モンハン飯   作:しばりんぐ

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 安定の孤独のグルメパロ。





一汁一菜椀一つ

 

 

 徐々に終わりを迎えた、夏の夜。あの湿っぽい風もどこかへ流れ去り、妙に冷えた風が街を撫でた。荒涼とした、どこか寒々しさを感じさせる風だった。

 ドンドルマの夜は早い。日が傾き始めれば、幾つかの店舗は既に営業を始める。もちろん、居酒屋だってそうだ。それどころか、夏が終わりゆくこの季節。日が沈む時間もこれまで以上に早い。

 そんな店舗がずらりと並ぶこの路地は、ドンドルマに慣れた住民たちで色を染めていた。仕事上がりの商人たち、食材を買い集める主婦、狩りを終えたハンターなど、ここらを歩き渡る人物は様々だ。かく言う俺も、その一員なのだが。

 

「……夕飯、どうしようかなぁ」

 

 冷えた風が首筋を撫でた。店と店の隙間を縫うように荒ぶその風に、俺は思わず肩を竦ませる。

 一人。今日の俺は一人なのだ。

 どうしようもなく、時間を持て余したかのように路地を歩く。当てもなく、目的もなく。それが今の俺だ。

 

「せめてイルルがいてくれれば、話は違っただろうけど」

 

 そう、今日はイルルがいない。

 何やらネコの集会があるとか何とかで、彼女は今朝家を後にした。夜には戻ると言っていたが、何時になるかも分からない。彼女と一緒に飯を食うことは、今日は叶わなさそうだ。

 ───そういえば、彼女の生まれ故郷はここだったような気がする。ともすれば、彼女の旧友などもここにいるのかもしれない。それこそ、前の主人のところの同僚なども。

 

「……アイツ、美味い飯でも食ってそうだなぁ」

 

 ぼんやりと放った独り言。返してくれる人物などどこにもいない。元より返事など求めていないが、何とも言い難い虚無感を感じずにはいられなかった。

 自分の分だけ何か料理するというのも、妙に(はばか)られる。何だか面倒だし、今日は外食で済ませるのが吉か。

 

「───ん? うどん……屋?」

 

 ふと止めた足。流れが滞る視界。そんな中に映った、控えめな暖簾(のれん)

 そこには、確かにうどんと書いてあった。主張の弱い、色合いも穏やかな暖簾。それが被さった小さなその建物は、個人経営が精一杯な居酒屋そのもの。何とも奇妙な店じゃないか。

 ───それにしても、うどんとは珍しい。うどんといえば、ユクモ地方で慣れ親しまれた麺類だ。小麦粉由来の太い麺を出汁の効いた汁で包み、薬味や具で彩っては勢いよく(すす)る。そんな魅力をもつ、独特な一品だ。

 まさか、ドンドルマにまでそれが流通しているとは。久しぶりに見ると、何だか食べたくなってきた。

 

「……むっ、この香り……」

 

 鰹節、だろうか? モガ近海で活きの良いカツオを用いた鰹節。それを用いたうどんが、ユクモ村では庶民に慣れ親しまれた味だった。ふと、店から香る懐かしき匂いに、ついつい顔を緩ませてしまった。

 あっさりとした味わいに、出汁の深い香りが口いっぱいに広がる。その香りだけで、涎が浮かんだ。

 ───よし、今日の晩飯はここにしようじゃないか。

 

「いらっしゃい」

 

 そう決めるや否や、すぐさま開けた店の扉。それと同時に飛び込む、出迎えの声。

 入ってすぐ左手にあるカウンター。その奥でせっせとネギを切る女将さんが、温かな笑顔で迎えてくれた。そんな彼女に向けて俺は軽く会釈しつつ、店内を見渡す。

 木造建築の、小柄な家屋。女将さんが一人で切り盛りする、庶民のお供。そんな印象だ。

 木目が目立つカウンターテーブルが店の左側を埋める一方、右側には団体用のテーブルが三つほど並んでいる。客の数はあまり多くなく、どこの席にでも座れそうだった。日が傾き始めたという時間帯だけに、それも当然だとは思うが。

 右手前、丁度壁に貼り付けられたメニュー表が見やすいその位置に、俺は静かに腰を下ろす。二人用のテーブル席が、小さく軋んだ。

 

