神父と聖杯戦争   作:サイトー

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90.再誕

 ―――夫婦剣を投影。

 ―――令呪を再装填。

 士郎と綺礼は完全武装し、疾走を開始する。ありとあらゆる戦闘経験を蓄積した双剣は錬鉄の魔術師を超人に作り直し、異常な領域にまで強化された神父は大英雄を生身で打ち砕く魔人と成り果てた。

 だが、既に勝負の行方は傾いている。綺礼は喰い殺したエミヤの戦闘経験と神秘を略奪し、自身の霊基を強化している。士郎は逆に桜との戦いで魔術回路を酷使し、半ば固有結界が肉体面にまで侵食し始めている。その状態でありながらも士郎は更に肉体強化の魔術を自分に施し、心身の剣化が止まらずに加速し続けていた。

 

「―――ッ……!」

 

 声も無く、ただ力のみで神父は空気を破裂させた。早い何て次元ではない踏み込み。令呪による空間転移を応用した縮地もどきも可能だが、相手は衛宮切嗣ではなく衛宮士郎。あの切嗣は固有時制御により内界と外界が遮断されていた所為で魔力反応や空間の歪みを感知するのに鈍くなり、綺礼は令呪の転移で容易く殺害出来たのだが、士郎が相手では対処されるのは分かっていた。

 恐らくは使った所で魔力を感知されてカウンターの餌食になる。また、綺礼は知らぬことだが彼は空間の歪みに対して鋭い第六感を魔術師として保有している。

 その奥の手を使わない事が結果、士郎に対する逆風となった。

 ―――ただただ速い。

 強化された神父の五体は最上の英霊にも匹敵する。この度の聖杯戦争で召喚されたランサーのサーヴァント、クー・フーリンを連想させる程の素早さだ。

 

「……―――!?」

 

 その動きを彼は容易く見抜いた。強化された肉体動作、魔力の流れ、視線の向き。そして、感じ取れる蝗の群れの如き殺意。観測したあらゆる情報を零秒で処理し、最適化された剣術で以って迎撃。

 交差した夫婦剣と、神父の魔拳が衝突する。

 硬化した神父の拳は士郎の胴体を粉砕出来ず、双剣を二つ纏めて砕くだけに終わった。このままでは第二撃目として繰り出される綺礼の拳から脚による打撃によって、武器を持たぬ士郎は即座に肉片へとバラバラに砕かれよう。

 だが、その瞬間―――投影、完了。

 士郎は予め呪文詠唱を幾つか同時進行させていた。既に心象風景が内蔵された脳内部には武装が準備されており、容易した魔術にも最初から魔力を装填済み。

 

「全工程投影(セット)完了――――」

 

 士郎は左手で右肩を掴んで押さえ付け、右腕一本で剣を構えた。右手が握り絞めるのは、人間が持つには余りに巨大な剣だった。それは剣と呼ぶには余りに肉厚な刃を誇り、まるで丸い盾のような円状の形をした大斧だった。

 エクスカリバーとは別の、黄金斧剣。

 アーサー王の財宝であると同時に、星ではなく神が作った神造兵器。

 ―――マルミアドワーズ。

 アルトリア・ペンドラゴンがキャメロットに保管していた武器の一つだった。巨人の王から奪い取った宝剣であり、嘗てはヘラクレスの愛剣として使われた宝具。神代にて多くの魔獣共を屠り、その剣には大英雄が体得した剣術が濃厚に蓄積されていた。

 士郎が知っているのは第五次聖杯戦争で召喚されたバーサーカー―――ヘラクレスが持つ岩の斧剣のみ。

 だがそれは大英雄の宝具ではなく、アインツベルンの錬金術師が神殿の礎から作成した武装。そんな紛い物であろうとも士郎はヘラクレスが愛剣として振うことで戦闘経験を固有結界に蓄積し、十全に大英雄の武器として扱うことが出来る現代最強の魔術師の一人である。

