モンハン飯   作:しばりんぐ

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 バルファルクうまそう。





えぐい渋いも味のうち

 

 

 ───親父は、強かった。

 小さな小さな、水没林の中で佇む小さな村だったけど、その村付きのハンターは強かった。モンスターの脅威に晒されるその立地に、されど水没林の資源で生計を立てていた村だ。

 その村の護衛として派遣されたハンターは、ロックラックギルドに身を置いていた凄腕のハンターだった。何でも、ジエン・モーランという超巨大古龍の撃退にも貢献したとかで、その腕前を買われあの村に派遣されたらしい。

 水没林は、湿気と沼で溢れた独特の密林地域だ。まるで潮の満ち引きのように沼の高さが変動し、それに合わせて生態系も変わる。ドスフロギィやクルペッコからナルガクルガにドボルベルク、そして沼で森が没した時は、ラギアクルスでさえ現れる。簡単に言えば、モンスターたちの楽園なのだ。

 危険なモンスターが多ければ、その分村にも危険が及ぶ。そんな村民を守るために派遣されたハンターは、村と共に苦難を乗り越え、そのうちに村との交流を深めていった。果てにはそこで子どもを儲けるほどに。そう、俺だ。

 

「───お前は将来、何になりたいんだ?」

「……ハンター?」

「おいおい、俺と同じかよ。……んじゃ、その理由は?」

「んー、かっこいいから!」

 

 そんなガキの言葉を聞いては溜息をつく親父。無精髭を生やしたその顎から、困ったような声が漏れる。

 リオソウルシリーズを身に纏い、片手剣を腰にぶら下げたその男は、俺の憧れだった。村を守り、人間の何倍もあるモンスターと戦い、それに勝つ。まさに英雄だ。憧れを抱くな、という方が無理があるだろう。

 

「あのなぁ……。ハンターってのは、ただかっこよくても務まらないんだぞ」

「いいじゃん、かっこよくて! 村に来るモンスターを片っ端からやっつけてさぁ!」

「おっと。何もハンターはモンスターを見境なくやっつけてる訳じゃないぜ?」

「え? 違うの?」

「おうともさ! ハンターってのは、よく見なきゃいけないんだ」

「……見る?」

「そう。そのモンスターが狩るべきものなのか、どうかをな」

 

 親父はよく、ハンターの理念を口にしていた。俺は、ハンターは狩りたいものを好きなだけ狩るものだとずっと思っていたけれど、それを口にする度に親父からつまらない説教を喰らったものだ。

 ハンターは、自然と共に生きるのであって、決して自然を破壊するものではない。それが親父の口癖だった。自然と共存することが大好きらしい親父は、モンスターにも命があり、彼らの生活があることを俺によく語っていた。何となくだが、朧気に覚えている。

 

「一度、本当の大自然って奴を感じてみるといい。樹海とかに、一人で行ってな」

「自然なんて、そこらへんにあるじゃん」

「そうじゃない。人間は自分以外誰もいないところさ。そこで自分がどれだけ生きられるか試してみる。そうすると、いずれ気付くもんだ」

 

 ───自分自身も、自然の一部になっていることにな。

 そう言っては薄く笑う親父の言葉に、子どもだった俺はただ首を傾げることしかできなかった。

 

 

 

 それから───俺が十回目の誕生日を迎えた年だっただろうか。村の周辺で、特異な影が見られるようになったのだ。

 緑色の外皮。それを裂くように生えた不気味な棘。限界まで裂けた口に、さながらヒルのように太く発達した尾。水没林に現れるようになったその影に、住民は怯えていた。親父がその対処に当てられるのに、そんなに時間はかからなかった。

 

「あんなモンスターは見たことないが……まぁ、体格から見るに獣竜種だろうな」

「……狩りに、いくの?」

「あぁ。あれは完全な肉食性だ。それも、食い過ぎのな」

「つまり、狩るべきモンスターってこと?」

「そうだな。あれはこの水没林の外から来た奴だ。これ以上は見過ごせないぜ」

 