「さて、何にしようかな」

 

 ただうどんだけ、というのは味気ない気もする。折角来たのだから、いくつかのメニューを楽しみたい。そんな思いを込めて、視線を壁のメニュープレートへと移した。

 

「……こりゃまた。呑み屋にもなるのか、ここ」

 

 見れば、並んでいるのは数々のうどん───と、おつまみ。焼き鳥やら、卵焼きやら、しめ鯖といった呑み屋でよく見かけるような顔がいくつもある。酒もビールや酎ハイはもちろん、地酒や年代物と豪華な顔ぶれだ。

 なんてその予想外の様相に目を見開いていると、女将さんが俺に声を掛けてきた。穏やかで、どこか懐かしさを感じさせるような声で。

 

「ここに来るお客さんはね、飲んだ後さらさらっとうどんで締める方が多いのよ」

「へぇ……締めにうどん、ねぇ」

「それとか、おつまみの品をうどんにトッピングしたりするお客さんもいるわねぇ」

 

 チラッと横眼でそう言う女将さん。そんな彼女の視線を追うと、そこには一人うどんを啜るお客さんの姿があった。そんな彼の椀の中には、おおよそうどんには似つかないたこ焼きが浮いており───

 つまるところ、アレもつまみの一つなのだろうか。そう思いながら目線をメニューに戻すと、確かにそこにはたこ焼きの文字が並んでいた。

 一見謎の組み合わせだったが、そう言われてみると見方が変わってくる。まず始めに適当なつまみで胃を慣らせつつ、最後にうどんを頼んではさらさらっと締める。そこにトッピングを加えればなおよし───と。中々どうして、面白い店じゃないか。

 

「……じゃ、女将さん。枝豆にキムチ、あと……唐揚げちょうだい」

「はいはーい」

 

 目に付いたものを軽く言葉にすると、女将さんは快く承ってくれた。カウンターの奥で、油の溜まった鍋に火をつける。

 その隙間には小皿に枝豆を乗せては軽く塩を振り掛けて、漬け込んだのであろう自家製キムチをタッパーから皿へと移している。その手際の良さに、俺は思わず見惚(みと)れてしまった。

 

「枝豆とキムチ、お待ちどう。唐揚げもすぐ揚げるかんねぇ」

「あ、どうも」

 

 そのまま流れるように、枝豆とキムチがやってきた。

 緑。何といっても緑。深く鮮やかな色に染まった三日月形の豆の束は、うっすらと透明な塩でその身を濡らしながらも力強く小皿の上で君臨していた。何だか田舎に帰ったような、そんな匂いがする。

 一方のキムチは、これまた赤い。斑点のようについた唐辛子の切り身に、真っ赤に染まった出汁。それらに身を浸した白菜が、ゴロゴロと並んでいる。大きさはまばらであるものの、どれも食べ応えのありそうな大きさだ。

 

「うんうん、お通しにはちょうどいいよなぁ」

 

 今夜はどうも酒の気分ではない。ただでさえお通しのおつまみにうどん、そしてトッピングを重ねるのだ。腹を膨らませる酒はあまり良い選択とは言えないだろう。呑み屋のようだが、俺はあくまでもうどんを食べにここに来たのだから。

 今日の俺には、お冷辺りが丁度良い。そう思いながらテーブルのお冷をコップに注ぎ、割り箸を手に取った。それを縦に割きつつ、右手で構える。食べる準備は、万端だ。

 

「いただきまーす」

 

 箸が掴んだのは、白菜の塊だった。キムチ特有の酸っぱ辛い香りに包まれて、赤い液体に盛大にその身を溺れさせるそれ。それを二重三重と箸で重ねては、一思いに口に入れた。

 入るや否や、伝わる食感。噛む度に鳴る、シャキシャキとしたその野菜の歯応え。

 キムチは、ただ辛いだけではない。舌にピリッと来るタイプに辛さに、鼻孔を通り抜けるような酸味をもっている。噛めば噛むほど、その楽しい食感を味わう程に、それらは溢れ出てくるのだ。つまり、噛めば噛むほど美味しくなる。

 

