神父と聖杯戦争   作:サイトー

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 ほんのちょっぴり愉悦回。
 本当はもっと弾けさせたかったのですが、まだまだな展開ですので、ここまでにしておきました。


33.錯綜自己境界

「……んぅ?」

 

 意識を醒ましたイリヤスフィールが見た物は本物の暗闇であった。

 気を失う前、バーサーカーを目の前で殺され続け、今直ぐにでも死にそうな彼に近寄った所までは覚えている。そして自分は両目を切り裂かれ、その後は確か―――

 

「目が覚めたか、アインツベルン」

 

「―――言峰…っ!」

 

 忘れたくとも耳に焼き付いてしまって忘れられない怨敵の声。自分を負かした最悪の敵。ベットに寝かされていたイリヤスフィールは、声が聞こえた方向へ顔を向ける。

 

「体調は最悪の様だな。サーヴァントの吸収により、失神から覚醒するのも遅かった」

 

 神父は現状を態とらしく告げる。イリヤスフィールと言う物体がどの様な存在であり、何処までいっても所詮はモノでしかないのだと、暗に言葉へ含ませる。聖杯とは哀れな物だと笑っていた。

 

「……目が見えないわ。体も動かせない。本当、貴方は最悪ね」

 

 何もかもが痛い。そして、バーサーカーの魂が自分の中にあるのが何よりも―――痛い。体も心も苦しく、自分そのものが苦痛で如何にかなってしまいそうで、その苦痛のおかげ正気を保てられるのは皮肉でしかない。苦しいからこそ、既に見えないが、目の前にいるだろう神父に敵意を持てた。

 

「無理をするな。喋るだけでも苦しいだろう? 今は休んでいろ」

 

 それは引き金だった。イリヤスフィールの感情を爆発させる程の言葉だった。

 

「ふざけないで! ……貴方だけは許せない」

 

 優しい言葉だった。神父の声に偽りは無い。感情は欠片も籠もっていないが、そんな言葉を確かにイリヤは誰かに掛けて貰いたがっていた。……そして、恐らく、この神父は理解している。自分の境遇を察していながら、まるで病に伏せる娘を安心させる様な声色で、彼女の人生を侮辱した。

 

「そうか。すまない。……だが、寿命が定められた者は実に哀れだ。

 輝きに満ちた未来に対する希望では無く、過去の自分へ決着を付けられるか否かが、死に様の分かれ目になる。イリヤスフィール・フォン・アインツベルン、お前は本当に可哀想な道具だよ。粗末な使い捨ての道具で在る事に徹し、自らを人間にしてやれないとはな」

 

「黙りなさい! ……貴方にだけは言われたくないわ。聖杯にも成れない人以下の泥人形が―――!」

 

「―――そうだ。お前の言う事は正しい。

 しかし、その泥人形に敗北したお前は出来そこないの肉細工だ。聖杯としては兎も角、アインツベルンのマスターとしては二流の作品であった訳だよ、お前は。

 故にもう一度言おう。―――イリヤスフィール。お前は、哀れだ」

 

 脳味噌の細胞が全て沸騰した。確かに彼女はそう感じた。そう思える程、憎悪した。

 

「…………っ」

 

 ―――憎しみの余り神父の首を両手で力の限り絞める。感情のまま殺したい。

 痛みで死にそうな体を無理矢理起こし、目が見えなくとも、声と魔力反応で神父の位置を探り、直感で首を奇跡的にも捜し当てたのだ。しかし、そこまでしても目が見えない少女の身では、更に英霊の魂を喰らい弱った肉体では、魔術師でさえない人一人殺す力も出ないのだ。

 

「……弱ったお前では吐き出す憎しみもその程度だ。アインツベルンが目論んだ通り、生贄に捧げられるその時まで休んでおくが良い。

 ―――お前の聖杯戦争は終了した。もう既に、お前は何も叶えられない」

 

 もはや彼女に視覚は無い。しかし、それでも、この男が笑う顔だけは、まるで今現在直接見ている様に、想像する事が出来た。

 彼女は自身が不幸だと理解はしている。実感もある。しかし、人生全てを投げ捨てる気は無い。だけど、それでも、目に映らない目の前の怪物が恐ろしかった。そして、アインツベルンを裏切った衛宮切嗣よりも、今この瞬間はどうしようもなく、彼女はこの神父が憎かった。悔しかった。死んでしまいたくなるくらい、希望が消えていた。

