じゅうじゅうと焼ける、深い深いキノコの香り。
氷海という自然の冷蔵庫の中で、串に刺さったキノコたちは何とも芳ばしい悲鳴を上げていた。吹雪のように肌を切り裂く雪風に、その刃を優しく溶かすような煙。氷海には全く似つかない白い煙が、吹雪く白を染め上げる。濁ったような白で、透き通るような白を。
燃えるが如く、染まった赤。それを充分に湛えた表面を撫でる、光を映したような何か。いや、赤だけではない。渦巻くような黄色に、萎びたような水色にさえ降り掛かっている。とろけるように、包み込むように色を満たすそれ。一般的な、照り焼きのタレだ。
「あぁ~、寒い場所にゃ、美味い飯が一番だよな」
「きっとそう言うのは旦那さんだけだと思うにゃ。普通もっと、温かい服とかそういうのを求めるにゃ」
「ホットドリンクと根性さえあればどうってことはない。いや、今回はホットドリンクすら必要ないかもな」
「にゃ? まさか根性だけでこのままキャンプから出るつもりにゃ?」
「まさか。見ろよ、目の前でキノコ焼いてるだろ」
「何でこんなとこでキノコ串なんかしてるのにゃこの人……」
「美味そうだから、これに限る」
ねっとりと垂らした照り焼きのタレを、そのまま糸を引いては落とさないように、じっくりと串を回す。糸を巻き取るように動かしたそれは、糸の代わりに糸を引いたタレを巻き上げた。
鼻を優しく突き上げる、シンプルながらも力強い照り焼きの香り。甘く、そして辛く。相反するようなその味わいを一つに仕立て上げたそれは、もはや秘術の領域だ。そんな秘術を、一心に身に受ける三つの影。
一つ、紅蓮に染まるニトロダケ。火山地帯などに主に生息するこれらのキノコは、発火性を含んだ危険なキノコだ。しかし、ハチミツを染み込ませるといった処理を済ませれば、その発火性を幾分か鎮めることができる。力強い味わいが特徴の、クセのあるキノコだ。
一つ、鮮やかな黄色に包まれた、丸いキノコ。麻痺弾に重宝される、マヒダケだ。麻痺性の物質を多く含んだそれは、もはや麻痺毒の領域。しかし、そのぴりぴりとした味わいがまたクセになる。痺れるような旨みがたまらない。
最後に一つ。萎びたような、どこか元気のなさを感じさせるキノコ。淡い水色に浸したそれは、クタビレタケという名で知られている。しかし、その名に反し、滋養強壮成分が実は多く含まれているのだとか。これは食通の中ではある程度認知された、クタビレタケの良さの一つだ。
「ニトロダケ、マヒダケ、クタビレタケ……。この人、何でこんなの焼いてるのにゃ」
「美味そうだからに決まってるじゃないか」
「これ、調合用の素材だにゃ。本来食用じゃないのにゃあ……」
「ただ調合ばかりに使ってももったいないじゃん? 美味そうだから食う。これが真理だ」
一層吹雪の音が荒れ、それに俺の言葉も呑まれかける。イルルはイルルで、少し身を丸めながらも両の肉球で耳を包んだ。
まるで、唸り声を上げているみたいだ。氷海という世界が、
───ふと、吹雪の中から何かの咆哮が微かに響いた。まるで慟哭のような、そんな咆哮。氷海を打ち鳴らすように、力強く。
「……イルル、聞こえたか?」
「……にゃ。確かに聞こえたにゃ。……ほんとに、あの子がここにいるのにゃね……」
「だな。孤島からほど近い氷海に流れてきたってのは、本当みたいだな。流石はギルドの情報網だ」
「あんな体で海を渡るなんて、にわかには信じられない……けど、今ここにいるんだもんね。信じるしかないにゃ」
少し身を振るわせながら、悟ったように口を開くイルル。そんな半目の彼女を見ながら、俺はふっと笑みを溢した。ばちんと、焚火が吠える。俺の笑いを茶化すように。
「旦那さんは、今日は大丈夫そうにゃね。……ボクの方が緊張してるみたいだにゃ」
「そうでもないさ。やっとのことで辿り着いた目標が今、そこにいるんだぜ? 動揺しないってのは嘘になる。……だけど」
