神父と聖杯戦争   作:サイトー

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16.Gorgon's Andromeda

 自分には何もなかった。

 

 嬉しくない。

 悲しくない。

 楽しくない。

 苦しくない。

 

 何を見ても何も感じない。

 喜怒哀楽が身の内にない。感情が消えていた。

 

 私にあったのは空白。それと呪いによる衝動だけ。

 

 王から与えられた誇りと父から譲られた求道は私にとって数少ない価値ある存在だが、自分が産み出したものでもなく、また造り出したものでもない。

 

 衝動も後付けに過ぎない。

 

 自分には自分の「何か」が一つもなかった。心にあるのは空白だけで、何もない空っぽだった。

 

 だから求めた。衝動を震わせ、王からの誇りを抱き、父の言葉だった求道を歩んだ。死んでしまった心を、あの時失った何かを理解できなくて、自分はそうやって生きていくしかなかった。

 

 自分で決めた生き方。変わる事のない自分の在り方。

 

 心の中には何もない、と。自分はそうなのだと解っていたが、それこそどうでも良かった。答えが欲しいなら求め続ければいい。理解したいなら求め続ければいい。感情を感じたいなら求め続ければいい。

 

 自分には、何かを得たい、と言う感傷さえなかったが、それでも何かを求めることは出来たのだ。

 

 だから私は、戦うため戦い、極めるために極めて、理解するために理解して、学ぶために学んで、鍛えるために鍛えて、求めるために求め続けて。

 

 

 結局、この心ではその様な単純なコトしか出来なかった。

 

 

 ―――永遠(とわ)と続く、この長い長い旅の中で。私はただ、自分の価値を自分の心で感じてみたかった。

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

2月6日

 

 

 

「…………」

 

 久方ぶりにゆっくり眠った言峰士人はとても変な夢を見た。と言うよりも、見覚えのない記憶を閲覧したと言った方が感覚的に正しい。何故だか、それが酷くざわつく。

 見たのは断片的な場面(シーン)の連続。途切れ途切れに続く記憶の澱。

 見慣れた地獄の風景。死体が散らばる残骸の山。夢の中で戦場を歩み続ける『自分』。

 その夢は、どうしようもなく不吉な夢だった。それにあまり夢を見ない士人が夢を見るのは珍しいことだった。見たとしても気にすることも無くすぐ忘れるのが大抵だ。

 

 しかし、その悪夢を目覚めた士人はハッキリと覚えていた。

 

「………」

 

 今日も一日が始まる。

 

 

△▼△▼

 

 

 

「はあ、面倒だな」

 

 学校へ登校した、その第一声。結界を見てワザとらしく溜め息を吐く神父。血生臭い結界はそのままだ。

 

「面倒なのはこっちも同じよ」

 

「しかし、それは仕方がないことだ。そもそも師匠が遠坂で在るならば、このような狼藉者の処理も仕事だろう。此方はともかく其方は失敗が許されないからな、心中お察しする」

 

 朝の校門、凛と士人が会っていた。彼女はいつもより不機嫌な表情をしている。しかし、それも仕方がないことだった。昨日の夜は自身のサーヴァントが勝手に独断行動を取り、協力関係であった衛宮士郎の殺害を企てたのだ。殺人は未遂に終わったが、そのサーヴァントのマスターとして彼に不義理を働いたのは間違いない。

 何よりも、三つしかない令呪を自分で決めたことだが、アーチャーに使用してしまい残り一つである。凛に色々と心労が溜まっていくのも仕様がないだろう。

 

「アンタも気張りなさいよ。派手なことになったら監督役も大変でしょ」

 

「そうは言ってもな、奴らが相手ならば逃げるだけで精一杯だ。俺に出来ることなど高が知れているのは、師匠もわかっていると思うが」

 

「そんなこと知ってるわよ。わたしが言ってるのは、あんたのやる気の問題」

 

「ふむ。まあ、心の準備はしておこう」

 

 士人は疲れた感じの苦笑を漏らすと校舎の玄関に向かって進んでいく。凛は弟子の後ろ姿を見た後、結界を考える。頭が痛くなった凛は疲れた様に士人そっくりに溜め息を吐く。

 

「はあ、厄介事がてんこ盛りだわ。………うっかりだけは気を付けないとね」

 

