ゲソ焼き美味しい。
空間が走る。何も無いはずの、誰もいないはずの空間が、這いずるように走ってくる。
それは、四本の脚をもっていた。太く力強い形に、粘つくように不気味な表皮。それが、忙しなく動いては巨体を走らせる。
背中には、一対の翼。薄い膜を羽ばたかせ、エリアを覆う霞をふわりと舞い上げる。
伸び切った首には、ギョロギョロと光る二つの目が。全く同調しない動きで周りを見ては、ゆっくり俺に向けて焦点を合わせてきた。
そうして
「……てめぇ……ッ!」
即座に抜いたテオ=エンブレム。霞を塗り潰すように濃厚な橙が、大気が染め上げた。滑るように走るそれが、湛えた粉塵をそのままに、忙しなく動くその双眼へ向けて吠える。
───原生林に、爆破の花が咲いた。
「ニャ―! な、何ごとニャ―!?」
「ば、爆発ニャ! 誰ニャ爆弾使ったの!」
「な、何!? どうしたの!?」
霞が爆風によって吹き飛ばされ、このエリアが澄み渡る。霞を塗り替えるような爆風に、湧き出る泉を波紋を描く。
手応えを感じる左手で頬についた水滴を払っては、小さく息を吐いた。その後ろから現れる、突然の事態に驚いたヒリエッタたち。舞い上がる水滴を浴びては、さも不思議そうに口を開けている。
「シガレット……一体……」
「───俺の肉が盗られた」
「……は?」
間の抜けた声が飛んだ。
一体何を言っているんだと言わんばかりの彼女の声。周りのアイルーたちも、同様に動揺を含んだ鳴き声を漏らしている。ニャア、ミャアと、忙しなく。
「今から食おうとしてた肉を、アイツが盗ったんだ! 許せねぇ!」
「アイツ……?」
唐突に、羽ばたく音が響いた。バサバサと、邪魔なものをどかすような荒い音。そうかと思えば、煙たくも舞い上がっていた粉塵が舞い散っていく。視界を汚す色が抜け、目の前が鮮明に映った。
奴の姿が露わになる。湿っているような、潤っているような、不思議な質感が目立つ皮膚。毒々しい紫に彩られたそれが、ゆったりと動いた。
見たことのないモンスターだ。喉を震わせるような声も、聞いたことがない。
「……嘘、まさか」
「あ? 知ってんのか、コイツを」
「シガレット、分からないの!? これ……これは……!」
キャアアァと、不快な声を漏らした奴。かと思えば、その後足で立ち上がる。体高を伸ばし、一体何をするのかと身構えれば、飛んできたのは再び霧。
例えるなら、凍土や氷海にいる時に吐く息が白くなる、アレだろうか。そう思わずにはいられないほど露骨に白い息が、奴の口から漏れた。そうしてみるみると、消えたはずの霞がこのエリアに沸き立ち始める。
まさか、まさかこの霞は。
「……コイツが吐いてたのか……?」
「ま、間違いないわ……シガレット、あれはオオナズチよ!」
「何だそれ」
「嘘、ほんとに知らないの!? オオナズチってのは別名霞龍って言ってね───」
彼女の言葉を繋ぐように、オオナズチと呼ばれた目の前のモンスターは唸った。かと思えば、ゆっくり後ずさり始める。一歩、また一歩と俺から離れていき───
その一歩を踏み出す度に、色が薄くなっているように感じた。気のせいだろうか? 目の錯覚だろうか? そう感じるや否や、慌てて俺は目を擦る。
開いた両目。一度体勢を立て直した視界。
だが、そこに奴の姿はなかった。霞のように消えていた。
「……は? アイツどこへ……上か!?」
「違うわ、消えたのよ! 聞いて、オオナズチってのは古龍なの!」
「……古龍?」
「そうよ、霞隠れする身体機能があるの。簡単に言うと、見えなくなる!」
見えなくなる。
前にも横にも、後ろにも。上を見上げても奴の姿はない。下も、生き物が潜るあの特有の振動はない。文字通り奴は消えている。否、見えなくなっている───?
