【完結】ヤンデレの女の子に死ぬほど愛されて眠れない兄になって死にたくなってきた 作:食卓塩准将
プロット書いたらそれに満足する悪いタイプの人間だってようです、私は
では、始まり始まり
「あっ」
「え……」
階段を上がろうとしたところで、なんと柏木に会った。
昨日の夜言った通りに、今日はちゃんと登校してくれたみたいだ。
「おはよう、ございます……」
「あぁ、おはよう、柏木」
「おはよう、柏木さん」
俺と柏木は硬く、綾瀬は朗らかに、互いに毛色の違う挨拶を交わしたあと、階段の前で固まってしまう。 俺たちの間や後ろを他の生徒がチラチラ見てくるのが恥ずかしいが、昨日の事が尾を引くのか、どちらも次の行動に動けずにいる。 綾瀬も流石に下手に口を出すまいと、敢えて俺と柏木の様子を静観している。
いい加減にきつくなってきたそんな空気を、意外にも俺や綾瀬でも無く、柏木が破った。
「あ、あの……」
「ん、なんだ?」
「昨日の、事なんですけど……」
「うん」
なんだろう、まだ何か踏ん切りがつかないのだろうか?
「昨日は、力を貸してって言いましたけど、その、やっぱり私なんかの為に──」
「却下」
聞くまでも無かったな、即刻発言を許可しませんさせません。
「えっ、その、まだ私全部言ってない──」
「言ってなくても意味は通じる、それに、今更言っても遅いよ柏木」
「遅い……? それって、どういう意味ですか?」
「早ければ今日のうちに、全部終わるってコト」
「えっ、えぇ!?」
目を丸くして驚く柏木。 まあ、その反応は間違っていない、相談を持ちかけた相手が次の日にはもう解決一歩手前なんて都合のいい事なんて、普通は考えられない、俺も悠がいなかったらそうだった。
「まあ、殆ど俺の力じゃなくて、俺の友人達の力なんだがな……。 それでだ、柏木、お前に最後に一つ確認したい事がある」
「確認したい事、ですか」
「お前は、早坂たちの事を恨んでいるのか?」
「恨んでいるのか、ですか……」
目を閉じて自問する柏木、何故このタイミングでそれを聞いたのかと言うと、俺には柏木が早坂たちを恨んでいるのかどうか、判断がつかなかったからだ。
そんな事、目に見えて分かっているだろうと思うかもしれない。 でも昨日の柏木の口振りから、柏木はいじめ自体は嫌だが、早坂たち本人に対して必ずしも嫌悪を抱いてはいないんじゃないか、とも思えたのだ。
それを示すように、柏木は俺の問いにすぐ答える事をせず、今こうして目を瞑って自身に問いかけている。 柏木は自覚していないかもだが、その時点で半分以上答えを言っているような物だ。
園芸部で出来た友達、自分をいじめてくるのはあくまでも本当の事を知らなくて、本人も口に出来なかったから。 思いのすれ違いと言うには些か早坂たちに非が多い物の、単純に彼女達を悪と断定するわけにもいかない、そう考える事も決して悪くは無い。 もっとも、そんな事を考えていい権利を持つのも、柏木ただ一人だけだが。
「……分からないです。 早坂さん達にされた事は辛かったけど、でも私、きっと心の何処かで早坂さん達とまた仲良くなりたいって……思ってるかもしれません」
「そう、か……うん、よく分かったよ」
「へ、変ですよね? こんな中途半端な気持ちで野々原君に助けてなんて、きっと私、どこかおかしいんです」
「おかしいかどうかは、ノーコメントとさせて貰うけど、これだけは言って置くな」
「……はい、なんですか?」
これから話す言葉が、恐らく彼女のこれからを左右する分岐点、選択肢と言う奴だ。 どちらが正しく、どちらが間違っているという物は無いが、ハッピーエンドかノーメルエンドのどちらかになる。
「もし、お前のその気持ちが本当なら……、最後の選択は、俺じゃなくてお前が自分で決めてくれ。 俺はあいつらに対しては遠慮も躊躇いもしないから、徹底的にやる。 お前の問題全てを『解消』するつもりだ」
「…………っ」
「お前が『解消』ではなく、『解決』を望むとするなら、どうすればいいか、どうしたいのか、自分で考えて決めてくれ」
「……はい、分かりました」
俺の言葉の意味を読み取った柏木が先程の曖昧な答えとは違ってハッキリと頷いた。
「うん、じゃあ俺達はさっさと教室行くから」
「それじゃあ柏木さん、
そう言って、俺たちは柏木の返事を待たずに教室に向かった。
教室に着くと、遅刻ギリギリの到着だった昨日と違い既に教室に居た悠が、他のクラスメイトと会話をしながら俺が来るのを待っていた。 そうして、俺達を見つけるやいなや、ぱたぱたと直前まで談笑していたグループから離れ、俺の席にやって来た。
「柏木さんは今日来てるかな?」
「ああ、さっき階段の前で会ったよ」
「そっか、良かった。 これでバッチリだね」
「ん? バッチリって事は、まさかお前、昨日頼んだの、昨日の内にすぐやったのか……?」
ここ数日のやり取りでもはや分かり切っていたが、念のためにと悠に視線を向ける、それを受けて悠は苦笑を交えながらあっけらかんと答えた。
「おかげで、今日は寝不足になっちゃったよ、中々正直に話してくれなくてね」
「……行動、迅速過ぎだろう、いや有難いけどね」
いや、もう本当その、これからは悠の事をジェバンニと呼んだ方が良いかもしれん。 それにしたって一体この数日間で何回、一晩でやってくれましたを連発してくれるんだこの親友は。 悠とは別に計画について話していた綾瀬も、会話の意味をすぐに察して同じく驚いた。
「もしかして、今日の放課後までにって計画してたアレの事? 本当、綾小路君は動くの早いわね……」
「いやいや、今回は特別だよ、僕だってこの件に関しては十分に関係者なんだから、当然身も入るさ」
