心配し過ぎだ。そりゃ義務感から来るハリボテな感情もあるし、身内殺しは禁忌さ。その所為で目が曇ってしまう事もあるかもしれん。死に酔って戦争を愉しみ過ぎるかもしれない。

 でも、殺意の向け方を間違える程―――私が我を忘れる事なんて無い」

 

「熱い狂気に冷徹な思考。この二つを同時に持てるのでしたら、なんて素晴らしい決意なのでしょうか。マスターが素晴しい決意を抱いているとなれば、サーヴァントたる私も働き甲斐が湧いてきます

 ですが……」

 

 もう冬木の郊外に車を進めた。道路の周りは森であり、ガードレールの向こう側は崖になっている。信号もなければ車が通るのも少ないからか、彼女はアクセルを思いっ切り入れている。対向車線から車が来ていようとも速度を中々緩めず、前に車があればあっさりと追い抜かしていた。

 

「……その、エルナ殿―――少し速くありません?」

 

 それに耐えられない男が一人。会話で誤魔化していたが、もう無理そうだ。暴走特急にも程があります、と彼は心の中だけで毒を吐く。

 

「酔いましたか? それでしたらエルナ様、速度を遅くして上げましょう」

 

「そうだな。……キャスターに潰れられると困るもんな。

 ―――けれど、断るぜ。

 とっとと体を洗いたいんだ。風呂入ってさっぱりしたい。後、折角買った車も血が染み込む前に綺麗にしたいしな」

 

 エルナは個人的な理由で急いで帰っていたが、キャスターはきつそうだった。

 

「……確かに。女性として身嗜みは重要です」

 

「ソリャソウダ! ゴ主人モソウダガ、オ母上ハ特ニ見タ目程度シカ良イ部分ナニシナ。ダッタラ綺麗ニシトカント」

 

「黙りなさい、クノッヘン」

 

 メイドにも裏切られ、彼は優雅な仕草でやれやれと首を振る。また、キャスターと一緒に後部座席に置かれている魔剣は悪辣にエルナとツェリを弄りつつ、キャスターに引導を渡す様な台詞を吐いた。常に生真面目で余裕を保つキャスターがここまで面白可笑しく追い詰められていると、隣に居るクノッヘンとしては実に愉快だ。

 

「―――ふぅ。

 少し……窓を開けさせて貰いますね? ……う」

 

 そんな風に儚い笑みを浮かべた後、口元を手で押さえた。そして顔色最悪なキャスターと、彼の隣に置かれているクノッヘンに悲劇が起きた。

 

「チョ……オイ、オマ―――待テ! ギィアアアアアアア!!」

 

 この後、何が起きたのか……間に合ったのかどうかは、別段如何でも良い事である。

 

 

◇◇◇

 

 今の衛宮邸は正直な話、かなり賑わっていた。まるで九年前に戻った様な雰囲気に包まれていた。なにせ、数年ぶりに家主が戻って来たのだ。それに加えて、昔馴染みの者は何人も集まっていた。

 今は疎らとしているも、数時間前まで居間には大人数がテーブルを囲んでいた。

 セイバーとアーチャー。そのマスターである衛宮士郎と遠坂凛。そして、この家に住まうイリヤスフィールと、メイドであるセラとリズ。また、藤村大河と間桐桜も大賑わいな夕飯に参加していた。流石にカレンは監督稼業が忙しく衛宮邸には寄らず、沙条綾香も聖杯戦争が始まった事で家に引き籠っていた。

 

「―――それじゃ、士郎。私はもう帰るわねぇ~。久しぶりに沢山話せて良かったわ!」

 

 お別れの挨拶もそこそこに。大河は最後にと、衛宮邸の主達に視線を向けた。もう他の人とさようならは済ませていた。

 

「ああ。またな、藤ねぇ」

 

 別れを告げた。藤村大河、三十路を越えた高校教師。今ではイリヤの同僚であり、職場の先輩である。弟分である士郎は彼女の幸せを願うが、それが届く事はきっとないのだろう……色々な意味で。

 

「それじゃ、イリヤちゃんもまた明日ね!」

 

「ええ。また明日、大河」

 

 衛宮切嗣の実子と養子、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンと衛宮士郎が並んで見送りを行っていた。大河にとって感慨深い二人組であり、並んで笑みを浮かべるイリヤと士郎を見れば、この衛宮切嗣が住んでいた家が暖かいものに感じられた。

 それに後ろには昔から衛宮の家に通う桜と、士郎と良い仲の凛も居る。とんでもない綺麗どころを集めたハーレム屋敷となっている事を嘆きつつも、まぁ切嗣さんの子なら仕方ないかも知れない、と言う諦観を認めつつあった。

 士郎も此処に落ち着けば良いのに、と何度も思った。しかし、自分も含めて士郎が海外で働いている事にもう苦言は漏らさない。説得は行って失敗に終わったのだ。心配はしているのだが、こうしてまた姿を見れたのならば贅沢は言わないでおこう。

 そんな風に哀愁を漂わせていたが、別れは別れだ。

 また会えるのだからと、彼女は笑みを浮かべて玄関から出て行った。

 

「……少しだけ寂しそうだったわ、大河。士郎が帰ってきても、直ぐに出て行っちゃうからかしらね?」

 

「すまない、イリヤ」

 

「いいわよ別に。こうして、また会えんだから」

 

 元々士郎セイバーの召喚だけ行った後、直ぐにでも衛宮邸を出て行く予定だった。戦争に家族を巻き込む気など欠片も無く、命を狙われる自分が居ては迷惑にも程がある。

 ……だが、彼はこの場に居る。

 イリヤに誘われ、戦争が行われる前の昼間の間だけならば、と会いに来たのだ。今はもう夕方を越えて夜になっているが、まだ流石に殺し合いが行われる時間帯では無い。士郎は数時間もすれば敵を捜しに、あるいは殺す為に出て行くつもりであった。

 

「それに我が儘も聞いてくれたし、姉として弟に言うべき文句はないわ」

 

「この位のこと、我が儘に入らないさ」

 

 士郎にとってイリヤは大事な家族であり、今となっては藤村大河と同列の存在。血の繋がりが無いからこそ、衛宮切嗣の娘ならば何が何でも守らねばならない。こんな下らない戦争に巻き込む訳にもいかないが、恐らく前回の聖杯だと知られていれば巻き込まれてしまうに違いない。