 気合いを入れてる時に弟子を見たためか、凛は過去に士人の前でうっかりをかまし、盛大に恥をかいたのを唐突に思い出した。脳の奥底に封印したい記憶と言うヤツである。

 今思い出しても、アレは酷かった。六年以上前の話だが、その時に凛は「ククク、間抜けだな。その様では師匠の名はウッカ凛で十分だ、ハハハ」と言われたのを克明に覚えている。殴ッ血KILL程まで殺意が内から溢れて来たが、羞恥心の方が遙かに上回っていた。

 ……もっとも、結局はその後に凛は士人を半殺しにしたのだが。それは中国拳法の修行で練習試合の事であった。当時の凛と士人の強さは伯仲していた。その時の凛がハシャギ過ぎて、そのまま死闘になってしまったのはいい思い出である。

 そして凛は、重要な場面で気合いを入れて物事に挑むと、何故かうっかりが発動する自分のジンクスが色々と恐ろしかった。さらに、邪悪なる言峰親子に自分のうっかりをイジられ、彼女はうっかりをした過去がすっかりトラウマになっていた。遠坂凛の『うっかり』は中々に業が深いのだ。

 

「………(良しっっ!!!)」

 

 心の中で気合いを入れた凛は校舎へと向かって行った。

 

 二人が校舎へと入る。玄関は混雑していた。上靴に履き替え二人は生徒たちで溢れる廊下を進んでいき階段を上る。凛と別れた士人は自分の教室へと入った。

 

「やあ言峰」

 

 聖杯戦争の時期になってから会話が殆んど無かった友人、間桐慎二が士人に久しぶり話し掛けて来た。士人を見る顔は歪んでおり、慎二の目は士人を睨みつけている。まさにガンつけだったのだが、間桐慎二という人間の雰囲気の所為か士人から見れば小物臭さが目立つ。彼はまったく怖くなかったし、周りの学生も何だまた間桐の癇癪かと、まったく気にしていない。

 

「どうした間桐、機嫌が最悪に見えるが?」

 

「っ! うるさいな。誰のオカゲで僕の計画が狂ったと思ってるんだい?」

 

「ふむ。やはりあの眼帯の所業はお前の命令か」

 

 神父は呆れたように苦笑を浮かべ、ヤレヤレと肩を揺らす。

 

「まったく、はしゃぐのは程々にしろよ。これは友人としての忠告だ。手遅れになったらどうしようもないのだぞ」

 

 慎二が士人を睨みつけながら口を開く。

 

「何、この僕に言峰風情が指図しようって訳。たまたま戦いが上手くいっただけで調子に乗るのは恥ずかしいよ?」

 

 その言葉を受けた神父は、ニタリ、と不吉な笑みを浮かべる。

 

「……仕方がないな。お前が俺の言葉が判らないのなら、それで良い。そもそも俺としてはそれなりに自重してくれれば、別にお前が何をしたって構わないのだ」

 

 そう言った士人は席に向かって行った。慎二はその言葉を聞き、クスクスと笑う。何か愉快な事でも耳にしたような笑いだった。

 

「へえ、そりゃいい。じゃあさ、出来るだけ派手にやらないとね。本当、君が今日来てくれて良かったよ。

 ……後は衛宮が来てくれれば、結構面白くなるのに」

 

「ああ。派手で構わん。それらに対して出来る限りの責任を持って事に当たるのもまた、俺の仕事だ」

 

「そうかい。後始末も大変だけど、言峰は僕たちのために頑張ってくれよ」

 

 はは、と笑って間桐は自分の席に戻る。

 

「…………その責任を規定に則り本人に償わせるのもまた、監督役の仕事なのだがな」

 

 士人はそう口の中で小さく呟いたが、その声は誰にも聞こえることなく、朝の騒がしい教室の喧騒の中に消える。それは誰かに聞かせる言葉ではなく、士人はただ、自分が背負うことになった役目の確認を言葉に出しただけである。

 朝のホームルームも少しで始まる時間となる。虎の騒がしい声でこのクラスは今日も学校の生活が始まっていくのだろう。

 

 

 

▼△▼△

 

 

 

 昼休み。衛宮士郎は一時目が終わり二時間目が始まる前に登校していた。

 勿論、クラス担任の虎は朝のホームルームで怒りながら咆え、教室が混沌とした。「まさか!? セイバーちゃんと―――」とか「―――許すまじ士郎!」とか言い放っていた。聖杯戦争監督役として少々聞き逃せない単語があったが、敢えてそれには触れないことにした。何せ、虎とその飼育係なのだ。

