モンハン飯   作:しばりんぐ

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 前回の次回予告はもちろん嘘だで。





脂肪遊戯

 

 

 扉を開ければ、立っていたのはスキンヘッドの男。あの忌々しいシャドウアイが目立つものの───クソ店主とは違う奴のようだ。

 彼は、俺に気付くや否やあっと口を開ける。一体何事だ。お前は誰だ。どこから入っていた。そう言いたげに、あんぐりと開いた口。

 こいつが、一連の関係者である確証はなかった。───扉を開ける、その時までは。

 開けるや否や聞こえてきた、ネコの悲鳴。イルルが悲痛な声で、俺を呼んでいる。

 それだけで充分だった。こいつを蹴り飛ばすには。

 

 

 

 

 

「───なっ、なんだ!?」

 

 突然降ってきた、大柄の男。それが音を立てて、工具の詰まった木箱を押し潰す。気絶でもしてしまったのだろうか。彼は起き上がることもなく沈黙し始めた。

 一方で、その様子に驚愕の色を差した顔が三つ。あの忌々しいモヒカンは、驚愕の声を上げる。太刀を背負った無精髭の男は、訝しむような目でこちらを見ていた。

 嫌な目だ。自分勝手に生きていることが伝わってくる。他人を何とも思っていない、嫌な目だった。

 

「……よう」

 

 やや高台に位置した入り口から、奴らの土俵へと跳び降りる。背後の壁には、埋め込まれたような梯子が列を成していた。

 どうやらここは地下のようだ。まさか、こんなところに廃工房があったとは。

 

「おっ、お前……!?」

「探したぜ……このクソダサモヒカンウンコヤロー」

「んの……曲者がぁ!」

 

 モヒカンの横から、同じくスキンヘッドに頭を染めた男が飛び出してきた。さっき蹴り飛ばしたハゲとよく似ている。双子だろうか。

 今度は、ナイフを携えていた。剥ぎ取りナイフほどの大きさもない、小振りなナイフ。それを振りかざしては、俺へと迫りくる。

 

「くせ者はお前だよ。セリフがくせぇっての!」

 

 風を斬る切っ先は、俺の目頭を狙っていることがバレバレで。スッと首を傾けるだけで、それは俺の真横を通り過ぎていった。

 そのまま、俺の背後へと流れた後頭部。空いた右腕を持ち上げては、勢いよく後ろに肘を出す。肘が頭を、まるで鐘のように打ち鳴らし、小気味良い音をこの地下空間に響かせた。

 

「がっ……っ!」

 

 随分いいところに当たったのだろうか。彼はそのまま前のめりに倒れ込んでは、ピクリとも動かなくなる。

 そもそも、こいつ誰だ。さっきのハゲも誰だ。

 

「……イルル」

 

 いや、こいつらが誰かなんて、どうでもいい。それよりも、今はイルルだ。イルルさえ、イルルさえ無事ならば。

 俺が名前を呼ぶと、モヒカンの背後にあったテーブルが軋んだ。布をかけられた白い塊がうなり、その先から伸びたこれまたふわふわとしたものをピンと立たせた。

 

「……ヒリエッタ。気絶した奴らを縛ってくれるか? また動かれたらめんどくさい」

「う、うん……!」

「あとルーシャ。俺はあのクソモヒカンをやるから、イルルを助け出してやってくれ」

「分かったわ……!」

 

 背後の壇上の気配に向けてそう声をかけると、戸惑いを含んだ返事が返ってきた。

 それがそのまま着地の音になる前に、俺は前へと駆け出す。あの忌々しい、シャドウアイの男に向けて。

 

「おっ……このッ!」

 

 慌てて構えるその男。駆ける勢いを維持しては右手を掲げると、奴は瞬時に左腕を盾にした。

 よく見ている。俺が手を出した瞬間、左頬が狙われていることをすぐ察知したようだ。

 ───惜しむらくは、それをブラフと理解していないところであるが。

 

「バーカ」

 

 そうしてがら空きになった右頬。そこに向けて左脚を振り抜いた。突き出すように見せかけた右腕を、勢いよく後ろへと振る。その勢いのまま、俺の体は時計回りを繰り出して。遠心力は、伸ばした左脚へと乗りかかる。

 流石に覇竜の義足で顔を蹴るなんて、非人道的なことをするつもりはない。その代わりと言っては何だが、俺は膝を突き出した。

 

「ガッ……!?」

 

