神父と聖杯戦争   作:サイトー

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 触手注意。過剰な演出は無いですが、イメージ次第で結構そこそこな表現があります。


43.蟲の深淵

 男が右手に持つ聖剣から光が吹き出る度に、蟲の群れが死に絶えた。左手に持つ黒鍵から炎が吹き出る度に、大量の蟲が焼き払われた。

 この場所はそれなりの広さを持つとはいえ、体積が限られた狭い地下施設である。蟲が浄化から逃げる術は無く、また特殊な礼装によって作られた結界が逃げ道を防いでいる。この地下室には蟲が通る隠し通路があったが、蟲を簡単に切り払い、焼き払う代行者からすれば対策など容易い事であった。何故なら、この蟲の魔術師が考えそうな事はある程度予測が出来ており、この屋敷の構造は昔に来た時から既に把握していた。

 ―――燃え盛る炎が、蟲を嬲る。光り輝く刃が、蟲を消す。

 左手から投擲された黒鍵が地面や壁に突き刺さり、そこから浄化の炎が漏れ出す。段々と蟲の生存区域は狭まって行き、一箇所に集められながら殺され続けた。蟲の群れは哀れにも、抵抗する事も出来ずに死に続けることしか出来ていない。黒鍵を投げる代行者へと蟲が襲い掛かっても、新たに装填された左手の黒鍵を振り払って焼き殺す。そして、黒鍵では焼き殺し切れない大量の蟲も、右手に持つ聖剣が一瞬で浄化して消し滅ぼす。

 炎と光による浄化。

 代行者が蟲相手に装備している概念武装は、的確にマキリの弱点を穿っていた。

 

「―――おのれ、教会の狗めがぁ……!」

 

 自己の分身と言える使い魔が殺される。聖なる浄化よって霊体ごと屠殺されていく。自分を殺しに来るであろう代行者と裏切り者を始末する為に万全の準備を工房しておいたが、それを予期した様に代行者は魔術師の策を切り捨てた。

 

「今までの苦労が裏目に出てしまったな、間桐臓硯。もうお前は不必要だとさ」

 

「ほざけ小僧。貴様風情に易々と殺される程、鈍っておらんわ」

 

 ―――瞬間、膨大な泥が地面から吹き出る。

 神父ごと蟲を取り込もうと闇色の沼が襲い掛かるが、彼は間一髪で脱出した。そして、大部分の蟲があっさりと生命を吸い尽くされ、肉もグズグズと溶けて養分になって吸収された。

 

「危険だったぞ、間桐桜。俺ごと殺そうとする魂胆が見え透いている」

 

「あら、ごめんなさい。手元が少し乱れて仕舞って、ちょっとだけ魔が差してしまいました」

 

 蟲を喰らい、自身の魔力を補給する桜に対し、臓硯は自分の身となる蟲を削られ続けている。攻撃が即座に魔力補給にもなる桜とは、臓硯が得意とする使い魔では余りにも相性が悪い。士人も今の戦況を理解しているが故に、隙なく攻防を詰めれば何時かは王手に至ると気が付いている。桜も桜で魔術戦が初心者であるからか、魔術特性を前に出して厭らしく敵を追い詰めて行った。

 

「儂に裏切りを働くか、桜!

 今まで育てた恩、仇で返すと言うのか……っ!」

 

「―――まさか! ひどい言い様ですね、お爺様。

 ほら、見て下さい。私はこんなにも魔術師として成長しましたよ。魔道の妨げに成る邪魔者は、念入りに殺さないといけないじゃないですか?

 ……つまり、それを実践しているだけです。

 足りない戦力も貴方達魔術師らしく、外部のモノから十分に補っただけ。だから、こうやって障害を排除しているのです。お爺様を殺さない方が、この間桐に対する裏切りになってしまいます」

 

「……――――――」

 

 臓硯は見てしまった、その愉悦に歪む桜の魔貌を。自分以上の怪物に成り果てた小娘の末路を。

 故にもはや、この間桐桜と言う魔術師は小娘では無く、生粋の魔女である。

 精神が凍りつく。ここまでの悪性を、マキリは桜から感じた事が無い。今までの十数年で見抜けた事が無い。ならば何故、この女がここまでの怪物に成り果てたのか。その原因が今となれば一つしかない事を彼は分かっていた。

 

「―――神父、貴様は……こやつをそこまで見抜いておったのか! 儂以上に、桜の本質を理解していたとでも言うのか!?」

 

「ああ、当然だとも。一目で理解していた。

 ―――この女の本質は魔だ。

 それも、特上の悪魔を飼い慣らすほど肥大化した器を持つ魔女だ。

 当たり前な日常を送り、それで人生を満足させられる人格は、確かに慎ましく凡庸だ。だが、堕ちる所まで堕ちてしまえば、それに比例した悪鬼の才能を持つ。周りの環境次第で善にも悪にも転ぶが、魔道を進めば極悪に成り果てる。自分が追い詰められる程、純粋なカタチを成していく。

 故に、自己の本性に気が付かせてしまえば……後は覚醒を待つだけだ。

 少々手を加えてから時間が経過していったが、今となっては万々歳。第五次聖杯戦争の影響からか、実に面白い展開へと運んでくれた」

 

 士人が桜の屈折した感情と、心に溜まり続ける濁った澱を悟っていた。言葉巧みに彼女へと自分自身の本性を知らしめる為に言葉を与え続け、遂にこの段階まで成長させた。

 ―――間桐桜は言峰士人と言う同類を得る事で、自分の鏡を見続けた。

 その影響は計り知れない。憎悪、嫉妬、怨念、執着、そう言った負の感情へ素直に成った。彼女は間桐臓硯に対する殺意を肯定し、それを切っ掛けに自分自身の悪性を容認してしまった。人を殺す事を自分に対する善行であると認めたのだ。

 だからこそ、士人は桜が自分で助けを求めるまで待った。この女が自身の殺意を認識し、殺害行為を良しとするまで見守り続けた。間桐臓硯を敵として殺そうと決める事こそ、彼女が極限まで濃くなった悪性を自己にする為の鍵になるだろうと彼は理解していた。

 ―――諦観を打破した時、人は生まれ変わる。

 それは善人も悪人も変わりなく、それは強者も弱者も変わらない。

 間桐桜が自分自身を自分で凌駕した時に起こる変貌もまた、この神父にとっては見逃せない娯楽であった。そして、それが起きた今を顧みるに、言峰士人は笑みを隠し切れなかった。

 

「あはは。

 ……言峰さん、面白い事を言いますね?」

 

「そうかな?

