ブラック・イーター ~黒の銃弾と神を喰らうもの~ 作:ミドレンジャイ
美しい歌声が響く。
頭上から差し込む陽の光と、辺り一面に咲き誇る色とりどりの花々と合わせてまるで楽園にいるかのようだ。
歌声の主も、そう思わせる一因かもしれない。
葦原ユノ。
独立拠点『ネモス・ディアナ』出身の歌姫。
清楚な白いワンピースを身にまとい、陽を照り返す髪は綺麗な栗色だ。
澄んだ声音で厳かに歌い上げるその姿はまさに歌姫と言うに相応しい姿だろう。
若干17歳にして世界中に多くのファンのいる歌手が、たった1人の為に自ら歌うというのはとても光栄なことなのだろう。
この素晴らしい歌声が紡ぐのが、
人の価値はその人が死んだ時に、どれだけの人が涙を流してくれるかで分かるという。
今、このフライアの庭園には多くの人で溢れている。
極東東京エリア支部の神機使い。
極致化技術開発局関係者各位。
近隣のサテライト拠点の住人。
大勢の10歳ほどの少女たち。
そして、『ブラッド』。
元々ちょっとした広さのあった庭園が、少し手狭に感じられるほど多くの人が葬儀に参列していた。
そして――その殆どの人が誰憚ることなく涙を流し、嗚咽を漏らしていた。
「ロミオさんに……ちゃんと届いたかな」
歌い終えたユノの言葉にジンは静かに頷いた。
◆
― データベース・人物・『ロミオ・レオーニ』より抜粋 ―
ロミオ・レオーニ (享年19) 2012 ― 2031
故人。2030年フェンリル極致化技術開発局入隊。
特殊部隊『ブラッド』に所属。
2031年、民警・神機使い合同『蛭子影胤討伐作戦』時、混在領域における防衛任務にてKIA(作戦行動中死亡)と認定。最終階級は少尉(上等兵から2階級特進)。
神機使いの間ではフランクかつ頼りになる人物としてフライア、アナグラの双方に認知されていた。
また、『呪われた子供たち』の保護に奔走。旧外部居住区にて保護された彼女たちからは絶大な信頼と人気を得ていたため、彼の死は大きな悲しみをもたらした。
なお、フライアの庭園には彼の墓が設置されている。
◆
あの日、蛭子影胤を撃破し、次いで現れたガルムを単独討伐したジンはすぐさま自分の担当していた防衛地区に戻ろうとした。だがその寸前で虫の息だった伊熊将監を発見したのだ。何とかギリギリ生きているような状態で、早急に治療を受けさせないと危ない状態だ。
流石に見捨てるのは忍びなく、かと言って任務地に連れていくわけにもいかず、連絡も取れない状態なのでどうしたものかと悩んでいると、唐突に通信機が復旧し、慌てたようなシエルの声が聞こえてきた。
聞こえてきた情報は耳を疑うようなものばかりだった。
曰く、任務にあたっていた混在領域付近に『赤い雨』が直撃した。
曰く、なんの前触れもなく全ての神機兵の稼働が停止した。
曰く、ジンの抜けた地域の神機兵が最も早く停止したため、そこ目がけてアラガミが迫った。
曰く、そのアラガミの侵入を防ぐため、ロミオが単独で先行。後続でジュリウスが出たが未だに連絡が取れない。
恐らく先ほどのガルムはロミオが来るよりも早く抜けてきた個体なのだろう。
現在はステージⅤ出現の報告は向こうにも伝わっているようで、『赤い雨』の直撃と合わせて退避しているらしい。
もっと事の詳細を聞きたい
そう思ったジンはシエルたちと合流するために現在地の情報を送り、大至急ヘリを回してもらった。
将監を医療班に任せて、ジンはブラッドや極東支部の面々から一体何があったのか聞こうとした。
そんな時だった。
目を閉じたロミオを抱えたジュリウスが戻ってきたのは。
◆
フライアのロビーにてお気に入りの缶コーヒーを飲む。いつもならこの暴力的な苦みが気分を落ち着けてくれるのだが、今日ばかりはそうもいかない。
今ロビーにいるのはジンの他にとナナとシエル、ギルの3人。
ナナは未だ涙を流し、譫言のように「なんで…」と悲しみに満ちた疑問の声を上げている。