 浮いた体を、振り抜いた足で縫い止める。じゃりっと音を立てながらも、石造りの床は俺の体を受け止めてくれた。

 一方で右頬を打ち抜かれた奴は、その巨体を勢いよく転げさせる。シャドウアイは耐え切れずに飛び出して、地面を激しく削っていった。

 石造りの床には生々しい血痕が付き、歯が数本その色を彩っている。しかし、この店主はあのハゲ二人よりは多少鍛えているのだろうか。血反吐を吐いて、よろよろと膝をつきながらも、彼は何とか身を起こした。

 

「かはっ……お、お前……どうやってここが……っ!」

 

 シャドウアイが消え、露わになった奴の両目。黒目が小さなその三白眼で、俺を憎々し気に睨んでいる。

 

「それお前に言って意味あるか?」

 

 その鼻っ柱に、今度は右膝を。何かが折れる音がした。

 

「ぁッアァっ……!」

 

 声にならない声を上げては、奴は後ろへと倒れ込む。鼻から、これまた黒い血の塊を噴き出しながら。

 流石にこれは堪えたのだろうか。奴は呻き声を上げるものの、起き上がることはなかった。ただ、苦し気に胸を震わせている。そんな奴の、露わになった右手に向けて。

 

「イルルを触った汚ぇ手は、これか」

 

 振り下ろしたのは、左脚。重殻の踵を、その掌に向けて。

 野太い悲鳴が響き渡る。先程よりもさらに鮮明に、何かが砕け散るような音が聞こえた。丁度軟骨を噛み砕いた時のような、そんな快音だった。

 腕を抑えては呻き声を上げるそいつを、蹴りつける。ただただ雑に蹴りつける。

 

「まぁいいや、教えてやるよ。お前、イルル捕まえるのにナイフ使ったよな? ベンチに毛が少し残ってたぜ」

「あぐっ、はぁっあッ!」

「そうじゃなくても、今は季節の変わり目だ。換毛期っつってな、抜け毛が多いんだ。だから、毛が少し残ってたのさ。あの風通しの悪い路地によ」

「あっあっ……あぁ……ッ……」

「だからそれを蟲に嗅がせた……んだけど、これだったら別に路地いかなくても自宅に残った毛使えば良かったかもなぁ。……って、もう聞いてないか」

 

 既に意識をなくしては、白目を剥き出しにした店主。その邪魔な肉の塊を蹴飛ばしては道を作り、奥にある血生臭いテーブルへと足を進めた。

 困惑した様子でこちらを見ていたルーシャだったが、俺の視線に気付いては慌てて布へと手を伸ばした。イルルの顔を覆い尽くす、その黒い布へ。

 

「……イルル」

「───だん……な、さん……?」

 

 大きく見開いた目は、俺の姿を儚げに映していた。

 信じられない。夢なんじゃないか。そんな思いを映したかのように、揺れ動く瞳。小刻みに震える彼女に傍に寄っては、その柔らかい頬へと手を伸ばした。

 

「……遅くなって、ごめん」

「……だんなさん。……だんな、さん……旦那さん……っ!」

 

 俺に跳び付こうとしたのだろうか。テーブルをぎしりと軋ませたが、手足を縛るロープがそれを許さず、イルルはきゅんと小さな悲鳴を上げる。

 そんな小さな体を、テーブルの上からそっと覆い込んで。彼女の耳元で、俺は小さく囁いた。

 

「もう大丈夫だ。……会いたかった」

「旦那さん……っ! 旦那しゃあぁぁん……っ!」

 

 ポロポロと。その大きな瞳から、これまた大粒の涙が零れ落ちる。震える体で、可愛らしい口元で、彼女は嗚咽を漏らしながらも俺のことを何度も呼び続けた。

 イルルに、本当に怖い思いをさせてしまった。ストレスからか毛並みはやや乱れており、足には包帯が巻かれている。何とか解体される直前に滑り込めたようだが、だからといってなかったことにはできない傷が、彼女に刻まれてしまったような。そんな気がした。

 

「───無視してんなよォ! 兄ちゃんッ!」

 

 突然の疾風。

 乾いたような男の吠え声。

 思考の隙をついたかのように、あの和装の男が飛び出した。その背の太刀が、しゃらんと音を立てては風を薙ぐ。

 思わず反応が遅れた。避け切れない───

 

「こんの……ッ!」

 

