モンハン飯   作:しばりんぐ

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 若干過去編入ります。





オムライスに鎹

 

 何もない空間が吠える。

 大気が震えた。霧がかかり、静寂に包まれていたはずの塔の秘境。そんな霧を震わせる、何者かの叫び声。

 瞬間、風が薙いだ。空間が牙を剥くかのように、刀さながらの何かが走る。

 

 その刃の先には男が一人。軽く身を引いて、首を右に曲げた。そうすることでその切っ先を躱す。

 漂う霧も押し流すような、そんな鋭い一閃だ。その勢いによって、目深に被っていたフードが翻る。

 ────まるで灰のように白く染まった髪を靡かせる、陰鬱な男だった。冷めた目でその刃の主を流し見て、小さく舌を打っている。そうして、右手で回していた剣斧に左手を添えた。

 

「……ナルガクルガ希少種、ねぇ」

 

 霧に溶かすような声で、彼はそう呟いた。かと思えば、その巨大な斧の切っ先を揺らぐ霧の先へと向ける。

 その先では、まるで靄がかかったかのように蠢く影があった。その影は次第に輪郭線を鮮明に描いていき、果てには一匹の飛竜へと成り変わる。

 銀色に輝く体毛に、朧月を映す刃翼。血走るように痕を残す二つの眼光が男を捉えては、苛立ちを示すかのように尾を鳴らした。

 そう。月迅竜、ナルガクルガ──その希少種である。

 

「お前に恨みはないけど、人間様が言ってるそうだ。死ねってよ。だから、死ね」

 

 冷たくそう言い放ち、男は地を蹴った。静脈と動脈を一緒に切り裂いて、それを墨汁と混ぜ合わせたかのような。そんな色をしたコートを、秘境の風に靡かせる。

 ネブラXシリーズと呼ばれるその鎧に染み付いた、拭い切れない血の臭い。嗅覚に優れた月迅竜は、その男のただならぬ雰囲気に唸り声を上げた。

 ──この二本足は、獲物ではない。天敵だ、と。

 

 耳を(つんざ)くような咆哮。それと共に、ナルガクルガは身を引いた。その引いた勢いで、鞭のような尾を撓らせる。空気と擦れ合うように唸るそれは、見た目よりも何倍の長さに膨れ上がり、曲線を描きながら男へと襲い掛かった。

 しかし彼もハンターである。この程度は想定内だと言わんばかりに、前に出た。どころか跳び上がり、撓り切って速度を落とした尾を踏み台にする。

 

「──ハッ!」

 

 振り上げられた斧が、月の光を淡く照らした。蒼く染まったその刀身は、月の光によって薄く煌めいている。そんな、まるで永遠に続くかのような情景を描き出して───

 直後、一直線に叩き付けられた。それが、月迅竜の右肩を勢いよく抉り取る。

 突然の衝撃に、月迅竜は驚愕の声を上げた。自らの尾を踏んでは跳び上がり、そのまま懐に潜ってきた人間。そんな、今まで全く見たことがない動きを前に、驚きを隠せないようだった。

 しかし、そのまま抵抗をしないなどあるはずもなく。月迅竜は、肩から血を噴出させながらも真横に跳んだ。跳んで、再びその姿を霧へと溶かす。銀色に輝く体毛が、次第に大気と混ざり合っていく。

 そんな竜の姿を前に、男は斧を引き上げつつも特に動くことはなかった。軽く周囲を見渡すように首を振りながらも、歩き出そうとはしない。ただ、周囲の霧の動きを眺めていた。

 

 ──ざら、ざら、と。

 まるで何かを掻き回すような音が響く。かと思えば、突然何かが飛来した。紫色の体液に塗れた、細い針の塊だった。

 

「チッ……!」

 

 横へのステップでそれを躱しつつ、男は前へ駆け出した。そうして、その勢いのままに、斧を横へ振り回す。周囲を薙ぐようにして振り払われたそれに、ナルガクルガは反射的に跳躍。左の刃翼に一撃受けたものの、小さな傷で済んだ。

