【完結】ヤンデレの女の子に死ぬほど愛されて眠れない兄になって死にたくなってきた   作:食卓塩准将

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残り数百文字で手が止まる癖はどうにかしたいです

それでは、最終章中編(下)、始まりです。
中編なんて言ってますが、ぶっちゃけ最終章下もかねてます


第十二病・光差す未来へ

 野々原渚にとって、野々原縁という存在は、ただの家族という範疇に収まる人間ではなかった。

 まだ幼稚園に通う程の幼かった頃、おとなしく人との関わりに消極的だった渚にとって、縁は両親の都合で引っ越してから見知らぬ人々が溢れる街の中で、唯一信頼出来る人物()だった。

 転校先の幼稚園で友達が出来るまで、いや、ある程度友達と呼べるような人間が出来てからも渚は、進んで兄と遊びたがった。 通学路が同じ友達が居らず、かと言って誰かの家に行ったりする気も起きなかった渚には、一緒に遊んでくれる存在が兄しか居なかったのだ。

 縁自身も妹である渚を拒絶する事は決して無い。 妹が素直に甘えてくるのに対して悪い気は当然なかったし、転校して友達と呼べる人間が居ないのは縁も同じだった。 そのうちに、渚にとっては常に兄と一緒にいる事が当たり前になっていく。 二人だけの時間には強く思い出に残る様な大きな刺激は無い。 しかし、だからこそ、二人だけの時間はゆっくりと、穏やかに過ぎていた。

 

 ──だが、渚にとって絶対的であり、揺らぐ事の無いと思われていた時間は、ある日唐突に、そしてあっさりと無くなった。

 事の始まりは、渚が小学生になったばかりのある春の日。

 渚が家に帰り、いつも通りに縁が家に帰るのを待っていた時の事である。 自分にはまだ広く感じる自室で、兄を待ちながらふと時計を見た。 そこで渚は、兄がいつもより少し帰ってくるのが遅い事に気づく。

 気づきはしたが、何故遅いのかが分かる訳も無く、その後しばらくの間、渚は一階に降りて母親と会話をしながら、兄を待った。

 それからやっと玄関の扉が開かれる音が聞こえ、渚が喜び勇んで玄関に向かうと、兄の隣に今まで見た事の無い人が居たではないか。

 その人物はあっけに取られている渚や、驚く兄妹の母親に対して、子どもにしては随分とハキハキとした力強い口調で言った。

 

「野々原くんのお母さんと、妹ちゃんですね。 野々原くんの事について、おはなしがあってきました」

 

 そう口火を切ってから、縁が今まで同級生にいじめられており、今日も近くの公園で二人掛かりで殴られていた事を話す。 そんな事実を知らなかった母親は酷く驚き、助けてくれたその人物に深く感謝した後、何故言ってくれなかったのかと目に涙を浮かべながら、縁を優しく抱きしめる。

 渚もまた、今まで自分に笑顔しか向けていなかった兄が、自分の知らない所で苦しい思いをして来た事にショックを覚えた。 当然の事、兄をいじめたと言う顔も名前も知らない縁の同級生を恨みもした。

 だが、それよりも渚の心を苛んだのは、今まで蓄積されていた兄の苦しみを、一番長く兄と接して来た筈の自分では無く、今日その日初めて出会ったばかりの、ぽっと出の存在が先に気づいた、という事実そのものだった。

 

 こうして生まれた名前の付かない気持ちを抱えながら、渚を取り巻く世界はその日を境に大きく変化する。

 縁を助けたその人物の家が隣だった事。

 更に縁と学年が一緒だった事。

 それらのきっかけで親同士の親交が深まり、いつしか縁とその人物は友人関係になった。

 兄は渚だけの兄では無くなり、自分ではない第三者の友達になってしまった。

 

 そうして今まで二人だけの物だった時間と空間に、第三者──河本綾瀬が入り、全てが変容して行った。

 

 やや内気だった縁は、快活な綾瀬の影響を少しずつ受けて、年相応の明るい少年になって行き、いじめも無くなってからクラスの友達と一緒に遊ぶようになり、家で渚と遊ぶ時間は半分になった。 そして半分になった時間の中にも、綾瀬が交じる事が度々あり、結局二人きりの時間は今までの三分の一にも満たない程になってしまったのだ。

 それでも、それは決して孤独を感じる物では無かった。 綾瀬が交えてからの時間も楽しい物ではあったし、何より元々二人でいた時間が極端に多かったから、二人きりが三分の一になっても全く一緒じゃないワケでは無かったからだ。 それどころか綾瀬に関わる事で以前より外の世界に目が向く様になり、渚自身もはっきりと友達と呼べる人間が出来る様になったので、逆に孤独の時間は減ったと言えた。

 

 だが、問題の質はそこではない。 何故なら、友人が出来、外に目が向く様になっても、尚渚にとって縁は唯一無二の存在であり続けていたからだ。

 一緒にいる時間が増えたとか減ったとかとか、それ以外の時間が楽しいとかつまらないとか、そんな物は言ってしまえばどうでも良かったのである。

 つまり、渚に取って一番重要なのは、『兄を取られた』という事のみであった。 兄は妹である自分だけの物。 兄と一緒に居ていいのは妹である自分だけ。 だから今までずっと一緒だった、ずっと家で一緒に、二人だけで楽しんでいた。

 だと言うのに(…………)何故他人が入って来るのか(……………………)。 兄妹でも家族でも無い他人が、何故自分の兄に馴れ馴れしく近づき、兄を自分の知らないニンゲンに変えて行ってしまうのか。

 

 やめて欲しい、そんな事しないで、私のお兄ちゃんを(………………)知らないヒト(…………)にしないで! 

