【完結】ヤンデレの女の子に死ぬほど愛されて眠れない兄になって死にたくなってきた   作:食卓塩准将

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食卓塩史上、過去最長の話です。
時間に余裕がある時にのんびり読んでくださいな。

では、始まり始まり


第六病・これから

 床に乱雑に落ちた幾つもの本を、柏木園子は指先の痛みで表情が歪むのを抑えながら、拾い集めていた。

 もし僅かでも痛そうな仕草や顔をすれば、彼女たちがすぐさま反応して、辛辣な言葉を掛けてくる事が分かっているからだ。 彼女たちが柏木園子に掛けてくる罵詈雑言や陰湿な行動が、日を追う毎に段々とエスカレートして行く事に彼女は気付いていたが、それをどうする事も出来なかった。 下手に口答えをすればかえって事態を悪化させてしまう、誰か全く違う第三者が間に立たない限り、今の柏木園子の状況が好転する事は絶対に無い。 しかし、その第三者に助けを請う事をも、柏木園子はしなかった。

 

 

 それは何故か? 

 ──答えは単純、彼女がそれを望まないからだ。

 ではどうして望まない? 

 ──答えは明快、今自身が受けている仕打ちは、たとえ苦痛であっても、自身に相応しい罰だと自分に言い聞かせているからだ。

 

 他でもない、本来人に助けを請うのが普通の事なのにも関わらず、自分が悪いのだと我慢し、壁を作ってしまう彼女の性格そのものが、自身を最も苦しめているのだ。

 

「ほら、なにゆっくりしてんのよ、もっと急いで拾いなさいよ!」

 

 三人の内の一人が、園子の絆創膏が貼られた指を踏みつけ、小さく左右に動かす。

 

「──っっ!!」

 

 固い靴底に踏まれる痛みと、床に当たってまだ塞がっていない傷口がゆっくりと開いて行く事による痛みに、思わず小さな悲鳴を上げる園子。 そしてそれを耳に入れた女子は、踏む力をさらに強くして、強い語勢で園子に言う。

 

「何? 痛がってるの? 自分が悪いのになぁに被害者ぶっちゃってんの?」

「すみ、ま……せん。 急ぎますから、足を──」

「馬鹿じゃないの? あたしが踏み飽きるまで待ってなさいよ、要領悪いわね、頭の中どうなってんの?」

「は……はいっ」

 

 痛い、ともすれば涙が零れてしまいそうになる。 しかしそれが出来ない。 この袋小路は、柏木園子を覆う壁が破壊されない限り、もはやどうする事も出来なかった。 そして──

 

「よう、柏木。 ここに居たか」

 

 その時は、何の前触れもなく訪れた。

 

「……え?」

 

 まるで友人の名前を呼ぶかのように、気さくで、聞き覚えのある、しかしこの場にいる筈のない男の声。その声のした方へ顔を向ける。 そこにいたのは、

 

「野々原……君?」

 

 野々原縁。 つい先日知り合ったばかりの、ただそれだけの男子生徒。

 

「ど、どうして、ここにいるんですか?」

 

 分からない。 友人ですら無い、ほぼ赤の他人に近い筈の彼が、どうしてこの場所にいるのかが、園子には分からなかった。 自分の指を踏んでいた女子を含めた三人も、突如図書室に現れた野々原縁に驚き、言葉を失っている。

 そんな中、今この場所にいる全員からの視線を受けながらも、なんの気負いも感じさせない縁が、次の瞬間、場の空気をぐるりと変える言葉を言った。

 

「お前を探していたんだ……一緒に帰ろうぜ?」

 

 ──その言葉は、彼女を苦しめる壁に大きなヒビを入れる楔であり、

 ──同時に野々原縁の命を脅かす、地雷の爆発音でもあった。

 

 ……

 

 昨日と寸分違わぬ場所、図書室にある二つの出入り口からでは見えない、大きな本棚の陰になっている場所に、柏木と三人の女子はいた。

 構図も殆ど変わらない、床に乱雑に落ちている十数冊の分厚い本を、伏して拾い集める柏木を、三人の女子が見下ろす。 昨日と違うのは、柏木の指に痛々しく絆創膏が貼られている事と、その指を、今日の昼間に、俺と綾瀬を呼び出した女子が踏みつけている事だ。

 あぁ、あれは酷く痛そうだ。 まだ傷口も塞がっていないだろうに、きっと踏まれている柏木の指には血が滲んでいるのだろう。 そして、痛がっている柏木を見て女子は、更に踏む力を強め、罵詈雑言を浴びせていく。 心と体、その両方を万遍なく苦しめる、やり方は地味だが人を追い詰めるのにはうってつけのやり方だ。

 っと、こんな事を考えている暇は無いよな。 ぼうっとしていると更に酷い仕打ちをしそうだ、言う言葉や行動はもう頭の中で整理している、覚悟も出来ている、あとはただ一言、声を掛ければいい。 たとえそれが、取り返しが付かなくなるくらいの愚行だとしても。

 

「よう、柏木。 ここに居たか」

「……え?」

「な、あんた、野々原……!?」

 

 俺の声を聞いて、柏木と三人の女子が条件反射的に俺へと振り向いた。 柏木の指を踏んでいる女子なんか、昼間に警告してここに現れるはずの無い奴が出てきたものだから、目玉を真ん丸にして驚いていやがる。

 まあでも、一番驚いているのは、指を踏まれている事も忘れているかのように俺の顔を凝視している柏木なんだろうけどな。

 

「よ、縁……」

 

 綾瀬が後ろから追いかけてきた、あのまま出入り口で待っていてもよかったのに。 俺の名前を呼ぶその声には、女子三人に目を付けられてしまうのではないかという不安ではなく、単純に俺の行動に対しての驚きと、困惑の色が多く含まれていた。

 それはそうだろう、だって俺自身、きっと一時間前の俺が今の俺を見たら絶対理解できないと思う自信があるくらいなのだから。

 

『お前は何をしているんだ』

『自分が何をしているか分かっているのか』

 

 うん、青筋立てて……とまではいかないが、きっと今の俺を見たら、ものすごい剣幕で怒鳴り散らすんだろう。 とはいえ、仕方がないだろう、俺が──野々原縁がそういう(……)人間だってことに、()自身、ついさっき自覚したばかりなのだから。

 

「ど、どうして、ここにいるんですか?」

 

 どうしているのか、おそらくこの場にいる全員が抱いているだろう事を、いじめている三人組が言うのではなく、柏木がいう事に変な面白さを感じてしまうが、まぁ良いだろう。

 

「縁、どうするつもりなの?」

「……綾瀬、悪いが、話を合わせてくれ」

「え? う、うん……いいけど」

「ありがとう」

 

 小声で綾瀬に言ったあと、俺は一呼吸してから、出来る限り自然な感じを意識しながら、柏木に言う。

 

「お前を探していたんだ……一緒に帰ろうぜ?」

「──な!!」

「よ、縁!?」

 

 柏木の足を踏んでる女子と綾瀬が、驚きの声を漏らす……って綾瀬、お前まで驚いてどうする、気持ちは分かるが。 一瞬だけ視線を送る、するとすぐに意味を察して表情を元に戻す綾瀬。 どうやらいじめ三人組には嘘だとバレずにはすんだようだ。

 

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」

 

 やや間を置いてから、足を踏んでいる女子以外のいじめ三人組の一人、茶髪で制服を着崩している女子が、俺と柏木の間に立って話し出す、そういえばさっきから俺はこのいじめ三人組の事を女子だの指示代名詞ばかり使って名前を知らないままだな。 相手の名前をすぐに聞かないのは頸城縁の悪癖が移ってしまったのが原因だろう。

 とは言えども、まさかこの状況で今更名前を聞けるワケもなし。 なので取り敢えず、今はこのままで良いとしよう。

 

「あんた、今日の昼休みにマユミから話されたんじゃないの? 今自分が何してるのか、分かってるわけ!?」

「さ、行こうぜ柏木、何時まで床に座ってんだよ」

「は……はぁ? シカト!?」

 

 シカトじゃねえよ、聞いてっけど答えるのが面倒くさいから相手してないだけだ──って、それがシカトするって事か。 でも別に良いか、コイツの話を無視したところでコイツが病んで、俺に死亡フラグが発生するわけでも無いのだし。

 あぁ、そう考えるとなんて笑えない話だろう、明確に敵意を向けて来るコイツらよりも、常から俺に好意(この場合は恋愛感情以外の意味)を向けてくれる方のが恐いだなんて。

 ……あ、そういえば今さり気なく一人名前が分かったな、漢字は分からないが『マユミ』というようだ、昼間俺と綾瀬を脅して、今柏木の足を踏んづけているのは。

 

 

「あ、あの……私、でも」

 

 当の柏木は、相変わらず指の事も忘れて俺への返事に窮している。 このまま俺の言葉に従い、この場を離れる事が恐いのだろう、まあそうなる事も大体予想は出来ていたので、ここは俺自ら動いて、柏木にこの場を離れる大義名分を与える事にしよう。 でも、その前に──、

 

「……綾瀬」

「何……?」

 

 ……う、心なしか若干暗い声。 俺が自分以外の女子に一緒に帰ろうと言ってる事が面白くないのか、どこか声に険を感じてしまう、単なる俺の自意識過剰でしかないと願いたい。 とはいえ、今から俺が行おうとする行為は間違いなく、綾瀬の機嫌を損ねてしまうであろう事は確定なので、そんな願いは何の意味も成さないのだが。 だとしても、何もしないで死亡フラグを立ててしまわない為にも、言うべき事は言って置かなければ。

 

「予め言っとく、ゴメン」

「ゴメン? それってどういう意味──」

 

 綾瀬の追求を待たず、俺は眼前の茶髪を避けて柏木の前に行き、柏木と同じ目線にまで屈む。

 

「あんた、なんのつもり──痛っ!」

 

 マユミとやらの言葉を無視して、右手の甲で、柏木の指を踏んでいる足のアキレス腱辺りを強く叩いて退かせる。 痛いとか言ってるけど、直前まで自分がしていた事を、マユミは忘れているのだろうか。 いやそもそも意識して無いんだろうな。

