モンハン飯   作:しばりんぐ

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 トドメバトルとかいう激寒ネーミング。





魚懸甘餌

 

 

「……どうしてこうなったし」

「ふふふ、そんな余裕ぶってる暇はあるのかしら? イルルちゃんは、私が貰うわよ!」

 

 目の前で、ガタガタと歯車が唸る。

 幾層にも重なったそれらが野太い音を奏で、外からは大衆の歓声にまみれ、思わず耳を塞ぎたくなるくらいには気の滅入る空間だった。

 一番の原因は、隣でけたたましい声を上げる女なのだが。

 

「畜生、勝手に話を進めやがって。何で闘技場なんだよ、俺ここ嫌いなんだよ……」

「トレッドさんの言葉に則ったまでよ。やっぱり年長者は違うわー!」

 

 そう。事の発端はトレッドの何気ない一言だったのだ。

 元々はイルルに惚れたらしいル-シャが、イルルをオトモにしたいということで俺に頭を下げ始めたのが始まりだった。彼女の雇用権を譲渡してほしい、と。あの日の、焼き肉を並べていたあの瞬間に。

 

 薄桃色の肌が見え隠れする可愛らしい耳。

 その全身を覆う、上質なバニラクリームのように美しい毛並み。

 文化と味のアクセントを差すが如く舞い降りた、桜餅を思わせる蠱惑的な肉球。

 そして何より、タンジアの海を映したかと思わせるほど青く、澄んだ大きな瞳。

 イルルが誰をも虜にするような魅力をもつネコであることは、もちろん俺も把握している。そんなイルルを、俺が黙って引き渡すことなどありえない。だが、それで引き下がるルーシャである筈がなく───

 

 ───ハンターというのは、誰もが我が強いですからねぇ。今のような状況が続くなら、いっそのこと何か勝負に出た方が良いんじゃないでしょうか? 例えば、闘技場とか。そうやって白黒はっきりつけた方がいいと思いますよ。

 

 そう言い放ったトレッドの言葉に感化されたルーシャが、わざわざ俺の分までこの大会にエントリーした。これまでの顛末は、これで説明できる。

 そんな主犯格は、ふふんと得意気に鼻を鳴らした。それに同調するように、腕の猟虫も甲高い声を上げる。

 

「ここで勝ったら、私がイルルちゃんをいただくからね!」

「……まぁ、一週間も立て続けに願い込まれちゃ、俺としてもこうするしかなかったしなぁ。勝てばいいんだ、勝てば」

「勝つのは私よ!」

「うるせぇ俺だ! イルルも渡さねぇし、お前の賭けたもんもきっちりいただくかんな!」

「くっ……高級お食事券三十回分とは、大きく出たわね……! でも、イルルちゃんのことを思えば……!」

 

 支給された防具を軋ませ、渡された武器を背に担ぐ。いつものものとは違う慣れない感覚に、俺は辟易とした。これだから闘技場は嫌いなんだ。慣れた武具を使えない。これは無視することのできないハンディキャップなのだから。

 同じ条件で、それでも悠然と歩くルーシャ。心なしか、その足取りは軽やかだった。そんな気取ったような足取りで、彼女はゆったりと進む。控え室に描かれた大きな入場口から、眩しい外の光が漏れた。

 

「……やるからには、本気でやるからな」

「……望むところよ」

 

 互いの右拳を軽くぶつけつつ、俺も前へ踏み出した。

 控え室に設けられた二つの入り口。右には黒が、左には白が。それぞれの色が、淡く門を彩った。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 まるで大瀑布のような歓声が沸き上がる。

 楕円状に区切られたエリアを、囲うようにしてできた観客席。そこへ群がる群衆が、囃し立てるような声を上げていた。楕円にこれから現れるであろう、二つの影に向けて。

 

「さぁさぁ盛り上がって参りました! 本日の闘技大会、いよいよ開幕です!」

 

 そこへ割って入るアナウンス。良く響く澄んだ声が、この会場を風の如く突き抜けた。

 客席の一部を陣取った女性。その規律めいた衣装は、間違いなくギルドの職員のものだ。丁度バルバレあたりの集会所で見るような、慣れ親しまれた格好である。そんな彼女の拡声器越しの肉声が、またもやこの会場を駆け抜けた。

 

「私は本日のアナウンス役でございます! 大会の実況を精一杯やらせていただきますので、どうぞよろしくお願いします!」

 