 

 そう叫びたかった、声を荒げて綾瀬に言いたかった。 しかし、そんな自分の思いを知る事の無い縁は、あの頃見せた事の無い笑顔を浮かべて毎日を楽しそうに生きて、それでいながらあの頃と同じ様に渚を大事にし続けていた。 じりじりと変わって行っていくが、根本の部分は渚がよく知る、愛すべき『兄』のままであった。 だからこそ耐えた、だからこそ、渚は溢れそうな激情に蓋をして、妹であり続けた。 ──―だと言うのに!! 

 

『……なぁ、渚よ──―輪廻転生って、信じる?』

 

 中学3年生になってから少し経った春の日。 そんな、馬鹿みたいな言葉一つで、何もかもが崩壊した。

 唐突に、『前世』の、10数年前にさほど大きな話題にもならなかったいじめの事件で死んだ少年、の記憶を思い出したと語った兄をみて、始めは本気で何を言ってるのか理解できなかった。 しかし、その口ぶりがあまりにも真に迫っている物だから、渚は嘘をついていると思えず、その信じられない様な話を受け入れた。

 そして、それからすぐに、渚は『縁』の言葉が嘘ではない事を、最悪の形で思い知ってしまった。 その日を境に。『兄』は『兄の姿をしたナニカ』になってしまったのだ。

 

 野々原縁()は、人の心の機微に疎い人間だった。 悪意は無いが、時折人の心を蔑ろにしてしまう時があり、鈍感だった。

『野々原縁の姿をしたナニカ』は、人の心の変化に聡く、常にこちらを慮る発言を考えて、纏めてから口にする。

 

 野々原縁()は、率先して家事を手伝わず、買い物に付き合わなかった。 寂しかったが、兄が喜ぶ顔を見られるなら満足だった。

『野々原縁の姿をしたナニカ』は、自分から家事を行い、率先して買い物に付き合い、一緒になって喜んだ。

 

 野々原縁()は、自分や友人達と直接関わりのある事でもない限り、名前の知らない他人と関わらず、また、興味もなかった。

『野々原縁の姿をしたナニカ』は、あろう事か自分から、今まで交流の無かった女子生徒のいじめを止めようと動き出した。

 

 なんだ、これは。 何なのだ。

 私の目の前に居て、私達兄妹の家に居て、私に兄の様に接して来るこのヒトは、いったい誰? 疑問と、猛烈な違和感が日に日に渚を飲み込んで行った。

 どっちの方が良いかとか悪いかではない、問題の本質はそこに無い。 問題は、渚の『兄』ならばそんな事する筈が無い、と言う行為を、どう見ても兄としか思えない人間が行っている事、それだけだった。 それでも渚は必死に考えた。 それでも向こうは兄として接して来るし、兄と同じところがたくさんあるのだから、きっとアレは兄なのだろうと。 でも、そうやって信じ込ませる事にも、ついに限界の時が来てしまった。

 

 野々原縁()は、どんなに心を蔑ろにする事があっても、決して自分に嘘をつかなかった。

 だが、『野々原縁の姿をしたナニカ』は、自分に嘘を言った。 嘘を言ったのだ。 それは、それだけは、もはや誤摩化しようも無い絶対的な『兄』との違いであった。

 

 だから、渚は糾弾するのだ。

 万感の憎悪を込めて、満身の否定を持って。

 今日まで自分を騙したその男を。 『兄』の皮を被った『ナニカ』を。

 ──―よくも嘘をついたな。 ──―今まで信じようとしたのに。

 

 この──―、

 

 ……

 

「──―この嘘つき!!」

 

 渚の言葉が、俺の耳から全身に深々と突き刺さっていくのを感じる。

 想定していた中で、最も避けたかった状況になってしまったのだと、認めるしか無い。 何故こうなってしまったのか、こんな事にならない為に今日まで考えて行動してきたつもりなのに、結局無駄になってしまった事が一周回って笑えてきてしまう。

 とは言っても、当然口に出して笑い声を上げるほど自暴自棄にはなっていない。 放棄したくなる思考を無理矢理にでも動かして、早急に現状の確認をする。

 今の状況は、最も避けたかったモノではあるが、『最悪』な状況にまではまだ至っていない。 何故なら、俺たちと渚の間には僅かながら距離があり、渚の立つ場所──―リビングの入り口には殺傷力のある物は無い。 そして何より、渚自身の体調が優れておらず、過激な行動を起こすだけの体力が無いからだ。 無論、これからの展開次第では無理矢理にでも渚が動く可能性はあり得るが、体調が悪いと言う時点でその可能性は普段よりずっと低い事は絶対。 つまり俺がヘマさえしなければ──―この状況自体が十分なヘマだが──―今回に限っては、ヤンデレCDにある様な流血沙汰にまで発展せずに済むのだ。 ……多少、希望的観測が混じっているのは否定しない。

