モンハン飯   作:しばりんぐ

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 独自解釈全開。





極限鎮静カタルシス

 

 

「キュアァァァ……」

 

 そんな弱々しい悲鳴を上げ、目の前の命が果てた。

 物々しい巨体を転がすその影は、微弱の振動と風圧を起こしながらも、地にその体を堕とす。糸が切れたように倒れたその体には、もう動く気配は米一粒も残っていなかった。

 

「……ったく、なんじゃこれ」

「ふにゃあぁ! こ、怖いにゃあ! 何にゃこのモンスター……!」

 

 金色の鱗に包まれた巨体。刃のように研ぎ澄まされた鎧を着た、鳥のような骨格の竜。羽も尾も無残に引き千切られながら、苦悶に満ちた表情で朽ち果てた奴───

 それと全く同種と思われるモンスターが、俺の目の前に立っている。同種殺しも物ともしないくらい血走った眼で、その鎧をドス黒い色に染め上げて。

 ───千刃竜、セルレギオス。倒れ伏した奴の、そして目の前で唸る奴の名だ。

 

「……これって、明らかに普通じゃないよな?」

「見れば分かるにゃ! 何かおっきいし!」

 

 常時興奮状態にでも陥っているのだろうか。奴の体は、松笠のように全ての鱗が逆立っていた。余りある巨体を揺らし、はっきり見えているのかどうかもよく分からない瞳を俺に向ける。

 妙だ。鱗の色も瞳の色も。まるで奇病にでも罹ったかのように不気味な色に染まっている。奴の体からは紫色の瘴気が噴き出し、息はディアブロスもかくやというほどに重く、黒い。奴が生態異常状態にあることは、火を見るよりも明らかだった。

 

「……まさか、狂竜ウイルスにゃ?」

「狂竜化……。食えなくなるじゃん、ふざけんなよ」

「こ、ここで食べれるかどうかにまだこだわるのにゃ!? 狂竜化モンスターは食べられないにゃ、旦那さんお腹壊したのもう忘れたの? 狂竜化はだめにゃー!」

「…………なぁ。狂竜化にしては、何かやばくね?」

「そんなの、見れば分か───はにゃ! く、来るにゃ!」

 

 イルルの注意喚起と同時に、奴の咆哮が飛んだ。

 その声は重く低く、セルレギオスの甲高いそれとは似ても似つかない。まるで慟哭のような、苦しみと悲しみを含ませた声だった。

 危うく塞ぎ損ねるところだった耳栓で耳を押さえながらも、その目に見える異常さに目を見張る。足取りは不安定ながらも、確実に外敵を狙っていた。屈ませた体で、その左肩を引いて───

 

「……タックルか! イルル、飛ぶぞ!」

「んに……みゅあ!?」

 

 咆哮に驚いては体を丸めるイルルを抱き上げて、大きく横に跳ぶ。彼女の小さな重みで飛距離が若干押し殺されたが、鋭い剣閃を躱すことは辛うじて出来た。擦り切られたマントの端が、もの哀しく宙を舞う。

 

「……旦那さん、あれ!」

 

 着地の反動と義足の痛み。それらに襲われ、吸った息を肺に溜め込んだ。圧迫された呼吸器系が、細い悲鳴を上げる。

 一方で、甲高い声を上げたイルル。何かに気付いたように、俺の腕の中で暴れ始める。何事かと目をやれば、彼女はセルレギオスの方を指差していた。小さなネコの手が、虚空に掲げられる───

 

「……何だ、あれ」

 

 それは、円だった。

 黒い渦を描くような、不気味な円。瘴気が地面に溶け込むような、悍ましい絵。

 セルレギオスから溢れていたあの靄と同じようなものが、大気に滞留している。黒く光る粒子とも見えるそれらが、光を浴びてか薄く、青く輝いた。

 

「瘴気が留まっている……のか?」

「う、嘘……にゃ、何で……?」

 

 その悍ましくも幻想的な見た目に舌を巻いていると、腕の中のイルルは怯えたような声を漏らした。どうして、と繰り返しながらその手足を震えさせている。まるでいつかの悪夢に魘されていた時のような、弱々しい姿だった。

 

「イルル……?」

「あれ、あれは……あのモンスターのにゃ! 顔の無いアイツが、撒き散らしてたのにゃ! い、一体どうしてセルレギオスが……!?」

「あん? 何言ってんだ……?」

 

