モンハン飯   作:しばりんぐ

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新章『狩人真生譚(かりゅうどましょうたん)』開幕。





狩人真生譚 ~Eat or be eaten~
旨い物は宵に食え


 

 

「──シグよ、黒炎王って知ってるか?」

「あん? ……何か、滅茶苦茶やべぇ火竜だよな?」

 

 暗幕のように空に覆い被さった黒。その黒に穴を開けるように輝く無数の光。

 夜という静寂に包まれたこの小さなベースキャンプには、二つの影があった。灯る焚火を囲うように座る、二つの影。

 

「そうそう。何だよ、会ったことあんのかよ」

「閃光玉使っても落ちてこなかったんだよな。強靭過ぎるだろアレ」

 

 舞い上がる火の粉もまるで気に留めないで、小さな影は興味深そうにそう言っては髭を擦った。厳めしい兜は脱ぎ捨てて、重力に逆らうように立った三角の耳が目立つ頭を、燃え盛る火の光で照らしている。

 茶トラ斑点の毛並みに、妖しく光る金の三白眼。俺の目の前であぐらをかく彼は、俺の言葉を聞いては少し興でも削がれたかのように鼻を鳴らした。

 

「そこしか見てないのか? あの個体の飛行能力をもっとよく見ろよ」

「飛行能力っつったって……ただひたすら飛び回るだけで──」

「原種と比べてみたらどうだ?」

「……えーっと? 何が言いたいんだよ、師匠」

 

 昔と変わらない人を試すような表情で、口角をそっと上げるアイルー──もとい、師匠。

 年相応なのか、個体としての特徴が激しいのか、何ともアイルーらしくない渋い声で俺に問答を持ちかけては、彼は少しばかり楽しそうに耳を揺らした。

 

「よく飛び回るだろ? 並のリオレウスより数段飛ぶぜ、アイツは」

「……まぁ、言われてみれば。糞みたいな習性だよな」

「糞といえば、閃光玉に対する耐性も持ち合わせてるのもな」

 

 かなり前の記憶を探り寄せながら、混ぜ返ったイメージを何とか形にする。まるで野菜炒めの中からそっと肉だけ取り出すような、そんな感覚だ。

 そうして生まれたイメージの中の黒炎王。言われてみれば確かに飛び回っていた気もするが──如何せん、空腹のせいであの時のことははっきり覚えていない。自らを納得させるような記憶は出てこなかった。

 

「さて、ここで問題だ。何故アイツには閃光玉が効かないんだろうな?」

「さぁ。視力落ちてるんじゃないかな」

「おい、適当なこと言ってんじゃねぇぞ。アレだって目眩は起こすんだぜ、光は効いているんだ」

「えー……知るかよ、つーかどうでもいいだろそんなの。効かないなら効かないで、それを使わずに仕留めればいい話じゃないか」

 

 俺が小さい頃から全く変わらない師匠の教え方。質問──いや、この場合目の前の彼は答えを把握しているのだから、発問と言った方が正しいか。その発問を駆使して考えを煽ってくるその態度。懐かしくもあるが、鬱陶しくもある。

 

「よぉく考えてみろ。原種と比べて、黒炎王のより異質な外見的特徴を挙げてみな」

「……翼か?」

「ここまで言わねえと分かんねぇたぁ、やっぱてめぇは昔と何も変わってねぇのな」

 

 呆れたように溜息をつきながら、師匠はそう息を吐いた。期待外れだとでも言わんばかりに肉球を仰がせるその仕草に、俺は少し苛立ちを募らせる。

 そうして、何か言い返そうと口を開いた時だった。

 

「翼爪だよ」

「──あ? 翼爪……?」

 

 それを塞ぐかのように飛んだ、彼の声。答え合わせとも言えるその言葉に、俺の思考は軸を合わせられる。

 翼爪といえば、モンスターの翼に付いているものだ。その骨組みの切っ先となる部分であり、強靭な武器となる部分でもある。ありふれたものである筈のそれが、彼の考える答えなのだろうか?

