安定の孤独のグルメネタ。
足取りが重い。
いや、そもそも片方は重いどころか無いのだが、それを加味しても足取りはやはり重かった。
家にこもっていても憂鬱になるだけだから、せめて外の空気でも浴びようと。そうして家から出て、ドンドルマの路地を歩き回って。それでも、気分は一向に晴れない。
「……松葉杖って、結構疲れるのな」
膝から下を失った左脚を自嘲気味に見ながら、俺は小さな溜息をついた。
左脚は、元から義足だ。失ったのは義足部分だけだから、特に怪我も痛みもなかった。とはいえあれは狩猟用の特注品だったため、あれに代替するようなものは手元に無い。製造元はジャンボ村であるため、簡単に行くこともままならない。何とももどかしい日々が続いていた。
両手の平を開いて、松葉杖を手放す。それを片脇に寄せながら、木製のベンチに腰掛けた。ドンドルマを掻き分ける水路の傍に立つそれは、大通りから外れた小さな路地になる。街道の騒音は弱まり、水の流れる音や鳥のさえずりが響く穏やかな場所だった。
「ふぅ、休憩……っと」
随分と落ち着いたドンドルマの空気を胸いっぱい吸い込んで、吐き出す。とてもつい先日まで古龍の襲撃に遭った場所とは思えないくらい、澄んだ空気だった。
オオナズチ。霞龍とも呼ばれるあの古龍がここに訪れて、早一週間が経っている。それも、至って平和なままに。
筆頭ハンターや我らの団ハンターの活躍もあり、このドンドルマは事なきを得たらしい。俺自身はその場に居合わせなかったために、一体どのような戦いになったかまでは分からないが――今のドンドルマを見れば、その結果はよく分かる。
一方の、俺が抜擢された淆瘴啖の討伐はといえば、このドンドルマのように華やかなものであったならよかったのだけれど。
「……はぁ」
取り逃がした。
討伐――とまではいかなくて、しかし奴に圧倒的な手傷を負わすことはできた。撃退としては成功だったのだろう。しかし、その肉を全て手に入れることはできなかった。みすみすと、奴を逃がしてしまった。いや、海に全て奪われたと言った方が正しいか。
氷海で横転した奴に、氷の大地を打ち砕かれたのだ。そのまま奴は海に落ち、俺たちも危うく海に呑まれそうになった。凄まじいまでの泥仕合だったと言える。
「何で動けなかったんだろうなぁ……」
動けなかった。奴が海に呑み込まれていく様子をただ茫然と眺めることしかできなかった。挙句の果てには、海に流されかけたところを乱入してきた師匠に助けられてしまった。
散々なのもいいところだろう。俺を心配して様子を見に来たらしい師匠だが、アイツに借りを作ってしまったことが情けない。凍土の一件でやや過保護気味になってきたのが、余計に鬱陶しい。まぁ、助けてもらった手前文句は言えないのだが。
「尻尾、折角斬ったのになぁ」
本体こそ取り逃がしてしまったが、何とか奴の尻尾は斬ったのだ。辛くもそちらを得ることができたと思った矢先、その妥協した心を易々と打ち砕く事態に遭遇した。
不味い。
何と言っても、非常に不味い。
生は勿論、煮ても焼いても、その不味さは消しようがなかった。血抜きをしたというのに、腐敗とはまた違う舌を焼くようなえぐみは抜けず。焼いたら焼いたでその強烈な風味をその肉に押し留めて。そうして溜め込んだその味を、さながらあの拡散龍ブレスの如く口の中にばら撒いていく。
抹茶とは程遠い、吐き気を催すような濃厚な渋みを作りだし、さらには渋柿もかくやという程の口の中を強張らせる猛烈な後味を塗りたくるその味。肉の食感こそ固く歯応えがあったが、噛む度に猛烈な不味さを拡散されてしまっては噛む気力すら現れなかった。凄まじく不味い肉。それが、淆瘴啖だった。
「……救えねぇ」
あの不味さは、興味本位でそっと舐めてみたジンオウガ亜種の毛のそれとよく似ている。何となくだが、そう感じた。
おそらく、あの不味さを作りだしているのは龍属性エネルギー。あのドス黒く染まった血液そのものが、肉にあの味わいを練り込んでしまっている。