 親父が狩ると断言したそのモンスター。その時まで、俺はそのモンスターの姿を見たことはなかったのだけれど、きっと悪魔のような姿をした奴なんだろうと思っていた。自然との共存が口癖の親父が、狩ると断言するほどのモンスターなのだから。

 村人からたくさんのアイテムを受け取って、親父が丹精込めて研いだらしい封龍剣【絶一門】を持って、母親と抱擁を交わして。そうして村長の鼓舞の下、親父はそのモンスターの討伐に向かった。誰もが、親父の勝利を信じて疑わなかった。

 

 ───結局帰ってきたのは、腕の一本だけだったけれど。

 親父が帰ってくるには遅いと、村民が危惧し始めたその次の夜だった。森の方から、まるで大銅鑼のような何かが響き渡ったのをよく覚えている。同時に緊急事態を告げる鐘が鳴って、村民が慌て出して。

 気付いた時には、村の一角が潰されていた。そこにいたのは、黒い皮で全身を覆った紛れもない悪魔だった。

 

「───え?」

 

 親父は?

 自然に漏れたその言葉。それに応じるように、悪魔の口から零れ落ちた何か。

 それは、青と黒を混ぜ合わせたような何かだった。それが腕を包んで、その先からは剣を握った指がずらりと伸びている。

 見覚えがある配色。親父がよく着用していた、リオソウルシリーズの腕装備。それが握り締めていたのは、昨日親父が腰に携えたはずの、封龍剣【絶一門】。

 

 

 

 それを認識してからの記憶はあやふやだ。気付いたら、傷だらけの状態でアイルーの集落にいた。ただ何人もの肉の塊が、あの悪魔の腹に収まった光景だけはうっすらと覚えている。

 ───この時俺は感じたんだ。生きていてはならないモンスターだって、この世界には存在するのだと。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「───なんて、思ってたのになぁ」

 

 荒い息を整えながら、俺は振り下ろした斧を持ち上げる。刀身に纏わりついた雪を落としながら、再びそれを構えた。

 その先には、瘴気をまるで燃料切れのように収める淆瘴啖の姿。あの悪魔の姿が、そこにあった。

 

「……俺から全てを奪ったくせに、なんて弱々しい姿なんだお前」

 

 氷海を駆け回り、懸命に餌を探す奴を追い掛けて。一度山頂にまで逃げた奴を追い、その流れで島を回るように洞窟を抜けて、再びこのエリア3で相対する。

 そんな激戦の中で、奴がとうとう疲弊したかのように瘴気を収めた。餌を喰おうにも目の前の餌は口に入らず、別の餌を探そうにもこの餌が邪魔してくる。そんなジレンマに苛立ちを示すような、微かな唸り声。喘ぐ奴のその口から、それが漏れた。

 

 ───弱っている?

 何となくだが、そう感じた。

 初めて会った時ならまだしも、今は無き七星剣斧を担いで戦ったタンジア時代、そして数年前の凍土での戦いに比べて。

 

「……にゃあ、少しプレッシャーが引いた……にゃ」

「エネルギー切れなんだろう、たぶん」

 

 七星剣斧もネブラXシリーズごとバラバラに打ち砕かれた、あの凍土の戦いが最も記憶に新しい。けれど、あの時のような余裕が、奴にはない。切羽が詰まったかのように、焦燥の念に駆られたかのように、必死の形相で戦っている。それこそ、目の前の敵を無視してでも糧を得ようとするほどに。

 

「オーラも無くなったにゃ……。こうして見ると、傷だらけにゃね、あの子」

「……そうだな」

 

 そう、傷だらけなのだ。

 何もイビルジョーが傷だらけなのは不思議なことじゃない。正面突破で戦いに挑む奴らはいつも生傷だらけだ。モンスターの爪痕、牙による切り傷とその様相は様々である。

 ───だが、奴は違った。端的に言えば、火傷だ。それも火薬による火傷。人工火薬特有の、傷痕に塗りたくるような黒々しい(すす)の痕。それが物語っている。あれは火竜が吐くようなものではない。人間が好む───それこそ拡散弾など、そういったものによってつけられる傷だ。