「───だけど?」
俺の言葉に釣られるように、首を傾げるイルル。そんな彼女に向けて、俺は言葉を繋ぎ続けた。胸の内にある思いを、味も整えずそのままに。
「だけど、変な気分だ。ただ殺そうとしてた頃よりだいぶ心が落ち着いてる。食べてやるって思った方が気合が湧くよ」
「……味への渇望ってやつかにゃ?」
「そうかもな。きっとこれは復讐なんかじゃなくて、ただの俺の趣味。ただ味を追求したいだけ。そういうことなんだろ」
「───恨みとか、憎いってのはもう無いのにゃ?」
「無い訳じゃないが、それだけでもない。過去を塗り替えるのは、ただ恨みの対象を潰すんじゃなくて、狩って糧にする方がいいって思ったのさ」
そう言いながら、焼き上がったキノコ串を引き上げる。茸肉の焼ける音、照り焼きのタレが大気に混ざる香り。その全てが愛おしい。味という華は、どうしてこうも美しいのか。
死体の山を築くより、料理の山を築きたい。キノコの串を見れば見るほど、その渇望は大きくなる。自然に滑った視線の先に、氷海を貫く山の頂が映った。
───次のメニューは、あそこだ。俺が本当に求めていた味が、すぐそこにある。
「……ドンドルマの方は、大丈夫かにゃ?」
「筆頭ハンターやルーシャたちがいるんだ。きっと大丈夫さ」
「にゃ、心配するべきは、ボクたちなのかもしれないにゃあ……」
「大丈夫。今回は、前のようなヘマはしない。お前を絶対に傷つけさせない」
「にゃっ……」
信頼してるぜ。
それを最後に言葉を紡ぎ、俺は前へと歩き出す。雪特有のこもるような陥没音が、四つずつ鳴り響いた。
◆ ◆ ◆
「……淆瘴啖、イビルジョー?」
「えぇ。タンジアギルドからの情報でね、孤島で行方を眩ました後、氷海周辺で目撃されたようなの」
氷海に訪れる数日前のことだった。
警報が鳴り響くドンドルマ。霞がかかったこの街に、ぼんやりとした炎が灯る。
城壁の上には、何人もの近衛兵が控え。街を走る移動式大砲は、ガタガタとレールを震わせながら、町の奥へと消えて。そうして、筆頭ハンターたちの声が響き渡る。街ぐるみの防衛線を、鼓舞するが如く。
そんな街を見下ろしながら、ドンドルマ最高峰の位置するこの大老殿で、俺は少し奥歯を噛み締めた。手に持った依頼書が、くしゃりと悲鳴を上げる。
「……それで? どうして俺に?」
「大長老からの指示でもあるんだけど……それとは別にね、推薦があったのよ。交戦経験があると聞いたのだけど、本当?」
そんな俺の視線の先で、どこか縋るような目を向ける女性。俺たちハンターにクエストを紹介してくれる、妖艶な竜人族のギルドカウンターだ。
トレッドか、タンジアのギルドマスターか。はたまたキャシーだろうか。俺を推薦したというその人物の顔を浮かべながら、小さく顎を縦に振った。すると彼女は、困ったように目を伏せる。
「そう……じゃ、貴方が一番適任ってことなのかしら」
「……不満そうな顔だな」
茶化すようなその言葉。それに反応しては、竜人の彼女は小さな溜息をつく。耳を走る大きなイヤリングが、しゃらんと鳴った。
「こんな状況で貴重な戦力を送り出すのはねぇ。でも、トタン村をはじめ氷海周辺の集落からは救難要請が届いているし、背に腹は抱えられない、か」
「……オオナズチがドンドルマに向かってるってのはマジなんだな」
「そうよ。今全力で防衛体制を敷いてるのはそういうこと。これまで突然ガブラスが大量発生したりと予兆はあったんだけど、まさかオオナズチが現れるとは思わなかったわ」
先日俺が床に伏した元凶、オオナズチ。それが今、この街へと向かっているらしい。
俺が相対した個体なのかどうかまでは分からないが、どっちにしろ関係のないことだ。それよりも、問題なのは淆瘴啖の方。
───何故、氷海に現れた?