 

「……渚、まだ風邪治ってないだろう、言いたい事があるのは分かるけど、まずは座って──―」

「うるさい、黙って」

「──―ッ」

 

 拒絶の意思は昨日の比じゃない。 どういう結論なのかは分からないが、もはや今の渚は完結している。 俺が何を言っても、その言葉で心を揺るがせる事は出来ないのかもしれない。

 

「ちょっと待って、渚ちゃん。 今の言葉は何? 少し口が悪すぎるんじゃない?」

 

 綾瀬が諭す様な口調で渚に言う。 俺と渚が喧嘩したままなのは今朝の時点で分かっていたが、考えていたよりも険悪な態度に、思わず口を挟まずにはいられなかったのだろう。 その気持ちはありがたいが、

 

「そっちこそ何様なの? 赤の他人のくせに偉そうにお姉さんぶった態度取らないでよ」

「……渚ちゃん、本当にどうしたの? いつもの渚ちゃんらしく無いよ?」

「それがお姉さんぶってるって言ってるのよ綾瀬。 あんたはいつもそうやって上から目線で人の事分かった様な顔して……(あたし)とお兄ちゃんの間に割り込んで来た!」

「わ、割り込んでって──―私はそんな事してない!」

「綾瀬にとってはそうだったってだけでしょ、……まあ、今はもうどうでも良いケド、そんなヒトの事なんて」

 

 そう吐き捨てて、渚は俺を睨む。 たった今口にした『そんなヒト』とは、俺の事を指しているのだと、考えなくても分かった。

 同じ事に気付いた綾瀬が、目を見開いて俺へと振り返り、もう一度渚に視線を戻した。 その表情からはありありと『信じられない』と言う気持ちが伝わって来る。 俺の次に今まで渚と接してきた年数が長い綾瀬だからこそ、俺を蔑ろにする渚の言葉が、信じられなかったのだろう。 俺自身、顔には出すまいとしているが、これまでの経緯を踏まえても、今の発言には今までで一番心が痛んだ。

 

「どうしてそんな事言うの!? 渚ちゃんは縁の事、お兄ちゃんの事が好きな筈でしょ!?」

「そうよ、私はお兄ちゃんが好き! 大好き! だから幼なじみとか言ってお兄ちゃんにすり寄って来る綾瀬、あんたも大っ嫌いだった!」

「……っ」

 

 思わず声を荒げた綾瀬に、同じくらいの怒声で、渚がこれまで胸の奥に潜めて居たであろう本心を包み隠さず吐露した。

 その言葉の端々から、渚の綾瀬に対しての怨嗟の念が嫌と言うほどに伝わり、さしもの綾瀬も口を噤むしかなくなる。

 閉口した綾瀬と、一連の会話で情けなくも何を語るべきか分からない俺を見据え、現状が自分の独壇場と理解する渚は、続けて、決定的なまでに全てを終わらせる言葉を、口にした。

 

「──―でも、もう綾瀬なんてどうでもいい、これからもずっと、そこでぼーっとしてるお兄ちゃんによく似た人と仲良くしてればいいじゃない。 でもその前に、私の、野々原家からは出て行ってよ」

 

 その言葉は、俺と綾瀬に対し、それぞれ別種の意味を持つ。

 綾瀬に取っては意味の掴めない、怒りの延長線上にしか受け取れない言葉だが。

 俺に取っては、怒りを通り越して、存在その物を否定する言葉だった。

 そうして、そこまで言われてようやく/そこまで言われてもまだ、俺の口は何にも解決策を見出せないままに、勝手に言葉を噤んだ。

 

「……なぁ、渚。 俺はもう、お前に取っては赤の他人なのか」

「そうだよ、はじめからそう言ってるじゃない」

「どうして、だ? やっぱり嘘を──―お前に取って俺が嘘を言ったから、なのか?」

「それもあるけど、それだけじゃない。 と言うよりも──―理由はそっちの方がよく分かってるんじゃないの?」

「分かっている? 俺が?」

「うん、だって──―」

 

 この後に、渚が発した言葉が、崩れそうになっていた俺の心を、完全に打ち壊した。

 

あなた(……)は、お兄ちゃんじゃない」

 

「お兄ちゃんは、私に嘘をついた事がなかった」

「お兄ちゃんは、自分から私の買い物を手伝う事はなかった」

「お兄ちゃんは、自分から料理する事なんてなかった」

「お兄ちゃんは、率先して赤の他人の為に動くなんて面倒な事はなかった」

「お兄ちゃんは、私の気持ちを慮ったり気を揉んだりする事なんてなかった」

 

