久しぶりのイルル視点。
「う、うぅ……オオナズチ……こわい……」
「旦那さん、しっかりするにゃ」
ベッドの上で大の字になっては、うんうんと
ベッドの横に置いたバケツは、今はもう綺麗なままだ。つい此間までは旦那さんが吐き出したもので溢れていたけど、今はまぁ随分と落ち着いている。ようやく容態が安定してきたみたい。
「タオル変えるのにゃ。ちょいっと失礼、にゃ」
そんな旦那さんの額に乗ったタオルを手に取る。しっかり冷やしたはずなのに、今ではすっかり温くなってしまっていた。まだまだ旦那さんの熱が下がっていない証拠にゃ。
そんなタオルを隅に寄せつつ、新しいタオルを冷や水で満たした桶から持ち上げる。しっかり、しっとり、旦那さんのおでこに当てて――。
「……水……毒液……うっ」
「にゃ、一体どんな体験をしたのにゃこの人……」
突然だった。
旦那さんがこの状態で運ばれてきたのは、本当に突然だった。
大老殿から知らせが来て、何でも旦那さんが成り行きで狩りに行ってしまったとか。旦那さんに限ってはよくある話なので、ボクは特に気にすることもなくいつものことだと思っていた。
だけど、まさかあんなことになるなんて。
「……オオナズチを食べるなんて。旦那さん、チャレンジャーにも程があるにゃ」
ギルドの職員と、一緒に来てくれた女ハンターさんが説明してくれた。何でも、遭遇した古龍、オオナズチの尻尾を食べたとか。
オオナズチといえば、強烈無比な毒を操ることで有名な古龍にゃ。とてもじゃないけど、人が食べるものじゃないの。
それでも食べてしまうのが、うちの旦那さんなのだけれど。
「まぁ、命に別状はないみたいだけど。流石旦那さんにゃ」
お医者さんを呼んで、そして旦那さんを診てもらって。
そしたら物凄いことを言われたにゃ。古龍の毒が、ほぼ腹痛みたいな症状で済んでいる、と。
お医者さん曰く、旦那さんの内臓が非常に強靭なため、だそう。こんがり肉を食べてれば強走薬なんていらない、秘薬が無くなってもマンドラゴラを直食いすればいいんじゃないかとさえ言われたにゃ。どんな早食いにも対応できる臓器、それが旦那さんのものらしい。つくづく、恐ろしい人にゃ。
「う、うーん……お腹、苦しい……減った……苦しい……」
「どっちなのにゃ、全く……」
それでもやはり古龍の毒は相当な消化不良を起こしているらしく、流石の旦那さんもこの状態にゃ。嘔吐はなくなってきたし、そろそろ何か食べれそうな気はするけれど。
不意に、部屋の中でまるで地震のような音が響いた。ベッドで眠る、旦那さんのそのお腹から。
「……やっぱり減ってるんにゃね」
帰って来てからは何も食べてない旦那さん。そろそろ限界かもしれない。ここは一つ、オトモであるボクが何とかしなければ。
持ってきた桶を持ち直して、眠る旦那さんの鼻に、そっとボクの鼻を押し当てて。そうして、ボクはこの部屋を後にした。静かに、旦那さんに一言添えながら。
「ちょっと、行ってくるにゃ。精のつくもの用意するから、待っててにゃ」
◆ ◆ ◆
街頭は、にぎやかだった。
今日もまた商売で繁盛しているドンドルマの街。ボクたちがこの街に訪れるずっと前に、鋼龍クシャルダオラの襲撃があったと聞いているけれど、そんな過去の出来事を微塵も感じさせないにぎやかさだ。その出来事がむしろ作り話じゃないかと、そう思えてしまう程に。
さて、どうしよう? 精のつくものとは言ったものの、どういったものを作ればいいのかな。病人のための食べ物といえば、おかゆが頭に浮かぶけれど――ただお米を炊くというのは、やっぱり味気ない気がする。
「……何か良い具材売ってないかにゃ?」
大通りに出て、いくつもの露店を回って。
それでも、目ぼしい物は見当たらなかった。
もちろん、候補はある。解毒作用のあるげどく草だったり、旦那さんや山菜お爺さんが愛用している山菜組大根だったり。そうしたものをおかゆに混ぜるのは、きっと模範解答の一つなんだと思う。
