神父と聖杯戦争   作:サイトー

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22.マキリの蟲

 ここは薄暗い間桐邸の地下。蟲が群がるマキリの工房。

 

「―――――――ッ!」

 

 そこにいるのは数百年を生き長らえる老魔術師と、その一族の養子となった一人の少女。間桐家の養女、間桐桜は工房で魔術の修練中である。彼女の義理の兄、間桐慎二が引き起こした学校での結界騒ぎの後、間桐臓硯により病院から屋敷へと戻されていた。そして現在、彼女の頭の中は魔術のことだけではなく他の考えごとで埋まっていた。

 

 ―――兄さんが、言峰先輩に殺された――

 

 今や間桐家で唯一の“人間”となった間桐桜。彼女は蟲に体を集られ、蟲の群れに埋もれていた。

 

 間桐桜は認識する。

 間桐桜は憎悪する。

 間桐桜は依存する。

 間桐桜は諦観する。

 

 虫に心を狂わされながらも、今の彼女は思考を止められなかった。

 

 ―――兄さんが殺されてしまった。もう家では本当に一人ぼっち。自分の屋敷には怖い虫が一匹いるだけ。そしてその虫に嬲られる弱い虫がもう一匹いるだけ。それはとっても嫌な現実。

 ―――教会の神父が殺した。自分を暗く怖い屋敷で孤独にした。姉さんはそもそも助ける気がない。わたしがどれほど壺毒に苦しんでいようとも何も思っていない。ああ、とても憎い。

 ―――笑顔が綺麗な衛宮先輩。とても優しい藤村先生。衛宮先輩の家にある自分だけの居場所。何もかもが輝いて見える、わたしの幸せ。もうここにしか自分の安らぎは存在しない。

 ―――もう駄目なのでしょう。このままわたしは壊れてしまうのでしょう。ずっとずっと虫のまま、ずっとずっと虫達の人形のまま。間桐桜は間桐桜のまま、一生を虫として終わらせる。

 

 そして、マキリの虫に溺れる間桐桜を見ながら蟲の魔術師―――間桐臓硯は笑っていた。

 

「――――ほっほっほっほ。

 桜よ、慎二は学校で殺されてしまったのう。兄を殺されおぬしもさぞ悲しかろう」

 

 コツン、と老魔術師が杖で地面を叩く。すると彼女にさらなる虫が群がっていった。

 

「―――――――――――ッッ!!」

 

「だが心配は無用よ我が孫娘。彼奴はそもそも間桐の面汚し、魔術師として出来損ないもいいところ」

 

「――――――ッ! ―――――ッ! ――――――――――――――ッッッ!!!」

 

 益々苛烈になって行くマキリの修練。

 

「―――………?」

 

 しかし、虫たちの動きが突然止まる。愉悦以外に珍しく、間桐臓硯は苛つくように顔を顔を歪める。そして禍々しい二つの狂眼を輝かせながらも、体の内部も腐って行くが故に肺からも腐臭がする口を開いた。

 

「……どうやら、この廃れた魔術師の家に客が来たようだわい」

 

 言葉を発した後、目を瞑り動きを止める間桐臓硯。しばらくして老魔術師は目を開き、虫に集られながら地面に蹲る桜に聞こえるように声を上げる。

 

「ほう、実に面白い客が来たものよのう。これは正しく珍客と呼べる。どれ、使い魔を送って屋敷を案内してしんぜよう」

 

 そう言った臓硯は恐らく、この屋敷にきた珍客とやらに案内の虫を送ったのだろう。そして老魔術師はもう一度、カツン、と杖を地面に落した。

 

「……~~~~――――――――――――――――――――――ッッッッ!!!!」

 

「気を抜くでない。全く、誰が休むと言ったかのう。ほれ鍛錬の再開じゃ、桜」

 

 間桐桜へと再び群がるマキリの虫。そして数分が経った。地下室の上の方から、コツンコツン、と人が階段を下りる音がした。誰も訪れる者がいない筈の、蟲が支配する陰惨な地下室に音が響く。

 

 ……そして、足音がなくなった。上から案内されてきた人物がこの場に下りてきた。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 時も夕暮れ、陽と陰の狭間の時間帯。

 人々の生活で賑わう陽に照らされた冬木の街と、魔が跋扈する闇に埋もれた冬木の街。今はそのどちらにも属さないオレンジに染まる中間地点。

 

