モンハン飯   作:しばりんぐ

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モンハン飯もとうとう一周年です。





医食同源

 

 

 ――満たされない。

 

 いくら息をしても、いくら水を飲んでも。知り合いが顔を出して、医師が俺の体を弄って、俺の体のために東奔西走してくれようが。心の渇きは、一向に収まらない。

 

「……ぐッ……!」

 

 まただ。発作のように訪れるこの苦しみ。

 定期的に俺の体を蝕むそれは、ゆっくりと、しかし着実に俺の心を食い破っていく。俺一人ではどうにもならない。もう何もかも、全てが崩れていくような、そんな絶望感だった。

 

「うっ……くッそが……ッ!」

 

 薄まってきた包帯に包まれた手で、懸命に体を支える。両の掌が触れるその感触に、俺の体は少し落ち着きを取り戻した。どうしようもならない感覚が、名残惜しそうに俺から離れていく。またやってくるぞ、とでも言うように。

 

「ハァ、ハァ……」

 

 まずい。このままじゃ、俺は俺でなくなってしまう。何とかしなければならない。

 だが、どうすることもできない。俺は今自由に動けない。俺自身の管理は、全て人に委ねなければどうしようもないのだ。自らの意思で、自らが求めることを行うことが出来ない。

 

「クソ……まだか、まだなのか……」

 

 少しだけ自由を取り戻し始めた両手の指を重ねながら、俺は消え入りそうな声でそう呟いた。俺を苛ませるこの不快感。一人では解決できない無力感。この孤独の病室で、それらが重く重く俺に圧し掛かってくる。

 ――その時だ。

 

「シガレットさーん。昼食の時間ですよ」

 

 そっと開けられたその扉から、光が差した。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 旨みと甘み。ほどよく効いた塩の味が、俺の口の中で花を咲かせる。ほくほくとしたその食感は、俺の口の中でほろほろと崩れていった。噛めば噛むほど溢れるその風味に、俺の心はゆっくりじっくりほぐされていく。

 蒸かしたヤングポテトは、庶民的らしい優しい味が特徴的だ。病院食ということもあってやや薄味に調整されたこの味だが、かえって芋の味をよく感じさせてくれる。

 

「あぁ……」

 

 ベルナッパは少し癖のある野菜だ。俺の目の前にあるそれは、胡麻で味を整えられた小鉢ものであり、野菜らしい穏やかな香りを放っている。

 噛んでみれば、湿ったようなみずみずしい感触が歯茎に響く。苦味を拡散させるその味だが、苦味の中に甘みがあって、胡麻の風味の良い香りも同時に漂ってきた。時折口に入れるくらいが丁度良い味だ。

 

「これだ……」

 

 少量のご飯を頬張りながら、俺はとうとうメインディッシュに手を付ける。

 本日の昼食の主役は、出し巻き卵だった。ご飯と同じく小振りなそれは、形の良い丸みを帯びて、上品な黄色に包まれて。

 そうして口に入れてみると、ふわふわと柔らかい食感が口の中でとろけた。ぷるぷるとしたその食感と共に溢れ出す、甘い甘いこの風味。甘く味付けされたその味は、病人の心を休めさせる。噛む度に甘みを塗り出して、その度に心が穏やかになっていく。

 

「うんうん、いい感じ……」

 

 俺の目の前で広げられたそのプレートを蹂躙しては、俺は俺の腹を少しずつ埋めていった。

 先程までの空虚感や絶望感はもうない。俺を蝕む苦しみも、じんわりやんわり薄れていく。空っぽになった俺という器に、清らかな水が注がれていくような。そんな感覚だった。

 

「さてさて、次は――」

 

 そうして、新たな味に手を伸ばす。

 まだ半分にも届いていない俺という器を埋めるため、もっともっと水を求めて、箸を皿へと伸ばしていって。

 

「――ッ……そ、そんな……ッ!?」

 

 今度は、皿が空虚を手に入れていた。伸ばした箸が、次の何かを掴むことはなかったのだ。ただただ惨めに、掴むものを失った箸は行き場を無くしたように虚しく揺れる。

 目の前に見えた希望を再び失った俺は、またもや絶望感に打ちひしがれた。

 

 ――満たされない。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「旦那さーん、調子はどうにゃ?」

 

 ガラリと、扉が開かれた。雪国特有の静かな雰囲気を打ち破る、華やかな声。

 ぴょこっと、元気よく顔を出したのは、同じく雪のような体毛に覆われたアイルー、イルルだった。

 