 

「――……ぅ、あ……あぁ……っ。あぁぁああああああああああああ………っ」

 

 ……そして、彼女の腕から力が抜ける。体全体が弛緩し、動きたくも無い。体勢が崩れ、まるで神父に寄り掛る様な屈辱的な格好になっていても、その事にさえイリヤスフィールは気にも出来なかった。心も体も、そして自分が自分で在ると言う尊厳さえ砕けそうだった。それでも、両手だけは首を絞める。

 自分は負けた。多分もう、なんの価値も無くなってしまったのだと、復讐さえ満足に出来ないガラクタであったのだと、そう心の何処かで認めてしまった。今日この時まで苦しくとも堪えていた筈なのに、どんな地獄もバーサーカーと一緒ならって思っていたのに、彼女は神父の言葉によって―――心が折れた。

 

「お前は実に……聖杯にするには勿体無いよ。だからこそ、その“目”で結末を見届けてくれ。

 ―――無力なお前が何も出来ず、バーサーカーの死を看取った様に。この戦争の最期に訪れる自分と聖杯の結末を知ると良い」

 

 彼女の何も無い目から何かが流れ出る。

 

「―――うるさい黙れっ!!」

 

 ……涙と共にイリヤは叫ぶ。

 もはや望みは何も無い。心の支えも砕かれ、自分の狂戦士を殺害した男に対し、彼女は殺したくとも殺せない無力を嘆くことしか出来ない。

 

「……お願い、だからぁ……もう、わたしに……なにも言わないでよぉ……」

 

 ―――少女は泣いた。多分、一生分泣いた。止められなかった。

 切り裂かれた両目から流れ出たのは、真っ赤な血。眼球を全て失った少女は血の涙を流した。その血で寄り掛っている神父の服を赤く汚している。動けなくなった彼女は赤い涙を流しながらも、機械みたいに首を絞めていた。殺せないのに、殺そうとしていた。まるで縋り付くように足掻いていた。

 そして、お父さんみたいだった彼と少しづつ作っていった心の拠り所を失い、現実に押し潰されてしまった少女の泣声を聞きながらも―――神父は笑っていた。

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 神父は今、ギルガメッシュと森内部にあるアインツベルン城に居た。捕獲した聖杯は既に拠点の一室に監禁しており、魔術師用の対魔力拘束具を付けた上で結界に閉じ込めている。魔力を封じられ、目を潰され、碌に身動きも出来ない少女では、脱出は不可能と言えよう。それに泣き疲れ、赤く染まった顔を神父に丁寧に濡れたタオルで拭かれた後、彼女は神父に反抗するような行動を取る事は一切無かった。衰弱して死なぬ様に食事を出しても、彼女は士人が作った飯を拒む事もしなかった。恐らくだが、彼はイリヤスフィールの心が完全に折れたのだと理解出来た。

 彼ら二人は城の廊下を歩み、目的地の部屋へ向かっていた。どうやら目的となる人物は気配を隠しておらず、また、自分達も気配を隠していない。此方も向こうに気が付いている様に、あちらも自分達に気が付いている事だろう。

 

「士人よ。今回の聖杯戦争では随分とこの地に縁があるようだ。それに面白可笑しい喜劇も観れるとなれば……ああ、それは実に愉快なことよ」

 

「相も変わらず悪趣味だな。だが俺も、期待に胸が膨らんでいる。……今夜呑む酒は実に美味そうだ」

 

「なるほど。それは実に良い、とても良い。

 復讐劇は何時見ても哀れであり、そして何より愉悦に浸れる。人間の営みとは、やはりこうでなくてはな」

 

「ああ、そうだな。折角の戦争なのだ。憎悪の一つや二つ、綺麗に跡形も無く燃え尽きて欲しいものだ」

 

 彼はにんまりと笑顔を作った。黄金の王は、赤い瞳を細めて自身の従者に声を掛ける。

 