 

――ブロロロロロロロロロッッ!!――

 

 

 間桐邸へ向かう坂道。そこをバイクで走り抜けていく神父がいた。言峰士人が跨るバイクの製造会社の名前をハーレーダビッドソンと言い、その会社のバイクは通称でハーレーと呼ばれている。そして神父が乗るのはハーレーのモデルの一つ、ハーレーダビッドソン・ツーリングの中の一種。かなりの大型で排気量は1500cc以上の化け物だ。後ろには荷物入れが付いており、そこに必要となる道具が詰められている。楽に二人乗りも楽しめる。

 そして何を隠そう、このバイクは言峰士人の手によって改造されている。勿論、魔術的な違法改造だ。

 タイヤには強化魔術でこれでもかと、魔力を宿しており術式も刻まれている。タイヤに概念を内包させる。その気になればビルを駆け上れるし、水上を走る事も容易く出来よう。

 エンジンは既にモンスターの一言。彼は強化魔術の鍛錬に丁度良いだろうと、エンジンを構成するパーツ一つ一つに強化魔術を掛けて行った。解析して強化、解析して強化、只管それの繰り返し。何週間も掛った。常人なら気が狂っていただろうが、彼はやり遂げた。そしてエンジン部分に神秘を宿らせ改造完了。気が付けば概念の塊。

 そして各種パーツも魔術で補強する、自分の思い通りのパーツに変えていく。ただただ只管頑丈に、騎乗概念を高めていく。数多の概念を付加していく。神秘へと成り果てさせる。

 

 ―――そして完成したのがこの唯一無二のオートバイである。

 

 黒色と灰色でカラーリングされた特別製のハーレー。見た目は普通だが、中身は神父の脳髄から産み出された怪物機構で造り上げられていた。加減が一切されていない内部機構、病的なまでに改造が施されている。

 

 言峰綺礼曰く、気の迷いの結晶。

 遠坂凛曰く、心の税金祭り。

 ギルガメッシュ曰く、我の物。

 

 名付けて『爆撃者(ボンバディエ)』。それは神父が暇潰しに造った最凶の二輪自動車。乗っていると思わず、ヒャッホー、とか、ヒャッハー、とか、汚物は消毒だー、と叫びたくなるオートバイなのだ。

 ハーレーを運転して坂を上って行く士人。間桐邸の正面に到着すると、そこには見慣れた人物を二人発見した。

 

 

――ブロロロロロロロォォ………――

 

 

 重低音を発しながらハーレーを停車させる。

 

「奇遇だな、お二人さん」

 

「…うわあ、凄まじいな言峰」

 

 ハーレーに跨りながらフルフェイスのヘルメットを被る神父。法衣を着て登場した言峰士人に向かっての衛宮士郎の第一声がそれであった。

 

「―――出た、心の税金祭り」

 

 バイクを見ながら、そう声を上げる遠坂凛。彼はヘルメットを外した後、辛辣な言葉をぶつけてきた自分の師匠に返答する。

 

「酷い言い草だな、師匠。

 昔、後ろに乗せた時はヒャッハーって喜んでいたものを」

 

「―――う。…それはあれよ、アンタの話を聞く前だったからだわ。

 まさかそのバイクが、贅肉ブヨブヨ過ぎて税金を軽く通り過ぎた増税モノだとは思わなかったからよ。ガソリンが無くてもいざという時には魔力を代わりにできる魔導型内熱機関? さらに追加で術式瞬間加速ブースター機能搭載? 

 だからバカ弟子なのよ、やり過ぎだわ」

 

 凛が一息で士人へと喋る。魔術師の凛としては近代工学の浪漫であるバイクに魔術の神秘を合わせるところで、肌に合わないというか、何とも言えない許し難いところがあったのだろう。

 

「……そいつはやばいな、うん(だけど何だかな、ヒャッハーって遠坂おまえ。……あれ、違和感がない? と言うよりもバイクの乗ってヒャッハーするの、似合ってる? ……………げに恐ろしきは遠坂凛、か)。―――――…………はぁ」

 

 凛の話を聞いて、士郎は思わず呟いてしまう。しかしその後、バイクに乗って叫ぶ凛の姿を想像してしまった。それを克明に思い浮かべる事ができ、呆れた様な、なんだかなぁと言いたげな様な、そんな感じで凛の方を向いた後、士郎は重く溜め息をした。