「お……イルル、来てくれたのか」

「もちろんにゃ、旦那さんのためとあらば例え火の中水の中……にゃ!」

 

 元気よくベッドに飛び乗っては、俺に体を擦り付けてくる。ふわふわとした感覚が妙にこそばゆい。いつもなら適当にあしらっていたそれだが、自由の効かない今ではあしらいようもない。

 

「やめろって、くすぐったいよ」

「にゃ、ごめんにゃ。それより、調子はどうなのにゃ?」

「腹が減った、これに尽きる」

 

 少し身を起こしたイルルは、空になった俺の昼食プレートを見ては察したような鳴き声を上げる。

 俺が一体何に苦しんでいるか分かったのだろう。どこか呆れたような、そんな鳴き声とも溜息とも区別のつかない憂いを漏らした。

 

「普通、植皮して背中が痛いとか、何かもっとそういうのだと思うのに。旦那さんらしいといえばらしいんだけど……にゃあ」

「悪いが、これより酷い痛みはすでに経験してるんでね。でも、痛みには慣れても空腹には慣れないよ」

 

 彼女の言う通り、左脚の処置のために俺は植皮手術を施された。

 背中の皮膚を剥ぎ取って、抉れた左脚に植え付ける施術。はっきり言って中々強烈な痛さのこれだが、俺にとっては痛みより空腹の方が気になってしょうがないのだ。

 

「病院食はほんとに量が少ないよなぁ。腹四分目だ、いつも」

「にゃあ、怪我人に食べ過ぎはよくないにゃ。大人しくしててにゃ」

 

 そっとベッドから下りては、カーテンを開けるイルル。そこから差し込む日差しを感じては少し眩しそうに目を細めている。同時に部屋にも光が注ぎ込み、白い内装がより鮮やかになった。

 

「んで、体の調子の方はどうなのにゃ?」

 

 わざわざ体の、という対象を付け加えてそう言ってきたイルル。俺の腹事情ではなく、体調事情を聞きたいという訳か。

 

「まぁ、ボチボチかな。相変わらず身動きは取れないけど、箸を使えるくらいには回復したぞ。一人で飯が食えるようになったから、上々かな」

「旦那さんらしい基準だにゃ。でも、脚も背中もまだまだ重体なんだから、安静にしてにゃ?」

 

 散乱したタオルやら何やらを整理しながら、イルルはそう注意喚起してくる。まるで嫁さんのようなその仕草に、俺は思わず笑みを溢してしまった。その真面目さが可笑しくて、とても微笑ましい。

 包帯だらけの手で、再び俺の横で腰を下ろす彼女を撫でながら、俺は小さく息を吐く。気持ちよさそうに目を細める彼女を眺めていると、何だか心が安らいでいくのを感じた。

 

「……ま、なんだ。毎日見舞いに来てくれるのが嬉しいよ、イルル」

「にゃあ。ボクだって、毎日旦那さんと一緒にいたいにゃ。一人で眠る夜は寂しいのにゃ……」

 

 悲しそうに目に涙を浮かべるイルル。思えば、日が落ちれば面会時間が終わってしまうがために、彼女には宿に一人で泊まってもらっていた。

 毎日俺の布団に入り込んできていた彼女だ、そう感じるのももっともなのだろう。

 

「ごめんな、すぐ治すから。もう少しだけ待っててくれ」

「……にゃ。待ってる」

 

 きゅっと、その小さな手で俺の指先を握るイルルは、小さく、しかし力強くそう言った。意志の強い彼女らしい、短くとも固い響きだった。

 

 

 

 

「……でな、ものは相談なんだが、何かおやつとか持ってきてくれないか? 腹が減ってな……」

「あっ……安静にしてって、言ったばかりにゃのに……!」

 

 呆れたような震え声が、病院に咲く。頃合いを見計らって持ち掛けたその交渉に、当のイルルといえばその大きな瞳を曇らせた。しまった、これは落とし穴を掘ったか。

 優しい癖に変なところで頑固な彼女は、そうしてまた俺に説教を垂れ始める。長ったらしい彼女の説教。説教で腹が膨れれば、苦労はないというのに。

 

「……ハァ、腹減った……」

「コラ! 聞いてるのかにゃー!」

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「――で、僕を使うとは。……やりますねぇ」

「いやな、頼れるのはお前だけなんだよ、トレッド」

 