 イルルが何を言っているか分からない。

 諤々と震えては、要領の得ない言葉を漏らす彼女。あのセルレギオスについて何か思い当たる節があるようだが、動揺しているせいかそれを聞き出すことは難しそうだった。

 とはいえ、セルレギオスだって待ってくれない。先程の同種のようにお前も殺してやるぞ、なんて言わんばかりに低く吠えた。かと思えば、その全身を奮い立たせて鱗を放つ。大気を切り裂くその猛烈な勢いに、音が悲鳴を上げた。

 

 腕の中のイルルは、半ば戦闘不能状態だ。今離しても、まともに動けないだろう。降ろすことは出来ない。

 そう判断するや否や、彼女を右腕だけで抱え直しては、腰にある剣を抜刀した。

 橙色に染まる爆弾もとい片手剣、テオ=エンブレム。それを振り回しては、飛んでくる鱗へと叩き付けた。

 

「どっ……せいッ!」

 

 飛んでくるのが火球だったり水流だったりすれば、俺は回避に専念する他なかったと思う。

 弾いたのは、鱗というただの固形物だ。直接的な物理攻撃なら、こちらも同じこと。完全に破壊することは出来なくとも、軌道を逸らすことくらいは出来る。

 そうして出来た隙間を縫うように、俺は駆け出した。がら空きになった脚の下に滑り込み、左手の剣を振り上げる。同時に噴出する、今の衝撃で湛えた粉塵。視界が、紅蓮に染まった。

 

「ガアアァァッ!」

 

 鬱陶しいとでも言わんばかりに声を荒げた千刃竜。そうかと思えば、その槍のような尾を振り回し始める。腹の下の害虫を追い払おうと、けたたましい声を上げた。

 だが、体格的にそれは奴の周囲を薙ぐことしか出来ないようだ。腹の下で剣を振るう俺になど、掠りもしなかった。そのあからさまな隙を狙って、俺は奴の脚を打ち続ける。いつもより若干鈍い感触が、左腕の中で反響した。

 

「うおっと……」

 

 だが、もちろん奴も馬鹿ではない。尾が当たらなければ、次の手段を講じるはずだ。

 その手段が、飛翔。大きく後ろに飛んだ奴は、俺から距離をとった。同時に凄まじい風を撒き起こし、俺の体を拘束する。

 並のセルレギオスより一回り二回りと大きなその体。ここまでの風圧を引き起こせるのも頷ける。

 

「ふにゃっ、にゃあ……っ」

 

 腕の中のイルルが、驚きの声を上げた。それに反応するように、両脚を振り上げるセルレギオス。尻尾を垂直に立て、まるで軸のようにピンと張って───

 

「……まずいッ!」

 

 何時かの船の上で見た、あの乱回転。降り注ぐ刀剣を思わせる、強靭無比の強襲攻撃だ。あのラギアクルスの尾も切り落とす、千刃竜最大の攻撃法。

 気付いたら、後ろに飛んでいた。いつものバックステップのように、速く、軽く。

 瞬時に掠める、鎌鼬のような烈風。凄まじいまでの風刃が、俺の鼻先を薄く薙いだ。

 後一瞬でも、半歩でも。遅れていたらどうなっていたことか。想像するだけで冷や汗が垂れる。

 そう感じては、軽く息を吐いたその時だ。

 

「ピィイイイィッ!」

 

 着地の反動で体軸がずれる俺の上で、セルレギオスは吠えた。見上げれば、奴の体勢は変わっていない。一歩ずらして避けた俺を再び穿とうと、奴もまた一歩踏み出しては両脚を上げていた。

 まずい。第二波がくる───

 

「イルル、すまん!」

「みっ、にゃあっ!」

 

 第一に優先したのは、イルル。右手で丸まる彼女を投げ、小さな体を射線からずらす。その突然の衝撃に、彼女は驚きの声も混ぜたかのような悲鳴を上げた。

 そうして空いた右腕で、重厚な盾を前に出す。獅子の装飾がなされた緋色の盾を、セルレギオスに向けて突き出した。

 

「だ、旦那しゃんっ!」

 

 危ういながらも着地をしたイルルが、悲痛な声を上げる。それを掻き消さんが如く、セルレギオスが鋭く風を鳴らした。

 同時に伝わってきた、凄まじいまでの衝撃。幾重にもなった刀剣が一斉に盾に打ち付けられるような、とても一人の人間では抑えきれない衝撃が走る。大地を擦っていた両脚が、とうとう浮かび上がった。

