【完結】ヤンデレの女の子に死ぬほど愛されて眠れない兄になって死にたくなってきた   作:食卓塩准将

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最終章中編(上)です
久しぶりに一万ちょっとで済みました
いつもより短いですが、始まり始まり


第十一病・それでも彼と彼女と彼女の青春はまちがい続ける。

「待たせたな……ってアレ、悠は?」

 

 柏木との会話を終えて教室に戻る。 するとそこには綾瀬しか居らず、悠の姿が無くなっていた。

 

「先に帰るって行っちゃった。 この後校長先生関連で一仕事あるみたい」

「ああ、それはもう。 なんか俺のやった事の後始末させてるみたいで悪いな」

「彼からの伝言、『気にすること無いよ』ですって。 貴方の考えはお見通しだったみたいね」

「あらら」

 

 雑談もそこそこにして、帰る準備をする。 もう今日この学園でやるべき事は全て終わった。 後は家に帰って、まだ互いに溝が出来たままの渚と、仲直りをするだけだ。 この後にまだやるべき事があるだなんて、十人並みの人間ならストレスと精神的疲労による過労死でも起きてしまいそうだが、ここは一度死んでる俺、あいにくとその手の疲れには慣れている。 全くもって褒められる物でも自慢できる事でもないがね。

 

「……ねえ、縁?」

 

 既に放課後を迎えてから一時間近く経ち、誰もいなくなった校舎を早々に出て、いつもの様に二人でポツポツと喋りながら帰る途中、ふと綾瀬がこんな事を聞いてきた。

 

「良かったら……柏木さんと、どんな話をしてきたのか教えてくれる?」

 

 まあ、気にはなるよな。 ただ、そう簡単に聞いていいもんかどうかは流石に判断できないから、俺にわざわざ『良かったら』なんて枕詞つけて聞いて来るんだろうけど。

 さて、どうしようか。 実のところ、取り立てて綾瀬に言うような内容は無いと思うのだが、こういう時に男女で価値観の相違というか、俺にとって言うほどでもない事が綾瀬にとって聞きたい事である可能性も高いし。 かと言って園子との会話を簡単に話しちゃって良いとも思えない。

 うーん、こうなったらアレだな、俺お得意の、『あくまでも事実だけを言うが、その裏にある過程を話さない』誤魔化し方で行くとしよう。 もう渚には簡単には通じない方法ではある(地味に致命的だ)が、今回に関してなら別に問題は無いだろう。

 

「来週から園芸部になるから、園子に、これからよろしくって話をしてきた。 それだけさ」

「ふ~ん、園子(……)、ね……」

「あっ」

 

 そうじゃん、今まで柏木柏木言ってたのが急に名前呼びになったら、それっぽいやり取りがあったの簡単に分かられるじゃん、何でそこまで頭が回らなかったんだ俺は。

 地味に痛恨のミスをやらかして、軽くヒヤヒヤしながら綾瀬を見たが、意外にも綾瀬は大した事もなさそうに、むしろ悠がする様なニヤニヤした表情を見せていた。

 

「ま、良いんじゃない? 柏木さんが部長で副部長はきっと貴方になるんだろうから、お互い仲良く名前で呼び合ったって」

「そ、そうか……まあ、それで良いなら」

「──告白とか、されなかったの?」

「ぴゃ!?」

 

 思ったよりも静かなリアクションで安堵しかけていたところに、電撃戦のごとく投げられた問いに、思わず奇声を上げてしまった。 この場合の奇声は、本当に告白された事からの動揺ではなく、恥ずかしい思い違いをしていた自分自身の痛々しさが起因なのだが。

 

「ぴゃって……聞いた事無い声出たわね、今の。 もしかして、本当に告白されたの?」

「いや、違う、そういう質問が来るとは思わなんだから、つい動揺しただけだ」

 

 これも嘘ではないぞ、動揺の根本的理由については絶対に言えないが、想定しない質問だったというのは事実だからな! 