 それより柏木だ、唐突に自分の指を苛む原因が無くなった事と、俺が急に近づいた事で固まってしまっているが、生憎元に戻るまで待ってやれるほど状況は和やかでは無い、なので。

 

「あの、何を──きゃ!」

「え、えぇ!?」

 

 無理やり、柏木の手を取り、立ち上がらせる。 普通ならすぐに手を跳ね除けるのだろうが、急な展開が重なって、より一層固まってしまう柏木。 綾瀬も綾瀬で、目の前の光景に驚いて硬直している。

 

「足は痺れて無いか?」

「だ、大丈夫ですけど……でも」

「よし、じゃあ帰ろう。 綾瀬も、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「そ、そんな事無いけど──あっ、ま、待って二人とも!」

 

 こうして、徹頭徹尾マユミら三人の事を無視して、俺は綾瀬と柏木を連れて、図書室を出て行った。 出ていくまでに一度も後ろを振り返らなかった為、背後でマユミ達がどんな表情で俺を見ていたのか、それは分からなかったが、まあ十中八九見てて良いモノでは無いだろう。 それでも、病んだ渚や綾瀬の方が段違いに恐いのであろうが。

 

 ……

 

「あ、あの……手を、手を離して、下さい!」

 

 図書室を出て、そのまま一階の下駄箱前まで手を繋いで歩いてると、柏木が立ち止まって言った。 言われるままに手を離す、すると柏木は握られていた手をもう片方の手で包むように重ねながら、珍しく強めの語調で俺に言う。

 

「一体、何のつもりなんですか? どうして、私にこんな事を」

「何のつもりはこっちの方だよ柏木さん、柏木さんこそ、昨日に続いて二日も図書室で何をされてたんだ?」

「──っ、し、質問に質問で答えないで下さい!」

 

 驚いた。 CDの柏木園子は一度も大きな声を出した事は無かったので、柏木がこうして大きな(それでも控えめだが)声を出すのは新鮮だ。

 

「質問を質問で返すな、確かに柏木さんの言う通りではある。 それを承知でまた質問をしてしまうけど、知ってる人があんな事されてる場面を見て、素通りできると思うか? それも二日続けて、同じ場所で、同じ人に」

「……それは、そのっ」

「こんな事、本人を目の前にして言うべき事じゃないのは重々承知だが、あえて言わせて貰うぞ。 柏木さん、アンタはあのマユミとかいう三人組にいじめられているんだろう?」

「──っっ!!」

「ちょっと、縁!? なんてこと言うの!?」

 

 俺が明確に出した『いじめ』という言葉に動揺する柏木。 あまりに遠慮の無い俺を窘めようとする綾瀬。 もちろん今の俺の発言が、デリカシーの無い物である事は十分に分かっている、しかし柏木は今日まであの三人にいじめを受けて来たのにも関わらず、誰にも相談しようとはしなかったようだ。 何故誰の助けも求めなかったのか、可能性の一つとして、まだ自分がいじめられているという自覚が無いという事が考えられる。

 いじめを受けるという事はつまり、その集団の中で弱者の立場にいるという事であり、いじめを受けていると自覚するというのは、自分が弱者の立場であるのを受け入れるという事にも繋がる。 そんな事を認めたくない人は幾らでもいるだろう、そういう人は時に、自分が受けている仕打ちを、『おふざけの延長線』程度だと自分の中で無理やり決めつけて、決していじめを受けているという風に考えない事がある。

 本人としては自分の最後の意地や矜持を守っている事になるが、そういう態度がかえっていじめている側には時に滑稽に、時に生意気に、時にもっといじめて良いのだという勘違いの切っ掛けに繋がるのだ。

 だからこそ、柏木がそのパターンでは無いと限らないので、一度ハッキリと正面から言わなければいけないのだ、『お前は今、いじめを受けている』と。

 

「柏木さん、どうしてあの三人にされている事を誰にも言わないんだ。 アンタの受けている仕打ちは、間違いなくいじめのソレだ」

「…………」

「どうしてあの三人はアンタにあんな事をする? 何がアンタとあの三人の間にあった」

「縁、幾らなんでも明け透けに聞き過ぎ! 柏木さんごめんね、急に縁がこんな失礼な事言っちゃって……ほら、縁も、柏木さんに謝って」

「あ、綾瀬、今はそういう事してる場合じゃ──」

 

 我慢の限界だとばかりに、綾瀬が俺の肩と頭を掴んで、無理やり柏木に謝らせようとしている。 小学生の時悪戯がばれた時に同じ事されたのを思い出すが、今はそんな事で時間を潰している場合じゃないのに。

 俺の質問に対して、柏木はじっと床に視線を移し、何も言わないでいたが、俺が綾瀬の腕から逃れようと四苦八苦しだした途端、先ほどのやや強い語調とは真逆な、まるで喉の奥から僅かに絞り出したような声で言った。

 

「いじめじゃありません……悪いのは、私ですから」

「──え?」

「柏木、さん? 自分が悪いって、どういう事?」

 

 予想だにしなかった言葉に、俺も綾瀬も、動きが止まる。 その僅かな沈黙に堪えかねるかのように、一歩後ろに下がった後に、

 

「私、部活がありますから。 ……さようなら」

「あ、柏木さん!」

「行っちゃった……」

 

 俺の静止の声も聞かず、廊下を走って園芸部の部室へ行ってしまった柏木。 俺も綾瀬も、その背中を追いかける事はしなかった、さすがにあそこまでハッキリ拒絶の意を表されてしまえば、俺だって追求する気は無くなる。

 

「まあ、始めから素直にポンポン言ってくれるワケ無いとは思ってたけどさ」

 

 仕方がない、今後の事につては取り敢えず夜決めるとして、今はもう帰る事に──

 

「縁、どうするつもりなの? これから貴方、何をしようとしているの?」

 

 ──それもだが、綾瀬の疑問に答える必要がありそうだ、まぁ当然か。

 

「うん、ここで話すのもあれだから、帰りながらで良いか?」

 

 ……

 

「解決させる……柏木さんのいじめを?」

 

 帰り道、提案通り帰路を歩きながら、俺はこれから自分がどうするつもりなのかを、ざっくばらんに説明した。 するとやはり、綾瀬は驚いた顔で俺に言った。

 

「でも、そんな事したら、あの人達、渚ちゃんに手を出すのよ? それはどうするつもりなの?」

「ああ、それについてはもう対策は考えてある。 と言っても他力本願だが」

「もしかして、綾小路君の事?」

「そう、当たり。 きっとアイツに頼めば、目立たない形で護衛を付けてくれるだろうさ」

 

 半分冗談のつもりで言っているが、多分本当に悠なら護衛を出してくれそうだ。

 

「それに、もしそれが無理だとしても、アイツらが言葉通りに実行出来はしないさ」

「でも……そうかもしれないけど、なにも貴方が直接柏木さんの解決の為に動く事無いじゃない、普通に先生に言えば、すぐに終わる筈よ?」

 

 綾瀬の言う事にも一理ある……と言うよりか、それが多分正しい判断なのだろう。

 だがしかし、綾瀬は知らないのだ。 いじめの持つもう一つの恐さを。

 

「確かに先生に言えば、大方一、二週間で解決するだろう。 でもな、それじゃ駄目なんだ綾瀬」

「なんで? それで解決するなら、何も問題なんて──」

「あるんだよ、十分に。 いじめってのは、一、二週間親や教師に説教喰らったぐらいで、禍根が消える事は無いんだ」

「……どうして?」

「確かに説教されれば、その瞬間はいじめは無くなるだろう。 でもな、それはいじめの行為を止めただけで、いじめに至るまでの心的原因、その解決までには至らないんだよ」

 

 そう。 確かに教師にいじめが発覚すれば、教師側は詳しい経緯や原因を生徒から聞き出し、今後二度といじめが起きないように措置はするだろう。 でもそれは言うなれば半強制的な反省をいじめをした側にさせる事でもあり、それで心から反省する人もいるが、大抵の人間が心にわだかまりを残す事になってしまうのだ。

 少々性悪説的な見方があるかもしれないが、恐らくこのまま教師に言って柏木の問題を解決させても、マユミ達三人にはわだかまりが残るだろう、そうなった場合、最悪のパターンでは、

 

「──いじめが再発する可能性がある。 より分かり難く、より陰湿な形でな。 だから、とてつもなく困難なのは分かっているが、あの四人の間で、自主的に解決させるしか無いんだ」

 

 そう、いじめをした側と受けた側が、教師が解決させた後に完全に和解し、仲良くなる事などほぼ無いだろう、わだかまり、確執が残る限り、本当の意味での解決なんて無いのだ。

 俺の説明を聞いて、しばらくの間綾瀬は沈黙するが、公園を過ぎて、家が近くなったところで、再び口を開いた。

 

「貴方の言いたい事は分かった……だけど」

「だけど、どうした?」

「どうして貴方はそんなに詳しいの? まるで今まで言って来た事を、貴方自身が全部体験して来たみたいに」

「……別に、ただ専門家ぶって、起こり得る事を言っただけだよ」

「……縁」

 

 一瞬、綾瀬にも頸城縁の事について話そうかと思ったが、それは止めた。

 やはり恐いのだ、全てを話した途端、綾瀬が俺を異常者を見る目で見て来るかもしれない事を。

 そう考えれば考えるほど、あっさり俺の話を信じた渚が『異常』である事を、思い知らされるのだった。

 

「この件には、悠に手伝って貰う事はあるが、極力俺だけで進めようと思う、だからお前はアイツらに目を付けられないように、何も関わらない方が良い」

 

 そう言った俺の言葉に、綾瀬は帰路の最後まで、僅かにさえ肯定の意を示す事は無かった。

 

 ……

 

「ただ今……ん。 渚、帰ってたんだな」

 

 家に帰ると玄関からキッチンの明かりが見えた、先に帰宅していた渚が、夕飯の準備をしようとしているのだろう。 今朝に微妙な空気のまま別れたので、今一つどのように渚と付き合えば良いか、分からない。