 その太刀筋を、赤い鎧が覆い隠す。よく見れば、その鎧は大振りの剣を構えていた。

 瞬間、刃と刃が擦れる、耳を(つんざ)くような音が響き渡った。

 ───厳めしい大剣。それで俺たちを庇ってくれたのは、焦ったように冷や汗を垂らす少女。ヒリエッタだった。

 

「バカ! まだ残ってるのにイチャつかないでよ! くっ……ッ!」

「おォ……やるねェ、姉ちゃん。おっぱいでけェな!」

「っるっさいなぁ!」

 

 苛立った様子で大剣を、滑らせるように薙ぎ払う。そんな返し手を、あの和装の男は後ろに跳ぶことで軽く躱した。そうして、興味深そうな様子で俺たちを眺めてくる。

 

「……姉ちゃん、可愛いねェ」

 

 静かに、声を。

 にんまりと笑っては、声を。

 

「───この俺と闘えると思ってるところがさァ」

 

 瞬間、風が吹く。あまりにも一瞬で、奴はその太刀を振った。ヒリエッタもそれに反応するものの、一度の斬撃を防いだ瞬間に次の斬撃を入れられる。一秒にも満たないその一瞬で、彼女の体から血飛沫が飛んだ。

 

「うぁ……っ!? 嘘……っ!」

「一般ハンターが俺と闘うなんざァ、足りてねェよォ……頭がな」

 

 その斬撃は、太刀にしても早すぎる。さらに、防具の薄いところを正確に狙って刃を(しな)らせていた。

 ヒリエッタの持つ大剣は、重量級武器の筆頭だ。あの太刀を相手にするには、挙動の一つ一つが重すぎる。覚束ない様子でその斬撃を受け止めるものの、それ以上の量の傷が刻まれた。

 

「まず一匹!」

「ぐっ……っ!?」

 

 振り上げようとした大剣を、太刀の薙ぎで止められて。そうして露わになったその隙を縫うように、あの男は蹴りを入れる。それをモロに腹にもらったヒリエッタは、肺の空気を全て口に押し戻されたかのような、そんな苦痛に満ちた表情を浮かべた。

 しかし、それも一瞬。そのまま彼女は壁へと叩き付けられ、滑るように地に伏せる。強く頭を打ったのか、嫌な音が響いていた。

 

「ヒリエッタ……っ! ちょっ……」

「やっはァ。子宮潰れちゃったかな?」

「……てめぇ……」

 

 ルーシャは悲鳴のような声を上げ、一方の奴は気分良さげに口笛を鳴らした。

 一度にならず二度までも。今度はヒリエッタに手を上げたあの男。おちゃらけたその態度に唾を吐き付けながら、俺は静かに立ち上がる。

 

「改めましてご主人さん。俺はアスマってんだ。よろし……」

「何勝手に自己紹介始めてんだ。てめぇなんかに興味はねぇよ」

 

 そう斬り返してみれば、奴はその気怠そうな目を丸くする。何か思い当たることがあるかのような素振りで、俺を二、三度見た。

 

「……お前、どっかで会ったことないか?」

「は?」

「昔、タンジアの港にいたよな? 俺のこと覚えてないかィ?」

「んだそりゃ。お前なんか知らん」

 

 背後では、ルーシャがヒリエッタの様子を庇っている。体中から漏れた赤い色に、俺は思わず顔を(しか)めた。俺が巻き込んだばかりに、ヒリエッタにこんな怪我をさせてしまうとは。自らの不甲斐無さを痛感する。

 だが、反省会は後だ。目の前の、このアスマとかいう男。俺が会ったことがあるかどうかは別にして、その戦闘能力はただものではなかった。防具の隙間を性格に狙うあの太刀筋。あんな技は、殺し屋のそれだ。

 

「とにかく、どいてくんねェかな? 俺ァ、これからそのネコちゃんをバラさなきゃならんのよ」

「それ聞いてはいそうですかって言うと思う?」

「何? お前も俺と闘うつもりかよォ?」

 

 そう言うや否や、奴はその太刀を振るった。目の前を、横一文字の風が走る。それを後ろに跳んで避けては、俺はルーシャの横へと着地した。

 

「……ヒリエッタと、イルルを頼む」

「し、シガレット……アイツ、やばいわ。トレッドさんはどこ行ったのよ……」

「知らん。ギルドへ応援要請をするとか何とか。それに、アイツがいなくたって別にいい。───あのクソは、俺がやる」

 