 再び行われた月隠れ。その月に溶けた迅竜は、男の背後に回るかのように三角を描いていく。

 一方の男はといえば、斧の遠心力に振り回されて体勢を崩しかけていた。危うく斧の刃を地に滑らせて、脚を開いては体のバランスを整えている。

 ナルガクルガは、動いた。これを好機と見て、跳びかかりを繰り出したのだ。

 宙を舞う巨体。原種よりも大型化したそれが、気流を攪拌(かくはん)するかのように両の腕を投げ出した。そうして一心に、体勢を立て直す男に向けてその身を落とす。

 

「──はっ」

 

 結果的に言えば、ナルガクルガの行動は浅はかだったと言わざるを得ない。

 彼はハンターだ。モンスターの動きを読むなんて朝飯前なのだろう。そう言わんばかりに、ふっと。そんな軽いバックステップをしては、月迅竜に宙を噛ませたのだった。そうして、隙だらけになったその頭に向けて、鋭い斧を振り下ろした。その形を、剣へと変えて。

 先程まで月を蒼く映していた、斧の刃。それが影を帯び、その代わりのように桜色に満ちた剣が現れる。細く鋭い切っ先が霞を裂いて、そのままナルガクルガの顔をバツを描くように斬り伏せた。

 剣斧──スラッシュアックス。彼が持つ武器は、それの桜剣蒼斧【花天】という銘を与えられた一振りだ。その名の通り、桜火竜と蒼火竜の素材を用いた、特に『毒』の扱いに秀でた武器である。

 剣モードに変わり、ビンの蓋がこじ開けられたそれ。そこから溢れる強属性エネルギーによって、刀身に塗りたくられた火竜の毒は気化し始める。極めて揮発性の高いそれが霧に溶け込んで、月迅竜を侵していく。

 

「まだまだァッ!」

 

 獣のように犬歯を見せる、その男。バツの字を描いたそれを、その勢いのままに突き出した。

 剣モードに変わって、フタが空いたビン上部。しかし、それも三分の一ほどしか開けられていない。そういう造りになっているのだ。

 だが、この刺突。この時だけは、話が違う。この、俗に言う属性解放モードになった場合、ビンのフタは全て開けられるのだ。文字通りの全開、まさに解放である。

 そうして突き出されたその切っ先は、深く月迅竜の左目を穿った。元々、切っ先を鋭利に造られたこの武器だ。それはそのまま、月迅竜の眼孔を深く深く貫いていく。

 

「ギィィッ!?」

 

 思わぬ激痛に、突然消えた半分の景色。それに悲鳴を上げては、ナルガクルガは大きく顔を仰け反らした。痛みのあまりに暴れ狂い、両腕の爪で地面を搔いては、尾を激しく地に擦り付ける。

 しかし、それでも痛みは一向に去らなかった。それもそうだ。その痛みをもたらした張本人が、未だ剣を支えに月迅竜の頭部へと張り付いているのだから。

 両足で竜の頭と背中を抑えつけながら、腕でグリップを握り続けている。属性解放モードは依然として続き、強属性エネルギーの流出はさらに加速していく。その反動で剣斧は諤々と震え、その度に抉る傷口から鮮血を撒き散らしていた。

 

「──死ねよッ」

 

 瞬間、剣の根元と斧の切っ先が擦れ合う。そうして火花が散って、それが漏れ出た強属性エネルギーに火を付けた。

 揮発性の高い、火竜の毒液。気体となったそれは、極めて不安定な可燃性を帯びるようになる。毒と炎を用いるリオス種が獲得した、生き残るための武器だ。当然、それを閉じ込めたこの剣斧もその例外ではない。

 気化した毒は溢れ返り、切っ先が擦れて火花が散る。するとどうだ。まるで火竜の吐息のような、灼熱の渦に早変わりするのである。

 

「ギャアゥアァッ!?」

 

 毒のガスと。

 火花と。

 燃え盛る火炎と。

 霧を散らす爆風と。

 それらによって吹き飛ばされて、ナルガクルガは衝撃のあまり全身を大地へ叩き付けられる。光を失った左目からはとめどなく血が溢れ、その口からは慟哭のような声が漏れた。

 一方で、ナルガクルガのその頭で爆発を起こした張本人はといえば。

 爆発の衝撃で剣ごと上に跳び、宙を舞っていた。切っ先から零れ落ちる鮮血で線を描きながら、再び剣を光らせる。残り僅かなビンの中から、青白い光が漏れ始めた。

 