「ニャ、ハンターさん! 後ろニャ!」
「うし───うおッ!?」
ネコの声に尻を蹴り上げられ、ハッと振り返った。
そんな俺の視界に肉薄する、鋭い何か。まるで鞭のように撓り、風のように唸る。それが浅く、俺の腹を突いた。
「うがっ……ってぇな!」
「背景同化……いや、透明化……!?」
「どっちでもいい! とにかく見えなくなるんだろ! ……って、あれ?」
「え、何、どうしたの?」
「───ホットドリンクが、なくなってるぅ!?」
「へ?」
ポーチが少し軽くなったような感触。それに気付くと同時に、ポーチに空きができていることに気付く。
帰りの竜車で飲もうとしていた分のホットドリンクが、ポーチから消えている。代わりに、糸引くような謎の液体が、まるで涎のようなものがべっとりと───
ばっと上げた視界には、確かにビンを噛み砕くオオナズチの姿があった。魂込めて調合した赤い飲料が、虚しくも奴の喉を滑っていく。パリンと、ガラス瓶が地に落ちた。
「……ッッッふっざけんなァァクソがアアァァッッッ!!」
抜き放った両の剣。霞を滑るように、俺の両手が走り出す。
若干引きながらもじりじりと後ずさるヒリエッタ。オオナズチのせいか、はたまた俺のせいか。怯えるように、巣に逃げ込むアイルーたち。
それらが全て、流線状に流れていく。超速度の視界が、激しく揺れる。
回転するように斬り込んだ刃は、鈍重な感触を腕にもたらした。まるで分厚いゴムでも斬っているような、そんな気分だ。斬撃というより、もはや叩き付け。そんな気さえしてくる。血は確かに吹き出ているが、逆に言えばその程度である。
右の剣を振り抜いて、それが肉の上を走り切れば、次に左手の剣を振る。両の剣が十字を描き、両腕が交差したならば、今度はそれを返すように振り払った。
「……うおっ、前脚か!」
突然振り上げられる、紫色の物体。そうかと思えば、まるでゴムの塊のようなそれが、邪魔なものを打ち払わんと飛んでくる。古龍骨格特有の前脚だ。
横に伸ばし切った両腕を、瞬時に戻す。そうして右の剣でその太い爪を迎え、左の剣で手首らしき盛り上がりを滑らせて───
その鈍重な動きに対し、どうしてここまでの威力をもっているのか。異様に感じるほどの衝撃が、俺を殴り付けた。だが、俺は敢えてその衝撃を受け入れるように、後ろに跳ぶ。同時に奴の腕に当てた剣でその軌道をずらし、襲い来る衝撃をいなした。
いなし、跳び、奴との距離を開ける。その勢いで右の剣を盾に戻し、空いた右手を左の柄に添えて───
「───来るッ!」
瞬時に伸びた、舌。俺のポーチ目掛けて飛んでくるそれを、横に跳んで躱す。その勢いのまま走り出し、奴の側面に回り込んだ。
がら空きになったその脇腹。そこへ向けて、この重厚な剣を振り上げる。
片手であまり斬り込めないなら、両手ならどうか。飛び上って、重力も加えた斬撃ならどうか。そういった思考をまとめ、一太刀に変える。
「はあッ!」
そうして振り下ろした斬撃は、本日一番の手応えを俺にもたらした。両腕に、肉を斬るあの何とも言えない感触が伝わってくる。皮だけではない、その奥の肉も裂く、重苦しいあの感触。
───それと同時に、奴が動く。迸る傷が、原生林に溶けた。吹き出た血だけが残り、緑を赤に塗り替えていく。
「また消えたか……! どこだ、どこに……ッ!」
「シガレット、危ない!」
突然響いた、ヒリエッタの声。それと同時に、奴の甲高い声が耳に届いた。それに反応して振り返った先には、かぱっと口を開ける奴の姿。薄く霞んだ紫色の何かが、水蒸気のように舞う。何かが飛んでくる───
「どっ……せいっ!」
