神父と聖杯戦争   作:サイトー

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理想郷の業

 衛宮士郎は失意の底に堕ちていた。大聖杯は冬木から消え去り、間桐桜は連れ去られ、遠坂凛は自分の敵に成り果ててしまった。

 

「―――あ……ぁ、ああ―――アアア、ァアアアアア、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 

 聞くに堪えられない嘆きの叫び。

 

「何故、何故……何故!? オレは何故―――」

 

 ―――救えないのか。

 そんな疑念が剣になった筈の体を支配し、硝子の心を粉々にして殺している。

 ―――叶えられないのか。

 救いなど、世界の何処にも見付からなかった。正義の味方とは、果たして何の味方をすれば良いのか、今の士郎は悪夢の中を彷徨っていた。だが鉄の心を得た彼は、決して現実から目を離さず、現状から逃げることを良しとしない。

 原因も、理由も、士郎は理解している。

 泥による呪詛は遠坂凛の魂へ至り、大聖杯は魔法使いの手の中に堕ちた。ただ、それだけの話である。

 

「―――……シロウ」

 

 しかし、アルトリアはただただ目の前の現実に追い付けていなかった。敵対していた亜璃紗は突如として逃げ出し、黒騎使徒を囮にして一気に撤退した。そして、その黒騎使徒たちも時間が経てば正気を取り戻し、個人としての意識と自由を復活させ、自分達に潔く投降した。

 そうと把握出来れば話は早く、彼女は魔力放出を全開にし、一気に大聖杯が在ったこの場所まで駆け抜けた。

 

「アル、トリア……―――?」

 

「一体、なにが……?」

 

 大聖杯は存在せず、間桐桜もいない。衛宮切嗣も言峰綺礼も消えている。アルトリアは現状を理解出来たが、その経緯が分からなかった。

 

「遠坂が、全て持ち去った。もう、聖杯戦争は終わったよ……」

 

「――終わり……?

 ですが、そもそも凛は、あの聖杯は何処に?」

 

「遠坂は……遠坂の魂は汚染された。第二法で大聖杯ごと消え去った」

 

「そんな……」

 

 それだけは、何故か有り得ないと思ってしまっていた。あの遠坂凛が大聖杯に負ける等と、アルトリアは予想さえ出来ていなかった。何せ、そもそも凛が泥の呪詛に劣る魂だと一欠片も思えなかった。

 だが何事にも例外がある。言峰綺礼が唯一人の異常だった。

 後にアルトリアは知る事になるが、奴こそが真に呪詛を完全に扱う元凶だった。あるいは、大聖杯の魔術回路を制御基盤を支配していた桜以上に、あの神父は泥の真髄を理解していたのかもしれない。自分の魂と、その起源さえも道具に使い、泥を自分の擬似宝具(霊媒魔術)に応用していた。宿った令呪と呪泥を九年もの長い間、大聖杯の泥海に沈む事で英霊(亜神)の領域にまで深化させていた。

 

「……――――あぁ。凛は、私と同じモノに」

 

 自分と同じ大聖杯の眷属となり―――いや、大聖杯を管理する悪魔へと遠坂凛が変貌した事を理解した。黒化による反転を精神力のみで耐え切り、人格と性格の変貌程度にアルトリアは抑え込んだ。だが桜からの偽装令呪と性的精神干渉による洗脳と、泥と融合させた架空元素による霊体改竄は防ぎ切れなかった。しかし、呪詛を飲み乾すのは並の英霊の魂で可能な事ではない。

 アルトリアは英霊(サーヴァント)だが、凛は魔法使いクラスの魔術師。その彼女が大聖杯の悪意に取り込まれたとなれば、眷属などと言う生易しい事態ではないだろう。

 

「クソ。なんて無様だ。また駄目だった。何度何度何度、幾度繰り返しても失敗する!

 オレは何故―――何も、出来ない!!

 ―――何も、救えない!?