 袋詰めされた小振りなパンを手渡してきては、溜息を吐く男性。先日散々世話になったトレッドという俺の旧友に、腹の足しの配給を頼んでいたのだ。

 野暮用と言っては部屋を後にしたイルルは、先程のやりとりの通り配給をしてくれることは見込めない。腹も満たない説教が返ってくるだけだ。イズモは口が軽いため、きっとイルルに口を滑らすだろう。そうなれば全く意味がない。

 であれば、頼めるのはトレッドしかいない。それが俺の判断だ。

 

「ギルドナイトを顎で使う一般人は君だけでしょうよ、シグ」

「それだけ俺はお前のことを評価してるってことさ」

 

 そんな軽口を混ぜながら、彼が渡してくれたものに目を移す。

 『米粉(こめこ)パン』。彼がくれたものはそれだった。

 両の掌に収まる程度のそれは、丸っこい形が特徴的だ。切り込みを入れて焼いたのだろうか、表面には十文字の特徴的な模様がついている。その周りには白い粉末が降り注がれていて、何とも不思議な雰囲気のパンだ。

 

「ほぉー、これは」

「高原米を使って作られた米粉パンです。先日ベルナ村に行ったので、そのついでに」

 

 ベッドの端に腰かけた彼は、そんな説明口調を垂れ流す。ベルナ村といえば、高地に存在する田舎の村だ。そんなところからの土産をわざわざ持ってくるとは。

 とは言いつつも、この前に俺の見舞いに来てくれてから早一月も経っているのだから、時間は十分にあったと言えるのだが。

 

「わざわざベルナ村にまで向かわされるなんて、ギルドナイト様は大変だな」

「以前君と狩った獣竜種の特異個体が発見されたとかで、ね。尻尾が体より長いモンスターなんて初めて見ましたよ」

 

 適当な軽口を交えながら、トレッドはそう言っていた。

 以前狩ったといえば、霞ヶ草のおひたしを作る前のアレか。山菜ジイさんと一緒にカレーにした獣竜種――確か、斬竜、ディノバルド。それの特異個体なんて存在したとは驚きだ。一体どんな味がするのだろう。

 なんて思惑しながらも、ふとその分類について思いを馳せた。獣竜種、また獣竜種か。どうも彼とは、獣竜種を介しての縁があるような気がする。その事例といい、今回のことといい。

 そう感じていたのは俺だけではないようだ。トレッドも少し視線を外しながら、アレ(・・)に関する情報を口にした。

 

「……肝心な淆瘴啖イビルジョーのことですけどね、今度はしっかりギルドが監視してますよ」

「……そうか」

 

 空気が重くなる。そのワードを口にした途端、彼の発する空気が重苦しくなった。

 そういう俺も、同じかもしれない。耳にした瞬間、身体が強張ったのは事実だ。

 

「ギルドの連中は……また手を出すか?」

「どうでしょう。ギルドナイトも何人か返り討ちに遭ってますし、死者すら出ている始末。当分は見送るんじゃないでしょうかねぇ」

「……出来るとしたら、お前くらいかもな」

 

 困ったように両手を広げる彼に向けて、そう呟く。

 すると重い空気を発していた彼だったが、今度は薄ら笑いながら「冗談はやめてください」と、俺の質問を一蹴した。愛想笑いと苦笑いをブレンドしたような、そんな表情だった。

 

「君との契約です。そんな真似はしませんよ」

「……どうだか」

 

 謙遜するようにそういう彼だが、どうにもこうにも胡散臭い。初めて俺とコンタクトをとって、コイツの仕事に巻き込んできた時を彷彿とさせる、そんな表情だ。契約なんてもっともらしく表現するのが、余計に胡散臭さを助長させる。

 

「……とりあえず、ドンドルマに行くしかないか。正攻法が一番安泰かな」

「いやいや、君は体のことを一番に考えるべきでしょう。……もうこの際、ハンターなんて辞めたらどうですか?」

 

 冷めた瞳が、俺を貫いた。リアリストの彼らしい、鋭利なナイフのようなその言葉。それが俺の心をサッと斬り付ける。

 考えてみれば、俺は片脚を失ったのだ。ハンター生命が断たれたと言っても過言ではない。普通なら、ハンターを辞めるという選択肢しかないはずだ。

 

「はぁ? ふざけんな。片脚を失っても、俺はまだ……」

「そんな状態で淆瘴啖を討とうなんて、無謀にもほどがある。どころか、イャンクックにすら勝てませんよ」

 

 厳しい言葉だった。現実を突き付けられたような気がする。

 確かに、片脚が無ければまともな機動力は得られない。両脚が揃っていた頃の動きを足一本でやろうなど、現実的に不可能だ。彼の言うことはもっともである。

 だが、それだけで「はいそうですか」と引き下がれるわけがない。俺はまだ、自分のハンター生命を見限ってはいないのだから。

 