 その挨拶で再び熱を上げる会場。熱い歓声に包まれ、いよいよ開戦の狼煙が上げられようとしていた。

 そんな客席の中央部前列に腰かける少女は、小さく溜め息を吐く。それに気付いては、隣に座っていたアイルーがそっと首を傾げた。

 

「ヒリエッタさん、どうしたのにゃ?」

「……シガレットの奴、腹痛治ったかと思ったらすぐこんなのに巻き込まれてさ。何か、憐れだなぁって」

「にゃ、にゃあ……。確かに不憫にゃね、旦那さん」

「一番不憫なのはあんたよ、イルルちゃん。まさかアイルーを賭けの対象にするなんて、どうかしてるわ。あんたも何か言ってやれば良かったのに」

「むにゃ、それは……そうだけど」

 

 やや俯き気味に顎を引いたネコの姿を見ては、ヒリエッタは不満そうに鼻を鳴らす。甲斐性のない旦那だと、その小さな鼻息が主張していた。

 それでも、イルルは「でも」と言葉を繋げる。何か言いたいことがあるかのように、強い意志を秘めているかのように。

 生憎その言葉の続きは、後ろから現れたイズモの声で掻き消されてしまったが。

 

「お待たせ。アイスクリームはイルルちゃん、チーズバーガーはヒリエッタだね。買ってきたよー」

「にゃ、有り難うございますにゃー」

「あ、おかえり。ありがとパシリ」

「あれっ!? ヒリエッタだけやけに辛辣だなぁ!?」

 

 両手をプレートで埋めたイズモは、その上に乗せられたカップアイスと包装されたチーズバーガーを突き出した。

 それぞれが求めるものを手に取ったのを確認して、彼はヒリエッタの隣へと腰かける。プレートに残された別のハンバーガーとフライドポテトが、からんとプレートを小突いた。

 

「ルーシャ、ルーシャね……。どこかで聞いたことあったと思ったら、前にシグからされた相談の子かぁ。なるほどなるほど。ん、ポテトうっま」

「あ、ポテトじゃん。もーらい」

「あっ……まぁ、いいけどさ。それよりも、状況はどうだい? まだ始まってなさそうだけど」

「もうすぐ挑戦者の入場っぽいわよ。ほら、アナウンスの人が解説しようとしてる」

 

 口の中で細かく砕ける食感と、その奥に眠るふわっとした食感。芋特有の柔らかさと、仄かな甘みが口の中で一杯に広がる。そこに振り掛けられた淡い塩の数々が、控えめながらも味にアクセントをもたらしていた。

 サクサクと、カリカリに焼き上がったポテトを口に入れつつヒリエッタは腕を上げる。その先の指の延長線上には、拡声器を片手に立ち上がるアナウンサー、もとい大会司会者の姿が。

 

「さぁ、今一度本日の大会模様を説明させていただきます! メインターゲットはティガレックス一頭の討伐! 使用武器は狩猟笛にガンランス、スラッシュアックスと操虫棍、とどめの弓でございます。いやー、曲者揃いですねぇ」

「え……ちょっと待って! 片手剣も双剣も入ってないじゃない!」

「あれま、ほんとだ。一癖二癖のあるものばかりだねぇ」

「これエントリーしたのって、ルーシャって方よね? あの子、策士だわ……」

 

 ヒリエッタは焦りの声を漏らした。

 いつだって、彼女が見てきたのは片手剣を振るうシガレットの姿だ。愛用のテオ=エンブレムを度々双剣として扱うことはあるものの、基本的には片手剣。彼女はそう認識していた。

 しかし今回の演目はといえば、その二種は含まれていない。その上でイルル曰くのルーシャが得意武器とする操虫棍はしっかり含まれている。

 これ以上ないほど不利。そう判断せざるを得ない。

 ───そう思っているのは、この場では彼女だけのようだが。

 

「まぁ、見てなよ」

「旦那さんは、大丈夫にゃ」

 