 しかし渚の方はと言うと、俺が帰って来たのに気付くと、トタタタと制服姿のままの渚が玄関までやって来て、わざわざ迎えに来てくれた。

 

「お帰りなさい、お兄ちゃん。 今からご飯作るから、少し待って──けほんっ」

「ん? 渚お前、風邪ひいてるのか?」

 

 渚が少し苦しそうに咳をする、話している声も、朝の様子とは違い、どこか無理をしているような雰囲気だ。

 

「う、ううん。 私、風邪なんてひいて無いよ? 大丈夫だから」

 

 首を左右に振って俺の言葉を否定する渚。 その少し過剰な反応で、渚が隠し事をしているのが良く分かった。よく見ると、顔も若干赤くなっており、明らかに風邪の初期症状だ。

 

「渚、おでこ触らせろ、熱測るから」

「え!? 良いよそんな事しなくて!」

「いいから。 素直に静かにしろ、分かんなくなっちゃうだろうが」

「んぅ……はい」

 

 近づいておでこに手を宛がおうとしたら、慌てて避けようとした渚だったが、俺に一喝されてようやく静かになる。 別に義理の兄妹がおでことおでこをくっつけて熱を測ろうとしてるワケじゃあるまいし、その反応自体が、もう風邪をひいてる事を肯定しているようなもんだ。

 案の定、手のひら越しに伝わる渚の体温は、もう片方の手で触っている自分の額からの温度よりも高かった。

 

「ほら、やっぱ少し発熱してるじゃないか。 何が大丈夫だよ」

「ううぅ、恥ずかしいからだよ……」

「恥ずかしいだけで咳が出るか」

 

 さて、妹が風邪をひいてるのに、知らん顔してこのまま料理させるワケにもいかないだろう、さっきまで感じていた気まずさもこの状況では雲の向こうだ、ここは俺が動かないとな。

 

「渚、お前は部屋に行って着替えろ、今日の晩御飯は俺が作るから」

「えっ!? だ、駄目だよそんなの! お兄ちゃんに迷惑かけちゃ──」

「ばっか、こういうのは迷惑って言わないだろう。 家に二人しかいない内の片方が風邪ひいたんだ、ならもう片方が代わりに動くのが当然だろ?」

 

 それに、前世の記憶を思い出してから段々と、家庭の事全般を渚一人に任せてしまう事に罪悪感を懐き始めていたのだ、別に身体に重大な問題があるわけでも無いのに、毎日毎日渚だけに家事を任せるのもおかしい事だろう。 本来ならこういう状況になる前から、渚の手伝いをするべきだったのだ。

 

「で、でも、お兄ちゃん、料理できないでしょ? どうするつもり?」

 

 俺の料理不足を心配する渚。 フフフ、確かに今まで野々原縁はこの家でまともに料理をした事は無い、だがしかし、その心配は無用のものだ。 何故かと言うと──、

 

「大丈夫だ渚。 実を言うと、頸城縁は生前、一人暮らしで食生活はほぼ全て自炊だったんだ」

「──え?」

「だから、今の俺に直接的な経験は無くとも、前世の記憶越しの、間接的な経験ならある。 ……まぁ、それだけで万事上手くいくとは俺も思っていないが、それでもただの素人よりは大丈夫な筈だ」

「……」

「あれ、渚?」

 

 俺の冗談染みた言葉に、何かしら言ってくるのだとばかり思っていたが、渚は何も言わず、俺の鳩尾辺りに視線を落として、じっと黙っていた、ひょっとして滑ったのだろうか? もしくは、怒った? 

 ちなみに、頸城縁が自炊していた事も、記憶がある程度残っているのも事実だが、実際は俺が学校で調理実習の時作った料理を何か作るつもりだった、まさか本当にあんな理由だけで作れるはずもない。

 俺の声を聞いて、はっとしたようにしてから、渚が少し低い声で言った。

 

「……うん。 分かったよお兄ちゃん。 そこまで言うなら、今日は任せるね」

「おう、任せておけ! まあ当然味は渚に及ばないだろうけどな!」

 

 そうと決まったらまずは汚い手を洗わないとな、料理をする前の基本だ。 良く考えてみるとこれが野々原縁の人生では初めての、一人でする料理だった。 なので、少し不安はあるものの、どこかワクワクした気持ちになって、俺は手洗い場へと向かって行った。

 だからであろうか、俺が手洗い場へ向かい、渚から離れた後に、

 

「……違う。 違うよ(……)、お兄ちゃん」

 

 ──小さく渚が漏らしたその一言に、俺は気付けなかった。

 

 ……

 

 あの後、俺は数ある調理実習で行った料理の中から、一番簡単で素人にも易しい、カレーを作る事にした。 基本は、切った野菜や肉を鍋で炒めたり煮たりした後に市販のルーを入れるだけなので、然程苦戦せずに作る事が出来た。 せいぜい苦労した点を挙げるとすれば、ニンジンをどう切ればいいか分からなかった事と、玉ねぎが目に染みた事、そして鍋に入れる水の量がいまいち分からなかった事ぐらいだ……うん、前世の記憶なんて微塵の役にも立たなかったな。

 それでもなんとか食べられる物として出来上がったカレーを、言われた通り部屋着に着替えた渚は、美味しいと言ってくれた、お世辞なのかもしれないが、まぁ『人生初』の料理は成功出来たと見て良いだろう。 渚には薬を飲ませて、今日は早めに眠らせた、その後にも食器洗いや授業の復習などやるべき事を終わらせて、時刻は十一時になっていた。 さて、ここからが俺の本番である。

 この時間なら、悠も習い事や家の都合が終わっても良い頃だ、料理している間は頭の片隅に置いていた、柏木の問題解決について、悠に協力して貰う為の電話をしなくてはならなかった。 本当ならこんな夜分に電話するのではなく、明日学校でするべきなのだろうが、状況はそこまで呑気な事を許してくれないだろう、ここはどんどん動いて行かなくてはいけない。

 自分の携帯電話から、悠の番号を出して電話する、繋がらなかったらという不安もあったが、五回ほどコール音が鳴った後、電話越しに悠の声が聴こえた。

 

『はい、もしもしこんばんわ。 どうしたんだい、ヨスガ』

「ああ、悪いなこんな時間に。 今、平気か?」

『うん。 ちょうど暇を持て余していた所だよ』

「そっか、なら良かった。 実はお前に協力して貰いたい事があってさ、そのお願いをしようと思ったんだ」

『随分直球に言うんだね、ひょっとしてそれは、柏木さんの事かな?』

 

 あっさりと、悠が俺の言いたい事を当てる。 本来なら驚くべき事なのかもしれないが、今日の会話を鑑みれば、そんなに驚くべき事でも無いかもしれない。 それに悠は元から人の言いたい事や考えている事に対して鋭い。

 

「ああその通り、当たりだよ。 では、詳しい話をしても?」

『モチロン。 放課後僕が君と別れてから何があったのか、詳しく聞かせて貰うよ』

 

 悠の言う通り、図書室であった出来事を悠に話した。 全部話した後、何故か悠は楽しそう……と言うよりかは嬉しそうに、俺に言った。

 

『そっか、そんな事があったんだね。 うん』

「お前、なんか喜んでないか? まさかと思うが──」

『あぁいや、誤解させてごめん。 柏木さんがいじめられている事に喜んでいるワケじゃないんだ』

「? じゃあ、何に喜んでいるんだよ」

『キミに対してだよ、縁。 やっぱりキミは僕の知っている縁だった。 それが分かって安心したのさ』

「?? お、おう。 そうか、良く分からないけど、まあ良いか」

 

 どこか引っかかる言い方だったが、それに対して言及する前に、悠が話を先に続けだした。

 

『それで、僕は何をすれば良いかな? そのマユミって人達三人組と柏木さんの関係や繋がりを調べるだけで良いのかな』

「ま、まあそうなんだけど……相手から先に言われると、なんか尻込みしちゃうな」

『良いよ、気にしなくても。 あとは何が出来るかな?』

「ああ、じゃあ本当に頼みたい事で、渚の方にアイツらの手が来ないように、出来ないかな」

『そういえば、彼女たちは渚ちゃんの事を脅迫材料にしていたね、うん。 それとなく護衛を付けとくよ』

「ああ、その、なんだ。 頼んどいて言うのもあれだが、本当に良いのか? そこまでして貰っても」

『大丈夫だよ、だって──』

 

 何の気負いも無く、悠はさも当然のことを言うように、こう言った。

 

『お金があれば、大抵の事は何でも出来るからね』

 

 お金持ちって凄い。 改めてそう思った。

 

 ……

 

 翌朝、昨日の渚の様子が心配だったので、いつもより少し早めに起きて、渚の部屋に様子を見に行った、すると、

 

「お兄ちゃん、おはよう──コホッコホッ!」

「渚お前、悪化してるじゃないか!」

 

 昨日より更に具合の悪くなった渚が、フラフラしながら寝間着から制服に着替えようとしていた。 あと少し入るのが遅かったら着替中で大騒ぎ物だったが、そんな事今どうでもいい、今の渚は明らかに昨日の晩より酷くなっている。

 

「ほら、制服に着替えなくていいよ。 今日は学校休め」

「で、出来ないよ、休むなんて……ケホッ!」

「そんな咳き込んでる奴が言うな、ほらちょっと待ってろ、タオル持って来るから、それで体の汗を拭け」

 

 そう言って、一旦部屋を出て、急いで風呂場からまだ使って無いタオルを持ってきて、渚に渡した。 拭いてる様を見るワケにはいかないので、また部屋を出る。

 扉越しに渚に着替えたらそのまま寝ていろと言ってから、リビングに置いてある救急箱を開いて、熱冷ましのシートがあるか確認する、しかしまるで図ったかのように、救急箱には昨日渚に飲ました風邪薬の他、包帯や消毒液や脱脂綿、絆創膏などは揃っていたのに、熱冷まシートだけは無かった。

 

「こうなったら濡れタオルで代用するか。 氷枕も用意しないとな」

 