 ……最大の敵は、アインツベルン。

 もし彼らにイリヤスフィールの存命が知られていれば、必ず何かしらのアプローチがある。そして、キャスターを召喚したのがアインツベルンだとすれば、その圧倒的な索敵能力で既に見つかっている可能性が高かった。

 彼らが召喚したのがあの規格外の大魔術を平然と使うキャスターとなれば、最悪のパターンを幾つも想定する事が出来る。アインツベルンがキャスターを召喚した言う確証も、先程遠距離から観察したライダーとの遭遇戦で得る事が出来た。

 ならば、次の手はもう決まり切っている。

 

「―――士郎?」

 

 ふと、彼の意識が表に上がって来た。隣のイリヤに名前を呼ばれ、彼女の方を向いた。身長に差がある為、下から見上げられている。

 不安そうな表情。

 心配する姉の姿。

 それは自分が彼女にさせたくないものであった。

 

「何でも無い。イリヤは気にしなくて良い」

 

 そんな風に玄関から歩きながら居間に戻れば、居るのは桜とセイバーだけであった。どうやら凛は既に出て行った後らしい。大貴族のメイドから立派に衛宮邸居候にジョブチェンジしていたセラとリズも、居間から出て行っているようだ。

 

「はい、これ。セイバーさんに上げますね。このお煎餅、最近のお気に入りなんですよね。間桐の家に今住んでいる人が、良くこれを食べているんです。無断で持って来ちゃいました。

 それに家の亜璃紗も私と同じで、このお煎餅気に入ってるんです。もう一人の方は辛党過ぎて、味覚馬鹿なので全然駄目なんですけど」

 

 桜が衛宮邸に持って来ていたお菓子を、セイバーは受け取った。その表情はとても輝いていて、そしてセイバーに煎餅を渡す桜はまるで愛玩動物を愛でる飼い主みたいに微笑んでいる。

 ……後、今は夕飯後である。

 セイバーは誰よりも多く飯を食べていた筈だが、それでも足りないようであった。

 

「おお。確かに、とても良いものです。醤油の香ばしさが食欲を誘います」

 

「ふふ。でしょう? あの人、料理は壊滅的なんですけど、こう言ったお手軽なモノに対して良い目利きを持ってるんですよね。

 亜璃紗もあれはあれで、中々に気に入っているようですし」

 

「……成る程」

 

 つまり、もしかしなくても、自分と同じ人種なのですね。とは、思ってもセイバーは口に出さなかった。自分で作れはしないが、中々の食道楽なのでしょうと少しだけ共感を覚えた。

 

「ああ。それはそうと、その間桐に居座っている人物とはどんな人なのでしょうか?」

 

「―――勿論、聖杯戦争の関係者ですよ」

 

 変わらない笑顔ではっきりと桜は断言した。今この衛宮邸に居る者は全員が聖杯戦争の関係者故に、神秘の漏洩に問題は無い。しかし、その戦争の参加者たるセイバーの前でその話が出来る桜は、何処かしらズレていた。

 

「それは、どういう……?」

 

「今回の聖杯戦争、御三家の間桐家は令呪習得に失敗しました。まぁ、私は英霊を召喚する理由も有りませんし、聖杯を勝ち取る気もありませんから。これはこれで都合が良いのです。しかし、今の冬木市は戦場ですので、その対策と言った雰囲気ですかね。

 少しだけの間、専門の人に家の守りを頼んでいるのです。ほら……私の家には亜璃紗も居ますし、親として心配で」

 

「そうなると、その人物は魔術師となるのですか。随分と思いきった事を考えましたね、桜」

 

「ええ。少しお金も掛かりましたし、魔術師は信用も出来ない人種ですから危険ではあります。ですけど、知り合いが良く知るフリーランスでしたし、今は友人としてそれなりの関係でありますので大丈夫でした」

 

「ほう。それは当たり籤でしたね。私が知るフリーランスの魔術師は、それはもう外道の中のド外道でした。

 ……そもそも、生前から魔術師と言う人種からは結構酷い目に合いましたから」

 

 セイバーが遠くを見る虚ろな目で呟く。特にとある女性に監禁された魔法使いとか、大人げなく悪戯を仕掛けてくる。何度斬りたくなった事やらと気を遠い昔へ送ってしまう。

 そして、あの人でなしな元マスター。

 今はそれなりの人物評価を下しているものの、許すかどうかはまた別の話。苦手なモノは結局、どう足掻いても苦手なのだ。死んでもそれは変わらないらしい。

 

「―――ええ。それは良く分かります。

 時計塔に行った私も、あの業突く張りな偏屈集団は実に厄介でした……と、あら。先輩、藤村先生のお見送り御苦労さまです」

 

「シロウ。お疲れ様です」

 

 この二人と今は居ない凛やセラとリズは、イリヤと士郎に気を使って大河の見送りを譲っていた。あの三人は色々と特別な繋がりを持ち、三人っきりにして上げる時間が必要だと判断していた。故に、彼女の見送りは二人に任せた訳であった。

 

「―――あれ、皆また集まってるの?」

 

 其処に凛も加わった。士郎とイリヤの後ろからひょっこり顔を出し、居間のセイバーと桜に視線を送った。

 

「うーん。アーチャーが見当たらないわね」

 

「念話で呼べばいいじゃない?」

 

「つまらないじゃない、それじゃ。一度くらいあのサーヴァントを驚かせたいの」

 

 ニシシと擬音が付きそうなシャチ猫みたいな笑み。こう言った悪戯好きな部分は幼少の頃より変わらないらしい。この場に幼馴染な麻婆神父がいれば、一緒に悪乗りしていた事だろう。

 

「仲が良いのか悪いのか、全然わからないわね。

 ……兎も角、それはそうと凛。貴女、今回もまたアーチャーのマスターに選ばれたのね」

 

「そうよ、イリヤ。けれど貴女は今回、参戦しないのね」

 

「当然でしょ。しても何の利益も無いし、したところで足手纏いだわ。わざわざ殺される為に命を掛けるなんて、私らしくない。

 それに――――――」

 

 イリヤスフィールは元聖杯だ。聖杯であるが故に、そもそも戦争に参加する大義もなければ、命を賭する意義も無い。士郎や凛の協力をしても、サーヴァントと契約したいとは思えなかった。自分のサーヴァントはあの時の、あのバーサーカーだけで十分だった。それに自分が契約するよりも、サポートに回った方が利点は多く、逆に足手纏いになる可能性の方が高かった。

