ブラック・イーター ~黒の銃弾と神を喰らうもの~ 作:ミドレンジャイ
麗らかな日差しが差し込む休日の昼過ぎ。天童民間警備会社ではちょっとしたトラブルが発生していた。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………なあ、延珠」
「………………………」
「…………機嫌、直してくれよ」
「…………………………………」
「…………頼むよ…」
「………………………………………………」
「…………ハァ」
プイっと可愛らしくソッポを向いた延珠は、珍しく蓮太郎に見向きもしていない。
外の空模様とは違って蓮太郎の心にはずっしりとした曇天が広がっている。
「あの、蓮太郎さん。一体何があったんですか…?」
そう問いかけてくるのは一人の少女。
年の頃は延珠と同じ10歳ほど。フリルのついた若葉色のドレスを着用し、セミロングのプラチナブロンドが蒼い目と良く似合っている。少し眠いのかトロンとした目をしきりにこすって必死に眠気を飛ばそうとしている姿が愛らしかった。
ティナ・スプラウト。
少し前に聖天子の暗殺を企てたトンデモ少女なのだが、紆余曲折を経て天童民間警備会社に入社した後輩社員だ。
その後輩が先輩たる延珠の不機嫌の理由を聞いてきたので蓮太郎はポケットに入れていた一枚のチラシを見せた。
「『期間限定・野菜大特価セール』?」
チョコンと首をかしげるティナに捕捉で説明を加える。
「俺がよく利用するスーパーのチラシだ。つい昨日行ってきたんだが、いやぁ安い安い。おかげさまで今我が家の冷蔵庫の中は野菜で埋め尽くされてるぜ」
「はぁ……でも、それと延珠さんの不機嫌とどう繋がるんですか?」
「…その大量購入した野菜がな、もやしと人参なんだ」
チラリと延珠を伺う。未だにソッポを向いて頬を膨らませている。だが、蓮太郎が人参と言った時僅かにピクリと動いたのをティナは見逃さなかった。
「もしかして延珠さんは……人参が嫌いなんですか?」
「その通りだ。しかも大量にあるから、暫くはもやしと人参祭りだと言ったら昨日からあんな調子でな…」
「そんな理由で…」
「そんな理由などではない!」
呆れの視線を寄越すティナに延珠は食って掛かった。
「蓮太郎は妾が人参が苦手だと知っておりながら、あんなに大量に買い込んだのだぞ?!」
「でも人参美味しいですよ?」
「妾は苦手なのだ!そもそも蓮太郎!他の野菜だって安かったはずなのに、なんでよりにもよって人参なのだ?!」
「しょうがねぇだろ、人参ともやしが一番安かったんだから!て言うか、人参ともやしの比率が多いだけで他の野菜もあっただろうが!」
「昨日の野菜炒めを思い出してみろ!人参の海の中に申し訳程度に他の野菜が紛れているような状態であったではないか!」
「うぐ…ッ」
「他も人参ともやしの胡麻和えに人参の味噌汁、終いには人参御飯とはどういうことなのだ?!」
フーッ、フーッと息を荒げる延珠。よほど人参まみれの食卓がお気に召さなかったらしい。
その姿に心の中で盛大に溜息を吐いた蓮太郎は折れることにした。
「……分かったよ。今日何か他にも食材を買ってくるよ」
「本当か?!」
「ああ。なんなら一緒に来るか?」
「行く!」
そう言って笑う延珠に先ほどまでの不機嫌な雰囲気は一切無かった。全く現金な奴だと思いつつも蓮太郎は同時に微笑ましさも感じていた。
「ティナも一緒に行くか?なんなら夕飯も」
「え、良いんですか?」
「勿論だぞ!そうと決まれば早速行くぞ!」
延珠は待ちきれないとばかりにティナの手を引いて駆けだしていく。ついこの間までお互いに命のやり取りをしていたとは思えない仲の良い光景が蓮太郎には嬉しかった。
◆
人参と他の具材で作れて、尚且つ延珠の好きな料理を作らなければならない。そんな条件で料理を脳内にリストアップした時、真っ先に思いついたのがカレーだ。
最近食べてないし、延珠もこれなら食べられそうだし、簡単に3人分程度の量は作れるのでうってつけだった。
誤算だったのは3つ。
1つ目は延珠とティナの2人に見栄を張るためにちょっと良い値段のする肉を買ったら予想以上の出費になって財布の中身が寂しくなったこと。
2つ目は買い物に行くことをティナが木更に伝えた結果、貧乏お嬢様はこれ幸いと便乗してカレーにあり付こうと考えて付いてきた為、予定よりも多めに食材を買い込むことになり、これも里見家の経済を圧迫したこと。
そして買い物を終え、帰宅しようとしたところで3つ目――
「なんでアンタがこんな所にいんのよ未織ィィィ……」
「そんな睨むと美容に悪いで木更」