身内の恥そのものだからね、そう答えてから悠は場の空気を切り替えるかのように咳払いをした後、鋭い目線で俺を見やった。
「さて、縁、もうこちら側の手札はほぼ揃ったよ、あとは行動に起こすだけだ」
「今日のうちに、柏木さんのいじめを終わらせる……、自分の事じゃないのに緊張するわね、これ」
「一応確認するが、今日の授業は三限までで、後は無いんだよな」
「そうだよ。 だから実行は帰りのHR後すぐにって事で良いのかな」
悠の視線だけでなく、綾瀬のそれも俺を捉える。 その視線を受けて、最後の確認とばかりに、俺は目を閉じて現状の全てを確認し直す。
悠の言うとおり、出来得ることは全てやり切った。いいや、最後に一つだけ、ピースが欠けたままだが、この空白は俺らでは埋めようがない。 最後の空白が埋まるかどうかは、俺じゃなくて向こうが決めなくちゃいけないからだ。
それに、この欠けているピースは問題を終わらせる事の障害にはなり得ない。 当然ある方が良いが、無くても問題は全く無いとも言えるのだ。 つまり、もうやるべき事も足りない行程も無く、実行に移すだけと言う事に他ならない。
「──ああ、今日の放課後に、全部終わらせる。 綾瀬、悠、最後まで頼む」
「うん、もちろん」
「任せて! と言っても、私はそんなに大した事してないけどね」
俺の言葉に、力強く返事をしてくれる二人。 結局、始めは俺一人でやるとか言ってたのに、今じゃ最後の最後まで二人の力に頼りきる形になってしまった。
もっとも、二人はそんな事は気にしないのだろうが、今回の件で俺がどれだけ友人に恵まれていたのかを確認する事が出来た。
柏木園子のいじめについては、三人で取り組んだ。
全部終わった後、渚に関しては、今度こそ俺が一人で解決しよう。
……
(…………はぁ)
柏木園子は、放課後独特のクラスの喧騒の中、一人席に座ったまま、朝に野々原縁と交わした会話を思い出していた。
野々原縁という人物を、柏木はあまりという表現では少しばかり足りない程度に知らない。 当然の話だ、彼と柏木が知り合ったのは、ここ数日かそこらなのだから。
なのにも関わらず、まるで向こうは、初めからこちらの事を分かっているかのように接して来た。 それだけでも困惑するのに、実際に野々原と交わす会話はいつも、同じ地平で話している筈なのに、度々回りくどい言い回しや比喩を使うので、どこかずれている様な感覚を覚える事が多く、本心が掴めなかった。
その野々原が今朝、『早ければ今日のうちに全部終わる』と、ハッキリそう言った。 自分と話す時以外の、普段の彼を知っているわけでは無いが、それでもその言葉に確実性があるという事は、柏木も十分に分かっている。
(多分このまま家に帰ったとしても、野々原君はいじめを止めてくれる……でも)
野々原はもう一つ、自身に言った。
『お前が解消ではなく解決を望むなら、どうすればいいか、自分で決めてくれ』
その言葉が意味するのは、野々原が『解消』と『解決』、似ているようでどこかが決定的に違うこの二つの内どれかの結末を、柏木に委ねたという事。
今日は土曜日の登校で、一人っきりの園芸部も今は行く気にもならない。 このまま家に帰れば、柏木は『解消』を選択した事になるのだろう。
では、『解決』を望んだ場合、何をするべきなのか。
そもそも自分は、早坂達とどのような
(私はどうすれば……、駄目、分からない)
焦燥感にも似た感情を胸の中に抱えたまま、霞の様な答えを求めて、柏木は黙考し続ける。
そんな柏木の意識を断ち切るように、唐突に校内放送を告げるチャイムが柏木の耳朶に響いた。
『二年生の早坂真弓さん、小松京子さん、新房沙紀さん、至急、園芸部部室に来てください。 繰り返します、早坂真弓さん────』
(えっ……?)
スピーカーから流れてくる声は、野々原と一緒にいた大きなヘアリボンが特徴の女子生徒の声だと、柏木はすぐに気付くことが出来た。 名前は確か、河本綾瀬だったか。
突然見知った人間の声が校内放送で流れた事に驚くが、しかしそれ以上に、その放送で挙げられた名前の方が彼女の注意を引いた。
(今のって……もしかして)
思わずクラスに残っていた早坂へと顔を向ける。 すると早坂の方もまた、柏木に鋭い視線を向けていた。
咄嗟に視線を逸らす柏木、それを見て早坂はすぐにでも問い詰めたい様子だったが、それを抑えて足早に教室を出て行った。
(きっと、野々原君達が……じゃあ、やっぱり……)
残った時間はもう僅か。
恐らく、これから先ずっと影響する人生の選択を前に、柏木は決断を迫られていた。
……
「……さて、後はあいつらが来るのを待つだけか」
綾瀬が校内放送で早坂達を呼び出した、悠には別件で席を外して貰っているので、園芸部の部室には今俺しかいない。 正直な話、あの三人を相手に俺一人で相手しなければならないと言うのはウンザリだが、渚と正面から対話した昨日の夜に比べればまだマシだと、自分を奮起させる。
「おっ、来たかな……」
廊下をかつかつと歩く音が部室に近づいて来る、その音が部室の扉の前で止まったかと思うと、勢い良く扉が開かれた。
開いた扉の先に居たのは、予想を裏切らず、早坂真弓その人だった。 ただし、三人ではなく二人だけだったが。
「早坂に、もう一人は……えっと」
「こ、小松……」
「ああ、そうだったな」
俺が柏木を図書室から連れ出した時に、早坂の他二人のうち、柏木の手を楽しそうにグリグリ踏んでいた方が新房沙紀で、何もせずぼやっと突っ立ってたのが、今いる小松京子だった。
「新房沙紀はどうした、ここには三人呼んだはずなんだが」
「沙紀は今日風邪で欠席してるんだけど、家からここまで来いって言うつもり?」