元はといえば、俺が奴に封龍剣を刺したから、だろう。それが奴の体に刻々と龍属性エネルギーを刻み続け、果てには弱点属性であるはずのその龍属性エネルギーに適応してしまった特異個体。それがあの淆瘴啖イビルジョーなのだから。
つまり、奴をあのような味にしてしまったのは俺のせい。元はといえば、全て自業自得なのかもしれない。
「うーん、何かないものかなぁ……」
つまるところ、ただ料理しても食えたものじゃないのだ。普通の料理法では全く通用しない。何か、何か他の手段を使わなければ、俺は俺の目的を一向に達成できないだろう。それに思考を費やす日々が、悶々と続いているのである。
それにしても。
淆瘴啖を取り逃がしてしまったが、その様子は何とも異様だった。ただ海に溺れるだけではない、まるで悪夢のようなその光景が、妙に俺の脳裏に焼き付いている。血と酸素を失って、焦点が定まらない視界だったけど、それでも、あれは。あの光景は、まるで――――。
「……あれ、シグ? シグじゃん!」
「……あ?」
不意に飛んできた声に、俺の思考は中断させられる。カラカラと笑う快活な声に、俺の神経は若干逆撫でされた。
顔を上げれば、そこには黒い髪の男。手には真っ赤なリンゴ。俺に声を掛けたその人物は、ユクモ風の衣装で身を包んだ青年、イズモだった。
「……何でお前こんなところにいるんだよ」
「いいじゃん、どこにいてもさぁ。しばらくこっち来れないから、ドンドルマ観光してんだよぅ」
「こっち来れない?」
「うん。ほら、これ見てくれよなっ」
どすんと俺の横に腰を下ろしては、懐からギルドカードらしきものを取り出したイズモ。
ギルドカードといえば、言わばハンターの名刺みたいなもので、ハンターが持っていることは何も不思議なことではない。どころか、イズモのギルドカードは俺も持っている。淡い装飾がなされたユクモギルドのギルドカード。俺が知っているイズモのカードは、それだった。
ところが、今俺の目の前にある物は。
「……あれ? ユクモのカードって、こんなデザインだったっけ」
「ふっふっふ。実はこれ、龍歴院カードなんだよね!」
「は? ……龍歴院って、あの?」
俺が訝しむ目を向けると、彼は自慢げにそのカードを俺に手渡してくる。署名、柄と、それは間違いなく龍歴院印のものだった。
龍歴院とは、ベルナ地方に本部を置く研究組織だ。ハンターズギルドと友好関係を築き、かつ専属のハンターを雇っては連携をとる大掛かりな組織である。地方に人材を固定するのがハンターズギルドとしたら、有用な人材を各地に派遣するのが龍歴院。
最近では、何やら空飛ぶ研究施設を開発しているとか、そんな噂まで実しやかに囁かれている。それも起こり得ると思わせるほど、大きな力をもつ組織なのだ。
「オレもそろそろランクアップしなきゃなって思ってさ。そしたらユクモ村に何やら強そうな龍歴院ハンターが来るじゃん? んで紹介してもらった訳よ」
「へぇ、龍歴院のハンターかぁ。各地を転々とするって聞くけど、よくやるよなぁ。俺には真似できないや」
「ギルドの籍を移しまくってる奴がよく言うよねぇ」
そんなイズモの冷やかしを適当に舌打ちで返すと、彼は特に気にする様子もなく澄んだ笑いに変えてきた。
ひとしきり笑ったあと、彼は突然真顔に戻る。しゃりっと、手にあるリンゴを齧りながら、幾分か落としたトーンで言葉を繋いだ。
「……ま、オレは各地に行くつもりはないけどね」
「え? そういうのもありなのか?」
「龍歴院はさ、古代林っていう未だ謎の多いフィールドを研究してるんだよね。とりあえず、オレはそこの研究に携わろうと思う」
「……どういう風の吹き回しだよ?」
「みんな頑張ってるじゃん? オレもそろそろ頑張らなきゃって、思った訳よ」
あと、トレッドにこき使われるのもちょっと嫌だしね。そう繋げた彼は悪戯っぽく笑う。同様の思いを抱く俺としても、それに関しては同意するしかなかった。その思いを苦笑いに変え、それを相槌代わりにする。
「……だからさ、シグも足無くしたからって気を落とし過ぎるなよな」