「ほほう。雑貨屋や八百屋のとは違うね、こりゃ……酸味というか、クセが強いや」

 

 独特の味わいとでも言うべきだろうか。八百屋にあるようなありきたりなキムチよりは幾分か辛味を抑え、代わりに酸味を強めてある。恐らくこの店オリジナルの味付けなのだろうが、これまた面白い味わいだった。フレッシュさというか、風流な味付けである。

 

「む……枝豆もいいね」

 

 箸休めならぬキムチ休めに口に入れた枝豆。これもまた穏やかな味の華を俺の口の中で咲かす。

 軽く指で押し出すと、軽い感触が口に転がり落ちる。玉が転がるように、砲弾が撃ち出されるかのように。そうして入ってきたそれは、あっさりとした塩の味をじっくりと舌に滲ませた。

 塩加減は控えめ───振り掛けた量は少ないようだが、それが逆に枝豆の味を押し殺さない。むしろ、程よい塩味が枝豆の淡泊な、豆の青い味を引き立てる。

 ぽりぽりと、口の中でその身を崩す枝豆───塩の掛かった房でさえも爽やかな味わいだ。

 

「ふぅ……」

 

 そんな美味たちを口の中で贅沢に転がした後、そっとお冷で喉を流す。残った断片や塩が流れ落ち、すっきりとした感触だけが口に残った。流石はお冷。たかが水だとは侮れない。

 

「はい、唐揚げね。お待ちどうさん」

「お、きたきた……」

 

 じゅうじゅうと音を立てる、黄金色に輝くそれは、(まご)うことなき唐揚げだった。食材もシンプルに、養鶏場の一般鶏でも使われているのだろうか。狩場で調達できるガーグァやらイャンクックばかりを食材にしていた俺にとって、ただの鶏というのはむしろ珍しいかもしれない。

 カラカラに揚がったその表面。そこから垂れる、柔らかい脂。溢れる湯気は、調理に使われたのだろう油の香りをダイレクトに湛えていた。食え、とシンプルに主張するその香り。そのあまりの直情さに、俺は逆らえなかった。

 

「……くぅ、たまらんなこりゃぁ」

 

 肉を細い細い繊維状にして、それを綿密に束ねたような、そんな食感。それが一口大に揚げられているのだから、噛めばじゅわっと旨みが溢れ出てくる。初めこそ、かりっと衣が削られるが、そこからじっくり肉の柔らかさが現れるのだ。そんな二段階攻撃に、俺は思わず唸り声を上げる。

 量の割に随分あっさりとした仕上がりを見せる油は、衣の香りによく合っていた。その香りこそあまり強いものではないが、肉の旨みを強調するには丁度良いくらいだ。味付けは塩やハチミツなどの下味付けくらいなのだろうが、それも脂の香りによく合っている。硬派な味付けが、唐揚げには適切なのかもしれない。

 

「いいじゃん、この店」

 

 旨いつまみを嗜めて。酒なり水なり、自分の好きなものを楽しめて。そうして締めのうどんに辿り着く。中々に、面白い店じゃないか。

 

「うどんに乗せるつまみは何にしようかなぁ」

 

 つまみを次々に口へと放り込んでは、一息つく。そうして壁に掛けられたメニューに目を向けながら、何ともなしにそう言葉を漏らした。

 キムチ───ここにあるキムチをうどんに乗せるというのも悪くない。さながらキムチうどんだ。他にも、あの客のようにたこ焼きを乗せるのも斬新だな。その他、無難な温泉卵だとか、しゃぶしゃぶだとか、色々と面白そうだが───

 

「ん? とろろ……」

 

 とろろ、という言葉が、ふと視界に入った。

 とろろといえば、長芋を擦って混ぜた白い半固体状の食材だ。ねばねばとした食感に、とろーりと伸びる感触。そして鼻を抜ける、長芋特有の田舎臭くも穏やかな香り。

 それをうどんにかければどうなるだろうか。アツアツの麺に絡む、ひんやりとしたねばねば。啜れば麺のコシととろろの風味がブレンドされて、噛めば噛むほど柔らかい味に満たされて───

 

「うん、うん! それだ!」

 

