ウホウホ。
「……あれ、ヒリエッタか?」
大老殿。その食事席。
厳かな布で覆われたその丸テーブルは、これまた厳かな食事の数々で埋められていた。
巨大な鶏肉に、白金魚のお頭。桶のような皿に入った小籠包に、様々な副菜。完熟シナトマトの輝きが美しい、これまた見事な野菜の山。
ここは、G級ハンター専用の食事処。それも、これからG級クエストへ向かうハンターが英気を養うための場、である。ドンドルマの財力を担う人物が指揮するここは、市街やバルバレとは比較にならないほどの高価かつ鮮度の良い食材が並ぶ。俺の目の前で輝く食材の数々も、もちろんそうだ。
───それと同時に、その人物が居座る空間でもある。このドンドルマを治める巨大な竜人族、大長老、その人が。
「ムォッホン! では、主に任せることとする! 報告待っておるぞ」
「分かりました、行って参ります」
不毛な頭を振り上げて、豊満な髭を擦る大長老。そんな彼に向けて小さくお辞儀をする、ジンオウUシリーズの少女。
橙交じりの濃い金髪に、翡翠色の鋭い瞳。背に備えた大剣を鳴らしながら、彼女は大長老に背を向けた。あれは、もしかしてヒリエッタじゃないか?
「……あ、シガレット」
「…………よぅ」
トロトロとした果汁と、富みに富んだ味わい。爽やかな一口を思わせれば、薄く広がるような甘みを口いっぱいに広げてくる。それらを包み込む鮮やかな風味は、完熟という名を欲しいままにしていた。完熟シナトマト、侮れない。
それをごくりと呑み込みながら、俺に気付いては少し頬を綻ばせるヒリエッタに向けて軽く右手を上げる。挨拶の代わりに、そっと。
「相変わらずご飯ご飯なのね。あ、これ美味しい」
「おい、俺が注文した照り焼き丸鳥だぞ。勝手に食うなよ」
俺の横の椅子に腰かけては、勝手に俺の鶏肉串を食べ始めるヒリエッタ。五本セットだからいいものの、これが最後の一本だったら憤怒のあまり抜刀していたかもしれない。
「これが最後の一本だったら剣を抜くぞって、顔してるわ」
「……何でわかんだよ」
お見通しだと言わんばかりに目を伏せる彼女を前に、俺はバツが悪く感じる。それを誤魔化すように、そっとお茶を飲んだ。
もちろん、大長老の目の前でそんなことはするつもりはない。ギルドナイトの世話になるのはもうこりごりなのだ。
「ここにいるってことは……無事G級ハンターになれたみたいだな」
「まぁね。まだまだ成り立てだし大したクエストは回ってこないけど」
「どうせすぐ飛竜や獣竜の相手させられるさ、今のうちにだらだらしとけ」
「そういえば大臣さんが、だらだらし過ぎで働いてくれないG級ハンターさんがいるとかどうとか言ってたわね」
「うっ……」
まるで悪戯でもするメラルーのように、少し細めた目で薄笑いするヒリエッタ。その言葉に、俺は思わず齧っていた魚の切り身を喉に詰まらせた。
控えめながらもじっくり顔を出すその旨み。どうにもこうにも、喉に詰まっても中々美味い。喉を伝って、じっくり口内に旨みを塗りたくっていく───
「ごほっ! う、うるせぇな。いいだろ別に」
「あら? 別に私は、それがシガレットとは言ってないけど」
「む……」
してやったりと言わんばかりに笑うヒリエッタ。と、思えば突然ずいっと、俺に顔を近づけてくる。
何だか、その光景にデジャヴを感じた。いつの日か、バルバレの集会所で魚介を漁っていた時に、こんな光景を見たことがあるような気がする───
「シガレット、暇そうね」
「見れば分かるだろ。俺は飯食ってるんだ、忙しい」
「何かクエストでも行くの? ボードにはシガレット名義のクエストは見なかったけど」
「……別に、ただ飯食いに来てもいいだろ」
「わざわざこんな重苦しいところでよく食べるわね、クエストでもないのに」
「だって、ここの美味いし」
「まぁ、それは分かるけど。……で、つまり暇なのね?」
「……何かこの流れ知ってるような気がする」
