昔の話。養子となり、その他諸々の用事が済み教会生活が日常になった数週間後の話。
珍しく、何処か楽しそうな笑顔をしているのが印象に残っている。オヤジはその日、私とギルをつれて夕飯を食べに外食に行こうとしていた。
当時の私もそうだったが、ギルもオヤジの事を珍しがっていた。
「おい綺礼、この
ギルは少し疑問を感じていた。それもそう、この言峰綺礼と言う男の性根の歪みっぷりは当時の私も知っていたし、当然ギルも理解をしていた。感性も歪んでいてもおかしくない。どんな味をうまいと感じるのか分かったもんじゃなかった。
「安心しろ英雄王、最高の一品を見せてやろう………クックックックックック」
物凄く自信に溢れているセリフ。なんというか、有無は言わせん、という覇気が満ちていた。そんなオヤジがなんか、不気味なナニカに見えたのは私もギルも同じだったと思う。
いつもの死んでる目が生き生きしているのを見て、この男が喜べることなど碌なことではない、なんて事は解りきっていることだった。
「――………そ、そうか。ならば案内せよ」
ギルはそう答えていた。ほんの少しだけ躊躇っている答えだったのは覚えてる。
「よろしい。では士人も構わないかね?」
「………あぁ、俺は構わないよ」
当時の私が肯定する返答を返すとオヤジは何が楽しいのか、いつもの何処か悟ったような不吉な微笑みではなく明らかに笑っていた。その笑顔は生粋の神父が浮かべるものなのに、言峰綺礼らしいとでも言うべきなのか、不吉な印象が残るものだった。
この時、ギルは感じ取れた王としての勘に従っていればあんな醜態は曝さなかったのだろうに、と今なら私はそう思う。
……それに、その時の何処となく不安そうだったギルの姿は珍しかったし、この男には似合わないモノだった。そして、不安として出ていた勘を信じれば、と今でもギルはそう思っていることだろう。
――――――――何せ自分の天敵と会ったのだから。
そして、それは自分にとっては一生の付き合いとなる料理との出会いだった。
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商店街を長身の神父服の男(三十路手前のマッチョ)と、金ぴかで肌寒そうな服装の金髪外人(年齢不詳な感じで頭からして黄金一色。アクセサリーも物凄い成金です)と、八歳程度の少年(目が死んでる)が堂々と通り過ぎて行く。
――――その先に在ったのは「泰山」と書かれた、一軒の中華料理店。
店を前にするとオヤジがなんかオーラっぽいのが見えるような雰囲気で店へと入っていく。私とギルは何故だろうか、一度だけなんとなく顔を見合わせてから続いて行き、オヤジの後から店の中に入る。
「お客さん、何名アルか~?」
……なんか、日本人が妄想する中国人の似非日本語が聞こえてきた。
「魃店長、今日は三名だ」
「おぉ~、キレイアルか。それにキレイが連れと一緒とは珍しいアル」
オヤジが今見えたこの小さい女性(女の子?)の店長と名前で呼び合う程の仲になるほどには、頻繁にこの中華料理店に通っているのが分かる。この神父さんは常連客なのだろう。
「キレイの注文はいつものでよろしいアルね?」
「あぁ、お願いする。それとこの二人には同じものを甘口で頼む」
何故に楽しそうに注文を頼むか、この神父。
「フッフッフ、分かったアル。三人前の注文、いただいたアルネ」
そして、邪悪な笑いを残し店長は厨房に消えていった。意味が理解できないこの二人の理解し合ったこの態度。ギルも顔にはてなマークが出ているが取り敢えず、どんな注文をオヤジがしたのか楽しむことにしたのだろう、静かに待つことにしたみたいだ。オヤジも調理の音でも聞いているかのように無言で注文の品を待っている。自分も料理を黙って待つことにし、十分もしない内に注文は届けられた。店長が料理を持ってくる。
「麻婆豆腐お待たせアル。お二人さんが甘口で、キレイが辛口アルよ」
届けられた麻婆豆腐を見る。なんかヤバげな雰囲気であったがとにかく見た。
……それは、紅。
もうとにかく赤一色だった。危険なほど真っ赤だった。
なんというか、地獄の釜みたいな、そんな麻婆豆腐のカタチなだけの香辛料地獄。その色はもう形容したくないまでなクリムゾンなファイヤーでブラッドですよ、これ。これは美味い不味いの次元を超えている。それにもう凄まじい良く分からない程香辛料の領域を超えた香りが離れていても判るではないですか。これをどうしろというか、オ………ヤ……ジ…?