 

「……ちょっと、何でこっち見て溜め息はいてるのよ?」

 

「別に何でも。ただ、遠坂は遠坂なんだなって、そう思っただけ」

 

「―――え。もしかしてわたし、馬鹿にされてる?」

 

 そして、あーだこーだ言い争う二人。本人たちは違うのかもしれないが、第三者からすれば口から砂糖が出そうな痴話喧嘩。神父は微笑ましそうな表情を作って、進まない話を終わらせる為に会話に入る。こういうのは無理矢理会話に入って熱を白けさせるのに限る。

 

「しかし残念だな。

 これは師匠が、爆弾の様な音がするから爆撃者(ボンバディエ)、と言ったからそう名前を付けたのではないか」

 

「ちょ、やめなさい! 思い出すと死ぬ! 恥かしくて死んでしまう!!」

 

 思い出すのは十六歳の頃。士人の後ろに乗りバイクの二人乗りをして、人気が皆無な森が隣接する公道で爆走した事。その時、自分には酒が入っていた。はしゃいでしまったあの日はハイテンションで、ひゃっはー、とか色々と鬱積を晴らして。そして、そのままのノリの勢いで弟子の目の前で弟子のバイクに命名してしまった。

 彼女は弟子と酒盛りをすると何故か醜態をさらしてしまう。ああ、恥かしい。

 ……ついでだが、神父は師匠に呑ますだけ呑まし、その醜態を暖かい視線で見守っていた。

 

「死んでしまうのだと。可哀想だからやめてやろうか、なあ衛宮?」

 

 悪い笑顔をする士人が士郎の方にそう訊いた。そして士郎は自分にはあまり似合わない、あの赤色の弓兵に似た皮肉屋っぽい顔で神父に言い返す。

 

「俺に振るな。とばっちりは御免だぞ……ひゃっはー」

 

「うきゃ!」

 

「そうだな。これはすまない事をした……ひゃっはー」

 

「うひぃ!」

 

 養父に似ていつも通りな神父はともかく、凛は士郎に裏切られた気分になった。

 ここはそう、同盟者として二人で悪徳神父を倒すのがセオリーじゃない、などと勝手な思考が凛の脳内に錯綜していた。つまり簡単に言ってしまえば凛は、そうとは思わない相手に皮肉を言われ、それを言い返さずにはいられなかった。

 

「………衛宮くん。それ、アーチャーみたいな笑い方よ」

 

「―――本気でやめてくれ」

 

 士郎は凄まじく、それこそ心底嫌そうな顔をした。

 

「はあ、もういい。あれに似てるなんて本当は良くないけど、もういい。

 ――――それで言峰。どうしてここに来たんだ?」

 

 しかめっ面になっていた士郎が、目の前にいる神父を睨む。

 何故監督役がここに来ているのか、疑問に思ったからであり、目の前の神父が何を考えているのかまるで読めないからだ。

 

「理由か? 監督役がこうして動く訳など簡単に想像出来ると思うのだが」

 

 そして、ふむ、と頷く。

 

「間桐慎二の件だよ。あれは学校で大規模な神秘の漏洩を行ったからな。目的はあれの保護者に警告を伝えるのと、マキリの魔術師が何を考えているのか探りを入れに行くのだ」

 

「…ふ~ん。随分あっさり教えるのね」

 

「隠す事でもない」

 

 士人は言葉を切った。そしてその話を聞いていた士郎は、ふと、とある疑問が脳裏に浮かんだ。マキリと、そのワードは何処かで聞いた事があるのを思い出す。 

 

「言峰。泰山でも聞いたけど、そのマキリって何なんだ?」

 

「……そう言えば言ってなかったな」

 

「ああ」

 

 士郎の方を向く神父は言葉を繋ぐ。

 

「間桐の家は魔術師の家系、と言うのは間桐慎二の件で知っていると思うが彼らは元々日本の魔術師では無い。

 聖杯戦争の始まり、要はこの戦いを発案した御三家として外来から来た魔術師なのだ。そして、その魔術師の一族が日本で間桐を名乗る前の名前がマキリと言う訳だ」 

 

「あ、なるほど」

 