 言峰から教えられて、遠坂からも諭された。一人の力では限界がある。人を助ける為ならば、誰かに頭を下げ、力を貸りて理想を追い求めた。自分と志を共にする者とも知り合えた。裏切られる事も多かったが、それでも走り続けた。

 今回は、この地獄で仲間も多くいた。オレだけでは桜も誰も救えなくとも、アルトリア―――君だって最後は味方になって共に戦ってくれた。

 救えた筈だ!

 出来た筈だ!

 なのに、それなのに―――オレの所為で、遠坂が犠牲になった!!」

 

 あらゆる手段で衛宮士郎は強くなった。言峰から魔術師狩りや死徒狩りの心得を伝授され、遠坂からは魔術の知識と技術を叩き込まれた。まだ何も知らなかった九年前とは比較にならない程に錬鉄され、魔術も、戦術眼も、戦闘技術も、誰にも負けない武器へと成長させた。

 誰が見ても英雄の強さを誇り、ある種のカリスマ性も持つ。

 その上で人を救う為に仲間を集った事もある。自分がそう言うグループに所属していた事もある。単独行動の方が便利である場合も多く、基本は独りで戦い続けていたが、個人の力で限界ならばと手段は選ばなかった。何せ、形振りに拘っている内に人が死に続けている。

 それでも――正義の味方は、理想を叶える事は不可能だった。

 指の間から零れ堕ちて死ぬ命の群れ。十の内、一を殺して九を助ける……何て、そんな単純な理屈でさえなかった。

 そもそも――救えない。絶対に助けられない。

 悲劇はもう既に開始されている。地獄は常にこの世から生み出されている。悲劇となる地獄は、誰かの死で作られている。

 十の内、八の為に二を殺す事もあった。六の為に四を殺す事もあった。

 十の内、全てが消えるのを防ぐ為に九を切り捨てねばならない事もあった。

 殺さないと救えない。救う為に殺す必要があった。最初から人が死んで、死んで、死に続けて、死に尽くして、正義の味方は十の内に誰かが死なねば、そもそも人が死ぬ地獄に赴く事はない。

 

「理想の為に、人を殺して走り続けた。救う為に人を殺し続けた。正義の味方を引き継ぐ為に、その為だけに、犠牲者を求めて彷徨い続けた。

 ―――見知らぬ人を、知っている誰かも理想に捧げた!

 オレは呪われた桜と遠坂さえも救えずに、ただ生贄にしただけの大馬鹿野郎だ!?」

 

 民衆が虐殺され、兵士が虐殺され、誰もが虐殺された。ただの現実だった。自分の手で幾つものそんな地獄に終止符を打ち、それ以上人が死に続けるサイクルを止め続けた。士郎は確かに犠牲者を出さずに、あるいは犠牲者が出る前に、正義の味方と言う理想通りに人助けを行う事は不可能だったが、数え切れない多くの人々を救い上げた。理解ある聡い人間からは、助けてくれてありがとうと感謝され、良くやったと励まされ、貴方のおかげで救われたと涙を流して頭を下げられた。

 その度に――犠牲にした人の顔を思い出す。理想の生贄にした誰かを思い浮かべる。士郎は誰かに感謝されると言う当たり前な幸福を苦痛に感じ、正義の味方として自己の幸せを実感する度に息苦しくなる。

 そして遂に、助けられなかった遠坂凛と間桐桜が―――そんな犠牲者の中に含まれてしまった。

 

「――…………」

 

 打ち拉がれる男の姿を、アルトリアはただ見詰めていた。全身の骨が砕ける寸前で、身動きが取れないだけではなく、士郎の心は硝子みたいに砕ける前だった。しかし、それでも、彼の心は砕けていない。

 ……アルトリアは、それだけは分かっていた。

 自分と良く似た士郎は、自分以上に強い筈だ。どれ程の地獄の中、家族が死んで、友人が死んで、恋人が死んで、何もかもが死んで滅んでも――耐えられてしまう。どんな苦境だろうと立ち上がり、歩き続けてしまう。

 理想に溺れるまでもなく。

 その身体は、機械よりも正しく意志に従って駆動した。

 

「……シロウ。もう行きましょう。ここには何もありません。早く、傷の手当てを」

 