 俺は本心を隠さず告げただけなのだが……ふむ、ならば笑え。面白いのであれば、笑って過ごすのが一番健康的だ」

 

 その言葉は今の桜にとって最高の手向けだ。

 

「ふふ、うふふ。はは……あははははははははははは! アッハッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ……っ!!

 ―――あぁ、ホントにその通りですね!

 楽しかったら笑わないと、人生の損失になってしまいます。そんな簡単な事、随分と昔に忘れていました…………」

 

 心の底から、間桐桜は笑った。こんなにも愉しい出来事は人生で初めてだった。衛宮士郎を想うのとはまた別種の、心を髄から震わせる気持ちを言峰士人は与えてくれた。

 肉体的快楽にも似た絶頂とは違った精神的快楽から覚える解放感。

 そして―――歓喜と憎悪。

 愉しい。

 凄く凄く愉しい。

 どんな娯楽よりも人生を楽しく満たす愉悦の時間。

 

「―――魔女め……っ。

 おぬしがそこまで狂い果てたのは、確かに儂の誤算だったわ―――!」

 

「嫌ですね。私をここまで育てて頂けたのは、お爺様じゃないですか。こんな醜悪な在り方を教えて頂けたのは、お爺様しかいなかったじゃないですか。

 だからこそ、この結末なんですよ。貴方は最後の最期で失敗したんです。

 ここまで狂っている私に隙を見せて教会に行かせてしまった時点で、既に人生が詰んでいたのです」

 

 間桐臓硯は新しい肉体となる材料を補給する為に、街に出て獲物を選んでいた。その隙を見抜き、間桐桜は教会に訪れて蟲の核を抜き取って貰った。

 ―――故に、間桐臓硯は間桐桜を完全に諦めた。

 この器はもう駄作。神父によって変貌してしまい、自分では御し切れない化け物に成り果ててしまった。

 ならば、遠慮は不要。彼は蟲を複雑に操り、二人を殺す為に活路を見出す。全方位から飽和した蟲によって肉片一つ残さず喰い殺す。代行者の炎と元孫娘の泥によって数は減ったが、まだ殺すだけに必要な量は残っている。

 

「ぬかせ、小娘が! この儂が飼い殺す筈だった蟲風情に―――――がぁ……!」

 

 心臓へ聖剣が突き刺さった。士人が無拍子で投擲した刃が、臓硯の霊体を瞬時に浄化を開始した。カタチが崩れ、地面へと溶ける様にバラバラに落ちて行く。体を維持して霊体を保っていた魔術を概念的な重みによって壊された。今までの攻撃が積み重なる事で、魔術師は身動きが取れないまでに弱らされていた。

 何よりも、この聖剣は黒鍵とは違って特別だ。

 黒鍵に施した火葬式典もマキリの蟲相手には十分以上の効果を持っていたが、この絶世の名剣―――デュランダルの浄化作用は黒鍵が保有する浄化作用とは効果が次元違い。黒鍵から吹き出た炎による浄化も臓硯にとって霊体を殺し切る猛毒であるが、聖剣の光は既に致死の劇物を越えた硫酸だ。霊体の元を成す魂から肉体を溶かしてしまう。

 

「―――もう十分、お爺様は生きましたから良いですよね。こちらも我慢できなくって、早く食べ殺したいのですから」

 

 無音で影は底を這い、地面に泥沼が広がった。暗いマキリの地下工房が、更に暗黒へ沈んでしまった。闇よりも深い黒が、世界が汚染している。

 ―――その闇は人型が崩壊した妖怪に覆い被さり、まるで微生物を租借するアメーバのように黒く腐肉を染まらせる。

 地獄と言う単語では生温い。

 生理的嫌悪を越えて、精神が崩壊する寸前まで気色の悪さが具現している。

 

「ぎぃやぁあああああああああああああああああああああああ!!」

 

 浄化と溶解。神聖と邪悪。両極端の作用によって、間桐臓硯の魂が段々と崩壊している。こんな叫び声を上げられるだけ、間桐臓硯はまだ救いがある。ただの人間がこれ程の領域まで極まった洗礼と呪詛を同時に受ければ、一瞬の内に何もかもが消し飛んでいただろう。肉片も残らなければ、魂の情報も一つ残らず、この世からあっという間に去っている。

 

「―――サ、グラァァァァアアア!」

 

「あらあら、そんなに苦しいですか? 生きたいですか? 救って欲しいですか? 死にたくないですか?

 ―――でも駄目です。

 だって……ほら、お爺様は私を助けてくれませんでしたでしょう?

 目には目を、歯には歯を。

 積み重ねた因果は今までの所業が巡り巡って、本人に対して応報するもの。

 私以外にも沢山の人間を蟲で犯し、暴き、傷め、苦しめ、喰らい、殺めたのですから―――この結末も十分に納得するべきもの」

 

 ああ、なんて愉しいのでしょう。こんなにも心地良い叫び声なんて聞いた事が無いのです。

 ―――今の間桐桜にとって、この蟲はただの娯楽用品でしかない。

 苦しめれば苦しめる程、心の底から愉快になる。どんな風に殺してやるか考えるだけで愉悦に浸れる。最高だった。人生でここまで生を実感した事は無かった、ここまで楽しんだ事も無かった。

 

「――――――――!!」

 

 生きたまま咀嚼される。これは因果応報と言うには、余りにも生々しく的を得ている。

 間桐臓硯は妖怪と称される程、人の道を違えた怪物だった。蟲を使い、生きている人間をそのまま喰い殺し、体を新しく補完して生き永らえていた。

 ―――それを今まさに、自分が作り上げた道具によって、自分に対して行われていた。

 最高の喜劇だ。嘲笑うべき悲劇だった。何て下らない茶番劇なのだろうか。

 死に逝く蟲の翁を観察する二人の貌には笑みしかない。……二人には、そんなモノしか残っていない。

 

「聞いて下さい、言峰さん。この外道、過去の事を思い出しながら死んで逝ってますよ。

 ―――なんて哀れば蟲何でしょう。

 ―――救われな過ぎて涙が出そう。

 ふふふふふふふふ、はははははははは……っ!