 納得した様に頷く士郎。正確に言えば間桐の前の家名はゾォルゲンと言う名であるのだが、マキリ・ゾォルゲンは自分の家名ではなく名の方を日本での家の名前にしている。そこら辺の詳しい事は別に如何でも良い情報なので士郎も知る必要は無い。

 そして、その隣にいる凛はまだ胡乱げな目で自分の弟子を見ていた。この男、養父に似て問われた事に嘘はつかないが、隠し事を意味や価値に拘る事無くする事があるのだ。それも非常に内心を隠すのが実に巧妙だ。さらには言ってる事は正論だったり本当の事なので、この神父の内心は尚更分かり難いと来たもの。

 

「―――で。保護者ってのは何のことなのよ?」

 

 凛が士人に問う。

 

「保護者は保護者だよ。魔術を学ぶにはその者に師がいるのが大半だろう。師匠は若い内から独学で大成出来た特級の魔術師だが魔術師が全員そういう訳でない。

 間桐の家にはマキリの魔術を伝える魔術師がいる。その人物を、まさか師匠が知らない訳ではないだろう?」

 

「――……ええ。良く知っているわ。父と綺礼から話は聞いていたし」

 

 凛が思い出すのは数百年を生きる妖怪。過去の名前をマキリ・ゾォルゲン、現在の名前を間桐臓硯。間桐家に居座る老魔術師である。

 

「誰のことさ、遠坂?」

 

「ああ、うん、そうね。

 間桐には一人の魔術師が住んでてね、その魔術師の名前を間桐臓硯って言うの。慎二に魔術のいろはを教えたのもこいつなんでしょうね」

 

「…そうなのか」

 

 そして黙り込む士郎。言峰士人と同じで中学以来の友人、今はもう死んでしまった間桐慎二に思うことがあるのだろう。

 神父は二人から視線を外し、目的地である間桐邸を見る。

 

「―――まあ、そう言う事だ。

 では俺はもう行くぞ。仕事が詰ってしまうと、ただでさえ余裕が無い生活がより忙しくなる」

 

 そう言ったハーレー神父は鋼の騎馬にも見える重厚なオートバイを押し、魔術師の要塞でもある間桐の敷地の中へと入って行く。

 その姿が余りにも自然体で、凛は何でも無いように魔術師のキルゾーンに踏み込んで行く我が弟子を呆れた感じに見ていた。代行者である士人が本物の人外魔境で戦い生き抜いてきた事を凛は知っているので、不思議には思っていなかったが、それでも平然と侵入出来る彼には関心よりも呆れの思いが多い。

 サーヴァントも無しでの聖杯戦争中の冬木を何でも無い、それこそいつもの戦場と思えるこの男は、今の状況を完全に理解していながらも普段の日常を過ごしている時と変わらない姿なのだ。

 

「さてと。わたしたちももう行きましょうか。ここに長居していても収穫があるってわけじゃないしね、衛宮くん」

 

「おう」

 

 

◇◆◇

 

 

 バイクを玄関の前に停める。神父はオートバイに入れていた道具を自分の法衣に一つ一つ仕込み装備を整える。

 そして、装備を身に付けた彼は全周囲を警戒しながらも自然体のまま進んでいく。

 

――ギィィ――

 

 扉が開く時に軋んで唸る、独特な音が音が玄関から聞こえる。士人が扉の前まで行くとドアは一人でに開いて行ったのだ。

 まるで、入って来い、と言っている様だ。

 

「―――む」

 

 神父が玄関に入る。するとそこには特徴的な虫が一匹。昔、見た事がある魔蟲が床に這いずっていた。形は男性器に酷似しており見た者に嫌悪感を強く与える。口は縦に裂けており、肉も骨も噛み砕けそうな刺々しい牙が突いている。

 そして、キィキィ、と虫が鳴く。体をくねらせながら、士人に後ろ姿を見せながら、屋敷の中を進んで行った。

 

「…なるほど。では案内されよう」

 

 士人はわざと言葉を声に出す。そして虫について行った。おそらく自分の言葉が聞こえている魔術師へ聞かせる為に喋ったのだろう。

 

「……(屋敷の内部構造は昔と変わりはないな。物理的な罠も無く、魔術的な罠も発動する気配もなし)」

 

 彼はほんの数回だが間桐邸に来た事が有る。衛宮士郎と一緒に来た事もあった。その時がまだ彼らが中学生だった頃、三人で集まって良く遊んだものであった。基本は外で遊んでいたが衛宮邸や間桐邸で何度か遊んだことがある。