そんなナナをシエルは寄り添うように支えている。気丈に見えるが目元が赤く腫れていた。
ギルも今は涙こそ流していないが、常の覇気がなく弱り切っているように見える。
彼らになんと言って声をかければいい。
未だにロミオが死んだなんて考えられない。
こんな時にジュリウスは何処に行っている。
そういえば式典まで時間がない。
考えが、纏まらない。
ジンも自分が思っている以上に動揺しているらしかった。
まるで夢遊病者のように部屋に戻る。
道中、他の人から色々声をかけられた気がするがあまり覚えていない。
倒れ込むようにベッドに身を投げ出す。
そのまま暫く目を閉じるも思い出されるのはフライアに来てからのロミオとの思い出や彼に関する出来事だった。
最初に出会ったのは演習を終えてナナと駄弁っている時だったか。会った当初は年齢は向こうの方が上なのに童顔と人懐っこさが合わさって年下の少女かと思った。
ギルの加入時は面倒なことになったと思ったものだ。あの2人、性格的に絶対反りが合わないだろうことが目に見えていたからだ。
だからこそロミオが不満を爆発させたときは驚くと同時に納得もしていた。ギル以外の面子がそれっぽいことを言っても、多分ああはならなかっただろう。
『外』に住む、ある爺さん婆さんと話して吹っ切れたのか、合流したロミオは清々しく、また以前よりも頼もしい顔つきになっていた。
眠れない。寝返りを打つ。
あの任務でロミオと交戦したアラガミは、やはりというかガルムの集団だったらしい。
大型種の集団に単独で挑むというだけで相当な危険度だが、今回はそれに輪をかけて危険だった。
ガルムの赤黒い集団の中に一際目立つ『白』がいたらしい。
姿形は基本的にガルムと同じだが、その体毛は反対に真っ白で、首元から背中にかけて赤く太い触手が生えて、極めつけに左目には大きな傷があったらしい。
ガルム神属“感応種” マルドゥーク
左目に大きな傷があったということは、以前にジンが交戦した際にそこを負傷した個体が再び現れたのだろう。
眠れない。寝返りを打つ。
あの時、無理をしてでもマルドゥークを討ち取っていればこんなことにはならなかったのか?
眠れない。寝返りを打つ。
あの時、救援要請に従わず、防衛任務を継続していればロミオは死ななかったのか?
眠れない。寝返りを打つ。
あの時――――なんで、もっとロミオと話さなかった?
なんで――
それ以降も、体は疲れている筈なのにまるで眠気が襲ってこなかった。
◆
式典の最中であってもジンの心はそこになかった。ぽっかりと心に穴が開いてしまったかのようだ。
そのせいで聖天子の問いかけに対する返答が一瞬遅れるが何とか返せた。
恙なく進む式典。正直、特例序列1200位だとか、ギネスだとか、ガストレアの存在理由だとかどうでも良かった。
蓮太郎の腕を止めたのは殆ど反射だった。常日頃から極限の生死をかけた戦いに晒されているせいか殺気には敏感なのだ。
乱雑に腕を振り払った蓮太郎はそのまま出て行った。ジンももうここに特に用は無かったのでさっさと帰ることにする。
今回の依頼を受けなければロミオは死ななかったのだろうか。
そんなことを思いながら去り際に一度だけ聖天子を見た。当然答えなど返ってくるはずもない。
扉から出てすぐの所で蓮太郎が硬直していた。一体なんだと思っていると、彼の携帯から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
意識が切り替わった。
◆
菊之丞との対談のようなものを終えて帰路に就く。そんなジンの胸中は行きとは違っていた。
(何か引っかかる…)
作戦時は気付かなかったが、今にして思えば今回の作戦は妙な点があった。
まず神機兵。
あれだけ製作が難航していたというのに、何故それを今回のような大規模作戦に投入する?
