0.始まりの夢
気が付けば炎が支配する地獄に変わっていた。昔の、ほんの十年くらい前の、自分が持つ一番古い記憶の話。
今の自分は、当時の自分について記憶が無い。過去の幼い自分は、あの地獄よりも昔にあった平和な日常がいつも通りに、それこそ平穏そのものを自分は過ごしていき、これからもそんな風に生きていくのだろうと、記憶から失った過去の自分は感じていた筈だ。
しかし、悲劇は突然人を襲うもので。既に辺りは火の海と成り果てて―――自分は地獄を彷徨っていた。
これが自分にとっての一番古い思い出であり、始まりの記憶。見渡す限りひろがっている炎は人を襲い、喰らう様に燃やしている。
あまりにも酷い夢だった。死が支配している地上の地獄。
そんな中、あても無く彷徨っている自分がいる。視界に入るのは、炎と燃えて崩れていく家とヒトの死体。実に無残で地獄は徹底的に日常を灰へと変えていく。地獄、地獄、ここはもう地獄としか例えようの無い死の世界。
そうして、炎を中をどのくらい彷徨ったのだろうか……
―――気がつけば、
夜空の中で燃える黒い太陽に見下ろされていた。
死ぬ訳にはいけない。……いや、あれに殺されるのなら今死ぬ方が救いになる。
しかし、自分が自分を殺すなど地獄であろうとできなかった。今はもう解からなくなってしまった誰かが、死ぬなと助けてくれた、行きなさいと、逃がしてくれた。
自分が死ねば、彼らの死が意味を失くしてしまう気がして。価値のある尊い思いが無へときえていまいそうで。
だから、ただ生きなければならない、と。力のこもらない足を無理やし動かし、止まりそうな呼吸に活を入れ死に満ちた灼熱の空気を吸いこんでいる。
死にたくない。
死ぬのは嫌だ。
生きなければならない。
幼い自分はただ、生きようと単純に行動し、体が止まったら全てが終わる。そう自分の本能が告げ、いずれ自分に訪れる終わりのカタチを、目の前に広がる地獄が目に刻みつけるように教えてくれた。
……しかし、そうやって足掻いて逃げた先にあったのは、不吉で、悪寒が奔り、吐き気しか感じられない、奈落の深さを持つ黒い泥だった。
黒い太陽の分身のような闇色の泥に襲われたのは不運にも程があるし、自分にことであるが不幸すぎる。そのあとはもう、パクリと食べられてしまい、ボチャンと奈落に落ちながら闇に溶けていった。
死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。
――――始まりの刑罰は五種。
――――生命刑、身体刑、自由刑、名誉刑、財産刑、様々な罪と泥と闇と悪意が回り周り続ける刑罰を与えよ。
『断首、追放、去勢による人権排除』『肉体を呵責し嗜虐する事の溜飲降下』『名誉栄誉を没収する群体総意による抹殺』『資産財産を凍結する我欲と裁決による嘲笑』死刑懲役禁固拘留罰金科料、私怨による罪、私欲による罪、無意識を被る罪、自意識を謳う罪、内乱、勧誘、詐称、窃盗、強盗、誘拐、自傷、強姦、放火、爆破、侵害、過失致死、集団暴力、業務致死、過信による事故、護身による事故、隠蔽。益を得る為に犯す。己を得る為に犯す。愛を得る為に犯す。得を得るために犯す。自分の為に■す。窃盗罪横領罪詐欺罪隠蔽罪殺人罪器物犯罪犯罪犯罪私怨による攻撃攻撃攻撃攻撃攻撃汚い汚い汚い汚いおまえは汚い償え償え償え償え償え償えあらゆる暴力あらゆる罪状あらゆる被害者から償え。
『この世は、人でない人に支配されている』
罪を正すための良心を知れ罪を正すための刑罰を知れ。人の良性は此処にあり、余りにも多く有り触れるが故にその総量に気付かない。罪を隠す為の暴力を知れ。罪を隠す為の権力を知れ。人の悪性は此処にあり、余りにも少なく有り辛いが故に、その存在が浮き彫りになる。百の良性と一の悪性。バランスをとる為に悪性は強く輝き有象無象の良性と拮抗する為強大で凶悪な『悪』として君臨する。
始まりの刑罰は―――――――――――――――――――――――――――