 

――ゴト、ゴト、ゴト――

 

 間桐邸には士人の足音。ミシィ、と床軋んで音が響く。そして虫の案内に従い歩いてきた士人は階段にさし当った。すると目の前にいる虫が、ピョンピョンと跳ね、苦も無く階段を上っていった。地下に存在する間桐の工房への入り口は二階にある。一度、二階に上がらないと工房へは入れない造りとなっている。

 階段に上がり、扉が開いている部屋に入る。部屋の中には変わった物は無く、工房へ続く扉など見つからない。しかし、隠されてこその魔術師の研究室だ。士人は構造把握の魔術を使い隠し扉を見破る。解析は魔術師ならば基本として学ぶものであり、言峰士人の得意な部類の魔術である。

 ――腐った空気。

 ――湿気た臭い。

 ――甲高い悲鳴。

 彼は仕掛けを解き隠し扉を開き、陰湿な重い空気が士人に纏わり付く。地下へと向けて階段が続いている。そして微かだが悲鳴に聞こえる女性の声が耳に入る。案内していた虫が暗い階段を下り、士人より先の闇に落ちて行った。

 カツンカツン、と音を立てて石造りの階段を下りる。臭いが段々と強くなっていく。雰囲気もより禍々しいものへと変わっていく。そして女の声もはっきりと聞こえてきた。

 

 ――階段の底。そこにはマキリの地下工房が広がっていた。

 

 辿りついた工房を神父は進んでいく。暗く常人なら殆んど何も見えないのであろうが、僅かに照らされる火の光で何となく広大な地下室を見渡す事が出来る。

 そしてそこには、目当ての魔術師と傀儡にされて遊ばれている魔術師の二人がいた。

 

「ほっほっほ。このような場所に何の用なのじゃ、代行者よ」

 

 老魔術師が神父に言葉を掛ける。

 

「用と言っても聞きたい事がいくつか有るだけだ、すぐ終わる。俺が長居してしまえば鍛錬の邪魔をしてしまうだろうからな」

 

 そう言った士人は、蟲に犯され続けている間桐桜を一瞥した。

 

「それは畳重。早う終わるのなら此方としても助かるわい」

 

 神父は魔術師から了承を得た。そして、ここに来た理由であるマキリの目的を調べる為、士人は臓硯に向けて質問を始める。

 

「ふむ。では一つ目だが、間桐慎二の件はどう考えている?」

 

 神父の問い。学校での出来事は到底見逃すことが出来る事件では無かった。代行者として、その魔術師の一族を根絶やしにしても構わない程である。

 

「慎二の件のぉ。……あれは孫の独断じゃよ。

 儂が聖杯戦争に関与していない、とは間桐の長として言えぬこと。だが学校の結界騒ぎは単にアレの暴走よ。あの件は慎二がおぬしに殺されたことでとうに済んでおると思うがの」

 

「確かに、あれの話は間桐慎二の抹殺でケリがつけているな。死んだ者に罪や罰を持ちだしたところで価値は無し。

 お前が、関係無い、と言ってしまえばこの件はそれまでだな」

 

 神父は相手に詰問する事無く、随分とあっさり納得した。

 

「そういうことよ。

 儂も桜もアレの暴走とは関係ない。おぬしは公に魔術を使った魔術師を一人、監督役として処断した。今回の話はそれだけのことよ」

 

 ふむ、と神父は頷く。ここで問答無用に間桐臓硯を浄化する、と言うのは教会の代行者としても遠坂家の弟子としても決まりが悪い。

 確かにこの老魔術師は怪しい。しかし、それだけで代行者が殺すべき堕ちた魔術師でもないのに抹殺するのは体裁がとても悪いのだ。それに聖杯戦争の監督役が御三家の一つを滅ぼすのも、遠坂家の弟子が冬木に住む魔術師の一族を勝手に消してしまうのも、余りよろしくない。

 

「では二つ目。

 そこの聖杯の調子はどうだ。視た所、余り芳しくないようだが」

 

「―――――――――――……」

 

 神父と妖怪が問答をしている間も間桐桜は魔術の修練中である。蟲に塗れ、周りの状況も確認出来ていないのだろう。少女の悲鳴は今も地下室に響き渡っている。

 

「…お見通し、と言う訳じゃな」

 