 

「うあッ……」

 

 裂傷に塗れた盾からは煙が噴き出し、振り被った剣鱗からは黒い瘴気が溢れ出し。

 黒と白の靄が視界を覆い、そうかと思えばその視界は鋭い流動線を描く。勢いよく吹き飛ばされた俺は、樹海の大木に打ち付けられて急停止した。

 背中から腹の中の臓器を全て押し上げられ、辛うじて喉奥で抑えている───そんな感覚だろうか。まるで掻き回されたかのような、心地の悪い痛みで俺の腹は隙間を埋められていた。

 

「旦那さん……! し、しっかりしてにゃ!」

 

 ようやく正気を取り戻したのか、はたまた俺の惨状を見て正気に返ったのか、イルルは慌てて回復笛を取り出す。そうして、高らかに息を吹き込んだ。

 その音を聴いて、笛から溢れる緑色の粉塵を吸って。俺の痛みは少しだけ顔を引っ込んで、さながら麻酔のように、心に平静さを呼び戻してくれた。

 傷は響くものの、淆瘴啖のそれと比べれば大したことはない。体は動く、義肢も含めて五体満足だ。淡い甘みと鈍い苦味を口に残す回復薬グレートを飲み干しながら、俺は小さく息を吐いた。

 

 あのセルレギオスは、笛を吹いたネコに興味が移ったのか、今度はイルルを相手にしていた。イルルもイルルでようやく戦意に火が付いたのか、ジンオウガの素材を使ったブーメランを振り回している。剣とブーメランをそれぞれ持っては、まるで双剣のように飛んで───

 師匠のスタイルを彷彿とさせる戦い方だ。ネコ式二刀流、彼はそう呼んでいた。

 

「イルル……今行くッ」

 

 そう意気込んで、駆け出した瞬間だった。

 突然、俺の体がガクンと揺れる。そうかと思えば、全身から鋭い痛みが走った。

 目に見える視界は薄赤く染まり出し、目の奥がジンジンと熱くなる。

 耳から聞こえる音は、まるで大銅鑼の如く轟音に感じられ、鼓膜を直接ノックされるような、そんな鋭い痛みに襲われた。

 鼻から感じられる香りは鋭く、キツく、セルレギオスの異臭がはっきりと感じられるようになる。

 防具に包まれた全身も痛み出した。防具が肌に触れるだけで感じられる痛み。体を動かす度に、痺れるような痛みが走る。

 

「……なっ……一体、どうなって……ッ!」

 

 その突然の痛みに困惑しながら、手を突いた。右手が地面に触れ、俺の体重が伸し掛かり、余計に激痛が走る。

 赤くなっていく視界でその右手を見れば、俺の右手は大きく変容していた。手の甲の血管が腫れ上がり、脈打つように蠢いている。グローブ越しに見える姿も、異常だ。

 慌てて膝をついて、痛む左手で右のグローブを引き抜いた。

 

「……は?」

 

 血管が、黒い。紫とも、赤ともとれるような血管の色に、まるで粒子のようなに細かな黒が紛れ込んでいる。淡く青いはずの血管が、血走るように黒く膨れ上がっていた。その狂気的な光景に、思わず引き攣ってしまう。

 ふと顔を見上げれば、俺の体は黒い粒子で覆われていた。さながらセルレギオスを覆っていたアレのように。狂竜ウイルスに感染したモンスターのように。

 ということは、つまり───

 

「旦那さん……っ、旦那さん!」

 

 何度打っても弾かれては霧散するブーメランをあとに、イルルは泣きながら俺の方に駆け寄ってきた。続けざまに放つダメ押しも、全て奴の甲殻に弾き飛ばされては消える。

 散らばるブーメランの破片と、大気に溶ける電撃。それらを見ては、セルレギオスは小さな声を上げた。イルルに対して脅威を全く抱いていない顔で、再びゆっくり、こちらの方に目を向ける。

 

「ちっ、ちくしょぉ……ッ」

 

 どんどん前が暗くなる。瞼が痛いくらい重くなる。

 駆け寄るイルルと、ゆっくり歩くセルレギオス。その両者の動きが驚くほど鮮明に映りながらも、俺の意識は痛みに呑み込まれていった。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「お前は戦う時、相手のどこを見てる?」