 その声とともに、闘技場の門が空いた。北門南門がそれぞれ開き、そこからハンターが現れる。

 一人、白髪を揺らした男性。苦虫を噛み潰したような顔で携帯食料を呑み込みつつ、さも不機嫌そうな溜め息を振り撒いた。その背には、武骨な剣斧が一つ。

 一人、長い金髪を後ろで一まとめにした少女。その右腕にはこれまた大きな甲虫がしがみ付き、背には似合わぬバヨネットを携えていた。もちろん、操虫棍だ。

 同時に下ろされる、宙吊りにされていた檻。そこから、一頭の飛竜が顔を出した。

 血走った瞳に、それを覆う黄色の鱗。それらを染め上げる、薄い青い模様。絶対強者という名で知られる飛竜種にして本大会のメインターゲット、ティガレックスだ。

 

「いよいよにゃ」

「……どちらが止めを刺すか、それが勝敗を分かつかんな。オレらがよく見とかないと、ね」

「にゃ、運営者さんには伝えてないにゃんね?」

「そそ。あくまでも彼らはただのペアハントだと思ってるから。オレらが真の審判って訳さぁ」

「旦那さんたちはトドメバトルとか言ってたにゃね。へんてこりんなルールだにゃ」

「全くだねぇ。観客なのに審判させられる方の身にもなれってのー」

「え、えーっと、え? え? あの、武器についてのツッコみはなし……なの?」

 

 戸惑い気味のヒリエッタには目もくれず、イルルはその尾を膨らませ、イズモはゆっくりと固唾を飲んだ。

 左右に現れた人間。それを察知するや否や、ティガレックスは叫び出す。キンと耳に鳴り響く轟音が、闘技場内を木霊した。

 

「シッ……」

 

 アナウンスが開戦の声を上げる前に、剣斧を担いだハンター、もといシガレットは大地を蹴る。それに察知したのか、ティガレックスはシガレットの方へと振り向いた。やや遅れて動き出したルーシャには、数秒の目もくれず。

 剣斧。シガレットが担いでいる武器は、それだ。

 一人はかつて共に組んで狩りを行なっていた頃を。一人はかつての凍土で、荒ぶ風のように剣を振っていた姿を。刃を地に擦らせて走るシガレットの姿を見て、それぞれ思い描く模様を浮かばせていた。

 もう一人は、皆目見当がつかないといった様子で眉を顰めているが。

 

「先に仕掛けたのは南門、シガレットー! 怒涛の二連斬り上げで、ティガレックスに肉薄するゥっ!」

 

 ビンのエネルギーを振り撒いたその切っ先が、鋭くもティガレックスの顔を裂く。斧の成りを顰め、剣へと姿を変えたその刀身は、収まったかと思いきや再びビンの炎を噴出した。

 同時に振りかざされる、牙。目の前の外敵に向けて突き出した強靭な顎は、そこを埋め尽くすように並んだ牙の山を、シガレットへと押し付ける。

 

「旦那さん、危ないにゃ!」

 

 だが、その牙が噛んだのはただの空気。敷き詰められた肉の感触を、その顎にもたらすことはなかった。薙ぎ払われた剣撃が、シガレットを背後へと押しやったからである。

 言うなれば、ビンのエネルギーを用いた斬り払いといったところか。そうしてティガレックスとの距離を開けたシガレット。その隙間を縫うように、今度は砲弾のようなものが縦横無尽に飛び込んでくる。

 

「シガレットの隙をカバーするルーシャだァ! 操虫棍を巧みに使って虫を操るその姿、何とも言えない美しさを感じさせられます!」

 

 アナウンスの実況通り、後退するシガレットの隙を埋めたのはルーシャだった。猟虫でティガレックスの注意を攪乱しつつ、その鋭い切っ先を天へと掲げ、振り下ろす。

 バヨネットが打つのは、ティガレックスの丸みを帯びたその背中。頂点から落下まで、回転運動で振り下ろされるそれが、その背中を鈍く穿つ。同時に浴びせられる剣斧の二連斬りに、轟竜は悲鳴を上げた。

 

「な、何アイツ……スラッシュアックス、使えたのね……。要らない心配かけさせて、全く……!」

「シグはこっちに来るまでずっと剣斧使ってたのさ。やっぱあっちの方がシグらしいや。今回は支給された剣斧だから、無茶な使い方出来ないけど」

「確かに、ちょっと息苦しそうにゃ。ビンをあんまり無駄にできないし、しょうがないけど、にゃ」

「……何よ、二人とも知ってたのね。私だけ焦っちゃって、バカみたいじゃない」

 