 となると、奴が孤島から退去したのは、もしかして───

 

「旦那さん! ここはチャンスにゃ! 攻めるが吉にゃ!」

 

 俺の思考を打ち破って、ケモノの雄叫びを上げるイルル。そうして身を屈め、後足で雪を蹴り上げながら、息も絶え絶えのイビルジョーに向けて走り出す。

 

「……おっと、待てイルル」

「むにゃんっ!?」

 

 そんな彼女を、後ろから抱き上げた。突然ひょいと持ち上げられて、彼女からは素っ頓狂な声が漏れる。

 

「な、何するにゃ旦那さん!」

「俺もそう考えて、この前痛い目を見た。いつまた暴発するか分からんからな」

「にゃっ、このチャンスを無駄にするつもりかにゃ?」

「そうじゃない。もちろん俺は戦うさ。だけど、ここでイルルには別のことをやってほしいんだ」

 

 ───罠は、もう仕掛けれそうか?

 その言葉と共に、彼女にタルや爆薬を手渡した。それと俺の顔を交互に見ては、イルルは何かに気付いたかのように口元を引き締める。そうして、力強く頷いた。

 しゅたっと着地する相棒に、も一つキノコの串を咥えさせて、俺はもう一度イビルジョーの方に振り向いた。背後から聞こえる雪を掻く音を確かめながら、俺もキノコの串を咥え、走り出す。

 

 激戦でエネルギーを使い果たしたビンを弾き飛ばし、新たなビンを装着。懐から取り出したそれは、強撃のエネルギーをもったビンだ。簡単に言うと、最も推進力のあるエネルギー。

 剣モードの剣斧は、ビンのエネルギーを背から噴出することで爆発的な加速力を得る。大剣のような構えをとるのに、圧倒的に振る速度が違うのはこのビンに依るものだ。中でも強撃ビンは最も加速力に優れ、数あるビンの中でも最も単純火力を高めるものと捉えられている。七星剣斧に、そしてこのバラクレギオンに設定されたビンも、それだ。

 

「どうした淆瘴啖! もう疲れたのかよッ!?」

 

 噴出したビンエネルギーで飛び出した俺と、その手に持った出力の塊。それをそのまま、斧の振り回しへと変貌させる。周囲を円でも描くように薙ぐその一撃が、奴の体を引き裂いた。爆破の痕をよく残すその皮膚が裂け、奴から悲鳴が飛び上がる。

 それでも、奴は倒れない。強酸性の涎を振り撒きながら、必死に脚を大地に縫い付ける。そうして、邪魔な蝿を打ち払おうとその巨大な尾を薙ぎ払った。

 

 斧の薙ぎ払いからの、尾の薙ぎ払い。薙ぎ払い勝負も面白そうだが、生憎人間とモンスターでは体格が違い過ぎる。鼻先を薙ぐ恐ろしいその一撃に、俺は思わず斬り払いに移行した。左肩から、右脚に。そうビンの軌跡を描きながら、その反動で俺は後ろに跳ぶ。そうして空を斬った奴に向けて、再び剣斧を振り上げた。

 剣モードではリーチが足りない。その尾先を見ながらそう思った俺は、柄のグリップを再び握る。剣が斧へと姿を変えた。

 

「……何も食えねえってのは、辛いもんだよなぁ」

 

 宙を舞うように、巨大な尾先が飛び上がる。同時に支えを無くしたかのように転がる淆瘴啖の姿を見ながら、俺は小さくそう呟いた。

 奴が常に苛まれている空腹。それが拍車を掛けて、今の奴はあの体たらく。本当に、空腹とは恐ろしいものだ。

 空腹は、時に命を絶つ。最高のスパイスであると同時に、最悪の敵でもある。そう、俺たち生き物にとって最悪の敵とは、それだ。

 

「だけど、飯を美味くしてくれるのもそれなんだよ」

 