「……そんな状態、だろ? だったら、代わりの脚を用意すればいい」

「へ? 何をそんな……って。まさか、シグ。君は、もしかして……」

「シナト村で聞いたんだ。伝説の職人は、如何なるものも造り上げると。ナグリ村にも来たことがあって、土竜族のために義肢を造ったことあるというのも」

「……つまり、義足を用意するということですか?」

 

 神妙な顔つきでそう尋ねてくる彼に、俺は小さく頷いた。

 ナグリ村の住民で、かつて作業中に脚を失った人物がいたらしい。たまたま居合わせた伝説の職人は、彼のために代わりの脚を造ったのだとか。相当前の記録であるらしく、その土竜族も既にいなくなっていたが、機工の脚を携えた村民がいたのは確からしい。

 

「伝説の職人なんて、雲を掴むような話ですよ。以前はドンドルマにいたそうですが、今となっては一体どこにいるのやら……」

「星のような数のハンターの中から標的を炙ってきたお前なら、出来るんじゃないか? 情報通のギルドナイトさんよ」

「……はぁ」

 

 そんな俺の言葉に、彼は困ったような声を漏らした。呆れと嘆きも含まれているかもしれない。とんでもない奴と組んでしまったと、後悔が表情の中に滲んでいる。

 

「少し漁ってみます。ですが、あまり期待はしないでくださいね?」

「あぁ、助かるよ。生憎俺は友達があんまりいないから、な」

 

 免罪符のようにそう言っては、彼は病室を後にした。何というか、彼の心労を俺が嵩増(かさま)ししているかのような気分だ。あながち間違っていないだろうが。

 トレッドなら、ギルドナイトなら、ギルドの一般には公開されない情報にも踏み込める。彼は俺の数少ない友人の中でも、最も事情に融通が利く男だ。きっと、トレッドなら。

 

「……うまっ」

 

 そっと、彼がくれたパンを齧った。米粉パンと言いつつも、そこまで米らしい印象はない。見た目や感触も相まって、パンという印象の方が強い。しかし、香りは従来のパン特有の小麦らしさではなかった。やはり米をふんだんに利用しているようで、米らしい穏やかで落ち着いた匂いがする。

 食感は、これまた特徴的だった。小麦由来のパンよりもさらに上にいく、その食感。もちもちと柔らかく、まるで餅でも食べているかのような気分だ。噛む度にもちっとほぐれていくその食感に、俺は思わず楽しくなる。噛むのが楽しい。もっと噛み続けていたい。

 食感や香りはさることながら、味もまた米らしいものだった。淡泊で色の薄い味。小麦よりはあっさりとしたその風味に、俺は少し感嘆してしまう。小麦のパンならば、ジャムなりバターなり何かしらのアタッチメントが欲しくなるが、このパンでは話が違った。

 薄味であることには変わりないが、何とも珍しい風味。口いっぱいに広がるこの風味を楽しむには、このままで食べるのが一番だと、そう感じた。このパンは、このまま食べるのでいい。むしろ、このままでなければならない。

 

「あぁ、少しだが満たされる。パンって偉大……いや、米か? でも、パンだよな?」

 

 ごくんと呑み込みながら、そんな自己問答が俺の中を走り回る。今俺が食べているのは確かにパンであって、でもそれは米で出来ていて。パンか米、どちらを讃えればいいのか分からなくなってきた。

 いや、どっちでもいい。どっちもいい。パンだって米だって、素敵な食べ物なんだ。貧相な治療生活のお供にはピッタリだ。

 なんて考えていた瞬間。突然、目の前の扉がガラリと開いた。

 

「旦那さーん、お邪魔するにゃ!」

 

 その突然の客は、他でもないイルル。――イルルッ!?

