【完結】ヤンデレの女の子に死ぬほど愛されて眠れない兄になって死にたくなってきた   作:食卓塩准将

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渚ルート⇒ヨスガノソラ、あかい色に染まる坂
綾瀬ルート⇒俺の妹と幼なじみが修羅場過ぎる
園子ルート⇒Schop Days (new!)



 それでは、ヤンデレ以下略始まり始まり
 今回一番長いです。


第五病・夢

 晴れやかに澄み渡った空、例年より長く続いた梅雨もようやっと収まり、季節は加速度的に夏へと向かって行く。 辺りに人気は無く、今この時においてだけは二人だけの物になった道を俺と彼女(……)とで歩く。 小さく吹く風が彼女の髪をたなびかせて、空気の流れに沿って流れていく。 時折顔の前に髪が来て視界が遮られると、『長すぎるのも困りますね』と、彼女──柏木園子が、そっと俺に向かって微笑んだ。

 その笑顔を見て、俺の心拍が一段早くなる。 これから自分が彼女に行おうとしている事を考えると、なおさら一層緊張してきてしまうのだ。 そんな俺の心境など知らずに園子はにこにこと、かつて抱いていた暗い影を一切感じさせない表情でいる。

 やがて、俺たちはとある場所に行きついた。 園子の家から少し離れたところにある、小さな公園。 俺が彼女に告白した時の場所だ。 着くと彼女はそれまであえて俺に言わなかった質問をしてきた。

 

「縁くん、今日はどうしてここに?」

「うん、まぁその、だな……」

 

 いざここへ来た目的を話そうとすると、先ほど以上に心臓が高鳴り、喉や口の中がいやに乾いてくる、ともすれば逃げ出しかねない自分の体に気合を入れて、口を動かそうとする……よし、言うぞ、言うぞ! 

 

「これ、受け取ってくれ」

 

 やや声が上擦り気味になりながら、俺はポケットに隠していた、リボンの飾りがある箱を園子に渡した。

 

「え……その、これは?」

「開けてみてくれ」

 

 突然渡されたものに困惑しながらも、俺から受け取った箱を丁寧に開ける園子。 そして箱に入ってある物が何か分かると、途端に顔を綻ばせた。

 

「わぁ……! これ、ネックレス、ですか?」

「まぁ、な。 どういったのが良いのか良く分からなかったから、四葉のクローバーの飾りを選んだんだ、完全に俺の趣味だけどさ」

 

 俺がそう言うと、園子は少しの間ネックレスをじっと見てから答えた。

 

「こんな綺麗なネックレス、人から貰うのなんて初めて。 縁くん、私嬉しいです」

「本当か! 良かった……」

 

 気に入って貰えたと分かり、思わず深い安堵の息をはいてしまう。 先ほどまで溜まっていた緊張が、肺の中の二酸化炭素や酸素などと一緒に外へ出て行った感覚がする。

 

「でも、どうして急に? 今日は別に祝日では無い筈ですが」

「いいや、ちゃんとした祝日だろ?」

「え? そ、そうでしたっけ? えぇっと、憲法記念日はとっくに終わってますし、だったら──」

 

 何の祝日だったかを思い出そうとする園子。 そのあたふたとした様子を見ていると、幸せな気分になると共に少しだけ複雑な気分になってしまう、こういったのを気にするのって、男子よりむしろ女子のような気がしたんだが、俺一人の偏見だったんだろうか? 

 あれこれ考えて悩んでいる姿を見るのは楽しいが、彼女に対してこれ以上サディスティックなままでいるのも問題があるだろう、仕方ないのでヒントを出してあげる事にした。

 

「じゃあヒント、この場所」

「この場所ですか? ──あっ」

 

 俺がヒントを出すと、それまで答えを考えあぐねていた園子の顔がパッと輝いた。 どうやらすぐ答えに辿り着けたらしい、良かった、こんな最高に分かりやすいヒントを出してもまだ分からないでいられていたら、さすがに俺もへこんでしまうところだ。

 

「縁くん、もしかして……」

「その通り、今日は、俺がここで園子に告白して付き合い始めて、ちょうど一年だ。 だからそのネックレスは、それを祝してのプレゼントだったんだけど……すぐに分かると思ってたんだがなぁ」

「あはは、ごめんなさい。 でも、まさか縁くんが覚えていてくれてるなんて思ってなかったから、失念してました」

「それ、地味に酷くないか?」

「そうですね、ふふっ」

 

 二人で笑いあう、こんな風に小さいけれど大切なモノを、二人で一緒に共有していける事が、今の俺には──そしてきっと、彼女にとっても、最高の幸せだった。

 ひとしきり笑いあった後。俺は園子に手を差し伸べて、一番言いたかったことを言った。

 

「園子、俺なんかの彼女になってくれて有難う。 これからも、出来れば、ず、ずっと一緒に、俺と一緒にいてくれるか」

 

 自分でもどうかと思うくらいの歯の浮くような言葉、羞恥心や断られたらどうしようという不安や、言い切った事の達成感やらが心の中に納まらず全身をない交ぜにして暴れまわっていく。

 園子は、俺の言葉を聞いて、次いで俺の顔と差し出された手のひらとを交互に見てから、ゆっくりと瞳を涙で揺らしながら応える。

 

「はい……はい! 私も、縁くんの恋人になれて、本当に嬉しいです! 一人だった私を、孤独から出してくれた、暖かさを教えてくれた、幸せを、くれた……。 縁くんは、私の、大切な──世界で一番大切な人です」

 

 園子の偽りのない言葉に、胸が熱くなる。 彼女と今の関係になるまでの過程は決して楽な物では無かったけれども、それら全てがこの幸せのためにあったのだと理解する。 きっとこの先に待ち構えてあるどんな厳しい試練や苦痛も、この恋人と一緒なら、必ず乗り越えて行けると、強く確信した。

 そうして俺が万感の思いに耽っていたら、園子が予想外な行動を起こした。 差し出されていた俺の手をそっと握り、次の瞬間にその手を俺ごと引っ張って、なんと抱き着いてきたのだ、普段からの園子では想像だにしない積極的な行動に、それまで考えていた事が全て吹き飛んでいく。

 

「そ……園子?」

 

 俺がそっと胸元の園子に声をかけると、園子は赤かった顔をさらに赤くして、さらに俺の腰に腕をまわした後、上目づかいになりながら、震えながら、しかしその中に込められた思いの強さがしっかりと伝わる声で、そっと言った。

 