 ……まさか、今此処に至って嘗ての理想を思い出すなんて―――何処まで行っても茶番劇じゃないですか!?」

 

 声も無く叫ぶ蟲に彼女は微笑んだ。桜は自分の呪詛の中で溶けていく魂を消化していた。それはまるで、食材を丁寧に味を付けて調理する過程に似ていて、じっくりと味わう様に食事をする様な光景。

 全身を震わせて足掻き、踠き、暴れる魔術師を踊り喰いし続ける。長く長く、味わう様に苦しめて、消化して、細胞を残さず影に吸収する。抉る様に、捌く様に、その作業を楽しみ取り込むのだ。

 

「―――でも、安心して死んで下さい……お爺様。

 その理想は私が継いで上げます。この間桐の後継となる間桐桜が、結末を見届けて上げましょう」

 

 嘗て、遠坂桜と言う少女がいた。だが、今となっては戻れない過去になった。この少女は魔術師と成り果て、間桐桜へと完璧に生まれ変わった。

 ……彼女は全てを喰らい尽くした。

 肉体や魔力、精神や記憶は勿論、忘れていた理想や今まで蓄えていた技術や知識、それら全てをマキリから奪い取った。言峰士人が与えた悪性の呪詛を許容した故に、自らの特性に目覚め、起源へ近づいた。今までの彼女であれば絶対に不可能であったが、暗影の操作と他者の吸収を完璧に御していた。間桐の属性である水と特性の吸収に加え、自身の起源から発露した魔術の属性と特性。

 ―――それがモノを奪い尽くす泥の正体。

 魔術への目覚め。自己に対する覚醒。アンリマユを模した様な影の泥は、間桐桜にとって天性の相性の良さを持っていた。

 

「あぁ―――残念だったの。

 後少しで届けたかもしれんかったのに……」

 

 それがマキリ・ゾォルゲン最期の言葉。間桐桜の闇によって生きたまま肉体を喰われ、精神を暴かれ、記憶を開かれ、理想を踏み躙られた魔術師が残した閉幕の台詞。

 彼は目的を忘れ、手段に執着して失敗した。逆転した理念が人を蟲に変えた。

 なにを間違えていたのか。何故、忘れていたのか。もう、その問答に価値は無い。だが、強いて答えを出すのであれば――― 

 

「―――お爺様。答えなんて無いんですよ。

 最初から間違えている愚か者は、何処まで行っても間違い続けるんです」

 

 その抱いた想いが初めから、人として違えていたのだ。間桐桜はただ、そう笑って断言する。

 

「人のままでは届かないから人間を辞めた。人間を辞めて蟲になっても求め続けた。ですけどね、そこに価値は無いんです。

 だって、人間のままじゃなきゃ―――その理想に価値を感じられないじゃないですか?

 どんなに感傷に浸ったところで意味さえ悟れませんよ、妖怪になった貴方ではね。だからこそ、そんな理想に答えなんてモノが、初めからこの世界で用意されている訳がないんです」

 

 この世全ての悪を間桐桜は知る。彼女は人類の半分を容認したが故に、他の半分も何となく分かる。自分自身も人間で在るのだから、自分の内側と比べてしまえば実感を伴って善と悪を認識出来た。

 この蟲は、既に唯の蟲。過去にどれ程なまで純粋に未来を信じていても、結局のところ末路はこれ。鬼畜外道にまで落ちたのに、得られた結論の中に嘗ての答えは無い。

 

「―――――――――」

 

 ……そして、間桐臓硯は完全に死んだ。蟲を一匹も残すこと無く死滅した。間桐桜が生み出した影によって蟲を喰われ、魂を溶解されて霊体を掻き消された。そして、感じられる敵となる蟲の気配は零。地下工房に使い魔はまだまだ溢れてはいるが、間桐臓硯に支配された蟲は一匹もいない。

 間桐桜は今日一日を思い出していた。

 教会で心臓の蟲を摘出され、それを泥として取り込んだ時に記憶した蟲の残留思念。それが神父の衝動と聖杯の呪詛と混じり合い、間桐桜の新たな泥として再び甦った。蟲の残留思念が、先程に溶かして殺したマキリの記録を補完して、あの翁の記憶が再生される。人間を生きたまま喰い殺すことが如何に罪深いか実感し、それでも彼女は喜びを抑えられない。

 

「―――満足したか、間桐桜。

 随分と憂鬱そうな表情だが……もしや、蟲の魂に心が当てられたのか?」

 

 ゆっくりと咀嚼して愉しんでいた桜に声が掛かった。士人は黙り込む桜がどんな感触を味わっているのか雰囲気で悟っていたが、彼女の余韻を無視して聖職者らしい綺麗な笑みを向ける。

 

「……えぇ、少しだけ。

 初めて他人を食べましたが、中々に美味でしたよ」

 

「成る程。ならば、味わっておけ。もう二度と無い実感だぞ」

 

「―――本当、貴方は最悪な神父さんですね」

 

 笑顔には笑顔を。生まれ変わった少女を、言峰士人は祝福する。

 

「何を今更。だが、それもまた同感だ。日常を謳歌する間桐桜も、悪徳を謳歌する間桐桜も、どちらも本物の間桐桜だ。

 ―――故にお前は、本当に素晴らしい罪人になれるだろう」

 

「そうですね。それは貴方も同じ事ですから。日常を実感出来ない言峰士人は、生死さえ等価値にしか感じられない。

 ―――故に貴方は、本当に人でなしな悪人のままなのです」

 

 直後、二人は笑った。互いに互いが面白くて堪らなかった。視界に映る全てが呪われているのは、どっちも大して変わらないと分かったのだ。歪んだ価値観がそのまま定まり、それを通して世界を生きているのであれば、得られるモノが歪んでしまうのは当然のこと。しかし、その価値観だけが自分にとって確かな在り方であり、それから外れた生き方は選べない。