「う~ん、出来るものならここまで裸足で来てほしかったね」
「はぁ!? 野々原、アンタそろそろいい加減にしなさいよ、だいたい、ここにも何の用件があって呼んだワケ?」
「真弓、少し落ち着いて……ね?」
「……ふん」
今にも俺に掴みかかって来そうな早坂を、多少オドオドしながらもしっかり宥める小松。 なるほど、しっかり宥める事が出来るって事は、早坂の言いなりの身分では無く同等の立場なんだな。 柏木に積極的に危害を加えないからコイツだけ所謂『巻き込まれている』のかとも思ったが、元来控えめなだけで気のせいだったようだな。
それはそうと、さっさと話を進めるとしよう、これ以上こいつらと無駄な世間話をしても一銭にすらならない。
「俺がここにアンタらを呼んだのは、話を付ける為だ。 単刀直入に言おう、今日を持って柏木に対するいじめ行為を止めろ」
フィクションだとよく聞くけど現実じゃあ使う機会の無い言葉、俺的第二位の『単刀直入に言おう』を遂に言う事が出来た。 ほんの僅かな感激が一瞬だけ胸の内を駆け巡って、儚く溶けて消えた。 ちなみに第一位は『戦慄』で、三位は『待て、話し合おう』だ。 一位だけは心中でのみ時々発言しているが。
「いじめ? ……あぁ、やっぱりそっち系の話ね」
「そう、そっち系の話。 で、答えは?」
「無理。 だいたいあたし達苛めとかしてないし、やって無い事をするなって、出来るワケないじゃん」
「小松も、同じ意見なのか?」
「……まあ、そんな感じ」
「あっそう」
聞く前からわかっていた事ではあったが、やはり言われて素直にはいと答えるワケが無かったか。 これでもう、こいつらは最良の道を自分たちで消してしまった事になる。 あとは、徹底的に最後の最後まで終わらせてやるしかない、遠慮なんかするものか。
「じゃあ違うことを聞かせて貰うけど、お前らはどうして柏木にあんな仕打ちをし続けるんだ? 去年の暮れ辺りからしてるみたいじゃないか」
「何であんたにそんな事いちいち言わなくちゃいけないの? カンケー無いじゃん」
「いいから答えてくれよ、お前らがしてるのが苛めじゃないなら、正当な理由があるんだろ、それが納得出来る内容だったら俺ももう何も言わないからさ」
「だから、そんなの部外者のあんたに言う意味が無いって言ってんの、日本語分かる?」
「話逸らすなよ、お前以前俺に言ってただろ、悪いのは柏木の方だって、その根拠を話せって言ってんだろ」
「だーかーらー! 園芸部でも同じクラスでも何でもないお前に話す意味が無いって言ってんでしょ!? 何でそんなに知りたいワケ? あ分かった、あんた園子の事好きなんでしょ、だから気を引きたくてアタシ達に突っかかってるんだ、キッモ、死んだら?」
「いや、そういう露骨な話題逸らしはいらないかいい加減に──」
「あーもー終わりー、この話はおしまい、もう帰るわ、行こう京子」
「いや真弓、流石にマズいって」
「京子も何言ってんの、こんなキモ男なんかとこれ以上同じ場所に居たら死ぬから」
「だから、それがマズい──」
「いいのー、どうせ普段はろくに女子と目を合わせるのすら出来そうに無いクズ男なんだから、シカトしたって何の問題も──」
「五月蝿い」
「──っ!?」
勢いよく捲し立てていた早坂が、まるで恐ろしい物を目にした様に一瞬身体を震わせて閉口する。
元々静かにしていた小松も、ともすれば早坂以上の怯えた目で俺を見る。 それらの姿は、皮肉にも苛めを受けている最中の柏木のそれと非常によく似ていた。
たった一言だけ言っただけでオーバーなリアクションだと思うが、その気持ちは分からないでもない。 今しがた俺の口から出た声は、俺自身でさえ本当に自分の身体から発せられたモノなのかと疑ってしまう位に、侮蔑と威圧の念が込められたモノであったからだ。
昨日の夜見た怒っている姿の渚を、無意識のうちに模倣していたのかもしれない。 それとも単純に、怒った時の話し方や雰囲気が似ているのだろうか。 なんせ俺は渚の兄だ、そういう所は似通っていてもおかしくない。
となると俺にもヤンデレの素質があるって事になってしまうのだが。 嫌だなぁ、野郎のヤンデレやツンデレとか誰が得するんだよ、個人的には「ふたなり」や「男の娘」並みに得しねえよ、あくまでも個人的にだが。
いずれにせよ、虚勢だけで場を乗り切ろうとしていた早坂を黙らせるのには今の一言は、効果覿面を超えて、もはや殺人的だった。
「お前が頑なに俺の質問に答えないなら、俺が答えを当ててやろうか?」
「ふん、勝手に言えば? アタシは知らないし」
「理由は簡単だ。 『理由なんて無い』からだろ? 始めから柏木を責めるハッキリとした理由がさ」
「……ハァ? テキトーなこと言わないでくれる?」
十分確信を突いた言葉を言ったつもりだったが、まだそれだけで早坂はうろたえる事は無かった。 てかスルーしないのかよ、小物め。
小松も不安げな表情を浮かべてはいるが今の俺の発言に対してはそこまで大きな反応を示していないように見える。 やや拍子抜けだったが、それなら別の角度から話を進めるだけだ。
「去年の秋頃、園芸部の顧問が突然学園を辞めたよな?」
「そうだけど……それがどうしたって言うのよ」
当然脈絡のない話題を振られたので一瞬だけ困惑する様子を見せたが、すぐに調子を取り直す早坂。 だが次の言葉を聞いたら今度こそ本当に動揺するだろう。
「お前らは知ってたか? その顧問は懲戒免職になって学園を辞める事になったんだぜ」
「だぁから、そんなどうでもいい……え?」
「懲戒、免職って、何それ……どういう事」