「大好きです……縁くん。 貴方を、愛しています」

「園子……」

 

 もう言葉は必要では無かった。 言葉以上のモノで、園子は俺の想いに答えてくれたのだから、あとはただ、園子と同じように俺も言葉ではなく行動で園子に自分の気持ちを伝えるだけでいい。 園子と同じように、園子の腰に腕をまわして、しっかりと力強く抱きしめ返した。

 どのくらい経ったのだろうか、一秒が永遠に続いているような感覚、手垢のついた使い古された表現ではあるが、まさにそれとしか言い表せないほどの時間の後、ふと、園子が俺に言った。

 

「縁くん……実は私も、縁くんに見せたいモノがあるんです」

「え? そうなのか?」

「後ろを、見てください」

「後ろ?」

 

 後ろにあるのは、公園の出入り口だけで、入る時には何にも無かった。 それにさっきからずっと園子は俺の正面にいたから、俺の後ろで何か用意する事なんて出来るはずがないのだが。 言葉の真意は分からないが、取りあえず言われた通り後ろを見てみる事にした、抱きしめ合ったままでは振り返る事が出来ないので、名残惜しいながらも俺が腕を離すと、園子も倣って俺から腕を離す、そうして、振り返って背後を視界に収める。 そこには──そこ、には……、

 

「──は?」

 

 俺は一瞬、目に映るソレが何なのか、理解が出来なかった。 いや、無意識に、瞬間的に、ソレが()なのか理解する機能を、体と心の両方で遮断させたのだ。 そのまま目を逸らして、何か他の物に視界を移せば忘れられたのだろう、今さっき見た者をすぐに忘れ、見なかった事にして永遠に忘却出来たのだろう、しかしもう無理だ、この目は、この体は、完全に目の前にあるソレに固定されてしまっていた。 さながら、ピンセットで飾られた虫の標本のように、そこから指一つ動かす事さえ不可能になっていた。

 よく見慣れた制服、大きくて可愛らしい色彩のヘアリボン、そして、錆び付いた鉄の臭いと言いようも無いほどの異臭の中で、ほんの僅かに香る、懐かしく、良く知った匂い。

 ──そう、俺の目の前にあるのは、腹部を何かで大きく抉られ中の物(臓器)が無残にも撒き散らされて、もはや完全に生気の失った、土気色した河本綾瀬だった──、

 

「──ッ! 綾瀬ぇ!!」

「待って下さい、待って」

 

 突如目の前に現れた幼馴染の惨たらしい姿、目の前が真っ白になるよりも早く、俺の身体が動き出していた。 しかし俺の足が地を離れるよりも僅かに早く園子が俺の右腕を掴んで動きを止める。  焦る気持ちを必死に抑えながら、そもそもこれを見てくれと言い出したのは誰であったかを思い出すが、それが示唆する可能性を否定し、何をどうするべきか、ともすれば簡単に決壊してしまいそうな思考、それを止めたのは、他ならぬ園子の口から出た、信じられない言葉だった。

 

「どうして、彼女のところに行こうとするんですか」

「どうしてって、だって綾瀬が、綾瀬が……!!」

「幼馴染だからですか? 幼馴染は恋人より優先しなくちゃいけない人なんですか?」

「そういう話じゃないだろ、このままじゃ綾瀬が──」

「もう死んでます、今さらどうしたって遅いです」

「遅いって……急にどうしたんだ、何言ってんだよ園子!」

「どうにかなっているのは縁くんの方です。 そんなに取り乱されたら、せっかく頑張って縁くんに見て貰ったのに、勿体ないです」

「はぁ? もったいないって、何の事だよ、それじゃまるで……」

 

 吐き気が沸いてくる、今も鼻孔を刺す異臭にでは無く、それを前にしても何一つ動揺せず、平静を貫いている園子に。 そんな自分に自己嫌悪する心の余裕さえ、今の自分には残されていない。 いつの間にか両足は地面と一体化したかのように全く動かず、綾瀬の元に駆け寄る事も腕を振り払う事も出来ない、園子の言葉を聞きながらもはや疑いようのない一つの事実を、必死に否定し続ける事しか今の俺に出来る事は残されていなかった。 はたと、今自分を支配しているのが『恐怖』である事を自覚する、他の誰でもない、数十秒前まで幸福の対象だった人間に、俺は純然な恐怖を抱いているのだ。

 

「河本さん、私と縁くんが付き合っている事知っていていつも縁くんの傍にいました。 私が貴方と河本さんが話している所を寂しく思っている事を知ってて、わざと一緒にいたんです」

 

 それは俺も察していた。 ただ、幼馴染で気心が知れているので邪険に扱うなんて事は出来なかったし、その分二人だけの時間を作って、寂しい思いをさせたりしないようにやって来たつもりだった。 それが全く意味を成さなかったという事なのだろうか、園子の独白は続く。

 

「だから、そんな意地悪しないで、私と縁くんとの関係を認めてくださいって、家に来て貰って私言ったんです。 なのに、あんたなんて認めないって言ったから……泥棒猫とまで言ったんですよ? センスが古いどころじゃないです。 ──だから、認められなくても、問題ないようにしました」

 

 園子の口から発せられたその言葉は、死刑判決のように俺の心の中に残っていた最後の希望を砕いた。 もはや否定しようがない、他の誰でもない園子自身の口から出たのだ、つまり今俺たちの前に横たわっている綾瀬だった肉の塊を生み出したのは……、

 

「だって仕方ないじゃないですか、一応、その後も話し合いで解決しようとはしたんですよ? 縁くんの大切な幼馴染なんですから。 でも河本さん、金槌なんて出してきたんです、それでもう駄目なんだって分かったんです、そしたら許せなくなって、彼女には友達も居場所も沢山あるのに──私には縁くんしかいないのに、そのたった一つだけの掛け替えのない物を、河本さんは私から奪おうとしたんですから」

 

 無理だ、園子の言葉を最後まで聞いてあげないといけないと理解しているはずなのに、もはや園子の想いも綾瀬の死体も放って、身体はコンマ一秒でも早くこの場から逃げ出したいと訴えて止まない。

 

「これが社会に受け入れられない事だとは分かっています、でも──」

 

「縁くんは、私を受け入れてくれますよね」

 