 

「―――そもそも私、令呪は出て来なかったから」

 

 全身に刻まれた令呪は前回の物。もはやサーヴァントを召喚する資格が彼女には無かったのだ。

 

「ある意味幸運なんでしょうね。私も余り参戦する意味も無いし、魔術師としての大義も少ない」

 

「士郎が心配なだけでしょ。相変わらず天邪鬼ね。

 少し前まではかなり甘え上手だったのに、置いて行かれてから昔に戻ったみたい。色々と懐かしいわ」

 

 士郎と戦場を共にしていた凛。だが、イリヤが言ったように置いて行かれた。それ以来、関係がギスギスしている。士郎も仕方なかったとはいえ、相当の罪悪感を凛に抱いていた。そして、凛からすればその罪悪感と言うものが不愉快なのだ。

 

「ですってよ。衛宮君、貴方から言う事もあるんじゃないかしら? 是非、聞きたいわ」

 

「いや……だから、あの時は私が悪かった。しかし、あれはあれで仕方なかった」

 

「良く言うわ。綾子が居なかったら、アーチャーみたいに処刑されてたのよ?」

 

「―――……ああ。確かに、そうだな」

 

「……まぁ、今はもう良いんだけど」

 

 まだ突っ込んだ話は辞めておいた。それに、こんな場所でする話では無い。今は巧い具合に話題を逃げられているが、ゆっくりと話せる状況になった時に決着をつけようと凛は決意する。

 

「その話は、この面倒事がある程度片付いてからにしましょう」

 

 やれやれ、と首を振る。天上天下唯我独尊の化身とは言え、あかいあくまは場の空気が読める。桜とセイバー、そしてイリヤスフィールが居る場所で、自分達だけの話をするのは主義に反した。

 

「―――凛。貴女は確か、アーチャーを捜しているのでしたね?」

 

「うん? ええ、そうよ」

 

「でしたら、上に居ますよ。屋根の上で見張りをしています」

 

「……本当? 別にそんなこと、アーチャーに頼んでいないんだけど……」

 

「そうなのですか?

 私が見張りの交換を提案したのですが、彼女に構わないと断れました。なので、てっきり凛がアーチャーに頼んだ仕事だと思ったのですが。……後、今の私もそうですが、彼女もサーヴァント特有の気配をある程度遮断しています。見つからないのも仕方が無いかと」

 

「分かったわ。ありがとう、セイバー」

 

 上ねぇ……、と疲れたように呟いて、凛は玄関へ向かった。縁側から直接外に出ても良いが、靴下を汚す趣味は無い。

 寒い冬の廊下を歩く。温まった居間の外は気温が低く、吐く息も少しだけ白くなる。そして玄関に付いた彼女は、良い趣味をしたブーツを履く為に床に座った。そんな時、トコトコと廊下を走る誰かの足音を聞いた。気配から如何やら自分の方に向かって来ているようだと分かった。

 

「―――姉さん。外は寒いのでコートを貸しますよ」

 

 はい、と桜が凛に暖かそうなコートを手渡した。

 

「うん。ありがと、桜」

 

「どういたしまして。外は寒いですし、屋根に跳ぶ時は気を付けて下さいね」

 

「……ええ、うん。ホントに感謝するわ」

 

 行動が見抜かれている。どうも、自分の妹はここ数年で黒くなった。無駄に怖い時もあるけど、士郎曰く「やっぱり遠坂の妹って話は本当なんだな……桜、似ちゃいけないぞ」と言われた事を思い出してイラっとした。

 曖昧な愛想笑いで乗り越えようとするが、桜の純真なにっこり笑いに勝てなかった。なので、後ろにいる桜に手を振って、とっとと戦略的撤退するしかなかった。

 

「……さてはて。あの英霊様は何処にいるんだか」

 

 玄関を通り、外に出た。この家の周辺に張られた結界が、凛には重く感じ取ることが出来た。

 この衛宮邸はイリヤスフィールやセラが新たに張り加えた結界により、過剰なまで魔力の隠匿されている。本来なら結界に魔力を使って更に存在感が増してしまい、頭隠して尻隠さずと言った状態になりそうな程なのだが問題は無い。其処らの技術的欠陥も既に解決済みであり、相当な腕前が無くば衛宮邸に魔術師が居る事は見抜けないだろう。

 思考をそのまま、凛は広い庭に出た。煌めく星空は人が住まう住宅地の中とは言え、それなり綺麗な情緒に満ちている。そんな光景を自分から離れて行った正義馬鹿をもう一度振り向かして、こう言ったモノを共に静かに見てみたい。なんて思ってしまうのは感傷なのか、それとも愛情なのか。遠坂凛はもはや、自分の心情と言う迷路に入り込んで結構途方に暮れていた。恋悩むなど魔術師からすれば無駄な徒労でしかないが、あのバカに関してはそう言う信条は棚上げする事に決めたので、もう全力で突き進むコトにした。

 等と、モヤモヤとした悩みが脳味噌をシェイクする。

 この苛立ちを発散させる為と、一人寂しそうな相棒の為に彼女はヒョイと上に跳んだ。重力操作でも無ければ、風を操った訳でも無く、凛は慣れ過ぎて無意識的になった軽い強化魔術だけで跳躍。彼女は屋敷の上に移動した。

 そして、瓦が敷かれた屋根に居たのは一人の女性。

 帽子を深く被り込み、外套で全身を覆っている。寒くはなさそうだが、それはサーヴァントである彼女からすれば如何でも良い事だ。

 

「……寝てるの、あんた?」

 

 凛はアーチャーが屋根に寝っ転がっているのを目撃した。驚かそうと思った自分が、逆に驚かされた。

 彼女は両手を枕にし、膝を組んで空を見上げている。隣には衛宮家のキッチンにあった保温用の水筒と、何故か桜が持って来ていた筈の煎餅がある。何枚か袋を開けていたらしく、既にゴミになったビニールが無造作に置かれていた。

 

「まさか。ちゃんと監視網を引いてるさ。この場所に近づいてくる敵もいないし、何処でも戦闘は行われていない。平和さ、今はまだな」

 

 気の抜けた返事。英霊と言うよりは、普通の一般人みたいな覇気の無さだ。いや、下手すれば其処らのやる気に満ちる人の方が、十分に気迫があるかもしれない。

 

「―――うん。良いコーヒーだ」

 