 

「………」

 

 士人は昼食を取ろうとする。すると、話し声が耳に入った。教室の男子が騒がしく会話をしていた。それを聞いた彼は久方ぶりに後藤たちと弁当を食べようと思い、近づいて声を掛けようと口を開いた。

 

「「どうした。騒がしいな?/おーい。どした、なにかあったのか?」」

 

 士人は士郎と声が被る。

 

「「――…………」」

 

 どうやら、士郎も士郎で騒がしかった後藤たちが気になって話掛けたみたいだった。

 

「言峰殿と衛宮殿か。気になるのでござるなら、それ、教室の外を見てみるがよい。ただしこっそり。あくまで隠密」

 

後藤は相変わらず愉快な口調だった。

士郎と士人の二人は、いつものことなので変てこな口調を気にする事なく教室の外を見た。

 

「――――――――――な」

 

「…………まったく」

 

 士郎は驚愕に声を漏らし、士人は呆れた感じに声を漏らした。教室の外、つまり廊下には、後藤らの男子たち以上に挙動不審な影が一つ。

 

 ――遠坂凛が、なんかキョロキョロしてる。

 

 言峰が、なんだかなぁ、とだいたいそんな感じの感想を内心で呟いていると、後藤たちがそのまま会話を進めた。衛宮はまだ固まったまま凛を見ている。

 

「2Aの遠坂だよな。う、うちのクラスになんか用かな?」

 

「間違いござらん。先程から盗み見ていたが、あちらも同様の草っぷり。さりげなく、しかし大胆に我らが教室を覗いておる。ドアの前を通り過ぎるのも七回目。いや、今ので八回目よ」

 

「………だよな。こうなると偶然じゃねえ。つうかさあ、なんか目つき悪くねえか? 遠坂さん、もっとこう、普段は涼しげな顔してない?」

 

「あ、おまえもそう思う? こう、通りがかるたびに目尻があがってんだよなあ。近寄りがたくなっていく一方だ。ありゃイライラしてるね。なんか気にくわないコトでもあったんかな」

 

「待ち人きたらずというより、待ち人気づかずというところ。こう、誕生日にこっそりプレゼントを仕掛けておいたのに、贈られたヤツは一年経っても気づかないんでもう、ブチ切れ寸前、といったところであろう」

 

「確かにな。あれはキレかかった顔だ。頭の中ではそいつをどう処刑してやろうかと思案でもしているのだろう。後藤が言った通り、正しくブチ切れ寸前といった雰囲気。あの遠坂凛をここまで追い詰めた者が一体どの様な処分を彼女から受けるのか、見るのが非常に楽しみだ」

 

「後藤ってさ、時々すごい表現するよな。的確すぎ。なに、おまえ前世は軍師か何か?

 ……後、言峰。そんな怖いこと言うなよ。俺も少しだけ、遠坂さんの折檻を見てみたくなるだろ?」

 

 男子連中には言峰士人もさりげなく混ざっていた。そして好き放題言っている。

 

「……………」

 

 士郎は恐る恐るもう一度、廊下を隠れながら盗み見た。

 

 ――そこにいるのは、沈黙の遠坂凛。

 

 怒っていた。凛は怒っていた。今も際限なく怒りは燃え上げっている様に見受けられる。士郎は凛が何に怒っているか不明だが、なんとなく、後藤の考えが正しいと思った。そして凛の素の姿を知った士郎にとって言峰が言っていたコトは、それが自分ではなく他人事であっても物凄く怖く感じたので考えてたくもなかった。

 

「ふーん。遠坂も色々人付き合いがあるんだなあ」

 

 士郎は凛を気にしないことにした。誰に用事があってうろついているのか気にはなったが、わざわざ声をかけて邪魔をしては悪いと思い放っておくことを選んだ。第一、学園のアイドル(士人の視点だとアイドル(笑)、いやアイドル(哂)となる)である遠坂凛に衛宮士郎が話しかけるところを見られたらクラスの男子(特に後藤のこと。彼は中々にミーハーな男子学生だ)に槍玉にあげられるだろう。そういう意味で士郎は実に賢い選択をした。

 …もっとも、士郎はすぐにそのことを後悔することになる。短い付き合いの衛宮士郎は、遠坂凛という《あかいあくま》のことをまだまだ判っていないのだ。

 