 

「……納得いかねぇ、って顔だな。例えばさ、お前が足の小指をタンスにぶつけたら、一体どうなる?」

「……痛いからのたうち回る?」

「らしいな、人間って奴はそうだ。俺が言いたいのはな、奴もそれと同じってことだよ」

「どういうことだ?」

 

 要領を得ないその言葉に俺が痺れを切らし、考えるのをやめると、彼は困ったように溜息をついた。つきながらも、呼吸を整えて、そっと言葉を繋ぎ出す。

 彼が言うには、黒炎王の翼爪は原種のものよりもさらに精密な作りをしているらしい。より苛烈な運動量も、より繊細なコントロールも、そして平衡バランスを失ってもなお体勢を保ち続けることができる強靭さ。それを可能にしているのが、その翼爪なのだとか。

 

「動物の機動性を司る部分にはな、繊細な神経組織が敷かれてるもんだ。それがあるからこそあんな芸当が可能で、逆に言えばそれを止めさえすれば──」

「……つまり、翼爪を破壊すれば?」

 

 ようやく行きついた答えを口にすると、彼は小さな笑みを溢しながら頷いた。

 やっとかと言わんばかりのその表情だが、チラリと見えた彼の牙はどこか嬉しそうな様子だ。

 

「いいか? あぁいった強靭な個体を狩る時は、まず運動を司る部位を狙え。機動力から殺してやるんだ。そうすれば、狩りは格段にしやすくなる────

 

 

 

 

 

 ──つまり、こういうことかッ!」

 

 重厚な盾が、何かをへし折る音を奏でた。舞い上がる体が、宙を舞うその翼を射抜いた。

 まるで噴火のように立ち昇るその一閃は、バネのように体を浮かせたその一閃は、一寸の狂いなく奴──黒炎王リオレウスの右翼爪を貫いたのだった。

 

「にゃっ……昇竜撃、炸裂にゃ!」

 

 悲鳴を上げて体勢を狂わせる黒炎王。無様にもがき、地に墜ちる巨体。その横で飛び上っては、嬉しそうに鳴き声を上げる小さな影。相棒のイルルが、手に持った武器を振り回しながら喜びを表現していた。

 

「まだまだッ!」

 

 そんな彼女に鼓舞されるように、俺は滞空しながら体勢を変える。

 俺を吸い付ける重力に身を任せるように、そっと上半身と下半身を入れ替えた。先程まで高く高く突き上げていた右の盾を、今度は低く低く、地に伏せる奴の頭へと向けて──。

 

「にゃっ、罅にゃ! 甲殻に罅が入ったにゃ!」

 

 まるで岩でも割れたかのような音と、それを言葉にするネコの声。右手の重い重い感触は、確かに奴の頭を刻む罅を感じていた。

 洗練された昇竜撃は、二段構えの打撃となる。その二撃目が、見事に奴の脳天に炸裂したのだった。

 

「翼爪破壊におまけがついてきたにゃ、お得だにゃ!」

「棚から牡丹餅ったぁこのことだな!」

 

 着地の反動に耐えながら俺は何とか身を起こし、イルルはそれをカバーするかのように黒炎王の頭へと剣を振りかざす。そんな彼女がブーメランも構え、さながら鬼人突進連斬のように回転斬りを叩き込めば、俺はすかさず左の剣を振り抜いた。

 イルルが回転の勢いのままに黒炎王から距離を開け、その隙間を埋めるように今度は俺の剣が飛んでくる。されるがままに斬られ続けた黒炎王も、そろそろ堪忍袋の緒が切れたようだ。

 

「グゥルルル……ッッ」

 

 遺跡平原特有の黄金色の草を撫でるように蹴り上げ、その巨体を即座に引き上げる。そうして持ち上がった首を引いては、その大きな口から力強く息を吸い始めた。

 咆哮がくる。それを察知した時には、俺の右手は動き出していた。盾の衝撃が未だに響くその腕が、俺の頭のヘッドギアへと伸びる。

 フルフェイスではないヘッドギア式にオーダーメイドしたレックスZヘルム。その右側頭部に付いたダイヤルを、俺はキュッと回し込んだ。

 

「ゴアアアアアァァァァァァァッッッ!!」

 