 俺の腕から離れて、両手が俺の両頬へとのびる、見惚れるような慈愛に満ちた表情の園子の手は、いつの間にか錆び臭く真っ赤に血塗られていた。

 今の園子には、野々原縁しか見えていない、なんて事だ、彼女の為にと思ってしてきた事が、逆に彼女の世界を縮めてしまったのだ、社会的立場も倫理観も今の彼女には意味を為さない、彼女はただ、俺に受け入れてもらい、肯定してもらい、愛してもらえれば良い、()()()()しかない。 それは純粋な原始の愛であり、同時に全てを壊す魔性の愛だ、そう、まさに病的な恋──ヤンデレそのもの。

 園子の指が頬に届こうとした時、それまで俺の足の自由を奪っていた地面の重圧が、まるで氷が溶けたかのように無くなった。

 

「──っく、うわぁ!!」

 

 それまで身体に溜まっていた力が反射的に園子から離れようと動き出すが、急に足の自由を取り戻したからか、一度地から離れた足がうまく地面を踏み込めず、無様に背中から転んでしまった。 背中の痛みを我慢しながら、なお地を這いずりながらも園子から距離を取ろうとする身体、もはや主観がどこにあるのか、自分の身体を動かしているのは本当に自分の意思なのか、何もかもが分からなくなってきた。

 その中でただひとつハッキリしているのは、頬を撫でる筈だった手が宙をかき、否定された事を理解した、悲しげな園子の表情だけだった。

 

「そう──ですか。 残念、です。 でも良いです、たとえ貴方が今の私を受け入れてくれなくても、私は」

 

 そう言いながら近づいてくる園子、その手には、綾瀬を掘った時の血が今もポタポタと滴る、園芸用のスコップが握られていた。 瞬く間に俺と園子の距離は詰められ、地に倒れたままの俺の上に、園子が立ち尽くす。

 

「……ぁ、ああ……」

 

 命乞いをしようとも、喉が尋常ではない程にまで乾ききっており、出るのはちっぽけな枯れ木のような声。 スコップを振り上げる様を目にし、自分に迫る死に対する確信が、これ以上足掻く事を諦めさせる。

 

「どんなカタチでも、私を想い続けてくれるなら、私は十分幸せです、だから──私にも、貴方を永遠に愛させてください」

 

 その言葉を最後に、勢いよく振り落されるスコップ、その様を見ながら、俺はただこれから自分を襲う死の激痛に恐怖し、出ない声で絶叫するばかりだった。

 

 ……

 

「お兄ちゃん、お兄ちゃん、大丈夫!?」

「──ッッハ!!」

 

 肩を大きく揺すられ、聞き馴染んだ声が耳朶に響き、意識がハッキリする。 背中を包むのは砂と血にまみれた硬い地面ではなく柔らかいベッドの感触、視界に映るのは柏木園子と真っ赤なスコップではなく見慣れた自分の部屋の天井と、心配そうに自分を見つめる妹の渚の顔だった。

 

「ぁ──ああ、ゆめ……今の、夢か、よ……畜生、マジでビビったぞ糞……」

「大丈夫? すごい汗だよ、はいハンカチ」

 

 もう制服に着替えていた渚がポケットから花柄のハンカチを取り出して俺に渡してくれた、その心遣いに素直に感謝しながら、そのハンカチを受け取る。 ベッドから半身を起して、額の汗を拭う、背中にもビッシリと汗が出ており、心臓は気が狂ったかのように鼓動を打っている、肺もそれに倣って激しい呼吸を繰り返し、まるで持久走を始まりから終わりまでずっと全速力で走ったような、ありえない規模の疲労感を覚える。

 それだけじゃない、目を開いても閉じていても、脳裏に映るのは先程までの夢の光景。 綾瀬の血の匂い、柏木園子の指の温度、硬い地面の感触、そして──スコップが俺の腹部を貫いた瞬間の身を引き裂かれる痛み、それら全てが一緒くたに、鮮明に思い出される。 ──あぁ、駄目だいけない、思い出すな思い出すな思い出すな、アレは全部夢だ、夢だ、夢なんだ、だからさっさと意識を現実に戻せ、野々原縁! 妹の前で朝っぱらから吐き気を催してんじゃねえよ馬鹿野郎が!! 

 

「お兄ちゃん、顔色すごく悪いよ、今日は学校休む?」

 

 渚が俺の手を取る、夢の中で感じた指の温度より低い渚の手の感触が、恐慌状態に陥りかけた俺の精神を清涼剤のようにゆっくりと正常にしていく。 呼吸も心拍もまだマトモとは言えないが、なんとか落ち着きを取り戻す事は出来た。

 

「いや……大丈夫だ、ありがとう、渚のおかげで少し楽になった」

「そんな、とても平気だなんて思えないよ」

「本当に大丈夫だから、怖い夢みて、いい歳して震えてるだけだから」

「でも──」

「いいから、な? 着替えて下に降りるから、渚は朝ごはんの用意しといてくれ。 あ、ハンカチは今日借りるな、俺の汗で汚れちゃったから」

「そんな、別にハンカチは良いけど……分かった、ゆっくりでいいから、ちゃんと落ち着いてから降りてきてね?」

 

 終始心配しながら、渚は一階に下りて行った。 その姿が部屋からなくなり、階段を降り切った音を聞いてから、俺は深いため息をついた。

 

「はあ……、はぁあぁ……恐かった」

 

 多少落ち着いたとはいえ、夢の内容は今もなお鮮明に覚えている、いや、あれは本当に夢だったのか? あんなに鮮明な、まるで記憶のようなのが夢で済むのか? 

 思い出すのは、俺が前世の記憶を思い出す切っ掛けになったあの夢──頸城縁の死の光景だ、あの時も冷たい雨や土臭い地面の感覚や自身の身体中の痛みは鮮明に感じられ、そしてそれは夢ではなかった、厳密に言えば夢だが、あの痛みや光景は、過去に現実で起きた事だった。

 ならば、あの夢もまた、それと同じような物なのではないのだろうか? 過去ではなく未来の光景を映した──柏木園子と自分が恋人になった仮の未来の事実を、自分は体験したのではないのか……いや、それは考え過ぎか。 幾らなんでも展開が唐突過ぎた、突如出て来る綾瀬の死体──吐き気が戻ってきたのを我慢する──、血塗れのスコップ、どれも夢じゃなければ瞬間的に出て来る事はない、だからあれは、ただ自分の脳が作り出した、ただの(……)夢に違いない。 そうでなくちゃ困る。

 

「それにしたって、なんて夢を見てんだよ俺は……」

 

 あろう事か、あの柏木園子と自分が恋人同士になっている夢だなんて、見た後に言うのも変な話かもしれないが信じられない。 何かの間違いであって欲しい、このままだと自己嫌悪になりそうだ、いやもうなっている。