「ほほう。貴様は実に面白く育った。改めてそう思った。うむ、我はとても楽しいぞ」

 

「在るが儘に、だ。そう生きて来た、だからこう成り果てた。俺も現状の馬鹿騒ぎは、とても楽しめるまたと無い宴なのだ。

 ……ギル。お前は今の戦争をどう感じている?」

 

「無論、愉しむ。我は欲しい物は手に入れるだけよ」

 

 暇をいつも通り会話で潰し、目的の部屋に辿り着く。そこは優雅な城の一室とは思えない程、薄汚れている。人が出入りしない埃が積もった道具部屋にも似ていた。

 神父は躊躇なく扉を開け、その部屋に入って行った。勿論、彼の後ろからギルガメッシュも付き添って行く。ギルガメッシュもまたギルガメッシュで自身の目的があり単独行動を取る予定であったが、今現在はその目的となる人物もいない。故にこうして、王様は自ら臣下の遊びに付き合ってやっていた。

 そして、神父の視線の先には少女が一人。少女の視線の先にも神父が一人。先に口を開いたのは神父の方であった。

 

「久方ぶりだな、師匠」

 

「―――バカ弟子。……はっ、良くわたしの前に顔を出せたわね」

 

「いけなかったか。無様に捕獲された師匠を、こうして態々助けに来たのだがな」

 

「白々しい。……本当に白々しいわ。

 ―――で、何時このわたしを助けてくれるって言うのよ。今直ぐ? それとも一分後? はたまた一時間後?」

 

「まだ無理だな。ほら、そこの恐ろしいサーヴァントに俺が殺されてしまうからな」

 

 神父の視線の先にはアーチャーがいた。彼は普段の冷たい兵士のような殺気では無く、まるで家族を殺された遺族にも似た視線で殺す様に睨み付ける。

 

「君がここに来たか、言峰士人。………イリヤスフィールは如何なった?」

 

 何故それを知っているのか。アーチャーがキャスターの番犬をしていたのならば、如何にしてアインツベルンの聖杯のことを知る手段を神父は思い付かなかった。

 

「無事ではないが死んでいない。苦しんでいるが生きている」

 

 皮肉屋には似合わない安堵した表情をアーチャーは浮かべた。例えるなら、死んで欲しくない人の安否を知れた者の如く。

 その事を神父は意外に思い、その疑問点をアーチャーの人物像に一つ一つ付けたしていく。それなりにパーツは揃いつつも、まだ正確な情報は成し得ていない。

 

「そうか。やはり殺していなかったか。

 ……まぁ、君の願望を考えれば、偽物では満足できないと分かってはいたがね」

 

 弓兵が神父を語った。その言葉には確信と共に、相手の事を理解している気配を含んでいる。

 

「―――……………俺の何を知っている?」

 

 神父から笑みが消える。おかしいのだ。何故、死人が、現在に生きる自分の想いを知っているのか。元よりアーチャーは、何処かしら自分のことを理解している節がある。

 

「生前の知り合いだよ、君と私は。とても長い付き合いであった」

 

 サーヴァントが生前に自分と会った事がある。それも、それなりに交友があったらしき雰囲気。そして、今こうやって聖杯戦争を聖杯を求める訳でも無く続けている不可思議なサーチャーの現状。彼の目的ははっきりと分からないが、疑問が浮かび、今まで知り合った者たちから消去法で名前を探っていく。そして、一人だけ残った人物の名が有った。

 面影は無い。しかし、神父は自分の推測と第六感で浮かび上がった名前を口にした。

 

「……お前、衛宮か?」

 

 ふ、と疲れた笑みを作る。無理矢理では無く、抑える間も無く思わず出てしまった笑顔。

 

「―――ああ、正解だ」

 

 隠しても良かった。しかし、隠す気にはならなかった。聞かれなければ答えを言わなかったが、自身の答えを言い当てられた今となれば、隠す気力も湧かなかった。そして、こうなってしまった現状であれば隠す必要もなくなり、この男の内面を知っているならば、こう言えば自分の邪魔をされる可能性が減る事も理解していた。

 

「そうか。……お前、正義の味方に成れたのか」

 