 大銅鑼のように大気を打ち鳴らす咆哮音。リオス種のその腰を引かす怒号。

 それが届く前に、奇妙な圧迫感が俺の耳を包み込む。

 まるで耳の穴を隙間なく埋めるかのような感覚。耳からの情報が閉ざされて、鼻の奥がスッと締め付けられるような感覚。それを感じる頃には、俺は奴の咆哮の中で動き出していた。

 聞こえないことはない。音自体はこの『高級耳栓』で遮られていようと、空気の振動は伝わってくる。それでも、生で聞くよりは随分マシだ。表皮には鳥肌が顔を出すが、体の芯まで震えることはなかった。音が聞こえないだけでも、本能的恐怖を幾分か押さえつけることができる。

 

「……そうなれば、こっちのもんだ」

 

 耳が塞がれた時特有の、体内に籠る俺の声。口がそれを走らせては、俺の右手はポーチへと走る。

 そうして取り出された小振りの球体は、奴が口の奥を光らせるその瞬間に、奴の目の前へと飛び出した。

 

「にゃっ、轟音の次は──」

「イルル、目を塞げッ!」

 

 バックジャンプ、同時に放たれるブレス。リオレウスの代名詞とも言えるその動作と共に、着弾点が火を吹いた。まるでリオレイアのチャージブレスを思わせる苛烈な連鎖爆発が、遺跡平原を荒々しく焼く。大気も焦がすその勢いに、俺は思わず顔を覆った。

 いや、顔を覆った本命はこれじゃない。この爆発に紛れて身を捩らせるあの小さな玉。爆発の光を絵具で白塗りするような、強烈な光。そう、閃光玉だ。

 

「グアアァッ!?」

 

 本来、黒炎王と呼ばれる種は閃光玉が通用しない。先日師匠が言っていた通り、光によって目眩は起こすものの落下することはないのだ。その原因は、原種よりもさらに発達した翼。繊細な動作を可能とする神経回路。

 原種であれば目を眩ませるや否や、翼のコントロールが全くできなくなる。しかし黒炎王という力を付けた個体ならば、視界を奪われようがその強靭な羽搏(はばた)きにより身を持ち直すことができる。バランスを崩した人間が四肢を用いて体勢を保つように、奴もまた繊細な動きで身を空に保ち続けるのだ。

 だが、それも翼が無事であればの話。そして奴の右翼爪は、先程の一撃で見事に砕かれており──。

 

「うっしゃあ! 好機だ、行くぞオラァ!」

 

 奴の怒りに呼応するように、俺の心も滾り出す。溢れる気力を全身に、俺は思いのままに大地を蹴り上げる。

 ようやく痺れが薄れゆく右手でもう一度ヘッドギアのダイヤルを回しながら、左手では腰に備えられた『テオ=エンブレム』を引き抜いた。耳を圧迫する感触が消えたと同時に、黒炎王の巨体が大地を打ち鳴らす音が届く。

 

「にゃにゃにゃ! でっかくいくの、巨大ブーメランっ!」

 

 先ほどのものより一回り大きなブーメランが奴の首筋を斬り裂き、橙に染まる重厚な剣は巨大な竜の頭部を打ち据えた。

 電光を帯びたブーメランの軌跡と、振れば振るほど緋色の粉塵を撒き散らす剣。その斬撃の軌道には、減気の刃薬が眩しく光る。それが罅の入った奴の甲殻を確実に剥がしていった。

 

「旦那さん、そろそろ起き上がるにゃ!」

「あぁ、そうだな。離れるぞ!」

 

 剣を引いては後ろに跳んで、戻るブーメランを手にしては横にステップして。そうして黒炎王から距離を空けては、起き上がるその巨体に目を当てる。

 奴はといえば、怒り心頭といった様子だった。青い瞳は真紅に変色するのではという勢いで血走り、牙の並ぶ口は衝動を抑えきれないかのように震えている。そうして、その奥から青とも赤ともいえない奇妙な光を燈し始めた。

 翼を、まるでこの空間を包むかのように広げ、その頭を、まるで鎌のように高く上げる。

 

