ブラック・イーター ~黒の銃弾と神を喰らうもの~ 作:ミドレンジャイ
6980円。
これが一体何の値段か分かるだろうか。
正解は蓮太郎の2ヶ月分の食費であり、延珠が目の前に持ってきているブレスレットの値段だ。
「で、結局何なんだこれ」
「天誅ガールズが嵌めているブレスレットだ。47士の仲間の証であり、仲間に嘘を吐いたり、欺いたりすると罅が入って割れて仲間に分かってしまうんだ」
どうやら『天誅ガールズ』というアニメのグッズらしい。
延珠が得々とアニメの内容を語っていたが総括すると『魔法少女モノの復讐譚』だ。
ふと横を見ると『天誅ガールズ』のプロモーションアニメが流れている。
天誅レッドがおよそ女子が見せてはいけない凶悪な顔で野太刀を構え、「死ねぇぇぇ!!」という裂帛の気合と共に敵を惨殺、返り血を浴びながら微笑むという猟奇的な場面がドアップで映し出されていた。
一体どの層をターゲットにこのアニメを作ったのだろうか。
その手の大きいお友達のいない(普通の友人も少ないが)蓮太郎には分からない。
「にしても何でこんな高いんだよ……」
「高いか?まあ妾の給料で買うから蓮太郎は財布の心配をしなくていいぞ」
そう言って即刻レジに向かってしまう。
(木更さん……頼むから俺にももうちょい給料をくれ…)
延珠も天童民間警備会社の社員である為、木更からお小遣いにしては多い金額の給料をもらっている。
過去に一度アパートを追い出される寸前まで困窮し、泣く泣く延珠に借金して家賃を払ったことがあったがそれが大きな間違いだった。
翌日延珠が面白がって脚色した話をアパートや周囲の住人に吹聴して回り、周りから『10歳女児に養ってもらってるロリコンヒモ野郎』という大変ありがたくない渾名を頂戴する結果となった。
以降は必死に自分の金でやりくりしているが、ポンポン高額商品を買っていく延珠を見ると胸中に激しい虚無感が満ちる蓮太郎であった。
デパートを出てからは手を繋いでくだらない話をしながら歩いていた。
それでも脳裏には昨日の光景がチラチラと蘇る。
中でもある2つの言葉がずっとこびり付いて離れない。
――『新人類創造計画』
――『大絶滅』
影胤は言っていた。
『内臓の殆どを摘出してバラニウムの機械に詰め替えているがね』
『第787機械化特殊部隊『新人類創造計画』蛭子影胤だ』
聖天子は言っていた。
『ケースの中に入っているのは『七星の遺産』』
『悪用すればモノリスの結界を破壊し、”大絶滅”を引き起こす封印指定物です』
現在人類がガストレアの脅威に晒されつつも生きていられるのは、巨大なバラニウムの塊であるモノリスがあるおかげだ。
エリアを囲っているモノリスが1つでも壊されてしまえば、そこからガストレアが雪崩れ込んでこのエリアは壊滅してしまう。
そんなことを引き起こすヤバイ代物をあんなヤバイ奴、『新人類創造計画』の機械化兵士が狙っている。
今目の前で活気に溢れる街を見ていると、そのことがまるで夢物語の様に思えてくる。
尤も夢は夢でも最悪の悪夢だ。
(何であれ、あの男だけは止めなければ……)
「蓮太郎痛いぞ、放してくれ」
はっとして見ると延珠が困った感じでこちらを見ていた。
考えているうちに知らず知らず手に力が入っていたようだ。
「……わりー、少しぼーっとしてた。行こう」
そう誤魔化して再び歩き始めた。
向かうはショッピングモール。夕飯の為の買い出しだ。
デパートで買うよりもこちらで買った方が断然安上りの為、少し遠出になるが基本いつもこちらを利用している。
交差点の信号待ちをしていると目の前のビルに取り付けられた大型パネルに聖天子が映っていた。
『ガストレア新法は『呪われた子供たち』に手にすべき権利を与える法案です。これは必ずや大戦後の新たな時代の礎となるでしょう』
(ガストレア新法、か…)
この法案は果たして通るのだろうか。
個人的には是非通ってほしいと切に思う。
『呪われた子供たち』の出自は特殊だ。