 背後の壁に向けて、左脚を振るう。それが薙いだのは、壁に取り付けられた鉄のパイプだった。重殻がその接続部を叩き壊し、パイプが外へと飛び出した。

 その重く長いモノを携えては、俺は前に出る。その様子を見ては、アスマは静かに太刀を鞘に戻した。そうして、静かに腰を引いてはその横へと鞘を伸ばし、構えるように足を開く。

 俗にいう、抜刀術の構えだった。それも、待ち一片の。俺の攻撃に対してカウンターを合わせ、後の先を取ろうという魂胆だろうか。

 

「……なめんな」

 

 抜刀の構えは、確かに強力だ。鞘の内部を滑らせたその一閃は、鋭く、速く、そして苛烈に敵を薙ぐ。威力に関しては、数ある剣技の中でも上位に君臨するだろう。

 ───しかし。所詮は一閃だ。その一撃を打ち損じれば、あとは隙だらけ。その一閃を、この鉄パイプで止めてしまえばいい。

 

「───そりゃァ、俺の台詞だよ」

 

 そんな思いで、剣筋を見計らった兜割。それを、奴に叩き込んだその瞬間だった。

 囁くような、奴の声。

 それが聞こえた。そう思った瞬間。右腕が、空気をえぐる。

 

「……ッなっ……ちっ!」

 

 すっと体を右に引く。たったそれだけの動作で、奴は俺の振り下ろしを軽々と避けたのだ。隙を晒したのは、俺の方だった。

 まずい。そう思ったと同時に、俺は慌てて鉄パイプを引き上げる。丁度それが俺の腹の前まで浮かび上がった時、凄まじい衝撃が腕を走った。

 

「ぐっ……!」

 

 それを、後ろに跳ぶことでいなす。いなした衝撃を、さらに後転へと繋げることで何とか受け流した。

 見れば、鉄パイプに鋭い傷が走っている。視認することも困難な速度の抜刀術。速さに付随する、凄まじい衝撃。慌ててパイプを戻さなかったら、俺の下半身はおさらばしていたのではないだろうか。そう考えると、冷や汗が薄く浮いてきた。

 

「……そもそも、太刀で抜刀術って何だよ。化け物かよ……」

「お前さんこそ、よくあれを防いだな。正直決まったと思ったんだけどなァ……」

 

 鞘を投げ捨てた左手で、ボリボリと頭を搔いて。呆れたような声でそう呟きながら、されどより好戦的になった眼を、じろりと俺に向けてくる。

 その直後、先程ヒリエッタに攻めよった時のようなあのスピードが。瞬時に肉迫する、鋭い斬撃が。俺に向けて、万華鏡のように瞬いた。

 

「んのやろ……ッ」

 

 あの抜刀術より幾分か遅いものの、依然としてその速度は類を見ない。筋肉の動きを見て攻撃を予測するのも、ままならない程だった。袈裟斬りに向けてバツを描くようにパイプを突き出せば、奴はそれに滑らせるようにして次の斬撃を繰り出す。

 横一文字、逆袈裟、斬り上げと、多種多様な斬撃が迫ってきた。それも、俺の防具の隙間を狙った正確無比な連撃だ。

 

「くっそがッ!」

 

 やられるばかりで収まるものか。防ぐばかりでいられるものか。

 奴の斬撃を捌きながら、振り抜いた袈裟斬りに力を込める。そのまま、奴へ向けて振り上げようと───

 

「甘いねェ!」

 

 覆い被さるような鍔迫り合い。それで、奴は俺のパイプを抑え込んだ。互いに肉薄しては、互いの肩を擦らせる。

 

「……うざってぇ!」

「うおッ!?」

 

 そこへ、右肩ごとのタックルを。慌てて当て身をとる奴に向けて、間髪入れずに左の裏拳を入れた。それが功を奏したのか、奴の太刀からパイプが抜ける。そうして自由を得た右腕の肘を、そのまま突き出した。

 同様に右手の自由を取り戻した奴は、その肘を受け止める。再び硬直へと突入するが、今度は正面から対抗はしない。右肘に込めた力を、そっと抜く。

 

「むッ……!」

 

 それを察知しては、奴の右手はその手の中の太刀を斬り上げへと派生させた。びゅんと、再び風が悲鳴を上げる。逃がすまいと、その薄い刃が俺へと迫る。

 それをくぐり抜けるように。俺は腰を下ろし、身体を半回転させながら斬撃から逃れた。どころかその勢いに乗って、奴の背後まで回り込む。そうして振るのは、鈍い風切り音を鳴らす鉄パイプ。

 

「なんのォ!」

 