 発熱した時の必需品である濡れタオルと氷枕を用意して、渚の部屋に戻る。 言われた通りに、渚はベッドに横になっていた。

 枕を乾いた布で巻いた氷枕と取り替えて、絞った濡れタオルを額に宛がうと、渚は気恥ずかしそうに布団を口元まで引っ張る。

 

「うぅ、冷たい……」

「そりゃあそうだ、濡れてるんだから。 ちゃんと絞ったけど、濡れ過ぎては無いか?」

「うん、大丈夫……ありがとうね」

「どういたしまして。 少し待ってろ、ご飯作って来るから」

「……ちゃんと、出来る?」

「おう、任せとけ」

 

 昨日の件があってか、渚は始めの時のように俺が料理をする事に対して反対しなかった。

 

 ……

 

「渚、ご飯出来たぞ」

「う、うん……って、それってお粥?」

 

 渚が俺がトレーに載せた食器から沸き立つ湯気を見て、料理の名前を言う。

 

「ああ、風邪の時には最適だろ?」

「そうだけど……ふふっ」

「ん。 どうしたよ、笑ったりなんかして」

「あんなに意気込んでたから、どんなのが来るのかなって思ってたから」

「……うっせ、お粥だって立派な料理だろう」

「そうだね、ありがとう、お兄ちゃん」

 

 濡れタオルを桶に戻して、半身を起こした渚が、食器と一緒に持って来たレンゲを持って、ゆっくりとお粥を口にする──と、その直後、

 

「──ケホッ、ケホッ!」

 

 咄嗟に口元に手を置きながら、渚が強く咳き込んだ。 慌てて背中を摩り、呼吸が落ち着くのを待つ。 十秒ほど経ってから、ようやく渚の呼吸が落ち着いた。

 

「だ、大丈夫か渚。 咳き込むぐらい不味かったか?」

「違うの……思ったより熱くって、それを間違って気管に入れちゃって」

「……なんだ、良かった。 次からは少し冷やしてから口に入れような」

「うん、そうするね」

 

 その後は、食べる前に二・三度、ふーっと息を吹き掛けてからお粥を口にする渚。 その姿に小動物的な可愛さを感じながら、俺も自分の分が入ってある食器からお粥を食べる。 うん、確かに熱いなこれは。

 

「学校には連絡しといた、父さんと母さんには、もう少ししたら伝えるよ」

「もう……そこまでしなくても。 それくらいなら、寝てても出来るよ」

「これも兄の役目って話だ。 親が家に居ないなら、俺が保護者として、しっかりしないとだからな。 ……まぁ、見事に風邪をひかせてしまったんだけれど」

「…………保護者、か」

「ん?」

「うぅん、何でも無い」

 

 明らかに何か呟いたのは分かってたが、あまりにも小声だったので聞き取れなかった。 かと言ってそれほど重要な事を言ったようでも無いので、あまり言及しないでおこう。

 

「しかし、本当に熱いな、これ」

「そうだね。 でも、美味しいよ」

「そっか? 殆ど味無いぜ?」

「それでも」

 

 それ程量が多くないお粥を、二人で熱い熱い言いながらゆっくりと食べる。 いつもと違う環境で、渚が熱を出していると言う状況ではあるが、不思議と、心が暖かくなる時間だった。

 やがて全部食べ終わり、食器を片付けて、薬も飲ませると、再び横になった渚。 疲れた身体で、食事を摂って安心したのか、段々と表情に眠気が出て来た。

 

「……お兄ちゃん。 学校には、行かないの?」

 

 枕元の目覚まし時計を見ながら、渚が俺に言う。 時刻は八時ちょうどで、あと三十分で校門が閉まってしまい、遅刻扱いになってしまうのを、渚は心配しているようだ。

 

「このまま、お前がしっかり寝付くまでここにいるよ」

「えっ! 幾ら何でもそれはだけは駄目だよお兄ちゃん。 私のせいで遅刻なんて」

「構わないよ、そんな事より自分の事を心配しろ、さっき熱測ったら7度8分だったんだからな。 それに、遅刻なんかよりも、お前の方が大切だ」

「……っ」

「なんてな、気取った事言っちまった。 今のは忘れ──」

「ねぇ、お兄ちゃん?」

「──ん、どうした? 水か?」

 

 歯の浮くような台詞を吐いたので、照れ隠しをしようとしたら、渚が俺に手を差し出して、はにかみながら言った。

 

「手……握っててくれる? 私が眠るまで」

「手を?」

「うん……そうしたら、安心して眠れそうな気がするから……駄目、かな?」

「ううん、良いよ、握っててやる」

 

 照れ臭いが、渚も久しぶりに大きな風邪をひいて不安になってるんだろう、俺がそうする事で安心出来るってなら、幾らでもするさ。

 俺より一回り小さな手を、壊れ物を扱うようにそっと握る。 久しぶりに握った渚の手は汗で少し湿っていた。

 

「……ふふ、こうしてると、なんか昔の事を思い出しちゃう」

「昔? ……あぁ、そうだな」

 

 渚の言う通り、俺達が小学生の頃にも、渚は風邪をひいて、熱で寝込む事が多かった。 その頃はもう両親の仕事は忙しかったので、代わりに俺が付きっきりで看病したんだっけ。 平日の時は学校終わったら走って家に向かったりして、時々綾瀬にも手伝って貰った事もあった気がする。

 昔を懐かしむようにゆっくりと目蓋を閉じながら、渚の言葉は続く。

 

「あの頃は、良かったなぁ……。 私、出来るなら、あの頃に戻りたい」

「……バカ、年寄りみたいな事言ってるんじゃねぇよ。 もしまたあの時に戻ったら、今より出来ない事沢山あるぞ?」

「それでも良いよ……私は、それでも」

「──渚?」

「あたしは……それ、で……も……」

 

 言葉が段々と弱くなり、握る手の力もそれに倣っていく。 そうして、最後まで言葉を言い切る事無く、渚は眠った。

 

「寝た、か。 ……昔が良い、か」

 

 最後に、渚が言った言葉は、昨日の朝に俺に言った事と繋がっているのだろうか。 気にはなったが、もう学校に行かなければならない。 思ったより早く渚が寝付いたので、まだ全力で走れば間に合いそうだ。

 

「じゃあ、行ってくるな、渚」

 

 最後に、眠っている渚にそう言ってから、俺は静かに部屋を後にした。

 

 ……

 

 文字通り全力で走り切ったおかげで、遅刻二分前に教室に辿り着く事が出来た。 息も絶え絶えで、汗も出ているが、まあ遅刻しないで済んだのだし、良しとしよう。

 

「おはよう縁、今日は随分ギリギリの登校だったね」

「おう、おはよう……」

 

 悠が、汗を額から零してゼーハーと荒い呼吸をしている俺を見て苦笑いしながら言った。

 

「渚が、風邪ひいて熱出してな……それで、遅くなった」

「そうだったのか、渚ちゃんの容態はかなり悪いのかい? なんなら、病院に連れて行ってあげた方が」

「ああいや、そこまでじゃないんだ、熱が出たんだけど、病院が必要な程じゃないから大丈夫だ」

「そうかい、なら良かった。 早く治るといいね、縁も風邪が移らないように気を付けて」

「おう、折角頼んだ護衛が無駄になってしまって悪いな」

「気にしないでいいよ、それより縁、今日の昼休みに例の件で話があるから、そのつもりでいてくれ」

 

 例の件? 随分と脚色染みた言い方だが、もしかして柏木の件を言ってるのだろうか。

 

「まさか、もう何か分かったのか?」

「うん」

 

 予想的中だったようだ。 いやしかし、頼んだのが昨日の夜11時だったのに、もう何か情報掴んだって、早すぎだろう、一体どんな情報網を使ったんだ、こいつは。 知り合いに非公式に何でも知っている情報屋でもいるのだろうか。

 俺が新たに垣間見た親友の一面に若干慄いていると、後ろから別の声が、俺達に話しかけてきた。

 

「二人とも、ちょっと良い?」

「綾瀬か、おはよう」

「河本さん、何かな?」

 

 声は綾瀬のものだった。 神妙な顔付きで、俺と悠を見る。

 

「今の話って、彼女の事でしょ、私にも話してくれる?」

「えっ……僕は構わないけど、縁はどうなんだい?」

 

 綾瀬の突然の、そして意外な頼み事に、俺も悠も驚く。 悠の方は構わないと言っているが、俺はそうはいかなかった。

 

「綾瀬、お前が聞いてどうするんだ? 聞いたって、お前には何も──」

「いいから、私にも話して。 縁に何の迷惑も掛からないでしょう?」

「そ、そりゃあそうだけど……」

 

 思ったよりも綾瀬の意思は強く、興味本位で聞いてるのでは無い事が伺える。 だが何故だ、昨日まで綾瀬は柏木の件に関わるのを避けていたし、俺だって関わらないで良いと言った筈なのに。

 

「河本さんも、こう言ってる事だし。 縁、河本さんにも話して良いんじゃないかな?」

「ん……まあ、話すのはお前なんだし、お前が良いんなら」

「ありがとう、二人とも」

 

 礼を言って、そそくさと自分の席に戻っていく。 綾瀬にどうして昨日と違う事を言い出したのか聞こうとしたが、忌々しくもチャイムが鳴り、担任が教室に入って来たので、それは叶わなかった。

 それならばと、他の業間休みに話しかけようとしたのだが、体育で更衣室に行ったり、他の女子のグループと集まって話しかけづらい雰囲気になったりで、素直に昼休みを待つしか無かった。

 

 ……

 

「──それじゃあ、朝に言った通り、僕の調べた結果を話すよ」

「ああ、そうしてくれ」

「…………お願い」

 

 待望の昼休み。 いつも通りに悠が俺の前の席に来たので、綾瀬が俺の右隣の席に座り、三角形の形になって、悠の話が始まった。

 

「まず、柏木さんを苛めていた三人の生徒の名前を言うよ。 五十音順に小松京子、新房沙紀、早坂真弓。 三人の内、早坂さんは柏木さんと同じクラスで、昨日の昼休みに二人を呼び出したのもこの人だね」

 

 なるほど、マユミ……早坂の名前は昨日の時点で分かっていたが、他二人はそんな名前だったのか。 まあどうせ苗字くらいしか覚えられそうに無いけど、俺地名とか人名とか、名前覚えるの下手だし。

 

「そして、新房沙紀さん。 彼女は図書委員なんだ。 毎週火曜日と水曜日の放課後に図書室にいる」

「待てよ、てことは──」

「そう、この放課後に図書室を利用する生徒は殆どいない。 柏木さんへのいじめ行為は、この時行われているようだね」

「……だから、二日続けてあそこに居たのね」

 

 やり方が陰湿だ、ベタな体育館裏や校舎裏とかの方がよっぽど可愛いく見える。 たしかに図書室なら、いじめの現場として誰も思わないだろう。

 

「それで、早坂達三人と、柏木にはどんな接点が?」

「その事について、一つ興味深い事があるんだ」

「興味深い事?」

「うん。 三人とも、去年まで、柏木さんと同じ園芸部に居たんだ」

『え?』

 

 予想外な言葉に、思わず俺と綾瀬の言葉が重なる。 柏木と三人が、去年まで同じ部活だった? なんだそれ、じゃあ、もしかして今園芸部が柏木一人なのと、いじめ問題は関係しているのか? 