無理矢理話を進めるヒリエッタ。そんな彼女に圧されながら、ぼやくようにそう言えば、彼女は満足そうに頷いた。
そうして、彼女のクエスト受注書に勝手に俺の名前を加え始める。さも当たり前とでも言うように、軽く。
「おーい、だから俺は───」
「暇、だよね。分かってる分かってる。さぁ、さっさと食べて。クエスト行くよ」
意気揚々とそう言った彼女は、お世辞にも綺麗とは言えない字で俺の名前を書き終えて、今度は俺の小籠包に手を付けた。レンゲの上に乗せたそれを軽く引き裂いて、そこから内包されたスープをねっとりとレンゲの中に滴らせて───
肉汁と脂で満たされたそれに、具と膜は美しく光る。何とも幻想的なその光景を、彼女は一口で闇に閉ざした。
「ん、美味しい」
「……てめぇ、後で覚えとけよ」
「はいはーい。その熱意はクエストにしっかりぶつけて。原生林の異変調査に、ね」
「───あ? また調査……?」
◆ ◆ ◆
調査。
何故か、ヒリエッタとはその言葉について縁がある。
そもそもの因縁は、二年以上前だ。俺がまたバルバレのハンターで、ユクモ村に旅行に行く前の話。未知の樹海の異変報告が相次ぎ、その捜査に駆り出されたのだった。
奇しくもその時、神出鬼没の希少モンスター、キリン亜種と遭遇することとなったのだが、これはまぁ過去の話である。問題なのは、今。またもや、彼女の手によって俺は無理矢理調査に巻き込まれていた。場所は違えど、同じような樹林地帯に───
「大体よ、一体何が異変なんだ? 何か霧が濃いくらいしか見当たらないんだが」
「そうね。あと生き物の気配も少ないわ」
「……確かに。あの濃厚な脂の香りもしない」
「へ? あ、あぶら?」
「おぅ、ズワロポスのな」
つい先日イズモと一緒に訪れたエリア3。かの海竜種、タマミツネが休んでいたここは、確かに深い霧で溢れていた。
いつもはここでのんびりしているズワロポスも、一頭すら見当たらない。それどころか、他の小型モンスターの気配も薄い。確かにこれは、異変だった。
「……そういえば、前来た時も若干霞がかっていたような」
「最近こうなってきたみたいなの。今回の調査は、その原因調べ」
「目星はついてたりするのか?」
「ううん、全く。上部の方がもっと凄くて、観測号も観測し辛いらしいの。何か生態系を乱すモンスターがいるかも、程度の認識みたいだわ」
「……またゲネル・セルタスだったりしてな」
「だったら、また唐揚げ作ってね」
カラカラと、からかうようにそう笑ったら、彼女は彼女でそう切り返してくる。悪戯っぽく目を伏せるその仕草は、何とも言えない愛嬌があった。
何ていう冗談はともかく、原生林にここまで影響をもたらした原因が、ただのゲネル・セルタスだとは考えにくい。確かにあれもまた屈強なモンスターだが、小型モンスターがみな逃げ出すほど危険認識されている訳でもない。狂竜化していようが、それは変わらないのだ。
「……とりあえず、このエリアは何もないな。高台の方が霧が濃いっていうし、ちょっと登ってみるか」
「そうね、どっちにする? 中央のエリア5か、飛竜の巣になってるエリア8か」
「低い方から行こうや」
「めんどいのね、分かるわ」
適当な掛け合いをしつつ、ツタに手を掛ける。エリアの西、エリア5へと続くそのツタに。
その一本一本が複雑に絡み合い、まるで梯子のように頑丈な道へとなったそれは、ハンターが利用するには非常に都合が良いものだった。ハンターの重い鎧が掴んでも、まるで物ともしない強靭さ。崖を登るにはこれ以上ないほど頼りになる存在なのだ。
「上には何がいると思う?」
「さぁ? それより霧が濃くなってきたわ……。ほんと、何なのかしらこれ」
「誰かがケムリ玉落としたとか、そんなところじゃね?」
根拠のない言葉を並べながら、崖の頂点に手を掛ける。あの水没したエリアからは程遠い、高い高い場所。そんなエリア5へと、何とか到達したのである。