 士人は、ただ確認するように呟いただけ。しかし、アーチャーの気配は激変する。怒りも無ければ、悲しみも無く、むしろ善悪聖邪全て切り抜けた如き空虚。               

 神父のその言葉を聞いたアーチャーの顔を見た凛は本当に、心の底から泣きたくなった。確かにアーチャーに対して思う所はあっても、そんなモノは今の彼に比べれば下らないと感じてしまった。どうして、ここまで、人は絶望する事が出来るのか、分かりたくも無いのに彼女は分かって上げたかった。多分、今の自分程度では、アーチャーが感じている程の絶望を身に背負えば自我が壊れるだろう。

 

「―――成って、成り果てた。

 今この時代、この世界軸にいるのも、その道を過去の愚かな自分が諦めきれなかった所為だ。

 ……何、君にも何れ理解出来る。成り果てた者が何を望み、何を願うか、求めた何かが自分に与える答えの虚しさにな」

 

 彼の表情には何も無かった。全てを押し殺し、しかしもう何もかもが堪えられない事を見る者に悟らせる。

 

「―――それは素晴しい。

 俺にも何時か、それを理解出来るのであれば、それ以上の求道は無いだろう」

 

 それを聞き、彼は笑った。皮肉屋の笑顔では無く、それはまるで友人に向けるような笑顔だった。遠坂凛が初めて知るアーチャーの側面だった。

 

「君は本当に、何時も変わらない。君と血縁があると言うだけで、私は色々と助かるよ」

 

「血縁……。そうなのか、そう言う事か。……なるほど。実に興味深いな、アーチャーのサーヴァントよ」

 

 赤い弓兵の視線の先に在るのは、神父と英雄王。英雄王でさえ、先程の言葉には愉しそうに笑みを浮かべていた。それを見て、アーチャーは自分の目論みが巧く進むことを確信出来た。

 

「これから私は過去と決着を付けに行く。―――故に、邪魔をすれば死ぬことになるぞ」

 

 ―――その一言で言峰士人はエミヤシロウの心の中を完全に悟った。

 面白過ぎて、何よりもこの世界の仕組みと末路が愉快過ぎて、恐らく最高に楽しめた瞬間だった。ここまでの喜劇を彼は一度も見た事が無い。

 

「―――は。ハッハッハハハハハハハハハ!! そうかそうか! なるほど、そう言う物語か! それは素晴しいぞアーチャー!

 ……私はとても愉快だ。その言葉、乗ってやる。結末を楽しみに待っている事に決めたぞ」

 

 言峰士人は現状を把握する。アーチャーは自分と言う人物像を完全に把握している。もはや、ここまでの娯楽が用意されているのであれば、言峰士人で在る自分が邪魔をしないと言うことを理解している。

 神父はアーチャーの考えが分かった。おまえ好みの喜劇が見たいのであれば、オレの復讐をするな、とそう分からせている。神父を足止めするのにこれ以上に有効な策は存在しない事を悟っている。だからこそ、彼は目の前の現実が面白い。最高に現実を実感出来る。

 

「―――だが、それには条件が一つだけある」

 

 しかし、その言葉でアーチャーの気配が歪んだ。この神父は物事の方向性は分かり易いが、考え方や手段が複雑怪奇。そして、言葉も気配も全てを武器とする策士だ。何を言い出すかとアーチャーが身構えるのも無理は無かった。

 

「……何だ? 条件次第ではここで死んで貰う」

 

「そう構えるな。お前があいつであれば難しい事では無い。

 ―――アーチャー。お前はバゼット・フラガ・マクレミッツのサーヴァント、アヴェンジャーの真名を知っているのか?」

 

 アーチャーは神父が持つ悪魔的思考をこの時に理解する。何故ああも悪辣な策士と成り果てたのか、その原因を今垣間見た。

 彼はいつも通りに苦笑を浮かべつつも、全てが空虚な感じがして苦しかった。今は皮肉も言いたくは無い。

 

「……知っている。生前からの付き合いだ」

 

 それを聞き、神父は微笑んだ。この度の戦争の裏側を全て、彼は知る事がこの瞬間に出来たのだ。頭の中で戦争の最後に至るまで計画を進める手順を完成させ、その上で役者として踊る事に決めた。