 

「そう……」

 

 再びすんなりと納得してくれた綾瀬。 ふう、これでようやっと落ちつ──、

 

「じゃあもし告白されてたら、貴方はなんて返事したの?」

「はいぃぃ!?」

 

 ──くどころか、更に込み入った話になってしまった。

 というかその疑問は、まさに俺がさっき保健室で考えてた事そのもので、先程の動揺を生み出すきっかけになった負の思考で、つまり出来ればもう二度と考えたくはない事なんだが

 

「あり得ないとか、そういうのを度外視して考えて欲しいの。 もし告白されてたら、貴方はどうしてたのか、教えて欲しいな」

「……ノーコメント、って答えは駄目?」

「うん、駄目」

 

 参ったな。 どうやら逃げ場は無いみたいだ。 これはもう何らかの明確な答えを言うしか無い。 このまま黙り続けて家まで粘れば、何も言わなくて済むけど、別にそこまでして言いたくない事でも無いのだし、腹を括るか。

 

「もし柏木から告白されたら……きっと、俺は嬉しくなると思うよ」

「っ、そ、そっか……。 まあ、柏木さんって美人だし、性格も良いから、貴方が付き合おうとするのも、と、当然よね」

 

 まだ俺は答え終わって無いのに、勝手に結論を付けそうな綾瀬をけん制するつもりで、語調を強めながら俺は言い加えた。

 

「ただ」

「……ただ?」

「きっと、というか絶対に、俺は付き合う事はしないと思うよ」

「……それは、どうして?」

 

 どうして、と綾瀬は聞く。 理由は幾つかある、第一に柏木が未だにヤンデレ思考のままなら、些細な事で簡単に地雷を踏み抜いて、死亡フラグを掻っ攫う事に繋がりかねないから。 第二に、綾瀬はまだ分からないとして、恐らく渚が何かしらやらかす可能性があるから。

 特に第二の理由については、昨夜の事で今日もピリピリした状態に居るのに恋人が出来て、それも相手が柏木だと知られたら、結局女目当てで動いてたんじゃないかと言われてしまう。 昨日散々渚に言った弁解が全て虚言になり、俺は正真正銘嘘つきになってしまうだろう。 これは地雷や死亡フラグどころじゃない、非常に分かりやすい自殺行為だ。

 だが、これら二つの理由を綾瀬に言っていい物だとは到底思えない。 一つ目は綾瀬にとってはわけの分からない内容だし、二つ目は言えばかえって悪い方向に進む刺激になりかねない。 率先して藪をつつく気はないのだ

 で、あるならば。 俺は綾瀬に第三の理由を話すべきだろう。 何てことはない、これは生き死に全く関係の無い、至極個人的な理由だ。

 

「余裕がない、からだよ」

「余裕?」

「そ、余裕。 時間の余裕ってよりかは、心の余裕。 今の俺は人間的にまだまだ未熟だし、きっと誰か一人と恋仲って関係になっても、絶対に相手に迷惑をかける事になると思うんだ」

「…………」

 

 我ながら、考え方が古臭い物だと言う自覚はあるが、こればかりはどうあっても譲れない。 特に前世の記憶を思い出す前の野々原縁は、ヤンデレCDの『主人公』程では無かったにしてもそこらへんが割といい加減だったし、頸城縁()も人間関係拗らせて死ぬ以外に、色々償いようが無い事をした人間だ。

 こんな二つの人格がミキサー掛けられて混ざった様な俺が、このまま誰かと付き合ったとしても、渚やら何やらを抜きにしても、傷つけてしまう事になるのは間違いない。 最低でも頸城縁が死んだ年齢を越えるまで、もしくは高校を卒業するまでは、誰かと特別な関係になるつもりは無い。

 

 そう言った事柄を、頸城縁関連の話をボカして綾瀬に話すと、最後まで聞き終えた後に綾瀬が小さく笑いながら俺に言った。

 