 沈黙した臓硯が口を開く。怪しく光る目は鋭く、堕ちた魔術師の意志が見て取れる。

 そしてここはマキリの工房。態々この代行者をここに案内したのはその為、確実に殺す為。間桐臓硯はこの代行者が強いことを良く知っている。魔術師として工房に案内しなければならないのは屈辱的、しかし単身で挑めば確実に滅ぼされる。それに相手は秘蹟を用いる天敵なのである。

 

「ああ、そうだ。ここに足を運んだのもな、そこの聖杯の出来を見に来たのが大きい理由だ。

 だが、その聖杯も―――」

 

 そこで臓硯から視線を外しマキリの聖杯、間桐桜の方に目を向ける。言峰士人はニタリ、と老魔術師に向けた笑顔を浮かべながら、陰惨な地下室でそのまま言葉を続けた。

 

「―――具合は程々と言ったところ。

 これではお前の企みもまた次回。この度の戦争が終わった後の第六次聖杯戦争へと持ち越しになってしまうな」

 

 そして顔を歪めるマキリの魔術師。まるで悪鬼のような形相で、この魔術師は悪鬼の領域を超えている本物の妖怪だ。それも中身は外道を良しと笑う醜悪な蟲そのもの。

 

「―――で、それを確認したおぬしは結局のところ何がしたい?」

 

 悪態をつきながら結論を求める臓硯。目の前に立つ代行者が一体何を考えているのか読めなかった。

 

「別に、何も」

 

「………何?」

 

 神父はあっさりと喋った。正気も狂気も飲み干す奈落の黒い眼が、目の前に存在する魔術師を淡々と視ている。

 

「だから何も。

 お前が何を企んでいようとも俺はどうこうする気は欠片も無い。そもそもその聖杯で何をしようとも、それはお前の自由だろう。

 …そして現状の俺は、今回の聖杯戦争で監督役の任を務めるだけの神父に過ぎない。

 代行者でもある自分は間桐慎二の様に民間人を殺害するマスターがいた場合、早々にその対象を殺害して終わらせるだけだ」

 

 遠回しに神父は、喧嘩を売るなら買ってやろう、と魔術師に言っていた。また同時に、何もしないのならば何もしない、と逆の事も言っている。

 

「―――……ほう。これはまた、面白いことを言いよるのう」

 

「面白いとはまた、随分な感想だな」

 

「それもそうじゃろうて。

 目の前には生贄にされ続けている女がいて、それを平然と見殺しに出来る時点でおぬしは十分に面白い。

 その若い身で随分と内側が腐っておるよのぉ。おぬしは儂の同類、外道を許容した極悪人よ」 

 

 蟲が神父を見て笑う。

 

「同類の極悪人とは、な。その様な事は最初から理解している。

 人並みの道徳に価値は無く、人並みの幸福も価値は無く、人並みの平穏にさえ価値が無い。

 お前も俺も、只管に自らの業を積み重ねていくのみ。

 ―――その悪人たる由縁、実に魔術師らしい在り方ではないか」

 

 神父も蟲を視て笑った。

 

「―――――ク。おぬしは誠にアヤツの倅なのじゃな。

 何も映さぬその黒い眼は、おぬしの父である綺礼の目にそっくりだわい」

 

「…そうか」

 

 そう呟く神父。僅かにだが、黒い瞳の影が揺れる。

 

「俺は当初の目的を済ませた。それに聖杯の状態も確認出来たからな、正規通り予想外のイレギュラーも無く聖杯戦争が進む事は分かった。

 ここにもう用はない。失礼するぞ、間桐臓硯」

 

 そう言い捨てて、士人は後ろに振り返った。マキリに用は無くなった、と彼は言う。今この場で行われている惨劇も、マキリによっていずれ訪れるかもしれない世界の危機を、まるで如何でもいいと士人は捨て切って地下工房を出て行こうとした。

 そして、その神父の後ろ姿を見て蟲の翁が醜悪に笑う。

 

「――――儂の孫娘に声は掛けていかぬのか?