 そう言って、荒っぽくチーズバーガーを口に入れるヒリエッタ。心なしか、その食べ方も苛立ちを含んでいるように見えた。

 溢れる肉の味は、まるでティガレックスの突進のよう。荒々しく、武骨で、直接的。

 潰して、捏ねて、焼き上げて。そうして出来たそのハンバーグの味わいは何とも直情的だ。染み込ませたトマトソースも相まってどこかフレッシュな風味も残しつつ、それでもその味は肉そのもの。舌を刺激する旨みが、焼き固められたその一つ一つが零れる度に溢れてくる。まるで、地形を壊すティガレックスのようにダイレクトに。

 

「トレッドさんもよく知ってるみたいだったにゃ。今日は来てないけれど」

「何か、召集がかかったとかでタンジアに帰ったよ、アイツ。忙しいみたいだねぇ」

「はぁー、知り合いってのはやっぱ大事よね……むぅ。あ、これピクルス入ってる」

 

 縦横無尽に走り回るティガレックス。そんな奴が、斬り結ばれたバヨネットの一撃でとうとう激昂した。大きく後ろに跳んで、その形相を大きく変える。まるで、ピクルスの酸味が突然口内に現れたかのように。

 チーズのように黄色い鱗の節々に、赤い筋が現れる。激昂し、血流が盛んになり、それが表面へと現れる。濃厚なとろみが味のアクセントになるように、ティガレックスはその動きにアクセントを加えたのだった。

 

「キレたなコイツ、ルーシャ! 目を塞げ!」

「えっ、あっ、ちょっ待っ……!」

 

 闘技場を、一瞬で白染する光。同時に響く、観衆の悲鳴と轟竜の呻き。

 シガレットが投げた支給用閃光玉は、見事にティガレックスの視界を塗り潰した。突然目の前が真っ白になった当の本人ならぬ本竜は、一体何が起こったのかと悲鳴を上げる。どうすることも出来ず、顎の開閉を繰り返しながら。

 ───その下からは、鈍い斧が迫っていることにも気付かずに。

 

「オォラアアァァァァッ!」

 

 猛烈な斬り上げに、そこから繋げられる振り回し。縦横無尽に走る斧が、まるで八の字でも描くように轟竜の頭部を撫でる。シガレットの息の荒さに比例して、ティガレックスに刻まれる傷は増えていった。

 シガレットとルーシャの勝負は、どちらがあのティガレックスに止めを刺すか。その条件の下行われている。であるからにはルーシャには、止まっている理由もない。アナウンスの声に身を任せるように、彼女も再び駆けだした。

 

「隙を作っては連撃を叩き込むシガレットォ! 横から横へ、斧で斬る斬る斬るゥ! おっとォ、ルーシャだって負けてないぞっ! 勢いよく飛び込んでいくゥっ!」

 

 天高く舞い上がり、勢いよく剣を振り下ろす。鈍重な刃が一層、二層と轟竜の背鱗を打ち砕き、その口からは甲高い悲鳴が漏れた。

 このままではマズい。そう感じたのか、ティガレックスはおもむろにその前身を屈ませる。そうして、滑るように大地を蹴って───

 

「がっ……!?」

「ティガレックスの手痛い反撃だァ! シガレット、思わず吹き飛ばされてしまうゥ! この隙を、ルーシャはどうカバーするのでしょうかっ!?」

「にゃっ、旦那さーんっ!」

 

 スタミナを犠牲にしたその乱打で、腕の痺れに怯んでいたシガレット。それを前にして乱回転したティガレックスの猛攻は、到底避けられるものではなかった。

 そんな旦那の姿に、オトモのイルルは悲鳴を上げる。不意にも手の力が緩んだことで、その肉球からするりとカップアイスが零れ落ちた。会場の床に、白い模様が出来上がる───

 ───その瞬間。すっと伸びた肉球が、そのカップを受け止める。白───では、ない。黒い体毛に覆われた、肉球だった。

 

「……危ないですニャ。アイス、落としたらもったいないですニャ」

「にゃ……にゃ? だ、誰……にゃ?」

 

 そこに現れたのは、黒いネコ。俗に言う、メラルーだった。そんな相手に向けてのイルルの素朴な疑問に、当のメラルーは静かに微笑む。突然現れたその人物に驚きを隠さないイズモやヒリエッタにも向けて、そっと。

 闘技場では、轟竜の尾を踏み台にしてその背中を奪ったルーシャの姿があった。アナウンスも、その姿を取り上げては白熱の実況を展開している。そんな彼女の勇姿からメラルーは目線を戻しつつ、小さく頭を下げた。