「思ってたよりも、真面目だったんだ。 今まで貴方の事は良く知ってるつもりだったけど、少し驚いちゃった」

「そ、そっか? やっぱり、こういうのって時代錯誤かな」

「時代錯誤って言うよりはこう……重いわね」

「お、重い!?」

 

 まさかそう言われるとは考えても居なかった。 と言うか重いってどう言うことだよ。

 

「うーん、何て言うのかな。 貴方の相手に向けようとする思いが真剣過ぎるって言うのかな。 徹底的に誠実にあろうとしてるから、ガチガチになってるって感じ」

「ガチガチに、か」

「うん」

 

 重いと言われた事を素直に肯定したくは無いが、一理はあると思う。 例えば世間一般の人が持つ恋愛観が、軽快に動けるラフな衣服だとするならば、俺の恋愛観は一挙手一投足において全てが堅苦しい鎧兜なのだろう。

 そんな風に、納得しないまでも自分なりに飲み込もうとしたところに、綾瀬が続けて言った。

 

「『自分が相手を傷つけてしまって、そのせいで相手が死ぬ事になったらどうしよう』とか、思ったりしない?」

「──えっ」

 

 何の気なしに言われたその言葉が、するりと自分の心の最奥にまで突き刺さるのを感じた。 もはや一理あるとかの土壌じゃない、まさにそのとおりだったのだ。 悔しい事にこうして綾瀬に言われるまで自覚出来ていなかったが、今の俺は自分の言葉や行動で、自分の大切な人を傷つけてしまう事を嫌がり、恐れていた。

 それ故に簡単に恋人を作ろうとはしないし、だからこそ昨夜の渚との件も酷く心に堪えたのだろう。

 綾瀬が重いと言った俺の価値観は、前世の記憶を思い出す前の『野々原縁』では絶対に考えもしなかった、『失敗』した頸城縁の記憶が混じったからこそ構築された価値観だったのだ。

 なるほど、確かにこれは重い、重苦しくて自分でも嫌になってしまいそうだ。 だからと言って棄却しようとも思わないが、ヤンデレと似た方向に病んでる価値観だと言えるかもしれん。 ヤンデレな妹の兄はヤンデルってか、面白くもないぞ。

 

「でも、その方が私としてはまだ安心出来るから、良いかな」

「おいおい、安心って何だよ」

「それはこっちの話」

「なんだそりゃ」

 

 いまいち要領を得ないが、本人が納得しているのならそれで良いだろう。 あまり他人に個人的な考え方や価値観を話すのになれていないから、俺ももうこれ以上この話を続けようとも思わないし。 何より、自分が自覚していた以上に深刻な理由で、重い考え方の持ち主だったというのが分かって地味にショックなのだ。 なのでもう別の話題をして考えないようにしたい。

 そんな俺の心象を察してくれたのかどうかは知らないが、新しい話題を考える前に綾瀬の方から、別の話題を提供してきた。

 

「そういえば、今ってお家には渚ちゃんが居るのよね?」

「ん? そうだな、まだ熱引いてないはずだから、家に着いたら晩御飯の支度しないと」

「え!? 今って貴方がご飯作ってたの?」

「そうだけど、それが何か──いや分かった、俺が作るなんて信じられなぁいとか思ってんだろ」

「そ、そこまでは考えてないけど……でも意外ね、てっきりレトルトか出前ばかりなんだと思ってた」

「言葉が違うだけで言ってる事は同じじゃねえか」

 

 全く心外だ、悠にも言ったら綾瀬と同じ反応を返されるのだろうか、だとしたら普段の俺は一体どれだけ渚の負担になっているのやら。 やっぱ渚と仲直り出来たら、今までよりもずっと家事の手伝いしなきゃだな。

 