タンジアギルドの勢力外を抜けて、バルバレギルド管轄内に現れる。そんな大掛かりな移動は、これまで見かけられなかったはずだ。俺が初めて会ったその時から、奴はタンジアギルド管轄内を根城としていたはず。
そもそも、何故海を渡ったのだろうか。過酷な氷海よりも、温暖な孤島の方が過ごしやすいはずだ。豊富な土地資源をもつあの場所ならば、餌も氷海より断然多いのだから。それなのに、あえて海を渡ったその理由とは。餌が無くなるほど、喰い尽してしまったのだろうか。それとも───
「……逃げざるを得なかった、とか?」
「え?」
「あ、いや、何でもない。それよりも、俺はどうすればいいか教えてくれ」
モンスターがどう動くかなんて、人間が全て把握できるはずがない。喰うものが無くなっただけかもしれないし、ただ単に気まぐれだったのかもしれない。そんなこと、考えるだけ無駄なことだ。
そう息を整えて、竜人の彼女に視線を戻す。今考えなければならないのは、すでに起こったことではなくて、今何をしなければいけないか。俺も彼女も、その意思を瞳に燈した。
「そうね、率直に言うと、貴方には淆瘴啖の討伐に向かってもらいたいの。並のハンターじゃ危険すぎて任せられない。交戦経験のある貴方しか頼れないわ」
「……その言葉を待ってたぜ」
タンジアギルドにいた頃から、ずっと。
そんな言葉を呑み込みながら、俺は依頼書に印を押す。それを彼女に手渡しては、俺は少し微笑んで、食事テーブルの方へと踵を返す。彼女は小さく俺に手を振っては、もの憂げに目を伏せた。
バルバレに渡ってまで用意したその到達点に、今俺はいる。とうとう、この時が来た。やっとアイツと戦える。───アイツを喰うことができる。
「ムォッホン。もう単独行動はしないのか? シガレットよ」
「……地獄耳かこのジジイ……」
鋼の重圧を埋め込んだような声。それが響いたかと思えば、頭上から鼻息が風を撫でた。
見上げると、そこには巨大な竜人族が鎮座している。まるで卵のように整った頭と、相反するかのように蓄えた顎髭。俺の何倍も大きなその男が、太い声を滲ませた。
「タンジアの方では随分とやんちゃをしたそうだの」
「ま、そこそこって感じっすかね……ボス」
「ボス、ではない。ここでは大長老と呼ばんか」
俺の言葉に不満を漏らすその巨体。軽く咳払いを混ぜながら、話題を切り替えようとするその姿は、どこか滑稽だ。本人曰く、狩人の緊張をほぐす、だそうだが。
「……大丈夫っすよ。卵でも運ぶような、繊細な狩りをしてきますから」
「うむ。……アレは大きな脅威だ、頼んだぞ。どうか卵のような、大らかな狩りを。……決して踏み込み過ぎないようにな。深追いは禁物だからの」
「ボ……じゃなかった、大長老。今回は何も、俺一人で行くとは言ってませんぜ?」
カマを掛けるような俺の口調に、大長老の眉がピクリと動く。軽く傾げた頭が、卵の殻のように光を映した。
そんな彼に向けて、俺はもう一度口を開く。麗しい卵を口にするかのように、そっと。
「───最も信頼できる相棒を、連れていきますから」
◆ ◆ ◆
「にゃああああっ!」
氷海に吠える、ネコの声。それがこの大地に木霊する。
同時に震える、氷の山。地団太でもするかのように巨体が震え、その度にこの氷の塊は悲鳴を上げる。雪に混じって剥がれ落ちた氷の欠片が舞い、その景色は非常に幻想的だ。
ただ一つ、あの巨体さえ目に入れなければ、だが。
「っしゃあッ! 狩るぞイルルゥ!」
「にゃあああ!」
「目指すはあの黒胡麻和え野郎だァ!」
「んにゃああっ!」
「斬ってバラシて調理してェ! あの巨体でバーベキューすっぞォ!」
「みゃあああっ! こ、こっちきたにゃーっ!」
お互いがお互いを鼓舞するように、吠えるように下った坂。氷海中央部に位置するこの傾斜を駆け下りて、その先で鼻を鳴らす奴───淆瘴啖イビルジョーへと肉薄する。
かと思いきや、もちろん向こうも俺に気付いてはこちらに向けて脚を出した。肉の締まった巨体が地を砕き、そのおぞましい棘の山を突き立てる。