だけれども。些かパンチが足りないような気もするの。もう少し何か、インパクトのような何かが欲しい。そう感じてしまう程度には旦那さんに毒されているんだなぁ、と改めて感じてしまうけれど、やっぱり何かが欲しかった。
「精のつくもの……何かのお肉とかがいいんだけど……」
生憎、家のボックスのお肉は使えない。あれは旦那さんが回復した時に、と決めているのにゃ。だから、今はここで何かお肉を手に入れたいところ。
なんて考えていたら、いつの間にかクエストボードの前に出ていた。数人のハンターさんたちがたむろしているクエストボード。屋外カフェのような場所に併設されたそれに、ボクは思わず注目する。
「旦那さんも元気だったら、ここで一緒にご飯とか食べれたかにゃあ……」
お茶やお酒を並べたり、大量のお肉を掻き込んだりするハンターたち。そんな光景を見ながら、ボクは小さなため息を吐いた。
――だめだめ。気弱になってちゃ、治るものも治らないにゃ。旦那さんがこうなっている今、ボクがしっかりしなきゃ。
「……何かモンスターの肉でも狩ってくる、とか? でも、時間がかかるもんにゃあ。やっぱ無難に、お肉屋さんを見てこようかにゃ……」
ここから狩場に移動するにしても、かなりの時間が掛かる。一番近い未知の樹海に行くとしても、少なくとも一日近くの時間を要するだろう。旦那さんを放って一日も家を空けるのは、あまりにも不安要素が大きすぎる。
そう思って、ボクはボードに背を向けた。
まさに、その時だった。
「――――大変だ! 飼育していたウルクススが檻を壊して逃げ出した! 闘技場で暴れてる! 誰か、ハンターの誰か! 討伐でいい、手を貸してくれ!」
だぼっとした清潔感の無い色の、動きやすさを重視した服装。幾つものポーチやカバンをぶら下げては、声を荒げて言葉を繋げる男性。そんな彼は、まごうことなき闘技場の飼育員だった。旦那さんに以前そう教えてもらったのだから、間違いないと思う。
それにしても、脱走とは。檻が老朽化していたのか、飼育員のミスなのか。どっちにしろ、これはハンターの出番のようだにゃ。彼の言葉に、ここに居合わせた数人のハンターが何かしらの反応を見せている。所詮はウルクスス。皆の顔に、そう書いてあるにゃ。
ウルクスス。
兎獣下目の牙獣種で、寒冷地に生息する中型のモンスター。寒さに耐えるためかその体には多くの脂肪分を保有しており、永久凍土の世界を活発に動き回るという。雪遊びのような行動も見られ、一部の愛好家には可愛いと評判なモンスター。
白兎獣の肉。多くの脂肪分。もしかして、美味しく食べれるかにゃ? 兎肉というのもまた乙なものかもしれないにゃ。
――よし。
「はいにゃ! ボクがいくにゃ!」
「お、本当か――って、君はアイルーじゃないか」
「にゃあ。巷で有名になりつつある、ニャンタ―って奴にゃ。ウルクススの討伐、任せてほしいにゃ」
「い、いやぁ……でもなぁ。君みたいな子じゃあ、ちょっと信用しにくいっていうか、ハンターに頼みたいっていうか」
「むむ、人を見た目で判断してほしくないのにゃ。こう見えても経験豊富にゃ!」
「気持ちは有り難いけど、やはりハンターの方が適任だと思うよ。だって君、アイルーでしょ? 人間よりも小さくて非力だし。安心して任せられないなぁ」
「うっ……にゃぅ……」
訝しむ目でそう言ってくる飼育員さんに、思わず僕はたじろいでしまった。
仰る通りだと思う。ニャンタ―という概念はつい最近できたようなもので、このドンドルマにもあまり浸透してはいない。名も知らぬ小さなネコが鼻高々に名乗り上げても、白い目で見られることは必然だろう。
闘技場なら、時間を掛けないで済む。お肉を手に入れるのに願ったり叶ったりだと思ったけれど、やっぱりそう美味しい話はない。期待しただけ無駄だったにゃ。
――なんて、肩を落とすボクのその肩に。細く白い綺麗な手が、ポンと乗った。