「ああ。そうだな」

 

 ギチリ、と錆びた歯車が合わさったような声だった。それは、硝子と硝子を擦り合わせたみたいな不協和音だった。

 そうして―――エミヤシロウは、冬木から立ち去った。

 終わりが始まった地獄。彼にとって自分を許す事が出来ない記憶。既に過ぎ去った悪夢は脳味噌に焼き付き、男の目に惨劇は焦げ付いた。

 ―――第六次聖杯戦争後。

 衛宮士郎は世界中を探し回った。

 噂が出た国や所縁のある場所を彷徨い歩いた。宛てのない旅路だった。アルトリアをイリヤの家に置き去り、正義の味方は再び一人で世界に飛び出た。

 しかし、今度の旅は目的がまるで違う。今までは人を殺める脅威を排除し、誰かの命を延々と助け続ける活動だった。

 遠坂凛と間桐桜を見付ける事。

 それだけを目的に、彼は彷徨い続けた。

 

「殺生院と沙条か」

 

『ああ。かなり危険人物だが、この世の大半は知り得ている怪物だよ』

 

 そんな時、士人からそんな電話を受けた。

 

『お前も話位は知ってると思うが、殺生院は魔術協会や聖堂教会にも内通者を持つ情報通でな。有名どころな魔術結社は無論、国家機関やら、政治家やら、国連にも“御友達”が多い。誰を真似たのかは詳しく知らんが、手駒を世界中で飼殺しにしている。

 沙条の方は……まぁ、お前の分かっている通り死徒の祖だ。

 あの女は千里眼持ち故に、我が王ギルガメッシュと同じ視界を得ている。その気になれば平行世界や、過去や未来、あるいは地球外領域も探せるだろう。例え魔法を使って平行世界に逃げたとしても、俺の師が何か千里眼対策でもしていなければ見付ける事も可能だ』

 

「成る程」

 

『とは言え、平行世界に逃げていれば捕まえるのは多分無理だぞ。あの沙条だろうが、平行世界に渡るには……いや、お前が宝石剣でも投影して渡せば不可能ではないかもしれん』

 

「感謝する。取り敢えず、探してみよう」

 

『そうか。ではな。俺からの情報は以上だ。吉報を期待する』

 

「ああ。では」

 

 罠かもしれないと思ったが、嘘ではない確信が士郎にはある。あの神父は隠し事を好むが、絶対に嘘だけはつかない。

 全知全能――サジョウマナカは、既にこの魔術社会では酷く有名だった。

 明らかに次元違いの魔術師。根源の渦を制御し、魔法使い在らざる魔法の化身。むしろ、魔導と呼称可能な神霊魔術を行う魔人であった。

 しかし、殺生院祈荒は少し聞いた事がある程度。

 魔性菩薩、と影で噂されている僧侶だとか。曰く付きではあるものの、真性悪魔なのではないかと言う話もある。臥籐門司と、その求道僧に不機嫌そうな顔で連れられた間桐亜璃紗と偶然出会った時に聞いた話であり、その時は何故か言峰士人とも再会してしまったが。亜璃紗とは深く因縁があるも、あの求道僧の手でかなり……いや、今は余分な事をして敵を作っている時間も惜しいと、亜璃紗を見逃す事にした。そして、勢いのまま神父と久方ぶりに料理対決などしてしまったが、今はもう関係ない事だ。

 

“まずは、殺生院と言う者から探すか”

 

 全知全能の魔人を見付けるよりも、まだ表側でも話題となる僧侶の方が見付け易い。あの女を見付けるのは、そこまで難しい話ではなかった。表側の社会でも有名な聖人でもある僧侶だ。居場所を隠している訳でもなく、隠密行動をしているのならば兎も角、飛行機などの交通機関を使えば記録が残る。

 本当なら、こちらが用事のある来訪者。知らせも無しに突然訪れるのは失礼だと思ったが、連絡をして逃げられてもしたら目も当てられない。士郎は隠れて接近し、相手の人となりを把握してから客として接触しようと考えた。