 想像したのがいけなかった。もう口の中がとろろうどん状態だ。とろろうどん、食わずにはいられない。

 テーブルの上のつまみたちはまだ残っているが、俺の腹が依然として唸っている。早速注文しよう。女将さんに、伝えよう。とろろうどんという、シンプルながらも神々しい、その言葉を。

 ───そうして口を開けた、その時だった。

 

「ちわー。二人、いける?」

 

 俺の言葉を遮るよう鳴った扉の音。突然現れた、二人の人物。

 一人、ギザミシリーズに身を包む男。先導するようにカウンター席に座っては、もう一人の人物を招き寄せた。

 そのもう一人といえば、ザザミシリーズを着た少女。ギザミ男が中年相応な容姿に対し、こちらはまだ若い。見たところ、ギザミ先輩とザザミ後輩───といったところだろうか。

 

「おばちゃん、達人ビール二つ」

「あいよ」

「あ、せ、先輩……ウチ、お酒は……」

「何だよ、折角のフルフル討伐の記念なんだぜ? いいから飲め飲め」

 

 受け取ったビ-ルを後輩に手渡しては、飲むように催促するギザミ先輩。ザザミ後輩は、それを断り切れずに少しジョッキに口を付けた。苦行のように歪ませるその表情、そして口振りから酒が苦手なのだろうか。

 ───まぁ、俺には関係のないことだが。

 

「女将さん、うどんお願い。あ、とろろも添えてね」

「はーい」

「お、こっちもポピ酒頼むわ。あと適当におつまみも」

「あいよー」

「え、ぽっ、ポピ……?」

 

 加えた注文に、負けじと重ねてくるギザミ先輩。酒豪なのかどうかは分からないけれど、早くも達人ビールを飲み干したようだ。ジョッキなのだから、それなりの量であるはずなのだが。

 続く注文は、ポピ酒。庶民に慣れ親しまれた一般的な酒だ。その特徴は、何といっても安くて酔える。そこそこの値段にそこそこの度数を併せ持った酒なのである。

 一方、その注文で顔を青くする少女が一人。ちょっとしか減っていないジョッキを抱えながら、眉毛をへの字に曲げた。

 

「何だ、もっとグイッといけよ。ほら、次が来てんぞ」

「う、うぅ。もう無理ッス……」

「たかが達人ビールだろ。もっとジョッキ傾けてホラ」

 

 苦しそうなザザミ後輩に向け、ジョッキを押し付けるギザミ先輩。流れ来る金色の液体を受ける度に、ザザミ後輩の顔色は次第に青に染まっていく。

 相当酒が苦手なのか、そもそも下戸なのか。いずれにせよ先輩に逆らうことはできないらしく、必死の形相で酒に耐えていた。

 

「うえぇ……ウチ、もう水がいいッス……」

「何言ってんだこれくらいで。まだ半分残ってるぞ」

「ひぃぃ、ビール怖いッス……」

 

 苦しそうにビールを浴びては、死にそうな表情で噎せ返る少女。そんな彼女に向けて、ギザミ先輩は無慈悲にもポピ酒を注ぐ。カラカラと氷を打つその音が、無情さをよく表していた。

 ───関係ないとは言ったけれど、目の前でこうも苦しまれるのも目に障る。

 

「あ、もういいッス。こんな飲めないッス!」

「何ガキみたいなこと言ってんだ。いいから飲めって」

 

 うどんが煮え立つ香りがする。

 それはいい。俺が食べたいと思ったものが、もうすぐ現れるのだから。

 しかし、どうにもこうにも、先程まであったあの熱烈なまでの激情は、既に消えかけていた。噎せ返るような酒の香りに、横柄な態度で後輩に酒を飲ます目の前の男の姿に。

 

「……いい加減にしろよ」

「……あん?」

 

 だから、言葉は自然と漏れた。空になった皿も、掴む物がなくなった箸も置いて、俺のテーブルに残ったのはただただ虚しい溜息だけ。

 一方、ギザミ男は、そんな俺の囁くような声に反応を示す。じろりと、こちらの方に振り向いた。

 

「何だァ?」

「……だからさ、いい加減にしろって言ってんの。無理に酒飲ませて楽しいのか?」

「何だお前、関係ないだろお前にはよ」

 

