ベルナ村に住みたい。
「ベルナ村……なっつかしいな!」
「にゃあ~。風が気持ちいいにゃ」
飛行船から降り立った俺の足を、ふんわりとした緑が迎えてくれる。
どこまでも広がっていそうな草原に包まれたこの高原は、とても空気が澄んでいた。息を吸う度に、肺の中が洗われるような、そんな感じがした。
「観光気分してんじゃないわよ。龍歴院ってどこかしら……」
「あれじゃない? ほら、奥になんかでかい白い建物あるじゃん」
背後で周囲を見渡すヒリエッタと、奥にある石造りの建物を指差すルーシャ。
普段ドンドルマで活動している俺たちハンター四人は、今ベルナ村にいる。ドンドルマとは違う風を浴びて、飛行船を後にした。
「お待ちしておりました、ハンター殿」
そんな俺たちを迎え入れてくれたのは、橙色に近い茶色の髭を豊満に生やした初老の男。杖を手にしている割に、ぴんと伸ばした腰で俺たちに相対した。
両手を広げて、俺たちを歓迎するその姿。彼の後ろには数人の村民らしき姿もあり、彼がその代表であることが窺える。十中八九、この村の村長なのだろう。
イルルが少し、俺の後ろに回って腰布をそっと掴んできた。そんな彼女の頭を撫でながら、この男へと向かい合う。
「ベルナ村へようこそ。どうだろう、ドンドルマのような都には敵わぬとも、ここの風とチーズには大きな自信がありますよ」
「……確かに、芳醇でいて芳ばしいこの香り……。チーズだ。チーズの濃厚な香りがする……ッ!」
「旦那さん、どうどう」
「私たち、龍歴院に呼ばれてやってきました。龍歴院には、どう行けばいいですか?」
村中を洗う風に紛れて、確かにチーズの香りが漂っている。
思わずその匂いの元に誘われてしまったが、イルルがお腹に引っ付く形で止めてくる。
一方のヒリエッタは、せっかちにも村長らしき男に道を尋ねた。眉間に皺を寄せ、とにかく急いでいる様子だ。
「話は聞いております。龍歴院は、あちらの奥にある建物……。この道を、まっすぐ進むとよいでしょう」
「……有り難うございます」
「ちょ、ヒリエッタ! もう行くの?」
「救難信号出てるんでしょ!? 急がなきゃ……!」
「どっちにしろ、古代林までは空路で二日かかるって聞くぞ。そう急いでもあんまり変わらないんじゃないか?」
キッと、ヒリエッタは俺を睨む。
しかし、何か言うことなく歩き続けた。
「……ありゃ相当だなぁ」
「イズモ……さん? が、行方不明なんだっけ。あの二人、そんな仲良かったの?」
「さぁ……手紙のやりとりをしてる、とは聞いてたけど」
「へぇ……」
「にゃ……ふみゃん!?」
ヒリエッタの後姿を見てルーシャとひそひそ話していたところ、突然のイルルの悲鳴が響く。
振り向いてみれば、俺と同じ目線にイルルの瞳があった。首根っこを、白くふわふわとした生き物に咥えられながら。
「にゃー!? 何にゃ!?」
「うお、なんだこいつ。旨そう」
「二言目にはそれなの……イルルちゃん、大丈夫?」
「なんだっけ……ムーファだっけ、これ」
「よくご存じですな。そう、これがムーファです。この村の特産として毛や乳製品が有名なのですよ」
「へぇ~……」
村長らしきこの男の話を聞きながら、イルルを抱いてムーファから離す。
びっくりしてしまったイルルは、覚束ない手付きで俺の鎧の紐を掴んだ。心なしか、尻尾が大きく膨らんでいるように見える。
「ムーファかぁ……何か、ミルクなりなんなりをこれまで使ったことがある気がするな。そうか、チーズが絶品だって聞いてたけど、発祥はここだったなそういえば」
「えぇ。あの、火竜の装備をしたハンターさんが向かった先……龍歴院にも、専属のコックがいますよ」
「あぁ……あのキッチンアイルー希少種か……思い出した」
「キッチンアイルー希少種?」
「見れば分かる。いろいろやばいぞ」
こてんと首を傾げるルーシャ。
あの姿は、初見では度肝を抜かれるだろう。アイルー愛好家の彼女も、あれにはどのような反応を見せるのだろうか。
「……ヒリエッタに置いてかれちゃったな。俺たちも行こう」
「だね……。龍歴院から直々の指名だなんて、凄いことだよ。遅れちゃまずいよね」