 しかし、それこそが正解であり、且つ間違い。

 自分の所業を巧みに隠していた殺生院の本質を彼は見てしまった。見て見ぬふりさえすれば、ただ問答をするだけの客として殺生院として出会っていれば、沙条を紹介して貰えたかもしれない。だが、士郎はこの女の本性を知ってしまった。

 

「――――――これは……?」

 

「あら。貴方は確か、あの有名な衛宮士郎さん……で、ありましたか?」

 

「なんだ、此処は……―――?」

 

「なんだとおっしゃられても、これは見たままでありましょう。(わたくし)が指導している信者の魔術使いさんの工房でして。

 今はちょっと巷で有名ですけど、ほら―――赤ちゃん工場って知ってますか?」

 

「貴様……」

 

「ふふ。私としては金銭に対する欲望などどうでも良いのですが、この殺生院の宗教法人に寄付金をする大事な施設の一つでして。偶には主人が視察しなければ、大事な信者のやる気も溜まりませんもの」

 

 名前通りの機能を持つ工場であり、研究の為ではない魔術工房。商売を行う為の施設であり、ここは金銭を得る事を目的する商売施設だ。そして、その商売相手は魔術師。特に魔術刻印の継承に悩む魔術師に限定された。つまるところ、寿命までに根源到達が不可能と悟った者であり、彼らに残される手段は二つしかない。

 一つ目は吸血鬼化。

 二つ目は刻印継承。

 不死の寿命で以って悠久の時間を研究し続けるか、より優れた遺伝子と魔術回路を持つ子に刻印を渡すかだ。

 

「ですので、質問には答えて上げます。

 元々此処は個人経営の人身売買でしたのですけど、後にその人が有り難くも私が作った団体に入信しましたの。ですので、こうして私の法人組織が経営にも関わっておりますため、ええ……私も寄付金集めを全部信者任せは如何かと思って、こうして社長自ら現場を視察していると言う訳です。

 との事で、簡単な儲け話ですの。

 優れた魔術回路を持つ女を生産母胎にし、あるいは良い男を全自動精子製造機にしまして。それで金を払った魔術師と子作りセックスさせて、遺伝子と回路を引き継ぐ子を作ります」

 

 とても朗らかに、妖艶で女らしい美女は微笑んでいた。

 

「この施設はですね、魔術師専用の精子バンク兼赤子販売をする商会。私が経営する法人の子会社と言うことです」

 

 キアラをそう言いながら、臨月を迎えて腹部が大きくなった女を撫でる。優しい仕草で、しかし明らかにエロい動きで撫で回した。それだけで耐えられる快楽信号ではなく、猿轡を噛まされた所為でうぅうぅと唸るだけ。涎を垂らし、涙を流し、鼻水さえ零れる程の性的快楽が、キアラの手から胎児が眠る子宮を通して伝わって来る。それが手足をベットの角から伸びる手枷と足枷でX字に縛られ、衣服を剥ぎ取られて全裸にされた女の状態だった。

 そして、キアラと士郎がいるこの場所は、男の魔術師に子供を孕まされた母胎を飼育する為の大部屋。胎児が中にいようとも組織員の玩具にされ続け、時が来れば手術室で赤子を出産し、その子供を金を払った魔術師へ渡す流れとなる。

 だがそれだけではない。他にもまだ、工場で製造機械にされている男と女がいる。

 個室に監禁され、妊娠が確認されるまで延々と魔術師に犯され続けている女がいる。様々な手段で強姦され、日々飽きるまでレイプされ続ける。男は更に悲惨であり、妊娠と言う時間がない。延々と客の魔術師が妊娠するまで精子を吐き出し続け、それを只管繰り返し、やがてそのまま死ぬ。だが死んで良かった。代わりになる製造機械(ニンゲン)は、同じ工場にいる女を使えば簡単に生み出せる。成長を速める劇薬を使えば、数年で成人男性になる事も可能だった。

 

「それが、貴様の本性か―――魔性菩薩」

 

「―――不快ですね。

 こんな程度の悦楽では思春期を迎えた少女の自慰にさえなりません。これはほら単純に、法人組織を運営する為の商売に過ぎませんので。

 ああ……ですけど、貴方はそれで良いのですか?