「それより昼飯だ。放課後に備えて栄養をとっととかないと」

 

 今は遠坂よりも飯だ、と席に戻る。自分の席に座った士郎は、よいしょ、と声を上げて机から弁当を取り出した。

 今日は士郎のおかずをたかりに来る遊撃部隊は言峰も混ざって遠坂ウォッチングで忙しい、もっとも士人は面白がって参加している雰囲気だが。今日はヤツらを気にすることなく教室で弁当を広げられると彼は安心した。

 言峰も混ざった男子連中は話し続けている。

 

「あれ? 遠坂さん、A組に戻っていっちゃったぞ?」

 

「なんだよ、結局理由は分からずじまいか。

 ……まー、案外ただの散歩かもな。ほら、遠坂って時々突拍子もない行動をするらしいじゃん? 交際しろって迫ってきた三年をフルのに屋上で飛び降り寸前までいったって話、知ってるか?」

 

「違うって、三年に飛び降りさせる寸前、だろ。フェンス乗り越えてさ、屋上の端で立ったまま一日付き合ってくれたら付き合ってもいいってヤツ。あの三年生、しばらく登校拒否になったんだってな。

 ……でもさあ、なんでそんなコトしたんだろうなあ。イヤならイヤって言うタイプらしいじゃん、遠坂さん」

 

「あー、それでござるか。遠坂殿曰く、つり橋の恋愛理論だとか。

 とりあえず好きになれそうにないので、緊迫状態で一日過ごせば恋愛感情が芽生えるかもしれない、とのコト。いや、下々の人間には考え至らぬオツムでござる」

 

「いやはや、それは怖い話だ。もしアレと付き合うコトにでもなれば、その男は命がいくつ有っても足りぬ状態に陥るのだろう。

 言ってしまえば、登校拒否になった三年生の不幸は、遠坂凛に惚れたコトそのものだな」

 

「言峰殿も言うでござるなー。まあ、それは、拙者も同じだがの。恐ろしや恐ろしや」

 

「ああ、恐ろしいコトだ」

 

「後藤も言峰もズバッと言うよな。……俺もその話は恐ろしかったけど」

 

 そんな男子たちの会話。士郎は弁当を開こうとしていたが、その話を聞いて手が止まる。

 

「―――――(遠坂のやつ、そんな武勇伝を待っていのか……よし、これからは屋上に行った時は気を付けよう)」

 

 士郎がそんなコトを考えていると凛は自分の教室から戻ってくる。溢れていた怒気は身の内に収められ、表情もかなりやわらかくなっていた。

 

「おお? ラッキー、戻って来たぜ遠坂さん!」

 

「……けど、なんかこう違くね? さっきまでは殺気だってたけど、今はこう、寒気がするくらい涼しげっていうか」

 

「天使の笑顔でござるな。アレはもう、『アンタがでそうでるならこっちも容赦しない、ワタシ開き直ったわ』という覚悟の現れでござろう」

 

「それが正しいだろう。見た目は綺麗な笑顔だが、目が悪魔の如く灼熱としている。覚悟というよりも、あの笑いは処刑宣告だな」

 

「確かに。あれは獲物を狩り取る悪魔の笑顔にも見えるでござる。遠坂殿は、綺麗な花には棘がある、そんな例えが似合いそうな御仁であるからなあ。それはそれは恐ろしいお仕置きでござろうよ」

 

「ああ、そうだな。もっとも、お仕置きだけで済むならそれでいいのだが」

 

「い、言いたい放題だな、おまえら」

 

「でも自分、遠坂さんのお仕置きって興味あるなぁ……」

 

「「「おいおい/変態でござるな/罪深いコトで」」」

 

 言峰も混ざった男子連中が好き勝手に言いまくっている。すると、廊下から殺気が漂ってくるのを士郎は感じ取った。士人にとってその殺気は感じなれた気配である。そう、それは、最近になって慣れてきた人物の気配だった。

 

「――――む?」

 

 その時、士郎の背中に尋常ではない寒気が走り抜ける。セイバーに鍛え上げられたおかげか、危険を察する感覚が上がり、その能力が、危ない危険だ命の危機だ直ちに避難しろ、と警報を鳴らす。

 

「・・・・・・」

 