こちらの思惑通り、聞きなれないと言うよりはこの場で耳にするとは露にも思わなかったであろう言葉に、二人は見事に動揺しだした。 ほとんど発言のなかった小松まで疑問を投げかけて来たが、それには直ぐに答えずに話を進める。
「知らなかったのか、自分たちが信頼していた教師が何の前触れも無く唐突に消えた理由を?」
「馬鹿にしてんの? 嘘言うんじゃないわよ、懲戒免職だなんてどこで知ったって言うの」
「調べたんだよ、それでも分からない所は、良い意味で手の早い友人に調べて貰ったんだ」
「そんな理由で納得するワケ無いでしょ!? だいたい、そこまで言い切れる証拠はあるんでしょうね!?」
「今すぐ見せられる物はないな」
「ほら、やっぱりただのデマカセじゃない」
「ならお前たちはどういった理由で顧問が辞めたのか、ハッキリ言えるのか?」
「それは……分かんないけど」
俺が今すぐ納得させられる程の物証を持っていない事は確かだが、同時に早坂や小松が顧問の辞めた理由を知らないのもまた事実だ。
「そりゃあそうだよな、お前たちだけじゃなくて全校生徒知らされなかったんだから。 朝のHRにチラッと辞めましたって話だけ聞かされて、後は何も説明が無かったんだから当然誰も分からないよなぁ」
「……そうよ。 その通りよ! 園子が部室に最後まで残ってた日のあと急に学園に来なくなって、いきなり辞めたって言われたんだから理由なんて分かるワケないじゃない!」
その通り。 早坂達から見ればまさにそうなのだ、顧問が来なくなって急に辞める前に、顧問が最後に会っていたであろう人物は柏木だけであり、その柏木も顧問が来なくなった辺りから様子がおかしくなっていた。
その上、顧問が辞めた理由を最も知っている可能性のある柏木は、意味深な雰囲気でありながらも、早坂達に何も言わなかった。 顧問が消えた件に自身が関与しているかについて、肯定も否定も。
校長に口止めされていたと言う事実を知っている俺なら、やむを得ない事だと分かるが、何も知らない早坂達にとっては、柏木の態度は顧問の件と関連付けるには十分すぎるほど疑わしく見えただろう。 だから、
「お前らは元顧問が消えた理由と、様子がおかしい柏木を結びつけた。 そして、明確な根拠も無いままに柏木を元顧問が学園を去った元凶だと決めつけて、『罰』を与え始めた、そうなんだろう?」
「……」
ここに来て、ついに早坂が黙った。 表情こそ先ほどと変わらず攻撃的だが、何も言い返さない。
「沈黙は肯定と受け取るぞ、間違ってる箇所があるんなら言ってみろ」
「……園子は、アタシ達の言葉を否定しなかった」
「そうらしいな。 だが、肯定はしたのか? ただの一度でも。 常に黙ってるだけだったんじゃないか?」
「でも、何も言わないってのはそうだって認めてる事じゃない、今アンタが『沈黙は肯定と受け取る』って言ったみたいに」
……ふぅん。 相手の言葉を利用して言い返す、と言うよりは揚げ足を取るくらいの精神的余裕はまだ残ってるのか。 だが、屁理屈をこくのにも相手を選ぶべきだったな。
「今の状況と、当時のお前らの状況を一緒にするなよ。 日常会話でふざけあいながら言う『死ね』と互いに凶器持った時の『死ね』が同じ意味合いだと思ってんのか、お前は?」
「ハァ? ……例えが意味不明なんだけど」
「お前らが今俺に返した沈黙と、柏木がお前らに返した沈黙は、同じ言葉で括れても重さが違うって事なんだよ」
「重さが違うって……」
俺の言いたい事が何かを、まだ早坂は良く分かっていないようだ。 これは俺の言い方が悪いのか、早坂のおつむが悪いのか。 たとえ前者であったとしても俺は謝らない。
「どうして柏木はお前らに何も言わなかったと思う? 考えてみろ、もちろん『肯定』以外の答えでだ」
「何でって、そんなの……分かんないわよ」
分からないよなぁ? だから安易な考えに結びつけて柏木をいじめたんだからよ。 あらかじめ考えておけと言われてるならまだしも、こんな状況で答えろと言われても分からないとしか答えられないだろうさ。
「じゃあ、もっと前の話で、どうして元顧問は学園を懲戒免職なんて形で去ったと思う?」
「それこそもっと分かるわけ……あぁもうっ、だから! 全部園子が悪いって事じゃないの!?」
「違う」
「はぁ!? どうして!」
「柏木は確かに元顧問が学園を去る理由に関係はあるが、決して加害者じゃ無い」
「じゃあ何だってのよ! ハッキリ言ってみなさいよ! さっきから変に勿体ぶった言い方ばかりして、そういうの頭に来るのよ!」
遂に我慢できなくなった早坂が、俺に虚勢では無い本物の怒気で迫る。 だがそれは、自ら最後の一線を踏み越えてしまう事と同意である事を、早坂は分かっていない。
俺は二回、深呼吸をした後に、昨日の渚を思い出して、今までよりも更に冷たい声色を意識しながら、早坂に致命的打撃となるであろう事実を言った。
「強姦未遂だよ」
「……え、え? 何それ、強か……って」
「いい言葉じゃないんだから何度も言わせるな、お前らが尊敬していた元顧問は、柏木に性的な暴行を行おうとして失敗して、懲戒免職になったんだよ」
早坂の怒声で熱くなっていた部屋の空気が、一気に冷えていくのが分かる。 尊敬していた人物が犯したと言う、信じられない事実を、まだ早坂はしっかりと認識出来ずにいる。 小松もそれは同じようで、俺に懐疑の視線を向ける。
やがて、理解はともかくとして、言われた言葉の意味をしっかりと認識し終わった早坂が、これもまた当然の反応だが、俺に食いかかるように言った。
「ば、馬鹿言ってんじゃ無いわよ! 先生がそんな事する人なワケないでしょ! それにもし本当にそんな事があったんなら、警察に捕まってるはずだし、生徒にだって話が行くに決まってるに──」