滅茶苦茶な混乱状態で思考しながら、オヤジを見る。ギルも同じ思いなのだろう。私と同時にオヤジに視線を向ける。
―――――なんか、マーボー食べてる。
甘口でさえあの惨状なのに赤を超えて赤黒くなっている麻婆豆腐を食べてる。そこには神父服を着てマーボーに挑む修羅が、独り居た。
視線を逸らす。なんか見ていると呪われそうだった、神父とマーボーに。自分はまた己のソレを見る。赤い。その後、とある決意を持ってギルを見る。ギルは固まっていた。
……数瞬後、固まっていたギルは私の視線に気付いて目を合わせる。
そして私のその視線の意味をギルガメッシュは理解してしまった。それはそう、先に食べないなら俺が先に頂くよ、という意志が込められた視線。まぁ、わざと私がそんなイメージがする視線を投げつけたのだが。
………ギルガメッシュは思った。
こんな些細なことであるが王が童に遅れをとっていいものなのか。いや、ありえない。そして王ならば喰い干さねばなるまい、マーボー程度の地獄なぞ!!! それにこの程度、三倍赤がろうがなんであろうがなんら問題ないわ。フハハハハハハハ!!!
…と、私がそんなギルのおおよその心情が読み取れる位には、英雄王は結構このピンチに混乱していた。そしてついに蓮華を持ち、煉獄マーボーを掬う。そして一気に口の中に入れた。
「――――――――――――グフ」
―――ぬうおおぉォォぉおおオオオオオオオオオオオ!!!
店主ぅううッ、水だッッッ! 水を我に持ってこいぃぃぃィィィィ!!!―――
後にも先にもこんなに情けない姿のギルガメッシュはまず見れないだろう。今でもギルを見ながらその時の姿を思い出してみるとついついワラッてしまう。
前にいるオヤジを見てみる。その時のオヤジの顔は邪悪に歪み、とことん不吉な笑みが刻まれた顔であった。そして、そんな養父と居候を視界から外して麻婆豆腐を見る。
自分も覚悟(?)を決め蓮華を握る。麻婆豆腐を食べるため蓮華にマーボーを乗せ口に運んだ。
――――――――パクリ。
その日、私は麻婆豆腐に出会った。
その後、自分はしっかりとおいしく一杯食べ終えた。子供の時の自分の腹では一杯が限界であったので満腹だった。
麻婆豆腐を食べ終えたオヤジはオカワリを注文していた、辛口よりさらにやばそうなマーボーを。まだまだ辛口以上の種類があるみたいだった。ギルは甘いものを頼んで食べていた。彼の私たち親子を見る目が、奇妙な何かを見る目だったのを覚えている。
………そんな、私の古い記憶。
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学校も終わりを迎える。今日は用事があるため、授業が終わると目的地に向かうことにした。遠坂も今日あたりにサーヴァントを召喚するのであろう、一応急ぐ様に伝えておいた。
目的地のある商店街を目指す。この商店街は地方の商店街が危機に瀕しているような客離れは見られず、活気に満ちている。そんな活気に満ちた雰囲気の中、独特でこの商店街では異質な気配がする店がある。
そこが目的地である店、泰山である。言峰は慣れたように店の扉に手を掛けた。彼が扉を開き、迎えるのは慣れた香辛料の香りと……
「いらっしゃいアル~」
……聞き慣れた魃店長の似非中国人訛り風な日本語だった。
そして、初めて食べた時から言峰綺礼と同様にすっかり麻婆豆腐にハマっている士人を、チビッ子店長が見て口を開く。
「――……おぉ~。
ジンド、久しぶりの来店ネ。どうしてたアル?」
名前を覚えられている当たり、常連客なのであろう。言峰士人は店長の言葉に答える。
「教会でのゴタゴタがあってね、オヤジの遺しモノの始末をつけないといけない。それに現在進行でまだまだ続きそうでな、俺がここに来たのは息抜きと知り合いとの待ち合わせって訳だ」
事情を話した言峰士人を見ながら魃店長は言った。