 いずれにせよ、気持ちを切り替えないと。 鬱屈とした顔でいるといつまでも渚を心配させ続けてしまう、無理矢理でも、せめて表情だけでも平静を保てるようにしよう。

 

「……着替えるか」

 

 重い足に力を込めてベッドから起き上がり、ハンガーに掛けてある制服に手を伸ばした。

 

 ……

 

「ねぇ、お兄ちゃん」

「ん? なんだ?」

 

 朝食を終えて、いつものように二人で行き慣れた通学路を歩く。 なんとか食事中はいつもの表情を作る事が出来たと思う、渚も気を遣ってくれたのか追及してくる事は無かった。 その渚が、夢からある程度時間が経ったこのタイミングで俺に聞いてくる事と言えば、もう決まっているだろう。

 

「本当はまだ聞かない方が良いかもしれないけど、聞いちゃうね? 夢って、どんな夢見たの?」

「うん……やっぱそれ聞いてくるか」

 

 やっぱり、朝は聞いてこなくても、流石にずっと聞かないままでいるのは無理だったのだろう、俺だって朝に渚が苦しそうな顔で怖い夢を見ていたと言われたら何も聞かないでいるのは無理だろうし、仕方ないとは思うがさて、どう言ったらいい物か……って、食事中何してたんだ俺は。

 こうして渚からの言及が来る事はあらかじめ分かっていた筈なのに、なんでそれらしい返答の一つも用意しなかったんだ、いざ言われてから答えを考えるなんてマヌケにも程がある、質問に即答できない事を『答えられないやましい事』だと思い違えて、それが病む事に繋がる可能性がある事くらい、とっくに分かりきっていた筈だろうが。 ……今さらそれを悔やんでも意味ないか、答えを用意しない時に不意打ちで質問くらった事自体は今までにもあった、それと同じ要領で答えればいい筈だ。

 とは言っても、渚の知らない女子と恋人同士になっていて、プレゼント渡して抱き合った後、何故か殺されていた綾瀬と同じように殺されてしまっただなんて悪夢、そのまま素直に言っていいとは思えないし、だからと言って部分だけ話すといってもどこを言えばいいのだろう、どこを話しても渚にろくな印象を与えない、こうなったら──

 

「今日の昼食がまずくなるだけだ、知らない方がいい」

「……お兄ちゃん、そんなに私に言えない夢をみたんだ」

 

 これでもかという程の逆効果だった。 と言うよりも、今の俺のセリフはなんだ? 

『昼食がまずくなる、知らない方が良い』だなんて何か隠しているのバレッバレで臭いセリフを、よく言えたものだ数秒前の俺は、気でもふれたのか? こうなってしまったら何も言わないままで終わらせるのは無理だ、多少危険はあっても、きちんと話す事にしよう。

 

「付き合って一年になる彼女にプレゼントした後、綾瀬の死体を見せられて、そのまま俺も殺された、そんな夢を見たんだよ」

「……」

 

 沈黙する渚。 『彼女』とか『綾瀬』だとか、スルー出来ない単語が混じっていたのにも関わらず、思っていたよりはるかに渚の反応が薄い。俺が何か言った後に黙り込む事は今までにも何度かあった、だが気のせいだろうか、今の渚の目には、先ほどまでの心配の色よりも諦観の色が込められているように見える。

 

「……どうした、嘘は言ってないぞ?」

「あ、ううん。 疑っているわけじゃないの、ただ──」

 

 そこで一度言葉を区切り、言い出しにくそうに俺の顔を見てから言った。

 

「それだけなのかなって」

「それだけって、何がだ?」

「お兄ちゃん、変わったから」

「……え?」

 

 何気なく発せられたその言葉に、俺は思わず言葉を失ってしまった。 渚の言葉の真意が掴めないからだ、渚の言葉は続く。

 

「態度とか言葉とか、()と同じに見えていても、やっぱり違うから、お兄ちゃんが私に言う事は信じるけど、本当に言ってる事だけが全部なのかなって、ちょっと思っちゃった、ごめんね」

「…………いや、謝らなくていいよ」

 

『以前と変わった』、その言葉はこれまでにも渚や綾瀬、悠にも言われた事はあった。 でもここまで正面から、これまでの──前世の記憶を思い出す前までの野々原縁との乖離を告げられたのは初めてだった。

 以前から言っていた通り、人間の人格は環境や人間関係の他にも、自身の持つ記憶や経験が大きく影響を与えるものであるから、前世の頸城縁という全く違う経験と記憶を思い出した俺が、思い出す前と後で差異があるのはある種当然だと言えた。 しかし、だからと言って思い出す前までの俺の全てがなくなってしまうわけが無く、俺もまたたとえ頸城縁の人格が混ざっても、野々原縁としての根本的なところは変わらないでいるつもりだったし、綾瀬や悠にしたって『なんか変わった?』程度の意味でしか俺の変化についての言及は無かった。

 しかし、今の渚の言葉はそれら二人と違い、明確に思い出す前までの野々原縁と思い出した後の野々原縁には違いがあると言った、俺が保たれたままだと信じていた根本的なところまで変わったと、渚は言葉の先にそう告げていたのだ。

 唯一、俺が前世の記憶を思い出した事を知っている人間だからそう思ったのだろうか、それとも妹として誰よりも近い位置で日々、野々原縁を見てきたから? 

 そしてそれは単なる今の俺に対する、率直な感想なのか、それとも何かしらの意味が込められた不平や不満なのか、渚の言葉の真意が俺には分からなかった。

 それ以降、渚は話を逸らすかのように別の話題を持ち出し、校舎につくまでこの話を続けることをさせなかった。 俺もまた、渚の真意について言及する気になれず、校舎についたあとは、お互い心に澱を残したような心持ちでそれぞれの教室に分かれたのだった。

 

 ……

 

 教室に入り、自分の席に着く。 渚の言葉は未だに俺の脳裏で延々と壊れた再生機のようにループし続けている。 そこに、クラスの女友達との会話を終えた綾瀬が、俺の席にやって来た。 夢の中に現れた凄惨な綾瀬の死体を今日何度目かで思い出し、言いようも無いほどの気持ち悪さが再度こみあがってきたがなんとか表情に出ないように抑える。

 