 何という二面性。まさに天使と悪魔の具現だ。

 俺は口に咥えたキノコ串を力一杯噛み締めながら、その天使へと手を振った。

 美味い。何といっても、ただひたすらに美味い。マンドラゴラを丸々一本贅沢に使ったそのキノコ串は、えも言えぬ旨みに満ち溢れていた。

 石付きを切り取って、笠には十字の切り込みを入れて。そうして軽く塩茹でしたそれを、味わい深いフライパンへと投入する。何が味わい深いかと言われれば、それはフライパンの中で先にくつろぐ品の数々だ。

 塩と胡椒、そこにバターを加え、さらに怪力の種と忍耐の種を加える。それらを軽く炒り、種の香りとバターの匂いをブレンドさせてから、そこにマンドラゴラを投入。バターのとろける香りが混ざった、上品なキノコ串の完成である。

 数時間前キャンプで生まれたそれの、熱が冷めても冷めない味を、俺は一心に頬張った。

 

「あぁ……美味いなぁ、これ」

 

 歯応えある食感に、口の中で香るバターの濃厚さ。茹でたことにより柔らかさを得たキノコに、うっすらとついた塩味。それが胡椒やバターの味を引き出して、香りをさらに引き立てる。

 一方で、怪力の種や忍耐の種の味わいもまた、控えめながらキノコに染み付いていた。旨み、甘み、渋み、えぐみ───といった数々の味を混ぜ合わせたかのようなそれは、塩の辛さと合わさり何とも複雑な味を描く。

 例えるなら、ローズマリーの香り付けだろうか。マンドラゴラといえど、キノコの臭みは十分に強い。それを、炒った種たちは品の良い香りで上書きしている。舌にピリピリと残るえぐみが、バターの甘さを強調する。それが芳醇なキノコの旨みを、さらに昇華させていた。

 

「グルルル……」

「あん? 欲しいのか?」

 

 吹っ飛んだ体を引き上げて、無くした尾先からは血を振り撒いて。

 そうして、恨みがましく俺を───いや、俺の持つキノコを見る淆瘴啖。氷海の凍て付く空気を優しく撫でるその香りに、奴は思わず前に出た。

 

「───やらねぇよ」

 

 一口でキノコを全て口に入れ、そのまま剣斧を構える。立てるように上げたそれで刃先を奴に合わせ、その牙が触れる瞬間に引く。衝撃から身を引くように、そのまま背後に跳んで、納刀。奴の牙は再び氷海の風を噛み締めた。

 

「旦那さん! 準備完了にゃ!」

 

 同時に、イルルの声が飛ぶ。見れば、落とし穴を設置し終えたイルルが俺に向けて手を振っていた。美味しそうにキノコを頬張りながら、ぶんぶんと。

 そんな彼女の足元には、ネットによる紋様が浮かんでいる。降りしきる雪を被りながら、それでもその存在を主張するそれ。罠の設置が、彼女の言葉通り完了したようだ。

 ───あそこには、キノコと一緒に手渡した爆薬も仕掛けられている。落とし穴の奥に仕込んだ爆薬。罠の起動と同時に起爆する、まさに狩猟技術の集大成だ。

 あとは、奴をそこに誘い込めばいい。罠で動きを封じて、爆薬で体力を削って。疲労困憊な奴を仕留める、まさに仕上げだ。

 

「よっしゃ! イルル、今からこいつをそっちに誘い込む! 少し離れろよ!」

「にゃー! 分かったにゃあ!」

 

 そうして、イビルジョーへと振り返る。コイツを挑発して、注意を引いて、そのまま罠に誘い込めば───

 なんて思った瞬間だった。

 ───突然、奴の姿が消えた。

 

「……は?」

 

 同時に、地面が軽く揺れる。雪が舞い上がり、視界が白く染まる。風が、何かによって掻き乱されるのを感じた。

 