 テーブル越しで火花が散る。振り向いたギザミ男の深い眉間に、苛立ちが浮かび上がった。一方の俺だって、苛立ちを隠せない。小さく舌を打ってから、言葉を繋げた。

 

「目の前でやられると目障りなんだよ。食い気が削がれる。ふざけんな」

「そんなこと知るか。部外者は黙ってな。さぁ、もっと飲め!」

「うぅ、もう勘弁してほしいッスぅ……」

 

 助けを乞うような目。ザザミ少女の瞳は、まさにそれだった。俺を足蹴にするギザミ後輩と酒を見比べては、苦しそうな声を上げる。

 目の前でこうもつまらない茶番を見せられれば、飯も不味くなるというものだ。先程まであったあのうどんへの渇望は、今や一片たりとも残っていなかった。

 

「やめろって言ってんだろ。酒は飲ますもんじゃない、飲むもんだ」

「うるさいな。変わんねぇだろうがよ」

「人に無理矢理飲ますのは酒の飲み方じゃないってことだ。押し付けんな、強要すんな」

「俺に命令すんなよ若造が!」

 

 酔いが回っているせいか、はたまた後輩を前にして気が昂ぶっているせいか。

 ギザミ男は声を荒げた。血走った眼を俺に向けては、苛立ちを隠さない様子でキッと睨みつけてくる。

 これだから酔っぱらいは。そんな行き場のない思いを溜息に乗せながら、俺は言葉を繋ぎ続けた。

 

「いいか? 食事ってのはな、かけがえのない楽しみなんだ。美味い物を喰って腹を満たす。それは生き物みんながもった代え難い特権なんだよ」

「何言ってんだお前」

「……だけどな、それを邪魔する権利なんざ誰ももってない。嫌いなものや苦手なものを押し付けるなんて尚更だ」

「それは俺のことか?」

「当たり前だろ? 食から楽しみを引いてしまったら、それはただの作業なんだよ」

 

 眉を曲げて、鼻を鳴らして。そうして俺への苛立ちを募らせるギザミ男。俺の説教もよく聞かないで、ただ荒々しく酒を喉に流す。

 一方のザザミ後輩はといえば、突然の口論に戸惑いつつも、止まった酒の強要に安堵してかこっそりお冷を汲んでいた。思ったよりも図太い性格をしているようだ。

 

「……ハァ。ま、言っても分かんないってことは分かってる。女将さん、悪いけど、勘定頼んでもいいかい?」

「あら、うどんはいいんですか?」

「申し訳ないけど、ちょっと食欲失せちゃった。お釣りは良いからとっといてくれ」

 

 うどん込みで、ちょっと多めに五千ゼニー。それを女将に渡しては、俺は店を後にしようとした。もうこれ以上あの光景を見ていたくない。食欲もやる気も、何もかも失せてしまう。

 ───しかし、そんな俺の切なる願いも容易く叶うことはなさそうだった。踵を返せば、仁王立つギザミ男の姿が目の前にあったからだ。

 

「何だお前、言いたいだけ言ってとんずらすんのか?」

「これ以上アンタの顔を見たくないもので。食べ物を粗末にするような、燃えないゴミ同然の顔なんざな」

「何だとてめぇ!」

 

 すれ違いざまにそう言うと、奴はあからさまに声を上げた。顔を真っ赤にしている。見なくても、何となく分かった。

 扉に手を掛けて、外に歩み出て。同時に響く、床板を蹴る音。ずんずんと奴が追いかけてくる。

 

「ちょ、先輩!」

「待ちやがれてめぇ! 黙って聞いてりゃ好き勝手言いやがって!」

「俺より酒の方が、もっと言いたいことがあったと思うぜ。後輩のいびりに使わされた、可哀想な酒たちがな」

「ばッ……馬鹿にしやがって……ッ!」

 

 とうとう、ギザミ男が怒りを露わにした。完熟シナトマトもかくやという程の顔で、拳を振り被っては俺の方に突っ込んでくる。

 引いた肩、高く踊る肘、握られた拳。

 駆け寄る足取りは覚束なく、睨む目線は俺の視線と合わさらない。右少し下を見ていることから察するに、俺の右頬を殴ろうとしているようだ。

 ───師匠の教えが、こんな時にまで出てしまうことに、俺は少し苦笑した。とはいえ、これによってトレッドに声を掛けられたのも事実。笑うに笑えない。

 