「でもつまりは、今日の夜ご飯も貴方が作るって事なんだよね」

「そりゃあもちろん、何作るか決めてないから、場合によっては買い物するかもしれんがなー」

「そっか……うん、分かった」

「何が分かったのさ」

「こっちの話〜」

「またそれか」

 

 綾瀬の頭の中でどんな考えが渦巻いてるのか気にはなるが、そういう方向に頭を働かすのは飽きた。 昨日から今日にかけて、と言うかこの一週間近くずっと脳みそを酷使し続けてたから、流石に疲れてる。

 今日はあと渚と仲直りする事だけに集中して、ご飯作ったら何も考えずに眠りたい。 出来れば明日は日曜日だし、何処にも出かけず、リラックスして一日を過ごしたいな。

 

「──と、もう家に着いちゃったね」

「そうだな、んじゃ、また来週な」

「うん、またねっ! ……ふふっ」

 

 綾瀬が家に入るのを見届けてから、俺も自宅に到着した。 だがそのまま家に入るのではなく、玄関の前で一度立ち止まって、今日最後の大仕事に取り掛かる前に、一度自分を克己させる。

 柏木の件に集中する為に考えずにいたが、結局昨日の夜に渚が言っていた言葉の意味を、俺は理解出来ないままに終わっていた。 その意味を理解出来なければ、きっと渚と仲直りは出来ないだろう。 問題はそれをどうやって理解するか、だが……。

 

「……よし、こうなったら正面から行く」

 

 もう分からない物は分からないのだから、今日の晩御飯の時に、渚に直接聞く事にしよう。 情けないかもしれないが、もう相手の心の裏を読んだり、言葉を変えてごまかしたり、理詰めで押し込めるのは無しだ。 今は溝が出来てしまっているけれども、渚は家族だ。 恥も外聞も躊躇いも感じずに、相手の本音を聞けるのは家族だからこその物なのだから、修羅場は覚悟の上でやってやる。

 

「ただいま」

 

 玄関を開けても、昨夜の様に渚が出待ちしているような事は無く、普段から両親の不在から日中は静かな我が家が、一層沈黙を深めていた。 渚はまだ寝ているのかもしれない、気にはなるが顔を見に行ったせいで起こしたら悪いし、自然と目を覚ますのを待とう。 それとも起こして病院に連れて行くべきだろうか……いや、この時間じゃもう近くの病院は診察受付時間終わってるから無理か。

 

「……おっ、食べ終わった後の食器、渚の分か」

 

 さっそく冷蔵庫の中身を確認しようとキッチンに向かったら、シンクに使用済み食器が丁寧に置かれていた。 あの後ちゃんと食べてくれてたのかと安心はしたが、部屋の前に置いとけって言ったのにわざわざここまで持ってきたのか、そのせいで体調に影響が無ければいいんだが。

 

「さ、て……うぅん、色々ないな」

 

 肉野菜卵豆腐油揚げ鰹節味噌納豆ヨーグルト牛乳炭酸飲料渚用スポーツ飲料、どれも今晩の分は残ってるけど、明日以降の分としては全く足りていない。 足りてるのは麦茶と数種類のアイスだけ。 うーん、こりゃあ今日はいっぱい買い物しないとなぁ……。 こんなに食材がなくなってしまったのは、看病初日と二日目、肉体的にはまだ慣れない料理で食材を浪費してしまったのが原因かもしれん。

 現在の時刻はまだ四時前で、最寄のスーパーである『ナイスボート』が安売りセールをする時間まで一時間弱ある。 そこまで待てば生活費を節約して買い物出来るが、そのせいで帰ってからご飯が出来るまでに時間が掛かってしまう。 なるべく渚が起きてご飯を食べたい時にすぐ用意出来るようにしたいが、買う物の量が多いからこの時間だとそれなりに値が張ってしまう、出来れば数日分買い溜めもしておきたいから尚更、うーん。

 

「どうすっかなぁ……ん?」

 