 

「では、ありがとうございました。これでこの私、間桐桜が名実共に間桐家当主と成る事が出来ます」

 

「良かろう。今現在を以って間桐桜、お前が間桐家当主を継ぐ事を冬木教会担当司祭として認める。また、管理者である遠坂家も、存分に間桐家当主交代を喜ぶであろう」

 

 間桐家を継ぐ。当主を殺し、自分が当主となる。間桐桜が自分で自分の事を決めたのは、これが生まれて初めてだった。遠坂家から間桐家に移動したのも、間桐家で虐待以上に悲惨な鍛錬を受けたのも、全て他人による強制。衛宮士郎の家に通い続けているのは自分の意思だが切っ掛けは命令。

 彼女は生まれて初めて自分の意思で何かを成し遂げ、生まれて初めて自分を誰かに助けて求めた。間桐臓硯の消滅によって、彼女は地獄を自らの力で脱出した。現実を破壊し、在るが儘に生きる事を良しと笑ったのだ。

 ―――これが九年前の惨劇。

 間桐家当主が代替わりした真実である。そして、第六次聖杯戦争が始まってしまった真実でもあった。

 

◇◇◇

 

 ―――第六次聖杯戦争。

 冬木市において、第五次聖杯戦争が終了した九年後に突如として再起動した魔術儀式。参加者は七人、従者となるサーヴァントも七体。合計十四名による生き残りと聖杯を賭けた苛烈な生存競争。開催地の冬木市では、そんな有り得ない地獄が既に五回も行われいる。

 その冬木の街には聖杯戦争で御三家と呼ばれる魔術師一族の内、二つの家系が根を降ろしていた。一つは管理者である遠坂。もう一つはロシアで根を張っていたゾォルケンであり、今では日本の土地に合わせて名前を変えた間桐。この二つの家系が主な冬木の魔術師。特に間桐家は色々と複雑な過程を経て聖杯戦争に協力しており、一族というよりもマキリ・ゾォルケン一人の妄念と執念とも言えていた。

 ……だが、もはやマキリは過去の残滓に過ぎ去った。

 現代の当主は間桐桜。彼女は時計塔に渡り、間桐の魔術師として才覚を存分に振った。

 封印指定確定なまで希少な属性と、それを極限まで有効に引き出す特性。並の魔術師の努力を嘲笑うような虐待以上に狂った異常な鍛錬により、過去を力に変えて更なる異端と化す。それに加え、特化型であるにも関わらず、水属性に対しても高い能力を持っている。そして、時計塔での修練を経て、他の普遍的属性の魔術も使いこなすまで成長する。彼女は時計塔でとある講師に魔術を指導して貰い、自分の能力を更なる境地へと導いた。

 時計塔に行くまでも自主鍛錬と、とある教会の神父の教えによって自己の本質を極め続けたが、それは間桐桜そのものを異常な領域まで強くしただけ。時計塔に行っても日々の鍛錬は止まること無く、更に苛烈となっていった。だが、それでは魔術師として新たな理論を開発して発展されるのでなく、自分が持つ神秘を只管に鍛えた一の極限。時計塔に行くことにより、彼女は己そのものである間桐桜としてだけでは無く、間桐の魔術師としての能力を得る。

 ―――だが、一番恐ろしいのは、その事実を魔術協会に隠し通した事だった。

 間桐桜は正体が露見した場合、確実に封印指定に認定される。それを彼女は今の今まで隠し通していた。時計塔に居ながらも、研鑽の成果を自分自身だけのモノにしていた。まるでアトラス院の錬金術師の如き在り方であるが、そもそも間桐桜は名誉も欲しくなければ、魔法に至る気も無く、聖杯戦争だけが目当ての生粋の魔術使い。故に、過剰なまで自分を鍛え、時計塔でやるべき人生の作業を終え、本来の計画を全うするべく冬木へと帰還する。向こう側での人間関係を清算する事も無くコネクションは強く結びついたまま、間桐として桜は冬木に戻ったのだ。勿論、帰ったのは時計塔では出来ない事をする為であり、彼女は冬木で行うべき計画を戦争が始まる前に実行しておく必要があった。

 間桐桜に隙は無い。そして、油断も無ければ慢心にも程遠い。敵となる人間が、揃いも揃って規格外の化け物集団。そんな連中にサーヴァントまで加わった戦争が、本当の地獄の沙汰を比喩なく具現化するだろう。念の為に養子も育て、計画は万全のまま進む。同盟関係を結んでいる神父を裏から欺く為の策も、第六次聖杯戦争が始まる前には既に万全なまで準備がし終わった。

 ―――準備は整った。

 神父も来た現在、冬木に居る魔術師全てが敵。障害を薙ぎ払う為の矛も、最後まで生存する為の盾も、彼女は自分の策を以って完成された。そして、第六次聖杯戦争が開始された今、間桐桜は地下工房にていつも通りに戦争の為、自身の魔術を念入りに磨いていた。

 

「……はぁ。漸く、始まりな訳ですね」

 

「ぼやかないぼやかない、亜璃紗」

 

「桜さん。そりゃ……まぁ、ねぇ?」

 

 此処は間桐邸の地下。そこには二人の魔術師が居た。

 一人は妖艶な気配を持つ可愛らしく綺麗な二十代の女性と、もう一人は廃退的だが有り得ないほど美しい十代の少女。

 この二人は義理の親子だ。戸籍的に言えば年の離れた姉妹になるのだが、家での関係的な視点からみれば親子と十分に言えた。また、外見的に年齢はそれほど離れているようには見えないが、少女と比べると女性の妖艶さが際立って見える為、十分に母子関係と言っても通じるだろう。

 

「……今回、間桐では令呪が不発したじゃないですか」

 

