ブラック・イーター ~黒の銃弾と神を喰らうもの~ 作:ミドレンジャイ
どうしてこうなった?
真っ白なスーツに袖を通した蓮太郎の現在の胸中はこの一言に集約される。
周りは大理石で出来た荘厳な石柱が林立し、天井は見上げるほど高く、美しくアーチを描いている。居並ぶ面々は高級感漂うスーツを着こなした政府の高官や、セレブを絵に描いたような紳士淑女ばかり。隣をチラリと見るも、蓮太郎とは真反対の真っ黒なスーツを着たジンは目を閉じて微動だにしない。極めつけに正面にはレッドカーペットと大理石の階段が伸びており、頂上の玉座には聖天子がゆったりと腰かけていた。
(聞いてないぞ木更さん…!)
余りのプレッシャーに冷や汗を滝の様に流しながら蓮太郎は心中で木更に恨み言を吐いていた。
というのも、本日蓮太郎とジンは先の作戦の功績を称えられ、聖天子直々に叙勲がなされるのだ。
だというのに、前日に木更からなされた説明は『明日お祝いの式典があるから遅れずに来るのよ』という面倒臭そうな一言と、ぞんざいに投げつけられたスーツと地図のみ。地図で確認した時、第1区のど真ん中の聖居が目的地だと知ったときは新手の詐欺かと疑ったほどだ。
「里見さん、神斬さん。よく来られましたね」
ここに来るまでの経緯を思い出していると聖天子が薄い微笑みを浮かべながら階段を下りてきていた。
歴代でも随一なのではないかという神々しい美しさに自然と背筋が伸びる。
「あなた方のような有為な人材があの場にいてくれたことを誇りに思います」
あの時蓮太郎が放った狙撃弾は狙い違わずスコーピオンの脳髄を吹き飛ばし、頭部に巨大な風穴を開けたのだ。
あと一歩でモノリスを倒壊させるというところで、轟音と共に閃光が巨大なガストレアの頭部を貫く様は見るものを震わせた。
「里見さん、神斬さん、あなた方はこれからも東京エリアの為に尽力してくださいますね?」
跪き「はい」と首肯する蓮太郎。
ジンも蓮太郎に若干遅れながらも肯定の意を返した。
それを聞き届けた聖天子は厳かな声音で続ける。
「私とIISO、フェンリルとの協議の結果、今回の戦果を『特1級戦果』とみなし、里見蓮太郎・藍原延珠ペアの序列を1000番に昇格、神斬ジンを特例序列1200位に任じることに決まりました」
周りが歓声と驚きの声を上げる。歓声は、ここに英雄が生まれたことが改めて実感できたから。驚愕は、神機使いに序列が与えられたことに対してだ。
「里見・藍原ペアの元の序列は123,452位でしたから、凄まじい昇格ですよ。神斬さんも特例とはいえ、神機使いが序列を与えられたのは未だかつてありません。どちらもギネスに載るかもしれませんね」
「は、はい」
「それでは、これにて叙勲式を――」
「聖天子様」
叙勲式を終える宣言をしようとした聖天子を遮って蓮太郎が声を上げたことに、場が俄かに緊張感を帯びた。
本来、この手の式典は多忙な聖天子の時間を割いて行っているため、異議などは唱えず、簡潔な受け答えによって迅速に終えることが暗黙の了解となっているのだ。
「1つ、お聞きしたいことがあります」
それを知った上で蓮太郎は問いを発した。聖天子が僅かに目を見開くのが分かった。
「聞きましょう」
「……俺は、ケースの中身を見た」
「!」
「…………壊れた、三輪車だった。―何故アレがステージⅤを呼び寄せる触媒足りえたんだ?!いや、そもそもガストレアとは一体何なんだ?!教えてくれ、聖天子様!」
「…『七星の遺産』は未踏査領域のとある場所に封印されていたものです。ゾディアックはそれを取り戻しに来たのです。それ以上はお教え出来ません」
「お教えできませんって…」
いつの間にか聖天子からは表情が消えていた。