 時間とお金を天秤に計って悩んでいたところ唐突に、俺のポケットに入っていた電話がプルプルと振動して、着信を告げた。

 

「電話──綾瀬から?」

 

 ディスプレイに表示された相手の名前は、先程別れたばかりの綾瀬だった。 一体どうしたというのか。

 

「綾瀬、どうした」

『あっ、繋がった。 今家の前に居るんだけど、玄関の鍵開けてくれる?』

「はい!?」

『いいからいいから、早く家に入れてよ』

「な、何だってのさ!」

 

 突然の自宅訪問の知らせに困惑しか出来ないが、玄関を開けて欲しいようなので急いで向かう。 すると確かに、玄関のガラスブロック越しに、綾瀬と思わしき人影が確認できた。 どうやら理由もなしに来たわけでもなさそうだ、とにかく玄関の鍵を開けると、『んしょ』っという掛け声と共に綾瀬が入ってきた。

 

「あはははー、さっき振りね」

「おう、どうかし──って、ええ!?」

 

 家に入った綾瀬を見て、俺は思わず驚きの声を上げてしまった。 とはいえ無理もない、綾瀬は手ぶらで来たのではなく、今にもはち切れそうな程に食材が詰まったビニール袋を、両手に一つずつ持っていたからだ。 さっき分かれてから僅かな時間しか経っておらず、ビニールの中の食材が河本家の物である事は明確で、となるとそれをわざわざ持って来た理由は一つしか無いワケで──、

 

「綾瀬よ、それってもしや」

「うん。 結構買う物多くて困ってるんじゃないかなって思って、持って来たの」

「やっぱり! 駄目じゃないかそんな事して!」

 

 綾瀬が持ってきた量は、俺が買い物に行く場合に『この位買い込もう』と思っていたのとほぼ同量だった。 それだけの量の物を買う為の時間が無くなり、なおかつタダで済むと言うのは正直助かるが、流石にそんな図々しい事するワケにはいかない。 これだと今度は河本家の食卓事情に響くじゃないか。

 

「どうして? 冷蔵庫の中空っぽで大変なんでしょ?」

「そうだけどもさ、おじさんやおばさんに悪いって」

「あっ、それなら大丈夫。 これ持っていけって言ったの、お母さんだから」

「……マジで?」

「うん、なんでもっと早く教えなかったんだーって怒ってたよ? それに風邪に効く食べ物つくるって買い物行っちゃったし……なんか私の時よりも熱入ってる気がしない?」

「あはは……申し訳ない」

 

 小母さんが言ったのなら、素直に受け取るしか無いか。 これ以上はかえって小母さんに失礼になる、受け取る事で何か不都合が生じる事も無し、渚の容態が治った後にちゃんとお礼を言いに行こう、お返しに果物でも買ってね。

 

「これは有難く、ほんっと〜に有難く頂くよ。 小母さんには本当助かりますって言っておいてくれ」

「うん、そうして。 じゃないと重いの頑張って持ってきた私の苦労が徒労になっちゃうから」

「徒労って、俺とお前の家は歩いて100歩も無いだろ? 隣同士なんだから」

 

 そう軽口を言い合いながら、綾瀬から荷物を受け取り冷蔵庫まで持っていく。 綾瀬はお邪魔しまーすと家に上がって先に冷蔵庫まで行き、勝手知ったる他人の家とばかりに麦茶とバニラ味のアイスを取り出し、テーブルの上で食べ始めた。 麦茶は来客用でもあるので問題無いが、アイスは別だ。

 

「おい、バニラ味はそれが最後なんだぞ、俺食べようと思ってたのに」

「いいじゃない、ここまで運んで来た私へのご褒美って事にしてよ」

「ったく、それ言われたら何も言えないだろう、狡いな」

「ふふっ、役得役得」

 

 全く悪びれない綾瀬に見切りを付けて、俺はさっさと袋の中身を冷蔵庫に移す作業を進める。 小母さんか綾瀬かどちらが袋に入れたのかは知らんが、初めから片付けやすく入ってあったので非常に楽だ。