 大英雄ヘラクレスが持つ殺戮技巧が武器に染み“()”き、それごと彼は投影する。

 ならば―――可能。

 この黄金斧剣(マルミアドワーズ)はアインツベルンで召喚された陰陽師(キャスター)、安倍晴明が作り上げた偽物であるが衛宮士郎には問題は欠片もなかった。岩の斧剣に蓄積された大英雄の戦闘経験と、第五次聖杯戦争の時に召喚されたエミヤ(アーチャー)から引き継いだ固有結界の情報と、キャスターが召喚した式神であるヘラクレスが持っていた陰陽術で過剰強化されている擬似宝具。

 この三つを自分の固有結界、無限の剣製(アンリミテッド・ブレイドワークス)によって錬鉄する。

 その為に今までの人生で登録した全ての武器を検証した。必要な技術と神秘を心象風景より検索し、実験し、投影可能な武器として再登録する。

 全ては―――この時の為だけに。

 自分以上の魔人を倒す事を目的とする。誰が自分の前に立ち塞がるかは分からない。それでも相手が魔術師だろうとサーヴァントだろうと、格上の敵を抹殺する手段だけを思考し、衛宮士郎はアインツベルンの根城から帰還してからも、自分自身の魔術を常に錬鉄し続けていた。

 それ即ち―――

 

「―――是、射殺す百頭(ナインライブズブレイドワークス)

 

 ―――絶殺にのみ専心する投影の極致。

 ―――九つの刃。狙うは八点。

 最初の一撃を足止めの為に使い潰し、残り八連。

 それら全てを八ヶ所の敵の急所へ、神速の域に達する斬撃を叩き込む―――!

 

「ク―――グゥ、ォ、ォォオオオ」

 

 気が狂う程の奇跡であった―――令呪による人造の奇跡の具現であった。

 おぞましさすら感じ取れる修羅の精神によって、神父は全身で以って最初の一撃に専心していた。命を賭ける、とは様に言峰綺礼の所業を指す。

 強化した肉体と、体感時間が停止する程の集中力。

 何より令呪を使うことで、自分の霊基から引き摺り出した宝具足る得る魔術―――固有時制御。神父は自分の霊体に吸収した切嗣(エミヤ)の神秘を令呪による奇跡で取り出し、縮地もどきを行うのと同じ要領で擬似的に模倣していた。空間を跳躍する魔法レベルの大魔術を可能とする令呪だからこそ、同じく魔法に迫る魔術を綺礼は神秘を理解することで行使する事が可能となった。

 エミヤの神秘を奪い取り、それを再現する。

 故にこれは、実行可能な対応策ではった。強化を施した自分を二倍速で稼動させることで、宝具「射殺す百頭」と同じ領域にまで自分を繰り上げた。

 

「オオオオオオオオオオ―――――――――――」

 

 素手による迎撃―――無刀の白刃取り。

 令呪を更に装填した両腕により斧剣の刃を固定させ、迫り来る一撃目に全身全霊を注ぎ込んだ神父の狂気。

 

「――――ッ………!!」

 

 ―――まるで、英雄のような雄叫びを上げた。

 神父の叫び声は本当に自分の命を力尽くで絞り取るようで、令呪を強制発動させる自己暗示と成り果てた。

 強化に使っていた魔力が全て掌から一気に噴射。膨大な魔力の圧迫と拳圧に耐え切れず、投影の構造が概念的に崩れ、斧剣は崩壊。衛宮士郎が保有する二十七本全ての魔術回路を使った投影魔術は絶殺に失敗し、射殺す百頭は残り八連撃を不発に終わる。