「民警の序列が上がれば疑似的階級の他にも、機密情報へのアクセスキーが与えられます。現在のあなたのアクセスレベルは3です。並み居るライバルを倒し、序列10位以内に入れば最高アクセス権限のレベル12が与えられます。里見
「…ッ!何故そこで父さんと母さんの名前が出てくる!」
「これ以上、お伝えする事項はありません」
その言葉を聞いて、反射的に聖天子の胸倉を掴みあげそうになったが、寸前でジンに止められた。
「止めとけ。死ぬぞ」
その短い言葉で自分に向けて強烈な殺気がどこからか向けられていることに気付いた。恐らくあのまま聖天子に掴みかかっていたら、何が起こったかも分からないまま一瞬で首を斬り落とされていただろう。
冷や汗を流しつつも拳を強く握りしめ、乱雑にジンの腕を振りほどく。
「……失礼、します」
その言葉を残して蓮太郎は振り向くことなく聖居を後にした。
ジンもそれに続き、聖天子を一瞥してその場を去った。
◆
天童菊之丞は聖居内の広々とした廊下を歩いていた。履いている下駄が硬質な床を踏みしめるカツンという音が、閑散とした廊下にどこまでも響いていく。
蛭子影胤が引き起こした今回の事件が一応の解決を見たとはいえ、その後処理はまだ多く残っている。それに加え、聖天子補佐官としての業務もある彼は非常に多忙だ。そんな彼の元をアポも無しに訪れる人物がいた。
「轡田防衛大臣が首を吊ったそうですね」
声が聞こえた瞬間、懐に入れてあった護身用の拳銃を素早く引き抜き、振り返り様に発砲しようとする。だが、それは音もなく銃身を3分割されたことによって防がれてしまう。
宙を舞う銃身を目にとらえた時には拳銃を投げ捨て、迫りくる刃を無手にて受け流していた。
「親しい部下の突然の自死についてどう思われます?天童閣下」
流された勢いを利用し、頭上を飛び越えるようにして菊之丞の背後に降り立ったのは黒いドレスを着てめかし込んだ少女だ。その装いの中で菊之丞に突き付けている日本刀――殺人刀・雪影だけが異彩を放っていた。
「木更…」
「今回の騒動の結末、私には納得できません」
そう言う木更の目は、決して血の繋がった祖父に向けるものとは思えない冷たい光を放っていた。
「今回の件、轡田大臣首謀の『東京エリア壊滅テロ』で決着したそうですが、私は――」
「木更。政府の決定に貴様が口を出す権利は無い」
(やはり…!)
ザワリ、と木更の殺気が一段と高まる。
雪影を握る手に力がこもり、今まさに斬りかかろうというところで背後の扉が勢い良く開かれた。
そこに立っていたのは肩で息をする蓮太郎と、冷気すら感じられそうな冷たい眼光のジンだ。
「里見く…」
「『ガストレア新法』」
木更の問いかけを聞き流し、蓮太郎は菊之丞に近づいていく。
「聖天子様が周囲の反対を押し切ってねじ込もうとした法案だ。イニシエーターや『呪われた子供たち』の社会的地位向上をさせて、彼女らと共生するための法律。アンタはこの法案を通させないために今回の事件を仕組んだんだ」
そう言う蓮太郎の目には確信の光が宿っていた。しかし、そんなものを認める菊之丞ではなかった。
「何を――」
『ヒヒッ、しがみ付くねぇ天童補佐官』
瞬間、菊之丞の目が裂けんばかりに見開かれる。
視線の先は蓮太郎の手元。ディスプレイに『非通知』と表示されている携帯電話。
「生きていたか…道化師よ」
『おっと、何も証言はしていないよ。挨拶がてら補佐官の元へ案内しただけさ。にしても、里見くん、神斬くん。キミたちのお陰で仕事が出来なくて困っているんだが、どうにかしてくれないかね?』
「…それは人殺しの仕事か?」
『いやぁ、表の仕事さ』
「殺人と合わせてそれもこの機に辞めて転職したらどうだ?