「おはよーう、縁」

「ぁ、綾瀬……おはよう、体の調子はどうだ? どこか痛いところとか、無いか?」

「え? どうしたの急に? 怪我はないし、至って健康だけど……」

「そっか……うん、よかった」

「?? 変な縁。 昨日だって一緒に図書室まで重い荷物運んだでしょ? 私が体調悪かったらあんな事出来ないじゃない」

 

 朗らかに、自分の健常さを自慢するかのように小さく胸を張る綾瀬、朝までの暗い雰囲気とは全く縁の無い、陽だまりのような声と笑顔が、渚の言葉で影が差しかかっていた俺の心の重さを軽くしてくれた。

 ──だからであろうか、次の瞬間、俺はあとの自分では信じられない程あっさりと、まるでその日の天候を口にするかのように軽く、口を動かしていた。

 

「そう、だよな。 そうだった、お前はそんな()()()じゃ無──ッッ!!」

「あははは、朝から変なの。 でも理由はよく分からないけど心配してくれたんだ、ありがとう」

「…………」

「あれ、今度はどうしたの縁、なんでまた黙っちゃうの? 私、知らない間に変なこと言っちゃった!?」

 

 小さく慌てふためく綾瀬、俺は直前の自分の言った言葉に愕然としながら、何とか綾瀬の誤解を訂正しようと、先程までとは打って変わって鈍重になった口に力を込めながら言った。

 

「いや……()()は何も言ってない、だから気にする必要無いよ」

「そうなの? 本当に? なにか悩み事があるなら、私や綾小路君に言った方が良いよ?」

「いや、原因は分かってるんだ、あとは自分の中で整理をつけるだけだから」

「……ひょっとして、今朝渚ちゃんと何かあったの?」

「…………いや、自分の事だよ。 悪いけどさ、一人にさせてくれ」

「……うん、分かった」

 

 納得しないながらも、綾瀬はそれ以上無理に言及しないで自分の席に戻ってくれた。 俺が何か隠している事は丸分かりだったろうし、聞きたい事だってあっただろうが、それを抑えてくれた事に感謝する一方で、俺は自分への嫌悪から叫びだしたくなるのを堪える。

 俺はさっき、綾瀬に『お前はそんなキャラクターじゃない』と言おうとしていた、綾瀬の事を人間では無く、一つのキャラクターとして見て言葉を発していた、そんな事今までの俺が──野々原縁が──した事が無く、そして絶対にしてはならない事だと誓っていた事の筈だったのに、自分は一瞬とは言え綾瀬をそんな目で見てしまったんだ。

 いったいどうなってしまったんだ俺は、渚に言われるまでも無い、今日の俺は全くいつもの野々原縁では無い、周りの人達への見方も、自分の心の在り方も、何もかもが自分の物だと分かっていながら、同時に別人のような──!! 

 

「……あ」

 

 気付いた、そうだ、初めて前世の記憶を思い出した時と似た事が起きているんだ。 あの時の俺は初め元々あった野々原縁の意識と記憶に、例えるなら森と湖だけが描かれていた風景画に新しく人間を描き足すように、頸城縁の意識と記憶が混じったせいで渚の事や自分の状況が分からなくなっていた。 そのあと、ゆっくりと自分に起きた出来事を認識する事で、野々原縁という人格に、頸城縁という『同一人物でありながら別人』の人格が溶けていった、記憶や価値観を共有して多少の変化は生じても、この体を支配しているのは野々原縁のままであった。

 しかし今の俺は、安定していた人格の『バランス』が狂っているんだろう。 自分を支配している意識の中で、野々原縁よりも頸城縁の方が強く出ているという事だ。

 もちろんそれだけで綾瀬を人間視しなかった事を正当化するつもりは無いけど、少なくとも渚に上手く言葉を返せなかった事や、人が変わったと言われた事は納得出来るようになった、半分はその通りなのだから。

 

「……でも、なんでこんな事になった?」

 

 昨日までこんな事態になる予兆さえ無かったというのに……。

 とにかく、一度自分の身に起きた異常が分かれば、あとはなるべく違和感がでないように振る舞えば……それでも綾瀬や悠は違和感を覚えるだろうけど、日常生活を送る上では問題は無い、この件については渚ぐらいにしか相談できないのだし、学校にいる間はこうなった原因を自分だけで突き止めなくちゃいけない、ったく、ただでさえ夢の衝撃が晴れないまんまなのに、更に面倒な事態が起きやがって、クソ面倒クセぇ。

 

 盛大な溜息を吐くのと同時に教師がチャイムと共に教室に入ってきて、今日も学校生活が本格的に始まった。

 

 ……

 

 三時限目の数学が終わり、トイレに行った後。 教室まで続く廊下の短い距離を歩いている途中、予期せもしない遭遇をしてしまった。

 

「あ……野々原、さん」

「か、柏木……さん、どう、も」

 

 そう、よりにもよって今日朝から俺の精神をガリガリ削る原因となった夢に出てきた柏木園子その人だ。

 こんな事失礼なのは承知の上だが、本人を目の前にするとより鮮明に、夢の内容が思い出されてしまう。

 

「──っう!」

 

 本日何度目かの嘔吐感。 当然こんな廊下の真ん中で嘔吐するわけにもいかず、柏木園子から視線を移して数秒堪えた後に、口元に手を置いて、食道をせり上がってこようとする感覚を喉元までで抑える。 吐き出すような無様は晒さないで済んだが、柏木園子にはハッキリと見られてしまっている。

 

「あ、あの……どうかしましたか? お顔の色が優れないです、大丈夫ですか?」

 

 状況的に、自分の何かが原因で俺の体調が悪くなったのでは無いかと心配する柏木園子。 確かに半分はその通りだと言えるが、どこまで行っても夢は夢であり、本物の柏木園子は俺に何もしていないのだから、これ以上気分の悪いのを見せてはいけない。 夢の事を頭から追い出して、柏木園子に『何でも無い』と伝えようとした──その時。

 柏木園子が、素手で両腕にたくさんの欠片──割れた花瓶を抱えている事に気付いた。

 

「あんた……それ、どうしたんだ」

「あ……これですか?」

 

 柏木園子は、見られてはいけない物を見られてしまったかのような痛々しい表情になったあと、途切れ途切れに言った。

 

「これは、その……先ほど、私がぼうっとしてたので……間違って、落としてしまったんです。 その、処理を」

「落として? ……そんな叩き割った時みたいに割れてるのが?」

「は……はい、勢いよく落としてしまったん、です」

「勢い良くって……」

 