「警察には捕まったさ、だがすぐに釈放されたよ。 でも生徒はおろか学園外の誰も知らないよ、すぐに事実は隠蔽されたからな」
「隠蔽って、そんな漫画みたいな事出来るわけが!」
「出来ちまったんだよ、やっちまったんだよ。 俺らの学園の校長や理事長や出資者さん方がな。 金持ちってのはすげーよな、本当に金さえあれば何でも出来るんだからさ。 味方ならこの上なく頼もしいが、絶対敵にはしたくない人間だよ」
まあ? 他ならぬその金持ちの力を借りて今ここにいるのが俺なんですけどね。 自分の発言をそのまんま体現しているワケだから、説得力も人一倍あると自負出来る、褒められた物かどうかは知らないがね。
「な、ならどうしてあんたはそんな事をあんたが知ってるの。 隠蔽されてるなら知る筈無いでしょ!」
「今言っただろ、味方なら頼もしいって。 幸い俺には金持ちの親友がいるもんでね、まさかあそこまで凄い奴だとは、今回の件があるまで露とも知らなかったが」
「金持ちのって……もしかしてあんたのクラスの、綾小路のこと? 嘘、あいつって噂じゃ無くて本当にそんな家だったの!?」
俺の交友関係を知らなくても、俺のクラスにいる金持ちってだけですぐに悠の名前が出て来る辺り、流石、見た目が華やかなのもあってか悠の知名度は他クラスにも大きい様だ。
「まあ? この隠蔽云々の話は俺が幹谷先生に直接聞いて教えて貰った事だがな。 もちろんお前らの『いじめ』は隠してな、気になるなら直接聞けば? 自分達のしてきた事が教師に知られるかもだが」
「っ……、聞かないわよ、そんなの。 信じてないもの」
「そうかよ、だが俺の話はまだ聞け。 話はそれだけでは済まなかったんだからな」
「それだけって……まだあるって言うの」
まだ?
「柏木はな、その事実を他人に話す事を固く止められていたんだ、園芸部の廃部と自身の退学を突き出されてな」
「ま、待ってよ……それってつまりじゃあ、園子がアタシ達に何も言わなかったのって」
「言わないんじゃなくて、言えなかったって事だ。 人間だから、言語でなくとも伝える術はあったとは思うが、柏木には思いつかなかったんだろう。 そしてめでたく、頭のめでたいお前らは決めつけのまま、本来被害者であった筈の柏木を更に追い苦しめたんだよ」
「な……何それ、一体だれが園子にそんな事言ったの! だいたいさっきから全部本当の事みたいに言ってるけど、全然証拠が無いままじゃない!」
どうやら証拠がない事、それだけが今の早坂にとって最後の防衛線のようだ。 確かにもうこれ以上証拠なしで話を進める事も、早坂達を納得させることも出来そうにはない。 だったら、要望通り証拠を出す……いや、証拠に来てもらおう。
俺はおもむろに携帯電話を取り出して、悠の番号に電話をする。 唐突な動きで胡乱気に俺を見る早坂だったが、日常生活で文房具より携帯電話を多く握っているだけあってそういうところだけはマナーが分かるのか、電話中の俺に声を掛ける事は無かった。 いつも通り三コールの後に、悠の声が耳朶に響く。
『縁かな』
「ああ。 連れて来てくれ」
『もう、良いのかい?』
「頼む」
『分かったよ。 今すぐそっちに行く』
僅か数秒の会話を終えて、俺は携帯をしまう。 当然疑問に覚えただろう、先ほどから沈黙を貫いていた──と言うよりかは、俺と早川の言い合いに入る余地が無く、黙るより他が無かった小松が聞いてきた。
「今の電話は、誰にしたの?」
「さっき話題に上がった綾小路悠にだよ。 人を呼んで貰った」
俺の答えに対して、早坂が毒々しい口調で言う。
「人って、今更誰をここに呼ぶってのよ。 今度は複数でさっきと同じこと言うつもり? 言っとくけど、もう何を言ったって証拠がないなら──」
「その証拠に来てもらうんだよ。 いや、物じゃ無くて人だから証人か」
「は? 証人って、……え?」
「だ、誰が来るの?」
先程までの会話から、俺の証人になれるような人物は限られている。 それが分かるからこそ、二人はあり得ないという気持ちと、本当ならどうしようという気持ちで揺れ始めている。
だが遅い、さっさと認めればこうはなら無かったのに、馬鹿の一つ覚えもよろしく、証拠をよこせよこせと言ったのは自分たちなのだ。 もうここまで来たら本当に逃げ道はない。 悠のすぐに行くと言う発言通り、早くも廊下から二人分の足音が聞こえて来て、ドアの前で止まった。
「入るよ」
そう言ってガチャリと音を立てながら、ドアがゆっくりと開かれる。
一人目は悠、容姿と先ほどの会話からそう判断した二人は特に大きな反応を示さなかった。 しかし、もう一人の姿を見た瞬間──
「え……え、ウソ、マジで?」
「……はぁ、終わった」
早坂はただひたすら困惑し、小松はあきらめる様に小さく息を吐いた。
悠と共に入って来たその男は、早坂達はおろか俺にとっても、普段は縁がない人物だった。
しかし、かと言って全くの無縁というワケでもなく、むしろこの学園の生徒ならば誰しもが知っている人間で、しかもこの学園の実情を良く知る人間でもあり、だからこそ、こんな生徒同士のいざこざには絶対に姿を見せるはずのない、そんな展開を想像すらしない人物だった。
「わざわざこんな場所まで来て下さってありがとうございます、校長先生」
そう、悠と共にやって来たのは、柏木に口止めを強要した張本人、良舟学園の校長、財前明だった。
……
『はい、もしもしこんばんわ。 どうしたんだい、縁』
「ああ、こんばんわ悠。 今日はありがとうな」
『いいよそんなの、それで、彼女から話は聞けたのかい?』
「それについてなんだが。 図々しい事を承知してまた一つ、お前の力を頼りたい」