 

「―――よろしい。ならば私は祝福するぞ。

 なに、自分殺しは不毛とは言え今は聖杯戦争の途中である。敵のマスターをサーヴァントが殺害するのは極々自然な事だ。あれと自分が同じ運命の輪に存在するなら尚のこと」

 

 アーチャーは苦笑を浮かべていた。本来の彼の心情からすれば、自身の絶望に無遠慮に触れられ感情を激発させていただろうが、この神父が相手ではそんな行動に何の価値は無い。大した意味を成さない。

 

「……あぁ、それと。そこの魔術師は君の好きにすると良い、言峰士人」

 

 ニタリ、と士人は深く笑みを歪める。彼は弓兵を祝福し、呪いを与えた。

 

「有り難い。師匠を今の段階で自由にすると、色々と邪魔になるからな。無論、お前にとってもそれは都合が悪いだろう。

 ―――故に、安心して殺し合え。

 結末を楽しみにしているぞ。存分に願望を果たすが良い」

 

 それだけを聞き、彼は神父の隣を通り過ぎた。今はもう、邪魔者は皆無。この部屋から出ていき、全ての過去に決着をつける為、決意を新たに塗り潰して宿敵を迎え撃ちに出向く。

 

「―――――――――偽物(フェイカー)

 

 無表情になったアーチャーに対し、ギルガメッシュが一言だけ呟く。しかし、その言葉の意味が分かった所でもはや来るところまで来てしまった。

 彼は英雄王の嘲る言葉を無視し、赤い外套を連れて部屋から出て行った。

 

 

◇◇◇

 

 

 アヴェンジャーは予定通り、遠坂凛の捜索をしていた。

 既に大広間で弓兵を見掛けたが、彼が望んでいる役者はまだ出揃っていない。今頃は衛宮士郎とエミヤシロウで殺し合い、過去と未来が潰し合いをしている楽しい娯楽が始まっているが、それはマスターからの視界で今も見えている。どうやら、セイバーとマスターは二人の決闘に横槍を入れることなく、戦争は始めないらしい。つまり、何もかもが予定通り。

 そして、それはアヴェンジャーにとって、とても都合が良い展開である。

 この決闘の行く末が如何であれ、これ程の物語(シナリオ)が聖杯戦争で綴られるなど、彼からすればそれだけで召喚された甲斐があるもの。何も無い空白しかなく、殺戮の記録が暇潰しにしかならない座では考えられない最高の喜劇且つ悲劇。

 ―――もっともっと、否定(コロ)し合え。私に人生(ワライ)を見せてくれ。

 彼は無表情のまま笑みを浮かべた。彼の今の顔を見た者は、表情を作ることなく目だけで歓喜の顔を作れる異形の何かを目撃し、心の底から逃げ出したくなるだろう。それくらい、今のアヴェンジャーは、マスターから送られてくる映像と音声が愉快で仕方が無い。

 

「――――――」

 

 気配を探り、サーヴァントは一つの扉の前に到達していた。人の存在感が顕著に感じられ、中から二人の人物がいる事が理解出来る。

 ならば、遠慮は不要。敵となる黄金の男の気配は既になく、ここにいるのは過去で色取られた思い出の残照。幸運な事に、一番の厄介事であり馬鹿騒ぎの原因となる王様はいないらしい。今目的の部屋に居るのは、嘗ての神父と縁深い魔術師だけ。サーヴァントの気配を悟った二人が自分の到来を待っている。

 

「遠坂凛。同盟者として助けに来たぞ」

 

 部屋に現れたのは黒衣の男。禍々しいまでに強大な存在感から一目でサーヴァントだと理解出来た。トレードマークのフードはしておらず、素顔を出しながら侵入して来た。

 

「ほう。やはり此処に居たか、言峰士人」

 

 アヴェンジャーの視界にいるのは神父と魔術師―――言峰士人と遠坂凛。

 

「……お前、アヴェンジャーか?」

 

「その通り。俺がアヴェンジャーだ」

 

 神父の問いに答える。復讐者に迷いも無ければ、敵対者対する害意も無い。

 

「真名は―――言峰士人か?」

 