「───よぅ。久しぶりだな、淆瘴啖」
ビックリしては尾を逆立てるイルル。そんな彼女の前に立ち、手にした剣斧───叛逆斧バラクレギオンを持ち直した。風を薙ぐように右手で振りつつ、切っ先を奴へと向ける。
金色の光が、雪の光に溶け込んで。そうして金と銀のコントラストを生み出すその光景に、イビルジョーは唸り声を上げた。不味そうな餌だ、とでも思ってるんだろうか。
「……今日こそだ。今日こそ俺が、お前を喰うからな。覚悟しろよ!」
自らを急き立てるように吠え、右脚を大きく踏み込ませる。雪が潰れ、氷は割れ、固い金属音が響き渡り───
そうして駆け出した俺の姿が、発破になったのだろうか。奴は、勢いよく吠え始めた。
天を仰ぐように、持ち上げた巨体。空を呑まんと開いたその口から、凄まじいまでの音の爆弾が放たれる。それと同時に、奴の傷口という傷口から、おどろおどろしい龍の瘴気が溢れ始めた。大気を塗り替えるかのように、激しく強く。
「イルル、このくすんだトマトソースみたいな奴には触れるなよ! 融かされっぞ!」
「にゃ、にゃあ! だ、旦那さんそのまま突っ込む気かにゃ!?」
「俺のことは心配すんな! そのためのコイツだかんな……!」
枷が外れたその瘴気は、まるで爆風のように大気を侵す。それはそのまま、イビルジョーへと潜り込む俺をも巻き込もうと、黒々しい牙を剥いた。
そんな黒に迫る、赤。剣が跳ね返るように反り返って、四重にも連なった斧はその身を小さく縮ませて。そうして柄のすぐ上にまでスライドしては、その根元の口を勢いよく開く。
───一瞬だけ蓋が開いたビンからは、猛烈な勢いでエネルギーが外に漏れた。剣を振る時の量とは段違いの、濃密な紅蓮色のエネルギー。気体のようにビンから漏れ出たそれが、剣斧を伝って刀身を滲ませる。その瞬間、俺はグリップに力を込めた。
「はぁッ!」
全体を支える左手で、その柄を力強く握り締めて。かつ右手で、剣斧の変形機構を司るグリップを捻る。捻ることで、剣斧の奥の手が顔を出した。剣の切っ先が刀身のレールを焼き付け、眩しい火花を散らす。
───その瞬間だ。小ぶりな火花が、ビンエネルギーに火を付けた。溢れ出た緋色の靄は、さながら炎王龍のような爆破の渦へと変貌した。
「にゃ、解放突きの反動を……!?」
「くっ……やっぱ肩にくるなこりゃ……!」
破裂したビンエネルギーによって、俺は勢いよく後方に飛ばされる。同時に龍の瘴気から身を躱し、斧モードに移行した剣斧を構え直した。
一方で全身から力を溢れさせる奴は、血走った眼で俺を見る。属性解放突きも物ともしないその巨体は、片側しか灯らないその瞳に、渇望で満ちた色を燈した。食欲しか頭にない。そう感じさせるほど激しい色だ。
「……イルル、左目を狙うぞ」
「にゃっ? 左目って……あの剣が刺さった方の?」
「あぁ。あの瘴気に覆われた体を狙うのは非効率だ。それよりも、内側にえぐれたあの目を狙った方が良い」
「……た、確かにあんなに龍のオーラが溢れてたら、属性も何もなさそうだにゃあ……」
「だな。それに、視界が潰れてる分死角になる。左側面を意識しろよ」
「わ、分かったにゃ! いくにゃーっ!」
奴の頭から生えた、一本の柄。いつか刺した封龍剣【絶一門】が、瘴気の海に残された孤島のように、弱々しくもその存在を主張していた。
そこに向けて、イルルは大量のブーメランを展開する。一丁投げて、その勢いのままもう一つ。さらに振った体を遠心力に任せ、とどめの三つ目を放った。
あの剣は、奴の眼孔を貫いている。固い皮膚に穴を開け、奴の内側の組織を引き裂いているのだ。だから、それが少し動くだけでも尋常ではない痛みが走るらしい。
この情報があの凍土での戦いで俺が得た、僅かな戦利品だ。確証はないが、疲労困憊のままに斬り上げた斧でも奴は大きな悲鳴を上げた。間違いはないだろう。
「……さぁ、暴れようじゃないか」
グリップを右に回しては、剣斧を再び唸らせる。再び斧の刀身をスライド。ビンの蓋をこじ開け、そうして剣斧を俺の左後方部───丁度左脚の後ろあたりに、低く構えた。