 しかしそれは、奴の太刀に吸い込まれた。斬り上げたそれを瞬時に逆手に持ち替えて、背後に回したアスマ。さらに左手を添えたこの堅牢な壁は、易々と俺の打撃を受け止めたのだ。

 このまま抑え込んでしまおう。そう思っては力を込めようとしたその瞬間。俺より早く、奴が力を解放した。腕を背後に回しているというのに、そのまま俺のパイプを上へと跳ね上げる。そうして隙を露わにした俺の腹には、奴の回し蹴りが迫っており───

 

「ぐっ……ッ!」

 

 威力を抑えようと何とか後退するも、鈍い音が響く。腹は静かに痛みを訴え、唇の端からは血が漏れた。鉄特有の鼻に突く酸味のような奇妙な味。それが鼻孔を荒く撫でてくる。

 痛みを逃すように、二、三歩に踏み分けながら後ずさりする俺。いつの間にか、イルルやルーシャたちの真横を踏んでいた。

 

「ちょっ、シガレット……大丈夫?」

「……問題ない」

「だ、旦那さん……っ」

「イルル、もうちょっとだけ待っといてくれ。それまで、これ食ってな」

 

 ルーシャが完成させてくれた、カスタードクリーム。パックに詰めては懐に入れていたそれを、ルーシャが渡したのであろうタオルケットに包まれたイルルへと手渡した。その時に少しパックを開けては、そっと中のカスタードを指で掬う。

 

「うにゃっ、だ、旦那さん……ボク……っ」

「お前、これ好きだったろ? ……うん、美味いや」

 

 それをそっと舐めながら、俺は再び前へと飛び出した。

 振り被った鈍器。それはまるでカスタードの甘さに後押しされたかのように、猛烈な勢いで風を鳴らす。小さく跳ねては体を斜めに回転させて。そうして重力を上乗せ───いや、このカスタードの深みを乗せた打撃を、奴へ向けて振りかざす。

 

「おッ……とォ!」

 

 口どけは、とてもまろやかだ。そっと舌の上に乗っては、高々四十度未満の微熱でさらりと溶けるそれ。クリームと銘打っているだけあって、そこには食感や歯触りといったものは皆無。たださらりと溶けて、唾液と混ざり合う。柔らかな甘みが、口いっぱいに広がっていく。

 この甘さは止まらない。この広がりは、誰にも止められないのだ。

 

「うらぁ! くたばれクソ野郎ッ!」

 

 振り下ろしたパイプを、奴は真横から太刀で受け止めて。

 だが、相変わらずの剛腕で、奴はそれを押し返してきた。瞬時に迫ったそれを、渾身の力で引き止める。俺へと迫る鈍器は大いに減速するものの、ミリ単位でなお迫り続けていた。

 

「……っらぁッ!」

 

 だが、カスタードの力は止まらない。一瞬浮かせた左手で、パイプを底を突き上げて。そうして奴の剣筋をずらし、すかさずパイプが上を取る。この鍔迫り合いは、再び俺がマウントを取る形へと変貌した。

 コクのある甘み。ただ甘いだけではなく、濃厚な深みを下に残していく。さっと溶けることで、それを口全体へと広げさせる。その優しい甘さが、何よりの力となった。とろりと喉に流れ込んでくる。その感覚すら、たまらない。

 ───だが、溶けやすいということは、流れやすい訳でもあって。人差し指分しかないカスタードクリームは、さっと溶けてしまった訳で。俺の口内に残っていたのは、ただの唾液。ただただ、唾液。

 

「───よっと」

 

 そんな一瞬を突いたように、奴は太刀を横へと流す。そうしてできた斜面を、鉄パイプは勢いよく滑り降りた。何とも無様に隙を晒した、俺の手首に。奴は、鋭い手刀を打ち下ろす。

 痛みは、それほどでもない。骨が折れたとか、そんな傷を負わされた訳でもない。

 ───ただ、パイプを落とされた。

 

「……ッ!」

 

 即座に繋げられるタックル。それを受けた瞬間に、奴は太刀を二、三度横へと振った。俺の首筋を狙ったその斬撃が、耳の真横で囁くのを耐えながら。身体を無理に捻じっては、その軌跡から何とか逃れる。

 しかし、そんな俺の虚を突くように───いや、蹴るように。奴の長い脚が、俺の脇腹を穿った。

 

「絶体絶命、だなァ。……さァて、死ぬか?」

 