 ―――彼は既に理解していた。

 そして、このサーヴァントがそうで在るならば、それこそ迷いなど不要。この答えは最初から決まり切っていた事。

 

「―――正解だ。

 流石は過去の私だ。……もっとも、身に付けている装備品で理解されるのは分かっていたが」

 

 ―――明確な返答。

 アヴェンジャーは当たり前の真実を話す様に答えを出した。この男は過去の自分に対して、思う所は何も無いのか、神父を前に平然と佇んでいる。

 そして、言峰士人と言う神父は不気味な事に、未来の自分が目の前にいるにも関わらず、態度に変化が無い。

 その光景がどうしても、過去と未来が邂逅した二人を目の前で見ている遠坂凛からすれば気色が悪かった。もし、士人の立場に自分がいると仮定した場合、未来の自分に対してどんな態度を取るか分からないが、あのように平静を保てる自信は皆無だ。無論のこと、未来の方の自分の立場でも、過去の己を前にして精神を平静のままに出来る自身も無い。

 なのに、この二人には本来なら其処に在るべき確執のような不和が無い。目の前の人物が自分で在ることに対して興味も無く、不快な思いも無い。ドッペルゲンガーなんて通常の神経をしていれば、何かしらの感情で常と同じ状態を保てる訳も無い筈。それでも二人に変化は無い。

 

「……当然だろう。

 本来ならば、今お前が装備している法衣や装飾は私の頭の中だけにある空想の産物。悟れない方がどうかしている。それにアーチャーの言葉からも確信を得られた。……それにしても……ふむ、なるほど、まさか私が英霊になるとはな。

 ―――守護者か?」

 

「ああ」

 

 澱むこと無く簡単に復讐者のサーヴァントは答えていた。それが恐ろしい。過去の自分に対し、彼は恐らく何一つとて思う所が無い。自分とは違う人物として接している。

 

「―――答えは得たのか?」

 

 その問いにどれ程の狂おしい呪詛が込められているのか、第三者である凛にさえ肌で感じ取れた。渇望さえ失くしている神父にとって、答えこそ空白を塗り潰せるモノなのだ。

 そして、自分が欲しているモノを目の前の英霊は持っている。そうでなければ、何故そこまで成り果てたのか理解出来ない。其処まで成り果てたからこそ、手に入れて無ければ価値が見出せない。

 

「求道の果てには辿り着けた。無論―――嘗ての私が欲した真実も理解している。しかし、答えは己で見出せ。

 ―――これは私のモノだ。私だけが得られた実感だ」

 

 しかし、答えは肯定でも在り、否定でも在った。

 いづれは辿り着けると確信を与えつつも、それがどういう手段でどのようなカタチを成しているのか。抱けた想いを復讐者は言葉にする事は無い。

 

「……本当に自分で在るのだな、お前は。

 まぁ、それは良い。この場所に来た目的は何だ? 理由を聞かせて貰おうか」

 

「遠坂凛の救出だよ。他にこの場所でするべき行動は別にないだろう。それに、そもそもな話、遠坂凛と衛宮士郎と協力するように提案したのは、お前からだった筈だがな」

 

「そうだったな。――――で、今直ぐ助けるのか?」

 

「それこそまさかだ。決着がまだついていない」

 

 それで会話は終わり。この二人は全てが終わるまで動きは無い。話す事も、もう無い。

 だが、それで満足出来るのはこの同一人物同士だけ。今この状況に一番不満を感じているのは、二人の前で拘束されている魔術師の少女であるのだから。

 

「―――アヴェンジャー。

 同盟者として今直ぐわたしを解放しなさい」

 

 凛の顔を見れば一目でアヴェンジャーは理解出来た。この魔術師は既にブチ切れている。しかし、理性で感情を制御しつつも、殺意が遂に漏れ出したのだ。

 

「無理に決まっている。お前は衛宮(エミヤ)の妨害をするつもりだろう?」

 

「当然でしょ! わたしがあのバカを助けなくてどうしろってんのよ!!」

 

「……だから無理なのだよ」

 

 アヴェンジャーは神父と同種の笑みを浮かべた。遠坂凛の焦りを楽しんでいる。

 

「―――こ、このド腐れサーヴァント! あんた自分が今何をしてんのか分かってるの! 