 気のせいか? 突然雷雲が現れたかのように、何かが空を遮っている気がした。巨大な影が、白い視界に差し掛かっているかのような、そんな感覚。そう、まるで巨体が空に跳躍したかのような───

 

「───まさかッ!?」

 

 剣斧からエネルギーを噴出させて、舞う雪を吹き飛ばす。そうして、慌ててイルルの方へと踵を返した。

 ───そうして見えたのは、巨体をさながら流星のように落とすイビルジョー。まるで岩穿テツカブラのような大ジャンプで空に舞い上がったらしい奴は、その全体重を氷海に落とそうとしていた。罠を埋めたイルルに向けて。

 

「……にゃっ!?」

「イルルッ! 避けろォ!」

 

 いつかのドボルベルクの時の如く、突然の事態に動きを強張らせるイルル。奇しくも同じく獣竜種が飛び上がるという事態に、イルルは回避をし損ねた。

 幸い、奴の爪が直接彼女に届くことはなかったが、それでも彼女は未だに罠の傍にいた訳で。そうして、その爆破罠に超体重が飛び込んだとなれば───

 

 氷海に響く、凄まじい轟音。仕掛けた爆薬が一瞬で炸裂し、氷海の傾斜を太陽の如く照らした。雪をも解かす熱波が生まれ、それが爆風と共に波紋を描く。イビルジョーを爆心地に、ここら一帯が吹き飛んだ。あまりの風圧に、俺は思わず腕で顔を覆う。

 

「イルル……ッ!」

 

 まさか奴に罠を利用されるとは。分かっていたのか、はたまた偶然か。いずれにせよ、状況は一転したことには間違いない。

 ───いや、そんなことより、イルルは。彼女は───

 

「……くぅ、どこだ……ッ!」

 

 淆瘴啖などどうでもいい。罠が台無しになったことも大した問題じゃない。イルルが、イルルさえ無事ならば。

 舞い上がる雪の中で、同じく雪のような白い毛並みが宙を舞う。ところどころ毛先を焦がしては、ぐったりと重力に身を任せる彼女の姿。爆破の熱を直接浴びた訳ではなさそうだが、その衝撃は十分に吸収してしまったらしい。意識なく、そのままエリア2へと続く空を墜ちていく。

 

 考えるより、先に体が動いた。剣斧のグリップを握り、属性解放モードに移行。それをそのまま、背後に回してはビンの蓋を全開にした。剣の刃先と斧の刃先が擦れ合って、エネルギーに火を付ける。噴出機構が激しく吠えた。

 

「イルルーッ!」

 

 さながら、ガンランスのブラストダッシュのようだ。駆ける地すらない氷海の空へ、剣斧だけを頼りに飛び出したのだ。そのまま、火を湛えたまま身を投げるイルルへと己を飛ばす。

 あまりの速度に氷の破片が頬を切り裂いたが、それに気を回す余裕もない。今はただ、ただイルルを抱き寄せることだけを考えて───

 

「……にゃっ!? ボ、ボク……ッ!?」

「イルル……ッ!」

 

 左手を伸ばした。右手で剣斧を支えながら、イルルに向けて左手を伸ばす。それが彼女に触れた瞬間、それが引き金になったのだろうか。彼女は、唐突に目を覚ます。

 

「にゃ、にゃあ!? 何これっ!? な、何でボク落ちてるのにゃー!?」

「イルル、目ぇ閉じてな!」

 

 そんな彼女を力一杯抱き寄せた。ようやく触れた彼女の体。温かく、柔らかく、命の炎を精一杯湛えた小さな体。イルルが無事だったことに、俺は小さく安堵の息を漏らす。

 ───だが、依然としてピンチであることには変わりない。俺もイルルも、未だに宙を舞っている。このままではエリア2の氷へと全身を叩き付けられるだろう。そうなれば、どうなるかなど想像するのも御免だ。

 

「ど、どうするのにゃ旦那さん!」

「イタチの最後っ屁!」

 