 

「ど、どうして同じ部員だったのに、あんな事になってるの?」

 

 俺より先に、綾瀬が悠に尋ねる。 しかし、それまでと違い、悠は眉間に小さく皺を作り、困ったように言う。

 

「それが、僕もその先を調べようとしたんだけど、どうもそれらしい理由が出てこないんだ。 ツテにも聞いたんだけど、相手も分からないようなんだ」

「は……はぁ? な、なんだそれ?」

「去年の園芸部に、何かがあった事だけは確かなんだ。 でも、その『何か』が何なのか、それが分からないんだ」

「じゃあ、お手上げってこと?」

 

 たった一晩でここまで調べ上げる程の悠でも、去年園芸部に起こったであろう何かの正体は掴めない。 それじゃあ、後は当たって砕けろの覚悟でまた柏木に直接聞くか、逆転の発想で早坂達に聞くしか無いのかもしれない。

 

「いや、それで諦めるのは気に入らないから、もう少し広い視野で調べてみたんだ、園芸部だけじゃなく、去年何が起きたかを、ね。 そしたら、興味深い事実が浮かんだんだ」

「興味深い事実? と言うと?」

「去年の秋頃、文化祭が終わって少しした後に、先生が一人急に辞めた事を覚えているかい?」

「教師が辞めた? ……あったっけ、そんなの?」

「あ、私覚えてる。 名前は忘れちゃったけど、確か男の先生だったよ。 中途半端な季節に辞めたから、少し話題になったし、確か縁にも話したと思うんだけど……」

 

 ああ、言われてみれば確かに、去年の秋頃に悠や綾瀬が俺に話してた気がする。 そう言えば、多少生徒の間で話題になったとは言え、教師が辞めたってのに、臨時の離任式なんかもしないで、殆ど学校側が話さなかったから、そもそもどうして辞めたのかすら分からなかったな。

 

「それで、その辞めてった教師と、柏木たちにどう繋がりが?」

「辞めた先生は、ただ辞めたたのでは無く、()()()()で、園芸部の、顧問だったんだ」

「顧問? じゃあ、その顧問が辞めたのと」

「柏木さんのいじめは関係しているかも」

「うん。 二人の言う通り、僕もそうだとは思う 」

 

 懲戒免職は、余程の事がない限り言い渡され無い重い処置だ。 そんな事があったのに、全く学校側は生徒に説明しないで、世間にも取り沙汰され無かった。 そして、その教師が園芸部の顧問だった。

 だが、ここまで欠片が揃っているのに、肝心なところが引っ掛からない。

 

「僕は今日、家でもう少し深くこの件について調べてみるつもりだけど、縁はどうする?」

 

 どうする、か。 さっきは柏木や早坂に直接聞くなんて事考えていたが、事は思ったより重大そうだ、教師が懲戒免職になるのは、生徒とのトラブルが原因の場合が考えられる、もしそうなら、絶対に話してくれ無いだろう、ならば、

 

「今の園芸部の顧問に、聞いてみようと思う」

 

 教師に聞いたからって、去年園芸部で何があったかなんて分かるとは限らない。 それでも、園芸部の顧問の教師なら、他の教師に聞くよりはずっと教えてもらえる可能性があると踏んだ。

 

「そう、だね……先生が素直に話すかは分からないけど、聞いてみるのもありだろう、放課後に聞きに行くのかい?」

「そのつもりだ。 ……正直、褒められた話じゃないがな」

 

 教師にいじめの事実を話さずに、いじめの原因かもしれない出来事を尋ねる。 柏木を助ける為なのに、それと相反するような、矛盾した行動をする事に躊躇いを感じないワケが無い。

 

「先生方が解決させては根本からの解決にならない、完全にその通りだとは僕も言わないけど、縁の言う事にも一理ある。 まぁ……仕方ないのかもしれないね」

「ありがとう悠、そう言ってくれるだけでもありがたい。 今の顧問には、俺一人で聞きに──」

「待って縁、私も一緒に行く」

「──なっ!?」

 

 何言ってんだコイツ!? もう完全に柏木の件から避ける気無いじゃないか! 

 思ったより大きな声を出してしまい、教室にいる数人のクラスメイトが、何事かと俺を見て来たので、さっきよりも数段声の音量を低くしてから、俺は綾瀬に詰め寄って言う。

 

「お前、自分が何言ってるのか分かってるのか?」

 

 俺の問いかけに対し、綾瀬は全く退かない。 それどころか強い眼差しで俺を見返し、

 

「分かってるわよ、縁がしようとしているのが必ずしも正しくない事も、どうして私を関わらせたくないのかも」

「それなら、どうして?」

「『どうして』? ……それを、貴方が言うの?」

「はぁ?」

 

 質問に対して質問で返すな……昨日柏木に言われた言葉だが、なるほど確かに、これは面食らう。 綾瀬が今の言葉にどんな意味を込めたのか、全く分からない。 ったく、渚と言い綾瀬と言い、どうしてこう、俺の頭をこんがらからせる事ばかり言うんだ。

 

「二人とも、そこまでにして」

 

 つい、睨みあうような形になった俺と綾瀬の間に悠が割って入る。

 

「柏木さんの件を考えているのに、二人が対立しちゃったら意味が無いだろう?」

「悠……」

「綾小路君……」

 

 悠の諭すような言葉で、熱くなりかけた頭が急速に冷えていく。 確かに悠の言う通りだ、ここで綾瀬と喧嘩したって、ろくな結果を生まない事は考えるまでも無く分かる筈だ。 ましてや、この喧嘩が切っ掛けで綾瀬を病ませてしまい、俺の死亡フラグが生まれてしまうなんて事も有り得なくも無いのだ。

 

「ああ……そうだな。 悠の言う通りだ、悪かった、綾瀬」

「そんな……私の方こそ感情的になっちゃった、ごめんなさい」

 

 互いに謝る俺と綾瀬。 その様を見てから、悠は纏めるように言った。

 

「縁の気持ちは分かるけど、河本さんだってこの件には無関係じゃないし、何より縁が積極的に関わってるんだ、自分ばかり何もしないままでいられないと言う気持ちも、縁は分かってあげるべきじゃないかな?」

「……ん、分かった」

 

 ここまで言われては、もう綾瀬を止める事なんか出来はしない、早坂達の標的にならないか心配ではあるものの、ここはもう綾瀬の同行を了承するしかなさそうだ。

 

 その後、これ以上話せる内容が無くなったので、俺達は残った時間を食事のみに費やした。 食事中、なんどか悠が話題を振ったが、先ほどの出来事が尾を引いて、俺も綾瀬もうまく会話を進める事が出来ず、綾瀬との間に気まずい空気を残して、昼休みは終わった。

 

 ……

 

 放課後になり、宣言通り悠は更なる調べ物の為に足早に帰宅して行った。 その背中を見送った後、教室に残った俺は、同じく残った綾瀬をチラと見る。 昼間の気まずい空気は放課後になっても払拭されず、どう言葉を掛ければいいか分からなかった。

 かと言っても教室でいつまでも立ち往生していられるわけでもないので、自分に心の中で喝を入れた後に、俺は綾瀬に言った。

 

「じゃあ、行くか」

「……う、うん。 そうしましょう」

 

 ぎこちなさを十分に持ちながら、二人で園芸部の顧問がいる職員室へと向かう。 悠が帰り際に教えてくれたが、園芸部の顧問は一年の担当教師で、幹谷という名前らしい。 二年棟から一年棟に入り、一階にある職員室の扉に着いた。 この先の廊下を進むと、園芸部の部室がある。 きっとそこには柏木が居るのだろうが、今はその事を頭から出して、俺は職員室の扉をノックして、中に入った。

 

「失礼します、二年の野々原と言います」

「お、同じ二年の河本です」

 

 普段来る事のない二年生が一年棟の職員室に来た事で、何人かの教師が珍しそうに自分達に視線を送る。 その内の一人の男性教師が、俺に声をかけた。

 

「二年生か、珍しいな。 どうした?」

「はい、幹谷先生に用が有るのですが、居ますでしょうか?」

「えっ、私ですか?」

 

 俺が幹谷の名前を口にすると、一番奥に座って、菓子パンを口にしていた、若い女性教師が驚いた声で反応して、急いでこちらまでやって来た。

 

「えーと、君達、初めて話する、よね?」

「はい、確かにそうです」

「うん、私が忘れてるワケじゃなくて良かった……。 それで、私にどんな用事が?」

「はい、一つ、お聞きしたい事があるのですが、出来ればここ以外の場所で話をしたいのですが、今はお時間ありますでしょうか?」

「聞きたい事? うん、今は大丈夫だから良いよ。 それじゃあ、生徒指導室に行きましょう」

「はい、ありがとうございます」

 

 生徒指導室、通常は素行の悪い生徒に教師が説教をする為の場所だ。 別に説教を受けるワケでも無いと言うのに、自然と嫌な気分になってしまうのは仕方ないだろう。 隣を見れば、綾瀬もあまりいい表情にはなって無かった。