そう。龍歴院からの直々の指名。
彼らはわざわざ、ドンドルマの俺を名指しして、こんな遠方のハンターを呼び寄せたのだ。
それは三日前のあの日。イルルと、ヒリエッタと、卵でプリンを作っていたあの日の出来事だった。
◆ ◆ ◆
「古代林に、謎の古龍が現れた?」
「うむ……」
届いた書類の、大まかな内容はそれだった。
ハンターの活動圏に古龍が入ることは、確かに頻度こそ少ないが別段珍しいことではなかった。
とはいえ、それによってクエストの受注にも大きな制限が掛かるため、一生かけても古龍と巡り合えないハンターも多い。
一方でG級ハンターともなると、こういう時にお呼びがかかるもの。これも、その一つなのだと思っていたが――――。
「この古龍って」
「そうじゃ。主が樹海で遭遇したという例のものに酷似している……」
銀色の甲殻。
流線形の、鋭利な体。
火を噴く翼に、流星のように跳び回るというその特徴。
クエストボードに貼られたそのスケッチの主は、俺が今追い求めているあの姿そのものだった。
「間違いない……あいつだ。古代林にまで飛んでるのか……」
「龍歴院は、奴に正式な名前をつけた。天彗龍――『バルファルク』とな」
「バルファルク……ねぇ」
トレッドに話した時も、まだ名前はないと言っていた。
ギルドも未だ未確認だったその古龍。しかし、未知の樹海に雪山、そして今回の古代林。どれも隣接しているわけでもなく、大きく距離が離れたロケーションだ。それだというのに奴がこうして姿を見せているということは、奴の活動範囲がそれだけ広い証拠だろう。
あの、これまで確認されているどの飛竜や古龍とも全く類似しない飛行方法は、それだけのスピードを生み出せるということなのか。
「龍歴院の話では、最近古代林の生態系に異常が見られるということでな、調査を長い間続けているそうじゃ。それで、奥深くに謎の古龍を発見したらしい」
「古龍? こいつとは別の?」
「うむ、そちらはもっと大柄でな。全身に骨を纏った双頭の龍だったと聞く」
「双頭!? 蛇みたいだな……。突然変異か何かなのか?」
「分からん……。それが、調査用の飛行船を何機も墜としてしまったようじゃが……討伐は果たせず、海に消えたらしいの。そう、ちょうど主が氷海で淆瘴啖を討った数日前のこととのことじゃ」
「へぇ……」
あの時、龍歴院はそんな事態になっていたのか。
イズモも、それに関わっていたのだろうか?
「それで、しばらく古代林は落ち着いたそうじゃがな……最近、再び同様の事件が起きておる。調査用の飛行船が、行方不明になる事例が増えたのじゃ」
「それって、またその古龍が戻ってきたのか?」
「その可能性も十分あるじゃろう。それで、龍歴院はまた調査部隊を向かわせた……その矢先に、これじゃよ」
「そうか……最悪のタイミングで、古代林に飛来したんだなこいつ」
「そう、それもすぐ飛び立つこともなく、長く居座っていると聞く。シガレットよ、主はこの古龍との交戦経験があると聞くが、この事例に思うところはないか?」
「……こいつ、自分が手酷くやられると、悔しいのかその場に居座る傾向があります。以前雪山で戦った時も、そんな素振りが見られたし」
「ふむ……そうか」
「……で? なんで、わざわざドンドルマのハンターなんて指名してるんすか? 龍歴院にも、優秀なハンターはいるでしょうに」
「うむ、どうやら天彗龍の乱入によって、調査部隊の一部が行方不明になったようじゃ。龍歴院の精鋭を出しただけに、外部の力、それもこの古龍との交戦経験がある者の力を借りたいそうでな」
「それで、俺かぁ……。行方不明っていうのは?」
「四名で調査に赴き、バルファルクと遭遇したそうでな。一人が殿を務めて他三名は帰還できたものの、その一人が戻らんようじゃ」
「なるほど……」
「その残った者が、シガレット……主の旧友じゃよ」
「え?」
「イズモ、という男じゃ」
「えっ……」
「イズモですって!?」
これまで黙って食卓についていたヒリエッタが、突然大声を出した。
と思えば、大長老の目の前まで駆け寄って問い詰め始める。
「どういうこと!? イズモって……ユクモ村のあの……!? 彼が行方不明なの!?」