 それに呼応するかのように燃え立つこのエリア。沸騰するヤカンを思わせる勢いで溢れる熱気の奔流は、静かに、それでいて力強くこの空間を焼き始めていた。

 黄金色の草原は、橙色に変色したかと思えば燃え上がり、色のないはずの大気はまるで陽炎のようにその身を捩らせた。──この光景を、俺は見たことがある。

 

「……イルル、離れろ」

「にゃっ……旦那さんっ!」

 

 彼女の前に立っては、そっと盾を構えた。溢れる熱気の、その源泉となる奴の頭から目を離さずに。

 ぴょんとイルルが後ろに跳んだ瞬間、まるでそれが引き金になったかのように、奴の口内が弾けた。空間を焼くその灼炎は、着弾するや否や大地を融解させる。さながら火薬岩のように溶け出すその地盤は、ここら一帯を火山地帯へと変えた。

 

「あ、熱っ! にゃ、何にゃ? これは一体……っ」

「イルル、あの融解地点は既に限界状態だ! 間もなく爆発する!」

「にゃっ、何それ……っ!?」

 

 騒ぎ立てるイルルが武器を背負っては、慌てて熱源から離れる一方。黒炎王はといえば、ブレスの反動を利用して天高く舞い上がっていた。そうして、燃え上がる口内を振って、その熱を逃して──。

 

「……あれは……まさか」

 

 俺は見逃さなかった。奴が振り回すその口内。同時に垣間見える、奴の──火竜のタン。口内の許容量をとっくに超えたあのブレスだ。その影響か、奴のタンはこんがりと焼けていた。草の燃える臭いの中に、うっすらと香ばしい肉の香りが紛れ込んでいるような、そんな気さえする。

 なんて見惚れていたら、その光景はすぐさま霞と化した。奴が頭を振って口内の熱を排出すれば、そのタンについた程よい焼き目がどんどん薄れていく。香りも焦土のものに全て覆い隠され、気付けばその芳ばしい景色はとっくに消え去っていた。あるのは、ギラギラとした瞳を輝かせる一頭の飛竜のみ。

 

「旦那さん! にゃあああ!」

「うおっ──」

 

 突然横からイルルが飛んでくる。いつかのネコ式突撃隊を思わせる動きで俺の視界を奪い、同時にその熱源から俺ごと飛び去った。それに続くように響く、爆発音。空気が巻き上がり、同時に溢れる凄まじい熱波に、俺は思わず顔を顰めた。

 危うく見惚れていたがために、イルルが飛び付いてくれなければあの渦中に巻き込まれていたのではないか。そう思うと、レックスZメイルに包まれた背中に冷や汗が走る。

 

「何やってるんだにゃ! ボクに注意した旦那さんが隙だらけなのにゃ!」

「わ、わりぃ……。つい見惚れてて」

「にゃ? 黒炎王ににゃ?」

「いや、アイツのタン」

「……まさか、また食欲でも舞い降りてるのにゃ?」

「まぁな。イルル、アイツのタンを狙うぞ。さっさと狩って食おう、腹減った」

「にゃ……あぅ」

 

 爆風もものともせず、むしろその波に乗るような勢いで滑り込んでくる黒炎王。宙を駆けるその爪は、あの毒々しい液を滴らせている。それを振りかざしては、話し込む俺たちへと突き刺した。

 

「聞け、イルル! 黒炎王は熱に強い! 燃石炭もない今、ただタンを剥ぎ取っても調理の仕様がないだろう!」

「た、焚火があるにゃ!」

「あんなちまい火力で火竜の肉が焼けるか!」

「にゃあ? じゃ、どうするのにゃ!?」

「考えてみろ! 燃石炭が無くとも、焚火を使わなくとも焼く方法はある!」

 

 毒爪を躱して、黒炎王の背後に回っては剣を振る。しかしその手もほどほどに、頭は忙しなく動く口の方に集中する。

 同じく避けたイルルは、黒炎王から距離を開けつつ何丁ものブーメランを取り出した。俺の言葉に反応しながら、それをバラ撒く彼女。電撃を帯びたその刃が、赤黒い甲殻に傷を入れる。