 ほれ、おぬしが殺した男の妹なのだぞ。一声くらい言葉を掛けるのが代行者としての慈悲だと思うのだがのう」

 

 魔術師の声。それと同時に女の嬌声は消えている。

 神父は帰ろうと思っていた足を止め、魔術師たちの方に視線を戻す。ニィ、と禍々しい笑みを浮かべる蟲の妖怪が其処にいた。

 

「おう桜、この工房に初めて客がきたぞ。

 挨拶をしっかりせんか。おぬしがその様ではマキリの品格を教会の代行者に疑われてしまうではないかの」

 

 ほっほっほ、と声を上げて笑う臓硯。間桐桜にさらなる痛みを与え得んが為、マキリだけの、間桐臓硯の聖杯へと完成させる為に、彼は神父を使って苦悩を刻もうと考えた。

 その表情は心の底から愉しいと歪み、その声色は人を蟲に焼べる外道に相応しい邪悪な音を含む。

 

「―――言峰、先…輩………?」

 

 地面に伏せていた間桐桜は蟲を退かされ、神父が此方を見ている事に気がついた。裸の少女、実に扇情的で男なら欲情してしまう姿だが神父の目に情欲の色は一切浮かんでいない。士人の目に浮かんでいる色を例えるならそれは、玩具で遊ぶ赤ん坊にも似た衝動的な愉悦の色。その目は一切、人間らしい感情は浮かんでいない。

 

「ああ、ここにいる俺はお前の知る言峰先輩だぞ」

 

 しっかりと、疲れ切った相手にも聞こえるように神父は少女の質問に答えた。それを聞いた桜は目の前の神父に向けて口を開く。

 

「一つだけ……聞きたい事があります」

 

「それで?」

 

 いつもの笑顔を浮かべる彼。いつもの諦めきった表情を浮かべる彼女。

 

「―――兄さんを殺したのは、本当に言峰先輩なんですか?」

 

 真剣な顔で、聞かずにはいられないと言った顔で、間桐桜は神父に問い掛けた。

 

「その問いには肯定するしかないな。

 殺す事になった因果は如何あれ、アレの命を奪ったのは俺に間違いはない」

 

「そう、ですか……」

 

 それは信じたくない答えであり、ああやっぱり、と思っていた答え。

 

「酷い顔だな間桐桜。何もかもを諦め切っている表情だ」

 

 嘲笑う神父。それは慈悲など欠片も無く、間桐桜に対する同情も欠片も無かった。

 そして、笑いを浮かべる士人にどんよりとした目を向ける間桐桜。彼女の目には何にも浮かんでいない。彼に対する憎悪も今は身の内に仕舞われている。

 

「しかし、見るに堪えない惨状だ。お前の先輩がこれを知ったら、お前の哀れな姿を見た衛宮士郎は、果たして一体なにを思い浮かべるのだろうな?」

 

「……あ、貴方は―――――っ!」

 

 ―――溢れ出る間桐桜の感情。

 殺気に慣れ切った代行者である士人でさえ、隠れていた間桐桜の暗く憎悪に煮え滾った殺意は脅威に感じる事が出来た。生半可な死徒以上の威圧。恐ろしいそれの正体はドロドロになるまで何年も何年も、毎日毎日溜めに溜められた陰なる悪性―――心の底に入り切らぬ闇である。

 

「何、これは唯の冗談だよ。お前の先輩には間桐桜の事は何も言わないさ。しかしこう言う事はな、何れかは手遅れになり露見してしまうのがこの世の常。

 その時、お前の特別は、お前に対してどの様な事を思うのだろうかね?」

 

「……………………さい」

 

「正義の味方である衛宮士郎ならば、お前を問答無用で助けてくれるだろう。…助けて欲しい、その願望を告白する事が出来るのならばな」

 

「………………る、さい」

 

「それはお前の姉である遠坂凛も同じ事だと思うがな。しかし、それは無理な話。

 ―――間桐桜では、遠坂凛に助けを求められない。

 親に捨てられマキリの蟲にされたお前が、一人だけ屋敷に残り父の意志を継ぐ姉に助けを求めると言うのは、その何だ――――――哀れにも程がある」

 

「―――うるさいッッ!!」

 

 言葉を言い放ったその瞬間、地面に影が現れる。ゾワリ、と闇が溢れ出た。広がった影が彼女の周りにいた蟲を全て喰い殺す。暗く暗く、何処までも暗黒な影である。

 

「これは凄い、影の魔術か。珍しいものを持っているな」

 

「―――Es erzahlt(声は遠くに)―――Mein (私の足は)Schatten(緑を) nimmt(覆う) Sie・・・・・!」

 