下を見れば、あの舞い散る幾つもの花がまるで米粒のようだった。霧で霞んで見えるから、余計に認識し辛い。
「……シガレット、何かの音聞こえない?」
「ん、音?」
「うん、まるでいびきみたいな───」
神妙な面持ちで、ヒリエッタはそう言った。何かの気配を感じたように、少し冷や汗を垂らしつつもそっと右手を大剣に添える。
そんな彼女に倣って俺も耳を澄ませてみれば、確かに何かの音が聞こえた。鼻腔の奥で渦巻くような、喉の奥で荒ぶような、そんな音。彼女の表現が最も適切かもしれない。そう、その音はいびきそのものだった。
「……こっちだ」
「うん、そこから───」
音のする方へ、そっと歩み寄る。
防具が派手な音を立てないよう、小さく、ゆっくり、落ち着いて。足元の水たまりや木の枝などに細心の注意を払いながら、少しずつ音との距離を詰めた。霧で余計に見辛くなっているために、余計に負担が掛かる。
「シガレット……目の前、だよね」
「あぁ。……この臭い……」
深まる霧のすぐその向こう。音の正体は、そこにあった。
同時に伝わる、刺激臭。まるで排泄物のような、鼻にむわっとくる臭い。この臭いに、俺は嗅ぎ覚えがある。そう、原生林に住まうあの牙獣種のそれだ。
「───ゴリ、夢中……」
ババコンガ。目の前で眠りこける奴の名は、それだった。
夢中で夢の中。その言葉を欲しいままにしている奴は、目の前にハンターが来ているというのに、全く気にせず眠り込んでいる。度々手を伸ばしては自身の腹をボリボリと掻く姿。それはまさしく、その辺で昼寝しているおっさんそのものだった。
「下らないこと言ってないで、よく見てよ。これが異変の原因……かしら?」
「……ただのババコンガだろ? こんなのが?」
「どっちにしろ、この状況下で悠長に寝てるんだもの。関係ないモンスターではなさそうね」
「ま、そうだな。追っ払うか?」
「そうね。私がまず一撃入れるわ。そのあとは連携しながら戦うって感じで。あ、爆弾は禁止ね。やりにくいから」
「へいへい……」
改めて大剣の柄を握り直す彼女に適当に返事をしながら、俺は数歩下がる。ポーチに忍ばせた爆薬も、今回は活躍の余地はなさそうだ。
一方のヒリエッタは、静かに目を伏せる。軽く息を吐いて、精神統一。
スッと手を伸ばしたその剣を、静かに引き抜く。そのまま、背の裏で支えるように構えては、両腕に力を込め始めた。大地を締めるように脚を広げ、腰を少し落とし、肩を軽く引いて───
「はぁっ!」
そうして振り下ろされる、煌剣リオレウス。溢れる炎も相まって、その一撃は豪快であると同時に、華やかだった。
突然の衝撃に、ババコンガは目を覚ます。ようやく外敵の襲来に気付いたのか、勢いよく転がってはその重そうな体を起こした。太く丸い下半身で、鋭い爪の生えた両腕で、その巨体を支えて、立ち上がる。見上げるような巨体が、
「……って、え?」
「で、でっか……う、嘘だろ?」
その大きさは、もはや異常だった。普通の個体の一回り二回りは大きな個体。俗に言う金冠サイズといったところだろうか。その巨体故か、怒りに身を任せて吠えるその姿は、非常に圧迫感がある。
「や、やっぱコイツが原因なのかしらっ!?」
「凶暴なのは確かだな。悠長に寝てたのは、それだけ自分の力が強いという表れか……?」
「……今仕留めた方が良さそうよね。私は右に回るから、シガレットは左に!」
「了解!」
厳めしい大剣を納刀し、小走りで走り出すヒリエッタ。
そんな彼女を見ては、ババコンガは鼻息荒げてその背中を追った。自らを斬り付けた敵、そう認識しているようだ。
そうして、必然的に背を向けられた俺は、そんな奴の黒い尻目掛けて愛用のテオ=エンブレムを引き抜いた。粉塵溢れるそれが、奴の尻を焼き付ける。