 

「にゃあー……にゃっ! もしや、旦那さん。それって──」

「気付いたか!?」

「にゃ、こ、これかにゃ!?」

 

 飛び交う火球を、イルルは慌てて避けた。そうして、動揺しながらも飛び去るその火球を剣で指す。俺の思惑通りの、それを。

 

「正解だ! コイツの肉はコイツに焼かせる、良い案だろ?」

「にゃ、で、でもそんな都合のいい話にゃんて!」

「生半可な火力じゃダメだな。今のただのブレスや、ほら、アレとか」

 

 怒りが未だに収まらない奴は、回復力抜群のその口を振り回しては、凄まじい勢いの熱を振り撒いた。頭を振る度に溢れるその熱気。けれど、これでも物足りない。

 

「じゃ、じゃあ、まさか……!」

「あぁ。アイツの最大出力、地面を融解させるあの熱量が望ましい。つまり……」

「……さっきのアレを誘発して、逆にタンを奪うとでも言うのかにゃ?」

「冴えてるな、その通りだ!」

 

 振り回される巨大な尾。それを躱しては奴を刺激する俺に、イルルは悲鳴に近い声を上げた。「無謀にゃーっ!」という言葉が、俺の背中にへばりつく。

 

「無理にゃ無理にゃ! あんな恐ろしいブレスを掻い潜るなんて! 夢のまた夢にゃ!」

「チャレンジする前から諦めてちゃ世話ねぇな!」

「だ、だって、あんなの──」

「噂をすれば影が差す! そうら来るぞ!」

 

 尾を振れば剣が飛び、火を放てばブーメランが返ってくる。そんな状況に嫌気が差したのか。

 奴は再び鎌首を(もた)げた。そうして、再び溢れんばかりの炎を燈す。色のない空間に、淡い炎の色が差した。

 

「俺が突っ込んで隙を作るから、イルルはぶんどる準備をしろよ!」

「にゃ、にゃー! こうなったらもうなるようになれ、にゃ!」

 

 暴風のように飛び交うブーメランをキャッチしては、イルルは悲鳴のような声を放つ。

 それを上書きするような、劫火の音色。空間を占めるように広がる陽炎。火山の如き熱を持つ、熱波の鼓動。それが、じわりじわりとこのエリアを覆い隠していく。

 

 さて、どうするか。黒炎王はあの強力無比なブレスを放つ度に、その反動を利用して飛び上る。その高度は人間の脚力の限界を超えているということは言うまでもなく、ただ跳び上がっても届くことはないだろう。もう一段、俺と黒炎王を隔てる空間の中に足場がいる。

 

 頬の上を、汗が走った。

 熱波による汗か、緊張による冷や汗か。それに気に留める暇さえありゃしない。擡げた鎌首はいよいよ破裂寸前となり、赤い炎で青い炎を呑んでいく。呑まれた青は、赤い炎の中で揺らめき、呑んだ赤はこの空間をも呑み込もうとさらに大口を開く。

 ──その瞬間だ。とうとう、光が弾けた。

 

「だ、旦那さーんっ!」

 

 聞こえたのは、大気が焦げる音。そして、大地が捲られる音。

 揺れる視界。燃え上がる草花。融ける大地。捲り上がる、地盤。

 

「──これだッ」

 

 前に跳ぶように躱した俺の体を、無理矢理引き上げた。左脚のスプリングを最大限まで引き伸ばし、全身を上へと撥ねさせる。すると、背後から押し上げられるような感覚──いや、そんな生やさしいものじゃない。吹き飛ばされるような衝撃がやってくる。爆風が俺の背中を焼き押したのだ。

 そうして浮かび上がった俺の体。空いた右脚は、捲り上げられ、大気を漂う地盤へと辿り着く。そのまま、跳躍するかのように右脚を振り抜いた。

 

「……ゴアァッ!?」

「口開けろォッ!」

 

 爆炎を貫いて、突然飛び出してきた影。それに驚いたのか、黒炎王は何とも間抜けな声を漏らした。

 晒される間抜け面。そこへ、つっかえ棒のように右手の盾を押し込んだ。歯茎に乗せた脚で、それを蹴り詰める。

 