 嘘だと、すぐに分かった。 表情や声に動揺がありありと映し出されていたからだ。 小学生でも嘘だと分かるほどだ。 なによりも、割れた花瓶を素手で処理しようだなんて危ない事、普通だったらする筈が無い。 だったらなぜ、今こうして柏木はそんな事をしているのか。

 思い浮かぶのは、昨日見た、図書室の場面。 三人の女子生徒の前で床に落ちた本を拾う柏木園子の姿。 あの後、綾瀬は何も言わ無かったが、あれは間違いなくいじめの光景だった。 そして、俺が知っているCDの柏木園子というキャラクターもまた、いじめを受けていた。

 であるならば、柏木が今抱えているその破片も、きっとあの時図書室にいた女子たちがわざと割って、それを柏木のせいに仕立て上げ、片づけを強要したのだろう、驚くほど自然に、そして鮮明に、その光景が頭に浮かんだ。

 

 ──いや、驚く? 今更何を言っているのだろうか自分は。 今の自分(野々原縁)昔の自分(頸城縁)も、それは既に十分見て、経験してきた事の筈じゃないか。

 そうだ、今頭の中に浮かんだ光景は決してただの想像では無い、あれは野々原縁がまだ小学生の頃、そして頸城縁が──あの日、何もかも手遅れになって、学校の倉庫の前で一人死んでいく、その直前まで見てきた、慣れ親しんでいた光景のトレースだったのだから。

 

 ──潰れたゴキブリの死骸を見下すようなクラスメイトの視線、

 ──厄介事から極力避けようとする教師たちの態度、

 ──そして、日を追うごとに容赦なく、心身を傷つけてくる下卑た笑顔と耳障りな嘲笑、

 

 おそらく今柏木園子が学校生活の中で感じているであろうそれらはみな、俺も知っているだろう事だ。

 

「……それじゃあ、私、もうゴミ箱に行きますね。 次は移動教室ですから急がないと教室が施錠されてしまいますから」

「あ──待て、俺もてつ……」

「……はい? なんですか?」

「……いや、なんでも無い」

 

 言いかけた言葉を寸前で押し留める。 柏木はそのまま階段に向かい、一階にある割れたガラスや陶器などを捨てる為のゴミ箱へ行った。

 

「『俺も手伝う』……だって? 同じいじめられっ子で、共感でも湧いたのかよ頸城」

 

 去ろうとした柏木園子に咄嗟に言おうとした言葉、直前まで夢の光景を思い出して本人を前にして嘔吐感を催していた奴が、よくそんな偽善に満ちた事を言おうとしたものだ、ふざけるな。

 だいたい、彼女を助けて何をしたいというんだ? 下手に関わりを持とうとしたら夢で見た光景が本物になってしまう事だッてあり得るんだぞ? 俺だけじゃなく綾瀬まで殺されるような事になるかもしれないってのに、構わないとでも言うのか? たとえそうじゃなくても、『自分以外の女性と仲良くしている』というだけで、渚──最悪の場合綾瀬も──が行動を起こす可能性だってあるんだ、それを一番分かっていなくちゃならないのは、他ならぬ自分自身の筈だろう!? 

 

「……ああ、分かってるよ、そんな事。 そんな事わざわざ確認するまでも無い。 だから言いかけたけど言わなかったんだ」

 

 その通りだ、こんな念入りに言い聞かせなくても、とっくに分かり切っている事なんだ。

 ──あぁ、でも、一体どうしてだろうか。 正しいと分かっている筈なのに、妹の渚や幼馴染の綾瀬と違い、単なる同級生でしかない柏木園子とは、関わりを持とうとさえしなければ、少なくとも死亡フラグの一つは完全に消え去ると分かっているのに──、

 

「……なんで、こんなに胸糞悪い気分になるんだよ──っ!」

 

 

 ……

 

 四時限目終了のチャイムと共に、大勢の生徒が待ちわびる、お昼休みになった。 いつものように食堂へ向かう者、購買に向かう者、屋外のベンチや屋上で食べようとする者とクラスメイト達がバラバラに分かれていく。 その中で、いつものように悠が俺の席に来た。

 

「さて、今日も楽しい昼食としよう。 縁」

「ん……そうだな」

 

 朝から続く陰鬱な物とは全く関係を持たない親友の声を聴くだけで、幾分か気分も落ち着く。 こんな事を声出して言うと、またクラスの腐女子が騒ぎそうなので絶対に言わないが。

 

「なぁ、縁。 唐突だが一つ聞いても良いかい?」

「いいけど、なんだ?」

「君は、もしかして──」

『野々原ー、河本ー、呼ばれてる』

「──え?」

「ん? 俺が?」

 

 まるで図ったかのようなタイミングで、出入り口の近くにいた女子生徒が俺と綾瀬を呼んできた。 一体どうしたというのだろう、俺だけならまだ思いつく事はあるが、そこに綾瀬の名前が伴うと分からなくなる、何か俺と綾瀬共通の問題でもあっただろうか? 悠も珍しい呼び出しに小さいながらも驚いている、綾瀬の方を見たら、やはり悠と同じ表情だった。 俺と同じように綾瀬や悠にも思い当たる節が無いのだろう。

 

「縁と河本さんが……? なんだろう?」

「さぁな、取り敢えず行ってみるよ。 ごめんな、話の途中で」

「いや、構わないよ。 はやく行って上げた方が良い、どんな話かは分からないけど待たせちゃだめだからね」

「悪い、なるべく早く戻って来るよ」

 

 そう言って、もう廊下に出て俺が来るのを待っていた綾瀬の元に向かった。

 

「そう──、益体の無い、有り得るはずのない馬鹿話、だからね」

 

 呼び出してきた女子生徒が言うには、相手はこのフロアの一番端にある空き教室で待っているらしい、教師の名前を出さない所をみると、どうやら呼び出しの相手は俺達と同じ生徒のようだが、何故わざわざ俺達を空き教室なんかに呼ぶのだろうか? 仕方がないので綾瀬と一緒に空き教室に向かう事にした。

 

「何か心当たりは……無いよな?」

「うん。 貴方も?」

「無いね、でも空き教室に来いって言うくらいだ、あんまり周りの生徒に聞かれたくない話題かもな」

「聞かれたくない……あ、もしかしたら」

「ん? どうした綾瀬──って、着いたか」

 

 端にあるとは言っても、普通に歩いても一分もしない位置だ、綾瀬と一言二言会話している内に着いてしまった。

 空き教室の扉は締まっており、中に人のいる気配などを感じる事は出来ないが、きっと俺と綾瀬を呼び出した人物が中で待っているのだろう。 一応ノックしてみると、『入りなさいよ』という女子の声が聞こえた……ん? 今の声、最近聞いた気がしたのだが、気のせいだろうか? 