それを浴びかねんとするその瞬間、唐突に奴がよろけた。ヒリエッタの力のこもった声と共に、奴がよろけた。
長い首が痛みに悶え、激しく揺れる。そうして照準が乱れ、見当違いな方向に散らされた霞。白い霞を塗り替える、毒々しく染まった紫煙。宙を舞う赤い花弁が、水蒸気状に舞うその液体に塗れ、激しく爛れていく。
「……何だありゃ。毒か?」
「シガレット、無事!?」
「おう、助かったぜ。すまないな」
奴がよろけたのは、ヒリエッタの一撃のおかげのようだった。あの奇妙な形に歪曲した尻尾。そこへ溜め斬りを叩き込み、ものの見事に奴を怯ませる。ヒリエッタのとった手段は、これだった。
見れば、いつものジンオウUシリーズを身に纏ったヒリエッタの姿がそこにある。まだ若干湿ったそれに、心なしか彼女は落ち着かないようだが。
「何でまた古龍なんかに……」
「お前が呼び寄せてるんじゃね? 運が良いのか、はたまた悪いのか」
「少なくとも、狙われる分には良いとは言えないわね……っ!」
突然の乱入者に鼻息を荒げるオオナズチ。そのギョロギョロとした瞳を見ては、ヒリエッタは憂鬱そうにそう呟いた。
古龍なんて、そうそう会えるものじゃない。一生の一度に数回か、そこら。一度も会えずにその生涯を閉じるハンターだって少なくない。大変珍しいとされる亜種モンスターの、その上をいく希少さだ。
そんな存在が、今目の前にいる。俺の飯を奪った不届き者として。
「食い物の恨みは恐ろしいってことを分からせてやる……手を貸せ、ヒリエッタ」
「馬鹿なの? コイツがここの異常の原因、それも古龍よ。ここは撤退する方が懸命だわ……!」
「……じゃあいいよ、俺だけでやる」
霞が溢れ、防具に水滴が垂れる。
いや、霞のせいではない。いつの間にか、再び雨が降り出していた。土砂降り一歩手前のような勢いで、雨が霞を深めていく。
そんな悪条件に塗れた景色の中で、鎌首を
「ちっ、ゲロかよッ!」
その上を、跳躍回避。背後から、水が水に落ちる重い音が響いた。
その水しぶきを背中で感じながら、俺は左の義足で大地を強打。縮まったスプリングが伸び上がり、俺の体を上へと押し上げる。
突然肉薄するハンターに驚いたのか、当のオオナズチは奇妙な声を上げた。
「これならどうだ……ッ!」
俺の生肉を、そしてホットドリンクを飲みこんだ、憎き口。そこへ向けて、粉塵を充分に湛えたテオ=エンブレムを叩き付ける。
口内は外皮ほど固くはないのか、思ったよりも刃が入り込み、その分大きく血が舞った。歯が欠けたのか、折れたのか、小さな破片が飛び散って───
同時に弾ける、その粉塵。一振りの斬撃は猛烈な爆風となり、その頭を吹き飛ばした。
「あぁもうしょうがないわね!」
怯み、隙を晒したオオナズチ。そんな奴の背後に回り、ヒリエッタは愚痴をこぼしながらも剣を振った。太く、奇妙に巻いたその尾が、激しく軋む。
ゼンマイのような、軟体生物の足のようなそれが、煌剣リオレウスの炎でじゅうっと焼けた。心なしか、良い匂いがした。
「おぉ! 信じてたぜ、ヒリエッタ!」
「うっさい! 軽口叩くな!」
「来てくれたなら丁度良い。ヒリエッタ! 背後から力いっぱい刻んでくれ! 俺はコイツの注意を引く!」
「何さ、アンタが囮役をやるの!? まぁ私は構わないけど、さっ!」
斬撃より、爆破より、炎の方がよく効きそうだ。そう判断した俺の言葉に、強溜め斬りを叩き込んだヒリエッタは荒っぽく、されど力強く返事をする。一方のオオナズチはといえば、何とか立ち上がり、ギョロリと俺を見た。