内部機構が激しく動き、機械らしい音が響き渡る。かと思えば、再びあの香りが漏れ始めた。赤い靄のように大気を染める、剣斧に秘められたビンエネルギーの、あの香りが。
「にゃー! 動かれると当たらないにゃ!」
視線の先では、飛び交うブーメランを振り払おうとしているのか、大きく尾を振るイビルジョーの姿があった。それにブーメランを弾かれては、イルルは悲鳴を上げている。
目に見える悪戦苦闘の風景に苦笑しつつも、俺はもう一度グリップに力を込めた。先程属性を解放させたように、切っ先に火花を散らすあの握り方で。
「イルル、一旦下がれよ!」
簡潔に一言だけ添えて、俺は駆け出した。否、加速した。
ビンの蓋を閉め切らず、一定の量だけ放出し続ける。そうしてビンの炎を湛えながら、それを背後で解放。するとどうだ、ビンの反動を動力にした加速装置の出来上がりだ。
そうして、燃えるように背中を押されれば、俺は両脚を前に踏み込んだ。ただ走るよりも圧倒的に加速するそれに、俺の頬は大きく風に揺れる。加速のあまり荒れる視界は、まるで線を描くように流れ始める。その線が、あっという間にイビルジョーのあの黒い色を描き出していた。
「はぁッ!」
俺の声で横に跳んだイルルの、すぐその奥を。奥で唸るイビルジョーの、その左目を。
勢いそのままに振り上げた剣斧で、飛び出た柄の、そのすぐ根本を斬り付けた。大気を撫でる尾を掻い潜ったことで、奴の視界に入ることもなかったのか。奴は予想外だと言わんばかりに悲鳴を上げる。怯んだ奴は、その動きに
ここぞと剣を斧に戻し、そのまま勢いよく振り下げる。あの斬り上げに勝るとも劣らない速度で走ったそれは、もう一度その眼孔に罅を入れた。
もちろん、奴も黙ってはいない。今度は怯まず、俺に向けてその牙を向ける。涎で溢れた大きな口が、一心に俺へと迫った。
「おっと!」
今度は、斧を右から左に振る。振りながら、グリップを再び捻った。
斧の姿を収め、瞬く間に剣へと変貌したその刀身は、再びその身からビンの光を撃ち放つ。それはそのまま、ビンの反動のままに俺を右へとずらした。右へ、右へ、イビルジョーの牙が届くよりも速く、右へ。
そうして虚を喰らったイビルジョー。その隙を穿つように、イルルから大量のブーメランが放たれる。皮を薄く裂く程度の刃だが、確実に奴に当てていた。
───力が湧いてくる。先程食べたニトロダケの旨みだろうか。
固く、歯応えのある食感。それがニトロダケの特徴だった。ほどよい辛味を含んだその味は、照り焼きのタレの甘さを引き立てる。ゴリゴリと、顎を唸らせる食感と共に、あの鼻を抜ける照り焼きの味を口の中で撒き散らすのだ。甘さ際立つその中に、ちょっとした辛みを添えるその味わい。それが俺に力を与えてくれる。
「オラァ!」
ビンの反動で斬り下がりながら、それをそのまま前進する力へと昇華させる。勢いのままに二連斬りを繰り出しては、再びグリップを握って剣斧を変形。縮んだ刃が伸び上がり、四枚の斧が連なるように姿を見せた。
その連撃に呻き声を上げるイビルジョー。しかし、負けじとその脚を振りかざしてくる。捕食者は俺だ、と。そう言っているかのようだった。
「旦那さん、下がって! 危ないにゃ!」
「え───うおッ!?」
唐突に飛び上ったイビルジョー。かと思えば、その鋭い爪が肉薄した。イルルの言葉を認識するより、ずっと早く。
その脚に押されるままに、背を雪に落とした俺。それに対し、その醜悪な口を曝け出す奴。根元まで裂け切ったそれが開き、俺へと振り落とされる。寸でのところでかざした剣斧に、奴のその厳めしい牙が穴を開けた。
「……んのッ! 口くっせぇなお前!」
細い繊維を束ね、一つの形にまとめ上げたような食感をもつキノコ、マヒダケ。ピリピリと痺れるその味は、俺に強靭さという活力を与えてくれそうな、そんな気にさせてくれる。