『ヒヒッ、遠慮しておくよ。またそのうち会うこともあるだろう。その時は負けないよ、里見くん、神斬くん』
「……ああ、次こそ息の根を止めてやるよ」
「不味そうだが、欠片も残さず喰い尽してやるから楽しみにしておけ」
『ヒヒヒヒヒッ、ではその日まで暫しのお別れだ。また会おう。里見蓮太郎。神斬ジン』
そこで通話は切れてしまった。
「…証拠にはならんぞ?」
「分かってるッ…。アンタ、あんな奴と取引してまであの法案を潰したかったのか?!」
吠える蓮太郎に対し、菊之丞の表情は小動もしなかった。
「マスコミにリークしようとしたのも、テロの主犯格に
「だが、寸前で報道管制が敷かれ事がうまく運ばなくなった。そこで爺、アンタはガストレアの恐怖を人類に思い出させるため、あのクソ仮面のステージⅤ召喚を黙認したってわけだ」
畳みかけるように木更とジンも言葉を投げかける。するとついに耐えかねたのか、菊之丞は火が付いたかのように叫んだ。
「そうだとも!全ては平和ボケした連中の目を覚まさせるためだ。何故10年前のあの地獄を忘れられる?あの虫けら共の血を宿した餓鬼共にまともな人権を与えるだと?ふざけるな!」
「皆、過去にそれぞれ折り合いをつけて前を向いている。だが、アンタは10年前の憎悪を引きずったまま、補佐官という立場でありながら聖天子様を出し抜いた!聖天子様が嫌いなのか?」
「馬鹿を言うな。あの方を私は心底敬愛している」
「ならッ」
「敬愛しているからこそ許せぬこともある!お前たちは奴らに人権を与えた後の世を考えたことがあるか?人を超えた力が街を闊歩し、奴等の理性のみによって我ら人間の命が握られる日常になるのだぞ…ッ、それは10年前の
「「ッ!」」
その言葉に木更と蓮太郎の脳裏に情景が蘇る。
周りは血に染まり、親しかった人間は無残に喰い殺されるか、醜く悍ましい化け物に姿を変えられる。それが当たり前の日常だった。
そして、あの日。蓮太郎は右手脚と左目を、木更は目の前で父と母を喰われた。
「フン、それで
そう問いかけたのはジン。相変わらず視線は冷めきって、普段の人を食ったような態度はなりを潜めていた。
「…どういうことだ、神斬?」
「10年以上前、アラガミのみが跋扈した時代はフェンリルがこの世を仕切っていた。ガストレアが出現して以降はそれぞれのエリアの元首によって人間の世は統治されているが、それでも前時代の支配者のフェンリルの影響が全く無くなったわけじゃない。そして、それは神機使いにも言えることだ」
「……」
「サテライト拠点問題等で一般市民との溝が未だにあるとはいえ、今回の作戦で大々的に戦果を挙げると神機使いの地位が格段に上がるかもしれない。この爺、いや政府上層はそれを防ぎたかったんだろう」
「神機使いの地位の向上の阻止?何故そんなことを企むというの?」
「この爺も言ってただろ?天童社長。人を超えた力を持ったものが悠然と街を闊歩するのは悪夢だと。…俺たち神機使いはその身にオラクル細胞を埋め込んでいるからな、ある意味『呪われた子供たち』に近しい存在なんだよ」
「…!」
「爺本人は餓鬼共だけを敵視しているようだが、その他の役人には未だに俺らに隔意を持ってる連中が多くいるんだろう。尤も、この爺は俺たちが支部で餓鬼共を保護していることも知っているようだから、俺らのことも敵認定してあの布陣を進言したのかもしれないがな」
「…意地汚い悪食の小童がよう吠えるわ」
唸るようにして菊之丞が出したのはそんな言葉だった。
「『赤目』をあれほど多く匿っていると知ったときは怒りでどうにかなりそうであったよ。所詮、化け物は化け物としか分かり合えぬということか」
「ハッ、東京エリアを壊滅させかけた馬鹿に、俺等も餓鬼共も化け物なんて言われる筋合いはねぇな」
そう言って言葉を切るとその場には沈黙が下りた。しかし、場には恐ろしいまでの緊張感が満ち、その中で蓮太郎とジンは共に菊之丞に鋭い視線を向けていた。
そうこうしていると扉の向こう側が俄かに騒がしくなる。
「…今回は引きます天童閣下。しかし、いずれあなたは私が裁きます。――私の愛した
そう言って木更は踵を返すと、振り返ることなく去っていった。
「1つ聞き忘れた。今回、
「…いや、私ではない」
「そうかよ…」
それだけを聞くとジンもまた木更に続くようにしてその場を後にした。
ジンが去ったのを見届けると蓮太郎もまた扉に向けて歩みを進める。
その途中で菊之丞に問いかけた。
「アンタは、『彼女たち』と生きたことがあんのかよ?」