口の中で爆破を受けたというのに、奴はそれもあまり気にしていないようだった。カァッと口を開け、その中で潜む長い長いあの舌をチラつかせる。ポーチの中身を狙うように、ゆっくりと。
「……もう食いもんはやらんからな!」
振った頭と共に振り回される、鞭のようなあの舌。右から左へ、凄まじい勢いで振り払われるそれを、三角飛びで跳び避ける。俺の腹スレスレで、舌が宙を薙いだ。
そうして開けた、奴との距離。上下が反転する視界。
危機を避けたことに対する一時の安心感で小さく息を吐いた瞬間、奴がもう一度頭を振った。今度は左から右へ、舌が走り出す。
「チィ……!」
その後ろで立ち上がる炎の熱に顔を歪めながら、今度は右手の盾を振り上げた。滑るように磨かれたその盾で、奴のその撓る舌を防ぐ。
直接弾くのではなく、表面を走らせるように。そうして衝撃を押し殺し、俺はその反動をバックステップで受け流す。舌をいなし、距離を開けた。その向こうで、また一つ熱が湧く。ヒリエッタによる、強烈な溜め斬りだ。
「うっ……やっぱバレるっ!?」
その衝撃にとうとう堪忍袋の緒が切れたのか、オオナズチはゆっくりと背後に首を向けた。しかし、そのまま体まで向かないように、再び剣を握り締め───
いなしの反動をそのままに、俺は前へと駆け出した。そうして、今度は両手の剣をスッと抜く。チラつかせる両刀に気付く、オオナズチの右目。ぎょろっと動いたそれが、もう一度俺に意識を向けた。
「オラァ! こっち見ろォ!」
振り上げた両の剣。
右の剣を振り下ろし、左の剣を振り払った。初手で奴の皮を剥ぎ、その鈍重な皮膚に切り込みを入れる。
振り払った勢いのまま、今度は身体を左に一回転。その勢いに釣られ、右の剣も風を薙ぐ。遠心力のままに、走る切っ先はその切り口をさらに開いた。
「うらぁッ!」
浮いた右脚を、大地に擦り付ける。それを軸に、今度は逆方向に体を回した。ただ少し、今度は左脚を前に出して───
前へ切り込む、回転斬り。広げたその切り口をえぐるように、前へ。
「たぁっ!」
反対側からは、ヒリエッタの威勢のいい声が響く。溜め込んだ力を解放するように、渾身の一撃を奴の尾に執拗に与えていた。
燃え盛る火炎も相まって、手痛い傷を与えているらしい。甲高い悲鳴を上げる奴が、それを証明している。ただの煌剣リオレウスでここまでの火力を引き出すとは、つくづく恐ろしい女だ。
俺が注意を引き、ヒリエッタが斬る。単純なようで理に適ったこの戦法は、目の前のオオナズチに充分通用した。このままいけば、きっと───
◆ ◆ ◆
「ハァ……た、タフ過ぎだろ……」
「ダメだわ……持久戦じゃ、負ける……」
肺が苦しい。視界が霞む。鎧を打つ大雨が、痛い。
何度も何度も斬り付け、何度も何度も焼いた。俺が注意を引いて、ヒリエッタが振り被って───
それでも奴は、倒れない。体中に傷を刻もうと、尾の先がえぐれようと、奴は全く衰えを見せなかった。
「いい加減、倒れなっ、さいよ!」
何時かのキリンの時のような状況に嫌気が差したのか、ヒリエッタは声を荒げる。そうして、後ろに振り上げた剣を叩き伏せた。鈍い刀身に奴の尾が触れ、その傷をさらに斬り開く。
直撃だ。尻尾、というよりその傷に。丸見えになった中の肉を、さらに裂くようなその一撃。会心の一太刀であることは、間違いなかった。
だが───
「───え?」
「───は?」
立った。ヒリエッタの言葉とは裏腹に、奴は突然立ち上がった。
頭に血が昇り、濃霧を撒き散らしたあの動き。頭を高く上げる姿は、始めに見たそれとよく似ている。唯一違うのは、その口に含まれているのが、紫色の何かであること───
「───────ッ!!」