 

「ワタシはあそこのルーシャのもとでルームサービスをしています、クゥと申しますニャ。この度は、うちのご主人がご迷惑をおかけましたニャ」

「……へぇ、君ルーシャんとこのネコ? 可愛いじゃん」

「何よあの子、ちゃんとネコがいるなら別にイルルちゃん欲しがらなくてもいいじゃない」

「ニャ、ご主人は何やらねこは、はーれむ? とかいうのを作りたいそうなのですニャ。ネコを大切にしてくれる良いご主人ですが、ネコ好きが度を過ぎているのが玉にキズなのですニャ……」

「にゃ、苦労してるのにゃね……」

 

 困ったように苦笑するクゥからアイスクリームを受け取るイルル。憂いのこもったネコの溜息が、会場に溶け込んでいく。

 その体毛のように白く、透き通ったバニラアイス。それを口にしたイルルは、何とも甘いその味わいを、溜息の如く口の中でさらりと溶けていく感触をもう一度確かめた。

 するり、するりとその甘さは抜けていく。所詮はアイス。常温ではその形を留めることができないそれは、確固とした形をすぐ失ってしまう。痛みの余り転倒する轟竜よりも、もっと早く。だからこそ、矢継ぎ早にスプーンを動かしたいものなのだが───

 

 そのスプーンより早く振られる剣斧。そしてバヨネット。突き立てられた剥ぎ取りナイフの痛みに耐えきれず、隙を露わにしたティガレックス。ここぞとばかりに、ハンターたちは武器を振り回した。

 片や、ビンから炎を振り撒いて滅多斬りを繰り出すスラッシュアックス。その斬撃音たるや、さながらイズモの手にあるエビフィレオバーガーのよう。ザクザクと音を鳴らすレタスや衣が相まって、景気のよい食感だ。

 片や、まるで鈍器のような鈍重な刃で轟竜の肉を打ち付けるバヨネット。鱗が剥がれ、弾力性のある肉が露わになったそれはさながら剥かれたエビのよう。プリップリのその感触に、溢れ出る磯の香り。ほどよく染み込んだ脂も相まって、噛めば噛むほど爽やかな味が溢れ出てくる。

 

「エビフィレオうまー」

「……アンタ、緊張感ないわよね」

 

 ヒリエッタの呆れも他所に、イズモはエビフィレオの味にご満悦な様子。濃厚な麦の味を固めたマスターベーグルの風味を鼻いっぱいに吸い込んで、幸せそうな感嘆の声を漏らした。エビフィレオの香りがついた、深い深い溜息と共に。

 そんなパンの色を反映したかのような鱗で全身を覆うティガレックス。二人のハンターにされるがままに、抵抗も出来ずにその四肢を投げ出している。

 

「何よぅ、シガレットが剣斧使えるなんて聞いてないわ!」

「あん? 使えなかったら何だったんだ?」

「不得意な武器しか選べなかったら私の勝利は確実……って、ウソウソ! 今の無し!」

「……お前が狡賢い奴ってことがよく分かった、よッ!」

 

 止めと言わんばかりの属性解放突き。それがティガレックスの喉仏を穿つように炸裂した。その余りの威力にティガレックスの視界は大きく揺れ、消え入るような悲鳴が小さく漏れる。断末魔のような、か細い悲鳴だった。

 そうして、耐え切れなくなったかのようにその鎌首を地に落とした轟竜。ずんと、巨体が大地を打った。分銅のように落ちた首が、地面に罅を入れる。

 

「スラッシュアックスの奥の手、属性解放突きだァ! これは決まったかァっ!?」

「あああ! 嘘、待って! まだ死なないでよぉー!」

「薄々気付いてたんだけど……お前、相当なクズだよな……。この勝負のルールといい、さ」

 

 若干涙目で銃剣を振り回すルーシャの姿に、シガレットは呆れ気味にそう呟いた。死してなおさらに殴られ続けるティガレックス。不憫もいいところである。

 ルーシャが取り決めたこの勝負のルール、俗称トドメバトルとは、モンスターのとどめを奪った方が勝利となる、極めて単純な判定基準をもつ。よってこの場合、属性解放突きによってティガレックスは事切れたために、勝者はシガレットと決まったことになる。

 ───と、思われたのだが。

 