 何とか体勢を立て直す。そのまま徒手空拳で構える俺に向けて、奴は再び肉迫した。守るものが何もない俺に、剥き出しの刃が襲い掛かる。

 身を躱し、腰を逸らし、剣の脇を肘で打って。その斬撃をいなしていったが、次第に防御体勢へと追い込まれていった。何といっても、あの正確無比な斬撃だ。奴に反撃するどころか、少しずつ俺の体から血飛沫が上がる。

 

「だっ、旦那さん! ダメにゃっ、逃げて……っ!!」

 

 イルルのか細い悲鳴が聞こえてくる。しかし、それに反応している余裕はなかった。何とか首や脇などの急所は守ったものの、体中から血が溢れている。ボタボタと、無機質な色の床を鮮やかな赤が彩っていく。

 痛みにガクッと膝が崩れた。立つこともままならず、俺の膝は血糊を地面に擦らせる。回避をする余裕はないと、奴は踏んだのだろうか。とどめと言わんばかりの振り下ろしが、俺の脳天に向けて弾け飛んだ。

 

「……逃げられるかよッ!」

 

 寸でのところで、両手を広げてはその刃を止めた。真剣白刃取りなど、まさか自分はやることになるとは思わなかったが───今はそれのおかげで、何とか命を留め繋げている。

 ぎちぎちと刃が鳴り、少しずつその鋭い光が迫ってくる。血に塗れた掌は妙に滑りやすく、力が入れにくい。どころか、掌さえ少しずつ裂けていっているのだろうか。漏れ出る血潮は、拍車がかかったかのようにさらに激しく溢れ出した。

 

「しつこいなァ!」

 

 そんな俺の右足へ、奴は忌々し気な様子で蹴りを入れる。それがさらに俺の体勢を崩させて、俺の視界は荒くぶれた。それでも、太刀は振り下ろさせまいと両腕への力は和らげない。

 ところが、そこに飛んできたのは再び蹴りで。足へのガードを疎かにした俺は、そのまま背後へと蹴り飛ばされる。鎧を軋ませながら転がって、それでも即座に起き上がってみるけれど。

 背後には、沈黙する灰色の壁。

 

「もう逃げ場はねェ。あと、勝ち目もねェよ。さぁ、大人しく斬られてくれよなァ」

「……誰が、てめぇなんかに」

 

 ゆったりとこちらに歩きながら、兜割の姿勢へと移行するアスマ。少し息を乱しているようだが、平静を保った様子で俺にそう語りかけてくる。

 奴の言葉は受け流すものの、この状況は容易に受け流せるものではない。傷だらけで壁際に追いやられ、必殺の一撃を放つ敵を前にする。窮地もいいところだろう。このままでは、俺は負けるかもしれない。

 

 ふと、奥を見た。剣を構える奴の、その奥を見た。

 ルーシャに応急措置をされるヒリエッタ。彼女は未だに目を覚ますことなく、静かに沈黙を保っている。処置をしながらもこちらの様子を窺うルーシャは、焦った様子ながらもアスマを憎々しげに睨んでいた。

 ───イルルは。

 ずっとずっと会いたかった、大事な大事なパートナーといえば。

 静かに俺を見ている。不安げで、哀しげに、その三角の耳を力なく垂らしながら。

 けれど、その目は。青い光を映すその綺麗な目は、真摯に俺を見ていた。俺のことを信じてくれている。そう感じさせるくらい綺麗で、安心させられる瞳だった。

 

 ───そう、だよな。負ける訳には、いかないよな。

 

 一歩、軽く後ろに跳んだ。より一層、背後の壁との距離を短くする。後ろに伸ばした足の裏が、ピタリと壁に密着するくらい、近くする。

 何を企んでいる。そう言いたげな様子で眉をピクリと動かしたアスマは、いよいよその構えを完成形へと移行させた。これでいつでも斬りかかれる。そう言わんばかりの殺気だった。

 

 速さだ。

 俺がやろうとしていることには、並外れた速さがいる。それも、奴の剣速をも超える速さ。

 ほとんど、賭けと言っていいだろう。少しでも怯えたら、死ぬ。躊躇したら、俺の体は真っ二つだ。

 

 ───だから、ビビんなよ、俺。

 

「……ッ!」

 