「オラアァぁッ!」

 

 重力を乗せた、渾身の力での振り下ろし。ビンの光と月明かりで、桜色の刀身がさらに輝く。それはまるで、鮮血に濡れたかのように。しかし桜という温かみを残して。残光を描くその斬撃には、一種の美しさがあった。

 そんな斬撃を、何度も何度も。男は執拗にその首筋へと、鋭い軌跡を刻んでいく。懐に潜り込んで、深い体毛を掻き分けて。その奥で走る血管を裂いて、そのまま骨まで砕いてしまおうと。そんな明確な殺意を持った斬撃だった。

 しかし、ナルガクルガも無抵抗ではいられない。例え片目が見えなくなっても、このまま殺される訳にはいかないと、いたるところから血を噴出させながらも懸命に立ち上がった。

 

「……へぇ」

 

 その頃には、ビンのエネルギーは枯れ果てていた。一方で枯れ果てまいと必死に抵抗する獲物の姿を見て、狩人は静かに笑う。笑いながら、再び蒼い斧を描き出す。

 それはまるで、レースのようだった。

 一人は獲物が立ち上がり、行動に移す前に仕留める。そんな意思をもって斧を振り回した。八の字を描くその斬撃で、確実に獲物の命を削っていく。

 一匹は、自分が果てる前に立ち上がり、逆にこの天敵を返り討ちにする。そんな強い思いで立ち上がり、会心の一打を放とうと尾を鳴らす。全力を込めて、己の最大の武器を研いだ。

 先に、ゴールへと届いたのは────。

 

「キァアアァァァッ!」

「……ッッ!」

 

 鋭い咆哮。飛び上る巨体。まるでバネのように跳ね上げて、遠心力まで上乗せした尾。さながら大剣のように、地面を砕きかねない振り下ろし。

 そう、先に届いたのはナルガクルガだった。その渾身の力が、ハンターへと襲い掛かる。

 

「うっぜぇ!」

 

 しかし、それをそのまま受ける男ではない。振り回していた斧を、そのまま渾身の振り下ろしへと変貌させる。

 尾の振り下ろしと、斧の振り下ろし。奇しくも、互いに己の身も省みないその応酬で、戦いの幕は閉じたのだった。

 ────塔の秘境で、月夜に輝く紅い花が咲いた。

 

 

 

 

 

 動かなくなった、銀色の塊。それを背に、男はふっと息を漏らす。

 額から血を多く流しながらもそれを拭こうとはせず、回復薬すらも口にしない。

 フードを棚引かせるその顔は、まだ二十年の歳月を重ねたかどうか、といったところ。まだ幼さが垣間見えるその顔を歪ませては、動かぬ死体に唾を吐き付けた。

 そんな彼は、秘境の上を漂う飛空船に向けて信号弾を放つ。帰還の意思を示す、信号弾を。

 早く帰って、“彼女”に会おう、と。

 ──いつもの言葉で迎えてもらおう、と。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「────おかえりなさーいっ、シグさん!」

「……は?」

 

 旧砂漠から大老殿に戻って。

 厳かな鈴の音が鳴るこの舞台に帰って来て。

 そうして、とりあえず腹ごしらえに何か食べようと、何ともなしに足を踏み入れた、その時だった。

 不意に、聞き覚えのある声に出迎えられた。数年前に何度も聞いた、あの声に。

 

「えへへぇ、久しぶり……ですねっ!」

 

 そう言って、目の前の少女は花が咲くように笑う。

 金色の髪を、左右に結った小さな頭。綻ばした碧い瞳に、嬉しそうに伸ばした口角。翻すように立って、青いスカートを靡かせて。

 その姿は、見間違えるはずがない。タンジア時代を一緒に過ごした少女。そして俺が最も深い関わりをもった人間────。

 そう、キャシーだ。タンジアギルドの受付嬢であるキャシーが、ここにいた。

 

「……キャシー……」

「そうですよぅ。もう、間の抜けた顔して」

「お前……何でここに」

「あれ? パティちゃんから聞いて……ないみたい?」

 