「落ち着くのじゃ……。彼とて経験豊富なハンターじゃ。きっと、森から抜けられずとも生き延びているはずだろう。それよりも――」
「そこに居座ってる古龍が問題……だな。分かりました。行きましょう、ベルナ村」
「うむ……頼む。できる限り、優れたメンバーを集めて向かってほしい。これは、龍歴院とハンターズギルド双方の問題でもあるじゃろう」
古龍の存在は、どの機関においても大きな障壁となる。
それも、どちらも新種の古龍だ。一つはようやく名前がついて、もう一つは全貌もまるで掴めていない。
龍歴院がハンターズギルドに助けを求めたなら、ギルドもそれに応えたいのだろう。そうすれば、今後交渉を有利に進めることができるから。貸しを作れる状況というのは、願ってもないことに違いない。
なんて考えていると、ヒリエッタがずいっと俺に近寄ってきた。表情を強張らせて、強い意志を瞳に宿しながら。
「シガレット! 私も行くわ!」
「お、おう……分かった」
「早く! 早く準備するわよ!」
「待て待て。メンバーが足りない。イルルと……ルーシャが来てくれそうかな。トレッドが来てくれたら頼もしいんだけど、あいつ相変わらず音沙汰ないしなぁ」
「うん……でも、それで四人ね。時間が惜しいわ! 返事を待ってるなんて」
「分かってる。俺はイルルを呼んでくる。ヒリエッタは、ルーシャに声をかけてくれるか?」
「うん、行ってくる! 大長老さん、今日中にでも便は出せる?」
「うむ、取り計らおう」
大銅鑼が、まるで景気づけのように鳴り響く。
イズモが行方不明、なんて。しぶといあいつのことだ。こんなことでくたばるとは思えないが――――。
それでも俺は、前に進むしかない。
ついでに、古代林の旨いもんでも探させてもらおうか。
◆ ◆ ◆
「とりあえず……状況を……ん、うまっ……聞かせて、くれ……ごくん」
「アンタ……なんでさも自然に食卓についてるのよ……」
「ミィの飯を早く食べたいということですニャ? ならば! 腕によりをかけて作りますニャ!」
そう意気込むのは、俺よりも背丈のある大柄なアイルー。ニャンコックと呼ばれるキッチンアイルー希少種だ。
糸目に巨体、野太く荘厳。アイルーの可愛らしさを捨て去り、料理のみを求めたのだろう。どことなく、チーズを思わせるにおいが毛穴の奥から漂っているような気がする。
「ふああぁぁぁ……何このアイルー……」
「ニャ? ミィの顔に何かついてますかニャ?」
「でっかい! 大きい! たくましい! 何このアイルー! 一周回って可愛い!!」
「マジかよ」
「守備範囲広いわね」
「うにゃ~……」
龍歴院前広場は、この組織に所属するハンターたちの憩いの場となっている。
言わば、ありふれた街で言うところの、酒場に近い役割を果たしているのだろう。
ハンターや研究者らしい竜人の往来で溢れ、書物とチーズの香りが漂うこの広場。野外にあるだけに、風が全身を優しく撫でていく。酒場のような喧噪とは程遠い、風と草の香りに包まれた良い空間だ。
何より、外で食べる飯というのもなかなか乙なものである。
「あぁ~、街の中にいながら狩猟飯してる気分。相変わらず良いなここ」
「旦那さん、ここに来たことあるのにゃ?」
「随分前だけどな。ここの教官の狩猟講座を聞きに来たことがあるんだ」
「そうだったのにゃ……知らなかったにゃ」
「ここのチーズは絶品だぞ。マジで、何絡めても旨い」
「にゃー! このウインナー、絡めちゃうにゃ」
「お、いいじゃんモスソーセージじゃんそれ最高!」
食卓に並んだ俺とイルルはチーズを舌鼓し、ルーシャは鍋をかき混ぜるニャンコックに見惚れている。
そんな状況に呆れているのか、頭痛の種なのか。ヒリエッタは頭を抱えながら、それでも例の調査から帰還したらしいハンターに事情聴取を続けていた。
「……それで、生還者は三人ってことで間違いないのね?」
「あぁ、間違いない」
そう答えるのは、赤い髪を襟足で一つ結びした大柄な男だった。
年齢は随分若そうだ。俺より一回りは下だろう。背にはガンランスを背負っており、槍使いには珍しく盾を槍に重ねるように、背中に収納していた。盾のしまい方だけ見れば、盾斧を背負っているようにさえ見える。