 左手で、イルルを胸に押し付けて。右手で、剣斧を振り回して。

 先程まで俺の背に向けていたそれを、今度は下へと向ける。ビンの推進力を、ブレーキに変えるために、その刃先を下へと下ろした。そこに左脚を掛けて、もう一度ビンの蓋を全開にする。新しいビンの内容量はおおよそ六割ほど。一回の属性解放で約三割ほどのエネルギーを失うため、属性解放は残り二回のみ。

 それを今、衝突寸前の大地に向けて撃ち放った。

 

「にゃあああぁぁぁぁぁっ!!」

「ぐッ……!」

 

 まるで空中で振り回されるかのような、そんな感覚だ。落ちていた体が急停止して、かと思えば横に吹き飛ばされるような。視界が急激に荒れ果てて、自分の体がどうなっているのか全く認識できない。

 ただ、剣斧が地面に激しく擦れ、左脚の鋼鉄を軸に体を大地に留めていることだけは分かった。ビンの光が、バラクレギオンの金の破片が。氷海の、銀色の氷が舞い上がって、俺の体は氷に激しくその身を擦らせて───

 

 

 

「……止まった」

「……にゃ、にゃあ」

「……生きてる、な」

「……にゃむ……」

 

 海へと落ちるギリギリの地点。そこで、左半身で氷を薙いだ俺の体。激しく擦れた後を残しながらも、俺の体は生きていた。単純な痛みと、重力に振り回された頭痛が激しく走る。思わず腹のものをぶちまけてしまいそうなくらい、強烈な吐き気が口を満たした。そう、まるで重度の酔いのような。

 それでも何とか身を起こす。すると、びくびくと俺の胸の上で体を丸まらせるイルルの姿が目に入った。震えてはいるものの、目立つ怪我は見当たらない。爆風による毛の火傷程度だろうか。

 

「イルル、大丈夫か?」

「び、ビビったにゃ……。ボ、ボクたちどうなったのにゃ?」

「淆瘴啖が爆破罠に飛び込んでな、それで一気に大爆発よ。その爆風で俺らはここまで飛ばされたって感じかな」

「うぅ……旦那さん、ボクを庇ってくれたのかにゃ……」

「傷つけさせないって、言ったろ?」

「にゃ……っ」

 

 ピクリと耳を動かして、髭をピンと張るイルル。そんな大事なオトモを一旦地に降ろして、立ち上がろうと足に力を入れた。

 いつまでもここにいる訳にはいかない。俺もイルルも無事なことが分かったなら、狩りは続行だ。淆瘴啖も、俺たちの罠を利用したとはいえあの爆風を零距離で受けているんだ。無事であるはずがない。一旦キャンプに戻るのも手だが、ここは敢えて攻めに徹しよう───

 なんて思いながら曲げた右脚を軸に左脚を踏み込んだ瞬間、俺の視界は再び横転した。またもや宙に投げ出されたかのような、そんな錯覚さえする視界。ふわっと、腹の奥が締め付けられる。

 

「えっ……」

「だ、旦那さん!」

 

 慌てて跳び込んできたイルルの、ふわふわのお腹。それがスライディングするかのように俺の体を支えてくれた。固い氷の代わりに、俺の頭は柔らかなネコの体に包まれる。痛みはなかった。むしろちょっと心地いい。

 

「……まさか」

「にゃあ!? 旦那さんの左脚、無いにゃ!?」

 

 脳裏を過ぎった不安。それを、イルルの声が現実に変える。

 思えば、剣斧の軸を整えるために俺は左脚を利用したのだった。それが、剣斧の次に大地に近いところにあった。その剣斧自体も氷に削られ、今や刃先が無残にも零れてしまっている。脚が同様のことになっているのも、考えてみれば至極当然のことだろう。

 ───それにしても、脚が無いとは。命があってこそなのだから、左脚を犠牲にしたのは後悔していないが、このままでは狩猟続行は不可能か。不本意だが、撤退するしか───

 

「……って、そうは問屋が卸さんぜってか?」

「にゃ? ……い、イビルジョー……っ! 追ってきたのにゃ……っ!」

 