 あれ、と困ったようにキャシーは首を傾げた。

 本来タンジアの港にいるはずの彼女が──おそらくもう二度と会うことはないだろうと思っていた彼女が、目の前にいるのだ。首を傾げたいのむしろこっちなのである。

 そんな彼女の背後から、困ったように顔を出す少女。あの極小ダイミョウザザミ討伐──さらには極小ヤド真珠の取得を俺に依頼した少女だった。

 

「あ、あはは……お二人は知り合いだったんですね……」

「にゃ……旦那さん。知り合いなのにゃ?」

 

 パティ、と呼ばれた少女はやや引き攣った笑みを浮かべ、イルルはイルルでこの人は誰なのかと小首を傾げている。

 そんな非常に面倒くさい状況の中で、ただ一人空気を読まずにこにことするキャシー。そんな訳の分からない状況に向けて思わず顔を(しか)めていると、依頼主の少女が口を開いた。俺が疑問に思っている、キャシーがここにいる理由を。

 

「えっと、えと……あの! 今、私たちギルドガールは休暇中なんです!」

「あ? 休暇?」

「はっ、はい……っ」

「こら! まぁた貴方は人にガンを飛ばして。この子をいじめたらお姉さん許しませんからね!」

「飛ばしてないし……。話こじれるからちょっと黙っててくれるかな」

 

 ぎゅっと、パティを庇うように立ちながら俺を諌めてくるキャシー。そんな昔と変わらない悪ふざけに呆れつつも、話を戻そうとする。軽く、その額にデコピンを収めながら。

 ところで、パティと呼ばれる少女が妙に俺に話しにくそうにしている気がするのだが。これは俺の単なる気のせいだろうか。

 

「イタイ!」

「悪いな。続けてくれ」

「わ……わっ、私と、キャシーさんと、あと一人ベッキーさんっていうんですけど。休暇をとった三人のギルドガールで旅行を、旅行をしてたんです。それで、それでですね……」

 

 旅行。確かに彼女は、旅行と言った。

 ギルドガールと言えば一日中ハンターズギルドで働く人たちだ。ギルドの酒場からアイテムショップ、果てにはキャラバンに配属されたソフィアのように、それぞれの職場で休みなく働いている。

 そんな彼女たちが、今回は休みをとって旅行を楽しんでいる。そう言われれば、キャシーがここにいるのも納得できないことはなかった。

 ところが、パティはその先で言葉を詰まらせる。恥ずかしそうに顔を覆って、ごにょごにょと口元をまごつかせていた。

 

「……それで?」

「えっと、えっと。突然ベッキーさんが勝負よ、とか言い出して……」

「勝負? 何を?」

「あう、あうあぅ……えと、ギルドの女のアレの大きさで……」

「アレ? アレって?」

「はうぅぅ……」

「……あれかにゃ、旦那さんの顔ってやっぱり怖いのかにゃ」

「それ結構傷つくからズバッと言うのやめてくれ」

「にゃ。ごめんにゃ」

 

 そんな彼女も姿を見て、困ったように髭を揺らすイルル。そうして口にしたその言葉に、俺は思わず本音を漏らした。俺の顔が怖いから、なんて言われたら俺はどうしたらいいのだろう。この顔は生まれつきのものだから、変えることなどできないのに。

 一方の、タンジア時代によく見た、何かを訴えかけるようなジト目。それで睨んでくるキャシーを前に、俺はやれやれと頭を掻く。乱雑に搔いて、このやるせなさを吐き出そうとした。もちろん、そんな程度では吐き出せる訳ないのだが。

 このままパティに聞いても、どうも埒が明かなさそうだ。これ以上言うのは憚られると、全身でアピールする彼女の姿から俺はそう判断する。

 

「……まぁいいや。一緒にいたなら、キャシーも分かってるよな。教えてくれよ」

「えっ、あ、うん。分かるけど……折角だし、何か食べにいかない?」

「は?」

「昔みたいに、さ。ねぇ、ドンドルマの美味しいお店、教えてよ」

 

 昔懐かしい手付きで俺の右手を掴んでは、キャシーは強引に歩き出した。俺の意思はもちろん、パティもイルルも置いてけぼりに。

 

「いやお前、旅行中なんだろ? この子置いていっていいのかよ」

「しばらくここに滞在するから、各自自由行動なの。ほら、ベッキーさんもいないでしょう?」

 