「……何だよ、知ってたのか」
「知ってたっていうか、見たままなんだよなぁ」
ベンチから立ち上がっては、清々しく笑うイズモ。
その口振りに、俺は思わず溜息が出た。何だかんだ色々見ている友人に対して、少し困ったような、同時に嬉しさも混ぜたような、そんな溜息が。
「その脚じゃ、色々大変だとは思うけどさぁ」
「不便だよ、やっぱ。今はイルルがニャンタ―として稼いでくれてるけど、ほんと申し訳ないしな」
「何だよ何だよ。いい嫁さんに来てもらって、幸せものだねぇ」
「嫁さんじゃなくてオトモだけど」
「……オトモ」
ダメだこりゃ。そう言わんばかりに、俺の返しにイズモは困ったように眉毛を曲げたが、それ以上言及することはなかった。
その代わりのように、
「……ま、いいや。それより元気出せよなっ。美味い飯でも食ってさ」
「おう。お前もまぁ、龍歴院頑張れよ」
ひらひらと、手を振っては返事を破棄するイズモ。そんな彼の背中が路地に消えていくのを見ながら、俺は小さく息を吐く。
アイツが何を言いたかったのかはよく分からなかったが、いずれにせよアイツはユクモ村から離れるようだ。古代林の調査に赴くとはこれまた急の話である。いつかのタマミツネの時のように、思い立った時に狩りに行くというのは当分お預け――なのかもしれない。
ふと、ぽちゃんと水が鳴った。見れば、ドンドルマの用水路を泳ぐサシミウオが水面を跳ねている。潤う鱗に光沢が鮮やかに浮かぶ、何とも美味しそうな魚だった。
「腹減ったなぁ。……釣り堀でも、行こうかな」
◆ ◆ ◆
それは、青い青い何かだった。
氷海を覆う氷が割れ、海水が飛び出し、そうして海に呑まれていく大地。氷が幾重にも剥がれ、淆瘴啖の巨体に海が大口を開ける。
朦朧とした意識の目前で繰り広げられたその光景。力を失ったスラッシュアックスにも目もくれず、淆瘴啖イビルジョーは、ただひたすら海に向かって吠えていた。大量の血を撒き散らしながら。必死に、負けるものかと叫ぶように。
海に呑み込まれる。溺れていく。傍から見たら、そう見えた。しかし、淆瘴啖の様相はそんなものではない。何かに自由を奪われるように。まるで引きずり込まれるように。いないはずの何かに、牙を向け続けていた。
吠えては、
何かに牙をかざしては、やられまいと血を吐いて。
断末魔の如く、渾身の力で怒号を上げる奴の姿。
端から見ても、とてもただ溺れているとは思えなかった。
黒く染まった体が、青い青い海へと堕ちていく。済んだ海の青さではない。まるで水に絵の具を溶かしたような、隙間ない色で染まった青。その鈍重な色の中へ、奴は――――。
「――――おいッ! かかっとるぞ坊主!」
「……んあ?」
「んあ、じゃないわ! 巻け、はよ巻け!」
思考の海から引きずり出してくる、突然の声。そうかと思えば、勢いよくしなる釣竿が目に入る。
手に収まった竿が、その直後に引っ張られた。引き上げられた意識をそのまま、突然のその衝撃に合わせる。両腕の筋肉を締め、片側を失った脚で踏ん張って。腰を下ろしたアウトドアチェアが唸り、金属の鋭い悲鳴を上げる。
しかし、立てない状態では十分に腰に力を入れることもできないようで。そうして、不意に竿を引く力が抜けた。拍子抜けするくらい軽くなったそれを引き上げてみれば、先を失った釣り糸が現れる。まるで俺の左脚のように、空虚で満たした姿だった。
「……あーあ。逃げられちった」
「ぼーっとしとるからじゃ。そんなんじゃ、釣れるものも釣れんぞ」
そんな俺の横で、呆れたようにそう言う人物。一体何者だろうか。青い帽子を目深に被り、低い背丈を独特の意匠の衣装に包んでいる。そして何より、長い耳。四本の指。その姿は、間違いなく竜人族だ。
不釣り合いなくらい大きなその帽子を少し、親指で押し上げて。そうして俺と視線を交える彼。その顔に刻まれた深い皺は、彼が悠久の時を生きた証明であった。そして何より、その瞳。まるで達観したような、全てを見通すような底の知れない色に染まっている。