「へ? 何だよ、藪から棒に……」

 

 少年のようなか細い腕で、ソルジャーダガーを握る俺。

 その目の前で、師匠はふんと鼻を鳴らした。薄黄色に斑点模様の毛並みを揺らしては、さぁどうなんだと答えを急かしてくる。

 

「えっと、全身……?」

「そうじゃなくて、その中の特にどの部分って話だ」

「えー……? そんなの、よく分かんないけど」

 

 声変わりをしているか、していないか。そんな曖昧な声で飛んだ返事に、師匠は困ったように首を振った。この聞き方じゃ良くないか、という言葉を添えて。

 

「じゃ、質問を変えるぞ。お前はパンチする時、どこに力を入れている?」

「え、パンチ? ……腕?」

「……腕、だけか?」

「……ん? うん」

 

 特に考えもしないその言葉に、師匠はまたもや溜息をつく。困ったように首を傾げるが、彼の質問に困っているのは俺も同じだ。俺も、彼のようにそっと首を傾げた。

 この聞き方でも埒が明かない。そう判断したらしい彼は、唐突にシャドウのポーズを軽く作り始める。

 

「よし、じゃあお前、俺に殴りかかってきな。そうすりゃ俺の言いたいことが分かる」

「え、いいの? アンタには少なからず鬱憤募らせてるから、本気で殴っちゃうよ?」

「調子に乗んなよクソガキ、年季の差ッつーもんを教えてやる」

 

 俺の背丈より少し低い程度のそのアイルーに、俺は小さな握り拳を固めた。そうして、彼のその鼻っ柱に目がけて撃ち放つ。

 渾身の打撃は、そのまま彼を打ち砕いて───

 

「って、へ? うわっ!?」

「……そもそも全然腰が入ってねぇな」

 

 何て思っていたら、突然後ろから師匠の声が鳴り響く。振り被った拳は師匠に届くどころか、何もない空間を情けなく穿っていた。

 彼は彼で、さも俺の拳を見切ったように軽く躱し、俺の背後に回り込んでいる。子どもをあしらう大人のような、余裕を持った表情で。

 

「……こ、こんのッ」

「ふん、まだまだへっぴり腰だな。下手糞が」

 

 何度撃とうが、彼には当たらない。まるで俺の拳がどこを狙っているか、どのような軌道を描くか。その全てが分かっているようだった。

 全く当たらないことにイラついて、大きく踏み込んだ。そうして、今度こそその毛並みをむしってやろうと、手を───

 

「へぶっ!?」

「ま、そこまでだ」

 

 その手を肉球で挟まれ、さながら背負い投げのような形で振り上げられた。重力が、逆転する。

 反対になった景色の中で、同じように反対に映った師匠が満足そうに口を開いた。その表情は、どこか艶やかだ。

 

「何でお前の拳は当たらなかったか、分かるか?」

「……分かんね。ズルしてたんじゃないの?」

「完全に見切られてるって、感じなかったか?」

 

 その言葉に、俺は改めて見切られていたことを再確認する。悔しさが溢れ、言葉を呑み込んだ。師匠の顔をまともに見れない。

 それでも、彼は言葉を繋げ続けた。恐らく、一番伝えたいのであろうその言葉を。

 

「図星って顔してんな、その通りだよ。俺はお前の動きを見切っていた。見え見えなんだよ、腕だけじゃない。肩も、腰も、足取りも。その筋肉の動きを見ればお前がどう動こうなんて手に取るように分かる」

「……筋肉?」

「そうだ。生き物ってのはな、筋肉の塊だ。動く際にはその筋肉を使わなきゃなんねぇ。そしてその筋肉には一定の規則性がある。それさえ分かれば、その延長線にある体もどう動くか、自ずと分かってくるもんだ」

 

 そう言っては、彼は一呼吸付いた。そうして、その小さな体を屈ませては、同じく小さな俺の目に顔を近づけてくる。背を地に付けては逆さまに仰向く俺の視界を、師匠の満足そうな顔が占めた。

 

「……いいか? 敵の動きを見る時は、その筋肉の動きに着目する癖をつけな。よく観察すれば、今日の俺のような見切りも不可能な話じゃないぜ───」

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 イルルが、叫んでいる。俺の名前を呼びながら、必死に叫んでいる。