 ブルリ、と背中を震わせる士郎。彼は寒気の元がいるだろう廊下を盗み見た。

 

 ――そこにいるのは、微笑みの遠坂凛。

 

 戻った自分の教室から持ってきたのか、新品の消しゴムを持っている。怒りのためか、消しゴムを握っている手はブルブル震えていた。

 それを見た士郎の背筋に稲妻が走る。なんかヤバい、と士郎は危険を察知する。と言うか、士郎は見るからにヤバい何かを直視してしまった。そして凛と目が合った。

 

 

 ―――瞬間、凛の投げた消しゴムが士郎の額を直撃した。

 

 

 彼は投げられた消しゴムの勢いのまま、椅子に座りながら一回転をかます。超絶な吃驚大回転だ。教室を沈黙が支配した。

 

「なんだぁーーーー!? 突如衛宮くんが回ったぞう……!?」

 

「ありえねぇーー! どうしたよ衛宮、椅子にモーターでも仕込んだか!?」

 

「忍法!? 今のは忍法でござるか衛宮!?」

 

 それを見ていた後藤他、男子連中はその奇行に興奮して士郎に近寄っていく。白昼堂々と行われた奇行に盛り上がる後藤たち。椅子ごと床に倒れ込んだ士郎を囲み、ワクワクした雰囲気を纏っている。

 

「あ……いったぁ――――――」

 

 そう声を漏らす士郎。後藤は呻いている士郎に手を貸して立ち上がるのを助けた。

 

「う、さんきゅ……って、後藤、いまの、どう見えた?」

 

「む? どうって、にゃんと一回転でござる。衛宮殿が椅子に座ったまま、一人で側転したように見えたのである。

 ――――拙者、衛宮殿からその技を、是非ご教授していただきたいでござるよ」

 

 後藤が言いたいことも判らなくはない。授業中に先生に指された瞬間、ぐるんと一回転したら大ウケだ。その技を羨ましいと思うのにも頷けなくもない。混乱中の頭で、士郎は後藤の申し出も断りながらそんなコトを考えていた。

 そして後藤と話をしている士郎の視界には、後藤たちの後ろにいる士人が目に入る。士郎は椅子に座ったまま此方を見ていた士人と目が合った。

 

 士人は士郎の方を向いて、指で空中を十字に切る。その後に「――――――AMEN」なんて、口ずさんでいるのを士郎は目撃した。

 

「――――――っ」

 

 彼は士人に結構な勢いで怒りが噴出したが、今はそれを抑えなければならない。何故なら、もう弾丸としか思えない消しゴムを一投したあくまが、廊下で第二弾を発射しようと据わった目で士郎を睨んでいたからだ。

 

「すまない後藤、その話はまた今度な。ちょっと用事が出来た」

 

 士郎はそう言って机の弁当を持って廊下に向かった。赤くなったおでこを片方の手で押さえながら教室を進んでいく。そのまま廊下に出た彼は、教室の前いた凛に話しかけていた。

 士人がいる所に後藤たちが戻ってくる。しかし、廊下を再び見れば驚きのその光景。突然の奇行の後、士郎がアイドルである凛と廊下で仲良く会話をしているこの状況。席に座った男子連中は混乱と驚愕に襲われていた。

 

「ななな、な、なな、ナント! 衛宮殿が遠坂殿と談笑してるーーー!!! い、一体、何が起きたでござるか!! セセ拙者、コココ混ラ乱ンンノキョキョ極地ナリリリ」

 

「衛宮くん。君はいい級友だったが、それも今日までだね。……フフ、フハハハハハ!!!」

 

「ふ。そうか、遠坂が待ってたのは衛宮だったのか。……くっ、嫉妬で人が殺せたら!!!」

 

 そんな衛宮に対する妬みと驚きで震えている男子連中を見ながら士人は弁当を食べている。一通り騒いでいた彼らを見た士人は、自分の弁当の飯を飲み込み声をかける。

 

「落ち着くのだ。冷静になって状況を良く考えろ。その後にもう一度、廊下を見てみるがいい」

 

 そう言われた後藤たちは、取り敢えず冷静になった。その後に落ち着きを取り戻した彼らは廊下を見た。

 

 ……そこにあるのは変わらない現実。

 

 高嶺の花と仲良くなった同じクラスの男子。そして遠坂凛と並んで廊下を去っていく、憎き衛宮士郎の背中であった。ああ、無情。

 