 そう息を飲んだのは、奴。激しく揺れる視界の中で微かに映る、奴のその厳めしい喉仏。

 背後の壁を、蹴った。痛みも全て無視して、渾身の力で蹴った。壁の反動を利用しては、初速から全力で前に出る。そうして、剣を振り下ろそうとする奴に向けて走り出した。

 いや、走り出したというのは語弊があるか。走ったのは、最初だけ。その後は、この滑らかな覇竜の装甲を利用したスライディングだ。できる限り姿勢を低くしたスライディング。

 もちろん、空気抵抗を弱めるという意味もある。だけど本命は。この動きの本命は───

 

「……なッ……!?」

 

 ───可能な限り、奴の太刀の下に潜り込むこと。

 今日一番の驚愕の色が、奴の顔に差した。それもそうだ。まさかこの兜割が止められるとは思っていなかっただろう。それも、太刀そのものではなく、剣を握る手を封じられる(・・・・・・・・・・・)ことによってなんて。

 スライディングで肉迫した俺は、その低い体勢を利用しては奴の腕の下へと潜り込んだ。剣の間合いの、その内側へ。そこに入ってしまえば、いくら剣を振ろうがまるで意味がないのである。

 そんな奴の、隙だらけのその腹へ。今までのお返しと言わんばかりに、肘鉄を二度入れる。鳩尾を深く抉ったそれに、奴の口からは何かが飛んだ。

 

「ぐッ……この……ッ!」

 

 腕を振り上げて、風のように撓らせて。俺の頸動脈を狙った新たな斬撃が、一寸の狂いなく軌跡を描く。

 だがそれは、再び俺の腕に阻まれて。腕の装甲に直撃した奴の手首が、鈍重な悲鳴を上げた。そうして隙が出来た奴の頬に向けて、払うように拳を入れる。右へ、左へ、再び右へ。振り被った左拳を畳んではそのまま肘鉄へと変貌させ、奴の鼻っ柱を穿つ。奴の視界を潰した隙に、今度はそのまま奴の後頭部を荒く右手で掴んだ。

 空きっ腹に、拳。今度は左の握り拳を、何度も何度も奴の腹へ入れる。吐き出るものが唾液から血反吐に代わっても、俺はその手を止めなかった。

 

「うォあァッ! 離せェッ!」

 

 何とか俺を振り払い、太刀を低く構える奴。

 引いた右肩。落とした腰。地を蹴るために強く踏んだ右脚に、軸を果たすために大地を刺したその左脚。

 太刀の奥義───大回転斬りの構えだった。

 

「があァッ!」

 

 そうして振り払ったそれは、まるで台風のよう。斬撃の嵐が、この狭い廃工房を激しく掻き回す。

 けれど、それは砂利しか巻き上げることができなくて。宙へと跳んだ俺に触れることはなくて。斜めに回りながら振り上げた俺の右脚は、まるで台風の目に飛び込む鳥の如く。奴の、その間抜けな面を打ち抜いた。

 さながら風船が割れるような、そんな強い音が響く。奴はそれに弾き飛ばされ、赤い軌跡を残しては体を地面へと擦り付けた。それがようやく停止したかと思えば、ピクリ、ピクリと体を震えさせる。呻き声は、次第に沈黙へと変わっていった。

 ───もう、起き上がらないだろうか。

 

「……ふうっ! あー、ひやひやした……」

 

 大きく息を吐いて、身体を伸ばす。ところどころから血が滲むそれに少し気が滅入るものの、気持ちはどこかすっきりしていた。

 もうそろそろ、トレッドがギルドの衛士を連れてこちらに現れるだろう。見渡せば、スキンヘッド二人は壁に縄でくくり付けられており、モヒカンは床で沈黙していた。アスマとかいう男は今し方俺が仕留めたため、これで奴らは全滅したと言える。後は、ギルドの連中に彼らを捕らえてもらえればそれでいい。

 

 勝ちだ。

 これにて、一件落着だ。

 

 拳を振り上げてガッツポーズを見せると、ルーシャは安心したかのように胸を撫で下ろす。イルルは尻尾をピンと立たせながら、瞳に涙を滲ませた。

 よろ、よろと。覚束ない足取りで、イルルは俺に歩み寄ってきた。ロープのついたベルトや包帯を地に擦らせながら、一歩一歩、俺へ向けて懸命に踏み締めている。

 

 やっと。やっとだ。

 

 やっと彼女に触れ合える。

 

 やっとその可愛い口から、直接声を聞くことができる。

 

 

 

 ───やっと、一緒にいられる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 乾いた破裂音が、響いた。

 それはこの狭い空間を反響し、耳を激しく掻き回す。

 一体何の音だろう。俺の背後から聞こえたような、そんな気がする。

 その音の元を知りたくて、俺は半身を後ろに反らそうとして。

 