 

「取り敢えず、入ってみるか」

「そうね……嫌な予感しかしないけど」

 

 空き教室の扉を開いて、中に入る。 中で待っていたのは──! 

 

「お前……」

「縁、この人、昨日図書室で見た……」

「はい、どうも。 あたしの事、名前わかんなくても顔は分かるよね? なんせ昨日図書室であったんだからさ」

 

 空き教室の机の上に行儀悪く座っていたのは、昨日図書室で柏木をいじめていた女子の一人だった。 三時限目の休憩時間に見た柏木の姿が思い出されて、自然、身体に緊張が走る。

 その緊張が相手に伝わったのか、どこか余裕をに満ちた表情で女子生徒が話し始めた。

 

「そう身構えなくていいよ、あたしはただ忠告しといてあげるってだけだから」

「忠告……?」

 

 困惑した声で綾瀬が答える、女子生徒は『そう!』と答えてから俺を指さして言った。

 

「あんたら、昨日あたし達が園子にしてた事、見てたでしょ?」

「っ、気付いていたの?」

「まぁねぇ、っていうか、気付いたからまだ言い足りなかったけど出てったんだし」

「それで、わざわざ人のいない空き教室まで呼び出して何を言いたいんだ、さっさと言え」

 

 女子生徒の話し方が鼻についてウザったい、さっさとここから出ていきたい気分だ。 女子生徒の方はというと、たいして悪びれもせずに、『ハイハイ』と言って話を進める。

 

「あんたらにはどう見えたか知んないけど、あれは園子が悪いから。 勝手にあたし達があいつを責めてるとか勘違いしないでね」

「勘違いって、あれは誰が見たって──」

「余計な事言うと、アンタもタダで済まないよ、河本サン?」

「──っっ!!」

 

 教師にチクったらお前もいじめの対象にする──言外にそう言う女子生徒。 言葉の意味を察した綾瀬が、思わず息を詰めた。 次いで、俺へと視線を移す

 

「アンタもよ、野々原。 休み時間にアイツとグチャグチャ話してたけど」

「……俺もいじめの対象にしようってか?」

「いじめ? 変な事言わないでよね、そんな物騒な事。 あ、でもそういえばさ……」

「……? なんだよ」

 

 いやらしい笑みを浮かべてから、一度言葉を切る女子生徒。 少し間をおいてから、こちらの神経を逆なでさせる言葉を、言った。

 

「野々原って、中等部に妹いるんだよね?」

「ッ、テメェ! まさか渚に!」

「縁、抑えて!」

 

 咄嗟に飛び掛かりそうになった俺を、綾瀬が止めてくれた。 そんな俺たちの姿を、変わらず笑顔で見ながら、言葉を続ける女子生徒。

 

「そんな怖い顔しなくていいよ、別に何もしてないんだし」

「…………」

「だけどぉ、もしどっかの誰かさんが言うこと聞かないで余計な事をしたら、あたし達どうしちゃうんだろう?」

「……糞女が」

「あ、ひっど~い。 まぁいいケド、それじゃあ二人とも? あたしの言葉、しっかり胸に刻んでおいてね」

 

 最後まで自分のペースを保ったまま、言いたい事を全部言い終えた女子生徒は、俺達を置いて空き教室から出て行った。

 

「……ックソ!! 頭に来んなあの女!!」

 

 本当なら辺りの机の一つでも蹴り飛ばしたかったが、綾瀬の目の前でそれをするワケにはいかず、せいぜい普段は口に出して言わないような雑言を吐き出すくらいしか出来なかった。

 

「縁……あの人の言うとおりにしよう?」

「え?」

「柏木さんを苛めてる事は見逃せない事だけど、それで貴方や渚ちゃんまで、苛めの対象にされるかもしれないんだよ……?」

「綾瀬、でも──」

「貴方が関係ない苛めに関わって傷つくのは嫌。 このまま何も知らなかった事にしよう? きっと、そのうち先生や他の人が柏木さんを助けてくれるはずだから……ね?」

 

 俺の服の袖を掴んで懇願するように言う綾瀬。 その言葉に、いじめを見て見ぬふりをしようと言う自身への罪悪感と、それ以上に野々原縁に傷ついて欲しくないという気持ちがこもっているのが、ありありと分かった。

 口はまだ何かを言い返そうとしていたが、普段よりもずっと強く自分を見る綾瀬の目を見て、俺はそれ以上何も言う事が出来なかった。

 

「──そう、か。 そんな事が」

 

 空き教室を出たあと、綾瀬は食堂へ行き、俺は教室に戻った。 悠は変わらず空いてる俺の前の生徒の席に座っており、やや量の減った弁当箱に箸を伸ばしていた。

 本当は、誰にも言わない方が良かったのだろう。 しかし、自分はどうすべきかが分からず、悠に先ほどあった出来事と、柏木園子がいじめられているという事を、昨日見た図書室の話も交えて、クラスにまだ少し残っていたクラスメイトに聞こえない音量を意識しながら話した。

 

「話は分かったよ、どうたら噂は本当だったんだね」

「噂?」

「うん。 以前部活回りの為の前調べをしていた時に、今の園芸部が柏木さん一人だけなのは、彼女がいじめに遭っているからって噂があったんだ」

「そう……だったのか」

「その時は僕も信じて無かったし、縁に言ってもしょうがない事だと思ったから言わなかったんだ、ごめん」

「いや、それはいいけど。 ……それで、俺はどうするべきだと思う?」

 

 俺が前世の記憶を思い出して悩んでいた時も、詳細を話さなくても悠は有用な答えを出してくれた。 それなら、きっと今回もなにか良い答えを教えてくれるかもしれない。

 俺が心の中で悠に期待していると、逡巡したあとに、悠は静かに話し始めた。

 

「……仮に、だよ」

「ああ」

「仮に、縁がその女子生徒の言う言葉に逆らうとする」

「ああ」

「そのあと、君は何をしたいんだい?」

「……何、を?」

「そう、言う事に逆らう事は出来る、問題はそこじゃないんだ。 大切なのはその後にどうするのかって事。 先生に報告するのか、いじめの現場を止めるのか、それともそれ以外の何かをするのか、どの行動を選択するのかを最初から考えていないと、たとえ逆らうと決めたとしても、結局何も変わらないままなんだ」

「行動を、選択する……」

 