大抵の母親は自分の腹から赤い瞳をした子供が生まれてくると半狂乱になる。
一時期、川で子供を産みその場で水につけて、目も開けていない子供を殺す子殺しが蔓延り、それが一般的だと言われていた。
例えそれで殺されなくても、再生力が強すぎて過度の虐待の対象にもなった。
延珠もそんな1人だ。
殺されなかった子はほぼ例外なく親に捨てられるし、仮に捨てられなかったとしても大戦で多くの子が肉親を失った。
結果、『呪われた子供たち』に限らず戦後多くの戦災孤児が生まれた。
その状況を改善しようと初代聖天子はある政策を取った。
戦災孤児を引き取った際に、その家に毎月配分型の給付金を支払うようにしたのだ。
これだけ聞けば素晴らしいものに聞こえるが、実際はそうではなかった。
この政策は没後の評価も圧倒的に高い初代聖天子の唯一の失策と言われている。
何故か。
その給付金の額を高く設定しすぎたのだ。
恐らく初代聖天子は100%善意でこの政策を行ったのだろうが、他の人間が100%その善意に答えるわけがない。
結果として延珠を引き取っていったのは『藍原家』のようなハイエナだった。
後はもう推して知るべしだろう。
『この法案を契機に人間同士の対立が消滅し、全ての人間が融和できる社会へと舵を取っていくことこそ、先代より聖天子の座を受け継いだ私の使命だと考えます』
実際、1年前にIISOを仲介して延珠に引き合わされた時は面食らったものだ。
今の様に喜怒哀楽を素直に表すでもなく、笑顔を見せることも無かった。
あったのは16年の人生で味わったことのない圧倒的な拒絶。
眼は敵愾心と猜疑心、行き場の無い怒りと憎悪で溢れかえっていた。
ここまで感情を引き出すのに丸々1年かかった。
そして延珠の様な境遇の子はまだまだいるだろう。
聖天子の政策は彼女らに理解のある者の考え方だ。
だがそれが国民に受け入れられるとは限らない。
むしろ
限りなく味方の少ない彼女らの手を取って共に生きてくれる者たちが、今一体どれほどいるのだろうか……。
そんなことを考えていたからだろうか、前方から何か嫌な感じの空気が伝わってくるのが分かる。
弱小である蓮太郎が今まで生きてこれたのは、こういった勘を鍛え、過ったことが無いからだ。
そして、それは的中した。
「誰かソイツを捕まえろぉぉ!!」
人垣が割れて誰かが走ってくる。
見ると1人の少女が大人2人に追い掛け回されていた。
少女の方はボロボロの衣服を着て、食料品を満載にした籠を持っている。
瞳の色はワインレッド。
(外周区の…『呪われた子供たち』か!)
丁度自分たちが彼女の行く手を塞ぐ様に立っていた。
それに気付き少女は立ち止まる。
恐らく彼女が抱えている品は盗品だろう。
だが、彼女らはそうやって盗みでもしない限り食事も満足に出来ない。
どうすべきか判断に迷っていると少女の後ろから腕が伸び、彼女を地面に強く押し付ける様にして拘束した。
「は、放せぇぇ!」
「大人しくしろ、クソガキ!!」
暴れる彼女を乱暴に押さえつける店員であろう男性2人。
やり過ぎだと思われるものでも彼女の眼が赤いというだけで周りの反応は劇的に変わる。
『盗みなんかやりやがって。お前らは東京エリアのゴミだ!』
『何でこんな奴らがまだ生きてんのよ』
『うえっ『赤目』じゃん、キモッ』
『人間の真似なんかしてんじゃねぇよ、ガストレアめ!』
『くたばれ『赤鬼』!!』
一部始終を見ていた通行人が一斉に罵詈雑言を飛ばす。
少女を擁護するものは一つとして無かった。
ふとその時、取り押さえられている少女が自由になる手で必死に延珠に手を伸ばしていた。
延珠は顔を真っ青にし、震えながらもその手に少しずつ手を伸ばしていく。
マズイ。
そう思った時には少女の手を咄嗟に叩き落としていた。
「ッ!」
ハッキリと少女の顔に怯えが浮かぶ。
「おい貴様ら!一体何をやっている!」
そんな声が聞こえ、警官が2人こちらに近づいて来ていた。