「みんな、みんな、みんな、みんな、みんな、あなた(……)が出てきてから変わっちゃった」

 

 渚は呆然と言葉を聞くばかりの俺と綾瀬に近づき、手が届かない程度の距離で立ち止まり(触れたく無いという意志を示して)

 

「全部、全部全部全部全部! あなた(……)のせいで無くなっちゃった! お兄ちゃんはあんた(……)のせいで何もかも変わって、私の知らないヒトになっちゃった!」

 

「返してよ、私のお兄ちゃんを返して! 私だけに優しくしてくれた、私だけと遊んでくれた、あのお兄ちゃん(…………)を返してよ! 知らないヒト(頸城縁)────ー!!!!」

 

 ──―そう、言い切った。

 

「………………っは」

 

 なんてこった。

 そう言う事か。

 

「よ、縁? どういう事? クビキって、誰の事?」

 

 この場でただ一人、付いて行けずに困惑する綾瀬が、俺を見る。 だが、もう今の俺には、その疑問に答えてやれるだけの余裕はなかった。

 ここまで全てを聞いて、ようやく、俺は全てを理解して、そして、納得した。

 なんて事は無い。 渚に取って俺は、おそらくあの日、俺が前世の記憶を思い出した事を告白したあの朝から、『兄の皮を被った全く別の他人』でしか無かった。 昨日までは『渚のお兄ちゃん』と同じ行動を取る事が多かったから許容してきたが、その限界がきた、というだけなのだろう。 俺は、頸城縁の記憶を思い出したその瞬間から、『渚のお兄ちゃん』では無くなったのだ。

 

「はは、ははは……はは、っはははははは!! そっか、俺は赤の他人か!」

「縁、落ち着いて? 渚ちゃんも調子悪いから心に無い事言っちゃただけで、きっと」

「いや、いい。 いいんだ綾瀬。 きっと渚の言葉は合ってるんだと思うから」

「そんなの……」

「納得したんだ。 それならもうさっさと──―」

「──―だけどな、渚」

 

 今日初めて渚の言葉を遮る。

 俺の変化に付いて行けないのは分かる。 綾瀬や悠だって過去に一度、同じ様な疑問を投げかけてきた。

 今まで俺がしてこなかった行動が多いのも共感する。 他ならぬ俺自身がそう思ってきたから。

 だが、それでも俺は、渚に言いたい言葉がある。 こんな時だからこそ気付いて、言わなくちゃいけない言葉がある。

 その為に、俺はこれまで渚に向けた事の無かった、怒りを込めて、言った。

 

「──―ふざけるな、お前が勝手に『野々原縁()』を定義するんじゃねえよ」

「何が『私はお兄ちゃんが大好き』だ。 笑わせるなよ、ここが寄席なら腹が捻れる程笑ってるトコロだ」

 

 ──―思えば、今日まで特に問題にあげようとはしなかったが、一つ、やけにおかしいと思う事があった。

 ヤンデレCDの『河本綾瀬』や『柏木園子』達は、凶行の内容こそ個人差がある物の、原因自体は共通していた。 それは『彼女ら』の恋人になった『主人公』が、『彼女ら』を蔑ろにしていたからだ。 それにしたって監禁したり殺したりは論外ではあるけれど、そもそも『主人公』がしっかりと『彼女ら』の事を見て、声に耳を傾ければ、結果は変わっていたに違いない。

 記憶に残っているCDから分かる情報とは多少異なっている物の、『俺』の知る『綾瀬』や『園子』達も当然ヤンデレの思考なのだろうが、『主人公』と『俺』とで異なっているのは、まだ俺が誰かと恋仲になってはおらず、思考が病んでしまうだけの過程が存在していないと言う事だった。

 だからこそ俺は今日まで細心の注意を払って、不用意に死亡フラグになるような事はしないで来た(つもりだった)。 そして、それらは実際に功を奏し、柏木のいじめを解消させた今でも俺に危険な兆候は無い。

 

 だが一人だけ、その理屈では辻褄が合わなくなってしまう人物が居た。 それが『野々原渚』だった。

 他の三人の中で、唯一『主人公』と血縁関係にあり、恋人の枠に収まる事の出来ない、それでも『ヤンデレ』化して凶行を行った人間。 それが『野々原渚』だった。

 俺は『野々原渚』が凶行を行った理由を、孤独を感じたからだと認識していた、のだろう。 だから、『渚』に対して俺は買い物に付き合ったり、風邪を引いてたら看病したり、代わりに料理したり、当たり前だが(…………)孤独を感じさせない行動(……………………)を取って来た。 けれども、今こうして渚は俺に拒絶の意を示している。 その原因は何か、答えは渚が自ら話したが、その言葉の奥に、本当の理由があった。

 

「お前は俺の事なんか──―いや、『野々原縁』の事はこれっぽっちも好いちゃいねえよ」

 

 渚は、『野々原渚と言う人間』は、野々原縁に対して恋心など抱いてはいなかった。

 

「お前は始めっから今日までずっと、『自分に優しくしてくれるお兄ちゃん』が居ればそれだけで良かったんだ」

 