 渚も買い物でカゴから袋に入れる時に工夫しているが、俺の場合は取り敢えず入れれば良いって考え方だから冷蔵庫に入れる時にどうも手間をとってしまう。 小さい工夫だけど、こういうのも見習わないとな。

 

「よし片付け終わり。 後は晩ご飯作るだけだから、綾瀬もアイス食べ終わったら帰っちゃっても大丈夫だ。 今日はありがとな」

「え、私がご飯作るわよ」

「はい?」

 

 え、今綾瀬さん何ておっしゃいますた? 

 

「だから、今晩のご飯、私が作ってあげるって。 どうせ貴方、今日なに作るか決めてないんでしょ?」

「そうだけど、いやしかし! 流石にそこまでして貰うのは悪いって!」

「別に今日が初めてってワケじゃないじゃない。 先月だってしたんだし」

 

 確かに綾瀬の言う通り、綾瀬にはちょくちょく家で料理を作ってもらう事がある。 だから今日作って貰うのは不自然な事ではない、だが問題はそこじゃないんだ。 渚の精神状態が不安定なこの状況で、綾瀬に料理して貰っている所なんて見られたら最後、どうなってしまうのか全く予測がつかなくなる事、それが問題なんだ。

 

「あーえっと、綾瀬。 その気持ちは素直に嬉しいし、出来れば俺もご好意に甘んじたいんだ」

「うん……どうかしたの?」

「その、な? 今渚が風邪ひいてるじゃん」

「そうだけど、それが?」

「それでさ、何というかその、な……」

「うん」

 

 あまりストレートに言うと、かえって綾瀬の機嫌を損ねてしまうかもしれない、それは避けないとな。 ヤンデレCDの『河本綾瀬』と違い、綾瀬は少し不機嫌になっても即ヤバくなる程地雷女じゃないのは分かっているが、せっかくの厚意に不誠実な事はしたくない。

 中々上手い言い回しが思い浮かばず、間が空いてしまう。 中途半端な所で歯切れ悪く話が止まったものだから、綾瀬が少し表情を曇らせて俺に言った。

 

「……ひょっとして、私迷惑だったりする?」

「ああいや違うんだ! ただな……」

 

 ああもう、これ以上また色々と考えを張り巡らせるのは止めよう。 俺の言おうとしてる事は恥ずかしい事ではあるが、馬鹿にされる事ではない。 きっとこの綾瀬なら、一つ二つ思う所はあるかもしれないが、笑って済ませてくれる筈だ。

 

「あのな、実は────」

 

 渚が風邪で心が不安定になっている事、昨晩に渚と喧嘩をしてしまった事、今朝のそのせいで落ち込んでいた事、そして何より、まだ何が原因で渚と仲直り出来ていないか分からないままでいる事を、包み隠さず事細かに綾瀬に話した。

 話の間綾瀬は、最初は驚いていたが段々と静かに話を聞き始めた。 そうして全て聞き終えると、表情を見せないように顔を伏せた。 雰囲気から怒っている様には感じられないが、何を言い出すのか内心気が気でなくなっていると、

 

「──プフッ!」

 

 直前まで漂っていた重苦しい間を吹き飛ばすかのように、綾瀬が吹き出した。

 

「あ、あはははは! 何があったのかと思ったら、そういう事だったわけね!」

 

 こちらの希望的観測通りに、綾瀬は怒るのではなく笑ってくれた。 目に涙を浮かべるくらい笑われるのは少々想定外だったが、まぁ良いだろう、結果オーライだ。

 ひとしきり笑い終えた後に、眼に浮いた涙を指で拭ってから、綾瀬が思いも寄らない事を言った。

 

「ごめんね、悪気は無いんだけど、何か安心しちゃって」

「安心? あぁ、迷惑がられて無くて良かったって意味か」

「ううん、そうじゃなくて」

「え?」

 