 剣が弾かれる音が聞こえた。挑発するような千刃竜の声と共に、鱗が弾ける音が響く。イルルが地を駆ける音も、千刃竜が地を薙ぐ音も、俺の耳にはしっかり届いていた。

 

「ぐッ……」

 

 依然として、痛みはある。半ば意識を失ったように頭がぼうっと響くが、それよりも異常なまでに過敏な感覚に俺は意識を失い切れなかった。

 見上げると、相変わらず紅い視界が広がっている。その中で踊り狂う、赤黒いセルレギオス。イルルに向けて、その松笠のような体を震わせていた。

 少し引いた体からは、その節々の筋肉の共鳴が見える。右肩上部、左羽の先、右脚大腿部の、その端。どこが動いたか、はっきりと分かった。

 

「イルル……ッ」

 

 どこからどうくるか判断がつかないらしい彼女は、もはや恐怖にも似た警戒でその意識を満たしている。海のように碧い瞳には、うっすらと涙が浮かんでいた。

 

「……イルル、右へ軽く跳べ!」

「にゃ、え? 旦那さんっ!?」

「いいから、早く!」

 

 突然飛んだ俺の声に驚いたのか、イルルは驚愕の表情で振り返る。そんな彼女を急かすように、もう一言。

 それでようやく分かったのか、イルルは慌てて右へ跳んだ。それと同時に、千刃竜から刃鱗が飛ぶ。宙を斬り裂くその一閃が、先程イルルがいた場所を正確に射抜いた。

 

「ふにゃっ! あ、危なかったにゃ……!」

「う……おえっ」

「はにゃっ、旦那さん、大丈夫かにゃ!? 旦那さん!」

 

 慌ててこちらに駆け寄ってくるイルルも映し切れず、俺の瞳は痛みで暗く閉ざされる。まるであり余る情報量に処理が追いつかなくなったかのような、そんな気分だ。

 

 ───目は異常によく見える。

 意識を失いかけても、音ははっきり聞こえる。

 痛みが鋭く、俺の体を駆け巡る。

 典型的な、五感異常。これが、狂竜ウイルスの症状か。

 

「……イルル、この前ドンドルマの竜人から貰った石、まだあるか?」

「にゃっ? な、何だったかにゃ……」

「ほら、俺がポーチに飯入れ過ぎて入んなかったから、イルルに持ってもらった奴だよ」

「……にゃ、あぁ、これかにゃ!」

 

 軽く身を引いては跳躍、そうして空中で錐揉みするセルレギオス。あの羽ばたき方、脚の引き方、頭の位置───恐らく、両脚を突き出して滑空してくる。

 慌てて黒紫色の石をポーチから取り出すそのイルルごと抱えながら、俺は再び背後に跳躍した。ただのバックステップよりも数段伸びたその距離に、セルレギオスは虚空を掴む。

 そうしてがら空きになったその脚に向けて、俺は再び駆け出した。盾から引き抜いた直剣と、左手の重剣にその『抗竜石・剛撃』を塗りたくりながら。

 

「お返しだッ!」

 

 研ぎ澄ました気を剣に移すように、両の剣を交差。そうして、危うげに着地する奴のその細い脚目掛けて錐揉み回転で迫る。乱回転する視界の中で、奴の紫色に染まった血飛沫が飛んだ。

 一方投げ捨てた抗竜石を拾ったイルルは、その勢いのまま再びセルレギオスに飛びかかる。剣の鱗と火花を散らしながら。

 

「にゃ、や、やっぱりダメにゃ! 弾かれるにゃ、ふにゃ!」

「……やっぱな。コイツ、『極限状態』だ!」

「きょ、極限!? う、噂の極限状態にゃ!? こ、これが……」

 

 振り被られる翼腕を滑るようなステップで躱し、か細い脚を執拗に斬り刻む。そこへ落とされる尾は、穿つような回転斬りで弾き躱すものの───こちらの剣まで、勢いよく弾き返された。両者の剣が、鋭い悲鳴を上げる。

 これが極限状態。狂竜ウイルスによって変調した体が、異常なまでの肉質硬化を引き起こす。そしてそれは新たな感染源となり、生態系を脅かすという第一級危険生物だ。

 

「イルル、攻撃は俺に任せろ! お前はブーメランや笛での援護に徹してくれ! 絶対にこの黒い空気は吸うなよ!」

「にゃ! あっ、でも旦那さん、旦那さん体が……っ!」

「……心配するな、何だか調子が良くなってきたんだ……!」

 