 軽やかな足取りでそう話す彼女。言われてみれば、この大老殿の中を見渡してもベッキーと呼ばれるギルドガールの姿はなかった。聞けば、その勝負とやらのために我らの団を訪ねていったのだとか。

 だから自分も自由に動こう、だとは。相変わらずマイペースな女だと、心の中で溜息をついた。こいつを先輩に置いてしまったパティにも、浅くない同情をしてしまう。

 

「……しゃあねぇなぁ。イルル、悪いけどクエストの報告とか頼んでいいか? ほら、真珠」

「にゃ、にゃあ……旦那さん、行っちゃうの……?」

「大丈夫、夜には帰ってくるから」

 

 やたらと哀しそうに顔を歪めるイルル。とてとてと俺についてきては、尻尾を左右に振り回していた。

 そんな彼女にヤド真珠や依頼文書を手渡して、俺は荒くその頭を撫でる。何故そんな顔をするのか分からない、と思うほど哀しそうな表情だった。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「──はぁ、足のタコ、ねぇ」

「ギルドガールって立ちっぱなしでしょ? だから足にタコができるんですよ~」

「それで、その大きさを比べようってか。なんつうか、しょーもないっていうか」

「むぅっ、しょーもないって何ですかぁ!」

 

 酒気を帯びている訳でもないのに赤らんだ、キャシーの頬。俺の言葉に反応しては、納得いかないとその赤い頬を膨らませている。

 つまり、ギルドガールのタコ比べに巻き込まれた。この状況は、その一言に尽きる。パティが依頼した極小ヤド真珠もそのタコの大きさの比喩だった、という訳だ。

 

「だってそんなんで猟場に駆り出されてよ。しかも蟹全部食ったらギルドに怒られるしよ。ほんと堪ったもんじゃねぇよ」

「蟹全部食べちゃったのはシグさんが悪いですぅ!」

 

 キャシーのその大声で、周囲の客からの視線が集中する。思わず立ち上がって声を荒げた彼女だったが、周囲の視線を感じては恥ずかしそうに座り直した。

 ここはドンドルマの商店街。そこで経営される、オムライスに定評がある小さなレストラン──『雪兎亭』だ。俺たち以外にも数組の客がそれぞれの会話を楽しんでいたが、キャシーの大声がそれらを静寂に塗り替えた。

 

「……大声ではしゃぐと痛い目見るぞ。ここは酒場じゃないんだから」

「……うぅ。言うのが遅いよぉ……」

 

 今度は羞恥に顔を赤くするキャシー。若干潤んだ瞳で、俺に非難の視線を浴びせてくる。今のは俺が悪いのだろうか。

 お冷を飲みながら何ともなしに溜息をつくと、キャシーが「でも」と呟いた。先程までの百面相とは打って変わった、どこか優しい表情で。

 

「何だかシグさん、変わりましたね。何て言うか。優しくなった気がします」

「……なんだ、急に」

「ぶっきらぼうなのは相変わらずだけど、棘がないっていうか。今のシグさんを見たら、ギルドマスターもきっと驚きますよ」

「……言っとくけど、タンジアに戻るつもりはないからな」

「あちゃー、先に言われちゃったかぁ」

 

 少しふざけるような仕草で、冗談っぽくそういう彼女。とはいえ、それは本心で言っている訳ではないだろう。俺がタンジアに戻ることなんて、元から期待していないように見える。

 

「……ご飯。興味もってくれたんですね」

「あ?」

「蟹、食べちゃったんでしょ?」

「あー……」

「お腹いっぱい食べれるなら、アプトノスの餌でも何でもいいって豪語してたのになぁ。人って変わるんですねぇ」

「ぶっ!?」

 

 適当に聞き流そうと、お冷を口に含む。興味がない振りをするにはこれが最適だ。なんて行なったそれが裏目に出た。思わず吹き出してしまった。

 

「やめてくれよ……。若い頃とか黒歴史ものだから」

「えー? そうなんですか? “左目潰し”さん」

「……そんな古い渾名、よく覚えてるよな」

「だってシグさん、有名だったんですもん。討伐したモンスターの左目を、必ず潰してくるんだから」

 