 ゆったりと休憩中の職人みたいな仕草で、アーチャーは水筒に入れてあった飲み物を喉に流した。自分で入れたのではなく、これはキッチンで見張りの準備をしていた時にメイドのセラに入れて貰った物。本来ならばセラは紅茶が得意であったのだが、気長い見張り作業と言う事で気を利かせてコーヒーにして上げたのだった。

 アーチャーは紅茶も好きだし、緑茶も好きだ。しかし、コーヒーもかなり好み。

 深く良い風味が、コーヒー特有の香りとして凛にまで届いてきた。これ程のコーヒーとツマミがあれば、十分に溜まっていく精神的疲労を癒せるだろう。

 

「飲むかい、マスター?」

 

「……じゃあ、少しだけ」

 

 彼女はアーチャーから受け取ったカップを受け取り、熱いコーヒーを飲み込んだ。味わい深く、身の内から暖まるようだ。

 

「これはセラが入れたものかしら……?」

 

「正解。メイドさんが入れてくれたものさ」

 

「今じゃ名残しか無いけどね。リズなんて特に、メイド服を衛宮邸に来てから数カ月で全く着なくなったし。セラも直ぐにそうなったわ。

 ……ま、今回は家主が帰って来たから気合いを入れるって、仕事着になってたけど」

 

「へぇ。まぁ、仕事着が似合ってるんだったら、バニーでもナースでも何でも良いけどね」

 

「別にあれ、士郎の趣味とかじゃないわよ。いや、まぁ、メイド服が嫌いって訳じゃないんだろうけど」

 

「そうなの。けど、男からしたら結構な目の保養だろ」

 

「否定はしないわ。彼、そこそこ変な嗜好の持ち主だし」

 

「奥さんからすれば、旦那の性癖なんてお見通しって訳か」

 

「……まぁ、否定はしないわ」

 

 取り敢えず、凛はアーチャーの戯言を冷たい視線で切り捨てた。そのまま殺意の波動を放ちながらも、彼女の隣に座り込む。

 流石にアーチャーも腰を上げ、寝ている体勢から座り上がった。首を抑えて、コキコキと骨を鳴らす。様になった姿だが、凛はアーチャーが外見年齢に対して老けて見えた。

 

「―――で、アーチャー。何だか悪い事を企んでそうね?」

 

「あ、分かる? けれど、別にそんな変なのは考えて無いさ」

 

 屋根の上にポツンと座る弓兵のサーヴァント。サーヴァントの隣に座ったマスターたる凛からすれば、こうやって監視に励むアーチャーは、職務に真面目と言うよりかは衛宮邸での団欒を避けている様に見えた。

 

「……まぁ、それは兎も角。あれだよ、あれ……さっきまであったライダーとキャスターの殺し合いの様子、もう一回聞く?

 セイバー達と作戦会議する前に情報を整理して、もっと策を練り込んだ方が良いと思う」

 

「勿論、賛成よ」

 

「ではでは、説明致しましょう――――――」

 

 

◇◇◇

 

 

 公園とは子供が遊ぶ憩いの場であるべきだ。あるいは、保護者たちの会談の場。

 ―――そこに、二十代半ば程度の神父と、十代前半程度の女子。

 男の方はきっちりと整えられた神父服。だが、少女の方はドレス風味な洋服だった。フリフリのレースが目立ち、綺麗な色合いが更に服装を目立たせている。

 二人は性別や年齢は違えど、対等の立場であるかの様に話し合っていた。男の神聖さと静寂に満ちた穏やかな雰囲気と、無邪気な少女の笑顔は反発するようで、巧く噛み合った空気を作り上げている。

 この場所は公園だ。人々が交流を持つ貴重な場所。

 人は幼少の頃、善と悪に純粋だった。善人と悪人も複雑な思考も無く、人間関係の構築を気にすることなく関わり合った。子供と言うのは良い意味でも悪い意味でも純粋極まる生き物と言えよう。大人になる為に必要な理性と知性は準備段階であり、人格が熟しておらず幼いのだ。

 そう言った純粋さで言えば、この二人が公園で和んでいるのは場に溶け込んでいると言えよう。

 しかし、二人のその精神は熟し切っており、理性も知性も完成している。本来ならば社会で身に修めるべき道徳も規律も、知識としてしか活用していない様な極悪人であるが、その場に居るだけよりも純粋な存在であった。

 

「お前も、良くこの時期に冬木へ来たな」

 

「あら、別に構わないでしょう? 監督役に私の存在はバレていないわよ。

 流石に人喰いの死徒が聖杯戦争に参戦、なんて事になったらマスターに中立な教会も率先してルール変更して殺しに来る。数多の英霊達に加え、戦闘が得意な魔術師では、私でも生き残れないのは理解しているもの」

 

「愚かしいが、やはり好奇心は抑えられなかったと見える」

 

「それは違うわ!

 わたしは……貴方が心配で、それで来てしまったの―――っ」

 

 十人が見て十人が少女の表情と声色で、彼女が本気で神父を心配していると錯覚する事だろう。そう、錯覚と言ったように、この女が男を心配する何て異常事態は起こり得ない。もし彼女の妹がこの場に居れば、鳥肌の余り悲鳴を上げてしまうだろう。

 

「どうした、血が足りずに頭が可笑しくなったか」

 

「いやね。最近ちょっとドラマに嵌まってて、こういう演技がしてみたかっただけよ。ま、血は沢山あれば困ることはないけど。

 ……今日はちょっと、日が強いわね。肌に悪くて仕方ないじゃない」

 

「お前は吸血鬼だからな。快晴の日に外出しようとする方が、頭がどうかしているぞ」

 

「そうなのよね。死徒の肉体は便利だけど欠点が多くて困るのよ。海とか、満喫したいなぁ」

 

「…………」

 

 まさか、その為に対日光と対流水の研究をしているのか、と士人はある意味戦慄していた。なにせ、この女は気侭に人間を街ごと食い物にする真正の化け物。もし日と水の両方を克服したとなれば、もう新しい種類の死徒と言える存在だろう。そして、その為に幾つの命が消費されるか検討も付かない。

 とは言え、正確に言えば吸血種であるだけで、死徒でなければ、実際は吸血鬼でもないらしい。分類としては魔術師上がりの死徒となっているだけで、吸血能力を持つ不老不死の超越存在と言うのが正しいのだろう。

 

「次の日は肌荒れが酷くなりそう」

 