「……じゃあ、ハンターが同行すれば問題ないよね?」
そう言ってはにっこり笑う、ボクの肩に手を置いた女性のハンターさん。
薄い金色の髪を後ろに束ねたその容姿はとても美しくて、騎士を思わせる白銀の鎧も相まって、まるでお人形さんのようだったにゃ。
突然現れた彼女の姿に、目の前の飼育員さんも、周りのハンターさんたちも大きく騒めき始める。そんな彼女の右腕にひっついた大きな虫さんが、小さな声を上げた。
◆ ◆ ◆
「あ、有り難うございますにゃ。助かりましたのにゃ」
「いいのよ。困ったアイルーちゃんがいたら助けるのが私の主義だから」
闘技場の控え室。そこで銃剣のような武器の手入れをするあの女性ハンター、ルーシャさんは、ボクにそう言っては優しく微笑みかけてくれた。そっと伸ばした手でボクの頬を撫でては、彼女は「それに」と言葉を繋ぐ。
「君のような可愛い子がいたら、お姉さんはほっとけないの。もうほんとに可愛いなぁ」
「にゃ、にゃあ……」
いきなりボクにもふもふをかまし出したルーシャさん。その突然のスキンシップに、ボクは思わず困惑してしまう。
だけど、そのもふり方にはどこか既視感を覚えた。旦那さんのそれに近い、優しくて柔らかな触れ方。悔しいけど、少し心地いいと感じてしまうにゃ。
「ウルクススの素材が必要だったのね? ふふん、お姉さんに任せなさい。さぁ、行くわよ、イルルちゃん! イリス!」
「にゃ……!」
「ピィー!」
青まだら模様の銃剣を背にかけて、イリスと呼ばれた猟虫を腕に呼び。ルーシャさんは力強く、そう喝を入れた。ずんずんと進んでいくその姿。何だかとっても頼もしいにゃ。
飼育員さんも納得し、他のハンターさんたちが名乗り出ることを抑えた。ルーシャさんの登場の効果はとても大きかったと見える。それは多分、それだけルーシャさんの知名度があるということなんだろう。多分彼女は、ドンドルマ有数の凄腕ハンターさんなんだにゃ。
「にゃ、ウルクススにゃ! あれが今回のターゲットにゃね」
「あちゃー、何か氷まで散らばってるわね。さては檻に用意されたものを持ってきたのか、ドジな飼育員が落としたのか……」
歯車の悲鳴が鳴り響く控え室。そこを出れば、闘技場でのんびり散歩するウルクススに鉢合わせた。いくつもの氷塊を周りに敷いてはのそのそと歩くその姿。何ともマイペースなモンスターだにゃ。
そんなウルクススに向けて、ルーシャさんは背中の銃剣を構えた。猟虫がいるってことは、あれは操虫棍に属する武器なんだろう。銃剣タイプは珍しいけれど。
「とりあえず、一発!」
その銃剣の先から、インクの塊のようなものが射出される。猟虫を操るに当たって重要になるもの――印弾だ。
それが鼻ぱっしらで炸裂し、ウルクススは仰け反るように悲鳴を上げた。そうしてボクたちに気付いたようで、のっそりと立ち上がっては低い唸り声を奏で始める。
同時に伝わってくる、印弾の刺激臭。猟虫の目印となるその強烈な臭いに、ボクは思わずたじろいでしまったにゃ。
「来るわよ、イルルちゃん!」
「にゃ、にゃ!」
突然、散らばる氷に腹を這わせ始めるウルクスス。そうかと思えば、勢いよくこちらに突進を繰り出した。氷海でスカウト待ちしていた頃によく見た、ウルクススの滑走突進だ。
ルーシャさんの発破を受けながらも横に跳んでその射線から退避するボク。しかし、ボクにそう発破をかけたルーシャさんはといえば、余裕の表情でウルクススを迎えようとしていた。ふふんと、小さく鼻を鳴らしながら。
「さぁお行き、イリス!」
「ピュィ!」
甲高い声で返事をするイリスという猟虫は、羽を震わせては腕から飛び立つ。その小刻みな羽音と共に、こちらに滑ってくるウルクススの、その鼻へと突撃した。印弾の着弾点に、正確に。
それと同時に、ルーシャさんも前へ出る。ウルクススが猛然とこっちにやってきているというのに、勇ましく前へ。
そうして、彼女もまた、ウルクススの鼻へ跳んだ。