「魚は鏡、釣りは己との戦いじゃ。気を抜いたり、諦めたり。その瞬間、お前さんはお前さんに負けるんじゃよ」
そう言ってはカカカと、しゃがれた声で笑う彼。そのまま、俺の返答も待たずに歩き出す。若者をからかうような、そんな素振りだった。
「……何だあの爺さん」
突然話し掛けてきたと思えば、語るだけ語って去っていく。何とも身勝手な人物だ。
「……魚は鏡、か」
ふと、彼の言葉が蘇る。魚は鏡、釣りは己との戦い。俺の目前で悠々と泳ぐ
狭い釣り堀だ。ドンドルマの郊外に佇む、小さな店だった。水路の一部が流れ着くこの池に、その狭い世界しか知らない魚たち。その池を囲うように組み立てられた木のデッキは、今日もドンドルマの風を浴びては小さく軋んでいる。
何となく、餌を撒いてみた。本来釣り針に仕込むはずの釣りミミズを数匹、指で摘まんでは池に落とす。そうするや否や魚たちは一斉に動き出した。我先にと、水面を漂うミミズに喰らいついている。
「あー……」
不意に、腹が鳴った。ふと空を見上げれば、陽も頂点からすでに下り始めている。いつの間にか、随分と時間が経っていたようだ。
「鏡、ねぇ。その通りじゃないか」
餌に食い付く魚と、空腹を主張する俺。あの爺さんの言っていたことも、あながち間違っていないのかもしれない。
そんな思考を引き下げては、俺は顔を上げた。デッキに寝かした松葉杖を手に回し、それらを肩へと引き上げる。
何か食べよう。そう思考を切り替えては、俺は釣り堀の横にひっそりと佇む小さな食事処へと歩き出した。
「――あ」
「おう坊主、また会ったな」
こじんまりとした、随分と古い造りの食事処。
釣り堀の一角を占めるその建物の扉を開けると、先程あったあの竜人の爺さんが目に入った。小さなとっくりとエイヒレのようなつまみを並べ、優雅に酒を嗜んでいる。
「坊主も何か食いにきたのか?」
「坊主はやめてくれ、そんな年じゃない」
「ワシから見ればまだまだ坊主じゃよ」
俺の言葉も酒に流し、またカカカとしゃがれた声で笑う彼。その姿は、優雅に余生を過ごす老人そのものだった。
店内は、どこか閑散としている。元より利用客が少ないのか、常連客の根城となっているのか。いずれにせよ人はあまりおらず、この爺さんと俺の貸し切り状態であった。
そんな店内の、適当なテーブルに身を寄せつつ壁にかけられたメニューへと視線を移す。
キレアジの塩焼き。黄金魚のあんかけ煮。釣りカエルの唐揚げ。壁に
そんな中でひときわ目についたのは、サシミ親子丼という名前だった。
「……サシミ親子丼?」
「そいつはな、サシミウオを贅沢に使った料理じゃよ」
つい言葉にしてしまうと、それを捕捉するようにあの爺さんから補足が飛んでくる。固く締まったエイヒレを、年の割に立派な歯で噛み千切りながら、彼は言葉を繋ぎ続けた。
「サシミウオの刺身とな、その魚卵を使っとるんじゃ」
「あー……だから親子丼ね」
「それだけじゃないぞ。ご飯の方はな、何とサシミウオの骨で出汁を効かせた炊き込みご飯じゃ。絶品じゃぞ」
「サシミウオ尽くしじゃないか……」
あまりのサシミウオっぷりに思わず呆れてしまったが、同時にそれがどんなものなのか、非常にそそられた。
サシミウオと魚卵の親子丼に、ご飯にはサシミウオの出汁を染み込ませているという。その味わいが一体どのようなものか、考えるだけで涎が出てくる。気付いた時には、俺はそれを注文していた。
「お前さん、どこかもやもやとした顔をしとるな」
「……めざといなこの爺」
「見たところ、その脚が原因かの?」
「そうでもあるし、そうでないとも言える」
「ふむ……初対面の相手に中々心を開かんタイプじゃな、坊主は」
「いや、普通こんなもんだと思うぜ……」
戸惑う俺のその言葉にも、彼はふむと適当に返しただけだった。その代わりのように、少し俺に近付きつつ、この虚ろな左脚を凝視する。彼の瞳に職人めいた色が灯ったような、そんな気がした。
「お前さん、ハンターじゃな? その脚は、仕事のせいか?」
「……よく分かったな」