 中性的な口調で会話をする少女は美しかった。女性も現実的では無い際立った美女であるが、少女の美貌は人外の領域にある。

 伽藍堂な蒼い瞳はおぞましいほど透明で、色素が薄い綺麗な黒髪は奇妙なほど瑞々しい。元々は棘のある凛々しい美貌を持っているのだが、持ち前の気配から可愛らしい印象が強い為、欠伸が似合う眠そうな目付きをしたおっとり美人にも見える。顔立ちは西洋人形に近い雰囲気で持ち、長い前髪で眼が隠れそう隠れていなく、肩を越える程度の癖が無いセミロングの髪型だ。

 

「それは仕方ないです。少々システムを弄くりすぎまして、大聖杯の制御盤がバグってしまいましたから。

 ……それに、まるで脳味噌を直接弄くり回した様だった感触、何だか嫌なエグさを感じます。これは多分、アインツベルンの方で何かしらの細工が施されましたね。今回の予想外な事態は、アインツベルンの違法行為が此方の改造に作用した為に起きた基盤のズレが原因でしょう」

 

 間桐が何かしらの策を講じていたように、アインツベルンも同じ事を考えていた。御三家でまともに聖杯戦争をしているのは遠坂だけであり、聖杯戦争の要である大聖杯に気が付いているのも同じであった。

 

「―――ハァ、まったく。

 計画通りに私へ令呪を宿せなくて、これからどうするんです?」

 

「……ん~、それはそれで考えが有りますよ」

 

 妖しい笑顔でその女性―――間桐桜が隣にいる少女に微笑みかけた。成長した桜は少女から完全に脱した美貌を誇り、彼女の美しさは際限なく更なる麗しい完成された美を体現していた。名前通り桜の花のように、いやそれ以上に完璧な女性の美を手に入れていた。

 そして、そんな桜を見る少女は少女で胡散臭い笑みを浮かべる詐欺師を見る目で、自分の母親でもある魔術師を胡乱気に観察した。

 ……相変わらず、その笑顔から考えが読み取れない。表情と感情が一致していない。うん、実に怖い。とても恐ろしい。

 いつも通りあっさり結論を出し、彼女はもう一度溜め息をついた。

 

「―――わかりましたよ。そっちの問題はそっちで何とかして下さい」

 

「ふふふ。貴女はそういう部分が賢くて好きですよ」

 

「……………――――――はぁ」

 

 令呪自体はまだ残っている。間桐桜の手には第五次聖杯戦争の時に宿った未使用分の令呪が刻まれている。それは今回の聖杯戦争が始まり、聖杯とも確かにラインだけは繋がっていた。しかし、大聖杯に対する工作行為によって間桐家には令呪分配が行われず。確かに予測された事でもあるので、ある程度の対策もあったが、その少女―――間桐亜璃紗が準備した計画は全部無駄になってしまった。

 

「工房の管理に行ってきます。戦争に備えて、用意しておかなければいけないものもありますので」

 

「えぇ。では、お疲れ様。私は協力者のお二人と少しだけお話をしなくてはいけませんので、今日はこの工房を好きに使って構いませんから」

 

「あー、はい。了解しました」

 

 二人が話し合っていた場所は工房の出入り口近く。このまま間桐桜は工房から抜け出し、間桐亜璃紗は直ぐにでも工房へ潜って行った。

 

「ふぅ………」

 

 暗闇の中で一息ついた。亜璃紗にとって桜とは本物の魔女であった。自分も特化型に位置する異端の魔術師であるが、自分の師である魔術師に比べてしまえば微々たる属性に特性。起源覚醒の儀式も無理矢理行ったが、それでもまだあの魔女には届かないし、比べ物にさえならない。

 

「……いよいよ戦争ですか―――」

 

 彼女がこの家に引き取られたのは慈悲もあったが、悪辣な外道共による道楽でもある。封印指定であった自分の養父を殺した代行者によって教会に一時的に身を寄せたが、直ぐにこの間桐家に引き取られたのが今此処にいる大元の原因。

 蟲による鍛錬は自分から進んで行った。別に犯される事に抵抗は無い。そして、魔術師に必要な知識の習得や、オーソドックスな魔術の修練もそれはそれで楽しめた。だが、それらよりも大変だったのは、工房の拡大と改造だった。師の魔術師と共に、ああでもない、こうでもない、と互いに知恵を絞って建設していったのだ。結界などの魔術的観点や、地下施設を大きくするために建築の知識も必要になった。作業は魔術師で行えると言えど、その設定は自分達で決定しなくてはならない。

 後は拡張と増設の繰り返し。幾つもの専用部屋を作り出し、唯の巨大な地下空間では無くなった間桐の魔術工房。嘗ては蟲が蠢くだけの巨大な穴蔵の中に棺桶みたいな横穴しか無かったが、今では本当の意味で魔術師の工房らしく成り変わっていた。蟲の使い魔だけでは無く、魔術師が愛用する地下施設として、時計塔のように改良されていた。

 

「―――うん。生臭いけど、良い匂いでもあるかな」

 

 間桐邸の地下工房は十年前と比べ、全くの別物と言えるまで様変わりした。している事は外法の中の外法であるが、間桐臓硯の延命の為だけの装置でなくなったのは確かだ。行われているのは、マキリではなく間桐発展の為にすべき魔術研究である。

 亜璃紗は思考をそのままに、工房内に造られた一室に入った。そこは特別な部屋。普段の修練や、蟲の量産に使われている部屋では無く、新しい型の使い魔を生み出す為の実験室であった。新種の開発には成功しているが、そこから更に派生させた新型の戦闘性能に特化させた蟲を今は研究している。

 ……黙々と彼女は研究に没頭していた。

 実験材料がくぐもった五月蠅い雑音を発して騒ぐも、慣れているので亜璃紗は気にしていない。壊れてしまうと性能低下が見られるのでやり過ぎには注意しており、程度の手加減はきっちりと把握していた。それに中身を修理するのは亜璃紗の専門でもあったが、今は其処に重点は置いておらず、既に研究し尽くしている分野であった。改良をやり過ぎて外側の器も壊れる危険があるも、それは最初の方の実験で頑丈にさせており、中身の方も同じ様に強化している。なので、大切なのは機能を落とさず、今よりも更に向上させてより良い使い魔を作ること。

 

「んー。生産効率と質の上昇ですかねぇ、問題は……」

 