 悠の言葉が胸にしみる、確かに俺は目先の答えばかりに気を取られていて、そのあとの行動を全く頭に入れて無かった。

 悠の言葉は続く。

 

「そもそも、()()は彼女をどうしたいんだい? もし初めから彼女を気に掛けるつもりが無かったら、こんな事で悩んだりはしない。 でも、だからと言って今の()()が率先して彼女の力になりたいと思っているようにも見えない、違うかな?」

「それは……」

「もし、ヨスガが今の彼女に同情しているだけで、それだけで悩んでいるのなら、干渉するのは止めるべきだ。 それは単なる偽善だ、彼女の力になるどころか、侮辱にしかならない。 それとも、もしそれ以外の、人には言えない自分だけの理由があるのなら──」

 

「──本気で悩んで、考えて、そうして選んだ選択を進んで行けばいい。 僕が言えるのは、それだけだよ、ヨスガ」

 

 ……

 

 放課後になった。

 鞄の中に荷物を詰め込む、すると、綾瀬がトコトコと来て俺に言った。

 

「ねぇ、縁、今日はこれから予定ある?」

「予定? ……うん、ないかな」

「じゃ、じゃあ、今日は私も委員会が無いから、久しぶりに、一緒に帰ろ?」

「そういえばここ数日は帰りが別だったな。 うん、一緒に帰るか」

「──うん! じゃあ行こう!」

 

 嬉しそうに笑顔を浮かばせて、頭のリボンを揺らせながら俺の腕を取って歩き出す綾瀬。 いつもより積極的なのは、単純に嬉しいからかそれとも、昼休みの事を忘れさせるためだろうか。 俺の腕を取るのが恥ずかしいからか、僅かに顔を赤らめる綾瀬を、素直に可愛いと思った。

 

 教室を出て、廊下を歩く。 階段を降りると、視界の端に図書室が映る。

 ──足が、止まった。

 

「……縁? どうしたの?」

 

 胡乱気に綾瀬が俺の名前を呼ぶ。 そして、俺が何を見ているのかに気付いて、はっと息を呑むのが分かった。

 

 ──足が、図書室の入り口に向かって歩き出す。

 

 図書室の入り口の所で足が止まり、中の様子を、耳と目で窺う。

 図書室には人気が無かったが──、奥の方から、聞き知った声が耳朶を打った。

 

「ねぇ、縁、どうしたの? もしかして──」

 

 綾瀬が心配そうにしながら小声で囁く。 きっと声のする方には、昨日と同じように、三人の女子が柏木園子を囲っていじめをしているんだろう。

 悠の言葉が頭の中で再生される、そうして、今、俺が何をしたいのか、何をすべきなのかを考えた。

 

 同情や感傷で動けば、渚がいじめの対象になるばかりでなく、柏木本人の事も侮辱する事になる。

 もし、彼女をいじめから助けられたとしても、それは俺の死亡フラグを増やすだけかもしれない。

 今朝の夢やCDのような事になれば、死ぬのは俺だけじゃなく、綾瀬にも危険が生じる。

 このまま見過ごせば、心は痛んでも危険は無くなる、その内教師が柏木を助ける事だって考えられる。

 このまま、何も知らなかった事に、見なかった事にすれば──

 

『やめなさい! もしまだこの子にひどいことするなら、先生に言いつけてやるんだから!!』

 

 その時、まるで天啓のように、野々原縁の海馬の奥底に大切に眠ってあった、傍らに立つ幼馴染との出会いの始まりの記憶を思い出した。

 今よりずっと幼く、自分より背丈の大きい同級生に、家の近くの公園の桜の樹の陰で、いじめられていた野々原縁の元に、いきなり現れて、自分を助けてくれた少女の背中と、自身も怖さで僅かに震えながらも、男子二人をはねのける強い声。

 あの時、抗う事も助けを請う事も出来なかった野々原縁を、同じ小さな子供だった彼女──河本綾瀬は助けてくれた。

 

「────っあ、そっか……そうだったんだ」

「縁……?」

 

 ──歯車が噛み合うように、俺は自身をむしばむこの感情が、何故出て来るのかその理由に気付いた。

 同情では無い、そしてきっと、純粋に柏木園子を救済したいからというわけでもないだろう。

 きっと自分が柏木園子を気に掛ける一番の理由は──、

 

 ──最後に、もう一度だけ自身に選択の余地を与える。 今から自分が行おうとしている行動、選ぼうとしている選択に、迷いは無いかと。

 答えは、明らかだった。

 

「悪いな……野々原縁。今から俺、地雷踏むわ」

 

 そう笑いながら言って、俺は図書室の中へと、足を踏み出した。

 

 

 ──to be continued




不定期更新で完全敗北な食卓塩UC。

月一投稿もままならぬわが甲斐性の無さ。 人によっては一か月だけでエタるエタる言う人がいるのであまり投稿に間を開けたくないのですが、遅筆だから仕方ないね(正当化)

全く執筆意欲が湧かない物でしたから、秒速5センチメートルみたり、耳を澄ませばみたり、今やってる変猫みて昨今の萌業界の破壊力に恐れ戦いたり、とにかくいろいろしてなんとか前回の投稿から1か月と3日で投稿できました。

それと最近、友人の薦めで数年前の作品でef見てます、友人曰く心が温まるいいアニメだと教えられたので見始めたのですが、宮村みやこがアホ毛繋がりで西園寺世界にしか見えず、『あぁ、もう自分はなんかおわってるな』と悲しくなってきました、個人的には西園寺世界よりずっと可愛かったです。

いちおうこの作品も学園ものっぽいんでその手の作品を参考に見ますが、そのたびに鬱になる不思議、ラブコメの主人公の親友ポジでその作品がハーレム系か否かが分かると思います。

主人公とあまり違いの無い、比較的準主役的性格だとシリアス系
主人公よりも変態orスケベだと、作品はハーレム系か修羅場系、スクイズのあいつは許さない
問題児とかだと、ハーレム系か純愛系、大抵学校行事でなにかやらかす
男の娘みたいなタイプだと、シリアス系以外いけそうだけど、高確率で男だと思ってたらワケあり男装女子でしたってオチになる

工藤叶が女の子だと知った時の衝撃は半端なかったです、あれはヤバい、実にヤバい、初めてカードキャプターさくら見た時よりヤバかった。

とまあ、今回もテンションの任せるままに余計なあとがき書きました、はたしてこれ読んでる方いるのかしら?
では、かなうならばまた次回で。 さよならさよなら

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