「うあーん! 認めたくないーっ!」

「……あん? ……この感じ……」

「頑張れ、頑張れ! まだいけるでしょティガ君!」

「……この感じ、この臭い……まさかッ! ルーシャ、下がれ!」

「うぇ!?」

 

 何かに気付いたように声を荒げたシガレット。未だに銃剣を振るルーシャの肩を荒く掴み、そのまま後ろへと投げ捨てる。それと同時に睨み付けた。異臭を起こし始めた、ティガレックスの、その骸に。

 黒い湯気、沸き立つ臭い。

 まるで瘴気のように、火柱から溢れる黒煙のように。横たわったティガレックスから、名状し難い何かが溢れ出した。閉ざされたその分厚い瞼が、ピクリと動く。

 あっ、という声が漏れたのは観客席のヒリエッタだ。その姿に既視感を覚えたのか、降ろしていた腰を反射的に浮かしては、驚愕の念を露わにしていた。

 

「……まさか、嘘、そんな!」

「え、何? ナニナニどうしたの?」

 

 状況に頭が追い付かないイズモ。そんな彼が、媚びるような声を上げたその時だ。

 キンと、大気が弾け飛んだ。先程の咆哮より幾分低く、ドス黒く染まった声が駆け巡る。試合終了を感じ、安堵していた観衆の息を止めるくらい鋭い声。大タル爆弾もかくやという程の轟音だ。

 爛々と妖しく光る双眼。黒く染まった血管。息が荒く、正気を失ったかのようなその表情。ルーシャの要求通り、ティガレックスは起き上がったのだ。ただし、その様を大きく変貌させて、だが。

 

「……狂竜化個体じゃない! こんなの聞いてないわ!」

「え? な、何そのきょーりゅーって……」

「病気に罹ったモンスターにゃ、イズモさん! 何て言うか、とにかく危険な個体なのにゃ!」

「ニャ、ご、ご主人……!」

 

 運営すら予想外のその事態。アナウンスが絶句している中、観衆の一部は戦慄の声を上げる。

 それが通じたのか通じていないのかは分からないが、シガレットは静かに、スラッシュアックスに取り付けられたビンをナイフで斬り裂いた。

 

「良かったな、ルーシャ。コイツ起きてくれたぞ」

「いや、いやいやいや! こ、こんなのは流石に勘弁してほしいよぉ!」

「道理で呆気ないと思ったんだよなぁ。ま、何にせよ試合続行だな」

「くっ。……これは逆にチャンスなんだ。ここで、ここで私が───!」

 

 そう意気込んで、力強くバヨネットを地に打ち付けるルーシャ。そんな彼女の周囲が淡く光り、まるで粒子のように彼女に向けて集まってきた。そう、それはさながら大雷光虫のような───

 俗に言う蟲纏いと呼ばれるその技で新たな相棒を用意しつつ、再びバヨネットを彼女は構える。シャンと鳴ったその虫笛で、目の前の脅威に向けて己に発破をかけていた。

 一方で荒々しく剣斧から火を吹かせるシガレット。斬り裂かれたビンからは、まるで歯止めが効かなくなったかのように内なるビンエネルギーが溢れ出す。剣にビンの力を強制的に纏わせる、剣鬼形態という荒業だ。

 

「ご主人……ご主人ーッ!」

「旦那さーん、負けないでにゃー!」

 

 それぞれのネコが悲痛な声援を送る中。会場内が突然の事態に困惑する中。

 暴走状態に陥ったティガレックスを前に、二人のハンターは勢いよく走り出す。凄まじい衝撃音が、ドンドルマの闘技場を駆け巡った。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 晴れ渡る空。和やかな風。それに運ばれる、鼻孔を撫でるような潮の香り。

 静かな波の音が飾るここは、タンジアの港。タンジア地方最大の商業都市だ。ドンドルマとは打って変わった活気に満ちたこの街を、あの闘技場に現れなかった彼が歩いていた。

 

「はぁ、全く唐突ですねぇ。いきなり呼び出しとは」

 

 揺れるテンガロンハットに、風に靡く薄茶色の羽織。独特の意匠が目立つフロギィXシリーズで身を覆った彼、もといトレッドは、愚痴のような口調でそう呟いた。独り言のように、割り切れない思いをそのままに。

 ───ところがそれに、相槌を打つ声が飛んでくる。相槌と共に、タンジアチップスのサクッとした咀嚼音も。

 