 野々原渚を『ヤンデレ』だと認識する事自体が、既に間違い。 ポーカーのルールでダウトを行うが如き見当違いだった。

 詰まるトコロ、野々原渚は『デレ』いない。 デレていないのに病んだ行動を取っているのなら、それに当てはまる理由は、たった一つ。

 

「自分を寂しがらせない、自分を蔑ろにしない、常に自分に関心を向けてくれる、そんなお人形さんさえ居てくれれば──―詰まるトコロ、自分さえ良ければ(………………)それで良い(…………)だけだったんだろ!? この自己愛の固まりが!!!!」

 

 これが、結論。 渚は俺に恋人でも兄でもなく、ただひたすら、自分に孤独を感じさせないでくれる役割だけを求めていただけ。 俺との関係や性格の問題などそれらの副次品、自分に取って都合のいい状態であればそれで良いだけでしか無かった。 こんなのは『ヤンデレ』とは言わない、他人に好意を抱いていないのだから『ヤンデル』だ。

 

「……な、に、言ってるの……。 勝手な事、言わないでよ」

 

 此処に至り、俺からそんな言葉を投げかけられるとは思いもよらなかっただろう。 口調が目に見えて弱まった渚に、俺は続けて語勢を緩める事無く言葉を紡ぐ。

 

「否定なんか出来ないよな? そうやって狼狽しているのが良い証拠だ」

「ち、違う! 私はお兄ちゃんの事が好きなんだもん!! アナタが勝手な事言わないでよ」

「勝手な事なんかじゃないさ、だってお前はずっと、『お兄ちゃん』は『そんな事しない』って頭っから決めつけていたろ」

「……それが、どうしたって言うのよ!」

「それが全部さ! お前は『私の考えたお兄ちゃん』を押し付けて、それにそぐわない俺を『お兄ちゃんじゃない』と言ったんだ。 俺が頸城の記憶を思い出して無くても、お前は野々原縁の行動が気に入らなきゃ簡単に否定しただろうよ! 『お兄ちゃんはそんな事言わない! そんなのお兄ちゃんじゃない』ってな!!」

 

 確信を込めて俺は言った。 だって、本当にその言葉を『野々原渚』は口にしたし、そうやって最後には殺したんだから。

 

「ちがう……ちがうよ、私は、あたしはそんな事いわない。 ……あたしは」

「そういう奴なんだよキミは。 そんな人間がよく人を否定出来るな? 人を人と見ない欠陥人間のくせに!」

「──―ッ!?」

 

 欠陥人間、そう言い切られた渚の目には、うっすらとだが涙が浮かんでいる様に見えた。 だがそんなの知った事か。 渚に対する恐怖などとうに消え失せ、足は自然と歩幅を大きくして渚の前まで進み、伸ばした手は怯えた目で自分を見る渚の服の首元を掴み、その顔を無理矢理近づかせる。

 

「どうだよ、この状況からどうやって否定してみせる? 認めるしか無いだろ? 何せ今日までの自分の行動が物語ってるんだもんな?」

「いっ──―いたいよ、て、手をはなして……恐い」

「恐い? 俺が怒ってるのは自分のせいだろうに、こんな時でも自分が一番なんだなオマエはよォ!?」

「ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい……謝りますから、あたしが悪かったから、だから許して、許してよ……ゲホッ、ゲホッ!」

 

 服を掴む俺の手を震えた手で覆い、ハッキリと分かるくらいに涙を浮かべ、咳き込みながら何度も何度も『ごめんなさい』と連呼し始める渚。

 

 ──―思えば、この時の俺は途中から理性のタガが外れてしまったのだろう。 今日まで幾つものフラグを避け、ギリギリの所を何度も乗り越えて、園子のいじめを解消し、そうやって積もりに積もった心労・ストレス。 本来ならば他人に向ける筈の無かったそれらが、渚との言い合いの中で、我慢の限界を超えてしまった。

 だからこの時、自分に追いつめられて涙を流す渚を見ても、俺はただひたすら鬱陶しく不愉快で、綾瀬の事も忘れて一切合切否定したくなっていた。 そうして、何の躊躇いも無く、家族として、兄として決して言ってはいけない『その言葉』を、俺は口にしようとして──―、

 

「ごめんなさい? そう思ってるんなら、今すぐし──―」

「──―いい加減にしなさい!!」

 

 横合いから思いっきり叩き込んで来た綾瀬の平手に、今まで感じた事の無い『痛み』と共に頬を打ち抜かれた。

 真っ黒に染まっていた思考は嘘の様にクリアになり、俺は数歩後ろによろめきながら渚の服から手を離し、 無理矢理身体を持って行かれていた渚は、途端に力なく膝から崩れ落ちる。

 何故、縁と同じ様に罵倒した筈の綾瀬が、自分を助けてくれた/縁を止めたのか、理由は分からず、行動が信じられない渚が、涙の乾かない瞳を大きく見開き、まじまじと綾瀬を見やる。 そんな渚に一瞬、視線を合わした綾瀬は、先程の俺がそうした様に、ずんずんと俺に詰め寄り、語勢を強く、しかし怒鳴りつける様にはせずに言った。