籠もった声が響いたものの、奴はそれをあまり気に留めていないようだ。所詮は片手剣の軽い斬撃。先程の大剣の一撃には遠く及ばない。
「……んにゃろ。だったら、コイツでどうだ」
火力が足らないのならば、火力を盛ればいい。そう判断して、軽く後ろに下がった。
そのままポーチから取り出したのは、赤色に光る小さな塊。砥石大の角砂糖のようなそれは、剣に擦れるや否や、小さな呻き声を上げる。
まるで角砂糖が崩れるように。
剣で研ぐ度に崩れゆくそれは、その度にその赤い顆粒を剣へと移していった。刀身が赤く輝き、まるで火を吹くように揺らめいて───
会心の刃薬。それがこのテオ=エンブレムへと乗ったのだ。
「たぁっ!」
剣を振り抜く俺の反対側では、ヒリエッタの掛け声が響く。同時に届く、剣が地を打つ音。振り下ろされたそれが、ババコンガの体毛ごと地を穿っていた。
相変わらずの脳筋女だ。俺が打ってもビクともしない奴が、その一撃で大きくたじろいだ。打たれた箇所を庇うように両手を振り撒くその様に、ヒリエッタは小さく笑みを溢す。
「しっ、はあぁぁぁ………!」
剣の腹を振るように打ち付け、かと思えばその大剣を大きく振り上げた。彼女の背後に、さながら鞘に入れるかのように。
大剣の大技、強溜め斬り。いつもより大きく、より力を入れて引いたそれは、より高い破壊力を得る。引いた分増したその一撃が、奴の脳天を撃ち抜いた。
刃薬によって、より鋭く敵を穿つ片手剣。それよりも圧倒的な力をもつ大剣が、鋭く光る。俺の数回分の傷口を、たった一撃で塗り替えるその余りある威力に、俺は思わず舌を巻いた。ババコンガも痛みの余り悶絶して───
「……って、うげッ! く、くっさぁ……ッ!」
突然立ち上がったババコンガそうかと思えば、怒りに身を任せてその体を震わせる。同時に、肛門からは放屁が飛び出した。かく言う俺は、そんな奴の背後に張り付いていたために地獄を見ることになる。思わず涙が出るような、そんな臭さだ。
一体何を食べたらこうなるのか。そう感じざるを得ないほど黄色に染まったその色に、俺の目と鼻は壊された。
「ああぁ! は、鼻がァ! つ、つーんとするし、目も痛い! 焼けそうだ!」
「うるさい。ぎゃーぎゃー言ってないで、少し下がって!」
俺の悲鳴に、さもうざったそうな声が飛ぶ。擦る右目を薄く開くと、涙でぼやけた視界に剣を引くヒリエッタの姿が見えた。振り下ろした剣をそのまま、左手で強く握り締める、彼女の姿が。
薙ぎ払い。溜め斬りの勢いそのままに、彼女がその大剣を薙ぎ払おうとしている。
俺をも巻き込まんとする勢いで、鬼気迫る表情で。煌剣リオレウスが、大きな唸り声を上げた。
「捉えた───って、えっ?」
原生林に鮮血を撒き散らす。そう感じるほどの威圧感を伴ったその刃。それが、何とも小気味良い音で弾かれた。
斬り裂くはずだった、その腹に。毬のように張った、その腹に。
勢いよく弾かれ、ヒリエッタは大きな隙を晒す。大剣の重さに振り回されるように、その体勢を勢いよく崩した。
「おぉ、すげぇ腹……」
たんまりと空気を吸い込んで、気球のように膨らんだその腹。大剣まで弾くとは、その腹の厚みに恐れ入る。
一方、そうして隙を作ったババコンガはといえば、その細い尻尾を器用に動かした。それを肛門の方に伸ばし、かと思えば巧みに巻いて、そうして、剣を慌てて持ち上げる彼女の方に振りつけて───
「って、嘘!? え、や、やめっ、ひゃああっ!」
何とも情けない悲鳴と、半固体が打ち付けられる不快な音が、原生林の木々に響いた。
◆ ◆ ◆
いつの間にか降り始めていた雨に、俺は解体作業に勤しむ手を止める。
ところ変わってエリア1。木々の浸食を受けない、この開けた空を見上げれば、原生林の空は暗雲に包まれていた。覆う霧をさらに塗り潰すように黒く、重く。
「うーん、こりゃ本降りしそうだなぁ。早めに切り上げるか、ヒリエッタ?」
「うぅ……まだ臭いとれないよ……」