直後、何かが俺を打った。
凄まじい風圧───いや、水圧だ。水蒸気状に拡散された奴の毒液、それがあれの正体らしい。その勢いはもはや気体の範疇を超えており、粒子化した水ブレスのような、そんな錯覚さえ覚える。ガノトトスの水ブレスと何ら変わりない激流だ。体が二つに分かれそうなくらいの、猛烈な勢い。
───だが、本当に恐ろしいのはここからだった。
「……チッ……うっ、何か、気持ち悪っ……!?」
モロに浴びた俺は、衝撃と共に猛烈な吐き気に襲われた。
鼻腔の奥に腐った果実を詰められたような、そんな奇妙な感覚。全身が震える。痛い、寒気がする。
「……くぅっ、シガレット……!」
苦しそうな声が、原生林に響いた。背中を崖に叩き付けられたのか、崖下で伏せているヒリエッタ。彼女が悲痛な声を絞り出している。
一方で、真上から響く、喉を震わすような声。吐きたいものを吐いてすっきりしたと言わんばかりの表情。それで顔を埋める奴───オオナズチは、満足そうな声を上げた。
「何だったんだ……今の、ッ……」
撒き散らした。
散布するように放ったあの毒霧を、首を振り回しては撒き散らした。奴がとった手段は、それだろう。
あまりの衝撃に、一体何が起こったのか分からなかった。気付いた時には、これだ。
───これが、オオナズチか。
足音が響く。
巨体が大地を踏み締める、力強い音。歩く度に水が跳ね、波ができる。それが地に伏せる俺の頭を撫でた。
霞龍、オオナズチ。姿を眩まし、強烈な毒を操る龍。珍妙な見た目をしているくせに、名に恥じぬ強さを持つようだ。あの淆瘴啖と同等か、もしくはそれ以上か───
「ニャ―、ハンターさん! これを!」
霞みゆく意識の中で、ネコの声が響く。どこか気の抜けた音色と共に。
この音は、聞いたことがある。イーオスの涎を浴びせられた時。リオレイアの尾を受けた時。そんな時に聴こえる、あの音。オトモアイルーがよく吹いている、あの笛の音色だ。
薄く青い粉塵が、笛から舞い散った。音色によって大気に拡散されるそれが、空気に紛れ込んでは俺の中に入り行く。少し、身体が軽くなったような気がした。
「……解毒笛、か。お前ら……」
若干和らいだ痛みを抑え込み、何とか体を起こす。軽くなったように思えても、まだまだ重い。立ち上がるには、もう少し時間が掛かりそうだ。
───不意に、水が飛び跳ねた。オオナズチが、歩き出したのだ。驚いては笛を落とす、アイルーに向けて。
「ニャ、ニャニャッ!?」
「……チィ、待てこの泥棒が!」
「や、やめて……っ!」
伸びる舌。ぎらつく眼光。舞い上がる、巨体。
俺が起き上がるより、早く動いた奴。ヒリエッタが立ち上がるより、速く駆ける奴。その魔の手に怯え、動くことのできないアイルー。
絶体絶命だった。このままではあの子が、オオナズチに───
「───ぅぁッ!?」
その瞬間。オオナズチが大口を開ける、まさにその瞬間。
耳の奥が、キンとなった。まるで気圧が変わったかのような、鋭い感覚。何かが詰まったような、気持ちの悪い痛み。唾をぐっと飲み込んでは、その感覚を慌てて打ち消す。
それと同時に、突風が舞った。
大気を穿ち、風を裂いて、視界を掻き回す。そんな猛烈な突風が、このエリアに弾け飛んだのだ。本能を露わにして走る、オオナズチ───の、その尾に向かって。
「キュアァァッ!?」
瞬く視界の中で、派手に横転する奴の姿が見えた。霞を押し退け、水を撒き散らし、紫色の巨体が倒れ込む。
同時に舞い上がる、一つの影。まるでゼンマイのような、イカの足のようなそれが、ドボンと、俺の目の前に着水した。
───奴の尾が、斬れた?