口の中で弾けるその刺激は、思わず両目を瞑ってしまうほどだ。しかし、同時にどうしようもない快感が伴う。まるで炭酸の弾ける刺激のような、そんな気さえするほどの。それが不思議なことに、体が麻痺することはなく、むしろその旨みが俺に活力を与えてくれるのだ。照り焼きの甘辛さの中で溢れるその風味に、俺は全身を鼓舞する。キャンプで食べて、俺の腹に収まったそれらの力を一挙に解放した。
「旦那さんを離せにゃ!」
「お前が俺を喰うんじゃねぇ! 俺がお前を喰うんだよッ!」
イルルの決死のネコまっしぐらの術。雷光を纏ったそれが一直線に奴へと走る。
剣斧で何とか奴の口を留めていた瞬間、白い光がそのまま視界を埋め尽くした。体毛を光に変えたようなその閃きは、一寸の狂いもなく奴の左目を穿つ。抉られた傷をさらに抉り直すその一撃に、奴は堪らず悲鳴を上げた。
仰け反った顔。苦しみを吐き出す口。解放された俺。
牙が喰い込み、歯形がついた剣斧を俺はそのまま振り上げた。イルルの斬撃を繋ぐようなその一閃に、奴は堪らず横転する。そうして露わになったその腹に向けて、俺は斧を勢いよく振り回した。
右へ、左へ、はたまた右へ。八の字でも描くかのような連続攻撃で、奴の腹を斬り裂く斧。いつかの凍土で俺がつけた傷を、早くも痕しか残っていなかったその腹を、俺は手を休めずに斬り続ける。
───スタミナがなくなってしまうのではないか。そう感じるほど荒々しい動きだ。だが、俺はその心配は一切していなかった。
「クタビレタケ、最ッ高かよ!」
全く疲れを感じさせない味わいだった。
柔らかく、歯を入れ込めば簡単に裂けてしまうクタビレタケ。焼いたことでより一層柔らかくなったそれは、噛めば噛むほどトロトロと口の中でほどけていく。それが照り焼きのねっとりとしたタレによく絡みつき、クセのない味を繰り広げた。
出汁にでもしたら美味いのではないか。そんな、優しくも控えめな味。それが照り焼きの濃い味に埋もれ、しかし控えめながらもその味をより強調する。埋もれるのでなく、合わさることで美味くする。クタビレタケは、そんな味だった。
「旦那さん、淆瘴啖が起き上がるのにゃ!」
「あぁ、踏み込むなよ。ゆっくり、そして堅実に狩るぞ」
「……ステーキでも焼くように?」
「そうだな。弱火でじっくりだ!」
再びその細い脚で氷の大地を踏み砕く奴。転がるように起き上がっては、その狂気に満ちた瞳を爛々と輝かせた。一歩下がって、回復薬を飲む俺に向けて。苛立ちと焦燥を込めた色で。
怒り心頭。その言葉が相応しい奴に向けて、俺は再び剣斧を構える。イルルも右手に剣を、左手にブーメランを握った。緊張の高まった表情で、キッとイビルジョーを睨む。
この氷の大地はまな板だ。そして、俺の持つ剣斧は包丁。食材は奴。豊満な肉をぶら下げたイビルジョー。本日のメニューは、随分とじゃじゃ馬のようだ。だが、それでいい。美味い飯なら、それ相応に調理し甲斐がある。そう考えると、俺の心は静かに踊った。
「……さぁ、調理を再開しようじゃないか」
───
~本日のレシピ~
『照り焼きキノコ串』
・ニトロダケ ……1個
・マヒダケ ……1個
・クタビレタケ ……1個
・特製照り焼きのタレ ……適量
ということでイビル戦前半終了。
作者ははっきり言ってキノコあんま好きじゃないです。ちっさい頃はめちゃくちゃ嫌いでした。今では食べますが、そんなに食べたくもないですねぇ。あんかけとかに入ってるのとか、しいたけとは好きですけど(まばら)
果たして、キノコ串焼きに需要はあるのか……。でも照り焼きだし、まぁ多少はね?
ドンドルマ荒れてますねぇ。今の状況は、とあるエピソードクエストをリスペクトしております。察しの良い方はもう気付いてそうですけど、ね。某古龍は我らの団ハンターに任せて、どうぞ。
そんでもってスラアク! モン飯ではこう解釈しているよ、ってことで。ビンエネルギーとか未知の物質すぎるけど火花とかで爆発してるんでしょきっと(なげやり)
それでは、また次回で。ダブルクロス前までにもう一回くらい更新したいところですが……いけるかどうか。