「ガッ……ッ!?」

「──いただくぜぇ……!」

「いっけーっ! 旦那さーん!」

 

 奥歯に詰められ、口を閉じることができない。そんな呻きを漏らす黒炎王のその舌に。握り締めた左の剣と、盾から抜刀した右の剣を交差する。そうして、その焼き目に向けて一心不乱に振り抜いた。

 爆発性の粉塵が溢れ出るのも気に留めず、俺はその舌の根元から目を離さない。研ぎ澄まされた俺の視界は、確かに剣が舌を斬り深めていくのを捉えていた。溢れ出る熱気も、肌が焼けるのも一切無視して。

 

「千切れろォ!」

 

 同時に振り下ろした、両の剣。その剣圧に、舞い上がる粉塵はまるで風に煽られたかのようにその鳴りを潜める。

 ──だが、それでも、奴の舌を斬り遂げることはできなかった。まだ薄皮一枚で繋がっている。

 

「……くッ!」

「ガアァッッ!」

 

 溢れ出る血と痛みに任せ、無理矢理盾を弾く黒炎王。そうして空いた口で俺を噛み潰そうと、その剣の山を振り下ろしてくる。迫り来る醜悪な歯並びに、俺は反射的に後ろに跳んだ。恐怖より、嫌悪感が前に出た。

 それでも、奴の牙は終わらない。宙に跳んで身動きが出来ない俺に向けて、奴は再び牙を放つ。鮮血に染まった真紅の牙が、猛然と俺に覆い被さる──。

 

「させるかにゃ! “貫通”巨大ブーメランだにゃっ!」

 

 空を焼く、煌めく青。突然乱入してきたその青い光が、鋭い刃を振りかざす。それは奴の顔に突き刺さる程度では飽き足らず、そのまま斬り裂くように、粘膜から甲殻まで焼き切った。その衝撃に、奴は驚愕の声を漏らす。

 

「ふぅ! イルル、ナイスだ!」

 

 そんな奴の頭に向けて。重力によって加速する俺の体を、少しばかり操作する。ただ少し、怯む奴の頭へと、左脚を、その踵を突き出す。それだけだ。

 ──されど、左脚。肉ではない、固く重いその脚は、重力によって鋭さをさらに増した。さながら、振り下ろされる槌のように。銀光りする鎚のように。

 

「せいッ!」

 

 響く金属音。固いものと堅いものが奏でるその音色。それを塗り潰す、火竜の悲鳴。

 衝撃が脳まで伝わったのか、これまで打ち込んだ減気の効能がやっと回ったのか。奴は滞空しながらも、昏倒(スタン)を引き起こしたのだった。そうなれば当然、翼のコントロールなど出来なくなる。つまり、墜落だ。

 

「ここにゃあああああぁぁぁっ!」

 

 巨体の落下音を押し退けるように、巨大なにゃんにゃんぼうを構えるイルルが、獣らしい怒号を上げた。そうして、目を回す奴のその口へと振り被って──。

 

 炎の色に染められた筈の金の草花は、色の深い紅色へと変貌した。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「いやぁ、こりゃいいな。俺が焼かずともすでにこんがり。うんうん、いい香り」

「……下手したら旦那さんがこんがり肉になってたにゃ」

「むしろコゲ肉になりそうな勢いだったけどな!」

「わ、笑い事じゃないのにゃ! 心配したんだから!」

 

 激しく尻尾を振るイルル。大きな瞳を見開いて、俺を諌めようと声を張る。そんな彼女の頭をそっと撫でながら、俺は手にした剥ぎ取りナイフで火竜のタンを切り分ける。ベースキャンプに棚引くそよ風が何だか心地良い。

 こんがりと焼けたそのタン。熱を逃しきれなかったそれは内部の芯にまで熱が通っており、切り分けるごとに深い肉の香りを漂わせた。

 濃厚で、それでいて爽やかで、鼻孔を掻き揚げるようなその香り。香りが引き金になったかのように、俺の口内では唾液が滲み始める。

 