 血走る視界の中で、セルレギオスが吠える。それをもバネに回転斬りを仕掛けながら、俺は口角が釣り上がっていくのを感じた。タンジア時代にただひたすら獲物を滅多刺しにしていた頃のような、そんな高揚感だ。

 

 奴が隙を晒せば、そのか細い脚を斬り刻む。

 右脚のつま先が軽く上がる仕草が目に入れば、素早く脚から離れる。鋭い爪が、振り上げられるから───その前兆が、それだ。

 その隙を狙うように脚を突き続けると、奴は堪らず転倒。その時は、ここぞとばかりに乱舞を叩き込んだ。

 起き上がった奴は、再びその鱗を展開する。カラカラとその甲殻が鳴き、奴の臀部が上がれば、それは尾が振られる証拠。その股下を潜るように、回転斬りで前進する。

 体が宙に浮き上がり、その槍のような尾を振り下ろせば、来るのはあの急襲攻撃だ。今度は避けずに、俺は前に出た。

 

「はあああッ!」

「クキャアアアァァッ!」

 

 打ち付けた両の剣を払い、再び視界を振るう。掘削機のような勢いで、強襲するその刃鱗に飛び込んだ。

 切り込む角度は、奴の鱗とほぼ平行線になるように。そう意識して、両の剣で風を薙ぐ。まるで砥石のように、剣が触れるや否や、奴の鱗は景気の良い音を立てた。

 それと同時に、両の剣が光る。この状況で、両剣の斬れ味がより研ぎ澄まされたのだった。研いで斬り払う。研ぎ払いとでも名付けようか。

 

「ピイイィィッ!?」

 

 それが引き金となったのか、奴の体はバランスを崩す。剣閃と爆熱で、奴の鱗は激しく弾け飛び、その奥の肉が大量の血飛沫を上げた。赤い軌跡を描きながら、その巨体が地に穴を開ける。

 同時に散らばる、黒い靄。瘴気が霧散したかのように、大量の粒子が風に乗って吹き飛んだ。奴の体から、そして俺の体からも。嫌な気配は、消えていた。

 

「おっ……鎮静化か! イルル、作戦変更だ! 戦え!」

「にゃ、にゃにゃ、にゃーっ!」

 

 いつの間にか消えていた五感異常に気付きながら、ようやく落ち着いた感覚を噛み締めながら。

 突然の事態に慌てるイルルに声を掛ける。セルレギオスの極限状態が、今鎮静化された。一時的とはいえ、奴の体からウイルスの気配が消えたのだ。集中砲火するには願ってもないチャンスだった。

 同時に掲げられる、ネコの手。イルルが巨大ブーメランの術と貫通ブーメランの術を用いた証拠。その凄まじいまでの斬撃に、千刃竜の肉は容赦なく削ぎ落とされていく。

 

 舞い上がる血飛沫。飛び交う肉片。

 その様相は、通常個体のそれだ。感染したあの毒々しさが感じられない、健康な肉そのもの───

 

 ───鎮静化された肉は、一体どのような味になっているのだろうか?

 

 そう感じた俺は、自分でも驚くほど静かに、滑らかに。宙を舞うその肉を、ポーチから取り出したビンに落としていた。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「───まッ、不味いッ!」

「にゃっ!? 泣くほどまでかにゃ!?」

 

 興味本位で口にした極限状態肉。凄まじいまでの不味さに、俺は思わず涙を流した。

 口の中でジリジリするような、酷いえぐみ。舌が焼けるように、鈍い痛みが這いずり回る。香る風味も毒々しく、生の毒テングダケの数倍は不快だ。ただの狂竜化した肉よりも、断然味が悪かった。

 

「こりゃあダメだな、食えたもんじゃない」

「そりゃそうにゃ……。前から分かってたことにゃ、しょうがないにゃ」

 

 横たわる巨体。再び極限化しながらも、とうとう耐え切れなくなったかのように倒れ伏したセルレギオス。流石は極限状態だ。討伐する前は上がっていた陽も、いつの間にか落ちていた。まぁ、味の方はとても褒められたものじゃないが。

 とは言え、ここまでは予想通りである。肉の味も、イルルの反応も。

 それを確認しながら、俺はポーチから小振りのビンを取り出した。先程大気に触れた、あのビンを。

 