「なんてコトだ! 衛宮くんめ! 抜け駆けは死あるのみ!!」

 

「あああ! 嫉妬が湧くぜ! どんどん漲(みなぎ)ってくるんだぜ!!」

 

「変わらんでござる!! 現実はっ! 何もっ! ……変わらんでござるぅぅう~~」

 

 

 彼らは現実を再確認した。辛いだけだった。

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

「――――で。いいのでござるか、言峰殿」

 

 もう一度落ち着きを取り戻した(結構時間が掛った)彼らは、昼食を食べながら会話を続けていた。しかし、弁当も食べ終わり、今は後藤と言峰しか席にいない。残り二人は教室から出て行っていた。

 

「何がだ、後藤」

 

「遠坂殿のことよ。言峰殿は幼馴染ではなかったでござるか?」

 

「ああ、そうだぞ。家同士に付き合いがあったからな。――――で、それが何だ?」

 

「幼馴染を衛宮殿に取られてさぞ悔しいでござろう、と思ったところよ」

 

 下世話なことを訊く後藤。

 

「まったく」

 

 即答する士人。一秒も掛らず、考える素振りさえなく士人は答えた。

 

「早い否定でござるな~。拙者がお主なら遠坂殿を放っておかないでござるのに」

 

 勿体無いのー、と呟く後藤。彼から見れば、憧れの遠坂凛と幼馴染というポジッションは羨ましい限りなのだろう。

 

「アレと交際するなど有り得ないな。

 確かに古い関係だが、それは長年放って置き過ぎた為、歪に萎びれた頑固な乾燥食品みたいに固まった関係に過ぎない。そもそも向こうは俺の事を男だと思っていないし、それは此方も同じ事だ」

 

「そこを発展させるのが男の腕の見せ所だと拙者は思うでござるよ。見る限り、今まで仲が良かった男子は言峰殿、唯一人。そこに現れるが衛宮殿。

 一人の女をめぐって二人の男は血みどろな愛憎劇を繰り広げる! そんな感じにはならんでござるか?」

 

「ならんな。アレは、そうだな、後藤に解かり易く言えば、姉弟みたいなモノだ。俺から見れば世話好きな姉、向こうから見れば生意気な弟、良く言えばその様な関係だな」

 

「そうでござるか~。いやいや真(まこと)に勿体無いことでござる。

 しかし、遠坂殿の高嶺の花という印象はかなり強いでござるからなあ。衛宮殿と普段と違う雰囲気で歩いてるところを見たのは驚きでござったよ」

 

彼はしみじみと先程の光景を思い出す。

 

「………そうなのか?

 俺としては凛に漸く春が来たといったところ。衛宮との仲がこのまま進めば、赤飯でも炊いてやって祝福を上げてやろうかと考えているぞ」

 

「おお。拙者では嫉妬の余り、衛宮殿を殴りかかるのが良い所をお主は祝ってやると? ・・・・赤飯は余計だと思うでござるがな」

 

「まだまだ未熟だが、神に仕える身でね。祈り、祝い、無償の愛を胸に抱くのが神父たる者の姿だろう? だから俺は、記念として赤飯を炊いてやるのだよ。アレも赤飯のように顔を真っ赤にして喜んでくれるだろう」

 

 くくく、と邪悪な笑みを浮かべる神父。相変わらずな友人を見て後藤も思わず苦笑い。この神父の厚意は、実に捻くれているのだ。

 

「言峰殿も余り遠坂殿を、ォ―――――――――」

 

 

 ―――そうして、世界が赤く染まった。

 

 士人の前にいた後藤がバタリ、と椅子から落ちる。糸が切れた操り人形の如く床に転がった。教室にいた生徒たちは言峰を除いて全員、倒れ込んだ。

 

「……(派手にやったな、間桐慎二)」

 

 ――――世界が、赤い。人が死へと溶け逝く化け物の胃。ジワジワ、と命を啜っていく。視界は紅一色と化す。

 彼は教室を抜け廊下へと出る。感じる気配は二つ。上にサーヴァントの気配、下からはもう一つのサーヴァントと結界の気配。

 

「………――――(サーヴァントが二体か。乱戦になるかもな)」

 