「―――…………そうアルか。
キレイが死んでからは、ワタシのマーボーについて来れるのはジンドだけになってしまったネ。なかなか張り合いがなかったアル」
店長の冗談に聞こえるようであるが、本音が多分に含まれている言葉だ。そんな料理店の店長としては間違ってるような、そんな料理人の性を語っている。中国四千年の料理、なかなか業が深いのだろう。まぁ、一応は養父の死を悼んでくれる店長の姿を見て少しだけオヤジを思い出した士人であった。魃店長が言い慣れた様に言峰に注文を聞く。
「では、いつものモノでいいアルネ?」
「お願いする」
「では待つヨロシ」
士人が答えるとそうそうに店長は戦士のような笑顔を浮かべながら顔を厨房に引っ込めた。なにせこれから魃店長が始めるのは戦争(料理)なのだから。
―――それは真実、確かに戦争であった。
香辛料とのサシでの決闘。気を抜いた瞬間、麻婆豆腐は死んでしまう。故に、死んでしまえば絶妙な味と、なによりも最高の辛味が死ぬ。
―――そんなことは許され無い。そして、負けてしまえば消えていくのがこの世の無常。
失敗を許せば自身の
―――それは料理人魂そのものが賭けられた戦場の理である。
神父はそんな戦いがあったりなかったりするんだろうか、あったら面白いけどまずないだろうな、とそんな思考をしながらいつもの席に向かう。
…実際は近くとも遠からずといった所なのだが。魃店長にもこのマーボーに至るまでには数々のドラマと、数多の試練がある中々にスパイシーな人生を送ってたりするのであった。
士人がいつもの席に向かったのは、別にその席が自分の特等席だからではなかった。単に自分より先に待ち人がそこにいたからであった。
「お久ぶりです、マクレミッツさん」
士人の待ち人とは魔術教会所属の封印指定執行者である、バゼット・フラガ・マクレミッツである。昔の士人は、この女性が養父の友人である事が結構驚くことのできる事実であった。
なんせあの言峰綺礼の友人である。しかも、養父の本性に気付いている節がありながら信頼を寄せることなど、そうそうできるものではあるまい。そして、代行者の言葉に魔術師は懐かしむように答えた。
「お久しぶりです、
「そうですね。三週間前のオヤジの葬式以来ですから、そう感じるのも悪いものではないですよ」
男装の麗人とも言えるスーツ姿の美女と制服姿の教会の神父が中華料理店で故人を偲んでいた。
バゼット・フラガ・マクレミッツは思う、言峰綺礼の養子である言峰士人は彼の養父によく似ていると。
明るい表情を浮かべていても何処か心が亡くなっているような笑顔。感情が欠けたようにも聞こえる言葉は、何処か透明で、重い何かが感じられる。そして、キレイに似た黒色の眼は、奈落のようで、底なしに深い闇が込められているようだった。
「そうです、
日本語の敬語と言うものは何処か回りくどい物に感じられる。それにお互い知らない仲という訳ではありません。……後、私のことは名前で呼んでも構いませんよ」
バゼットは何かが気に食わないのだろう、そのような提案を突然出してきた。士人も特に拘りはないのでその提案に乗ることにした。
「そうで…………そうか。ならそうする事にする。後、バゼットさんも敬語も面倒だろう、楽な感じで大丈夫だ」
「いえ。これは私の素の日本語ですから。遠慮手加減は苦手でして……
(“さん”付けは抜けないみたいですね。それにまだ固い。やはり父親の友人を呼び捨てで楽に話すというのは、日本人的にダメなのでしょうか…………)」
「…………そうか。
(流石は親父(オヤジ)の友人、侮れない人格だ。それに、結構面白い人間のようだからオヤジがちょっかいだしたのが分かるな)」
そんな風な再会をした二人であった。まぁ、らしいといえばらしいのであろう。士人とバゼットは共通の話題となる聖杯戦争の事について話を続ける。
「ジンド君、今日あった事件はどうでしたか?」