 迷惑云々の意味じゃないとするならば、一体今の話から何をどう安心したというのか。 いまいち綾瀬の発言の意味が分からずに居ると、表情に出ていたのだろう、綾瀬がまた小さく笑ってから言った。

 

「あのね、私が安心したのは、貴方のそういう失敗しちゃうトコロ」

「はい? 失敗するのが安心出来るのか?」

「うん。 だって、貴方が完璧じゃないって事だから」

「はぁ……」

 

 説明が入ったが、それでもまだ意味が分からない。 元々俺は自分を完璧にしようなんて思っていないし、だからこそこうして綾瀬や悠達の世話になったり、渚と溝が出来てしまったりするのだから。

 そう思っていると、綾瀬もまだ俺が発言の意図を掴めていない事を分かっていたのか、更に説明に補足するように話を続けた。

 

「最近の貴方、側から見て絶対に無理だって思わせる様な事ばかりして来た自覚ある?」

「いや……よく分からないんだが」

「だよね……うん。 そうだと思った」

 

 うんうんと首を振りながら、綾瀬は困りながらも何処か嬉しそうに、人差し指をピンッと立てながら言った。

 

「あのね、結果的に達成は出来たけど、普通の人って、人がいじめられてるのを見て『可哀想』って思ったり、『何とかしたいな』って思う事はあっても、それを実行する事は中々出来ないの」

「……うん」

「仮に何か行動を起こすのにしても、それは先生や親にいじめの事実を教える事だけ。 他人任せになっちゃうけどそれが普通で、当たり前の行動。 でも貴方は違った、先生に言えばどうにかなる事も、自分が得しない事も分かっていたのに、柏木さんの事情を慮って、自分の力だけで解決しようとしてた」

「綾瀬、それは違うよ、柏木の事は俺一人じゃ──」

 

 俺一人じゃなく、綾瀬と悠、それに事情を話してくれた園芸部顧問の幹谷先生などの協力、そして何より現状を何とかしたいと願う園子の意思があったからこそ成し得た結果だった。 そう言おうとした俺の言葉を、押し込むように綾瀬が言葉を紡ぐ。

 

「うん、分かってる。 貴方一人が全部やったわけじゃない。 でもね、確かに私や綾小路君、幹谷先生の協力は大きく関係していたけど、それも全部貴方が行動したからこその話なんだよ? 貴方の事だから、柏木さんが動いたからって思ってるかもしれないけど、私は『助けて』って言う柏木さんの声に貴方が応えたから、今日の結果になったんだと思う」

 

 まるで諭すかのように、淡々と、しかし深く感情のこもった声で綾瀬は俺に言う。 その言葉に対して、俺は話の始まりが何だったかも忘れて最後まで聞く事しか出来なかった。

 

「柏木さんから拒絶されても心を開くまで粘ったし、私のあやふやな記憶なんかを信じて、場所の分からない柏木さんの家まで辿り着いてみせた。 本当なら責める事も出来たのに綾小路君を怒りもしなかったし、早坂さんや校長先生に正面から相手していった。 普通なら無茶だって思う事の全部を、貴方は最後までやりきった。 そんな姿を隣でずっと見せられてたら、ついつい完璧だって思っちゃうわよ」

 

 それは紛れも無い綾瀬の本音だった。

 俺が何故園子の為に行動しているかを保健室で問われたあの日以降、綾瀬は俺の行動に疑問や否定の言葉を投げ掛ける事は無かった。

 だがやはり、胸の内では俺のやろうとしていた事を無茶な事だと思っていたのだ。 その上で尚、綾瀬は何も言わずに協力してくれていた。

 そしてだからこそ、無茶だと思う事をやり遂げた俺に、綾瀬は口にこそしなかったが距離感を覚えていたんだと思う。 ちょうど今回の柏木の件で、悠が見せた情報収集力や行動力、経済力に対して、縮めようの無い差を感じていた様に。