「……なッ……?」
「───え?」
驚愕のあまり体が凍り付く俺。それに対し、どこか現実味を感じさせない声を漏らしたヒリエッタ。
騒ぎ立てるように増えゆく雨に、鼓膜を打ち付ける騒がしい雨音に、左脚の付け根が軋んだ。傷が疼く。いつの間にか本降りに戻っていた雨。凄まじい豪雨に、霞も散らされていって───
───不意に、鋼の唸る音が耳に届いた。擦れるような、響くような、耳障りな音。そうかと思えば、凄まじい突風が舞う。ヒリエッタの見上げる、エリア8───の、その崖の上の方から。
「きゃあっ!」
「ぐあッ!」
認識も追い付かない、その瞬間だ。目も開けていられないような、凄まじい衝撃が襲い掛かってくる。
耐えられないように、ヒリエッタは尻餅をつく。俺は俺で、立ち上がれない。視界が風で、激しく瞬く。
───そんな視界の中で微かに映ったのは、銀色に輝く何かだった。過剰なまでに広げた翼に、鎧を繋ぎ合わせたような強靭な体躯。この強風もまるで物ともしない、龍の姿。
「まさか……あれって」
「……嘘。もしかして───」
まるで鎧が擦れるような、そんな音。錆びついた空洞に吹雪がなだれ込むような、そんな空虚な咆哮が漏れる。
それは俺の脚と同じもの。この義足の基となったあの存在。ヒリエッタが会ってみたいと呟いていた、あの古龍。
「……クシャル、ダオラ……か」
悠然と現れた古龍、クシャルダオラ。突然の乱入者が、軋む鋼のような唸り声を上げる。
一方のオオナズチも、黙ってはいなかった。あの凄まじいまでの突風。それで自らの尾を切り裂いた外敵。崖の上のクシャルダオラを、そう認識しているようだ。
一歩、また一歩。オオナズチは歩き出す。もう俺にも、ヒリエッタにも、アイルーにも、全く関心を抱いていない。ただ一心に、高台で見下ろす敵だけを見ている。
「……クシャルダオラ……やっと、やっと───」
「伏せろ、ヒリエッタ!」
半ば放心状態でクシャルダオラを見る、もう一人の人物。念願の古龍にやっと会えたためか、まるで周りの状況が見えていない。鎌首を上げて、その喉奥で空気を圧縮している奴にも、彼女───ヒリエッタは全く警戒していなかった。
あの気圧は、何かマズい。きっと、何かが起こる。
そう直感した俺は、立ち上がりつつあるヒリエッタを再び押し倒した。背後で弾ける何かから、覆うように彼女を庇って。
「ひゃっ───」
「チッ……!」
凄まじい風だ。まるで台風がいきなり現れたかのような、そんな突風。立つこともままらない、強烈な風圧。そのあまりの威力に背中のマントが軽々と千切れ、無残にも粉々になった。
「───黒い、竜巻……?」
ボソッと、ヒリエッタが声を漏らす。
俺の背後に現れた風。ゆっくり近づくオオナズチを狙ったのであろう、気圧の塊。その様は、一体何を固めたのか分からない、真っ黒に染まった風だった。大気中の塵でも混ぜたのか、煤けた鋼の粉末でも入れたのか。
だが、そこにオオナズチの姿はない。大地を掘削するその竜巻の中には、いやその周りにも、オオナズチの姿はなかった。一体どこに行ったのか───
「……ッ! 上か!」
飛翔する、半透明の何か。
ぼやけた輪郭線に、曖昧な色。半透明の奇妙な物体だが、それは確かにオオナズチの姿をしていた。先が欠けた尾を振り撒いて、崖上のクシャルダオラに肉薄する。
───同時に、クシャルダオラも飛んだ。その巨大な翼をはためかせ、豪雨の中を泳ぎ始める。二頭の古龍が、空を駆けた。
唸りながら、吠えながら。そうして二つの影は、瞬く間に原生林の闇の中に消えていく。あれだけの巨体が、空を覆う雲の中に溶けてしまった。俺たちのことなどまるで見えていないように、あっさりと。
このエリア3には、もう奴らの気配は無い。あるのは、うっすらと残る霞と、未だ激しく振り付ける強烈なスコールだけだった。
◆ ◆ ◆
「……凄い。アレが古龍……アレがクシャルダオラ。……かっこいい」