「カカカ! 仕事上、そういうのにめざとくてな。バックリやられたようじゃの」
「がぶりと一噛みだったよ。全身に痕残ってんだぜ?」
「男なら、怪我は勲章よ。それだけ努力の証になる。……とはいえ、その脚ではもう満足に狩りもできんだろうがのぅ」
憂うような口振りで、淡々と言葉を並べる竜人。そんな彼に向けて、俺は左脚を覆うズボンを捲った。
その中に包まれた脚が、そしてボロボロになった金属製の部品が剥き出しになる。それを見ては、彼は「なるほど」と小さく笑った。
「お待たせしました」
何か言いたげだった彼を遮るように、若い店員がどんぶりを持ってくる。米が仄かな熱気を放つ、淡い橙色に染まった世界が現れた。どんぶりという池に囲まれた、狭くも美しい世界が。
鮮やかな橙色に染まったその身は、眩しい光沢を描く。薄く切られたサシミウオ、このどんぶりの主役の一人である。その表面に浮かんだ艶やかな脂が、これまた食欲を増幅させる。
そんな刺身に囲まれるように、真ん中に集まる魚卵の数々。さながらイクラのように、薄橙の玉がその半透明の卵黄を湛えている。膜に包まれたその中身は、トロトロとした色を帯び、その彩りも相まって非常に鮮やかだ。
そんな親子を乗せる米。一般的な白い米ではなく、こちらも薄く、暖色に染まっていた。ほかほかと温かな香りを放っては、その一粒一粒にサシミウオの出汁の香りを主張する。さながら布団のように、親子を包み込むご飯。その優しい香りで、サシミウオ尽くしのこのどんぶりを一つにまとめていた。
ふと顔を見上げれば、あの竜人が優しく頷いている。まずはそれを食べなさい。話の続きはその後だ。まるでそう言っているかのようだった。
そう勝手に解釈しつつ、俺は小皿に醤油をそっと垂らしては供えられたわさびをそこに溶かす。箸を繰っては、緑色が深い深い紫色に溶け込むのをよく確認して、そこに少量刻みネギと胡麻を添えて。そうして魅惑的な一杯を、どんぶりに向けてゆっくり注いだ。心なしか、醤油と出汁の香りが混ぜ合わさり、その深みが増したような気がする。
「さて」
いただきます。そう唱えては、俺は割り箸を右手で回した。
プリップリのサシミウオ。繊維に沿って綺麗に捌いたその一品は、爽やかな味わいを一瞬で拡散させた。舌に乗った瞬間、しっとりとした感触を伝えてくる。その身に乗った脂を一気に溶かしてくる。甘く、優しく、艶やかだ。芳醇な脂がしっとりしっとり、口の中で溶けていく。
一方の魚卵は、噛めばその身を弾けさせた。何十個も口に含んで、一気に咀嚼。するとどうだ、プチプチという快音に口の中が満たされていくじゃないか。同時に、とろりとした中身が一気に垂れ流れ、その濃厚な甘みを口の中に塗りたくり始める。刺身と合わされば、その脂の味わいを一層刺激し、より強い風味を描いていく。
「うっま……」
「何だかんだ良い品を仕入れてるのがこの店じゃ。ええもんじゃろ?」
「あぁ……ご飯と魚が猛烈に絡みついてきやがるよ……」
ほかほかのご飯を頬張れば、すうっと鼻を抜けるように、サシミウオの香りが現れる。一粒一粒に染み付いたその味わいに、ご飯の温かさが相乗効果。噛めば噛むほど、その柔らかな味が溢れ出した。出汁とは言えど、魚の旨みは十分に刻まれている。いや、むしろ出汁だからこそご飯の控えめな味わいと上手く合わさっているのだと言えよう。
そんな米と刺身を合わせれば、芳醇な脂がすぐさま米に舞い降りて。魚卵と合わせれば、そのとろりとした濃厚な卵黄と混ぜ合わせて。どう食べても、出汁が米と魚をひとまとめにする。全く違う食材とは思えないほど、違和感の無い味わいを作り出していた。
「カカカ! 坊主は良い喰いっぷりをするのぉ! 何だか知らんが、見てると痛快な気分じゃよ」
「もぐっ、何だそれ……」
「そう不貞腐れるな、褒めたつもりじゃて」
そう言ってはもう一度しゃがれた声で笑い、彼は席を立った。
ゼニーを置いては、机に置いていた青い帽子を持ち上げる。
「何だ、もう帰るのか? 話の続きは?」
「ふむ、まぁ近いうちまた会うじゃろ。そん時でええ」