 懐かしそうに、思い出すように。キャシーは、はつらつと昔の俺のことを口にした。それを前に、俺はやるせなくお冷を口にする。冷たい、きんとした香りが喉を舞う。

 考えてみれば、彼女はクエストを斡旋するギルドガールだ。達成された依頼の詳細を知るなんて朝飯前だろう。ましてや毎日酒場に勤務していたのだから、様々な情報に触れられるのは言うまでもなく────。

 目の前で悪戯っぽく笑うこの少女が、そんな大きな仕事をしていたとはおおよそ思えない。しかし、事実であるから笑えない。

 

「ましてや、貴方の元カノですしねっ。シグさんのことはよく知ってたつもりです」

「……けっ。今更恋人面か? よく言うぜ全く」

「むー。久しぶりに会ったのに、そういうひねてるところはほんとに変わらないなぁ」

「ひねてないし」

「ひねてる」

「ひねてないよ」

「ひねてるよ!」

「ひねてないって」

「ひねて────」

 

 再び熱が入り、勢いよく立ち上がろうとしたキャシー。しかし、大声を出し切る寸前に、隣に人が立っていることに気付き、慌ててその生意気な口を閉じた。

 

「あ、し、失礼します。お待たせいたしました。明太子オムライスと、デミグラスソースのオムライスでございます……」

 

 二人用のテーブル席。その横で立つ店員は、苦笑を浮かべた顔で手に持ったプレートから二つの皿を寄こしてくる。

 一つ、橙色と桃色を混ぜ合わせたような、鮮やかな色合いのクリーム。明太子の香りが溢れるそれを充分に身に纏った、黄色の塊。ガーグァの卵をふんだんに使ったらしいそのほかほかの塊は、とても柔らかそうだった。

 明太子のは私です、とキャシーが小さく手を挙げる。そうしてその皿がキャシーの前に舞い降りる傍ら、俺の前にはもう一つのデミグラスソースオムライスがやってきた。

 溢れる焦げ茶色のソース。店内のランプの明かりを反射して、これまた美しい光を放つ。濃密な色を差したソースから、濃密な香りが立ち昇って。鼻を撫でるような、贅沢なスパイスな香りを振り撒いて。

 そんなデミグラスソースの海に浮かぶオムライス。中のチキンライスにまでそのソースが染み込み、赤と茶色のコラボレーションの完成だ。

 

「……とりあえず、食べようぜ」

「……うん、そうだね」

「小皿あるから半分ずつ分け合わないか? そっちのも食べたいし」

「あ、それ賛成っ!」

 

 テーブルの端にあった皿を取りつつ、自分のオムライスをスプーンで掬う。三度、四度と盛り分けて、それをキャシーの前へと置いた。

 同様に自前のものを小皿に取り分けるキャシー。スプーンでオムライスを真ん中で割いて、その半分を器用に下から掬い上げては俺の前へと置いてきた。

 

「うわぁ。シグさん相変わらず雑ですねぇ」

「悪かったなぁ不器用で」

「ううん……。なんか、懐かしいな」

 

 そう言ってはふにゃっと笑うキャシーを前に、俺は思わず言葉に詰まる。そうして、あえて視線を彼女から逸らした。懐かしいのは、俺も変わらないから。あんまり見ていると、懐郷病に駆られそうだったから。

 今は、目の前のオムライスに集中しよう。そう決めては、スプーンをオムライスに突き刺した。

 手に伝わってくるのは、まるで抵抗力のないその感触。スプーンを差しただけでも分かる、そのふわふわとした柔らかな卵。中に詰まったご飯が乗って、その上にふわとろの卵が垂れ落ちて。焦げ茶と黄色と橙色。そんなコントラストが、何とも美しい。

 それを一思いに口に入れれば、より一層その食感が、それもダイレクトに広がってきた。デミグラスソースの濃い味付け。辛さではない、しかし酸味とも違う。そんな不思議なスパイスを旨みに漬け込んだ、何とも言えない味わいだ。

 それによく合うこの食感。何といっても柔らかく、噛まずとも自ずと溶けていくような、そんな感覚だった。米のもちもちとした食感が絡み、より一層味の深みを描いていく。

 口内の熱だけで蕩ける、そんな甘い口溶けだ。その優しい食感は、何となく懐かしさを感じさせてくれた。

 