 慌てた俺は、ゆっくり咀嚼していた米粉パンを呑み込んだ。パンを包んでいた袋は空かさず布団の下に詰め、何事のなかったかのように表情を作る。一気に詰め込んだパンで、呼吸も詰まりそうだ。

 

「……? どうしたのにゃ?」

「ふぁっ、ふぁんでも……んっ、……ないよ?」

 

 俺が出来る精一杯の笑顔を浮かべ、不思議そうに首を傾げるイルルを出迎えた。我ながら迫真の演技だと自負している。

 ――つもりだったが、彼女には通じなかったようだ。何かに気付いたように、彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべた。

 

「旦那さん? 何だか、変な匂いがするにゃ」

「うっ……」

 

 くんくんと部屋の匂いを嗅ぎながら、イルルはゆっくりと俺に近付いて来る。パンそのものは隠せても、その匂いだけは隠せないようだ。確かに、俺の鼻にもあのパンの芳ばしい香りが届いている。

 

「これは……お米かにゃ? でも、パンみたいな香ばしい香りにも感じられるにゃあ」

「いや、これは、その……」

 

 目が全く笑っていない笑顔で、イルルは俺のベッドの上にまで来た。そうして、俺の首筋に頭を擦り付けてくる。

 いつもなら何のこともないその仕草だが、今のこの状況ではどうにもこうにも言葉に出来ない圧力があった。何というか、奥さんに内緒で飲んできたことがバレた旦那のような。そんな気分だ。

 

「にゃーん、ボクは安静にしててって、言ったにゃあ?」

「あ、いや、誤解だ……!」

 

 王手が掛けられたこの状況。どうにもこうにも、俺がこれを覆す方法はなさそうだ。為す術を無くした俺を前に、イルルは困ったような溜息をついた。まずい、このままではまた説教が飛んでくる。

 そう覚悟した、その瞬間だった。

 

「……邪魔するぜ」

 

 唐突に開けられたその扉。低い声でそう言っては、一歩部屋へと足を踏み入れてくる人物。リオレウスらしき防具で身を包んだ、小さな影。

 目深に被った兜は顔を覆い尽くしており、その表情は読み取れない。黒いマントを翻すその鎧は、そこらのリオレウスの装備より黒ずんでおり、厳つさも物々しさも段違いだった。

 そして何といっても、その背丈。俺の腰程度しかない。イルルとどっこいどっこいか、ちょっと彼女より高い程度。その背丈は、シルエットは、アイルーのそれだった。

 

「にゃ……誰にゃ……?」

 

 その突然の来訪者に、イルルも少し身構えた。しがみついていた手を緩め、そっと俺から身を離す。いきなり入ってきた見たこともない人物に、当の彼女は困惑気味だった。

 一方の、やってきたそのアイルーはというと。

 

「……ふざけやがって。噂は本当だったッつーわけか……」

 

 ネコらしさとは程遠い渋い声でそう唸っては、その兜の奥の三白眼を光らせる。

 そうして、右の肉球を固く握っては、俺に向けて素早く跳躍した。ナルガクルガの跳躍を思わせる、目にも止まらぬその速さ。それが一直線に、俺の頬で破裂したのだった。

 

「何やってんだッッ! この馬鹿弟子がァッ!」

 

 超速度のネコパンチが炸裂し、俺の視界が激流に呑まれた。喉奥につっかえていた米粉パンが逆流し、口内で溢れる鉄の味が、胃酸の味と共にパンへと塗りたくられる。お世辞にも美味いと言えないその味が、まるで渦潮のように口内を暴れ回った。

 

「……ッ……!」

 

 だけど、それよりも衝撃的なものが、今目の前にいる。鉄臭い血の味も、胃酸の酸っぱい味も、まるで気に止めなかった。気に止められなかった。

 口の中で溢れかえるものは一気に呑み込んで、揺れる視界を目の前のネコに定める。その声はかつて何度も聞いたあの野太い声で、その拳はかつて何度も打たれたあの力強さで。

 目の前のこのネコは、紛れもない俺の恩人――ならぬ恩ネコだったのだ。

 

「いッ……てぇな! ――こんの、クソ師匠がッ!」

 

 

 

 

~本日のレシピ~

 

『米粉パン(4個分)』

 

・高原米粉     ……150g

・白ソルガム粉   ……30g

・お湯       ……120g

・古代林塩     ……適量

・砂糖       ……適量

・ドライイースト  ……2g

・サラダ油     ……13g

 

 






という訳で、第2章:狩人遠征録のエピローグでした。


皮膚から骨がこんにちはって、すっごく痛いんですよねぇ。何が痛いって傷を負った時じゃなくて、治療とか消毒とか、丁度今のシガレットさんみたいな時期が、ね。泣き叫びたくなりますよぉ~、治療ぅ。空腹の方が気になるなんて、普通はそうはならないと思うの。でもリハセンは食事事情に厳しかったり。シガレットさんにとっては地獄かも。

唐突な新キャラ登場で、第二章は終わります。次回からは第三章ということで……モンハン飯も二周年を迎えられるのか、その前に完結できるのか。
ではでは。閲覧有り難うございました!

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