到着した警官は場の様子を一瞥しただけで「ああ…」と冷たく声を漏らし、碌に事情も聞かずに少女を連れて行こうとする。
「放せっ、放せよ!あんた私が何やったかも知らないんだろ?!」
「黙れ化け物。お前らのやりそうなことなんて分かりきってんだよ」
そのまま後ろ手に手錠を掛けられ少女はパトカーで連れて行かれた。
少女が連れて行かれた後、場はまるで事件などなく、むしろ良いことをしたといったような空気が流れていた。
訊いてみるとあの少女は盗みだけでなく、不審に思った警備の男性を力を開放して半殺しにしたらしい。
だが咄嗟とはいえ手を叩き落としたことにバツの悪さを覚えつつも、延珠の手を引いて帰路に着こうとする。
だが、その延珠が拳を握り、眦に涙を浮かべながら睨んできていた。
「蓮太郎…!何故っ、何故あの子を助けてやらなかった?!」
うっすらと瞳が赤くなり始めている。
そのことに気付いた蓮太郎は急いでビルの隙間の1本路地に入った。
「仕方ないだろ、あそこで正体がばれたらお前もああなっていたんだぞ」
「それでも助けを求める者の手を振り切った!」
「俺にだって出来ないことはある!それにアイツがやっていたのは間違いなく犯罪だ!」
正論で返す蓮太郎。
だがそこで違和感を覚える。
延珠は良い子だ。このような場面であれば間違いなく手を伸ばすだろう。
だが、あの少女が
そんなことを考えている間にも延珠の眼から涙が零れ落ちていた。
そこで1つの可能性に思い至る。
「もしかして……知り合い、だったのか?」
泣きながら頷く延珠。
「昔外周区にいた頃に見かけたことがある。…話したことは無かったけど、向こうも妾を覚えていた」
「そんな…」
あの行動は深く考えてやったものではない。
ただ蓮太郎も延珠を巻き込ませないようにと必死だったのだ。
だがそんなことはただの言い訳でしかなく、蓮太郎はもう延珠と目を合わせて話せなかった。
嗚咽が聞こえる中、自分の良心に訊いてみる。
答えを出すのにそんなに時間はかからなかった。
「……延珠、1人で帰れっか?」
民警のライセンスを提示し、道行く学生から合法的にスクーターを頂戴し件のパトカーを追う。
向かう先がどんどん人気が少なくなり、悪い予感が募る。
外周区付近まで来てしばらくして、廃墟の1つの傍にパトカーが止まっていた。
スクーターを見つからない場所に隠し、慎重に近づく。
何故こんなコソコソしているのかは分からない。
だが疑うより自分の直感を信じる。
そして、見つける。
少女は鉄柵を背にして立たされていた。
顔色は真っ青でしきりに震えている。
背を向けている警官たちは無言のまま剣呑な雰囲気を醸し出していた。
その時蓮太郎の眼にあるものが入る。
警官の腰。
革製のホルスター。
そこから見える、民警なら誰もが持っているだろう凶器。
『呪われた子供たち』、『奪われた世代』、差別、事情聴取も行わない警官、人気のない外周区、――そして拳銃。
頭の中で不吉に閃いた言葉たちが、想像したくもないビジョンを勝手に脳裏に描いていく。
そんなはずはない。
そう強く思うが現実は非情だった。
徐に警官の二人が拳銃を抜き、
(まさか……)
ピタリと少女に狙いを付けていた。
(おい……)
引き金に指がかかる。
(止め……ッ!!)
一連の出来事がスローモーションの様に映りながらも、しかし蓮太郎は奇妙なものを見た。
相変わらず青い顔で震えている少女。
その足元。
何か円筒形のものがコロコロと転がっていた。
そして今まさに警官が引き金を引き絞るというところで――
カッッ!!
とても目を開けていられないほどの眩い閃光が走る。
狙いを付けるために少女を見ていた警官はモロに食らった様で、一瞬で視界を奪われていた。
蓮太郎は直前に気付いた為、手をかざしてある程度防げたがそれでも多少視界を潰された。
警官たちが悶えている間に目が回復し確認すると、少女は既にどこにもいなかった。