「何…?」
「あの子たちはつまらないことで泣いて、笑って、拗ねて、人の温もりに満ちている。あいつ等は人間だ。俺は彼女たちを、藍原延珠を信じる!」
「貴様というやつは…」
「『死にたくなくば生きろ』。簡潔でアンタらしい言葉だ。何度もこの言葉に助けられた。――10年前のあの日のことを忘れたことはありません。ありがとう……そして、さようならお義父さん」
◆
『天の梯子』を撃ち終わった直後、蓮太郎は森の中にいた。
生臭い血臭と凄まじい硝煙の臭いとが混ざり合い、鼻が曲がるような悪臭が辺りに満ちている。だが、それに反して音という音が消え去っていた。
目の前には夥しい数のガストレアの死骸。ステージⅠからⅣまで、様々な奇異の姿形をしたガストレアが横たわっていた。
無言で進むと、靴を履いたままの人間の足が転がっていた。大きさからして子供の足だ。
更に足を進めて見つけた。見つけてしまった。
「……」
気にはなっていた。
蛭子影胤とあれだけ派手な戦闘をしていたというのに、ただの一体もガストレアが押し寄せてこないことに。
おかしいとは思っていた。
巨大な『天の梯子』を起動させるにあたって、爆音と振動を辺りに響かせたというのに、発射シークエンスをガストレアに邪魔されなかったことに。
「……どうしてだ。どうして逃げなかった?!」
「…そういうわけにも……いきませんでしたので」
そう言う千寿夏世は焦点の合わない瞳で蓮太郎を見つめ返していた。
左手と右足が半ばより千切れ跳び、それ以外にも大小無数の傷があった。そして、それらがイニシエーターの回復速度であってもあり得ないような速さで再生していく。千切れた手足の断面に至っては、不気味な泡を立てながら徐々に体が構成されていた。
「里見さん…私は…?」
「…恐らく、浸食率が50%を超えている」
『呪われた子供たち』は浸食抑制剤の投与によって、ガストレアウィルスを押さえつけているが、それはあくまで『抑制』なのだ。抑制因子のおかげで一般人のように一瞬でガストレア化することは無いが、力を急激に開放したりガストレアに体液を送り込まれたりすると微々たる速度で浸食率は上昇する。そして一般人同様、体内浸食率が50%を超えると形象崩壊を起こす。そしてこの臨界点は、現段階ではいかなる技術でも引き延ばすことも押しとどめることも出来ない。
やらなければならない。
彼女は、もう、絶対に助からない。
サプレッサーをつけたXD拳銃の照準を夏世の眉間に合わせる。
距離にして3mも離れていない。そんな至近距離だというのに、手が震えて照準が合わなくなる。
歯が砕けそうなほどに食いしばっているというのに、情けない呻きが漏れるのを堪えることが出来ない。
どうしても、視界が滲んで、前が見えなくなる。
(クソ…クソッ……!!)
胸中で毒づくも溢れる涙を止めることは出来なかった。
「…里見さん、将監さんは?」
「…無事だ」
ホッとした気配が伝わってくる。
瞼が落ち、まるで眠りにつくかのようだ。
もう、時間がない。
「…ねぇ、里見さんって友達少ないでしょう?」
「え?」
「…しょうがないから、私が友達になってあげます」
「…そりゃ助かる。困ったことに少ないからな。ありがとよ」
気付けば震えは止まっていた。
「……では、お別れ、です」
「…いや、そうじゃない」
「……え?」
「…『友達』ってのは、またどこかで会うもんだ。だから――
「……フフ、……ええ……またね―――」
引き金を絞る。
1つの小さな命が、人知れず幕を閉じた。
◆
勾田病院前の公園でアイスクリームを嬉しそうに食べる延珠を見つめる。
天真爛漫な笑顔は見る人をも笑顔にする。だが、それも彼女が『呪われた子供たち』だと知った瞬間に憎悪の籠った表情へと変わるだろう。
その時、蓮太郎だけは彼女の味方であらねばならない。
彼女の保護者として、家族として、唯一無二の相棒として。
それなのに、自分はいつか、彼女に銃口を向けなければならないかもしれない。
菫から貰った延珠の診断カルテが脳裏に蘇る。
その時が来たら、自分は一体、どうするのだろう。
今の蓮太郎には、その答えは出ようはずもなかった
藍原延珠 診断カルテ
担当医 室戸菫
・体内浸食率――42.8%
・形象崩壊予測値まで――7.2%
・担当医コメント
超危険域。ショックを受けないよう本人には低い数値を告げてあります。規定により、本人への告知はプロモーターに一任します。
ここからは友として忠告する。これ以上彼女を戦わせるな、蓮太郎くん。