「おっと」

「ぐっ!? く、くっそ!」

 

 半身ずらしたその勢いに、彼は空を振り被った。

 危うい足取りで勢いづいた体を止めるギザミ男。酒に強くとも、多少なりに回ってはいるようだ。そこらの犯罪者や兵士より、動きが分かりやすい。手に取るように分かる。

 

「なめんじゃねぇ!」

 

 左利きなのだろうか。再び左拳を握り締め、彼は猛然と走り出す。今度は俺の腹を狙ってか、幾分か低い射線を展開していた。

 ───だから、その射線上にそっと手を添えてやれば。彼の拳を受け流して、体の軸をぶれさせる。非常に簡単なことだった。

 

「おっ、おぉっ……!?」

 

 風を斬る拳の、その手首。そこに添えた左手が、そのまま左に優しく薙いだ。

 同時に、彼の体は左へと流れ始める。目線が追い付いていない。どうなっているのか、把握できていないらしい。

 今度は、右手を奴の胸へと軽く添える。前のめりに倒れそうなその体を、掬うように止めた。

 

「せいッ!」

 

 その瞬間。

 がら空きになった左脚の、その膝裏に。軽く足払いを仕掛け、そのまま振り抜いた。もちろん、義足ではない右脚でだが。

 

「うぁっ!?」

 

 今度は腰の支えが蹴り落とされて、後ろへとバランスを崩すギザミ男。そのまま右手で、添えたその手を振り払った。

 支えを失って、腰の重心から転げ落ちて。そうして派手に横転する奴の姿。道行く人の、注目の的になる。もっとも、当人は痛みのあまり転げ回って、それどころではなさそうだが。

 

「いっでででで……!」

「せっ、先輩……! 大丈夫ッスか!?」

 

 路上の中心で背中を地面に擦らせるギザミ男に、ザザミ少女は慌てながらも駆け寄っていった。その表情は、困惑と焦り、そしてどこかスッキリとした何かをトッピングしたかのよう。

 酔いと痛みで混乱状態な先輩を見つつ、後輩少女は俺に小さく頭を下げた。今度は少し、申し訳なさそうな顔も加えながら。

 

「……何か、どうもスイマセンした」

「いや、こっちこそ。……悪かったな。そいつに水でも飲ませてやってくれ」

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「あー……やっちまった」

 

 誰もいない自宅にて、俺は小さな溜息をついた。後悔と後味の悪さを混ぜ返したような、そんな溜息を。

 人と取っ組み合いの喧嘩をするなんて、一体何時ぶりだろうか。ドンドルマ───どころか、バルバレに来てからもしていない気がする。やはり、タンジアでの日常が最後だろうか。

 トレッドと出会う前から───そもそもこの対人戦能力が買われてスカウトされたような気もする。それからトレッドに頼まれたり自発的に喧嘩したりして───

 そんなこんなで淆瘴啖と剣を交えるその直前まで、かもしれない。それまで、俺は拳を振るっていた。

 

「……何にせよ、人と戦わないで越したことはないけどね」

 

 人と戦ったところで、碌なことにはならない。今回のことで改めてそう確認した。あの悪徳ギルドナイトは今日も今日とて人を殺す算段を立てているのだろうけど。できることなら、彼の計画にはもう触れたくないものだ。

 

「今触れたいのは、むしろこのアツアツな麺だなぁ」

 

 お湯を注いだ丼。そこから、温かな香りが舞い上がる。

 お湯を注げば出来上がる乾燥麺を用いた疑似うどん。カツオ由来の出汁を効かせたスープに満たされたそれは、ぎこちないながらも麺らしくその身をゆったりとほぐしていた。

 そんな世界に乗せた、薄緑色の繊維。薄い線が絡まったようなそれが汁へと身を浸し、その色を濃く塗り替える。厚く重い身へと、その姿を変容させた。

 

「……とろろならぬとろろ昆布、か」

 