「緊急事態ですから、仕方ないのです。急な召集は申し訳ないと思ってますよ。タンジアチップスあげるから、機嫌直してくださいな」

 

 そうしてタンジアチップスの袋を差し出したのは、光を映す金の髪が美しい少女だった。白を基調とした服装に、赤と青の彩色を施している。その金の髪をお下げのようにサイドでまとめては、快活そうな表情で爽やかな笑顔を浮かべるその姿は、まるで品のある人形のようだ。

 そんなことをトレッドは考えながらも、敢えてそれは口には出さずタンジアチップスを受け取った。

 

「どうも、キャシーさん。……わざわざ酒場から抜け出てまで……僕のお出迎えですか?」

「いえ別に? ただお昼休憩だったのでぶらぶらーっと」

 

 キャシー、と呼ばれた彼女はそう言ってはその小柄な体で精一杯伸びをする。トレッドの軽口にはあまり関心を抱いていないその態度に、彼は空回りをするような微妙な気分を胸中に燈した。

 ……まぁ、『元』とはいえ人の女に手を出す気はないけれど。

 そんな言葉で胸中を洗い流し、もう一度彼女の方に目を向ける。自分がここに呼ばれた理由を話せと、そんな言葉も添えて。

 

「……ドンドルマギルドが仕切ってるんですけど、アカムトルムに関する情報が上がってるんですよね。どうも火山地帯で暴れているらしくて」

「へぇ。覇竜……ですか。それは中々。でも、それだったら僕がここに呼ばれる意味ってあるんですかねぇ?」

「話は最後まで聞いてくださいね。それでタンジアとドンドルマの連合部隊で覇竜の侵攻を止める作戦が上がってるんですけど、そしたらもうあのモンスターが暴れ出す暴れ出す!」

「……まさか、それって」

「はい。淆瘴啖イビルジョー。あの子が、孤島で自由を謳歌しているとの情報が入ってきました。トレッドさんには、そちらの対応に回ってもらいたいのです」

 

 よりにもよってそれか。そんな意を込めた溜息が、タンジアの潮に乗る。

 損な役回りもいいところだろう、と反論したいトレッドだったが、先日同僚が返り討ちになったことを思い出すとその言葉も言うに言えなかった。対応できる人員が限られる。それがあのモンスターの特徴だった。

 できるならば、必要最低限、少数精鋭、一騎当千。つまり条件に当てはまるのはギルドナイトである。

 

「……はいはい分かりました。撃退する程度には真面目にやらせてもらいますよ」

「仕留める、とは言わないんですね。……まだ、あの人はアレにこだわってるんですか……?」

「それは、君が嫌という程思い知っているでしょう?」

 

 嫌味のように、質問を質問で返すトレッド。その言葉に、キャシーは小さな頬袋を膨らませた。弄り甲斐がある。トレッドの心中は、それだ。

 なんて寄り道はともかく、そうと決まれば準備をしなければならない。そう己に言い聞かせたトレッドは、港のマイハウスに向けて踵を返した。手に持ったタンジアチップスを、口に運びながら。

 そっと口に入れたタンジアチップスから溢れる、磯の味。ドンドルマにはない慣れ親しんだ味と香りを感じ、トレッドはうっすらと笑みを溢すのだった。

 

 ───『君』にはまだまだ利用価値がある。折角だから、使わせてもらいますよ。

 

 潮の香りに、爽やかな海風に溶ける、トレッドの小さな引き笑い。それが耳に届かなかったキャシーは、ただ彼の後姿だけを見て、小さく首を傾げていた。

 

 






 タイトルの魚懸甘餌ってのは、旨い話には裏があるから気をつけろみたいな意味のことわざです。そのまんまかな。


 品数が多いので、本日のレシピはお休み。今回はどちらかというと飯テロはサボり気味、ストーリー性重視になりましたね。トレッドさんが何だか嬉しそう。
 モン飯ストーリーもこれから面白くなっていくかな、と思いながらもそれが読者さん方の需要には合ってなさそうだなぁと感じております。飯テロが疎かになってはアイデンティティの消失ですし、線引きが難しいです。
 ちなみにトドメバトルってのは、FFのタクティクスにあったものを参考にしました。シンプルながら分かりやすいと感じつつ、実際にやってたら絶対に分かり辛いだろとも思ってます。何だこの矛盾。
 それではまた次の更新で会いましょう。感想、評価お待ちしております。


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