 アーチャーが士郎を殺しちゃったら、本当に殺しちゃったら……もう、終わりなのよ!! 士郎をあのバカにだけは殺させちゃいけないのよ!!」

 

 彼女はもはや感情を抑える気になどなれやしない。そして、理性的で在る事など目の前の怪物相手では無意味に等しい。

 どれだけ自分を理論武装して所で、こいつが相手では大した意味を成さない。故にぶつけるべきなのは、ありったけの感情。この悪魔を動かすにはそれしかない。

 

「そのような事は理解している。

 恐らくアーチャーはもう二度と自分を許す事なく、永遠に己を罰し続けるだろうよ。自分を殺すと言うことは、今まで為してきたこと全てを裏切り、抹消する訳だからな。それは正義の味方に対する復讐だけでない」

 

 アヴェンジャーは心の底から笑顔を浮かべた。余りにも恐ろしく、空っぽで、理解不可能な笑い方。それを見てしまった凛はエミヤだけではなく、弟子さえも成り果ててしまった事が理解出来てしまって、痛くて苦しくて仕方無かった。

 この男共は多分、独りだけで走り抜いてしまった。人は独りでは生きられない何て言う言葉を、無価値なただの戯言にして、一人だけで生き抜いて、一人のまま死んだ。

 そんな遠坂凛を見て、アヴェンジャーは彼女の心の澱を見抜いていた。彼女の苦しみを知り得ているにも関わらず、それでも言葉を止めない。止めるなど在り得ない。

 

「自分を殺して存在を消すと言うのであれば、後悔や未練だけでは無く、自分の心を満たしていた思い出も瓦礫の山に棄て去るのと同じだ。故に、彼にとって大切なセイバーとの出会いも、遠坂凛との繋がりも、間桐桜との日常も、大切な家族との関係も、全て無駄なモノだったと断じる行い。

 それは余りにも虚しい末路であり、彼を助けたいと思っていた者たちに対する裏切りにもなる。彼が僅かばかりにも心に残していたモノさえも、永遠に続いた地獄の果てに至った事で遂に無価値なガラクタに成り果てる。

 ……それで、その事が一体何だと言うのだ?」

 

 そして、それが復讐者の返答。取るに足らない娯楽でしかないと笑ったのだ。隅から隅まで知っていながらも、彼は全く動じていない。

 

「そこまで理解していて……アンタはそれでも―――それでもわたしをここに留めるってんの!?」

 

 激情が溢れ出た。遠坂凛はぐちゃぐちゃになった感情をアヴェンジャーにぶつけた。

 

「―――無論だとも。

 これがエミヤシロウの望みであるのならば、コトミネジンドとして祝福しなくてはならない」

 

 しかし、目の前の黒衣のサーヴァントは変わらない。彼は彼として現世で存在し続ける限り、自らの願望の為に行動するのみ。

 

「……――――――――――――」

 

 そんな二人を神父は一人で観察していた。言峰士人は遠坂凛とアヴェンジャーの問答を聞き、ずっと愉しんでいた。

 ラインを通じてサーヴァントの視界と聴覚を借り、衛宮とエミヤの潰し合いを観察しつつ愉しみ、目の前の悲劇も見て愉しむ事が出来ている。この一瞬一瞬が、自分を二重に面白い気分にさせてくれていた。

 部屋に満ちるのは、余人では耐え切れない悪寒が圧縮された気配に満ちる。魔術師は魔術が使えずにアーチャーの束縛を抜け出せず、神父は決着を楽しみに観察しつつも今の喜劇を笑い、英霊は全てを悟った上で自身を果たすべく思考を連ねる。

 ……沈黙に満ち、時間が経過した。

 ラインを通じて大広間での出来事を視覚可能な士人とアヴェンジャーを違い、凛はただ待つことしか出来ない。

 彼女は考えた。こいつらは嘘をつかないので、全てが終わればこの部屋から解放されるのだと、予測でしかないが分かってはいた。しかし、その段階になってしまえば、全てが終わり、もう自分で出来る事は残っていない。今は唯、自分の無力を噛締める事しか出来ない。悔しさが溢れ、無理矢理にでも魔力を回路に流してしまえと考えたが、それも無駄な事だと理解していた。