今朝にあった一家惨殺事件。四人家族で父、母、姉、弟で構成されていたが、生き残ったのは弟1人だけであった。殺害に使われた凶器は刃物であったらしい。犯人は不明。警察も調査中である。士人は朝にあった聖堂教会と魔術教会の連絡と事件への対処を思い出していた。
「事件が一家惨殺事件の事だったら刃物で殺した以外はまったくの不明。とりあえず、魔術関連のことが漏れないように手配をしたくらいで、今は調査中だな。おそらくは聖杯戦争絡みだと考えられるが…」
士人は監督役としての報告を、マスターである魔術師に世間話するようにあっさりと教えた。
「…大丈夫なのですか? 監督役がマスターに情報をそのように簡単に与えても」
「本来ならばマスター個人に情報を渡すなど規律違反であるが、情報が情報でね。
監督役としては、冬木市民に危害を与えるようなマスターとサーヴァントは処分しないといけない。そして俺は神父であり代行者だ。みすみす人を見殺しには出来ないからな」
代行者であり魔術師でもある監督役・言峰神父の返答。いろいろと複雑な立場であるからこそ、融通をきかせ臨機応変に対応できるのであろう。
「―――確かに。
外道を殺すということには、執行者も代行者も大差はありません。それに外道の類は被害が広がる前に仕留めておきたい、ということですか?」
バゼットは士人の考えを言い当てる。士人にとって、その外道が殺されるのは他のマスターなのか自分なのかの違いでしかないのでどちらでも構わない物。故に被害が広がる前に死んでもらったほうが仕事が増えなくて済むのだ。
「そう言う事だ。それに派手に動く者には前回のように監督役の権限の行使もあるが、いろいろと面倒だからな」
話がちょうど区切れたあたりで店長の気配が近づいてくる。二人は話を中断し料理を待つこととした。魃店長が二人前のマーボーを運んでくる。
「麻婆豆腐二人前お待ちどう様ネ。では、ごゆっくりしていくネ」
来た時には二人しかいなかった店内であるが、夕飯時となり客が入ってきた。店長もこの時間帯はでなかなか忙しい。
バゼットは自分に運ばれてきたマーボーを見る。
「…………………………………(この料理を食べるのも三週間ぶりですね)」
バゼットにとって、泰山の麻婆豆腐を食べるのは言峰綺礼の葬式のために冬木に来た時以来である。
それは三週間前の出来事であった。言峰綺礼に聖杯戦争のマスターへの参加を推薦されて一ヶ月位が経った頃だろうか、あの男が死んだと連絡が来たのは。
―――最初は、本当に驚いた。
あの殺しても死なないような男が、まさか突然死んだなどと連絡があった時は固まってしまった。この度の聖杯戦争では今までの借りを返す良い機会だと思った矢先にこれである。
それに彼の養子であるジンド君からの連絡でもあったので、本当に死んだのだと信じられた。
ジンド君とは、キレイと同じように仕事で会った時が初めての出会いで、その時にジンド君が言峰綺礼の息子だと知った。このような偶然もあるなのだな、と驚いたものだった。
日本に渡り、冬木に訪れる。次の日の朝、教会では葬式が行われた。そして、葬式の後、キレイの墓の前にずっといたらジンド君に誘われてこの店に来たのであった。
「………………(あなたが死んでもう一カ月位になるのですね)」
バゼットはそのような事を少しの時間の間、マーボーを見ながら思っていた。蓮華を握り麻婆豆腐を食べようとするが、ふと食べる前に日本の礼儀である「いただきます」を言ってから食べようと思った。
なんとなくバゼットは、視界を麻婆豆腐から外し、士人がその時に視界へと入る。
――――なんか、マーボー食べてる。
三週間前と同じように、黙々と蓮華を寸分も違わずに精密機械の如く麻婆豆腐を口に運んでいる。眼が胡乱としていて、マーボーにのみ己の専心が向けられている。
その常人を遥かに超えた集中力を高速機動させながら、