俺が電話の要件を言うと、悠は頭の上に疑問符でも付けたような口調で返事をした。
『構わないよ。 でも現状ではもう探る当てが無い筈だったよね、何か掴んだのかな?』
「今の俺達の校長、もちろん知ってるよな」
『それは当然。 財前校長も今日の昼間に話したように、綾小路家、それも叔父の本家と繋がりが厚い人なんだ』
財前明校長に対して、昼間の話も混ぜた説明をする悠。 その話から察するに、現校長は悠の親父さんにとっては自分と対立している本家の人間なので、疎ましく思っている可能性が高いかもしれない事が伺える。
将来当主になる可能性のある自分の息子が通っている学園の校長が、敵対勢力の人間なのだから、そうであってもおかしくない。 つまり、仮に校長が不利な立場に立つ事があっても、それが公の場で不祥事を晒す様な案件でも無い限り、悠の親父さんは、悠の綾小路家は、何も邪魔をしないって事だ。
『その財前校長がどうしたんだい。 今の会話の流れから行って、意味も無く聞いたわけじゃ無いんだろう?』
「ああ。 柏木が教えてくれた。 あの校長、園芸部をすぐに潰さない代わりに自分が受けた事を口止めさせられていたんだ。 退学までチラつかせてな」
『そうか……部員一人だけの部がどうして年を跨いでも存続していたのか不思議だったけど、そういうカラクリがあったんだね』
「そのくせ、今期が終わってまだ部員がいなかったら廃部にする取り決めだったんだろ、とことん酷い話だな」
『縁の言わんとする事は分かったよ、財前校長に直接話を聞いて証人になって貰うんだろう?』
うーん、これだけの会話で俺の言いたいことを、ピンポイントに言い当てる洞察力の高さよ。 俺は前世の記憶持ちだったら、悠はテレパシー能力でも持ってるんじゃないかねぇ? 俺は多分こいつ相手には、一生掛かっても敵わないだろうな。
「あっははは、ご明察。 早坂達に俺達の話を信じさせる証拠として、直接、早坂達の目の前で学園が隠した事実を全部認めさせる。 物的証拠が手に入らない代わりに、人間に証拠になって貰う」
『……うん、いいよ、悪くない。 歯に衣着せぬ言い方をさせて貰うと君の発想はとっても厭らしいけど、でも最も簡単に解決させる方法だね』
「厭らしいとか言うなよ、考えないようにしてるんだからさ。 それに……」
『それに?』
「……いや、何も無いや。 それで、こんな無茶な頼みだが、やってくれるか?」
悠に途中まで言おうと思った言葉を飲み込んで、確認を取る。 さっき悠は俺の考えを厭らしいと言ったが、それは本当の話だ。 それだけではなく今だって、俺は表面上は頼む形を取っているが、実際は悠の持つ、柏木に対する罪悪感を利用しているのと同じなのだから。
始めから断る筈が無いのを分かって厳しい事を注文する、これが厭らしい事以外に何だと言うのか。 にもかかわらず、敢えて何も言わないで軽いジョークで済ませた悠には、本当に頭が上がらない。
『出来うる限り早く済ませるよ、待っててね』
「……悪いな」
『謝る事なんてないよ、じゃあ……おやすみ、縁』
……
以上、誰の得にもならない回想終わり。 もし今回の件がつつがなく終了したら、悠には何かしら礼をしないとな。 その前に呆れられて友情が無くなってしまったらどうしようもないが。
「校長先生、幾つかお答えいただきたい事があります、よろしいでしょうか」
「……さっさと言え、どうせ断れないんだ」
校長は不愉快さを微塵も隠すことなく答える、それもそうか、昨晩頼んで翌日コレなのだから、悠はよほど強引な手口を使ったに違いない。 とはいえ、その事に対して俺が校長に憐憫の情の類いを抱く事は無い。 自業自得とか身から出た錆とか言い方はそれぞれあるが、とどのつまり悪いのは校長自身なのだから、俺は何のためらいも無く校長に全てを喋らせる。 そして、もうこの半年以上も柏木を苦しめた問題を終わらせよう。
「ではお言葉に甘えて。 まず去年の九月、この学園の、この部屋で、教師が生徒に性的暴行を行おうとした事実があった事を認めますか?」
「……ああ」
「それは当時の園芸部の顧問と、園芸部部員であった柏木園子との間で起きた事でしたか?」
「……その通りだ」
『……っ!』
早坂達が息を飲むのが分かった。 この時点でもはや決着がついたのと同じだが、俺は更に続けて質問を重ねる。
「その事実を、貴方達は隠蔽して事実を世間に知らせなかった、ですよね?」
「…………あぁ、そうだよ。 学園の生徒だけでなく、マスコミにも一切漏れない様にした」
「……そんな、どうしてそんなこと」
完全に言葉に力の無くなった早坂の呟きを無視して、俺は最後の質問をした。
「貴方は、その事実を誰にも話さないように、柏木に口止めをしましたか?」
「それは……」
先程までと違って答えに窮する校長。 しかし悠が小声で『校長先生?』と言っただけで顔色が急変し、まるで競馬に全財産を投資する男の様に、ヤケクソ気味に言った。
「そうだ、俺が柏木に強要した! 他言すれば園芸部はすぐに廃部にし、柏木自身も退学にさせると脅した! ……ああもう言ったぞ、これでいいんだろう!?」
「……最、低。 何よ、それ……じゃあ、本当に」
「園子、悪くなかったんだね……それなのに、私たちは園子の事……」
校長の告白に嫌悪感を抱くと同時に、ようやく自分達が今までしてきたことの重大さが分かり絶望にも似た表情を見せる二人。 そして、そんな二人の事など意に介さないように校長は悠に向かって言った。
「さあこれで良いだろう、俺はもう──」