「はぁっ!」
「にゃ、にゃあ!?」
踏み出したのは、その細い右脚。白い装甲で包まれたそれで、彼女はウルクススの鼻を踏み付けた。そうして、勢いよく跳躍する。
何ということか。彼女はウルクススを踏み台にして、上に跳ぶことで避けたのだ。そうして、がら空きになった兎の丸いその背中に、長い長い銃剣を叩き付けた。回転する刃が、鈍い音を立てた。
「にゃ、にゃんて無茶な……!」
「これくらい普通よ! さぁ、どんどん行くわよ!」
縦回転をしながら着地を決めたルーシャさん。そこから、棍を振り回す連撃を叩き込む。
ルーシャさんの持つランポス武器は、斬れ味があまり鋭くない鈍重な武器。旦那さんはそう評していたにゃ。でも、鈍器として扱った時、それはあまりある威力を放つと――。
「むっ……!」
左肩の上を薙ぐように、力強く振り回した銃剣。それを地面に擦るように止めると、ルーシャさんははっと顔を上げた。その視線の先には、鋭い氷爪を振りかざすウルクススの姿が。
瞬間、彼女は振り抜いた棍を背後に突き刺した。そうして、その棍を軸に跳躍。蝶のように、白い曲線が宙を舞う。
バックジャンプ。棍を用いたバックジャンプで、迫り来る爪を躱したのだった。そのまま、宙で再び銃を撃つ。
「にゃあ、格好いいにゃ!」
「なんのっ、もういっちょ!」
ボクが歓声を上げる中、ルーシャさんはさらに棍を振った。刃先とは逆の、肩当となった銃の先端。ぼうっと、そこを光らせる。
その瞬間、再びイリスが羽を鳴らした。一直線に滑空するイリス。その小さな体が、ウルクススの身に傷を入れる。
着地するルーシャさんの腕に、役目を終えたイリスが舞い戻った。ふうっと、銃口から溢れる煙を散らすルーシャさん。とってもスタイリッシュなのにゃ。
「むむ、ボクも負けないのにゃ!」
爛々と対抗意識を燃やし、ボクも背中の武器を振り抜いた。勢いよく宙を裂くそれは、ウルクススの柔らかい肉を斬る。肉の感触は、柔らかい食感の出るお肉のそれにゃ。
なんて旦那さんのようなことを考えながら、ブーメランを二本取り出した。すれ違うように振った剣を口で咥えつつ、両手のブーメランを投擲する。新たな外敵を認知したウルクススのお尻突進。そのお尻に、二本の刃が勢いよく突き刺さった。
「やるじゃない、イルルちゃん! よし、その調子で畳みかけるわよ!」
「了解ですにゃっ!」
ルーシャさんが銃を乱射し、隙を作る。その隙を縫うように、ボクは剣を振り、ブーメランを投げた。
振った反動で少し硬直するボクに、ウルクススは容赦なくその巨体をぶつけようとしてくる。そこに入り込む、イリスの猛突進。ルーシャさんとの波状攻撃。ナイスなコンビネーションだにゃ。
「……っ! イルルちゃん、ガードして!」
「みゃっ? にゃ、はいにゃ!」
振り被った剣を、言われるがままに顔に寄せる。鋭い注意喚起に応えるようにして
突如訪れる、横滑りをするようなタックル。ウルクススが周囲を薙ぐように滑走したのにゃ。
地面に散らばった氷を削るように繰り出したそれは、激しい砂埃を上げながら乱回転する。巨体も相まって、その勢いは強烈の一言だったにゃ。ボクの体が軽く吹っ飛んでしまうくらいに。
「にゃわっ!?」
「イリス! イルルちゃんをカバーするわよ!」
「キュピィ!」
一回転したその体を、鋭い爪で地面に留める。そうして急停止したウルクススをキッと睨みつけたルーシャさんは、再びイリスを飛ばした。ウルクススに負けじと乱回転するイリスに、兎の小さな悲鳴が上げる。
そうして気を引いて、逆に自身から注意を逸らしたルーシャさん。その隙を縫うように、彼女は力強く剣を刺した。ウルクススに───では、ない。彼女の足元の、その先に。
あんな場所から跳躍かにゃ? 距離が空きすぎて、そこで跳んでも届かないのでは。そう思った、その瞬間だった。
「やあっ!」
ただ少し違ったのは、彼女が勢いよく走っていたこと。