 職員室を出て、園芸部の部室とは反対の方向にある生徒指導室に入ると、幹谷先生は扉に『使用中』と書かれたプレートを掛けてから、扉を閉めた。

 

「それで、話って言うのは?」

「はい、その……園芸部について、なのですが」

「園芸部? あぁ、だから私だったのね」

 

 園芸部の言葉で、自分が呼ばれた理由に合点が言った幹谷先生は、軽く笑いながら言った。

 

「ひょっとして、君達二人とも入部希望者?」

「あ、いえ、その……」

 

 しどろもどろになって、答えあぐねる綾瀬。 綾瀬は部活に入ってはいないが、園芸部に入るつもりは無いのだが、嬉しそうに言う先生を前にして、なかなか断りの言葉が言えないでいるようだ。

 

「いえ、自分はまだ決めかねているところですが、あや……河本は違います」

「あぁそうなの? ゴメンね、焦るような事言っちゃって」

「いえそんな、お構いなく……」

 

 互いに頭を下げる二人。 綾瀬は初めて会話する教師だからかいつもより低姿勢だが、幹谷先生の方は教師だと言うのに随分フランクな性格の様だ。

 

「話の腰が折れちゃったわね、それで、園芸部について何の質問が?」

「はい。 園芸部の部員についてです」

「──っ、と言うと?」

「去年、園芸部は一年生が四人いて二年生も三人程居たと、友人から聞きました。 でも今は柏木さん一人しか居ません。 何故柏木さんだけしか居ないのですか? 去年に、何かあったのですか?」

「あ〜、そうか、それを聞くのね……」

 

 幹谷先生は、直前までの笑顔が引っ込んで、心から困った様に眉間に皺を寄せる。 その反応から、何かしらの事実を知っている様ではあるが、それを話すべきか否かで悩んでいる様だ。

 

「一つ聞くけど、君たちは柏木さんの友達?」

「友達と言う程親しくはありません。 ですが、全く知らないワケでも無いです」

「そっか……」

 

 そう言って、再び黙り込む幹谷先生。 緊張が俺と綾瀬を包む、もし駄目だと言われたら、後は悠の力に頼らざるを得なくなってしまう。 綾瀬には自分の力で解決すると言ったが、実際はかなり悠頼みになっている事に、こんなタイミングで気づいた。 我ながら情けないと思う。

 どれほど経っただろうか、時間的には数秒かもしれないが、体感的には数分程の沈黙の後に、ため息を吐きながら幹谷先生が口を開いた。

 

「今から言う事は、他の生徒に言いふらさないって、約束してくれるかな?」

「っ! はい、約束します」

「わ、私も」

 

 俺と綾瀬の言葉に頷いて、幹谷先生は声の音量を落として、静かに話し始めた。

 

「本当は、この事を話すのは理事長に禁止させられてるけど、私自身、気に入らなかったし、貴方達を信用して話す事にするわ」

「……はい」

 

 理事長という、予想以上に大きい人物の名前が出た事に一瞬気が引けたが、話して間も無い筈の自分達を信用するという幹谷先生の言葉を受けて、気を引き締め直す。

 

「それじゃ、話すわね。 園芸部がどうして今、柏木さん一人だけなのか、それはね──」

 

 ……

 

「な……それで、今柏木さんは一人だけなんですか!?」

「うん、そう……。 酷いでしょ?」

「…………」

 

 ──幹谷先生の口から出た言葉は、俺が考えていた物より遥かに酷いモノだった。 綾瀬は口元に手を抑えて、絶句している。

 幹谷先生の話した内容を纏めると、こうだ。

 

 去年、園芸部には、一年生に柏木と早坂達を含めた四人、二年生には三人いた。 三年生はいなかったが、年の差が近い者たちが集まって、比較的部の人間関係は良かった。 柏木もまた、部の仲間たちと良好な関係を築いていたらしい。

 女子ばかりの部の中、当時顧問だった教師は、教師になりたての新人で男性だったが、気さくな性格で、部員達からの人望もあった人物だった。

 だがしかし、文化祭が終わり、少ししてからの事だ。 放課後、校内の活動時間も終わり、部活をしている生徒も皆下校した後に、たまたま園芸部の前を通った幹谷先生が、園芸部室から物が倒れる音と、女子の小さな悲鳴を聞いた。 慌てて中に入ると、そこには柏木を床に組み伏せて、服に手を掛けようとしている男性教師がいた。

 すぐに人を呼んで、その男性教師を取り押さえた後、男性教師は警察に引き渡された。 男性教師は自身の行為を全て認め、後から行われた家宅捜査で、男性教師の部屋に多数の女子生徒の盗撮写真が発見された。

 結果、男性教師は懲戒免職になり、更に婦女暴行罪や余りある余罪で逮捕される事になった、ここまでは当然の流れだが、ここからがおかしかった。

 本来、この事を学園の生徒にしっかり説明すべきなのにも関わらず、学園の理事長がそれを許さず、生徒は、ただ教師が一人、学園を辞めたという事だけを知らされた。

 確かに嘘を言っているワケではないが、事実を全て話しているわけでも無い。 反対する教師は少なくなかったが、学園が行うべき措置は全て済んだと判断した理事長の意思が変わる事は無かった。 反対した教師の多くは今年になって他校へ追い出された。

 

 もはやこの時点でおかしい事だらけなのは分かるが、一番おかしかったのは、被害を受けた柏木園子自身だった。

 本来、この不当な処置に対して告訴すべき筈の柏木だったが、柏木は告訴するどころか、事実を部員に話す事すらしなかった。 そして柏木の両親達も、当初は学園に対して非難の声を挙げていたが、ある日を境に、急に学園の措置を認めた。 認めてしまったのだ。

 結果、園芸部の部員達は急に学園を辞めた顧問の理由を知らされず、しかし、事件後、様子がおかしかった柏木から、柏木が顧問の辞めた理由と関係があると踏んだ早坂達が、柏木を詰問し、何も話さなかった柏木をみて、顧問が辞めたのは柏木が何かしたからだと判断し、彼女達の人間関係は破綻した。

 二年生達は早坂達と柏木の対立を止める事が出来ず、また、当人達も柏木に対し懐疑的だったので、瞬く間に園芸部は崩れ、翌年、柏木を除いた全員が園芸部を辞め、それぞれ別の部活へと別れてしまった。

 

 それが、柏木だけが園芸部にいる理由であり、

 いじめの原因、そのものだった。

 

「信じられない様な話だけど、これは全部本当なの。 私以外の先生も納得してないけど、ね」

「……馬鹿げてる、何だよそれ」

 

 ああそうだ、こんな話は馬鹿げてる、ろくな事実確認も無いのに、何故柏木が悪いと完全に決めつけるのか、理解出来ないし、したくも無い。

 

「おかしいわよね、やっぱり。 学園の処置も、それをおかしいと言えない私たち教師も」

 

 自虐的に、小さく笑いながら、幹谷先生が言う。

 

「野々原君に、河本さん。 貴方達に園芸部に入ってと言うつもりは無いわ。 でも──」

 

「──彼女の、柏木さんの、いい友達になってあげてね」

 

 ……

 

 話が終わり、俺達は幹谷先生に礼を言って、生徒指導室を後にした。 綾瀬はまだ事の悲惨さと複雑さから、暗い面持ちで黙っている。 自分の通う学園であんな事が起きていたというショックが大きいのだろう。

 その気持ちは俺も分かる、話の内容はもちろんだが、自分がいる場所で、そんな事があったなんて正直最悪だ、ましてそれがいじめの原因に直接繋がっているのだから、尚更ウンザリしてしまうだろう。

 だが、俺はそれ以上に納得できない事があった。

 

「縁、どこに行くの?」

「園芸部室」

「園芸部に? もしかして……」

 

 綾瀬はもう俺が何をするつもりなのか、察しがついたようだ。 正直、あんな話聞いた後すぐに本人に顔を合わせるのは気が引けるが、それでも今聞きに行かないと気が済まない。 綾瀬もそれが分かっているから、俺を止めないで黙って一緒について来ている。

 先述したとおり、同じ階にあるので、一分もしない内に園芸部の部室の扉に着いた。 ノックをして、中から柏木の『はい、どうぞ』という返事を聞いてから、扉を開ける。

 

「どなたで──、野々原君? どうして……」

 

 昨日に続いて今日も、しかもわざわざ部室に現れるとは思ってなかったようで、花瓶を手にして立っていた柏木は、何が起きたのか分からない顔をしている。

 俺は、柏木の数歩前まで詰め寄って、つとめて冷静に言った。

 

「話を聞いたよ」

「話……? 何の事ですか」

「どうして、園芸部には柏木さんしかいないのか、その理由をだよ」

「──え?」

 

 柏木の表情が小さく歪む。

 

「そして分かったよ、どうしてあいつらがあんたをいじめるのかも」

「ぁ……あ……」

「だけど、一つだけ分からない。 どうして、あんたは本当の事を早坂達に言わないんだ? 何で悪いのは自分“”だなんて言うんだ?」

 

 そう、柏木は始めから早坂達のいじめを受け入れて、周りに助けを求めなかった。 それだけに留まらず、昨日は俺と綾瀬に対して、『悪いのは、私ですから』とまで言った。

 しかし、事実は全く異なっていた。 どう考えても柏木が責められる謂れはなかった。 なのにも関わらず、柏木は真実を話そうとせず、更には自身を貶めている。

 それが、俺にはどうしても納得いかなかった。 『いじめを受けるのに相応しい理由』が無いクセに、本来ならば苦しむ必要など無いクセに、何もしない態度が理解出来なかったのだ。

 

 だが、柏木は口を開こうとせず、焦るようにジリジリと俺から後ずさりするばかりで、何も答えない。 その様に苛立ちを抑えながら、一歩、柏木に歩み寄ろうとした直後、

 

 ──パリンという甲高い音が、俺と柏木の間に鳴り響いた。

 

「──ぁ」

「おっと!」

 

 柏木が手に持っていた花瓶を誤って床に落とし、花瓶が割れてしまった。 中に水は入って無かったようで濡れはしなかったが、大小幾つかの割れた花瓶の欠片が、俺と柏木の間に巻き散らかる。