「肉体の手入れは念入りにしなくてはならないぞ。怪物と言えど女性の身、折角の美貌が勿体無い事になる」

 

「あらあら、ふふふ。そうやって口説く当たり、性根は昔と変わらないわね」

 

「取り敢えず女性は褒めろ、と師から教わった。この手段は世渡りには実に便利だ」

 

 初めて沙条愛歌と言峰士人が相対した時は、二人とも外見年齢は同じ程度であった。しかし、十年以上も経過すれば、オジさんとお嬢さんに成り果てていた。

 死徒と代行者。

 最初のコミュニケーションは殺し合い。

 冬木に来襲した規格外の魔術師且つ吸血鬼であった彼女を撃退した士人は、幼い頃から可笑しな戦闘能力を持っていた。だが、まだまだ若い死徒であった当時の愛歌も、それはそれで規格外の強さを持っていた。

 

「貴方の師ね。冬木のセカンドオーナーとなると、確か……遠坂凛だったかしらね。死徒のわたしでも彼女の武勇伝は耳に入ってるわ。

 彼の翁から第二法を習得したとか、何とか。後、あの正義の味方と一緒に世界中で活動してたとも」

 

「噂は真実だ。あの遠坂凛であれば……まぁ、その程度は容易いだろうよ」

 

「―――へぇ。貴方がそこまで認めてるの」

 

「まさか。認めているのではなく、そうであるのが当たり前なだけだ。

 認める、認めない、信じる、信じない等と、そんな前提を持った考えではあっさり上回れて潰される。あの女は、そんな類の魔術師だ」

 

「……わたしより?」

 

「お前以上の化け物だよ、俺からすればな」

 

「中々な言い様じゃない。珍しい。これでもわたし、根源に到達した数少ない異端児なのよ。

 その魔術師である事を極めたわたし以上の怪物と言う程ならば、それこそ異常な人間なんでしょうね」

 

 歪で不気味で、寒気に溢れる微笑み。

 遠坂凛に有言実行を完遂する。不可能が無いのではなく、不可能を可能なまで物事を貫き通す。だからこそ士人にとって、凛は死ぬまで自分の師であると常識の一部として認識していた。

 その事を愛歌は彼の雰囲気から何となく察する。それが笑みと言う表情として、外に出ていた。

 

「根源も、根源の渦も、「 」も所詮は世界に属する領域だ。辿り着けるか、否かの二択に過ぎん。其処らに良く居る一神父でしかない俺からすれば、世界の外部に魅力を感じない。

 ―――なぁ、魔術師。

 世界の外側に辿り着けた時、どのような気分になれたのだ?」

 

「―――教えない。

 正確に言えば、教えられないとでも言っときましょう」

 

「残念だ。興味は無いが、知識として蓄える事に無駄は無い。良い娯楽になりそうだったのだがな」

 

「魔術師の悲願なんて……まぁ、貴方からすればそんな程度でしょうね」

 

 らしくなく、疲れた笑みを愛歌は浮かべた。まるで柵にうんざりする新入社員と言ったところか。結局の話、魔術師であろうとも、根源に辿り着こうとも、死徒になって人間を辞めたとしても、自分が自分以外の何かになる訳では無かった。生まれた時から自分を育ててきた自己が、今とは違う何かしらに変化する事もなかった。

 

「お互い老けたな。お前は変わらず幼いままだが、随分と人間味が増したものだ」

 

「……流石のわたしでも気にしてるのよ」

 

 まだまだ幼い頃は無邪気に悪徳に浸れた。年月で生来の人格に差は出て来ないが、若い時に死徒化して世界を周り、それなりに色々な物を見て回った。人間でいた時よりも怪物として経験を積んだ今の方が正直な話、人間味が増しているのが皮肉なことだった。

 

「なるほど。しかし、姿などもはや自由自在に変化できるだろうに、何故そこまで幼い容姿に拘る。貧乳のままだと都合が良いのか?」

 

「黙りさい、不感症。

 幾ら呪っても狂わなかった男なんて、貴方以外に存在しなかったわ。まぁ、わたしの快楽を受け止めて気持ちが良いで済む怪物が居るとは思わなかったし、わたしに耐えられる男なんて居るとは思わなかった。

 ……本当、どこまで荒めばそんな何も感じない心になるのか、とても面白可笑しいわね」

 

「おいおい。もしや、俺に惚れたか?」

 

「阿保抜かしなさい全く!」

 

 顔が赤い。少女をからかう悪い神父なのだ、言峰士人は。とは言え、事情を知っている者が見れば、あの沙条愛歌を手玉にして遊んでいる時点で鳥肌物。もし愛歌の妹さんがこんな光景を見れば、どんな表情を浮かべるのか、ある意味とても想像がつき易い。

 ククク、と悪い笑み。神父は基本、相手が誰であろうと変わらなかった。地味に恋愛経験皆無な愛歌を揶揄するのが、結構気に入っていたりする。化け物とは言え、愛に関心が無い訳では無く、羞恥心を人間性と共に失くした訳でも無い。

 

「酷いな、人が常日頃から気にしている事を。

 しかし、あれだな、青春時代にまともな恋愛経験が無いから、今になってあたふたする破目になるんだぞ。お前は自分の至らなさに自覚を持つべきだ」

 

「ホントに黙りなさい! なに、それしか言う事がないのかしら貴方は!」

 

「俺も聖職者だ。お前の様な童に嘘はつけない。

 ―――正直、愉しんでいる。勿論、あの時食べたマーボーには負けるがな」

 

「知ったことじゃないわよ! マーボーは美味しかったけどね!」

 

 良い意味でも悪い意味でも、愛歌にとって士人は同類であり、対等な存在であった。彼女が初めて共感を得て、初めて気持ちが良いと思えた狂人。

 この虚無感は、多分この求道者としか分かり合えない。

 ならば、自分を偽る事に価値は無い。仮面を被る必要も無い。

 

「……殺すに殺せないな、お前は」

 

「あら。それって告白かしら、おじさん?」

 

「二度目になるが、言っておこう。青春時代にまともな人間関係を送らないから、そんな自意識過剰な哀れな女になる。分かるか?」

 

「分からないわね。ええ、これっぽっちも全然理解出来ません」

 