「例の古龍とは、戦ったの?」
「あぁ、戦ったさ……。だけど、とてもじゃないが敵わなかった。俺と共に戦った二人は大怪我しちまってな。しばらく狩りはできないだろう」
「そう……」
「足をやられて、俺はそいつらを担いで、逃げるので精一杯で。その逃げる時間を稼いでくれたのが、イズモなんだよ」
「……あいつ、ほんと無茶ばっかして、もう……」
ヒリエッタは、歯痒そうに唇を噛んだ。
何か、思い当たるところでもあるのだろうか。
「……イズモは、死んだのか?」
「ッ! シガレットッ!」
「悪い。だけど、確認しなきゃダメだろ。それで俺らの対応も変わってくる」
「……くぅ……ッ」
「……俺は、死んだとは思わない」
銃槍使いのその男は、はっきりとそう言った。
「例の古龍は未だに古代林に居座っている。シガレット……さんの話が事実なのだとしたら、奴は自分に一矢報いた存在を探し続けているということだ」
「……その一矢報いたのが、イズモっていうことね」
「あぁ、そうだ。その彼を今もなお探し続けているということは、イズモは今も生き延びている可能性が高いだろう」
「……なるほど」
確かに、納得できる。
雪山の時もそうだったのだ。あの古龍は、相当根に持つ性格をしているのだろう。
となると、奴はイズモの死亡を確認できていないということだ。イズモが生きている可能性も十分あり得る。
「……しかし、イズモがあいつと戦えるなんてなぁ。俺、あいつには刃に巻き込まれたり踏まれたりした記憶しかないからイメージ湧かないや」
「……確かに、あんまり強そうな印象はないわよね」
「いや、彼は強い。大丈夫だ。俺が保証する」
「……ま、そうだな。あいつすげーしぶといし、何があっても折れないから」
赤髪の彼は、力強くそう頷いた。それに、俺も同調する。
龍歴院で共に戦ってきた仲間だからこそ、言える言葉なのだろう。その自信の満ちた彼の響きに、ヒリエッタも少し安堵したようだ。うっすらと、口元を綻ばせた。
「……それじゃ、私たちは救出に行くわ。すぐにでも向かうわよ」
「おいおい、もう行くのか?」
「空路で二日はかかるんでしょ? 船の中で休めばいいじゃない」
「マジかよ……。イルルは、それでもいいか? 寝にくくないか?」
「にゃあ、旦那さんの傍で寝られたら、ボクはなんでも」
「そっか……分かった。ルーシャは?」
「ほあああぁぁぁ……鍋掻き回してる……肉球おっきい……たまりませんなぁ~……でへへ」
「…………。とりあえず飯だ飯! 喰わなきゃやってられねぇ!」
「……しょうがないわね。飛行船の準備ができるまで、各自食事と準備! それで行くわよ!」
ヒリエッタはそうまとめると、工房の方へと歩き出す。武器の最終調整でもするのだろうか。
ルーシャは相変わらずニャンコックに釘付けだ。そんなに可愛いか、あれ。
「旦那さんは……」
「俺は腹の最終調整をするぞ」
「……うにゃ。知ってた」
とろりとした、芳醇なチーズ。それに、乱切りにカットされたヤングポテトをくぐらせる。
黄金のその身に、さらなる黄金が降り掛かった。全身に纏うように、チーズがポテトを埋め尽くしていく。何と言うことだろう、なんて美しい浸かり具合だ。
「……美しい。完成された食っていうのは、ある種の芸術だな」
「もったいなきお言葉感謝ですニャ。さぁ、存分にお召し上がりくださいニャ!」
ニャンコックにそう促されるままに、俺はチーズを滴らせたそのポテトを一心に頬張った。
熱々のそれが、口の中で瞬いた。
とろりとしたチーズの香り。
ほくほくのポテトの食感。
それが、口の中で混ざり合う。全く異質のそれらが、さも一体であるかのように口の中で溶け合った。
甘い。芋の甘みが、チーズの甘さと一体化する。
何て言うんだろう。ほろほろと口の中でほぐれる食感が、チーズのとろみに包まれてまろやかになるというか。その甘みがポテト由来のものなのか、チーズ由来のものなのか分からなくなる。
とにかく甘いのだ。どうしようもなく、甘いのだ。
「にゃあ、チーズとお肉も相性抜群なのにゃ~」