それが功を奏したのは、跳んでからだった。ただ前へ、できるだけ前へ。
ネコの剣術の中に、大車輪のように縦回転を繰り出す技がある。彼女の動きは、それに瓜二つだった。走る勢いを、操虫棍の伸縮性を利用した大ジャンプ。それが前へ前へ、剣を振り回す突風へと成り変わった。
「凄いにゃルーシャさん……。旦那さんとは違う、繊細な身のこなしにゃ……ゴリ押し旦那さんとは違うにゃ。にゃ、ボクだって、カバーされてばっかじゃ嫌にゃ!」
剣を口に咥え、両腕を地に付ける。
二本足じゃ、遅いにゃ。追い付くためには、四本足の全力ダッシュなのにゃ。
「───え、ちょっ、跳ん……っ!?」
慌てて走る矢先、勢いよく飛び上るウルクススが見えた。丸い巨体が宙を舞い、その豊満な肉付きのお尻を落とす。あまりの勢いに、地面が揺れ響いたにゃ。
その衝撃で体勢を崩されたルーシャさん。受け身もとれず尻餅をついて、大きな隙を晒す。そこへ牙を剥くウルクスス。まるでハグでもするかのように、その両腕を大きく広げた。アオアシラにも見られる、牙獣種特有のあの動き。それが一心に、ルーシャさんへと襲い掛かったのにゃ。
「ちょっと待ったにゃー!」
右手で武器を持ち直し、左手でブーメランを引き抜いて。
そうして繰り出した突進回転乱舞。ハグをする瞬間のウルクススのその腹に、ボクは両の刃を叩き付けた。
悲鳴を上げるウルクスス。
舞い上がる血飛沫。
赤く染まる白毛。
突き刺さる、ブーメラン。
「ここにゃ!」
ルーシャさんの真似をするように、ブーメランに足を掛けてみる。それを踏み台にして、ボクは兎のその上へと跳躍した。
――旦那さんの真似をするかのように。旦那さんのお師匠さんに教わったように。
背中のポーチからまたブーメランを取り出して、左手に収める。右の剣も、左のブーメランも。逆手で握り直したそれを、今度は重力に従うままに、ウルクススに振りかざした。ざっくりと、肉を断つ感触が手に残った。
◆ ◆ ◆
「……うんうん、良い感じの味だにゃ」
ドンドルマ居住地の、一軒家。そこのキッチンで鍋と向かい合っては、ボクは思わずそう漏らした。
そんなボクの目の前には、小振りな鍋が一つ。そこで煮え滾るおかゆの柔らかな香りに、ボクの髭はピクピクと
細かく刻んだげどく草に、おろし状に擦り下ろした山菜組大根。お腹に優しい野菜の中で一際目立つ、白兎獣のもも肉。食べやすいように細かく刻んだそれを落とし、じっくり炊いたそのおかゆは、柔らかで温かい、優しい香りで満ちていた。
「ちょっと味見にゃ……」
猫舌には厳しいアツアツなそれを、レンゲでそっと掬う。ふぅふぅと小さく息を吹きかけながら、ボクはゆっくり口を閉じた。
閉じられた世界で充満する、おかゆの香り。トロトロになるまで煮込まれたウマイ米の香りが、すぅっと、ボクの鼻孔を突き抜けた。お米が炊けるあのクセになる香りとは違う、柔らかさが強い仄かな香り。それと同時に広がる、お米の薄い旨み。いつものもちもちした食感がないために少し困惑してしまうけれど、その味わいはお米そのものにゃ。
味付けは、醤油とごま油。そこに出汁と生姜やネギをちょこっと入れて、とどめにウルクススの肉汁をじっくり融かす。そうしてできた味わいは、インパクトが薄いながらも、しっとりと舌に塗りたくるような旨みでできていた。良く言えば淡泊、悪く言えば味が薄い。でも、病人のためのご飯なのだから、食べやすさが一番なのにゃ。
すっかり柔らかくなったげどく草も、お米とお肉に溶けた大根も、温かなおかゆに溶けている。まさにこれは、お腹に優しいご飯なのにゃ。これなら旦那さんも、きっと食べれるにゃ。
「……旦那さん、お邪魔しますにゃ」
こそっと、旦那さんの寝室にお邪魔した。
お腹を痛めて苦しそうに唸っていた旦那さん。そんな彼に、少しでも早く元気になってもらいたい。そんな想いを込めて作ったのにゃ。
何とか起こして、これを食べさせてあげたい。旦那さんは、起きてくれるかな?