これで四個目になる消臭玉を弾けさせながら、哀しそうに目を伏せるヒリエッタ。すぐそこで果てたこの巨大ババコンガの投擲したアレを食らった彼女は、防具に鼻を近づけては苦しそうに顔を歪める。
どうやら相当ご立派なブツを受けてしまったようだ。消臭玉では力不足かもしれない。
「もう、こうなったら水浴びするわ!」
「はぁ? 水浴び?」
「だってもう、不快な感触が残ってるんだもん。消臭玉じゃ無理そうだし、水浴びしか方法はない!」
「お、おぅ……?」
「幸い雨も降ってきたし、好都合かも。エリア3行ってくる!」
「待て、ヒリエッタ。防具脱ぐってんなら、そこは危険だ。やっぱ霧の原因はコイツじゃなかったし、生態系も依然として変わってない訳だし」
「じゃあ……ベースキャンプ?」
「……そうだな、そこなら水も豊富にあるしいいんじゃね?」
消臭玉の鼻を突くような匂いと共に、ヒリエッタは納得したかのように頷いた。
振り続ける雨は、どんどん勢いを増していく。雨が荒び、風が唸る。妙な気配だった。何かの足音を感じるような、気味の悪い感覚だ。
「そうと決まれば、早くキャンプ行かなきゃ……」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。もう少しでいいものが……」
「……? いいもの? ババコンガでしょ、そんな希少でもないと思うんだけど……」
皆目見当がつかぬ、といった顔で眉を顰めるヒリエッタ。軽く首を傾げる彼女の傍ら、俺の右手のレギオスナイフはこれまでとは違う肉の感触を俺にもたらした。
まるで何かを包んでいた膜を裂くような、そんな軽やかな感触。おそらく、俺が求めるモノに達したのであろうその感触。
「……獲れた。桃毛獣のテッポウだ!」
「う、うぇ、な、何それ……。て、テッポウって……?」
「テッポウってのはな、直腸のことだよ。動物みんながもってる器官、腸だ」
「ちょう……腸って、お腹の……?」
「そうそう。同時に、ヒリエッタにぶち当てたアレの産出地でもある」
「ちょっ」
「……つまるところ、ホルモン焼きだな。よし、今日の昼飯はコイツにしよう」
二人分ほど、目測で切り取っては軽く持ち上げた。
流石はババコンガ。よく食べるだけあって腸も随分と立派だ。太く、重く、肉がぎっしりと詰まっているのがよく伝わってくる。中の排泄物をよく洗い落とせば食べても問題ないだろう。
そんな極上の獲物に俺が思わず口角を上げていると、掠れるような声が耳に届いた。見れば、顔を伏せたヒリエッタが何か言っている。まるで呪詛のように、囁くように、ボソボソと。
「…………や」
「あん? や……?」
「……や」
「や、が何だって?」
一拍置いて、悲痛とも言えるほどの叫びが、原生林を貫いた。
◆ ◆ ◆
「良い色に焼けてきたな。香りも良い感じだ」
絶対にベースキャンプには入ってくるな。私が顔を出すまでは入ってくるな。
鬼のような形相でそう言ったヒリエッタは、俺に釘を刺してはこのエリア1を後にした。アレは相当不機嫌そうだ。そんなにババコンガのテッポウを食べるのが嫌なのか。
「……きっと美味いのに」
俺としてもテッポウの処理・調理のためにはそれなりの時間を必要としたために、彼女の言いつけも好都合だった。そのため、俺はこのエリアで準備を進め、今のように焼くに至ったのである。
網上の痕を残して焦げみを見せる肉。
良い焼き目だ。まず第一に思うのは、それだった。
焚火の上で炙られる金網、その上で踊る肉。分厚く、相応に脂が滴ったそれは、焼ける度に程よい味の濃さを思わせるような、濃厚な香りを撃ち出している。
さらに風味がよくなるよう、麗水で洗うことも欠かせない。臭いに関しては消臭玉───では強烈な消臭剤の香りがついてしまうので、今回はこれを使ってみた。
「万能湯けむり玉……便利なもんだぜ」