恐らく全てを言えば解放されると踏んでいたのだろう、ヤケクソ気味なのはそのまま、やや強気になってドアに向かおうと歩き始めた校長。 しかし、校長が捨て台詞とするつもりだった言葉を言い切る前に悠が、昨日の渚とも質の違う、これまで聞いた事も無い乾ききった声で校長に言った。
「何を勘違いしてるんですか? 先程の発言は全部録音させて貰いました。 貴方はこれからもっと
「な、な!? 待てお前約束と違うだろ! ここで全部言えば私の事は見逃すと話で──」
「あはっ、そんな話をまともに受けてたんですか。 ……嘘でしょう?」
制服内側の胸ポケットから録音機を取り出しながら、悠は年上の校長相手に悠々と、侮蔑を隠すことなく話す。 それに対し校長はどんどんと表情や態度に余裕がなくなって行くのが目に見えて分かり、しまいには俺たち生徒の前で怒鳴り始めた。
「ふ、ふざけるなよクソガキ! 綾小路家の人間だからって調子に乗るのもいい加減にしろ、だいたい俺がこの件で教育委員会に行ったら、綾小路家だってタダでは済まないだろうが!」
「馬鹿にしないで下さいね。 貴方の様な人の為に綾小路家が道連れになるワケがないでしょう。 父や伯父も、当時不祥事を起こした時に校長してた貴方を、わざわざ残しておく意味を感じていませんでしたね」
「な、何を、デマカセを言うな、私は信頼されていて──」
「惰性ですよ、ただの。 綾小路家の悪い点です、明らか要らない物でも、きっかけが無ければ放置してしまう。 でもきっかけさえあればこの様に、貴方一人簡単に切り捨てる事が出来ます。 ふふっ、まさにトカゲの尻尾ですね」
「こ、この……このクソガキがぁ!」
怒りに耐えかね、遂に拳を振り上げる校長。 俺の知識の及ばない域の会話に半ば呆然とするしかなかったが、校長が何をしようとしているかは考えなくても分かる。 俺と二人の間には数歩分距離はあるが、校長の拳を止めようと駆け寄った。
だが、俺が動くよりも速く、まるでボクサーがクロスカウンターを決めるかの様に、悠の言葉が校長に突き刺さった。
「殴りたければどうぞお好きに。 ただし貴方が職を失うどころか、今後の人生の大半を狭い鉄格子の中で過ごしたければ、ですがね」
「──っ!?」
それはまさに綾小路家の人間である悠だからこそ、有効に使える
一個人の人生を終わらせる。 それが可能なのが綾小路家なのだと、俺はとうに理解しているし、ましてや関係者である校長が分からない筈も無い。 だから校長に出来る事は精々、振り上げた拳を抑えて、怨嗟の声を漏らす事ぐらいでだった。
「うっ……、く、そぉ……ッ!」
振り上げた拳が、そのまま何もせずに元の位置に戻る。 振り絞る様に呟いた一言を最後に、校長はその場にへたり込む。 殴らなくとも既に彼は終わっている。 悠の言った『お偉いさん』が何を意味しているかまでは分からないものの、校長にとって避けたい事に間違いは無いだろう。
結局、さっきまでの小松と似て、悠と校長の間に入れず呆然としたままだった俺だったが、悠が『さあ、話を続けて』と言ったことで気を取り直し、俺は本来の相手である早坂たちに対して、最後の追い込みを掛ける事にした。
「早坂、小松。 些か想定外の事も起きたが、もう俺の言ったことが全部本当だと信じたよな?」
「……ええ」
「うん」
声は小さかったが、ついに二人は自分の非を認めた。 今日来ていないもう一人の方も、二人が言えば即座にいじめをやめるだろう。 これでようやく、柏木はこいつらから痛い思いをしなくて済むようになる。 だがあいにくと、まだやり終えて無いことがある。 もしここで話を終わらせてしまえば、それは教師が止めさせるのとほとんど変わらない結果にしかならないだろう。
この問題について取り掛かり始めた時に、俺が綾瀬に言った様に、一切の遺恨がなくなるまで徹底的にしないと、こいつらと柏木の関係はこれから先もずっと歪んだままになるのは間違いない。 最悪の場合だと別の理由でいじめが再開するかもしれない。 それだとゲームに例えればノーマルエンド止まりになる。
それ以外の終わり方にさせる為の手段は二通りある。 一つは最も平和的で、ハッピーエンドになる為の方法。 だがそれを成功させるのに最も重要な人物が今、この場にいない。 だから俺はもう一つの、言うならばバッドエンドとでも呼べるような方法を行う事にする。
「つまりお前らは非を認めた事になるワケだ。 ならお前ら、もう自分が何をされても文句は言えないよな? 今まで柏木を苦しめてきた分の罰は、当然受けるつもりあるんだろ?」
「それは、そうだけど」
「何をするつもりなの……?」
二人から視線を移して、へたり込んだ姿勢のままの校長に向ける。
「校長先生、一つ提案があります」
「……なんだ」
「柏木の件を悠にチクらせない代わりに、三人ほど退学させて欲しい人が居るんです」
「えっ……やだ、待ってよ」
「……縁、君は」
言葉の意味を察して顔が青くなる早坂と、驚いた顔で俺を見やる悠。 対する校長は何を言ってるんだこいつはという顔で俺を見たが、即座にこれが起死回生のチャンスだと判断し、顔色を変えた。
「それは本気で言ってるのか」
「はい。 そこにいる早坂と小松、それにもう一人今日ここにいない新房という生徒を、適当な理由で退学させてくれさえすれば」
「三人もか……真っ当な理由もなしでは、だが……」
「それこそ簡単でしょう、今回のいじめをダシにすればいいんです。 長期に渡る陰湿かつ非道な仕打ちを、大々的に学園に発して退学処分にすればいいんです。 いじめに敏感な今の世の中で、校長の貴方だったらそれが可能でしょう?」