 士人は即座に結界の核がある方へ向っていく。

 呪刻を解析した時に、この結界宝具が術者を始末すれば解除されるのは分かっていた。この陰惨な魔力で造られた結界の気配はライダーと同じものだ。脳裏にはライダー用に練っておいた戦術を纏めていく。そして瞬時に投影出来るよう、ライダーの必殺を可能とする武器を固有結界の中に準備しておく。

 階段を飛び降り、一階へと士人は一瞬で降りて行く。目的の教室に行く途中に使い魔らしきゴーレムがいたが、後の戦闘を考え無駄な魔力消費は抑えたい。故に投影はせず、軽い強化魔術を肉体に掛けた。言峰士人は素手でゴーレムたちを粉砕して進むことを選ぶ。それに最近は魔力の消費が多く、節約しなければまらない。

カシャ、カシャ、と骨細工が動く。耳障りな音を発しながら士人に近づいて行く。無言のまま、骨の人形は剣を振り上げ襲撃し始める。ゴーレムが間合いに入った士人を切りつけようと持っている剣―――もっとも、士人から見れば剣とは呼べないただの棒切れでお粗末なモノだが―――を振り下ろし攻撃してくる。代行者である彼にとっては余りにも幼稚な太刀筋。簡単に見切り間合いを詰める。

 

「ふっ!」

 

 抉り込む掌底。スガンッ、と内部から爆発した様にゴーレムは弾けて崩れる。ゴーレムたちで出来た壁に空洞が生まれる。そこに入り込み、彼は身を屈める。頭上を剣が通り過ぎていくが剣速は余りにも遅い。

 

「シッ!」

 

 力を溜めこまれた砲弾。その拳を解放し前方のゴーレムが崩れながら後ろのゴーレムを巻き込んで飛んで行く。辺りにいる使い魔たちに円を描く様な足払いを放ち転ばせる。邪魔なゴーレムは踏みつぶし壊した。

 

「(脆い。が、厄介だな、数が多い)」

 

 解析魔術でゴーレムの強度や脆い部分は把握しているので、士人は簡単に一撃で破壊していく。ゴーレムたちにとって、神父の技は文字通りの一撃必殺。しかし全てを倒すのは面倒であり、この使い魔らは標的ではない。通るのに邪魔なヤツだけを破壊して進んでいくので、彼は骨人形の隙間を通り廊下を三次元的に進む。

 代行者である士人は、化け物狩りの活動をしており、死徒を相手にすることも多い。代行者から見て、ゴーレムは死徒が造る死者よりも鈍く脆いので大した苦労もなく破壊出来る。

 そして廊下にいた彼は、結界の中心となっている教室から気配の変化を感じ取れる。

 教室から把握出来るのは、生者が二人とサーヴァントが一体。

 しかし空間の歪みを感じ取れたらサーヴァントの気配がいきなり一つ増え、元々いたサーヴァントの気配が一つが一気に弱まった。今はもう、そのサーヴァントは消えかかっている。今の学校の状態では生者の気配は目立つので良く判るのだが、おそらくは突然現れたサーヴァントのマスターと思われる人が魔力を纏ったと思えば、一瞬でサーヴァントを撃破していた。

 士人は戦う者として戦慄する思いだ。感じた限りでは、マスターの方が敵対するサーヴァントを破っていた。自分が戦ったあのサーヴァントを瞬殺するマスター。これ程のジョーカーはそうそうないだろう、と。そして空間がもう一度歪むのが感じられ、サーヴァントとマスターの気配が消え去った。今となっては死体になったライダーとそのマスターが教室にいるだけだ。

 ゴーレムを壊していた士人は、教室の中の出来事を大まかに把握した。空間転移をするサーヴァントはキャスターであり、学校にはキャスターのマスターが存在するのだと理解する。

 

「―――は」

 

 一人、それこそ石ころみたいに取り残されたであろう間桐慎二を嗤う様に戦っている士人は笑い声を上げた。鼻で笑った神父は、何も映していない目で結界の基点がある教室の扉を見る。ゴーレムの群れを抜けた士人は血に染まっている教室に入いった。

 

 ―――――そこにあるのは見慣れた景色、赤い地獄だった。いつか見た教会の地下、そこにあったのは痩せ細ったヒトが苦しむだけの牢獄。

 