 材料は常に不足している。それらの確保には危険が伴い、乱獲は協会と教会の眼が実に厄介。ゆっくりと確実に必要な分を調達する。ただ量産するだけならば今のまま蟲の流用で如何とでも成るが、絶対量を増やすには新たな材料が必要となる。新型の開発には、原材料と製造器の二つを増やさなければならない。

 ―――男性の肉体は使い魔たる蟲の生成の材料。

 ―――女性は生きたまま蟲を生産する為の母体。

 胎盤に仕込まれた使い魔の原料がじっくりと卵となり、腹の内側から人間の子供のように出産される。

 ―――今の間桐の工房は、巨大な蟲の産卵場だ。

 魔道の極み何て表現では生温い魔の深淵。これはもはや人間と怪物と言う二極理論も通じない倫理観から外れた鬼畜外道。下劣なのではなく、最初から物事の秤から零れ堕ちてしまった所に位置していた。

 

「……魂から苦痛と快楽(マリョク)をもっと搾り取れば、蟲も良質になるかな?」

 

 そんな亜璃紗の声が聞こえたのか如何か分からないが、蟲の卵を産む為だけに回路を仕立て上げられた彼女は悲鳴を上げた。だが、口を蟲の触手によって塞がれている彼女では、声は出せても言葉は紡げない。拘束された裸体は蟲の為の肉で在り続け、人の尊厳を完全に奪い取られている。

 グチャグチャ、と凄惨極まる恥辱と凌辱は現実感が欠如した有り様で、何処にも被害者に対する救いは無い。こんな地獄を直視出来る時点で人間としての歯車が噛み合わない異常な精神であり、この場所で人間を玩具にする者の神経が可笑しいのは一瞬で分かってしまう。

 

「じゃあ、そう言う訳でペースを上げますね」

 

 ……実に悪辣な事であるが、彼女の精神は狂っていない。現実を理解して、自分の状況を理解して、それでも狂う事が出来ていない。

 何故と言えば、理由は簡単で間桐亜璃紗が魔術によって精神を保護している為だ。例え人格が壊れ、精神が崩れ、中身が崩壊してしまおうが、理性を失う事は出来ない。壊れているのに、心が宙に浮くだけになって壊れ果てるのだ。また、完全に破壊されたとしても、亜璃紗の手によって元に修復されてしまう。そして、肉体は元より実験や生産に耐えられるまで頑丈に改造され、内臓まで強化されている。この場に囚われた時点で人間の身では無くなり、もう元の心身のカタチには永遠に戻れない。

 

「―――あ、素晴しいです。貴女は実験体として優秀なので、こんなにも調子が良いです。

 やっぱり肉体改造は徹底しないと不具合で出ますから。人間の体はまるで精密機器の集合体みたいなのに、術式が合致した時のバージョンアップの割合が高くてやり甲斐が出ます」

 

 そんな面倒な手間を掛けれいる理由は簡単、質の向上に重要だからだ。

 行き過ぎた肉体的快楽は精神的苦痛を生み出し、心身を捻じり絞り魂から魔力を生み出す。つまり、快楽が苦痛を生み出し、苦痛が快楽を作り出し、肉体が精神を追い詰め、精神が肉体を乱れ落す。そして、そんな無限螺旋を経る事によって、魂から上質な魔力が搾取可能となる。

 その魔力(快楽と苦痛)を餌にして、設計図通りに胎盤で形成させた後、卵を排出させて取り出していた。卵は専用の炉の中で孵化を待ち、時間が経過する事で生まれたての幼虫となり、栄養素を与えて蟲に成長させていく。簡単に増殖させられる蟲の使い魔もいるが、その手のモノは既に間桐の蟲倉の中では、新種の餌になる栄養素でしかない。人間を襲って増殖した蟲が間桐邸に帰還し、そのまま他の蟲の餌になる循環が出来上がっている。

 故に、蟲に蟲を喰わせる蟲毒(コドク)のような手法も平然としており、弱い蟲は強い蟲の餌になっているのが常。より強い蟲を求めて行く過程において、この家の蟲は使い魔として格上げされていた。

 

「そんなに嫌がられても、私も戦争で貴女の犠牲が必要ですし、改良は必要ですのでね。なので、貴女も存分に耐えて下さい、実験体三十三号さん」

 

 まるで、蟲の餌食にされている人の心を読み取った様に、亜璃紗は口を歪めて笑いながら喋っている。相手は言葉を出せないが、魔術師の彼女からすれば声を聞くのに別に音など必要無いのだろう。

 そして、三十三号の名が示す様に、この地下施設に監禁されている者は彼女だけではない。また、これはある意味で本当に気が狂ったような話だが、実験体に選ばれた個体に死人は出ていない。ここに囚われたら最後、死ぬ事さえ許されない事となる。

 

「―――許すも何も、貴女は別に悪い事はしてないです。

 さくっと人生を諦めた方が楽になれますよ。魔に巻き込まれた先輩としての助言です。それにほら、貴女のお仲間も此処には沢山いますし、寂しくはない筈です。

 ああ……でも、ここまでしても抵抗してくれるのでしたら、それはそれで良いかもしれない。気が強い相手だと壊す過程が面白いですしね」

 

 何が楽しいのか、常人には理解出来ないし、したくも無い。だが、誰が見ても亜璃紗は楽しんでいた。

 ―――魔道とは、つまるところ行く着くのは此処。

 人を捨て去り、倫理の秤から除外される。例えるのであれば、人の道から外れて魔を良しとする。故に、外道の在り様こそ魔道の本性。

 

「ふぅふふふふふふふ!