「ふむ。魔術師だからと言って、義務教育を受けぬから世間を知る事が出来ぬのだ。経験あってこその人生だぞ。

 俺も俺で、あの日常は学ぶべき事柄が多かった。

 平和を知る事で、戦乱の惨たらしさを対比させることが出来る。また逆に、人間が持つ悪性の醜さを見て学ぶ事で、善性の貴さを識る事が出来た。

 お前は初めから怪物である事を肯定し、そのまま世界を疑うこと無く進んでしまった。不死者になる前に、若い頃から出来る事をせぬから、今になってそうなるのだぞ」

 

「はい、そうね。神父さんらしい説教ですこと」

 

 少女は拗ねていた。自分に対して道理を語る変人はこの神父唯一人しかいないが、彼に自分を正す気が無いのは初めか知っている。これは単純に、当たり前のことを突き付けているだけ。それに怪物に人道を語ったところで、そもそも語ること自体が狂った所業。説法など吸血鬼にした所で無駄な事だが、神父はその徒労こそ生き甲斐にしている部分がある。

 

「お前には人生経験がまだ足りない。世界を知れ。

 そうすれば、おのずと定まった生き方を得る事が出来るだろう。その長い生涯の中、愛を見出してみるのも一興だ。

 破壊や混沌、絶望に悲劇。

 俺もお前もそれらの人間の業は大好物だが、それだけではやはり足りない。

 まずは知り、経験し、意味を持つ。そこから価値を見出す。そして―――自分自身を求めて生きて先に進む」

 

 神父は懐から煙草を取り出し、口に咥えた。愛歌にも吸うかとジェスチャーで煙草の箱を振って見せたが、要らないので首を横に振る。士人は簡単な仕草一つで煙草の先を着火させ、白い煙を口から吐き出す。

 

「かく言う私も、実はまだ愛情を理解出来ていない。失われたモノを知っているのに手に入れられぬのは、中々に不愉快極まる。

 ―――まるで指の間から落ちる澱だ。

 どれほど手を伸ばしても、触れられている筈なのだが……最後は結局、何もかもが消えてしまう」

 

 火と煙。彼にとって地獄の象徴であり、始まりの光景。煙草は吸う度に神父は原初の己を思い浮かべ、何かを思い起こそうと思考の迷路を彷徨っていた。

 

「意外ね。昔の貴方なら、手に入らない状況を不愉快だなんて、そんな人間らしい事を感じ無かったでしょうに」

 

「……俺もこれまでの人生、色々な事柄に関わって生きてきた。自分自身が抱いている呪いの事も、大分理解して来ている。

 唯の一度も新しい“何か”を手に入れていないが、自分自身で迷う事は殆んどないさ」

 

「ふーん……」

 

 愛歌がつまらなそうに神父を見つめた。死徒特有の捕食者の視線は冷たく、故に何処かねっとりとしていて熱っぽい。

 士人からしても愛歌程の吸血鬼は最上級の警戒をしなくてはならず、下手な二十七祖よりも危険な存在。しかし、神父の気配に変わりは無く、変わらぬ姿で煙草を吸っている。

 

「……ねぇ、でしたら―――抱いて上げましょうか?」

 

 珍しいと言えば珍しい。言峰士人は呆気に取られた表情で、煙草を吸うのを止めてしまった。そして、ゆっくりと視線を下げて、隣に座っている愛歌を見つめた。数十秒と長い間、この可愛らしくも珍妙な吸血生物を観察した。まぁ、返答は最初から決まっていたので、無駄な観察をし終えたので答えを話す。

 

「断る。お前を抱く理由が無い」

 

「馬鹿ね。貴方がわたしを抱くのではなく、わたしが貴方を抱くのよ。とても深い部分まで犯して上げるって言ってるの。

 そう言うの、好きでしょ?

 ―――あの時みたいに、地獄のような快楽の淵まで落として上げる」

 

「―――ク。いやはや、こう見えても俺は神父だ。

 ある程度の緊急事態や、それ相応の関係が無くば誘われても性行為は自粛している」

 

「無理矢理ってのも、わたしは嫌いじゃないわ。

 ―――……けれど、貴方は別みたい。

 どうせ他の有象無象みたいに屈しないから、ちゃんと殺し合いの果ての結末じゃないと楽しくないわね」

 

 つまり、今は興に乗らないだけ。今回の聖杯戦争みたいな舞台の上で敵同士で会った時、改めて士人で愉しんで上げようと考えている。勝率は五分五分で、どちらが勝つか負けるか分からない。どちらが死んでも可笑しく無く、どちらが玩具にされても不思議は無い。

 

「成る程。確かに、今のままでは面白味に掛けるか」

 

「そう言うことよ。舞台はしっかり整えなきゃね」

 

 そこでふと、士人は最悪な事を思い付いた。嫌がらせの範疇を越えているが、いざとなれば如何とでも転べる。

 

「妹は良いのか? 挨拶くらいはしていけば良いだろうに」

 

 結局、士人にとって家族関係なんてその程度。例え殺し合う程の仲とは言え、生きて会えるのであれば会っておいた方が良い。それも沙条系姉妹の邂逅となると、神父もそれなりに面白いものが見れそうで楽しみだった。

 

「……あんなのがわたしの妹だなんて、考えた事も無いわよ。家族とかそういうの、良く分からないし。

 でも、貴方と殺し合ってから、色々なものを考える様になったわ。前は意味も無く肉親を殺してみようとか考えたけど、今じゃそう言うのは無いわね」

 

 父親を殺しても何も感じなかった。冬木に住んでいた妹を殺しに来て、そこでこの神父に出会った。妹を殺そうと思ったのは気紛れでしか無かったが、その気紛れが起きそうにない事を彼女は何となく察していた。多分、もう、肉親を殺す事に愉悦を見出せないのだと悟ったのだ。それよりも面白い事があり、逆に妹には生きていた方が愉しめるかもしれないと考えた。

 

「無駄な人死にをしなくなったか。遊び半分の虐殺を好物にしていた怪物とは思えない成長ぶりだ」

 

「―――まさか! 三度の吸血よりも、殺戮は大好きよ」

 

「前言撤回だ。前よりも面白い具合になっているな」

 

「……けれどね、それさえも如何でも良くなる事があるの」

 

 陰惨な笑み。人でなしの表情。少女がしてはいけない悪魔の嘲笑。士人は自分の話が軽く無視(スルー)されている事に苦笑しながら、彼女の会話を愉しんでいる。

 

「―――殺す。壊す。犯す。

 屍の山を築いて、上から玩具(ニンゲン)を弄ぶの。

 街を丸ごと食い潰して、大義など必要としないで営みを燃やすのよ。一杯殺して、お腹を満たして……でも、一番心地良い時は虐殺してる時。吸血も気持ちは良いけど、人を殺すおまけみたいなものでね。言ってしまえば、吸血を理由に虐殺に酔い潰れているのが大好きなの。

 わたしは怪物になってから、こうなった訳じゃない。死徒に変貌してから持つ吸血衝動も、所詮はただの生理現象でしかないしね。色々と試してきた生き血の吸い方なんで、例えるなら食事を愉しむ為に調理方法を凝るみたいなもの。

 ―――ただ有りの儘に生きるのが楽しい!