「近いうち……? 何だそりゃ?」
「カカカ! 爺の戯言じゃ。適当に受け取っておけ!」
つかつかと床を鳴らし、気力の衰えを感じさせない歩きを刻む彼。小柄な影が、俺の隣を通り過ぎていく。
彼が一体何を考えているか、俺には分からない。しかし、間違いなく何か意図があるんだろう。少なくとも、彼は俺の左脚を見て目の色を変えたのだから。
「……なぁ、最後にいいか?」
「なんじゃ、坊主」
「爺さんは今日、何匹釣れたんだ?」
ただの興味本位。それだけの言葉を何となく口にする。すると彼は、ゆっくりこっちに振り返った。外の光を背に映しながら、白い歯を大きく見せる彼。快活な笑みがそこにある。
「今日は、
◆ ◆ ◆
あの爺さんが去ったものの、俺の目の前の池は一向にボウズではない。まだまだ美味い魚たちで満ちている。俺はもう一度気を引き締めて、二度目の
刺身と、魚卵と、炊き込みご飯。それを一度に味わったら、どうなるか。そんなことを試しているうちに随分と時間が経っていた。魚の脂と、魚卵の卵黄が、一度にご飯に絡みつく。パンチの足りないご飯の味に、強い風味を刻んでいく。ご飯の優しい香りが、親も子どももひとまとめにする。
そんな味わいを楽しんでいれば、再びこの食事処の扉が開かれた。あの爺さんと同様、随分と小柄な人物がそこに立っている。
ネギと胡麻を添え直し、植物由来の落ち着いた味わいを浸透させて。ネギ特有のシャキシャキとした食感を。ゴマの凝縮させた甘みを。それらを親子丼へと加えながら、そっと背後のその人物の方へ目をやった。
「……あっ」
小柄は小柄。竜人族と大差ない、小さな姿。しかし、彼らとは決定的に違う、豊かな体毛を湛えたその影に、俺は思わず変な声を漏らしてしまった。手に持った箸が、カランカランと机に落ちた。
「おう、シグ」
「……師匠」
黒を差し直したような、赤黒い鎧。銀色のフェイスガードを持ち上げた、斑点模様のアイルー。そこにいたのは、紛れもない俺の師匠だった。
そんな師匠は、一歩、二歩と店内に足を踏み入れては、キョロキョロと周りを窺い始める。まるで誰かを探しているかのように。待ち人と時間を合わせているかの如く。
「シグ、竜人の爺見なかったか?」
「え?」
「実はよ、旧友と待ち合わせてしててよ。まさかアイツ、また途中でめんどくさくなりやがったか……」
「旧友?」
「おう。伝説の職人って大層に呼ばれてるが、単なる酔狂な爺だ」
「は?」
「あ? 見たのか? あの爺をよ」
「……伝説の?」
「職人……だが?」
「……は?」
かつて本当の左脚を失った時。凍土で、淆瘴啖と対峙した時。
懸命に情報を集め、探し求めた人物。その名を、師匠が今口にした。旧友と称していた。
そんな彼が言う、竜人族とは。俺が先程見た竜人族など、一人しかいない。自分がボウズでありながら、俺を坊主だとからかったあの爺、ただ一人。
まさか、いや、そんな。
首を傾げる師匠を前に、俺はそんな言葉を漏らすしかなかった。
~本日のレシピ~
『サシミ親子丼』
・サシミウオ ……120g
・サシミウオの魚卵 ……30g
・ご飯(出汁で炊き込み) ……1合
☆つゆ、わさび、ネギ、胡麻などお好みで。
元ネタは、テレビで見た鮭とイクラの親子丼。と孤独のグルメ。タイトルの元ネタは、沖のハマチということわざ。
ダブルクロス楽しいっすね。ネセトかグギグギアレンジばっか使ってます。アトラル・ネセトを見ているとスプリングだけじゃなく糸(ワイヤー)を使えばより精巧な義肢が作れそうだなぁと感じておりました。そんなこんなで、伝説の職人現る。ドタキャン癖が強いのは独自設定ですが、Fの彼の手腕を見る限りあながち間違ってないかもと思っております。義肢作りも連続で失敗しそう()
更新が遅くなってすみません。どうにもこうにも、月一がやっとって感じです。ダブルクロスだけのせいじゃないけど、コイツの存在もでかい(確信)
閲覧有り難うございました。感想、評価などお待ちしております。ではでは、次回の更新で会いましょう。