 ……憎悪に染まった魔術。地面の影から、鞭の様な、触手の様な、形容し難い黒い何か這い出てくる。桜はそれはそのままの勢いで攻撃する。自分の精神に傷を負わせた目の前の神父に自分の闇を叩き付ける。

 

「――――だが、甘い」

 

 軽い一閃。士人にとっては撫でるような素振り。士人の右手には光り輝く西洋剣。彼は桜に話し掛ける余裕の雰囲気で、ザン、と斬り捨て影の鞭を霧散させた。呆気無く魔術を塵となって消えてしまった。

 

「まだまだ、だ。才能はあるみたいだが修練不足だ。戦いにさえならん」

 

「……はぁ、あぐぅ、ああぁ――――」

 

 唯でさえ蟲によって犯されていたのだ、間桐桜は体力も魔力も殆んどなかった筈。それを気力と憎悪だけで魔術を発動させた、その事実は称賛に値する。

 

「―――コト、ミネ…ジン、ド………」

 

「―――お前は姉に良く似ている。

 その目、その気概。お前のそれは我が師のモノと瓜二つだ」

 

 気を失う直前、間桐桜が聞いたその言葉は呪いとなって耳に入った。

 姉に似ていると姉の弟子に言われた遠坂家の次女は、憎悪をそのまま心に眠らせて意識が消えていったのであった。

 

「眠ったか。ふん、道化を演じるのはこの位で十分だろう間桐臓硯」

 

「ほ、少々やり過ぎじゃわい」

 

 間桐臓硯の挑発に敢えて乗り、この遊戯に参加した神父。蟲の老魔術師は、外道に笑うその神父と一皮むけた自分の道具を愉しそうに見ていた。

 

「そうか。久方ぶりに楽しめる相手だったからな、ついつい力が入ってしまった。お前も精々そこの怪物に喰い壊されない様、力み過ぎには気をつけることだ」

 

「分かっておるわ。壊れてしまえば元も子も無いのじゃからのう」

 

 所詮は同類。外道は外道で在るが故、異端は異端で在るが故、広く狭い世界を一人で生きて抜いて死ぬのだろう。

 この二人はどの様な結末を迎えようが、自身が受け入れなけれならないその最期まで只管に生きるのだ。死んでしまった言峰綺礼がそうであった様に。

 

「では帰る。お前の聖杯にはそれなりに期待しているぞ」

 

「―――ハッ、若造が。

 いずれおぬしは、このマキリが聖杯戦争で殺してしんぜよう」

 

「それも含めて期待している」

 

 カツンカツン、と来た時と同じ足音で帰って行く神父。そして、倒れこんでいる間桐桜に再び間桐臓硯の蟲が集まっていく。中断していた鍛錬を再開するのだろう、蟲たちが間桐臓硯の命令を受け意識の無い少女へと再び群がっていった。

 

 

◆◇◆

 

 

 バイクに乗り教会へと帰る言峰士人。今は夜となり冬木の街は闇に落ちている。月の光が照らす中、神父は風を切って道を進んでいた。

 

「只の人形と思っていたが、これは中々。もっと化けてくれれば嬉しいのだが、な」

 

 一人、言葉を漏らす。声は風の中に消えていく。

 

「―――――――(もし第六次も参加出来るのならば中々愉快な事になるだろうが、今は第五次聖杯戦争中。

 今回の戦争でマキリのが覚醒しておれば良かったのだが。……ふむ、諦めるか)」

 

 監督役の命を受けた神父が今後、どの様に動くべきか考えていた。

 戦争はゆっくりとだが着々と進行している。脱落したサーヴァントはライダーのみ。しかし、ここからはより殺し合いが加速していくだろう。

 

「―――願わくは、私にお前の答えを見せてくれ、聖杯よ」

 

 父の求道を胸にする神父。

 答えは近い。泥が詰まった聖なる器は、自身を解き放つ者を待つのみである。




 臓硯がわざわざ神父を地下に誘ったのは、いざ殺し合いになった場合、確実に殺害する為です。外はまだ日の光があり、虫の展開もままならず、彼の魔術全てが存在している工房であるならば、神父も殺し合おうと考えないと思ったからでした。神父も神父で、蟲に満ちた場所では聖杯戦争中だと更に面倒なので臓硯と戦う気にもなれません。故に話し合いだけできっちりと終了した訳でした。

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