 ですよねー。やっぱりさ、この実験は、気持ち良過ぎて地獄の苦しみだよね。でもほら、癖になりそうで人間終わりそうな気分になるじゃないですか。だから、諦めてるののも良し、苦しみ続けるのも良し。

 ―――だけど。

 ―――もう貴女は終わってしまっているんだよ。

 ここまで堕ちてしまえばね、例え日常に帰れても肉も心も戻らないですから」

 

 間桐亜璃紗はそれを本質的に実践していた。そして、自分が如何に終わっているのかも理解していた。嘆き、諦め、暴れ、苦しむ蟲の生贄を見ていても、亜璃紗にあるのは悦楽の情。それは愉悦に満ちた魔の営み。

 ―――生まれた時から人間扱いされていなかった。

 ―――生みの親からは化け物と蔑まされて生きた。

 自分を助けてくれたのは――――邪悪だけだった。

 養父を殺した神父は憎くない。養父の弱さが原因で殺されただけであり、戦った代行者が養父よりも強かっただけ。だからと言って、養父を忘れたりはしないし、彼から貰った大切なモノを失ったりはしない。弱肉強食の世を彼女は良しとするが、殺された養父に負の感情を覚えてはいない。事実関係上、殺されるような事をしたのは此方側の方からであり、殺害されるのはむしろ自然な流れでもあった。彼女の養父は殺されてしかるべき外道であって、生きるべき善人では無かった。養父を殺した男に教会へ連れられて、間桐に引き取られてからも、その考えは変わらない。

 ……それは最初から壊れていたから、耐えられていた世界。破綻していたから、破綻していた現実を正常なまま生き永らえた。生まれた時から彼女の世界は崩れていた。 故に亜璃紗にとって大切なのは、今を生きているか、否か。

 ―――言うなれば、間桐亜璃紗は心だけが拠り所だった。

 機能していない自分の心では無く、豊かに苦しめる他人の心だけが楽しみだった。

 そして、自分の目の前に人間は生きている。存分に生きて、苦しんで、だけど死んでいない。死んでしまえば、目の前の心を楽しむ事は出来やしない。

 

「―――ひひ。イヒヒ、あはははは……っ」

 

 そうして、間桐邸の地下室から響く叫び声は今夜も何処にも届かない。実験はいつも通りに順調だ。この地獄は誰にも、それこそ間桐桜に協力していたあの代行者にも露見していない。

 ただ一つだけ、悲鳴の群れの中に笑い声が混じっていた。

 轟く嬌声は苦痛に塗れているのに、楽しいそうな声は尚も目立っていたのであった。

 

 

◇◇◇

 

 

 浄化された真っ白な空気。消毒液の匂いを錯覚するまで綺麗な神聖さに満ちた此処は冬木教会。新たに増設された大きいオルガンが目立つ礼拝堂を過ぎ、今二人が居るのは司祭が作業をする部屋の一つ。昔は此処に住んでいた聖堂教会の司祭、言峰綺礼が使っており、その次に彼の養子である言峰士人が使い、今ではカレン・オルテンシアが使っていた。

 

「いやはや、カレンがあたしに用があるって聞いたが、聖杯戦争絡みだとは思わなかったな」

 

 隻眼の女。痛々しい刀傷が眼を通る様に痕があり、その片目を眼帯で隠している。纏っている気配が一般人に等しくのであるものの、それが余りにもアンバランスで羊の皮を被った獣のような妖しさがあった。着ている服装は重々しく、洗い落としていても鋭い感性の持ち主なら、彼女の服に人間の血が濃く染み付いている事が察知出来るだろう。そして、彼女自身もまた、気配を偽っていても闘争の中で生きて来た人間であると理解されてしまう一種の逸脱感があった。

 

「ええ、まぁ。この場所に来てくれた貴女には、感謝と謝罪の念を感じています。美綴綾子、私は貴女に聞きたい事がありまして、頼りにさせて貰いました」

 

 きっちりと修道服を着たカレンが笑みを歪に浮かべ、眼帯の女―――美綴綾子に礼を述べた。

 

「―――……そう。でも、もう七体揃ってんでしょ?

 其処らに居る唯の魔術師でしかないあたしゃ、別にこれと言って特別な事は出来ないぞ」

 

 冬木教会に保管されている特別な魔術礼装によって、セイバー、アーチャー、ランサー、ライダー、アサシン、キャスター、バーサーカーの七体が召喚されているのは分かっていた。綾子の方もそれは既に聞かされている。聖杯戦争に魔術師が足りなくて開催不可能と言う訳も無く、魔術協会でも聖堂教会の職員でも無いフリーランスの自分が監督役が運営する教会に呼ばれる理由が浮かばなかった。

 

「……――――――」

 

 取り敢えず、カレンは唯の魔術師とか言っている戯言は聞き流す事にした。話を続ける為、胡乱気に濁った眼を新しく気合いを入れ直して真っ直ぐにした。

 

「―――あのですね、綾子……」

 

「うん」

 

「……私の兄、言峰士人について何か知っていませんか?」

 

「ああ、知ってる」

 

 カレンにとって別に不可思議な事では無い。綾子が士人の事を知っていても、やっぱりと言う想いしか無かった。

 また、その質問から綾子は士人が聖杯戦争に参加している事が分かった。カレンは聖杯戦争に関して聞きたいと言っていたが、それは聖杯戦争に参加しているであろう兄についてであった。

 

「―――やはり、原因は殺人貴ですか」

 

 あの兄は、衛宮士郎と殺人貴を語る時は実に楽しそうだった。あの兄は、正義の味方と死神の二人を極上の娯楽品として見定めている。多分、本当の意味で兄を殺害する事が可能なのが、あの二人だけなのだとカレンは悟っていた。

 だからこそ、殺人貴と影で手を組んだ兄の考えも有る程度は予想出来る。自分の思い通りに世界を動かす為、自分の命一つ簡単に賭けて地獄の如き闘争に挑んだのだろう。

 

「……あいつに犬殺しを頼んだ殺人貴がな、アルズベリの後に本格的な同盟を申し込んだんだよ。普段は互いに不干渉で在り続けるが、協力し合えるのであれば協力するって内容でね。魔術協会と聖堂教会の蝙蝠屋であり、発言力も強ければ殺人貴や真祖にとっても利用価値は高いし、あいつにとっても色々と考える事柄があったんだ。

 んで、真祖討伐の時に色々あったらしくてさ……何かの悪さをしたようで、そのまま行方不明って訳。あの後、あたしが見付けた時にゃ、色々と両キョウカイから隠れてすべきことがあるってんで、性懲りも無く趣味の悪巧みしてたって雰囲気かね」

 

「貴女は兄が生きている事を知っていたと言う事ですね」

 