 ―――だが、綺礼もそこで動きを停止させた。

 切嗣を殺す為に使った令呪は膨大な魔力を消費することで再び装填させておいたが、腕の傷痕にはもう一画の令呪も残っていない。全ての令呪を使い潰すことで、綺礼はやっと士郎の絶技に並び立てたのだ。そして綺礼はこの後、強化を施すにも聖杯の奇跡は使えず、自前の魔術回路を使う他に手段はない。無論、加速も転移も不可能だ。令呪の再装填は間桐桜からの膨大な魔力供給があろうと数秒は必要で、今はその桜も意識を失い、自我が崩壊しているのだから。そのため令呪復活は数秒ではなく、更に時間を必要としてしまうことだろう。

 ―――それで充分だった。

 相手はサーヴァントではなく、人間の魔術師。

 耐久性は物理的な肉体に依存している。泥化していない黒鍵は勿論のこと、魔力を宿さぬ拳でも殺害可能。

 

「……ッ――――」

 

 倒す、と神父の殺意が一気に膨れ上がった。無言のまま拳を構え、身に刻みに刻んだ套路が綺礼を効率的に稼動させる。士郎は咄嗟に拳を振り抜き、綺礼は冷静にその死を目視する。

 この近距離、魔術を準備する機会もない。予め呪文詠唱を済ませておけば余裕を持って使えるが、先程の攻防に士郎と綺礼は何もかもを使っていた。刹那の一瞬に全てを集中させていた。互いに魔術回路はオーバーヒートし、霊体が発火していないのが不思議なほど。

 ならばこそ繰り出されるのは―――生身の拳!

 ―――直撃。

 肉と骨が砕けた感触。

 綺礼は敵の拳を紙一重で回避し、自分の拳を相手の心臓へ叩き込ませた。

 

「―――!?」

 

 確かに、綺礼には肉が砕けた実感があった。しかしそれは、自分の拳が砕けた痛みを伴う違和感であった。まるで鉄塊を強引に殴り付けた感触であり、剣山を手で叩いたかの様な鋭い激痛。

 ―――体は剣で出来ている(I am the bone of my sword)

 呪文詠唱など不要。

 自己暗示さえ無用。

 衛宮士郎は剣であり、魂の起源も剣である。回路に魔力が僅かにでも残っていれば、思念のみで剣と化す―――否、もはや思念さえ剣である。士郎は肉体を剣化させることで身体機能を強め、内臓と神経まで硬化し、更に心象風景の侵食が進めば肉そのものが刃と変貌する。流石に脳まで剣化すれば人間でなくなり生命活動を維持出来ないが、頭部を除く外部は剣体に作り変えられている。

 投影魔術よりも遥かに直接的な剣の具現―――!

 

「おぉ、ぉ―――ォオ―――オオオオオオオオオオオ!!」

 

 喉を切り裂かんとばかりに士郎は叫んだ。ここで負けたら全てが無に還る。桜は未来永劫の地獄となり、凛を大聖杯の呪縛から助けられない。

 士郎は何が何でも頭部だけは守りながら、体勢を整えた。

 数発のみ相手の胴体へ即死の打撃を炸裂させたが、綺礼は敵を殺し切れず。士郎の拳を肉を抉り取っただけで、神父の命までは殺し切れず。

 ―――剣化による肉体硬化。

 それでも拳の衝撃まで防げる訳ではない。神父の魔拳は心臓を砕いていた……その筈だった。だが、士郎には聖剣の鞘(アヴァロン)がある。アルトリアとのラインを修復し、宝具の蘇生機能を今は万全に扱える。しかし、剣化していなければ鞘が有ろうと綺礼の拳は肉体を打ち破り、心臓内部に呪詛を直接流し込み、神父は士郎へ確実な死を与えていた。

 つまり、十九年前に切嗣が士郎に与えた鞘が作り変えた剣の起源。

 そして、アルトリアとの繋がりで得る聖剣の鞘が与えた不死の力。

 その二つが、士郎を衛宮士郎へと生み変わらせた原因が―――この瞬間、彼が神父を上回った理由であった。

 

「っ、……っ―――――――――――――――――――――――――――――――」

 