「ところがどっこい、極限化した肉が食えないのなら、鎮静化した肉はどうなんだろうな?」

「にゃ……にゃっ!? い、いつの間にそんなの獲ってたのにゃ!?」

「イルルがブーメラン振り回してる時に、ちょこっと」

「みゃー! もう、この人ほんと信じられないにゃ!」

 

 俺への文句や不満を露わにするイルルを前に、ビンから出した肉を串に刺し、軽く焚火にくべた。元々巻き上がっただけの小振りな肉片に過ぎない。焼けるのにもさして時間は掛からないだろう。

 少し熱しただけで、純粋な肉の香りが溢れ出した。そこらの肉とは全く違う、質と濃度。心を揺さぶるその香りが、ダイレクトに俺の鼻にぶつかってくる。以前適当に焼いた千刃竜の肉とは似ても似つかない、より深い香りだった。

 

「おいおい嘘だろ……香りからして段違いじゃないか。これって、もしかして───」

「うっ……おかしいにゃ、何でこんな良い匂いなのにゃ……?」

「抗竜石って、対狂竜ウイルス効果じゃん? 一時的とはいえ、モンスターに克服を促すんならさ、その分細胞の活力を上げてるんじゃないか?」

「にゃ、どういうことにゃ?」

「つまりさ、ウイルスによって遮断されていた細胞の栄養補給が再開され、その勢いによって肉の質も一時的に上がるとかそんな感じじゃね?」

「にゃ……そういうものなの?」

「知らん、思っただけだ。そういうことを考えるのは書士隊の仕事だし」

 

 適当に話を切り上げながら、くべていた肉を引き上げた。

 舞い上がる香り。溢れる脂。円熟しているのであろう肉の上質な色。何を取っても、以前食べた千刃竜とは異なっている。絶対に、こちらの方が美味い。そう思わせるほど、その様相は圧倒的だった。

 

「いただきます」

 

 一言添えて、そっと一口。

 たったそれだけで、全身の毛穴が開いたような、そんな感覚に襲われた。

 美味い。ただただ美味い。舌の上で踊るその味わいが、どうしようもなく愛おしい。様相通り、その味わいは遥か上位に君臨していた。

 千刃竜の肉は、比較的淡泊だ。同時に、焼くだけでは少し物足りない味でもある。そのため、軽く蒸して酢醤油にかける、フライにしてパンに挿むなど、食通の間には様々な賞味法が編み出されている食材でもあるのだ。

 だがこれは、この肉は、焼くだけでも十分だった。確かに淡泊、されど淡泊。控えめながらも芯の強い味わいが、これまた強く主張している。溢れ出る脂も甘く、深い。口の中でほどけていく柔らかさの中に、その溢れ出る旨みが凝縮されている。噛む度にほろほろと柔らかくなっていくその食感が、これまた味の質に深みを与えてくれた。

 本当に細胞が活性化しているのかどうか、それは俺にも分からない。だが、極限状態のモンスターを鎮静化した場合、その肉質が大きく変容するのは紛れもない事実のようだ。

 

「……イルル。今度極限化モンスターの目撃情報があったら、また食いに来ような」

「しょっ、食堂感覚で言わないでにゃ……」

 

 

 

 

 

~本日のレシピ~

 

『極限鎮静セルレギオス』

 

・千刃竜の大腿肉    ……45g

・抗竜石(種類問わず) ……お好みで。

 

※必須条件:鎮静化

 

 

 

 






 極限モンスターおっすおっす。


 すっかりご無沙汰になってしまった要素、極限化。懐かしいですね、意味不明でしたね。いやまぁ張り合いはありましたけど、事故死多過ぎてよく萎えました。必然的に、玉稼ぎは師匠の試練に。あのクエの有用性マジ半端ねっす。

 流石にダブルクロスでも復活はしないでしょうが、村クエに獰猛化進出はありそうです。村最終、今度は獰猛祭りかな? 獰猛化もその原因の説明さえされれば、味の変容などについて手を出せるんですがね……ダブルクロスに期待。

 狂竜ウイルスを克服すると味がよくなるというこれまた変な解釈を加えました。狂竜症が五感異常ってのも勝手な解釈です。ついでにそのモチーフは、るろうに剣心の雪代縁。神経異常による攻撃性の上昇と、不安定さ。それっぽいかなぁ、と。師匠の理論はテキトーです←

 ではでは。感想や評価お待ちしております。


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