「わーっ! すっごいこれ! ふわとろ! 何これ、とっても美味しい……っ!」

「ふっふーん。キャシーが好きだろうと思ってな。この店を選んで正解だったぜ」

「シグさん凄い、これほんと美味しい! ドンドルマにもこんないいお店があるんですねぇ……」

「まぁ、流石に魚介類はタンジアに劣るけど。でもま、ドンドルマも悪くないぜ」

 

 その魚介類である明太子を贅沢に使った明太子クリーム。嵩増しではない。調和を重視したであろうそれは、明太子の辛さが過剰になるのを抑え、マヨネーズでまろやかさを加えたような。そんな味付けだった。

 とはいえ、辛味が失われた訳ではない。ピリッとした辛味と、マヨネーズによる酸味。そんな刺激がじっくりとオムライスに溶け込んでくる。清々しいくらい、デミグラスソースの味付けとは正反対の明確さだ。はっきりとした辛味や酸味が感じられる。それが柔らかな卵に絡みついて、より一層味わい深くしてくれる。

 キャシーが盛り分けてくれた皿を軽くしつつ、その味わいに舌鼓(したつづみ)を打っていると、キャシーが目を輝かせながら乗り出してきた。昔のような、天真爛漫なあの顔で。ご飯の話になると途端に夢中になる、あの表情で。

 

「シグさん良い店知ってるなぁ。他にもオススメとかあるんですか?」

「よくぞ聞いてくれました。俺的にはな、大通りの店はあまりお勧めしない。ここは例外だけどな。実は路地裏にある居酒屋とか、そういうところが当たりなんだぜ」

「ほうほう! 裏をかく……ってことですね?」

「おうよ。中央地区にある路地のバーとか、この店の奥の小路にあるうどん屋とか、または郊外にある釣り堀とか」

「はぁ~、色々あるんですねぇ」

 

 今度ギルドガールたちで色々回ってみるといい。そう締めてはお冷を口にした。

 冷えた水が勢いよく口内に流れ込み、張り付いたソースの味を流していく。カランと鳴った氷も相まって、口も気分も爽やかだ。

 一方、そんな俺の言葉に耳を傾けていたキャシーは、微笑ましそうに笑っていた。まるで子どもの成長を見守る親のような、そんな優しい顔だった。

 

「……何だよ」

「ふふっ。やっぱり、シグさん変わったなぁって。そんな嬉しそうに顔するんだなぁ」

「むっ……」

「やっぱり、あの時卵のことを話して良かったなぁ」

 

 ────あの時。

 タンジアギルドのG級ハンターとして、淆瘴啖に返り討ちにされたあの時。

 ギルドマスターも、トレッドも、キャシーの言葉も無視をして。そうして挑んで、全身ズタボロにされて帰った俺をさらに痛めつけたのは、ハンターズギルドからの懲戒処分だった。

 ハンターランクもギルドカードも、全ての記録を抹消されて、ただの下位ハンターに戻された。制度で縛って、勝手な行動をさせないようにと。

 

「……懐かしいな。ソルジャーダガーを携えて、孤島に行ったっけ」

「だって、あの時のシグさんの打ちひしがれようはほんとに酷かったんですもん。何か、何かないかなぁって」

「それで、ご飯の話を出すのがお前らしいよ。……でも、あの時作ったゆでたまごは、今でもよく覚えてる」

 

 飛竜の巣から担いできた卵。それを、キャシーに言われるがままに鍋の流し入れたのだ。覚束ない手付きで茹でて、調味料を振って。持ち込んだ砂時計とにらめっこして。

 そうして食べたその卵は、何だか不思議な味だった。

 特別美味しかった訳じゃない。不味くて食えたものじゃなかった、という訳でもない。

 ただ、目の前の景色が広がったような、そんな気がした。モンスターは殺すもの、としか思っていなかった俺に、新しい景色を見せてくれたのだ。今まで見えてなかったものがたくさんあったんだと、教えてくれた。

 