 聖杯戦争が原因で起こる地獄。そのどうしようもない繋がりを思い浮かべ、士人がまだ、代行者にもなっていない子供の頃を連想した。代行者として異端を狩っている士人は、この程度の惨劇は見慣れている。もっとも異端共の惨劇を初めて見た時も、別にどうこう思うコトもなかったが。人が造り上げる地獄を見て、過去を思い浮かべることなど今まで無かった士人だが、聖杯戦争となれば別であるみたいだ。

 

「……ハハ」

 

 教会の地下であった出来事を思い浮かべた士人は、そんなコトを思い出した自分を哂う。何を思っているのだ、と。自分は何を考えているのだ、と。そんな事を考えていた士人だが結論はすぐに出た。

 

 ―――私は何も感じなかった。

 今の出来事も、過去の記憶も、自分を震わせるのはいつもと同じアノ――――――――

 

「―――やめよう。考え事はコトを終わらせてからだ」

 

 教室が鮮血で満ちている。そのように感じるほど、血の匂いが染みついている。この教室は結界の起点であり、吸収が一番激しく行われた場所。他の教室の生徒とは別物と考えていいだろう。士人が慎二を見る。彼は倒れ伏す生徒たちに紛れるように尻餅をついていた。そして士人を見上げる。

 

「どうした間桐。今にも死にそうな顔だな」

 

「……ひ、ひぃひゃぁァァあああああああああああアアアアアアアアアア!!?」

 

 慎二は物凄い奇声を発して立ち上がった。

 

「こ、ココ、ことこと、コト、言峰!?」

 

「ああ。俺は言峰だが」

 

 士人は、慎二を小馬鹿にした様に言葉を返す。

 

「い、いや。そうじゃない、そうじゃない! これは違う!! 僕じゃないんだ!!!」

 

「……混乱しているな。まあ、落ち着けというのが酷だろう」

 

 冷めた感情のない声。神父は何もない奈落の眼で慎二を見ていた。

 

「別にお前は何もしなくていい。術者が死ねば結界がなくなるのは分かっているからな」

 

 ニタリ。そんな擬音が相応しい笑顔。

 

「――――え?」

 

 慎二は突然そんな言葉を掛けられ混乱が拍車する。何を喋っているのか、どんな言葉の意味なのか、彼には判らなかった。

 

 ―――神父の腕が伸びる。

 

 その手が間桐慎二の頭を固定する、ガチリと鷲掴みにする。彼はもう逃げられなかった。

 

「……え。いや、え?」

 

「言った筈だ。手遅れになってしまえば、どうしようもないのだと。この結界を消すにはサーヴァントを殺すのが手っとりばやい。お前のサーヴァントはあそこに倒れているが、まだ結界は消えて無い。そして、そのマスターが俺の目の前に立っている。

 ――――それがどういうコトか、お前は判るか?」

 

「あ、ああ……ああああああああああああっ!!」

 

「もっとも、これ程までに大規模な神秘の漏洩を犯した者を、教会の人間が生かしておく事などそもそも有り得ないのだがな」

 

「殺すのか!? 僕を殺すのか、言峰!!?」

 

 顔が罅割れた様な笑顔を、神父は創造(ツク)る。その顔が、お前を殺すと、()げている。

 

「い、嫌だ。嫌だ、嫌だ、嫌だ!! 死にたくない!! 僕は死にたくない!!!」

 

 騒ぐ間桐慎二。言峰士人の腕を握って振りほどこうと足掻くが、彼の腕は万力のように握りしめられ微動だにしない。

 

「―――ではな間桐。聖杯が手に入らず、残念だったな」

 

 悪魔にしか見えない笑い。そんな言葉を神父は脱落者に言い放った。

 

「死にたくない!! 死にたくなァ―――――――――――――――」

 

「―――宣告(セット)

 

 そして間桐慎二は死んだ。眠るように息を引き取った。本当に彼は呆気なく死んだ。言峰士人が強引に強化魔術を慎二の脳に叩き込んだのが死因である。見た目は綺麗なままの姿だが脳みそはミキサーで掻き混ぜられたように、グチャグチャな様へと成り果てた。

 間桐慎二は魔術師となるためこの戦いに挑んだが、何も果たせず、何かを得ることも無く、その生涯を終わらせるコトになった。

 死んだ慎二が手から解放される。この結界の被害者たちがそうだったように倒れ伏す。倒れていく彼の姿は糸が切られた操り人形とそっくりだった。

 

 

「――――AMEN」

 

 

 十字を切りながら、言峰神父は亡骸に向けてそう呟いた。


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