「チーズって、めちゃくちゃ味を深めてくれるよな!!」
とろみとほくほく感が一体化するそれを飲み込んで、イルルが堪能するモスソーセージを串に刺した。
大きさは、俺の親指よりも太く、中指よりも長い。そんな立派なソーセージを、芳醇なチーズに海に絡ませ、その柔らかな金の繊維を一本一本絡めていく。
引き上げてみれば、それはまさに黄金の塊だ。鼻孔をくすぐる濃厚な香りに、俺は我慢できずかぶりついた。
「うもっ……!!」
脂。脂の甘みが、チーズに溶ける。
まず歯茎に絡みつくのはチーズの柔らかさ。その奥から、張りのいいソーセージの食感が歯茎に届く。パリッと割れて、中から肉汁が溢れ出した。それがチーズと絡み合い、濃厚な旨みに昇華していく。
なんということだ。咀嚼が止まらない。
「歯応えある肉が、チーズによってとろけていく……。これは、なかなか味わえないぞ」
「にゃ、にゃ? これ、ヘブンブレットにゃ?」
「おぉ! それ、めちゃくちゃ合いそうだな!」
『天にも昇りかねないほど旨い』がキャッチフレーズの有名ブランドパン、ヘブンブレッド。どこのギルドの食堂とも提携され、世界中のハンターが今もどこかで頬張っている。
それほど慣れ親しんだこのパンだが、当たり前のようにトーストすると旨い。どこの店でも、トーストされたものが一般的だ。俺が知っている味も、その大部分がトーストによるもの。
だが今は、目の前にチーズフォンデュがある。このパンを贅沢にも黄金のチーズの海にくぐらせるなんてしたら。
「おおお……ッッ!」
「にゃあ……パンにチーズが浸みこんでいくにゃ……!!」
「繊維の一つ一つがパンに絡まっていくようなそんな感じだな……美し過ぎる……」
ぶつ切りにされたそれをフォークで突き刺して、チーズの海に浸してみれば。
光を白く照り返すほど純白だったその生地が、チーズの金色に染まるまで漬け込んでみれば。
「うにゃ……これ好き……っ」
ぱくっと口にしたイルルが、幸せそうに身悶えしている。口元の可愛らしいひげが、ふるふると揺れていた。
パンの鼻を抜けるような香りは、チーズの情熱的な匂いに全て塗り替えられていた。ふわふわの食感は、滑らかさと口どけの良さに埋め尽くされている。
そして、その甘さは。パン特有の、そのままではどこか物足りない甘さを、全て浸し尽くしていた。後を引かない、直情的ながらも優しい甘み。鼻孔を吹き抜ける、上品なフレーバー。
「これ好きにゃ~。もう、パン一本まるまる食べちゃうにゃ」
「そんなに気に入ったのか?」
「にゃん! これほんとに美味しいのにゃ!」
このパンとチーズのコラボレーションに感動したのか、イルルはぶつ切りにされたパンを大量に皿に乗せ、さらなるチーズとの掛け合いを楽しもうとしている。量にしたら、パン一本分くらいは確かにありそうだ。
そんな、嬉しそうな相棒の姿を眺めながら俺も適当に具材を串に突き刺していった。
ボルボロッコリ―は、緑色の細かな芽と芯のある茎が特徴の野菜だ。
その鮮やかな緑に、黄金のチーズを絡ませる。口に含めば、チーズを被ったわしゃっという食感から、その奥のぼりっという食感が混ざり合うのだ。細かな芽の部分はとても柔らかく、チーズをよく染み込んでいる。茎の部分は、歯応えある食感の中に微かな甘みを感じさせた。
噛むのが楽しい。食感がとても不思議だ。火を通すために塩ゆでをしてあるおかげで、ほんのり塩っ気もあるような気もする。甘くて、しょっぱくて、面白い。
塩っ気といえば、女帝エビもだ。海という天然の塩漬け器で育ったこのぷりぷりの身は、ほどよい塩味ときめ細かい繊維の束で満ちている。
噛めば快活。呑み込めば快感。生でも、焼いても、茹でても、なんでもいける。海の代表食の一つと言えるだろう。今回は、このボイル済のものをいただこう。照り付けるような赤が眩しい。輝かしい。
「ふっふっふ……」
それを、贅沢にもチーズに絡める。
俺の拳よりも大きい、この立派な身に黄金が降り注いでいる。
「んあー……」
その大きさに合わせ、俺も大口を開けた。
食べやすい大きさに切り分ける、なんてことはしない。
がぶりゅっ!