「肯定するよ。態と隠してたんだ、カレンには悪いと思ってたけど」

 

 綾子は表情では申し訳なさそうにしているが、残った隻眼で語っていた。そもそも、この事は何があろうとも自分から話す気はなかったと。

 

「あいつはね―――らしくも無く、落ち込んでいたぞ。失敗した、自分は間違えたって」

 

 真祖討伐作戦の後、彼女は神父と出会った。とある国のとある貧民街に身を潜めていた。名前と身分を偽り、短い間だが自分では無い誰かとして生活していた。

 

「―――……まさか。私の兄は、あの言峰士人ですよ」

 

「あぁ、そりゃ同感。でも、下手うって思い通りにならず、結構行き詰ってたみたい。

 あたしもあんなに弱った言峰は驚いた。あいつが他人に……まさかあたしに弱音をぼやく何て思わなかった」

 

 綾子の胸中にあるのは、苦くとも淡い思い出だ。確かに、あの時の綾子は衛宮士郎の友人を殺害して彼を助けて、その事で色々と迷いを抱いていた。たまたま自分の師であるバゼットと再会して、愚痴も零してしまった。

 その後だ、神父とまた会ったのは。

 偶然とは言えなかったが、それでも奇跡的な確率だった。

 

「…………――――――」

 

 カレン・オルテンシアが美綴綾子の気配から、ある違和感を悟った。過去を回想しながら自分の話を語る綾子の雰囲気から、とある事実を予感した。

 

「―――……もしかして、同棲してましたか?」

 

「……あ。分かるか、やっぱ」

 

 呆気なく、竹を割る様にさっぱり白状した。

 

「分かります。そのような女の顔をされてしまえば、私でも貴女の心位は読み取れます」

 

「なんと言うか、やっぱりあんた達は兄妹だねぇ。あたしの隠し事をざっぱり見破ってしまう」

 

 綾子の表情は酔う様に悔やんでいた。カレンからすれば、そんな顔をする人間は思っている事が限られている事なんて分かり切っていた。彼女はそれを予想しており、別に外れて欲しい訳では無かったが、あの兄は本当に許せないと改めて決心した。

 

「貴女は分かり易い人種ですので。兄にとって貴重な人な様に、私にとっても中々に得難い友人です」

 

「あ、え……そう?」

 

 面と向かって断言されて、からっとした彼女だからこそ照れた。カレンと言う人物は自分にとって天敵であるのだが、それを含めても色々と話が合う女性。故に、こう言う風にからかわれるのは別に珍しい出来事では無かった。

 

「はい。物凄い珍人種です」

 

「……おい。なんだよ、そりゃ」

 

「褒めているのですよ。貴女のような人が居る事で、この世には救われる者も存在すると言う事です」

 

 カレンにとって綾子は数少ない友人。兄とも気が合い、自分とも気が合う余りにも珍しい人間。はっきり言ってこの世界に二人と居ない特殊な人物だ。自分の手の内から逃すにはとてもおしい。話しているだけで暇を潰せる。

 ……突如、そんな美綴綾子が動きを止めた。

 反論しようと口を開いた時、一瞬で空気が凍りついた。殺気では無く、戦意でも無く、ただ驚愕と言う感情で部屋の時間が停止した。カレンは彼女の豹変に疑問を浮かべるも、驚く事も無く様子を見張っている。

 

「―――っ……!」

 

 唐突だった。カレンの前に居る綾子が痛みで顔を歪めた。手の甲から血が流れ、服に赤い染みが浮かび上がっている。

 ―――有り得ない。その模様に見間違いはないが、袖を捲った見えた痕に違いはない。

 

「……へぇ――――――」

 

 逆に、カレンが浮かべた表情は歪んだ笑みだった。一欠片も予想出来なかったが、これはこれで面白い展開だった。

 面白い。愉しい。先が見通せない。修道女にとって、監督役と言う自身の役目を忘れる程に愉快だった。まさか、この女が、この戦争に選ばれるなど考えられなかった。考えられなかったから、この目の前の事実を直ぐに認識出来た。

 

「―――令呪ですか、美綴綾子。

 八人目のマスターが選ばれるとなると、この度の聖杯戦争は完全に崩壊していますね」

 

 監督役カレン・オルテンシアしか知り得ない情報が、偶然にも目の前で手に入った。既に教会に保管されていた礼装でサーヴァント七体の召喚が確認されており、七つ全てのクラスが選ばれている。ならば、この魔術師が召喚するであろうサーヴァントのクラスは果たして一体何なのか?

 ―――ニタリ、と令呪を見た。愉しそうに監督役は新たなマスターを見た。

 そして、驚きのまま固まる綾子が自分に視線を向けた。カレンは闘争の生贄に選ばれた魔術師に、宣告しなくてはならない。監督役として、成さなくてはならぬ宣言がある。

 

「ならば、新たなるマスターよ。

 汝―――聖杯を欲するのであれば、最強を証明しなさい」

 

 これが第六次聖杯戦争の本当の開幕。

 選ばれた八人。七人から聖杯召喚の為に一人増えた原因は分からぬが、これが意味する事は今はまだ分からない。だが、美綴綾子が八人目として選ばれたのは、イレギュラーであろうとも理由がある。彼女がマスターとして令呪を宿したからには、聖杯本体の方で何かがあったのだ。

 カレン・オルテンシアは彼女に参加権が与えられた原因は分からない。それは綾子自身も同じだろう。八人目の参加は他七組にまだ知られていないカレンと綾子の秘密だが、戦争の始まりによって露見する。戦いが目の前に迫っていた。




 オリキャラの間桐亜璃紗でした。後はカレンと綾子です。
 間桐勢の方は桜が言っていた協力者の二人と合わせて四人となります。工房の方はバージョンアップさせてみました。エログロ具合の割増です。
 カレンと綾子は仲が良いです。共通の知人を持つのも原因なのですが、特に互いに嫌い合う理由も有りませんし、何だか惹かれあって友人同士になりました。綾子の方の人間性が原作と違って歪んでいるのには原因があるのですが、其処ら辺も後々に説明出来たら良いかなと考えています。

 読んで頂き、ありがとうございました。

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