 刃の肉体、何者かと神父は疑問を浮かべたが答えを直ぐに察した。しかし、この瞬間に必要ではないと捨て去り、絶殺のみに専念。

 ……しかし、最初の一撃に何もかもを込めたのが悪かったのか。

 令呪がなければ砕けた拳を直ぐ様万全に治癒すことは出来ず、それでは鉄の破壊は叶わない。

 殴り合いの応酬は本当に短い間で。五秒も満たずに雄叫びを上げた正義の味方は、神父の身に辿り着き―――

 

「……そうか。その力、息子(アレ)と同じ固有結界(シナモノ)か」

 

 ―――命を掴み取った感触。

 刃となった拳は躊躇い無く進み―――悪魔の心臓を、突き抜いた。

 

「―――オレの勝ちだ」

 

「そのようだ。この勝負……おまえの勝ちだ、衛宮士郎」

 

 士郎は腕を綺礼から引き抜き、鞘で以って強引に剣化を抑え込んだ。肉体が再び刃から肉へ作り変えられ、全身の細胞が激痛を訴えるが、既に身に慣れた苦痛だった。

 ……綺礼は自分を見下ろし、何も無くなった心臓を見た。

 これではもう戦うことは出来ないと静かに納得し、大聖杯に眠る悪魔と繋がっていた悪性心臓が消えたことを理解した。

 

「では、私は死ぬとする。

 ―――おまえが勝ち残った最後のマスターだ。存分にその責務(望み)を叶えに向かうと良い」

 

 この度の第六次聖杯戦争の監督役に代わり、言峰神父は何時もと何一つ変わらないまま衛宮士郎の勝利を祝福した。

 最後のマスター。

 その言葉には言峰綺礼の過去が込められていながらも、彼はまるで関心がない普段の表情のまま敵の勝利を告げていた。

 

「ああ、さらばだ。容赦なく、貴様の望みを打ち壊そう」

 

「――――――、」

 

 口元を僅かに笑みに歪め、神父は喜びも悲しみもなく崩壊した。この苦界から完全に消え去った。エーテルで構成されていた肉体は太源へ還り、霊基に取り込まれていた切嗣ごと残すモノなど一つもなく―――消滅した。

 最後まで立ち塞がるいけすかない敵でありながら、士郎にとって憎み切れない神父であった。

 

「終わりか。やっと、これで…………」

 

 士郎が見上げたのは、この世界に植え付けられた肉の塔だった。黒い魔力が放たれ、呪詛を撒き散らす聖杯戦争の根源。

 この世全ての悪はまだ生きていた。アンリ・マユを守る者は全て倒された。後はもう、あれは死ぬしか出来なかった。

 亜璃紗は使徒を使って士郎たちを抑え込んでいたが、今は逆に大聖杯へ向かうのを敵に阻まれている。士郎は使徒が抑え込まれている内に大聖杯を破壊する必要がある。

 

「……………………っ」

 

 士郎はそのまま歩み始めた。立ち止まることはせず、大聖杯が何かする前に破壊しようと進み続けた。まだ背後の洞窟からは戦闘が続いている気配があり、決着を付けねば皆が死ぬ事となる。大聖杯を止めなければ、桜の魂は解放されず、凛も呪われ続けたままだ。二人を早く助ける為にもまずは聖杯の破壊が最優先だ。

 ―――投影、開始。

 一撃で両断する武器が要る。

 士郎の脳内にはセイバーが持つ聖剣が描かれる。設計図はあっさり描き終わり、魔力を流せばエクスカリバーは彼の宝具として投影されることだろう。

 

「――――――衛宮君」

 

「あぁ。やはり、無事だったか……………」

 

 その声に安心して士郎は振り返った。生きていた事に安堵し、聖杯による汚染も心配していたが、呪詛に満ちた魔力の気配はない。呼び声に違和感など欠片もなく、神父が言っていた通りに汚染されていれば、躊躇わず士郎を背後から不意打ちをしていたことだろう。