―――奈落の底の底。魂の牢獄。
醜さをさらに醜さで上乗せする、醜く成り果てる無限の汚れ。
―――黒い太陽が唄う人のカタチ。
―――今でも呪いが魂の中で唄っている、太陽の歌。
自分の『存在』そのものが再誕する痛み。自分の肉体、精神、魂、その全てが発したこの存在自体が感じた『ナニカ』。
文字通り魂に刻まれたそれを、自分は未来永劫忘れられないだろう。
――……それでもなお、自分は泥から甦ることができた。
今思えば何かしらの理由はあるのだろう。しかし、泥から当時幼い自分が生き残れたのは本当に奇跡だった。
………気づくと空が見えた。自分は生きているが、人間ならば大切なモノがごっそり死んでいて身の内から消えていた。カラダがやけに軽く感じられたのは、肉体に溜まった疲労が何故か苦しく感じ取れなかったかもしれない。
炎が弱まり死灰(しかい)が舞っている。『自分』を殺されたただの殻が一つ、そこには存在していただけだった。心が空っぽになった自分が、何の思いもなく生きているのかと考えている。廃墟と化した街の地面を横たわり、崩れ落ちた瓦礫に囲まれながら見る空は暗かった。
「――――――――」
……足音が聞こえた。かつん、かつん、と道を人が道を進む音。死んでいる体が音を感知した。だから空から視線を外して音源を見た。地獄の中に見えたのは、血だらけの神父と裸の外国人。
「…………ほう、アレを凌げた生き残りがいるのか。―――どうする綺礼?」
「決まりきったことを聞くな。この身は神に仕える身だ、人助けは当然のことであろう。
……それにな、ギルガメッシュ、おまえなら気づいていると思うが――――――――」
「――――あぁ、この雑種はお前と同じモノになっているぞ。……フ、なかなかに愉快だ。雑種の身でありながら、幼い魂でアレを逆に喰らうとはな」
地獄の中、平然としている二人は横たわる自分の横で会話をしている。
――――神父が問う。
「では少年、
――――――――生きたいかね?」
自分は無表情な笑いを浮かべ、神父は全てを悟ったような笑みを浮かべた。
金髪の外国人は愉快なモノを見たように、悠然と笑いながら二人を見届けた。そして自分は生きるために頷いたのだろう。
………映像は一旦途切れるがまだ記憶は続くようだ。
次に目を開くとそこに映ったのは暗い灰色の空ではなく、石造りの天井であった。
自分は瓦礫ではなく、綺麗なベットに寝ていた。ベットの横には血だらけではないが、自分を助けてくれた二人組の一人である神父が見えた。
「目は覚めているかね、少年」
「……ここは?」
「ここは私が神父をしている教会だよ。君は助かったのだ。……それで、君の名前は何と言う?」
「………………………………わからない」
「そうか」
この時、自分は死ななかったのかと、何の思いも浮かばずそんなことを考えた。『自分』がさっぱり内側から消えていた。
今の自分が思うのなら、既にそこに在るのは体は生きてはいるが中身をごっそり失った泥人形。空白だけとなった心を宿す『ヒト型のナニカ』であった。
生者ではなく、死者でもない。獣や機械でもない。例えられるなら、人形。それも何のカタチをとっても何にも成れない泥人形。
その時の自分は奈落の目をした目の前の男、何処か不吉な気配がする微笑みを浮かべる神父を見ていた。
「どうしたのだ少年?」
「……自分はあんたらに助けられたのか?」
「あぁ、あの火事現場で拾ったのだ。
それと、あの区域での生き残りは君を除くとあと一人であったか。……同年代くらいの少年らしい」
「………そう」
「―――そうなのだ。
故に私は、君に伝えないといけないことがある」
この時のこの男の表情には、神父らしい慈悲など欠片もなく、愉悦のあまり耐えきれないとでも言う様に、底無しに不吉な笑い顔を浮かべている。
―――それなのに、まるで神から伝えられた言葉を宣告するかの如く、敬虔な聖職者のように呪われた言葉を告げた。
「実はな、私が火事の元凶だ。