 不意に、大きな影が氷を染める。黒い色が銀の光を塗り潰し、そうかと思えば赤黒い塊が全てを押し潰した。影の色に染まった氷が勢いよく割れ、澄んだ海水が染み出してくる。

 それも全く気に留めずに、落下の衝撃を全て吸収し切った淆瘴啖。開いた足を構え直しながら、ゆっくりと、俺たちに向けて牙を定める。爛々と、狂気に満ちた隻眼を輝かせては、低い唸り声を上げた。

 

「にゃあ、またあの瘴気が溢れてるにゃ……! 怒ってるにゃあ……」

「あの爆発の中にいたくせに、ピンピンしてんなコイツ。……マズいかも、これ」

 

 爆破の渦でさらに皮膚を焦がしながら、しかしそれに全く気に留めずに、ゆったりゆったり脚を踏み出す淆瘴啖。その巨体が歩く度に氷海の氷には罅が走り、氷が軋む音色を奏でた。

 ───マズい。このままでは逃げることも出来ない。後ろは、氷点下の海だ。とても人間が生きることのできる環境ではない。かといって目の前には奴がおり、しかも俺には片足が無いときた。逃げることすら、ままならないだろう。

 

「……イルル、逃げるなら今の内だぞ」

「にゃっ!? 何言ってるのにゃ旦那さん!」

「俺はもう走れないけど、お前はまだ大丈夫。今だったら逃げることだってできる。だから、今なら───」

「イヤにゃイヤにゃ! 旦那さんを置いてくなんて、絶対イヤにゃ!」

「でも、このままじゃ死ぬぞお前」

「そ、それでも……旦那さんから離れたくないのにゃ……っ!」

 

 ひしっと、俺にしがみつくイルル。強張った体で、震えた声で。

 それでも必死に俺にしがみ付いている。絶対的に生きる可能性がある逃避より、俺と一緒にいることを選んでくれるなんて、旦那冥利に尽きるじゃないか。

 ───だったら。

 

「……だったら、さ。最後の賭けをしよう」

「……にゃ? 賭け……?」

「あぁ。───イルル。一つ頼みを、聞いてくれないか?」

 

 

 

 

 ゆったりと歩くイビルジョー。もはや動けない獲物に向けて、その牙を鳴らす捕食者の影。それが、今俺の目の前へと迫っている。

 奴は、自分の勝利を確信したのだろう。だから、これだけゆったりと歩み寄る。攻撃の手、ではなく捕食の手を選んでいる。あとはその鎌首を、凶悪な顎を下ろせばいい。そう考えているようだった。心なしか、その唸り声もどこか満足そうだ。

 

 両手で剣斧を握る。それを構えては、ビンの蓋を開ける。それも、奴には威嚇にしか見えないのか、全く気に留めていないようだった。目前に剣があることも構わず、どころか剣ごと喰ってしまおうと、その醜悪な口を開く。視界が、暗い暗い竜の喉で染まる───

 ───その瞬間に。その、喉奥に。

 

「はあああぁぁぁぁッ!!」

 

 地に付けていた腰を浮かした。そうして右足で踏み出して、腰に力を入れて、肩を引いて。渾身の属性解放突きを、最後のビンエネルギーを撃ち放つ。

 全身を使ったその刺突が、深々と奴の喉を穿った。開いた口を埋めるかのように、斧の刃は舌を裂いて、剣の先は喉奥をえぐって。そうして直に、奴の内部へとビンエネルギーを放出する。

 

 もう抵抗する力も無いと思い込んでいた餌が、最後の抵抗を見せた。それが予想外だったのか、奴は驚愕の声を漏らした。

 それでも、口の中が裂けているにも関わらず、奴はそのまま牙を(かざ)す。俺を呑み込まんと、その口を引かなかった。それどころか前に出て、思わず俺は押されそうになる。

 

「旦那さん……ッ! 耐えるのにゃあ……!」

「当ったり前だ……ッ!」

 