「見ろよ……すげぇ良い色。苦労した甲斐があったってもんだなぁオイ」

「むむ、程々にしてほしいのにゃ……」

「まぁそう言うな。ほれ、食ってみろよ」

「んにゃ……」

 

 一枚、薄く切ったタンを摘まんでは、イルルにそっと手渡した。それを受け取ったものの、未だ納得のいかない表情で眉を顰める彼女。しかし、俺の顔とタンを何度も見比べては、ようやくそれを、恐る恐る口にした。

 訝しむように噛むイルル。だったが、もぐもぐと顎を動かしては、その度に少しずつ頬を綻ばせていく。大きな瞳を徐々に細めていき、いつの間にか満面の笑顔を浮かべていた。噛む度に聞こえるコリコリという音が、余計に俺の腹を刺激する。

 

 よし、俺も早速食べてみようじゃないか。

 摘まんだ一枚のそれを、軽く口に放り込む。そうして、さながらあの火竜のように口を閉じた。歯に伝わってくるのは、タン特有のコリコリとしたこの食感。噛む度に少しずつほぐれていき、その度にジューシーな旨みを溢れさせる。

 その味わいは、何とも独特だ。旨味も強く、意外に脂分も多い。それでいて爽やかで、あっさりとした風味も併せ持っている。歯応えのある食感も相まって、肉の部位の中でも独自のポジションを持つタン。その特権をふんだんに使ったこの味は、クセになる要素で満ちていた。

 

「……こりゃうめぇ、箸が止まらねぇな!」

「ふにゃあ、この噛み応えが堪らないのにゃ。ぐっと顎に力を入れると伝わってくるタンの弾力性、これは上質だにゃあ」

「このままでもいいが、色々付け加えても良さそうだな。レモンとか、トウガラシとか」

「前半賛成、後半断固拒否にゃ」

「……ハァ、チビネコちゃんには分かんないかね。辛味あるタンの素晴らしさが」

「にゃむ、わ、悪かったにゃね……」

「仕方ない。この大人の味は、大人な俺だけで堪能しようかね。はっはっは」

「む、むむむ……そんなこと言われたら、ボクだって引き下がれないにゃっ。や、やってやるにゃ!」

「おっ、よぅ言った! それでこそ俺のオトモだ! ほれ、食え」

「ひっ、ひゃう! つ、つーんとくるにゃ。か、辛そう……」

「その辛みが良いんだって。とりあえず食べてみな」

「……うぅ、お、女は度胸、にゃ! 行くにゃあっ!」

 

 意を決したようにタンを口に入れるイルル。赤身の肉が粉末による赤で染まったそれを、勢いよく口に入れた。先程のように、確かめるように咀嚼して、顎をせっせと動かして。

 ──その一噛み一噛みをこなす度に、イルルは顔を赤らめていく。あの黒炎王のようにイルルが火を吹く様は、それはそれは圧巻だった。

 

「……爆炎袋かよ」

「ひぃぃ、か、辛いにゃーっ!!」

 

 

 

 

~本日のレシピ~

 

『黒炎王のタン』

 

・黒炎王のタン   ……300g

・お好みで塩胡椒、レモン、トウガラシなど。

 

 

 






第3章『狩人真生譚』のプロローグとなりました。説明不足感で一杯なのはプロローグだからです(キリッ
あの治療の後にシガレットはどうなったのか? 師匠とは何者なのか? そういった答えが明かされるのはこれから……のはず。

新章開幕ということで、黒炎王のリベンジ戦。前々からこの構想は浮かんでいたので、やっと形に出来たなぁ……といった感じです。あの時の個体と同一かどうかは不明ですが、ね。上位レウス狩れば狩猟許可出されるくらい規制は緩いということで、G級ハンターなら条件無しに二つ名を狩れるという設定になっております。どうかご了承をば。というかG級上がる前に狩ってるだろ、常考。

心機一転ということで、また第1章のモン飯らしいストーリー構成に出来たらなぁと思ってます。感想・評価をスモークタン食べながら待ってますよーっ!
ではでは、閲覧有り難うございました!

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