 そして、そもそもな話、凛は九年前にこの泥を克服している。第五次聖杯戦争の最後、士人が投げた黒泥に取り込まれた士郎を救い出したのは彼女自身。凛が持つ精神防御は非常に高く、勿論九年前よりも現在の方が強い。

 それを考えれば、聖杯の呪いに負ける遠坂凛ではない。凛は綺礼に勝った士郎を祝うように、彼を背後から呼び掛けた。

 

「……遠坂――――――?」

 

 士郎へ向ける普段通りの変わらない表情だった―――瞳が金色に輝き、髪が白く脱色していなければ。加えて肌も魔力による影響を受けたのか、薄黒く変色していた。

 

「……まぁ、見た通りよ。何もかも手遅れって訳ね」

 

「―――凛……おまえ」

 

 そして、凛は精神崩壊した自分の妹を大事に、愛おしそうに、両腕で抱え上げていた。そんな悪夢の如き現実を士郎は前にし、間違いが間違いであって欲しいと彼女に問わないといけなかった。

 

「聖杯は、破壊しなければならない」

 

「そうね」

 

この世全ての悪(アンリ・マユ)は滅ぼさないといけない」

 

「そうね」

 

「―――桜を、この悪魔から解放しなくてはならない!」

 

「そうね――――」

 

 遠坂凛は豹変する。人間から、真性悪魔へ転生した……してしまった。悪神の眷属となる使徒化などまだ可愛らしい。

 彼女は悪神の呪詛を完全に克服し、大聖杯を一瞬で己が魂の支配下に置いた。

 ―――地獄が、生まれ出てしまった。

 相反する法則と法則が統合され、人類を守る抑止力にとって絶対に有り得てはならない存在(モノ)が誕生した。

 

「―――でも、駄目ね。

 私の妹を救うには、大聖杯が要る。壊れてしまった桜の魂を直すには、この第三魔法が必要なの」

 

 この時になって士郎はやっと理解した。何故、切嗣が凛を殺そうとしたのか、理解出来てしまった。抑止力がこんなにも直接的に契約を利用して干渉して来たのは、この目の前の地獄が原因だった。

 第二魔法の使い手が、第三魔法を求める悪夢。

 第三法を体現する悪神を、第二法を体現する魔法使いが支配する矛盾。

 ……確かに、凛の強靭な精神は呪詛に対抗するだろう。

 彼女からすればアンリ・マユの呪詛など無価値である。

 しかし、綺礼が行った汚染は違う。彼は自分の魂が持つ始まりの混沌衝動、起源「切開」を用いた呪詛の流入を行ったのである。

 この世を呪う悪魔の祝福を、魂の内部へ直接流し込む絶対変異―――第三法による魂の再誕である。物理的に融かせば相手の霊体さえ取り込んで泥と共に吸収するが、本来の使い方を考えれば変質(こちら)が本質である。

 ―――逆なのだ。

 霊体を融解させる程の呪いを凌駕する魂の強さを持つことで、変異は果たされてしまう。

 綺礼の悪性心臓は大聖杯から直接呪詛を供給されることで、魂と言う情報の設計図を内側から作り変えてしまう正しく第三法による邪法であった。

 

「―――Anfang(セット)

 

「ぐ、ぅ―――ぁあ……ぁぁあぁあああアアアア!!」

 

 ―――空間圧縮。肉体を一点に押し潰す威力を持つ魔術を、彼女は即座に起動させた。そして、そのまま固定する。

 士郎が身に纏う赤原礼装は外界からの干渉を防ぎ、その気になれば強化した肉体と魔力を放出することで魔術の力場を崩し、強引に空間固定程度の魔術ならば破壊することが可能。