咀嚼した瞬間、そんな小気味良い音が響く。
隙間なく重なっていたエビの繊維が、噛む度にほどけていく。とろとろとしたチーズが、それに絡み合っていく。
ヘブンブレッドやボルボロッコリーとは違い、エビの繊維はきめ細かい。チーズを絡めても、染み込ませるような隙は与えてくれないのだ。
しかし、口の中でそれをゆっくりほどいてやると、話は別である。
チーズの甘さを、芳醇さを、そのあっさりとした身が受け入れ始めた。程よい塩気と濃厚な甘さが、互いに溶け合っていく。張りの良い身が口の中で減る度に、その溶け合った新しい旨みは、俺の舌を海原と草原の共振へと
「――はぁぁ、食った食った!」
「うにゃ~。満足にゃ~、幸せにゃ~」
出されたものをチーズに絡め、頬張って。
さらに出されたものを絡めては頬張って。
全て平らげた俺たちは、ようやく食卓から腰を浮かす。口元にチーズを残したイルルの顔を布で拭きながら、俺は満腹になった腹を軽く叩いた。
「ニャ! お粗末様でしたニャ!」
「ふわああぁ! 喋ってる~。カワイイー!!」
「なぁこのチーズフォンデュどうやって作るんだ?」
「ノンノン。これはとっても大事な企業秘密、お答えできませんニャ」
「ふはっ……むっくりした指を立ててる……かわっ……」
「そうか……残念」
「この味が恋しくなったら、是非またここへお立ち寄りくださいニャ。たっぷりサービスいたします故!」
「ふっほーーー!! サービス!? どんな!? どんな!?!? あっちょっ鼻血が……ふひゃああーーっっ!!」
俺とイルルが食べている間もずっとニャンコックに釘付けだったらしいルーシャは、鼻血を垂らしながら後ろに倒れ込んだ。
いろいろ思うところはあるが、周りのハンターも驚いたように彼女を見ている。俺はあえて、他人の振りをしておこうと思う。
前回に引き続き拠点飯ですみません。
今回は企業秘密なためレシピ公開はお休みです。チーズフォンデュしたいですね。フォンデュもいいですが、ラクレットというやつも気になります。最近ラクレットメーカーメルトという大変魅力的な調理器具を見つけてしまい、買おうかどうか悩む毎日なのです。
赤髪のガンランサーは、一応名前付きのオリハンター。この人がメインのプロットも、実はいくつかあるんです。執筆はできていないけどね。いつかガチめのガンランス描写してみたいでござる。
ニャンコック、あのふくよかさは言いようのない魅力がある気がする。一部のウアスアンク使いのせいでイメージ悪いですけどね。でも、知り合いの一人はグルニャン一式で超特殊屠ってたし、私の中のイメージは見事に二分されている。
……ニャンコックに眼鏡かけたような奴、高校のクラスに一人はいるよね。ってそれ俺やないかい。
閲覧有り難うございました。
☆
Twitterの方でzokさんというお方からイラストをいただきました!第2章の終盤のものですが、凄いので見て……。
【挿絵表示】
該当するお話の方でも貼らせていただいてますが、最新話でもご紹介のコーナー!でした!