 我ながら落ちぶれ具合が酷いものだ。暴力に身を任せなければ、美味い店で立派なうどんをすすれたかもしれないというのに。

 シンプルな出汁に、くすんだような白さを見せる麺。深緑色へと変わっていくとろろ昆布。諸行無常を感じつつ、俺は安いその一杯に乾杯をした。

 

 どこまでいっても安っぽさを残す味わい。よく言えば、庶民的なのだろうが、そのあっさりとした控えめなスープはやはりそこらのうどんのスープだった。うっすら染みる魚介系の出汁が、いい塩梅を醸し出している。

 そんなスープに絡んだ、乾燥麺。乾燥させた麺を再び湯通しして戻しているのだから、その感触は思った以上に柔らかく、同時に歯応えもなかった。ふにゃふにゃと骨の抜けたような食感だけが続いていく。ずずっとすすると勢いよく口の中に滑り込んでくるのだが、言い変えればそれくらいだ。店の麺には完敗と言えよう。

 とろろはとろろで、昆布特有のねっとりとした香り──粘り気があるとでもいうのべきだろうか──を口の中で撒き散らす。山芋でできたとろろとはまた違った味わいだが、その食感はうどんによく合っていた。スープが進む。味わいが重なる。

 

「ま、即興の品なんざこんなもんだよなぁ」

 

 良くも悪くもない出来の一品を前に、俺の小さな溜息が木霊した。

 人と戦っても碌なことにならない。しかし、不満を麺と一緒に呑み込む気にもなれなかった。割って入ったのは英断だったと、そう信じたい。

 

「……やっぱ乾燥麺じゃ少ないや」

 

 浸すものが無くなった器を前に、俺の腹は小さく鳴り続けていた。心の満足感はあっても、腹の満足感はそうでもないようだ。

 

 

 

~本日のレシピ~

 

『お手製簡易うどん』

 

・乾燥麺     ……一人前

・とろろ昆布   ……お好みで。

・出汁(スープ) ……300cc

・醤油      ……大さじ1杯

・みりん     ……大さじ1/2杯

・塩       ……大さじ1/2杯

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方その頃、大老殿に一匹の伝書鳩が舞い込んだ。

 緊急通知のために駆り出される白色の鳩。その姿を確認するや否や、受付の竜人族の女性はその脚に括りつけられた文書に目を通す。先程まで手にしていた、大量発生したガブラスの書類を乱雑に放りながら。

 

「……大長老」

 

 読むや否や、その細い瞳をさらに細めるその女性。その仕草に訝しむ大長老に向けて、彼女はそっと口を開いた。

 

「……とうとう、来ました」

「そうか……。とうとう来おったか。来る可能性はないこともないと思っていたが、まさか本当に来るとは、な」

「あぁ、そんな……。如何致しますか……?」

 

 やや狼狽しかける彼女に向けて、大長老は悩まし気にその豊満な髭を擦る。

 予定外の事態。そう言わんばかりに憂いに満ちた声を漏らす彼に、受付の女性は不穏な空気を感じ取った。しかし、今は待つ。大長老が一体どのような判断をするか。その細い瞳を震わせながら、彼の答えを静かに待った。

 そんな彼は、髭を擦る手を止めて、静かに言い放つ。彼女の待つ、この事態に対する最も適切な対応の仕方を。

 

「───シガレットを、早急に呼んでくれんか」

 

 

 






 モンハン要素薄い……薄くない?


 麺繋がりで、ラーメンの話を見返すと面白いかもです。トレッドさんのバックヤードを薄く匂わせた回でもありましたから。
 ということで安定の孤独のグルメパロネタ。お茶漬けならぬ、うどんですけど。ただやりたかっただけで、他意は特にありません!(キリッ) ……とろろ昆布うどんも、美味しいよ。モデルとなった店は、大阪港のとある定食屋。孤独のグルメに出てきそうな店でした。谷口ジローさんに、合掌。
 シガレットさんが喧嘩強い的なハナシ。師匠の訓練で動きを読む機能が強化されてるからね、しょうがないね。そんなんだからトレッドさんに目付けられるとか哀れ過ぎやしませんかね……。
 それではでは。感想評価お待ちしております。

 皇我リキさんからバレンタインイラストいただきましたー! しかも4コマ。最高かよ。

【挿絵表示】


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