 ───その時、ごばっと。

 

 俺の腹から、赤い何かが飛び出した。

 

「──────ッ!!??」

 

 声にならない悲鳴を上げたのは、俺ではなかった。目の前の、表情を一変させたイルルだった。

 その白い毛並みが、安っぽいタオルケットが。真っ赤な色に染まっては、青い瞳を驚愕の色で染め上げられる。

 熱いものが腹から飛び出してしまったかのような、そんな気がして。半身反らしかけた俺の体は、無様に崩れ落ちて。妙に体が軽くなったような、不気味な感覚が襲いくる。

 まるで砂嵐のように横線が流れる視界は、ゆらりと立ち上がる影を映した。あの血塗れの黒い髪が、静かに揺れた。

 

「ごぼッ……あがッ……て、てめぇ……ッ」

「……あァー、いてェ。いてェよ畜生。すッげェ蹴り入れてくれちゃって」

 

 奴の手に、太刀はなく。そこに握られていたのは、過去に数回見たことのある、小振りな筒で。

 鼻に突く火薬の臭い。湧き上がる白い煙。筒から伸びたその持ち手は、小柄ながらも機能性を重視した作りになっていて。

 ───トレッドに何度か向けられたことのある、非公式の武器。アスマが握っていたのは、銃だった。

 

「こうなったら、権力行使してお前らを抹殺するしかないなァ……」

「てめっ……一体……」

「さっき言ったろォ? 頭が足りてない、ってさ……」

 

 再び照準を向けられたそれ。煙を吐き出すその深淵は、底が全く見えなかった。まるで地獄に繋がる穴のようだと、ガンガン鳴り響く頭でふと思うものの───

 バカバカしいと、どこか自嘲気味に目を伏せる。

 血を流し過ぎた。もう、満足に動けそうにない。こんな人間に、まさかここまで追い込まれるなんて。淆瘴啖と闘った時のような頭の重さに、俺は反吐が出そうになる。

 

 だけれど、あきらめてたまるものか。やっとここまできたのだから。もう少しで、イルルと一緒にいられるのだから。

 何とか、反撃の糸口はないか。こんなボロボロだけど、それは奴も一緒なはずだ。なりふり構わない、何かを叩き込まなければ。体を起こさねば。

 ───目を、開けなければ。

 

「……っ、イルルちゃっ……!」

 

 瞬間、ルーシャの声が響いた。それが一体どんな意図のものかは分からなくて、でもそれが知りたくて。俺は伏せた目を、何とか開ける。

 ───映ったのは、あの赤い斑点が染みついたタオルケット。

 

「死ねェ、このクソがァッ!」

 

 血走った眼で引き金を引くアスマ。

 火を吹こうとするその銃の先に。

 俺の目の前へと飛び出した、白いかたまり。

 

 

 

 ───待ってくれ。

 

 そんなことをさせるために、俺はお前を助けたんじゃない。

 

 ───やめてくれ。

 

 お前のことが大切なんだ。お前が何よりも大事なんだ。

 

 ───俺の前に、飛び出さないでくれ。

 

 やっと。やっとお前と一緒にいられると。俺はそう思っていたのに。

 

 

 

 小さな体が、弾け飛んで。

 ネコの小さな悲鳴が、俺の耳を貫いて。

 

 火薬の張り裂けるような音だけが、ずっと俺の耳の中で響いていた。

 

 






 これモンハン小説?


 書いてみたかった対人戦を詰め込んだら、モンハン作品じゃなくなってしまった件。哀しいなぁ。
 平均文字数を滅茶苦茶にしそうな文字量になってしまいました。何とか一話のうちにまとめようとしたけど、無理でした(死亡)
 考えてみたら狭い空間の中太刀を振るうって頭おかしいよね。そんな大振りの太刀を、手首で止めるのも頭おかしいよね。頭おかしいよね。うん、頭おかしい。
 格闘を書くに当たって動画見てみたりそれに関する描写の説明とか漁ってみたり、色々勉強になった回でした。ブルース・リーすき。死亡遊戯って作品があるんですが、タイトルはそのパロディーですかね。今回は彼に関する某パロディーネタを一番リスペクトして、パロってしもうたでした。新作あくしてください何でもしますから!
 犠牲になった飯テロ。カスタード食べ過ぎると脂肪がついちゃう!

 それでは、次回の更新で。感想お待ちしております。

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