 

「何やってんだよ、危ないな。 早く片付けないと……」

「っ!」

「な──痛っ!」

 

 突然柏木が動き出したと思ったら、鞄を手に取って、綾瀬のいない方の出入り口から部室を走って出て行ってしまった。 その時に、欠片を取るために伸ばした腕が、柏木の脚とぶつかってしまい、危なくバランスを崩して床に転ぶところだった。

 

「縁、大丈夫!?」

 

 慌てて綾瀬がこちらにやってくる、綾瀬の方もいきなり柏木が走り出すとは思ってなかったようだ。

 

「俺は良いよ、それより柏木を追いかけないと」

「駄目よ、だってそんな怪我してる!」

「怪我? ……うわっ、ホントだ」

 

 言われて気が付いたが、どうやらぶつかった拍子に強く握ってしまったからか、掌からポタポタと血が流れて、床に小さな水たまりを作っていた。

 

「いってぇ……ちょっとコレは、深く切ったかも」

 

 すぐに欠片を手放して傷口を見る、所々深く欠片が刺さってしまい、僅かに動かすだけで掌の肉と肉が擦れあう感触が、鋭い痛みとなっていく。 利き手じゃなくてよかった。

 

「すぐに手当てしないと、もう柏木さんの事はもう良いから!」

「お、おう……分かった」

 

 大丈夫な方の手首をつかんで、至近距離で俺の目を見ながら言う綾瀬の気迫に押されて、つい首を縦に振ってしまう。 確かに、こうしてここで話している最中にも、柏木はもう学園の敷地内には居ないだろう。 本気で追いかければ追いつく事も出来るかもしれないが、それよりも怪我を何とかする方が先だろう。 何より綾瀬がそれを許さない。

 

「血が止まらない……、そうだ」

 

 出血が止まる様子を見せない俺の掌を見て、綾瀬がポケットから何かを取り出す。

 

「取り敢えず、これで手を拭いて」

 

 綾瀬が応急処置の為に取り出した物は、花柄をした、綾瀬のハンカチだった──って、ハンカチィ!? 

 

「い、いや綾瀬! ハンカチはいい、ハンカチはいらない!」

「何言ってるの、こんなに血が出てるんだから、止めなくちゃ──」

 

 うんそうですよね、普通はそうですよ? でも、『血を止める為』『綾瀬のハンカチ』、この二つだけでろくな結果になる気がしない! 柏木の事で頭がいっぱいいっぱいだったが、まさかこんな急襲染みたタイミングで全く別の死亡フラグが飛び込んでくるとは思いもしなかったぞ! 

 

「せ、折角のハンカチを、俺なんかの血付けて汚すワケにはいかないだろ?」

「そんな事、私気にしない──」

「大丈夫、水で流せば良いから! そしてすぐに保健室行こう」

「あっ……」

 

 部室の中にあった水道に駆け寄り、水を流して手を突っ込む。 傷口が沁みてヒリヒリするが、仮にハンカチを受け取っていた場合に起こりうる未来よりはずっとマシだろう。

 

「……よし、血は落ちたから、さっさと保健室に行こう」

「うん……そうしましょう」

 

 やや不満そうな顔で、ハンカチをポケットにしまう綾瀬。 その姿を見て少し悪い気持ちになってしまったが、仮にハンカチを受け取ってしまった場合、下手したら綾瀬も死ぬかもしれないのだ、なので、これは綾瀬の為にも必要な事だと自分に言い聞かせて、罪悪感を押し殺した。

 

「失礼します……あれ、いない」

 

 一年棟の保健室に行くと、中には誰もいなかった。 そういえば、この学園には各棟ごとに保健室と保険医がいるが、放課後は一人だけ残って、残りの二つの保健室は開けているけども、基本はもぬけの殻だという話を聞いた事があったが、どうやら今日は一年棟に保険医は残って無かったようだ、なんて間の悪い。

 

「まいったな、先生いないのか。 血もまた出始めたし……」

「仕方ないから、勝手に道具借りましょう、私がするから、縁は椅子に座って」

「え、いや、そんな事するワケには──」

「柏木さんのいじめを解決させるより大した事無いから、いいから座って」

 

 強い口調で、半ば命令するように言う綾瀬。 先程のハンカチの事もあるし、なによりちょっと怖かったので素直に椅子に座って綾瀬からの手当てを受ける事にした。

 

「っつう、消毒液痛ぇ……」

「我慢するっ」

 

 消毒液を沁み込ませた脱脂綿で傷口を拭いた後に、的確に絆創膏を貼っていく綾瀬。 その馴れたような手つきを見ながら、そういえば小学生の時にも、よく転んで怪我をした時にこうして手当てして貰った事を思い出した、あの頃はヒザだったが。

 

「……ふふっ、何だか、小学生の時みたいね」

「あ、やっぱお前も思った?」

「うん、あの頃の貴方、今よりずっと無鉄砲で、色んなところ怪我させてたよね」

「ははは……そういうのまで思い出さなくていいよ。 それに、中学からはちゃんとしてたろ?」

「どうかなぁ……綾小路君の時の貴方は、今までで一番凄かったと思うけど」

「ぐぁ、あれは、一時のテンションと言うか、中二病と言うか……」

 

 思わぬ形で、過去の負の遺産を思い起こしてしまった。 そうは言っても、やはり懐かしく、心の温まる話題だったからか、昼休みから続いていた気まずさはすっかりなりを潜めていた。 そういえば今朝の時と言い、今日は昔の事を思い出す事が多いな。

 ……そこまで考え至ってから、一つ気になった事を、綾瀬に聞いてみる事にした。

 

「なあ、綾瀬?」

「何?」

「昔と、今……どっちが良い?」

「え……?」

 

 手当てする手を止めて、ポカンとする綾瀬。 質問がどういう意図での言葉か、測りかねているのだろう。

 渚は、昔と今で、昔が良かったと言っていた、出来るのなら、昔に戻りたいとも。 ならば綾瀬はどうなのだろうか、綾瀬も今より昔の方が良いと思うのだろうか? 

 正直なところ、どうして自分がそんな事を気にするのか、自分でも分からない。 それでも、綾瀬がどう思っているのか、それを知りたかった。

 

「昔と今。 そんなの、どっちが良いかなんて決まっているじゃない」

 

 あまり考えずに、綾瀬は笑顔で言った。

 

「今の方が私は好き、こうして今の貴方と一緒に居られる今が、私は好きよ?」

「──。 そ、そうか、答えてくれてありがとう……」

 

 綾瀬が答えてくれた瞬間、唐突に涙腺が緩くなって、危うく涙が出そうになった。 いそいで顔を綾瀬からそらして誤魔化す。 理由はハッキリしないが、綾瀬が『今が良い』と答えてくれた事が、とてつもなく嬉しいと思っている。

 そんな俺の心の内に気付いているのかいないのか、綾瀬は小さく笑いながら、しかし僅かに声のトーンを落として言った。

 

「ねえ縁、今度は私から聞いて良い?」

「良いぞ、なんだ?」

「……どうして、貴方はそんなに柏木さんの事を気に掛けるの?」

「っ!」

 

 弾かれたように綾瀬の方に顔を向けなおす。 綾瀬はじっと、俺の顔を下から見つめていた。

 

「私、少し前から貴方がどこか変わったと思ってた」

「……っ」

「それでも、貴方は貴方だったし、私も貴方が何を考えているのか、分からなくなるなんて事無かった」

 

 そこで一旦言葉を止めて、溢れ返そうになる気持ちを抑えるように、ゆっくりと心の言葉を吐露する。

 

「……でも、ここ数日の貴方は分からないの。 いじめを見過ごせないと言うのは分かるの、でも、先生に言わないで、大変だと分かっているのに自分で解決しようとしたり、先生に直接聞こうとしたり、怪我を無視してまで柏木さんを追い駆けようとしたり……、今の貴方がどうしてそこまでするのか、何を考えているのかが、今の私には分からないの」

 

 俺と綾瀬だけの保健室で、綾瀬の独白が続く。

 

「一緒に居れば、自然に分かるかもと思ってた。 隣で貴方のする事を見れば、貴方の考えが分かるようになるかもしれないからって。 でもやっぱり分からない、分からないの……っ、貴方の気持ちが、全然っ!」

「……綾瀬」

 

 そこまで言って、遂に堪えるのに限界が来たのか、震える声で、何かに怯えるように俺の目を見つめて、綾瀬が言う。

 

「縁は……柏木さんの事が、好きなの?」

「──ッ!?」

「ゴメンね、こんな事聞いて貴方の事困らせて……、でもどうしても分からないから、後は直接聞くしか、どうすれば良いか分からなかったから……。 貴方が柏木さんの事好きなら、それも仕方ないかもって、思っちゃって……」

 

 ──あぁ、俺は馬鹿だ。

 どうして綾瀬が、あんなに柏木の件に関わるのを嫌がっていたのに、今日俺と一緒に行動したのか、その理由にやっと気付いた。

 俺は自分一人で柏木を助ける事に納得して、傍にいた綾瀬に何も話さなかった。 悠は始めから俺が動こうとする事を確信していたから何も聞かなかったが、綾瀬は違うのだ。 そのせいで、綾瀬は百八十度変わった俺の行動・考えが理解出来ず、昨日の帰りから今の今まで、ずっと悩んでいたんだろう。

 なんてことは無い、俺は柏木をどうかしようとばかり考えて、綾瀬の事をないがしろにしてしまい、結果、綾瀬の心をはやらせてしまったのだ。

 話さないと駄目だ、頸城縁の事については、信じて貰える貰えないと言うよりも、今話したら余計に混乱させてしまうかもしれない、と言う懸念から言えないが、それ以外の、どうして俺が柏木の為に動くのか、その理由を今、俺は言わないといけない。

 

「綾瀬」

「……うん」

「まず、始めに言うな。 こうして面と向かって、綾瀬の気持ちを言ってくれてありがとう。 恥ずかしい話だけど、綾瀬がどんな気持ちで今日一日いたのか、俺は全然分かって無かったんだ」