 ……しかしだ、相手は遠坂凛である。キャスター(安倍晴明)の根城に風穴を開ける化け物が成す魔術に、回路さえまともに動かせない士郎が抵抗出来る訳がなかった。

 黒騎使徒の群れ、英霊憑依した間桐桜。

 そして、最後に戦ったのは死力を尽くす言峰綺礼だった。

 もはや余った力は少なく、残す魔力も聖剣分だけ。それも自分の精神や魂を削り、魔力に変換してやっと真名解放が可能な程に消耗している。頼みの綱であった凛からの魔力供給ラインも綺礼の呪いでとっくに切られ、士郎は自前の分しか残されていない。そもそも、ラインが繋がっていたところで今の凛が魔力供給するかは疑問であり、むしろ逆に呪詛を流し込まれずに済んでいたのかもしれなかった。

 

「見てたわよ、士郎。綺礼に呪われた後、実は私、結構早く目が覚めててね。本当、良いタイミングだったわ。

 丁度―――貴方が、桜を壊した瞬間でね。

 まだ何とか抵抗は出来てたんだけど……私、願ってしまったから―――」

 

 

 呪いは満ちた。悪魔の祝福はついに人間へ辿り着いた。

 

 

「―――桜を、救いたいって」

 

 

 聖杯は笑った。世界を支配する魔人が地獄へ堕落した。

 

 

「と、お……さかッ―――!?」

 

「可愛い呻き声を上げるわね、士郎。あぁでもこの変な気分、何なのかしら。こうなる前なら思いもしなかったけど、これが他人の不幸が甘い蜜に感じる悪徳なのかしらね?

 確かに、なるほど。

 ―――人間って、こんなにも愉しいのね」

 

 とは言え、凛に士郎を殺す気はない。圧力も骨に罅が入って砕ける寸前で止めている。何より、もし殺すとしても第三魔法を根源から奪い取り、完全な魂の蘇生が出来るようになってからだ。そうすれば好きな様に魂を改竄し、衛宮士郎の魂に刻み込まれたアラヤとの契約さえ剥ぎ取る事も出来るだろう。

 第二法も過去の改変や、限定的な死者蘇生も可能だが条件付きだ。

 しかし、凛が何もかも救う奇跡を得る為には、この大聖杯を利用する必要があった。

 

「そこまで、堕ちたか……ッ―――」

 

「否定はしないわ。そうね、んー……反転衝動とでも名付ければ良いのかしらね。でも、これが、呪われた士人と桜の二人が何時も味わってた愉しいって実感なのね」

 

 魂に融け込み、憎悪を喜びとする反転衝動。凛は士人のように心の中身まで全て焼却された訳ではないが、士人と桜が良しとした地獄を彼女も同様に楽しいと笑うことが出来てしまった。あるいは、綺礼と同じ不幸を歓喜とする悪人の感性だった。

 

「―――反転、衝動……おまえ……が!?」

 

「残念だけど、何事も例外はあるの。むしろ、正解の王道ばかりな訳ないでしょ。霊体ごと魂をぱっくり切開されて、内部から入り込んで来た所為で、中身グチャグチャよ。性格や人格も元の形を失ったわ。

 抵抗はすることは出来ても、もう自分の心象風景に融け込まれて、呪いを取り出すのは不可能になったの。普通に呪われただけなら、こんな世界を滅ぼす程度の呪詛、どうとでも出来たんだけど。

 そして、私が持ってしまったこの願いを聞き、大聖杯の悪魔は叶えようとした。願望器としての機能を私に向けて使ったって訳なのよ」

 

 そして魔力の濃度を上げ、士郎への圧力を少しだけ高めた。

 

「が、ぁ―――あぁアアアアアアア!!」

 

「ふふ。耐える耐える。まぁ、魂に刻まれた心象風景を魔術として運用して、固有結界に対する抑止力からの圧迫にも普段から耐えている士郎だものね。

 うーん、空間干渉には相変わらず強いようで。第二法を使う私からすれば、本当羨ましい特異性よね」

 

 凛は笑いながら、世界へ孔を穿った。

 

「だから、油断はしないわ。衛宮君は強いもの。どんでん返しは許さない。

 ……そこでずっと見てなさい」

 

「……なに、を―――!?」

 

「決まってることでしょうに。大聖杯を完成させるのよ―――私の世界でね」

 