「やり方はイズモの見よう見真似だったけど。それでも、あの感覚は今もよく覚えてる」

「イズモさんと、私のおかげですかねぇ」

「……トレッドにも言われたなぁ、それ。でも、否定できないから悔しいな」

「ふふふ。シグさんの世界が広がったんですよね。そのまま新天地に行っちゃうのは流石に予想外でしたけど。でも、こんなに良い顔をしてるシグさんが見られたなら」

 

 言って良かった、ともう一度口にして。今の顔の方が素敵です、と彼女は静かに微笑んだ。

 昔懐かしいその笑顔。今はもう、俺だけのものではなくなってしまったその笑顔。

 

「言っておきますが、よりを戻す気はないですよ」

「あん?」

「あれれ。ここは、そういう話を始めるもんじゃないの?」

「馬鹿馬鹿しい……」

「むう、冷たいなぁ」

「仮に俺がそう言ったら、お前はどうするんだよ?」

「うーん……。でもまぁ、私たちはもう、きっと無理ですよ」

 

 ────私より、淆瘴啖を選んだ時点で。もう、私たちは駄目なんだ、と。

 憂いに満ちた瞳で、キャシーは静かにそう言った。色を無くしたような彼女の瞳に、俺は何も言えなかった。

 

 曇天に満ちた水没林。ギルドのルールも、マスターの制止する声も。全て無視して、俺は淆瘴啖に会いに行った。ギルドの船が出せなくとも、アイルーを買収すれば移動なんてどうとでもなる。密猟とされても構わない。そんな意思で、俺は水没林に赴いたのだった。

 しかしそこに、先回りしていたキャシー。ギルドの仕事を放棄して──いや、むしろそれが彼女の本来の仕事と言うべきものだったのかもしれないけれど。とにかく、彼女は俺を止めに来てくれた。自暴自棄な俺を止めようとしてくれた。

 ────あの日の彼女の悲痛な叫びが、俺の脳裏を過ぎる。

 

「それが、お前の仕事だったんだろ?」

「ハンターを守るのは、ギルドとして当然――――」

「俺を抑制するために、俺に近づいたんだろ?」

「…………」

 

 先に裏切ったのはどいつだ、という言葉が口の中まで登ってきたけれど。

 俺は黙って、それを呑み込んだ。

 

「悪い。……俺が悪かったよ」

「……別に。謝らなくたって、いいです」

 

 出来ることなんてほとんどないし、尽くせることも何もない。

 俺に出来るのはこの自分勝手な頭を下げること。それだけだ。

 そうして見えなくなった彼女から、数秒経って言葉が漏れる。じゃあ、と何か思うような、そんな声だった。

 

「──じゃあ、一つ。私の頼みを……聞いてくれますか?」

「……頼み?」

 

 そっと顔を上げると、いつもの悪戯っぽい顔をした彼女があった。

 無邪気な子どものようににっと笑い、人差し指をそっと唇に押し当てている。

 

「勝負」

「は?」

「私の、ギルドガールの勝負に。力を貸して?」

「……あん……?」

 

 何だか、面倒臭そうなことに巻き込まれたぞ。

 清々しいくらい変わっていない彼女のマイペースさに、俺は再び溜息をつく。

 カランと、空になったコップの氷が、虚しそうな音を上げた。

 

 

 

~本日のレシピ~

 

『オムライス』

 

・雪兎亭お手製のオムライス。レシピは企業秘密である。

 

 






 何だこの昼ドラ!?(驚愕)


 タイトルは、オムライスに(かすがい)です。元ネタは豆腐に鎹ということわざ。無駄なことって意味です。
 シガレットの過去最終編って感じになりました。今まで時々出てきた、ご飯に関する女の子の声。その正体が、彼女です。タンジアで色々あったってことが皆様に伝わればいいかなぁって思っております。正直こんなめんどくさい感じになるとは思っていませんでした。書くのが、しんどい……!!
 左目潰し。痛い渾名ですねぇ。いつか、モン飯が完結したら何かの形でシガレットのタンジア編を描いてみたいものです(描くとは言っていない)
 そしてお気づきになられた方も多いと思います。この展開は、とあるエピソードクエストをモチーフにしております。故に、キャシーが言う頼みというのも、「あっ、これかぁ……(把握)」となる方がいらっしゃるのではないでしょうか。
 それでは、次回の更新でお会いしましょう。閲覧有り難うございました。


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