―――お前の家族を皆殺しにして、お前の幸せな日常を灰にした。そして、おまえを不幸へと叩き落した張本人なのだよ」
…そうして、語られたのは一つの戦争の話。
魔術師、英霊、マスターにサーヴァント。世界の裏側にある暗い真実と戦争の要である聖杯。そして、聖杯戦争と呼ばれる魔による血の宴。荒唐無稽な話であるが、告げられた真実が嘘ではないと思えた。
その男の雰囲気もそうであったが、何よりも自分は―――――――――――
「これが嘘ではないことをお前は体験したはずだ。
―――――――黒い孔と泥は忘れられまい。あれが万能の杯、聖杯だ」
呑まれて飲み込んだんだ、あの地獄を。生まれ変わったような心身に轟く激痛と、助かった時の虚無感は今でも忘れてないだろう、死んでも忘れないであろう。
…まぁ、当時の自分にとってだと難しいことだったので、概要をなんとなく理解しただけだが。
話終えても自分が無反応なのが気になったのだろう、その神父が自分に話しかける。
「どうしたのだ。今の話を聞いて思うことはないのか?」
「………僕は一体、なにを思えばいいの?」
神父の言葉がつまり確信を得られたような雰囲気に変わる。なにを悟ったのだろうか。それはまるで同胞でも迎えるみたいな、今思えばそんな歓喜に満ちている暗い笑い。
「―――…………くくっ。
そうだな、私が仇なのだから憎いだとか、家族が死んでしまって悲しいとか、そのような感情だ」
「あの……憎いってどうゆうものだっけ? それにどうして家族が死ぬと悲しいって感じられるの? ―――そもそも感情って、どうすれば感じることができるんだろう?」
「――……くくク。フははははハハハハハっ、はははははははははははははハハハハハハハハハハハハハハッ!!!!!!!!
―――やはりそうか…っ。
視ている内にもしくはと思ったが、まさか私の同類に再誕するとはなんたる祝福。なんて愉悦だっっ!
――――――このような運命を神が用意するとはなッッ!!」
死んだものは甦らない。失ったモノは手に入らない。
中身が消えた心は、ずっと空のままで殻なのだろう。
何を失ったのかワカラナイ程空っぽなら、何を入れればいいのか分かる訳がなく、入れ方も理解できない。
―――それも泥人形なら永遠に。
「………どうかした?」
「何でも無いぞ。面白いモノを私は笑っただけだからな、お前に非はない。」
後に、自分の養父となる神父であるこの男は、通常の価値観とは真逆の価値観をもっている事が分かる。神父としては如何かと思うし、人としてなら極悪人だ。ただ、この神父がそういうものならば、そういうもので在り続けるのだろう。
――――――人々が幸福だと思えることが、私には幸福とは感じられない――――――
そんな言葉を残している神父であり、そして自身を罪人と思い救いを求めて生きてきたことが分かる。求道者であるこの男はそんな生き方を選び、残った道がこれ一つだけならば、その在り方は当然のように貫いていくしかないのだろう。
神父の笑い声が響き、部屋に一人の青年がやってきた。
「煩いぞ、綺礼。ついに狂ったのか」
金髪紅眼の男。ひと目で自分とは違うと本能が告げている。存在感が巨大だった。………まぁ、すぐに英霊と説明されて人間ではないと知ったのであるが。
「いいところにきたな、ギルガメッシュ。この少年は今日から私の息子になる予定だ。
新しい名は、そうだな、
………そういうことで構わないかね、士人?」
ここで自分は、生みの親から貰った名前を『士人』という名につけ直し、養父からの『言峰』の名字を受け取った。
そして、そんな大事なことをサラッというあたり、この神父はやはり言峰で――――
「……………。………………うん」
―――それをサラっと返すあたり、私もこの男の息子だった。
そして何よりも、この男からは自分に似たナニカを感じられたのだろう。そうして、この時に、自分はこの男の息子になったのだ。
……………………………久しぶりに、昔の夢を見た。