 

「貴方が、渚ちゃんを否定して、どうするの」

「──―っ」

 

 その一言は、渚の言葉の様に攻撃的ではなかったが。

 渚の言ったどの言葉よりも、今の俺の心に突き刺さった。

 

「確かに渚ちゃんは、貴方に対して自分の願望を押し付けてた。 貴方自身よりも、自分の方を重視してたわ。 けど──―」

 

 言葉を一旦止めて、渚の顔を手で指し示しながら、言葉を続ける。

 

「本当に自分だけが良いって人が、あんなに貴方の為に動こうとすると思う? いつも貴方より先に起きて朝ご飯の用意して、学校帰りは買い物に行って、夜ご飯も作って、それ以外の家事も全部嫌がらないでやって。 人形としか見てない人に、笑顔で毎日毎日、小さい頃から今日までずっと慕い続けると思ってる? だとしたら、本当に人を人と見てないのは貴方の方よ、縁」

 

 その言葉は、他の誰でもない、今まで一番近い場所で俺と渚を見て来た綾瀬だからこそ口に出来る言葉だった。

 兄としてでも、妹としてでもなく、第三者の視点から俺達兄妹を 深く理解しているから、綾瀬は言ってくれるのだ。 『貴方達は本当の兄妹であった』と。 『決して虚飾だけで終わる物じゃなかった』のだと。

 そして同時に、『それくらいの事、分からない貴方じゃないだろう』と、綾瀬は言ってくれている。 『他人の自分が分かる事を、兄の貴方が分からない訳が無いだろう』と。

 

「渚ちゃんを、渚ちゃんの笑顔を一番近い場所で、一番長く見て来た貴方なら分かるでしょ? 渚ちゃんはそれが全部(…………)じゃないとしても、確かに貴方を大事に思っていた(…………………………)って事くらい。 なのに、貴方が渚ちゃんの全部を否定してどうするの、渚ちゃんの事を見てあげないでどうするの、本っ当に──―馬鹿じゃないの!?」

 

 最後の言葉は、堪えきれなかった憤慨の片鱗か。 本当なら俺以上に声を荒げて言いたかったのをぎりぎりまで抑えて話してくれた綾瀬に、人間としてのデキの違いを感じる。 おかげで、数分前までの自分を、ブッッ殺したくなるくらいに目が覚めた。

 

「あぁ。 うん。 本当に俺バカだ。 言われたから言い返すとか、まんま小学生だった」

「分かればいいわ。 それなら、あと貴方がやるべき事は……分かってるわよね、さすがにそのくらいは」

「ああ。 ──―渚っ」

「えっ……な、なに」

 

 まだ俺に恐怖感を残している渚が、おずおずと俺を見上げる。 その視線と仕草に、猛烈な罪悪感と自己嫌悪に苛まれそうではあるが、今は自分の事など二の次三の次で良い、俺は腰を下ろして、渚と同じ視線になってから、

 

「ごめんなさい──―渚の言う通り、俺は兄に相応しく無い人間だった」

 

 土下座、とは違うが、深く頭を下げた。 やや間を置いてから、あっけに取られてながら渚が言った。

 

「…………どうして、謝るの」

俺が悪いから(…………)だ。 渚の望み通りにしなかったからとか、綾瀬に叩かれたからとかじゃなく、俺が、渚の兄ってだけで渚の全部を知った気になっていた(…………………………)。 そんな傲慢を、さっきまで抱いていた事に俺は気付いてなかった。 だから結果的に渚の言葉は正しかった、俺は最初からお前の兄に相応しい人間じゃなかった。 だから──―」

 

 だから、その先の言葉を俺は頭を上げて、一生一番の大博打をする覚悟で、渚の目を見つめ言った。

 

「もう一回、チャンスをくれ。 今度は頑張るから──―お前の孤独を癒すだけの『お兄ちゃん』としてじゃなくても、お前を満足させるくらいの『兄』になってみせるから、俺を信じてくれ!」

「…………っ」

 

 形容しがたい顔で俺の視線を受ける渚。 そうやってしばらく無言で見つめ合った後に、渚は今一度綾瀬に視線を移す。 綾瀬はそんな渚に対して軽く微笑み、そんな反応を返された渚は、最後に顔をうつむかせて、ぼそぼそと聞き取れない言葉をつぶやいてから、

 

「……熱あがっちゃうから、部屋に戻る」

 

 そう言って、すくっと立ち上がり、リビングから出ようとした。 『──―あぁ、駄目だったか』という無念と『それもそうだ』という諦観が一度に綯い交ぜになってやって来て、小さくため息がこぼれそうになった直前、リビングの入り口でふと足を止めた渚が、こちらに顔を振り向かないまま、小さくだが今度はハッキリと聞き取れる声で、こう言った。

 

「部屋で寝るから……そ、その、夜ご飯、おねがいね……っ」

 