 ―――世界は生きているだけで天国なの!

 ……神父、貴方には分かるかしら?

 わたしが実感している、この愉悦と退廃が? この胸に迫る感動が?!

 ここに来たのは、そんな自分自身の為。何時か必ず、わたしは貴方をぐちゃぐちゃにした後に、全てを手に入れたいのよ」

 

 ドロドロとした欲情が瞳から溢れていた。死徒と言う怪物からも逸脱した真性の悪性が、この女であった。生まれた時から、沙条愛歌はこの様であった。

 先天的な狂気。持って備わった異常性。

 言峰士人とは相反する存在。後天的異常者である彼の天敵。そして、先天的異常者である愛歌もまた、士人を天敵としている。

 故に、彼と彼女は出会った時から互いを理解していた。

 

「……お前、この戦争を荒らしに来たのか?

 答え次第では、この場で確実に殺さねばならんのだが―――」

 

「―――まさか。

 単純に貴方が珍しく熱心に活動していたから、見物遊山で来ただけよ」

 

 愉しみは熟す主義。二人共、その点は共通していた。愉悦とは、娯楽とは、自分なりに練り込んでこそ、最後に奔る走馬燈に輝きが増す。

 

「ふむ。ならば、此方から手を出す事は無い。私が九年も愉しみに待っていた馬鹿騒ぎに、お前は関わらないでくれ。

 色々と予定が崩れてしまうのでな。そうなると面倒だ」

 

「ふふ、良い殺意ね。

 本当、聖職者とは思えない狂人ね。

 でも貴方が色々と計画しただけあって、今回は前回よりも狂った戦争になりそうで面白そうだわ」

 

 沙条愛歌も、神秘に関わる者として聖杯戦争はそれなりに知っていた。この神父からも此方が提供する情報や娯楽話の対価として、聖杯戦争に関する色々な面白いことを教えて貰っていた。

 しかし、第六次聖杯戦争は第五次以降とは完全に様変わりしていた。

 本当に情け容赦無い戦争だ。参加者全員が魔術師の常識からも逸脱した狂人集団。裏側の規律からも爪弾きにされそうな異常者共。

 

「それにしても、この聖杯戦争は参戦者は全て狂ってるわね。見た限り全員が全員、特級の狂人揃い。

 ―――正義の味方。

 ―――魔法手前の宝石使い。

 ―――最強の伝承保菌者。

 ―――騎士団の斬殺卿。

 ―――半人半魔の人造人間。

 ―――離反した協会の殺し屋。

 そして―――第八識の純正天然物。

 加えて聖堂教会の異端審問官の中でも、更なる異端と化した貴方の参戦」

 

 愛歌が良いたいのは、参戦者全員が魔術師として何処か可笑しいと言う点。何より戦闘に特出している部分である。

 ―――戦場を制する猛者の群れ。

 一人一人がもはや英霊手前、あるいは匹敵する戦力の持ち主。現世に生きる異常者を寄せ集めた血濡れた大祭り。 

 

「これを集めるの苦労したでしょ?」

 

「当然。本来は殺人貴も聖杯を餌に誘っていたのだが、まさかアレがサーヴァントと化していたとは驚きだ。

 ……だが、此方の方が好都合だ。

 恐らくはアインツベルンの違法行為の御蔭で、アヴェンジャーのクラスが正式に解禁されたのも大きい」

 

「あの死神、死んじゃったからね。だけど―――守護者の契約を唆したのは貴方なんでしょう?

 英霊化したあの男が参戦する現状を考えると、そうとしか考えられないわ」

 

「決意と覚悟を誘導するのは実に容易かった。あの男が愛する者を救う為の力を得る方法を教えれば、結果が如何なるかは目に見えていた。

 保険にしていた殺し屋と騎士に第六次聖杯戦争を教えたのも、今となっては実に良い赴きであった。とは言え、俺の初めての弟子である美綴が参戦したのは意外であったが、予測不可能な現状とまでは行かない想定内の事態だ」

 

「弟子……弟子、ねぇ? あの貴方が弟子に選び、育てた魔術師の女。

 ―――やだ、とっても気になる。色々と興味深いわね」

 

「今は手を出すなよ。出すのであれば、この殺し合いが終わった後にしてくれ」

 

 士人の目付きは鋭かった。多分、手を出せば本気で殺しに来るだろう。愛歌とて士人一人ならば勝算はあるが、其処にサーヴァントが加わると自分が嬲り殺しにされるのは目に見えていた。

 

「しないわよ、そんな無粋なこと。今回のこれは貴方の物語で、貴方の娯楽。わたしが色を付けてしまうと、詰まらない駄作になってしまうでしょう」

 

「理解してくれて助かる。妹と似ているな、そう言う部分は」

 

「違うわよ。あの子は貴方に似てそうなっただけなの。元々はわたしと正反対だから、魔術師の姉妹として殺し合う事無く無関係でいられるだけな話ね」

 

 そこで彼女は言葉に詰まった。自分なりに冬木の現状を観察していたが、気になったとある人物について喋っていない事に気付く。

 あの魔術師は自分に似ていて、遠目から見ただけで何故か親近感が得られた。なので印象が強かったのだが、自然と話をしている内に忘れていた。そう言えば目の前の神父にも似通った雰囲気が有る事も分かる。

 

「ああ……それとね、世界最古の邪神の紛い物を律する魔術師も居るわ」

 

「―――気が付いていたか。流石としか言えんな」

 

 言峰士人にとって、彼女のことを悟られるのは意外だった。情報ではサーヴァントを召喚していないらしいので、御三家とは言え沙条愛歌に関心を寄せられるとは思っていなかった。

 

「当然でしょう。確かアレは――――間桐桜、と言う魔術師なんですってね。

 彼女、貴方のお友達か何かしら?」

 