 悠の場合は元々金持ちだと言う事だけなら分かっていたし、縮めようがない差を縮めたいとも思わなかったので、問題は無かった。 それと同じく綾瀬もまた、離別や悪感情とは無縁の所で、俺との間に壁を感じ始めていたのだ。

 

「だから……だからね、さっきの貴方の話を聞いて、あぁなんだ、まだまだダメな所もあるんだって思ったの」

「……そうか。 まあ、変に壁を意識されるよりゃあよっぽどマシだけどさ」

 

 本当に。 後々これが原因になって綾瀬とまですれ違いが生じるなんて事態に陥ったら、もうどうにも無くなってしまうところだった。 渚との不和を喜ぶワケでは無いが、それがきっかけで壁が無くなってくれるなら、怪我の功名という奴だろう。 ……ただし、

 

「お前は満足かもしれんが、全く嬉しくないからな俺!」

「あははは! だからごめんねって言ったじゃない」

「『ごめんね』ってそういう意味かよ! 抜かりない奴だな本当に」

「褒め言葉だって思っておくわね」

 

 俺のなけなしの皮肉に、綾瀬は手をひらひらと振りながら、まるで悪びれる様子も無く返した。 言いたい事がないワケでは無いが、取り敢えず悪い事でも無いのだし、これ以上この話題を引っ張って逆に拗れるのも嫌なので、俺はため息を返すだけで終わりとした。

 

「しっかり仲直りするのよ? 同級生にかまけて妹と喧嘩しちゃった駄目なお兄さん?」

 

 突き立てていた指を俺の額に軽く突き立てながら、綾瀬が言った。 綾瀬が昔、まだ俺より背が高かった頃に良くやった仕草だ。 お姉さん振るその仕草に昔はヤキモキしたものだったが、今回は正論だったのもあって手を払う事はせず、恥ずかしさはあるものの、撫でられるまま素直に頷いた。

 

「……おう」

「ん、素直でよろしい」

 

 すっかりお姉さんぶったまま微笑みながらそう言うと、綾瀬は俺から離れて、一度うん、と背伸びをしてから、

 

「それじゃあ、私はもう帰るね」

「ああ、渚が治ったらちゃんと礼するよ」

「うん、期待してるっ」

 

 ああ、なんとか事無きを得たか、そう俺が心の中で安堵して、ほっと溜息を吐いたその瞬間、リビングの出入り口から、『音』が聞こえた。 聞こえてしまった。

 

 音源が何かだなんて、考えるまでもなかった。 この家には音が出る(……)物は幾らでもあるが、音を出させる(……)者は三人しか居ないのだから。

 そう、つまりこうして二人で会話していた俺と綾瀬の他に、床を踏み鳴らしす音を出せるのは、リビングの出入り口から、信じられない物を見るような目で俺と綾瀬を見ている渚以外には、あり得ないのだ。

 

「渚ちゃん? あ、もしかして起こしちゃった? ごめんね……渚、ちゃん?」

 

 綾瀬がたちどころに渚の異変に気付く。

 綾瀬に話し掛けられても、渚は何も反応を返さず、今までに見せた事も無い表情で俺達を見る。

 そして──、渚がそんな表情(カオ)で俺たちを見ていたという事は、つまり。

 

「なんで……その女が今ここに居るの」

「え? 渚ちゃん、どうし──」

「うるさい」

「えっ────」

「うるさい、この……嘘つき!!」

 

 ──つまり、考えうる中で最も最悪な状況に陥ったという事に、他ならなかった。

 

 柏木園子の一件が終わり、もう仲直りをするだけだと思っていたが、なんて事はない、俺の本番は、これからだったのだ。

 

 

 ──to be continued




きっと青春(と言う名の修羅場)が聞こえる
君と彼女と彼女の恋をプレイしてみたい
理由は特にありません

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