 そう言って、こちらの返答も待たずに渚は覚束ない足取りで階段を駆け上がって行った。

 え〜っと、これはつまり、その、なんだ。

 

「チャンスをくれた……のか?」

「どうかしらねぇ。 多分、保留期間って事じゃない?」

「保留期間?」

「答えをどうするかは、この後の貴方次第ってことだと思う」

「そっか……うん、そうだな、すぐに答えを貰えるって思う方が間違ってる」

 

 なら、床に膝を付けてる暇はないよな。

 

「よっと……ってて」

 

 立ち上がって、気合いを入れようとつい頬を軽く叩いたら、今頃になって綾瀬に叩かれた痛みを主張して、つい声を出してしまった。

 

「あっ……ごめんね。 強く叩いたって自覚はあったけど……痛むわよね?」

「ん、そりゃあもう。 でも良いよ、この位の痛みは必要経費だから」

 

 ひょっとすれば、こんな痛みに収まる程度じゃ済まない結果にだってなり得たのだから、言い換えればこの程度で済んで良かっただろう。 むしろ生死とは別に、人間関係そのものが終りかねなかったあの瞬間に、俺を力ずくでも止めてくれた事に、感謝しきれない。

 

「綾瀬も、ありがとな。 ここにお前が居なかったら、きっと俺、終わってた」

「どういたしまして……で、いいのか分からないけど。 ……まぁ実の所、あの娘の言葉には私も結構頭に来たけどね。 貴方の怒り様が尋常じゃ無かったから、逆に頭が覚めちゃったわ」

「それは、なんとも」

 

 俺と同様に、当然綾瀬も渚の言い分に憤りを覚えてはいたらしい。 仮に俺が冷静さを保っていたら、渚と綾瀬の間で対立が起きていたかもしれない──―そうなると、確実に俺の場合よりも酷い有様になるのは目に見えて分かるので、結果的には俺が怒って正解だった……のだろうか。

 

「──―そんなわけねえだろ、妹を脅えさせる兄なんて失格だ」

 

 そう、失格だ。 だからチャンスを求めた。 だからあとは、それをうまく活かす事だけに集中しないとね。

 そうと決まれば、やる事は一つ。 渚に頼まれた通りに、今晩の夕ご飯を作らなきゃ。

 

「よっしゃ! 今日はポトフを作るぜ!」

「えっ、あ、あぁ夜ご飯の話ね。 そう言えば今から作り出そうってところで話が拗れちゃったのよね」

 

 その通り。 よもやただ食材を親切心で持って来ただけなのに、こんな修羅場になってしまうとは、綾瀬も想像だにしなかっただろう。 無事に事が済んだ故の安心感からか、さっきまでの事を思い出してくつくつと笑う。

 

「ホント、今日は一日おつかれさま。 貴方にとってはとことん気の休まらない日だったわね」

「まったくだ」

「まだ一日が終わるまで時間は残ってるから、今日は最後まで気を抜かない様に、ね? それじゃあまた明後日、久しぶりに一緒に登校したいけど渚ちゃんが怒るといけないから──―学校で会いましょ」

「うん、また明後日。 学校で」

 

 俺の返事に笑顔で一つ頷いて、綾瀬はぱたぱたと帰っていった。

 そうして、ようやく。 ようやく……俺一人だけの空間が、そこに生まれてくれた。

 

「──―ふぅ。 綾瀬はああ言ってたが、今日はもうこれ以上頭を働かせたく無いな」

 

 と、独り言をこぼす事すらおっくうに感じながらも、意識を半分放置したまま料理をこなせる程上手ではないので、やっぱり細心の注意を払いながら、俺は野々原縁としては人生初のポトフ作りに手を掛け始めるのだった。 ……何の気なしにポトフなんて言ったが、まあ大丈夫だろう、細かい調理過程を覚えちゃいないが、だいたいはカレーと一緒だ。

 ──―そう意気込んで、なんとか問題なく完成させたポトフを、部屋に運んで眠っていた渚の勉強机の上に置き、俺はようやっと、長かった一日を終えた。 自分の分の食事もつつがなく終えて部屋に戻り、勢い良くベッドの上に大の字になって倒れる。

 果たしてこの日だけで何回、俺は死ぬ危機に直面していたのだろうか。 数えてみようかとも思ったが、考えるだけでも気が遠くなりそうだったので、やがて俺は考えるのをやめて、着替えも部屋の照明もそのままに寝落ちした。

 

 ……

 

 真夜中。 12時を過ぎたばかりの頃。 いつの間にか置かれていたポトフを食べ、薬を飲んで容態が落ち着いた渚は、閉まりきってない扉の隙間から照明の明かりが漏れている縁の部屋の前に居た。

 扉は開いている。 ノブに手をかけるまでもなく、軽く押し出すだけでも簡単に部屋に入る事は出来る。 しかし、今の渚にはその『簡単』が今生で最も難関な行動であった。 伸ばしかけた手は途中でとどまり、水を漕ぐ様に空を切るだけ、かれこれ10回前後も、渚は扉の前で立ち往生していた。

 