夢心地な様子で空を見上げるヒリエッタは、微かにそう呟いた。
どんよりとした雲で覆われる原生林。古龍の気配こそ無くなれど、未だここには他のモンスターは現れていない。依然として異常な状況だ。
───それでも、目に見える脅威は撃退できたと言っていいだろう。この原生林の異常、それは巨大化したババコンガなど全く関係なく、あのオオナズチ。そして突如乱入してきたクシャルダオラが原因だったのだ。
まさか二頭の古龍による影響だったとは。今頃古龍観測隊も大慌てだと見える。
「大丈夫か? ぼーっとして」
「……うん、大丈夫」
「何か、夢見る乙女みたいな顔してんぞ」
「え、そう? えへへ……」
「……良かったな、クシャルダオラに会えて」
「うん……っ! 嬉しかった! 格好良かった!」
「お、おう。流石だな……。俺は少し寒気がしたぞ」
「え、まぁ、そりゃあ私だって怖かったわよ。……古龍の前では、人間なんて蟻みたいにちっぽけな存在なんだね」
「……そうだな。あんだけ懸命に戦ったのに、オオナズチだってクシャルが来たら俺らのことガン無視だもんな」
「まぁ、そのおかげでネコちゃんが助かったのは、結果オーライだけど」
「間違いない、終わり良ければ全て良しだ」
「うん。……だからといって、さも当たり前のように古龍まで食べようとしないで欲しいな」
「ん?」
じっくり丁寧に焼き上げた、オオナズチの鞭尾。串に刺しては火にくべていたそれを見て、ヒリエッタは呆れ声を漏らした。
見た目は、紫色のゲソだ。ゼンマイのようにも見えるが、弾力性のあるその身がどうも軟体生物らしさを感じさせる。渦巻いているその様は、タコ足のようにも思えるが。
醤油、砂糖、酒、そして生姜おろしと山菜組大根おろしのブレンド。それらでじっくり味付けしたオオナズチの鞭尾焼きは、色さえ除けば巨大化したゲソ焼きそのものだった。香ばしいその香りは、屋台で見かけるゲソ焼きのそれ。ダイレクトに食欲を刺激する、凶悪な香りだ。
「見ろよこれ。うんまそうだなぁ……!」
「……オオナズチよ? 毒持ってるのよ? 普通食おうとしないわ」
「旨そうなものが目の前にあるのに、それを食わないのが普通なら、俺は異常で構わない。いただきまーす!」
思いきりかぶりついたそれは、何とも言えぬ弾力を顎にもたらした。
じゅうじゅうと香り溢れるその表面が、照り付けた炎によって香ばしく焼けている。その焼き目からは醤油や生姜の奥深い香りが飛び交い、その豪快な食感からは独特な味わいが溢れてきて───
苦味と渋味。何とも言い難い、奇妙な味わい。見た目とは裏腹にねっとりとした味が溢れ出すが、そのクセは中々に強かった。しかし、そこからじっくり、えも言えぬ旨みが溢れてくる。マカ壺で熟成させた肉のように、旨味が隅々にまで染み込んだ旨み。苦味やら渋味やらで口の中を掻き回された後で舞い降りるその旨みは、それらを考慮しても十分すぎる味と言えよう。
見た目はゲソ焼きのようでも、その味わいは随分と違った。あっさり、だったり淡泊さ、だったりとは程遠い、ねっとりと執拗に感じさせてくる旨み。えぐみといったクセの強さは、まるでホヤのようだ。黄金芋酒あたりと食べ合わせても、美味しくいただけそうな気もする。万人受けはしそうにないが、知る人ぞ知る珍味になり得るだろうか。
「ん……うん、なるほどなるほど……」
ごくりと呑み込んで、齧った身を胃に落とす。
中々どうして、満足感のある食べ応えだ。オオナズチの肉、悪くない。
「お、骨だ」
「え? あ、ほんと……」
「案外、尻尾って骨が太いんだな。食べられるところ、見た目より少なそうだ」
「……オオナズチに食材としての需要はないからどうでもいいわ」
齧っていくと、それほど間を開けず骨が顔を出した。この渦巻いた尾を描く、太い骨。骨の太さに対して驚くほど軽いのは、この骨の内部は空洞───ということか?