 言わば、それは直感である。桜と士人に何かしらの繋がりがあるのでは、と言う推測だった。

 

「ああ。知り合って十何年も経つが、濃い交友関係を持つようになってからだと十年来の友人だ」

 

「彼女、凄まじい適合性ね。まだ故意的に繋がっていない様だけど……つまりそれは、完全に悪神の制御に成功してるって事を意味してる」

 

「……そうなのか? なるほど。お前の目で見れば、そこまで見破れるのか」

 

「あれはわたしと相性最悪ね。あの魔術師だけは敵に回したくない。それに―――」

 

 愛歌は唐突に言葉を切った。余りにも綺麗過ぎて涙が出るほど感動してしまいそうで、彼女を知っている者からすれば心臓を凍らせるような歪さで、神父を見つめて微笑んだ。

 

「―――いえ、何でも無いわ。真実は貴方自身の眼で視なさい」

 

「……ほう。では、その真実とやらは、後の娯楽としておこう」

 

「良い心掛けね。やっぱり楽しみは、自分で開けるまで取って置くのは一番だわ」

 

 さて、と彼女は呟いた。その後、ベンチから降り立った。勢い良く手を上に伸ばて背筋を動かす。一通り話す事も話したので、帰る事にしたのだ。

 

「じゃ、そろそろ帰るわね。今回の第六次聖杯戦争は、今までの聖杯戦争の比じゃないみたいだし」

 

 沙条愛歌は知っている、この神父が戦争をそう仕立て上げたのだと。参戦したマスターたちが全員規格外の戦闘能力を持っているのは、そう言った類の怪物が参戦するように神父が誘導したからだ。

 殺し屋―――アデルバート・ダンに戦争を教えた。彼には聖杯へ託すべき願いがある。

 聖騎士―――デメトリオ。メランドリに戦争を教えた。彼には果たすべき望みがある。

 特に、この二名の参戦に深く関わっている。神父が聖杯好みの願望を植え付け……いや、その願望を悟れるよう精神解剖を行った。他の参戦者にも何かしらの形で、士人は戦争に参加するよう干渉していた。

 

「―――さようなら、言峰士人。

 戦争が終わっても生きていらしたら、また会いましょう」

 

「―――ああ。さようなら、沙条愛歌。

 吸血鬼にも天からの祝福があるよう、神に祈ってるぞ」

 

「要らないわよ、貴方の祈りなんて。残念だけど、神様なんてわたしには程遠いわ」

 

 去っていく少女の姿を、彼はベンチに座りながら見送った。陰惨を極めた死都で殺し合って以来の再会であったが、あの化け物は変わらず壮健なようであった。安心だとか、心配だとか、そう言う気持ちは欠片も無いが、純粋に生きて会話が出来た事を面白く思う。

 ―――そして、背後からサーヴァントの気配。

 意識しても察知する事が出来ない程の隠形であるが、マスターとしてラインが繋がっている士人にすれば察知は容易かった。

 

「話は終わったか、神父?」

 

「ああ。俺の用事に付き合わせ、すまなかったな」

 

 アサシンのサーヴァントが、姿も声も虚ろにして立っていた。また、先程まで自分のマスターと会話をしていた少女のカタチをした怪物は、アサシンからしても気味が悪かった。殺せる、と言う意識の隙間を見付けられなかったのも、暗殺者として脅威に感じたのも大きいが。

 だが、そんな戦争に関わりの無い無駄な思考は途切らせる。

 彼女は先程まで観察していた殺し合いの情報を脳裏に浮かばせ、マスターに伝える為に整理する。士人もアサシンの視点を共有して見ていたとはいえ、サーヴァントと話し合う事で対策はより練られていくことだろう。

 

「……それでアサシン、如何であった?」

 

「並のサーヴァントでは無かったぞ。キャスターもライダーも、暗殺者でしかない私とは比べ物にならぬ英傑よ」

 

「ほう、成る程。

 ―――で、殺せそうか?」

 

「容易くは無いが、策を練れば暗殺は可能だぞ」

 

 殺せなくは無い。が、まず正面から殺す事は殆んど不可能。アサシンらしく影から影に移り、策で以って隙を生み出して殺すしかない。

 ……いや、正確に言えば正面からも殺せなくも無い。

 だが、暗殺者の英霊として敵に気付かれてしまう事そのものが、既に不手際。勝算を高める為、今は情報収集に徹するのが効率的である。

 

「それでマスターの方は如何であった?」

 

「手練も手練よ。アインツベルンと思われる人型共も貴様に並ぶ程だが、ライダーの方の騎士は既に人間の領域を越えておった。

 ―――あれはもう、自らの業を完成させておる。

 言わば、辿り着いているとでも例えようか。既に終わってしまっているのだが、それでも先に進み続けた者が持つ極みであるな」

 

「ああ。成る程な。そいつがマスターの一人、デメトリオ・メランドリだ」

 

「……知っておるのか?」

 

 声の響きに違和感があった。楽し気で、愉快そうで、疑問に思った。アサシンは士人がそのマスターと知り合いなのではないかと推測した。

 

「ああ。任務を共同で行った事が有る。その時、俺と信仰に対する意見が別れて殺し合った。まぁ、より正確に言えば、斬り掛かれたと言った方が正解に近い」

 

「ほほう。それはまた……因縁深い相手であるな」

 

「既にあれも俺も気にしていない。たかだが意見が別れ、殺し合っただけだ」

 

「そう言うものか?」

 

「ああ。それだけだ」

 

 髑髏の仮面で表情はまるで分からないが、アサシンが少し困惑しているのは簡単に分かった。暗殺教団に所属していた身として、異端者とは死んでも分かり合えないのを経験として理解しているのだ。なので、殺し合った末にお互い気にしてないとなれば、もうこの二人はお互いの関係に結論を出していると言う事になる。

 ……出会えば、問答無用で殺し合うか。難儀なマスターだ。

 アサシンは士人の扱い難さに苦笑。中々に協力し甲斐のある魔術師であった。

 




 新しい登場人物の沙条愛歌でした。実は彼女、主人公の〇〇を頂いてます。神父さん、最初の殺し合いに負けてしまい捕まりまして、まぁ色々と。何とか脱出して再戦して、冬木から追い出しました。
 後、一部でちょろってデメトリオさんの話は出てきます。士人と意見が別れて殺し合ったのが、彼となります。
 次回から一気に中盤まで加速させるか、外伝や過去編を挟んで見ようかと悩んでいます。

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