 ―――その時、遂に凛にとって聞きたくない言葉が耳に入る。それは今の状況から解放される合図であり、全てが終わったと分かってしまう時間切れでもあった。

 

「―――――ハ。なるほど……それがお前の決着か、アーチャー。

 ふむ、頃合いだな。そろそろギルが動き出してしまう。そうなると面倒になるのではないか、アヴェンジャー。お前にはお前の予定があるのだろう?」

 

 その一言で場の空気が激変した。言峰士人を見た後、アヴェンジャーは遠坂凛に視線を移す。

 

「そうだな。では、もう助けるぞ」

 

「ご自由に、未来の英霊。俺は先に現場へ向かっている」

 

 神父は師匠を独り置き去りに、早々に部屋から出て行こうと彼ら二人に背を向けた。士人ではアヴェンジャーがいる限り凛を如何にか出来る訳でも無く、今の段階では別に害を与える予定では無い。もう既にこの場所に用は無く、次の段階に移る為の行動をしなくてはならない。

 しかし、そんな神父に対して大きな声を凛は投げ付ける。目にはたっぷりと充満した戦意が溢れ、仕返しをいつか必ず決行する気であるのが良く分かった。

 

「―――このバカ弟子。

 今回の事はきっちり覚えておきなさい。利子をたんまり付けて借りを返して上げるから」

 

「流石だよ、師匠。そして、ここからが戦争の佳境になる。気張らないと容易く死ぬぞ」

 

「うっさい! 一片死んどけ!!」

 

 神父は罵声を背後に部屋を素早く抜け出していった。その後、広間とは逆方向へ廊下を歩み、角で曲がって影に隠れた。その後直ぐに遠坂凛が扉から飛び出し、アーチャーたちがいる場所へ向かって走り去っていく。

 士人の感覚により、凛を助けたアヴェンジャーは霊体化してマスターの元に直行したのが分かった。そして、寄り道をしている自分よりも先に凛の方が先に戦場に到達するのも分かっていた。

 その状況を察知した後、彼は城の一室に入ってから煙草に火を付けた。これから一芝居する為、自分はまだあの場所に行くのは好ましくない。故に、この場所で、少しだけ時間を潰す。今後の策を練り、幾つかの予備も揃えておく。

 そして次の行動の為、士人はアサシンに念話を送る。もはや面白い位に物事が自分の手の平の上で転がり続け、面白い劇を成す為の仕上げに取り掛かろう。

 

『―――アサシン。

 予定に今のところ変更は無い。殺し合いも直ぐに始まる。準備をしておけよ』

 

『……ふ。心得たぞ、マスター。おぬしの合図で動き出せば良いのだな』

 

『ああ。宜しく頼む』

 

 ―――既に賽は投げられた。

 アーチャーが自分殺しを行う為に役者を演じたように、神父も自分が構図した演劇芝居を楽しむ為に役者を動かす。配役は決まり、シナリオも情報が揃った現段階では完成間際。

 終わりを飾り付ける聖杯降臨まで、もはや時は無い。神父は無人の部屋の中、何もかもを見透かしながらも、不透明な未来をただ楽しみに待っていた。

 

「―――さぁ、殺し合いを続けよう」

 

 故に彼は、心の内側に有ったモノにカタチを与えて言葉にした。

 神父の祝福は地獄の種火となる。そして呪いは、薪を真っ赤に燃やす炎と化す。地獄の底を知る神父は楽しそうに笑みを浮かべた。まだまだ戦争は続く。まだまだ戦争は終わらない。

 ―――憎悪は炎に似ている。

 ―――怨嗟は煙に似ている。

 作り方は理解した。最初の地獄で知り得ていた。世界を代行者として見て回り、大勢の死を見取って来た。だから今此処で、神父はただ純粋に空虚な心で、人の在り方を祝福した。




 今回のはにじファンに投稿していた話ではないので、それらの続きとなる新しい話となります。次の話から一気に戦争が進む雰囲気です。
 読んで頂きありがとうございました。

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