 合わせ鏡の如く重なる平行世界から凛は魔力を強奪し、空間に刻み込んだ魔術式に魔力を注ぎ、大聖杯を中心に魔法陣を描き続ける。

 完成する魔法陣は一つだけではなかった。手持ちの宝石を術式の核として運用し、描いては固定し、刻んでは浮遊させ、一つ一つの陣に1000にも届く魔力が溜まった宝具級の魔術が群れを成す。

 

「まさか―――」

 

「―――まさか、何て言葉はもう遅い」

 

 黒い光を輝かせる肉の塔が包囲された。凡そ1000の数値に匹敵する魔力が籠もった魔法陣が、数十以上も輝きながら世界に降臨していた。全体の魔力量は流石に大聖杯には負けるものの、最上級のAランク宝具が数十個以上同時に真名解放された魔力の轟きに等しかった。

 大聖杯は今も尚、この世界に孔を穿っている。

 言うなれば聖杯そのものが、根源の渦へ繋がる大回廊だ。

 その渦を―――更なる巨大な孔が覆いかぶさるように、異なる世界へと続く孔が開かれた。

 

「この大聖杯は私のものよ―――」

 

 この段階に入り、凛も自分がどんな存在になったのか、理性面では全て把握していた。衛宮士郎の養父であるあの衛宮切嗣が何故、この自分の命を桜よりも優先的に狙っていたのか分かってしまった。

 魔法とは、人類史に有り得てはならない法則。人理による世界の守りを容易く崩壊させる力だ。

 その魔法の神秘さえ超える異端は魔導とも呼称されるが、アンリ・マユによるバックアップを受けた遠坂凛はその領域に達していた。

 だから、この恐怖を理解していたから、この第六次聖杯戦争には抑止の走狗が集中した。衛宮士郎が参戦したのは当然のこと。言峰士人によって集まった魔人と超人は全て素質の有る候補者だった。集ったマスターは全員が抑止の守護者となれる能力を持っていた。現状の世界を維持する為ならばと契約が結ばれる力場が発現したのも、この危機に対する抑止力(カウンター)だった。

 今の人間社会は常に滅びの危機に瀕している。しかし滅んでいないのは、自分達の集合無意識が人間達に働きかけ、自然と流れが存続に繋がるように誘導しているからだ。世界が滅び去る事件に、その事件を解決可能な人間が招かれるのも、この抑止によるもの。

 だが―――第六次聖杯戦争は違う。

 より直接的な介入がなければ人間が消滅する。

 その為の契約だった。デメトリオ・メランドリは遠坂凛を殺すことを代償に、死から生還する権利を阿頼耶識から譲り受け、それをあっさり放棄してアルトリアの魂を斬り殺した。衛宮切嗣も同じく遠坂凛を殺すことを代償に、イリヤスフィールと士郎がせめて死ぬまで平穏に暮らして欲しいと、間桐桜と協力した。無論、遠坂凛抹殺に成功すれば、人類存続に邪魔な桜達全員の殺害も計画の内側であった。

 それら全ての情報を今―――大聖杯と繋がることで凛は細部まで理解した。

 アンリ・マユが聖杯を通して観測したこの世界を、第六次聖杯戦争で働いた抑止力の流れを、彼女は把握出来た。

 

「―――第三法はたった今、第二法の担い手と統合される!」

 

 冬木の聖杯戦争は五度の殺し合いを経て、魔術師同士の殺し合いではなくなっていた。英霊を使い魔のサーヴァントに劣化させ、渦を生み出す為の生贄にする儀式魔術ではなくなっていた。魔法の魔術基盤が眠る根源への門を開き、第三魔法をアインツベルンが手に入れる為の魔術実験ではなくなっていた。人間が生み続ける悪性を焼き滅ぼし、マキリ・ゾルゲェンが最初に抱いた願望であるこの世全ての悪の廃滅を為す為ではななくなっていた。