「……イルルか」
――けれど、そんな心配は杞憂だった。部屋に入れば、上半身を起こして窓を見る旦那さんの姿があったの。相変わらず顔色は良くないけど、平静を保てるくらいには回復しているようにゃ。
そんな彼がボクの方を振り返る。少し落ち着いた表情の旦那さん。何だか久しぶりに見た気がするにゃ。
「旦那さん、ボクおかゆを作ったのにゃ」
「あぁ、匂いで分かったよ。何だかとってもいい香りがするな。心が安らぐような……」
「にゃー、味の方も自信ありなのにゃ。それはそうと、調子はどうにゃ?」
「まだまだ気持ち悪いし、頭が痛いよ。それ食べたらまた寝させてもらうな」
「わ、分かったにゃ……。早く良くなってにゃ、旦那さん」
左手には器を乗せて、右手にはレンゲを持って。
そうしてベッドに腰かけては、旦那さんのすぐ隣を陣取った。肩が触れるくらいの距離に身を置いて、早速器にレンゲを落とす。ホカホカとしたおかゆを乗せては、それを旦那さんに向けて伸ばした。
それをさもいつも通りのように、旦那さんは口にする。目を閉じてはもぐもぐと顎を動かす彼の姿。何だか、テストされてるような気分だにゃ。
「ん、あったけぇ。……何か、あっさりしてていいな。食べやすいや」
「そう言ってもらえて良かったにゃ! 安心したにゃあ」
「これは……げどく草か? ずんぐりとした苦味が良い感じ。んで、これは……肉? 何の肉だこりゃ」
「ウルクススのお肉、入れたのにゃ。柔らかく煮込んだから食べやすいとは思うけど……」
「へぇ、白兎獣か。もしかして、獲って来てくれたのか? 有り難うな」
「にゃ……」
そっと、旦那さんがボクの頭を撫でてくれたにゃ。優しく、ゆっくり、擦るように。
いつもより熱い旦那さんの手だけど、やっぱり大きくて、逞しくて。そのくせ優しい手付きで撫でてくれるのだから、そのギャップが何だか微笑ましいのにゃ。旦那さんに撫でられるの、大好きにゃ。
「一人で狩ってきたのか? 氷海まで行って?」
「にゃにゃ、闘技場の子にゃ。それも、成り行きでハンターさんに手伝ってもらったのにゃ。友達になってくれたから、今度紹介するのにゃ」
「……俺が寝てる間に、色々あったんだな。イルルの友達か、楽しみにしてるよ」
一人前のおかゆを、ペロリと平らげた旦那さん。気持ち悪いとか頭痛いとか言う割に、お腹は正直なのにゃ。
軽くボクをもふもふしてから、旦那さんはまた横になってしまった。
今では、ボクの目の前で小さな寝息を立てている。いつもの豪快ないびきではない、小さな小さな寝息。やっぱりまだまだ苦しそうなのにゃ。
そんな旦那さんの寝顔を、ボクはしばらく見つめていた。顔色が悪いとはいえ、どこか安心した様子で眠る旦那さん。ご飯を食べたからか、ボクをもふもふしたからか。
後者だったら、嬉しいな。
「……イルルー……」
「うにゃ?」
「大……ず……」
「ず?」
「……大好きだぞ~……」
「にゃっ?? え、旦那さん?」
「……んごご……」
「……何だ、寝言かにゃ……」
もぞもぞと身を捩りながら、旦那さんは再び小さな寝息を立て始める。いつもの旦那さんらしくない、弱々しい姿だ。だけど、それが悪いとは思わない。それどころか、何だか庇護欲が掻き立てられるような、そんな気さえしてくる。
そっと添えた肉球に、微かに触れた旦那さんの頬。ぴくっと身じろぐ旦那さんのその鼻に、ボクはもう一度自分の鼻を押し当てた。
「旦那さん……ボクも、旦那さんのこと大好きなのにゃ」
――それはきっと、旦那さんの“好き”とは違う“好き”なんだろうけど。
それでもボクは、旦那さんのことが“大好き”なのにゃ。
~本日のレシピ~
『イルル流毒消し粥』
・ウマイ米 ……1.5合
・醤油 ……適量
・水 ……2L
・ごま油 ……5cc
・山菜組大根 ……40g
・白兎獣のもも肉 ……25g
・お出汁 ……適量
・塩 ……お好みで
・生姜 ……8g
・ネギ ……6g
素でスキル:グルメが発動するチート性能シガレット氏。
まぁ、普通に考えれば着こなす防具で体質が変わるのもおかしな話ですが。むしろこういう元々の体質・技能ということで片付けた方がしっくりくるスキルも幾つかあると思います。グルメはその筆頭かな、と。
ルーシャさんベリオX装備に無属性武器(突撃銃剣【巴蛇】)。まぁ兎に氷武器担がれても困りますけど。創作をする上では、上のようなスキル云々よりファッション性や強度を重視した方がしっくりきます。
イルルちゃん、ルーシャさんにもスカウトされてそうですね。モテモテかよ。エリアルネコ楽しみでございます。
それではまた来年の更新で会いましょう。良いお年を!