これが、俺の考えたバッドエンドの方法。 今この瞬間まで誰にも──悠はおろか綾瀬にさえ言わなかった最悪の手段。 柏木との完全な和解が不可能だというのなら、根本から、この場合は柏木とこいつらの繋がりを完全に断ち切ってしまえばいい、その為の手段が三人の退学だ。
本来はもっと回りくどい過程を踏むつもりだったが、直前の悠との言い合いが上手い具合に校長の思考を狂わせて、冷静な判断が出来なくなっている事が幸いした。
これが成功すれば、もれなく柏木とこいつらの縁は一切の禍根も残らなくなるだろう。 逆恨みくらいはあり得るかもしれないが、自分達のして来た事が世間に広まっていては、容易に動く事もままならなくなる。
最悪の場合では、周囲から向けられる非難の目に耐えきれず、引きこもるなり家族で引っ越すなりするだろう。 何故ならいじめをする人間の殆どは、自分のした行為を返されると、たちどころに脆くなる人間ばかりだからだ。 やる時は簡単にやり、やり返される時も簡単に崩れ落ちる。
「ま、待ってよ! そんなの、あんまりじゃ──」
「あ? 何があんまりだよ?」
出来る限りの荒声を意識しながら、早坂を睨み怒鳴りつける。 既に早坂も小松も、自身の柏木に対する罪悪感から大きい態度に出られない、低い声で静かに言っても黙るだろうが、相手の思考を乱す為には、大きい声の方が今は有効だ。
「そんなのあんまりだって? 一体どこがどう『あんまり』なんだよ、言ってみろ!」
「だ、だってその、退学なんて、幾ら何でもやり過ぎじゃ──」
「何処がだ馬鹿女! やり過ぎでも何でもないんだよこの程度! お前まだ自分がどんな事して来たのか分かってねえのか? あぁオイ、どうなんだよ!?」
「……っ、分かってる、けど」
「いじめたんだよお前らは! 半年近くも! 教師にレイプされかけて、校長含めたクズな連中に口止めされて、心が追い詰められてる柏木園子を、もれなく身体も一緒に更に痛めつけたんだよ! 三人がかりでなぁ!? そうだろう、楽しんでたなぁお前ら随分とよぉ!? 違う事一つでも言ってるかぁ?」
「……違く、ない、けど」
「野々原君、お願い……もうやめて、真弓も私も、悪いって分かってるから」
「だっったら口ごたえすんなよ、黙って退学でも何でも受け入れろ」
……あーあ、こんなに怒鳴ってどうするんだ俺。 なんかもう、俺が二人を虐めてるみたいだな、本当に。 これで悠にも呆れられたら本当に目も当てられないぞ、柏木一人のために友人なくすんじゃ話にならねえ。
それでも、今はこうするより他はないのだから、だったらせめて逆恨みで柏木が恨まれないように俺がトコトン嫌な奴になりきるしかない。 実のところ、下衆の極みで悪いがストレス発散にちょうど良いんだコレが。
「さあ校長先生、どうなんですか? 彼女らを退学にさせて自分の立場を守りますか、それとも今更くだらない良心に靡いて彼女らを庇って身を滅ぼしたいですか?」
「……本当に、あの二人を退学にすれば、なかったことにするのか?」
「話を聞いてください、あの二人と新房です。 ですがそうです、録音データは残させて貰いますが、貴方の立場はこれからも安泰です」
「…………そうか」
床から立ち上がり、小さく笑いながら、校長が言った。
「なら、話は決まりだ」
「つまりは?」
「……っ」
「あんなこと、しなきゃよかった……」
現実から逃れるように目を閉じる早坂に、茫然自失になりながら今更過去の行いを悔いる小松。
「そこの二人と、新房とか言う生徒を──」
「──校長先生、そこまでですね」
当然保身を考えていた校長の言葉で、今回の全てに決着がつこうとしたその直前に、いつからかドアを眺めていた悠が、酷く冷静に呟いた。
「退が……ちぃ、なんだ綾小路! もうお前が言うことは何もないだろう!」
「まあ、確かに僕が言うことはないんですが」
「だったらなんだ、もう黙っててくれないかお前は!」
もはや保身の事しかロクに頭が回らないのか、悠に対してと言うよりも、教員が生徒にかけて良い言葉使いを大きく逸脱した発言を繰り返す校長だったが、もはや微塵も意に介さず、いつもの笑顔で悠は応えた。
「確かに僕が言うことはないですね。 ですが残念ながら貴方も、発言する必要はなくなったみたいですよ?」
「何言ってるんだお前は、訳のわからない事を言うなこいつらはもう退が──」
「だってほら、聞こえませんか? 足音」
再び校長の言葉を、悠がまるで暖簾の様に軽々と押しのけながら言ってようやく、俺を含めた全員が廊下から聞こえてくる二人分の足音に気づいた。 その瞬間に俺の中で猛烈に、『やった!』という達成感が爆発した。 バッドエンドになる前に。間に合ったのだ。
足音の正体や、これから先にまた何が起ころうとしているのかが、皆目検討つかない校長や早坂達と違い、これから起きるであろう出来事とその結果を知る悠が、苦笑まじりに俺に言った。
「……まったく、時間稼ぎで悪役の演技をやるにしても、もう少し言い方があるんじゃないかな?」
「あははは……まあ、半分は本音だったから、あながち演技ってワケでもないんだがな」
「それにしたってだよ……まあいいけどさ。 いずれにせよ、僕と君の役割も、ここで終わりだね」
「ああ、そうだな」
そう俺がいい終わった直後に、合わせる様にして園芸部の扉が開かれて、足音の主達が姿を見せた。
「あっぶなーい、何とか間に合ったみたいね」
一人は河本綾瀬、言わずと知れた俺の幼馴染である。 そしてもう一人はこの場の皆が知る、今回の最大の主要人物でありながらその実、ここまで全く姿を見せなかった人物である──、
「大事なお話の最中に失礼します……柏木、園子です」
──to be continued
次は柏木編の終わりになると共に、最終話前編になると思います