溢れ出る濃厚な脂の匂い。その中で混じる、仄かな温泉の香り。温泉卵でも埋もれていそうな、淡く柔らかい香りだった。それが肉の臭さや排泄物の臭さを消し、かつ風味も良く仕立ててくれている。
総じて、何とも美味しそうだった。ヒリエッタが来るまで我慢することは───どうやら難しそうだ。俺の脳に直接ぶつかってくるこの香り。俺を食べろと、直情的に訴えかけてくる。
「やっぱ肉は焼きたてに限るぜ……。いただきます」
アツアツのそれを、そっと一口。
一口サイズに切り分けられたそれが、ジュゥッと俺の舌に乗った。俺の舌まで焼けるのではというくらいアツアツの脂が、俺の舌に乗るや否や一気に拡散する。大気を塗り潰すように広がる脂とその風味。
濃い。濃い味だ。強く、一途な味。肉の中でも特にクセの強いホルモンの、喉奥を掻き回すような不思議な風味。
されど、美味い。そのまっすぐな味わいが、何とも愛おしい。情熱的とまで思えてくるその一途さと真摯さ。クセの強い部位でありながら、それでも肉らしさを失わないこの味わい。噛む度にどんどん溢れてくる。
噛む度に。その食感も、これまた独特だ。固く、粘り気のような弾力性とでもいうべきか。噛めば噛むほど、その食感が顎に伝わってきた。固く重いが、その歯応えがまたいじらしい。噛む度に溢れる味わいも相まって、噛むのがとても楽しくなってくる。顎が止まらない。
「……うんうん。こりゃあ、随分当たりだな。金冠サイズのババコンガ、その味わいも金冠サイズってか」
程よく形を崩したそれを、軽く喉を引いては食道に落とす。一口サイズに切り分けた甲斐があってか、飲み込む際に強く反発することもなかった。ホルモン特有のあの強情さを抑え、静かに滑り込んでくる。その燕下の感覚も、妙に心地が良い。
「あー……達人ビールが欲しくなってくるなぁ」
濃い脂にクセの強い味わい。きっとビールにピッタシだ。ホルモン焼きを頬張って、乾いた喉をビールで潤して。そうしてぷはぁと詰まった思いを全て吐き出す。それはきっと、とてもとても幸せな感覚なのだろう。まぁ、原生林という今の環境であっては、所詮無い物ねだりなのだが。
それにしてもこの味わい、とてもあのババコンガの肉とは思えなかった。あの品のない野獣が、ここまでの味を作りだせるとは。やはり見かけで物を判断するのは間違っているのかもしれない。そう思う程、洗練された味である。
「……そうだ。折角こんなにも美味いんだ。ヒリエッタに食わせてやらないと」
唐突に舞い降りた、その思い。衝動的な感覚が、俺を支配する。
一つ、一つ、また一つ。香ばしい肉の数々を、そっと箸で摘まんでいく。そうして紙皿の上に適当に乗せては、俺はベースキャンプに向けて駆け出した。
肉は焼きたてに限る。その言葉通りの行動だったと自負している。
───すっかり忘れていたのだ。ヒリエッタの、あの忠告を。
ベースキャンプに入ったあたりで、俺はどうなったかあまり良く覚えていない。
ただ、気付いたら、エリア3で大文字を描いていた。頬に、赤い手形があった。
~本日のレシピ~
『桃毛獣のテッポウ焼き』
・桃毛獣のテッポウ ……220g
・塩胡椒 ……適量
・万能湯けむり玉 ……1個
ババコンガはセンマイとかテッポウが美味しいらしいですね。それを基にした今回の話。
タマミツネの時からちょっとずつ匂わせていたつもりです。ババコンガ然り、霞然り。ついで今回は三部構成のつもりなので、これらの謎はこの先明かされていく……筈。中途半端な終わり方をしてるのも、そのための布石(ФωФ)
雨の中肉焼くとかどうなんですかねぇ。きっと木陰かなんかで焼いてたんでしょうね……(震え声) 細かいところはご容赦いただきたい←
ヒリエッタは元々マルシル枠だったのに、どうしてこうなったのか。ようやくこの役をやらすことができて、私は嬉しい。回収に一年以上掛けてますがね()
それではでは。閲覧有り難うございました。