「……お兄ちゃん(…………)、起きてる?」

 

 やっとの事で喉から絞り出せた声。 渚は自分が違和感無く縁の事を『お兄ちゃん』と呼べた事に安堵する。 しかし、大きくは無くとも聞こえる音量ではある筈なのに、扉の向こうからは返事が返ってこない。 昼間の事もあって臆しているのかとも考えられるが、それだとしても物音が無さ過ぎる。

 イヤホンでもして曲でも聴いてるのだろうか、だとすれば今度は肩を叩くなりなんなりで自分の存在に気付かせる必要が生じて来る。 今の渚にそれは扉を押す事よりも難行を通り越して不可能だった。 とは言えこのまま立ち尽くすだけで入られない。 渚は意を決して部屋に入る事を決意する。

 

「……入る、よ?」

 

 あらかじめ断りを入れて、渚はいつもの何倍にも重く感じる扉を押して兄の居る部屋の中を視界に映す。 するとそこには──―、

 

「あ……寝てたんだ」

 

 ベッドの上で、今日最後に見た服のまま静かに寝息を立てる縁がいた。 なるほど、これではいくら渚が声をかけても反応が返ってはこない筈である。 ひとまず無視されなかった事にほぅっと息を漏らしてから、しかしこれでは兄に話そうと思っていた事が言えなくなってしまったと、内心でほとほと困り果てる渚だった。

 一度起こすか? とも考えた渚だったが、起こして最初に目に映るのが今の自分では、兄が動転してしまうのではないか、それではまともな会話になるのか怪しくなってしまうと思い直し、起こすという選択肢を棄却した。 ならばどうしようかと再び思索に移ろうとしたその時に、

 

「──―ん。 なぎ、さ……ごめん、な」

 

 寝言で自分の名を呼ぶ兄の声が、耳にすんなりと入って来た。 起きたのかと一瞬、静かに驚きながら、渚は今しがた自分の名を呼んだ兄の寝顔をふと見つめてみた。 考えてみれば、兄に別の人格が統合されたあの日から、自分はろくに兄の寝顔を見ていない事に気付く。 最後に見たのも、何か悪い夢にうなされていた時で、落ち着いた寝顔はとんと、見なくなっていたのだ。

 だが、いまこうして久方ぶりに兄の寝顔を見てみると、顔立ちは随分と大人びて来たが、面影は二人だけで居たあの頃と変わらない、自分がよく知る兄そのものであった。 そうして、眠る兄の顔を見てやっと、渚は心から思えた。

 

「性格や、話し方は少し変わっちゃったけど。 お兄ちゃんは、お兄ちゃんのままだったんだね」

 

 その事に、自分はまた綾瀬よりも遅れて気付いた。 自分が気付くよりも、いつもいつも、綾瀬は兄の事を受け入れ、理解しようと努め、事実そうして来た。 後塵を拝すだけの自分は綾瀬を『敵』だと見ていたのに、その敵に今日は助けられてしまった。 だからもう、認めるしか無かった、綾瀬は自分よりも『野々原縁』という人間を。一人の『人間』として見ていると。 野々原縁を『お兄ちゃん』としてしか見ていなかった、その事に気付きもしなかった自分よりも、ずっと兄の隣に立つ事に適した人間である、と。

 ──―だが、それがどうしたと言うのだ、渚は意を改めて『幼なじみ』である彼女の顔を思い浮かべて、心の中で指を指し、宣言する。

 確かに、今はあんたの方がお兄ちゃんに近い。 けどそんなの、すぐに私が追いついて、逆に追いつけないくらいに追い抜いてやるんだから。 もう一度、昔のお兄ちゃん、少し前までのお兄ちゃん、今のお兄ちゃん、全部のお兄ちゃんを思い出して、野々原縁がどういうヒトなのかを、あんたよりもずっとずっと、ず──っと! 理解してみせるんだから! 

 

「そうよ、幼なじみなんて言ったって、所詮他人じゃない。 会話する時間も、お兄ちゃんを見ていられる時間も、私の方がずっと多いんだから。 お兄ちゃんを本当に好きになれる(…………)のは私だけだもん。 赤の他人なんかに、お兄ちゃんを渡して良いワケないわ」

 

 ──―だから、お兄ちゃん。 待っててね? 

 ──―あんな女よりも、私の方がずっと良いって。 私と一緒に居る事が正しい事なんだって。

 ──―これから、証明してみせるんだから! 

 

 新たな決意と共にぐっと拳に力を込め。 渚は毛布を優しく兄の上に掛けて、部屋の電気を消してから、起こさない様にゆっくりと、部屋を後にした。

 

 この後、安らかな眠りについていた縁は、突如妹の顔をした形容しがたいものに触手責めされる悪夢にうなされ。

 病み上がり夜中にうろついた代償に渚は、またもや熱がぶり返して翌日も一日中ベッドの生活を余儀なくされた。

 

 始まったばかりの兄妹の生活は、はやくも暗雲立ちこむ気の重い物になりそうであった。

 

 

 ──to be continued




次回で最終回です
では、また

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