 このまま正義感に任せて私を殺せば、聞きたい事も聞き出せないと思いますけど?」

 

「……っ――――!」

 

「何と言う……あぁ、貴方は何と言う顔を私に向けるのですか?

 ―――素晴しいです。

 この現実を直視しているのに、認めていますのに、許容することが出来ないと言う顔。健気で、儚くて、とてもとても男らしい英雄の表情ですよ。

 ふふふ―――こんな程度のモノはもう、何度も見た悲劇に過ぎないでしょうに」

 

 士郎はもう、分かっている。殺生院は悪魔だが、この地獄を作り上げているのは他の人間の欲望だった。この女は他者を玩具にし、その想いを踏み潰す事を快楽にしているだけで、地獄を面白がっているだけで、また違う悪意を持つ化け物に過ぎない。この現実を作っているのは殺生院の意志とは別のもの。

 よくある話だ。今回のこれは魔術関連の話だが、表側の社会でも普通に発生している事柄だ。

 人身売買など見慣れている。この人間社会では自分達と同じ人間を商品としている。特に女や子供が良い商品だった。時代が進んで社会が洗練されようとも、欲の営みもまたより洗練されるだけ。資本主義と言う大義を得た社会人は簡単に悪人悪党へ堕落し、喜びながら悪徳を尊ぶ犬畜生に成り替わる。悲劇は増えるばかりで、ただ単に見え難くなっているだけだ。士郎も自分の故郷である平和な日本でも……いや、平和で豊かだからこそ人身売買マーケットが存在している事を知っている。人間を売るビジネスマンにとって日本人は良い購入顧客になっている。

 奴隷売買が許された過去と何一つ変わらない。

 男も、女も、子供も、赤ん坊も、資本主義社会では金に換算可能な仕組みになっている。大量消費する「商品」になっている。中でも女や子供の売買はとても金になる。

 臓器売買の為、性奴隷の為、売春の為、少年兵の為、児童ポルノの為、スナッフムービーの為、肉体労働の為、物乞いの為、犯罪の手先にする為、子供に恵まれない家庭の為、様々な利用価値が存在する。世界中を旅して回れば、何ら珍しくもない悪の宴に過ぎなかった。

 買った子供の両目や手足を潰し、より効率的に物乞いをさせていた人間を殺した。

 精神が病んで壊れても売春させ続け、売り物にならなくなれば女の臓器を売っていた人間を殺した。

 強制的に様々な重労働をさせて、動けなくなればゴミとして殺して処分していた会社の人間を殺し尽くした。

 衛宮士郎が行動したのは戦場が主であり、戦地縮小を目的として動き続けた。相手は兵士であり、テロリストであり、傭兵であり、軍事企業であり、官僚であり、政治家であり、独裁者であった。しかし、こう言う地獄もまた士郎が変えたい現実の一つでもあった。拝金主義が極まった社会では、金のために資本家は何でもするのである。

 恐らくは、金さえあれば刻印継承者を提供する営利システムを作り上げた魔術”使い”も、元々は表側の社会においてこう言う人身売買業界に所属していた人間であったのだろう。魔術師に商品を売る魔術使いはこうして生まれた。協会や教会からも隠れて人身売買を行い、膨大な利益を生み出していたのだろう。哀れなのはその末に殺生院キアラの術中に嵌まって信者になった事だが、悪意は更に大きく膨らみ上がって成長した。

 

「だってほら、人間は人間を消費してお金を生み出していましょう。今まで興味もなくて知りもしなかったのですが、こう言うのは資本主義って言うらしいですよ。商品に出来るのでしたら、何でも売り買いするようです。

 なので、正義の味方みたいに頑張っている貴方も思った事がある筈です。人間を虐げて利益を得る欲深い獣、こんな奴ら―――人間以下の畜生だって?

 人間で在る自分と比べて、醜い虫だと感じませんか?

 全く実に下らなく、哀れな動物だとは思いませんか?