「…………うん」

「だから、俺も言うよ、どうして俺が柏木の為に動いてるのか」

 

 その言葉に、一瞬身体を震わせる綾瀬、俺は空いている方の手を伸ばして、綾瀬の肩に置いてから言った。

 

「──それはな、綾瀬がいたからなんだ」

「……え? どういう、事?」

 

 意味が分からないと言う風に俺を見る綾瀬、その顔を見ながら、俺は言葉を続けた。

 

「俺と綾瀬が初めて会った日の事、覚えてるか? 通学路の途中にある、いつも通る公園にある桜の樹の陰で、いじめられていた俺を、綾瀬が助けてくれたのが、俺達の出会いの始まりだったよな?」

「縁……覚えていたの?」

「ううん、実は最近までおぼろげにしか覚えて無かったんだ、女の子に助けて貰ったってのが、幼いながらに恥ずかしかったんだろうな、俺は」

 

 ──でも、

 

「一昨日、初めて早坂達にいじめられていた柏木を見た時から、何かずっと引っかかっていたんだ。 でもそれがどうしてなのか、俺には分からなかった。 でもな、思い出したんだよ、俺はあの時、綾瀬に助けてもらった時、綾瀬がカッコ良いって思ったんだ」

「…………」

 

 綾瀬はとつとつと話す俺の言葉を、一言一句聞き逃さないように聞いている、だから俺も、今だけは死亡フラグとか地雷なんてモノは頭から追い出して、嘘偽りの無い、本当に思っている事だけを話した。

 

「そしてもう一つ、ある気持ちが、心の中に生まれたんだ、それが何か分かるか?」

「分からない……なに?」

「それはな、綾瀬、お前のように、誰か困っている人がいたら、理由が無くても力になりたい。 そんな、綾瀬みたいになりたいって気持ちなんだ」

「──っ、じゃあ、貴方が柏木さんのいじめを解決しようとしてるのは」

「ああ。 今の俺を動かしているのは、綾瀬が見ず知らずの人を助けてくれる姿を見せてくれたからなんだ」

 

 それを、十数年の年月の中で、野々原縁は知らない内に、意識の中からそれを忘れて行ってしまってた。 それを思い出せたのは、皮肉にも、前世の記憶と意識が混じって、今までの自分を客観的に観る自分が出来たからだった。

 

 頸城縁だけだったら、死ぬのが恐くて助けない。

 野々原縁だけだったら、助けられるかもしれないが、死ぬかもしれない。

 その両方が混ざった今の俺だから、かつて野々原縁が懐いていた想いを持って、恐くても動く事が出来るんだ。

 

「だから……俺は、俺がそうしたいから、俺がそういう人間だって、分かったからそうしてるんだ。 綾瀬が言ったように、柏木の事が好きだからとか、そんなつもりで動いてるワケじゃないんだ」

「…………ほんとう?」

「うん、本当」

「うそじゃない?」

「嘘つける筈がない」

「……縁っ」

 

 自分では理解出来なかった俺の行動原理が、自分自身だと言われた綾瀬は、形容し難い声色で俺の名前を呟くと、処置を終えた俺の手をジッと見つめて、何かを考えるように黙り込んだ。

 ひょっとして、怒っているのだろうか? もしくは納得出来ないのだろうか? 数十秒程沈黙した後に、ようやく綾瀬が口を開いた。

 

「貴方がどうして柏木さんの為に動いてるのかは、分かった」

「そうか、分かってくれて良かった……」

「だって、貴方に初めて会った時の私を見たからなんて言われたら、それ以外何も言えないわよ……。 そうか、貴方はちゃんと、覚えててくれたんだ」

「綾瀬──」

「でも」

「ッ!」

 

 柔らかい口調が一変、急に冷たい口調になった綾瀬が、鋭い視線で俺の目を見てくる。 その豹変振りに、弛緩していた身体が強張る。

 

「でも、なんだ?」

「私、まだ一つだけ納得出来ない事があるの」

「……と、言うと?」

 

 綾瀬がまだ何に対して納得出来ていないのか、皆目見当がつか無いので、そのまま聞く事にした。 下手に勘ぐりして、ヤブヘビになるよりはマシだと思ったからだ。

 すると綾瀬は再び表情を変えて、冷たく鋭いものから、怒った……と言うよりも、拗ねたような、いじけた様な表情と声色になって一言、こう言った。

 

「……手」

「あ、はい?」

 

 手って、この手の事か? それがどうしたと言うのだろう。

 

「えーっと、手が、どうにかしたか?」

「昨日、図書室から柏木さんを連れて行く時に、貴方、柏木さんの手を握ってた」

「うぇ!? そ、そうだったっけ?」

「うん、しっかり握ってた。 連れて行くだけなら手首や腕でも十分なのに、下駄箱までずっと。 あれはどう言う事なの?」

「そ、それはだな……その、えっと」

 

 全く、これっぽっちも予想出来なかった。 まさか昨日の、柏木の手を握った事を追及されるなんて。

 確かに連れて行くだけなら何も手じゃなくても問題は無かった。 なのにも関わらず、どうしてわざわざ手を握ったのかと言えば……特に理由が思い浮かばない。 なんて答えれば良いんだ、こういう時? 

 

「……ぷっ、あははは!」

 

 俺が答えあぐねて、なんと言うべきか頭を捻らせていると、噴き出す様に綾瀬が笑いだした。

 

「わ、笑うなよ」

「ごめんなさい、だって、今の貴方、凄く困った顔してたから、面白くて」

「あ、あのなぁ……」

 

 謝ってからも、暫く笑い続ける綾瀬。 ある程度満足して、目に僅かに涙を溜めながら、綾瀬が言う。

 

「うん……、私、貴方がそうやって私の為に悩んだりする顔、好きかも」

「や、やめろよ、冗談にもならない……」

 

 いや本当、洒落にならないからやめて欲しい。 女の子らしくて素敵かもしれないが、聞き様によっては恐ろしい思考に繋がるのだから、いや本当に。

 

「じゃあ、はい」

「……ん? 今度はなんだ」

 

 綾瀬が俺に手を差し出して来た。 仲良しの握手でもしようと言うのだろうか。

 いや、待てよ、これと同じような事が、朝にもあったんじゃなかったか? そう思っている矢先に、綾瀬が微笑んで、からかう様な口調で言った。

 

「今日、家に帰るまで手を繋いで帰ってくれたら許してあげる、簡単でしょ?」

「え、ちょ、帰るまでずっとか!? 今から!?」

 

 それは、何と言うか、途轍も無く恥ずかしいぞ! 朝に渚の手を握ったが、あれは風邪をひいて精神的に弱ってたし、何より妹だから別に気にしないで済んだが、幼馴染が相手で同じように手を繋ぐなんて、そ、そんな事お前……! 

 羞恥心とその他諸々な感情が俺の頭の中でグジャグシャになって、ヒキガエルの様にピクピしていると、途端に不安そうに綾瀬が言った。

 

「……私と手を繋ぐの、そんなに嫌だ?」

「い、いや、そんな事無い! ただ、いくら幼馴染とは言え、同い年の女の子の手を握るのには、一定の勇気が必要でだな」

「私の事、ちゃんと女の子として見てくれるんだ、嬉しい」

「〜〜ッ! だから、そういう言葉を──あぁもう! 分かったよ!」

 

 これ以上聞いてるこっちが赤面するようなセリフを言われ続けたら、こっちの方が辛抱たまらない。 なので、半分は自棄で、もう半分は恥ずかしいのを誤魔化す為に、絆創膏の貼って無い方の手で綾瀬の差し出す手を握った。

 

「……ほら、これで良いか?」

「うん……、貴方の手、大きいね」

「ま、まあな」

 

 恥ずかしさを誤魔化す為に握ったものの、いざこうなるとまた別の恥ずかしさが襲って来る。

 繋いだ手から伝わる綾瀬の暖かさを感じながら、俺はこの何とも言えない空気を払拭しようと、取り敢えず思いつく事を言った。

 

「こ、こうして手を繋ぐの、いつ振りだったっけ?」

 

 確か、小学何年生かまではこうして手を繋ぐ事がよくあったと思う、でも最後からどれ位経ったのかなんて、分かる筈が──、

 

「…………七年と、三十五日振りだよ」

「え? それ、マジで?」

「うん」

「……そ、そうか。 よく覚えてたな」

 

 その数字が本当かどうか、覚えていない俺には真偽の程は分からないが、繋いだ手から、暖かさだけで無く、綾瀬の気持ち全部が伝わって来る気がして、不思議な気持ちになる。

 

「ほ、ほら、もう遅いから、早く帰ろう?」

「お、おう、そうするか」

 

 まだ互いに恥ずかしさがあったものの、最後まで繋いだ手を離さずに、俺達はこの日、帰路についた。

 

 

 翌日、柏木園子は、学園に来なかった。

 

 

 ──to be continued




いい加減柏木園子編(仮称)を終わらせたい今日この頃。約三万字進んだのに事態が思うより進展しない事に絶望しながら、また一ヶ月執筆の為にパソコンに触る事をしない日々が始まるのであった。

プロット上では、次で柏木園子編(仮称)は終わりそうです、それがそのまま最終回になるのかは、まあ、あれですよね。

しかし、ヒロインが複数いると、バランス良く出番を配分するのが大変ですね、その辺、ハーレムのごとくヒロインを複数出してる商業作家の方々はやはり凄いなぁと、しょうもない事を思ったりします。話の中心は柏木園子さんの筈なのに、明らかに柏木園子さん、出番少なかったですよね、何をしてるのやら。

話題は変わりますが、幼なじみ属性と言うのは、近年恋愛物において負けフラグになっている気がしてなんか残念です、主人公の一番近い場所にいて、いちゃコラさせやすいので、酷い言い方をすれば、舞台装置に便利だからですかね?妹系キャラも似たような気がします、でも義理じゃなくて本当の妹だとばっちりメインヒロインする場合もあるので、日本って恐い。

取り敢えず後書きはここまで、またいつ更新するか分かりませんが、きなーがにお待ちください。

では、さよならさよなら

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