 イルルが、俺に発破をかけた。俺もそれに応え、痛む全身に鞭を打つ。両足を開いて、奴に負けんと腰に力を入れ続ける。

 氷を削る右脚。黒轟竜の装甲が軋み、激しく氷の破片を撒き散らす。

 一方の、左脚。足先を無くしたそれは、もはや立つこともままならない───

 

「ボク、精一杯支えるにゃ! だから旦那さん……勝って……っ!」

 

 そんな脚を支えてくれる、イルル。膝下に力一杯抱き付いて、そのネコの足を大地へと擦らせる。無くした俺の脚の代わりをするように、彼女は懸命に俺の体を支えていた。

 ───これが、俺の言う最後の賭け。無くした脚をイルルが支え、それを軸に俺が剣斧の残りの力を撃ち放つ。できるかどうかも分からない土壇場の苦肉の策だ。

 だけれども、今なら。イルルが悲鳴を上げながらも耐え抜いて、俺の剣斧が深々と奴の中を穿っている、この瞬間なら。

 

「……ッ……御馳走様、だァッ!」

 

 ビンが空になる。全てのエネルギーが放出される。赤い靄が剣先から溢れ、それが奴の喉を満たしている。

 そんな喉奥へ向けて、バラクレギオンは吠えた。剣と斧の切っ先が擦れ、眩しい火花が溢れ出る。それが、強撃ビンエネルギーへと火を付けた。

 瞬間、強烈な爆破の渦が奴を焼く。限界まで引き絞られたエネルギーが集束し、一瞬で解放。その猛烈な加速力に、奴の体内が弾ける。あまりの衝撃に、奴は勢いよく吹き飛んだ。さながら、口内のマグマが暴発した斬竜の如く。

 口から鮮血と瘴気を撒き散らし、勢いよく横転する淆瘴啖。余りある巨体が、罅の走った氷へと打ち付けられる。その衝撃で、いよいよ氷海の氷が割れた。エリア2が、淆瘴啖が、海へと呑まれ始め───

 

 そんな光景が、ふと大きく揺れる。少し驚いたものの、何もおかしなことではない。限界まで力を振り絞ったせいか、身体の力が抜けたのだ。

 

「ふにゃっ、旦那さん!」

 

 それをイルルが慌てて押さえ、俺は何とか身を転がさずに済んだ。左手で剣斧を突き立て、イルルが俺の胴を押し止めて。そうして何とか、体勢を立て直す。

 割れゆく氷に、離れゆく大地を見ながら、右手の甲で汗でも拭うように頬を擦った。

 

「……あ」

 

 ただその色は、赤の絵の具に黒を思い切り混ぜたような、ドス黒く染まった色だったが。

 口から鮮血を撒き散らしたイビルジョーだ。その大量の血飛沫が、俺の体に纏わりついていた。頬についていたのも、きっとそれだろう。

 拭った手の甲のそれを、俺はそっと舐めた。ドス黒く染まったそれは、何とも珍妙な香りがして。舐めてみると、痺れるような苦味が溢れて。鉄臭さよりも何よりも、生臭さと言いようのない苦味に満ちていた。

 

「……淆瘴啖。お前、やっぱ不味いなぁ」 

 

 

 

 

 

~本日のレシピ~

 

『炒り種風マンドラ串』

 

・マンドラゴラ  ……150g

・怪力の種    ……15g

・忍耐の種    ……15g

・塩       ……適量

・胡椒      ……適量

・バター     ……10g

 

 






 まぁ、剣鬼形態に比べたら属性解放突きって弱いんですけどね!


 イビル戦後編。とうとう決着的な何かはついたのかもしれないし、そうでないかもしれない。イタチの最後っ屁は怖いってことですかね。それはそれとして、依然としてシガレットはピンチを脱してはいないし、決着はどうなるか分からないですねぇ。さてさて、どうなるのやら。……次の更新は、いつできるのやら(震え声)


 そんな折にイラストいただきました。ツイッターから、足立さんより。有り難うございます! このシガレットさん最高に格好良い……。

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