 なのに、どうしてこんなにも面白くて、気持ち良いのか。私、とても昂ってしまうのです」

 

 そのシステムに、キアラは偶々目を付けてしまった。時が経てばとっとと飽きて、信者任せにして自動的に金銭を得る様になるのだろうが、今は暇潰しの娯楽として商売と言うものに手を出していた。ただ単純に、自分が気持良くなる為の快楽がないだろうかと、そんな事を探すだけの求道として活動に励んでいた。

 

「貴様は、性根が腐っているようだな」

 

「何と言う事でしょう。私に用事があって来訪したと思ったのですが、要件を聞く前にそんな不躾な台詞を吐いて良いのでしょうか?

 貴方の質問に答える気が削がれてしまうかもしれません。ええ、残念な事ですが」

 

「―――良く言う。

 他者を騙し、悦に浸る悪党が。言峰に紹介された故、情報を持っているのは確かだろうが、正直に言う気などないだろう」

 

「言峰―――……あぁ、あの神父。アレから私の事を聞いたのですか」

 

 しかし、キアラの気配は一新された。

 

「まぁ、それなら早く言って下されば宜しいのに。そう言う事情でしたか。ええ、良いでしょう。

 貴方の要件は……あら、元帥殺しのトーサカ・リンについてですね」

 

「……―――」

 

 自分の話をしていないのに、こちらの事情を知り得ている模様。しかし、この程度の不自然な怪異に動揺してしまう程、士郎はもう若くはなかった。

 

「その人の居場所となりますと、私よりも適任者がいますね。恐らくは、この世界で確認できる場所に居るとは思えませんし、私の“目”もまだそこまで深化している訳でもないですから」

 

「―――沙条か」

 

「ええ。そうですよ。獣の目を持つあの人でしたら、見付ける事も可能かもしれません。よって、貴方が私の言う事を聞いて下さると言うのでしたら、会わせて差し上げましょう。

 この施設を……いえ、この私の宗教法人を見逃し続ける事を、契約すれば―――と言う、簡単な条件でありますが」

 

「そうか。ならば、仕方がない。契約を結べば、沙条を紹介するのだね?」

 

「ええ。勿論―――契約破りの宝具も、この契約に限り封じさせて頂きますが」

 

「……―――さて、どういう事かね?」

 

「ふふ――――――」

 

 キアラとて士郎が動揺なく契約を受けた事を疑問に思い、揺さぶりを掛けた自分自身が少し動揺した。だが、士郎が即答したカラクリさえ見抜いてしまえば、簡単な種も仕掛けもある手品(マジック)だ。あらゆる剣を投影する剣製の魔術使いであれば、魔術師が行う魔術契約など在って無いような束縛だ。

 だが、それ以上に見逃せない事がある。

 士郎が持つ手札が、悉くキアラに身破れている点だ。

 

「―――正解ですよ、正義の味方さん。間桐亜璃紗、とでも言えば貴方も分かり易いでしょうね。

 この施設はとうに私の魔術で汚染された結界でして。貴方も入る前に解析魔術で見て、安全だと思って此処まで来たのかもしれませんが、そもそも魔術や魔眼を通してこの私の結界を知覚しますと、私の幻惑と洗脳が対象者の精神心理へ発動します。

 何の異常もなく安全だ―――と、そう錯覚してしまう術式ですよ」

 

「―――ッ……!」

 

 今の危機的状況を士郎は漸く悟った。既に相手の術中に嵌まっていた。つまるところ、この殺生院の結界内に居る術式対象者は心理防壁を知覚出来ずに透かされ、思考回路をキアラに盗み取られていると言うことだ。だが、効果は勿論それだけではない。

 

「そして、これが―――幻術と言うものです」

 

 士郎の目が持つ解析魔術を欺くのではなく、根本の物事を認識する意識そのものを狂わせる。どんな魔術で見破ろうとも、精神そのものが騙される。そして、殺生院の術式を詳しく直視すればするほど、幻惑効果も必然的に高まるのも道理。士郎とて強靭な精神力で防壁を作り、魔力による防御機能もあるが、この僧侶は魂自体に干渉する悪魔である。見破るにはまず、前条件としてキアラの特性を知らなくては対応不可能。