 聖杯戦争の結末は―――遠坂凛に集約された。

 魔法への研鑽を忘れず、根源を諦めず、御三家で一番狂っていたのは遠坂家だった。聖杯を求めない魔人が生み出たが故に、遠坂の集大成と呼べる魔術師に成長したが故に、冬木に集った御三家最後の“魔術師(探究者)”である凛が勝ち残ったのも必然であった。

 

「―――無尽蔵の命。

 ―――無限の世界。

 ―――神の真霊子。

 古き偶像が持つ権能を模した無辜の生贄(サーヴァント)を媒体に、魔術師共が生んだ大聖杯によって作り上げられた人造悪神―――この世全ての悪(アンリ・マユ)

 

 何もかもが必然と呼べる流れだった。偶然など一つも存在していない。運命とは、人類全ての意識が求めた総決算だった。

 

「理解してるのでしょ、士郎。これは地獄なの。この惑星が飼ってる(イヌ)が作った世界じゃなく、私達人間が生み出した地獄(セカイ)の神様。その悪魔が、私の魂となってしまった。

 私もね、今の自分が狂っているのはちゃんと知ってる。

 でもね、この魂が止まらない。

 叫んでるの―――救いたいならば、この世全てを生贄にしろって」

 

「――――――ッ……!?」

 

 金色に輝く凛の瞳に士郎は地獄を見た。間桐桜と同じく、人類全ての悪を内蔵した悪神の目。見ただけで精神が弱い人間の命を容易く奪い、惰弱な魂を狩り取る死神の呪詛。言わば言葉一つで、人の心を悪に落とす呪いの軍勢。守護者として錬鉄された衛宮士郎でなければ、遠坂凛と会話することさえ許されない。英霊並の魂がなければ、魂魄自体が発狂して死ぬ人型の怨塊。

 ……彼女はそんな自分の現状を分かっている。

 平行世界の自分から盗み写した術式を使わなければ、呪詛の波動を身の内に封じ込める事も出来ない。そんな生き物、既に人間と呼べる存在(モノ)ではないのだ。

 

「―――Anfang(セット)

 

 呪文によって生み出されるのは、魔法。凛は集めに集めた数万もの魔力を疾走させ、魔法陣全てを起動させた。大聖杯が眠る山だけではなく、この冬木の街が壊滅する程のエネルギーが轟き、魔法陣に刻まれた術式が力を発揮する。

 ……少しでも制御に失敗すれば、街が消える。

 凛はその危機感を愉しみながら、回路を使って術式を万全に運用した。

 

Unendlicher Korridor(無限回廊)Kreation(隔離展開)――――――」

 

 凛と士郎が居る空洞は光に満ち―――一瞬で、大聖杯は消滅。冬木の霊脈に取り憑いていたアインツベルンの巨大魔術回路は失われ、誰も知らぬ何処かへと流出してしまった。

 ―――大聖杯は、冬木の地より消え去った。

 凛はそれでも士郎への魔術拘束を弱めず、自分と桜の転移の準備を始めた。目的の大聖杯強奪に成功し、後は自分がこの冬木から脱出するのみ。時が経てば同盟を結んで仲間になっていた魔術師と英霊たちがこの場に到達し、敵として自分を殺害することだろう。

 

「それじゃあね、士郎。今度会う時は多分、殺し合うんでしょうけど。それでもちゃんと言っとくね―――」

 

 呪詛に狂った黄金の眼に、凛は僅かに人としての感情を混ぜ込んだ。彼はそれを見て、これから喋る凛の言葉に嘘はないと直感した。

 

 

「―――愛してる。

 全く、自覚してるのに不思議な感覚よ。誰かを愛する心は、人間も、神様も、悪魔も、関係がないのね」

 

 

「……止めろ。止めてくれ、凛――――――!」

 

 

 世界は歪み、士郎の前から桜と一緒に凛は冬木より過ぎ去った。

 

 












 第六次聖杯戦争、終幕です。








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