中々どうして、面白い食材だ。飛竜の肉とも、頭足類の肉とも言い難い独特の感触。貝類のような奥深さを感じさせながらも、長い時を掛けて仕込んできた重みを感じさせる肉の味。それは何といっても、肉らしさを感じる味だった。
キリン亜種に続いて、古龍を食べたのは二度目だが───古龍の肉というのも、悪くはない。他の肉では味わえない、何とも希少な風味───
「……ん? 何か、腹が───いてぇッ!? いで、いでででで……ッ!」
「ニャッ? ハンターさん、どうしたのにゃ!?」
「ニャ、ニャ。だ、大丈夫かニャー?」
「……はぁ、やっぱり。当たったのね……」
呆れたように頭を掻くヒリエッタ。驚いて、尻尾を膨らませるアイルーたち。
それらが視界に映りながらも、俺はどうすることもなく膝をついた。立てない、膝が動かない。体中が痛い。皮膚が剥がれ落ちてしまいそうだ。
まさか、毒? 解毒効果と名高い山菜組大根まで混ぜたのに、それでも毒は打ち消されていないというのか? 古龍の毒には、この大根じゃ通用しない───?
「ニャ―、ネコタク再開だニャー! ……って、早速仕事ニャ―!?」
狂竜症にも負けないくらい、訳の分からなくなった感覚の中。ガタガタとネコタクを引きずってやってきたネコタクアイルーの、驚いたような声が耳に届く。
言わんこっちゃないと、呆れたヒリエッタの吐いた盛大な溜息が、妙に耳に残っていた。
───オオナズチなんて、もう二度と食うものか。
倒れゆく視界の中で、霞ゆく意識の中で。猛烈な寒気と内側から炙られるような痛みを味わいながら、俺は静かに、そう誓った。
~本日のレシピ~
『霞鞭尾のゲソ風焼き』
・霞龍の鞭尾 ……1本
・醤油 ……バケツ1杯
・砂糖 ……超大さじ3杯
・酒 ……バケツ1/2杯
・ユクモ生姜 ……2~3本
・山菜組大根 ……1本
ブレイヴスタイル、レンキンスタイル……楽しみでしょうがない。
オオナズチにアイテム盗まれたらポーチの中涎まみれになってそうですよね。この前縁あってキリン(首長い方の奴)に手を舐められたんですが、それもまたベタベタと。めっちゃ糸引く涎で、何か、ね……。
オオナズチの肉って絶対食っちゃいけないやつ。山菜組解毒大根をもってしても、古龍の毒には敵わないのだ。それはそうと、オオナズチの尻尾ってイカタコの足みたいに見える……見えない?
オオナズチの尻尾って、蝸牛管らしいっすね。中に骨が入っているのを知ってちょっと書き方変えました。ナズチの尻尾は固かったり、バグなのか簡単に切れたりとよく分かりません。美味しそうですけど←
でわでわ。感想や評価、お待ちしております。今年の更新もあと1回かな。目指せ、年内で評価者100人超え!(高望み)