眦を吊り上げ、低い唸り声で相手に問いただす木更。正直その辺の不良にこの殺気を浴びせたら絶対にちびると思う。
そんな殺気を直に浴びているにも拘わらず、目の前の少女は薄い笑みすら浮かべて余裕を見せていた。
ウェーブのかかった長く艶やかな黒髪を靡かせ、明るい色合いの和服を着た正に大和撫子と表現するに相応しい美少女だ。浮かべた微笑を手で持った扇子で隠す動作が実に様になっている。
司馬未織。
蓮太郎の通う勾田高校の生徒会長にして、蓮太郎や延珠の装備一式を提供する巨大兵器会社『司馬重工』の社長令嬢だ。
そして見てわかる通り、木更とはDNAレベルでの犬猿の仲。
「惚けるんじゃないわよ。アンタみたいな腹黒女が何の理由もなくこんな所に来るわけないじゃない…一体何が狙い?」
「ホンマに酷い言いがかりやなぁ。胸にばかり栄養持っていかれて頭回っとらんのと違う?」
ビキリ。
木更の額に青筋が浮かぶ音が本当に聞こえた気がする。
「フ、フフフフ。持たざる者の僻みってのは醜いものね。アンタこそセコイことばかり考えてるから他に栄養がいかないんじゃないの?」
「会社をしっかり経営していくためには頭を常にフル回転させなあかんからなぁ。どこぞの貧乏社長の作った零細企業とは違ってウチは大手やからホンマ大変なんよ」
ワナワナ。
木更の肩が分かりやすいくらい震えている。ヤバイ。
「里見ちゃ~ん。ホンマにウチの民警部門に来ぃへん?勿論延珠ちゃんと一緒や。めっちゃ優遇するし、今なら学校一の美少女にあんなことやこんなこと好き放題する権利もついてくるで」
ミシミシ。
空いている右手に異常なまでに力が入っているのか、拳を握るにしてはおかしい異音が響く。怖ッ。
「キミがティナちゃんやね。資料で見るよりも可愛ええなぁ。ティナちゃんもウチで働かん?木更の所と違ってウチなら銃器は選り取り見取りや。なんなら市場には出回ってない最新式の装備も一式あげるで」
「え、えっとぉ…」
ニッコリと微笑みかける未織にしどろもどろに対応するティナ。視線が泳ぎまくっているが絶対に木更だけは視界に入れないようにしている。蓮太郎も恐ろしくて見ることは出来ないが、木更がいるであろう場所から最早妖気と言って差し支えない気配が漂ってくる。
『新人類創造計画』の機械化兵士であり、東京エリアの危機を救った英雄である蓮太郎だが、今この瞬間は泣きながら逃げ出したい心境に陥っていた。
そんな一触即発な空気を断ち切ったのもまた未織だった。
「まあ、勧誘はこのくらいにしておいたるわ。勿論、来とぉなったらいつでも歓迎するで」
クスクス笑ってそれ以上の木更への当てつけを辞めたことに蓮太郎は心底安堵した。だが、未だに木更がヤバイ気配を漂わせた状態だったので、気を紛らわすことと気になっていたことの両方の意味を満たすために問いを発した。
「で、未織。本当になんで司馬重工の本社とも、高校とも離れたこんな所にいるんだ?」
「ん~?正確には目的地に行く途中でここを通ったっちゅうのが正解やわ。里見ちゃんたちと会ったのも本当に偶然なんよ」
「目的地?」
「フェンリル極東東京エリア支部や」
「!」
「最近フェンリルとも提携してな。新しくオラクル部門を作るにあたって技術や知識を提供してもらう代わりに、こちらの銃器に関するノウハウもある程度向こうにも渡して、新しい遠距離神機開発の助けにするっちゅう話なんや。で、今日は向こうさんの技術開発班の人とお話合いをするんよ」
成程、と蓮太郎は思った。
何時の時代でも技術を飛躍的に進化させるのは危機感だと思う。自然災害にしろ、人の手による災害や犯罪にしろ、迫りくる危機をどうにかして少しでも遠くに遠ざけたいと思うのは人間の性だ。そして、今の世は史上最悪の
万物の捕食者たるアラガミ。
最悪の寄生生物のガストレア。
これらに対抗するために、昔では考えられないほど武装の進化が急がれている。昨日まで有効だった武装や戦術が今日は全く通用しないなどざらにある話だからだ。
そういう意味では次々新しい技術を開発していこうという未織たちの姿勢は素晴らしいものなのだろう。
尤も蓮太郎は銃器類が嫌いなため、その新技術の開発も素直には喜べなかったが。
だからだろうか。未織の言葉の別の部分に反応したのは。
(極東支部、か…)
思い出すのは一度だけ訪れた場所。
巨大な装甲壁に囲まれた居住区に、中心に聳え立った装甲壁に劣らず巨大な建物。
そして――最近知らされたとある人物の訃報。
数瞬考えて込んでいたが、やがて決意したのか未織に向けて蓮太郎は言った。
「未織。俺も、ついて行っていいか?」