神機兵の整備班に聞く所によると、なんでも九条博士が神機兵の諸問題を解決する画期的手法を発見しそれを取り入れたという。
そう言われてその時見てみた九条博士はやたらと上機嫌に見えた。
(思えばここもか…)
あの陰気な博士は、確かに非常に優れた研究者なのだが、それでも神機兵という複雑で難解極まりない代物の問題を解決できるようにはジンにはどうしても思えない。
更に、仮に思いついたとして、あの九条博士が本当にそれだけであんなに喜色を表に出すものなのか。
今は今回の事件の問題云々でフェンリル本部に出向しているため話は聞けない。
だが気になる点は他にもある。木更に送られてきた動画付き空メールだ。
民警の集団と蛭子影胤・小比奈ペアの戦闘の様子を録画したものが添付されていたらしいが、何故それが木更に回ってくる?
天童民間警備会社はハッキリ言って事務所の規模は相当ショボい。
送られてきた当時はまだ蓮太郎が機械化兵士という情報が出回っていなかったのだから、彼の実力は傍から見れば序列12万台のミドルレンジでしかないはず。
もっと序列的に上位の民警にあの情報を伝えた方が良いと普通は思うはず。
なのに木更に回したということは――
(別の目的――いや、俺たちを誘き出すのが…?)
そうとしか考えられない。
個人的に神機使いとのコネがあるのは、あの会議で名刺を交換した木更と三ヶ島。
そして三ヶ島ロイヤルガーダー所属の民警は神機使いと手を組む気はさらさらなかった。
逆に天童民間警備会社所属の民警はちょくちょく繋がりを作っている。
あの危機的状況で救援を求めると予測するのはそう難しいことではない。
そして、それらを踏まえての神機兵の停止事故に加えて、神機使いの情報の流出。
最早ここまで来れば明らかだ。
(今回のことを、
戦慄と共に拳を強く握る。
今回、蓮太郎とジンは勿論、民警も、神機使いも、聖天子や菊之丞、影胤たちでさえも
並みの敵ではないことは明らかだ。
だがジンの目に恐怖は無く、憤怒の炎が灯っていた。
(舐めやがって…)
人を人形のように弄び、あまつさえ
許す道理は無い。
(誰を敵に回したのか…)
力強く歩みを進めるジンに迷いは無い。
まずはジュリウスが話があるというので、帰ってそれを聞くことにしよう。
その後のさしあたっての目標は、ロミオを殺した左目に傷のあるマルドゥークの討伐。
コイツも勿論逃がすつもりなどない。
(地獄の底で分からせてやる……ッ!)
静かな憤怒を滾らせジンは帰途に就く。
彼がジュリウスからブラッド隊隊長の座を任されるのは、それから数時間後のことだった。
◆
「再び、雨が降る」
「雨は降り止まず…時計仕掛けの傀儡は、『来るべき時』が来るまで――眠り続ける」
極致化計画――
『現フェイズの完了を確認。次の段階に移行』
「人もまた自然の循環の一部なら…人の作為もまたその一部、そして…」
端末情報更新――
『No Title : To Kisara : From ??? : Text : Attachment File“Movie No.01” 』
――削除
『No Title : To Kagetane : From ??? : Text : Attachment File“Text God Eater” 』
――削除
『Jamming Program “The Doll” 』
――削除
『Jamming Program “The Blood No.3” 』
――削除
「ロミオ……貴方は、この世界に新たな秩序をもたらす為の礎」
「貴方のお陰で…もう一つの歯車が回り始める…」
黒蛛病罹患者一覧――
『進行状況を参照。リストアップを開始』
「ああ、ロミオ…貴方の犠牲は、世界を統べる王の名のもとに…」
「きっと、未来永劫、語り継がれていくことでしょう」
研究室入室認証許可画面――
『ジュリウス・ヴィスコンティ大尉の来訪を確認。ロックを解除』
「おやすみ、ロミオ…」
「『新しい秩序』の中で、また会いましょう…」