 ―――背後に、女は最初から立っていた。

 もう身動きすることも許されない。結界によって亜空間に潜まされていた黒い手が士郎を掴み、身体と精神を束縛してしまっている。

 

「さぁ、懺悔の時です。

 理想の彼方を焼け焦がし―――浄土の中へ、(トロ)けましょうや」

 

 

 ―――と、そんな過去を悪夢として見る毎日。

 

 

「あー……――あぁ、オレは何故」

 

 あの場所からどうやって逃げ出したのか、もう殆んど覚えていない。あの悪魔と戦ったのは、固有結界に登録した夫婦剣の記録から読み取る事は出来る。しかし、頭の中を巡るのは地獄の記憶だけ。昼も夜も無関係に脳裏には、自分が見続けた世界がグルリグルリと思い浮かび、五感で以って悪夢が延々と再現される。

 起きてる時も悪夢が甦り、寝れば地獄を蘇って目が覚める。

 酒だ。酒を飲むしか許されない。鞘による加護の所為でアヘンを使っても中毒性がなく、薬物や魔薬だろうと問題なく解毒してしまう。過度のアルコール摂取も効かず、甘い酒を飲んで誤魔化すしかない。士郎は逃避さえ許されず、脳細胞が悪夢で茹で上がり、狂気がアルコールと一緒に血管の中を巡り回る。

 

「あぁ。あー、あーあー……あぁあぁ……何だったろうか」

 

 手に取った酒を飲む。呑む。また呑んで、呑み干して、グラスにまた酒を注ぐ。そして、一気に一口で飲み乾した。

 ―――死だ。

 思い出し続けるのは、苦痛だ。

 殺した。殺した。殺した。死んだ。殺した。殺した。射った。殺した。斬った。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。焼いた。殺した。殺した。壊した。殺した。殺した。殺した。殺した。刺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。潰した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。

 ―――殺したんだ。

 とても多くの人間たちの生命を奪ったんだ。

 幻聴が良く聞こえる。幻覚が良く見えてる。

 人を殺した思い出が、自身へ刻み込まれる。

 過去の現実で殺して、現在また殺している。

 色んな地獄に遭遇し、あらゆる悪を滅した。

 あらゆる悲劇を見て、簡単に人が絶命した。

 今までの記録が士郎を汚染していた。魂が歪むような絶望を繰り返して悪夢の中で具現していた。

 老若男女関係無く助け、老若男女関係無く殺す。人を殺す脅威となれば、誰でも無関係に殺した。資産家だろうが、政治家だろうが、支配者だろうが、社会的地位に関係なく、問答無用で理想の為に殺し尽くした。

 殺した記憶と、死んだ人間の記憶全てを思い出した。

 殺した人間と、死んだ犠牲者の姿を掘り返し続けた。

 理想の為の生贄が未練となって士郎から人間性を剥奪し、薄れた自意識を後悔が纏わり憑く。

 

「……シェロ。そろそろ」

 

「ルヴィアか。すまないな、すまない。ああ、あれだ……何がすまないのだろうか。私は、オレは、何で此処で生きているのかね?」

 

「―――――――――……」

 

 毎日の記憶が断続する。特にキアラから何かの術式を受けた直後の記憶は全く無く、今は朧な記録だけが脳に残っている。自力で何かをしてキアラの異能から逃れ、幾らか相手に傷を与えたが、そのまま逃げ去ったのだ。あの施設は多分今も健在で、悲劇をそのままにして正義の味方は負けたのだろう。

 尤も、そんな敗退を後悔すると言う感情も―――薄れたが。

 最近では昨日の事も思い出せない日々を繰り返すだけになってしまった。しかし、まだ致命傷ではない。理想は死んでおらず、身体は衛宮士郎を裏切らず、義務感と強迫観念に突き動かされ鍛錬だけは続けてしまっている。もう今となっては理想だけに依存する人型の何かだった。

 正義の味方は―――理想を抱いて、溺死した。


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