モンハン飯   作:しばりんぐ

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 イルルちゃん視点です。





吐いた蜜は飲めぬ

 

 

 目の前にあるのは、何にゃ? 何だか見覚えがある気がするにゃ。

 

 黄金色に輝く衣。光を反射する、燃えるような紅色に染まった殻。溢れる油の香りと潮の香りは、鼻を動かすたびに無遠慮にボクの中に入ってくる。

 一体何だろう、これは。つい最近感じたような気もするし、結構前だったような気もする。

 噛めばしゃおっと音がして、衣が口の中でポロポロとこぼれていって。中で眠る肉は、綿密な繊維を束ねたような、そんな感触。噛めば噛むほどそれをゆっくりほぐしていくみたいで、歯応え抜群にゃ。

 それどころか、噛む度に旨みが染み出してくる。海で凝縮されたさっぱりとした塩味。それが繊維の一本一本に染み込んでいて、ほぐれればほぐれるほどその塩味が口の中に広がっていって。口の中が一つの磯になっていくような、そんな気分にゃ。

 

 やっぱり美味しいのにゃ、エビフライ。女帝エビという高級なエビを、それも栄養分豊富なモガ近海で獲れたらしいそのエビを贅沢に使った逸品にゃ。ボクの小さな手では、その大きなエビフライは収まり切らない。食べようとしても、何回かに分けて噛まないと食べ切れないにゃ。

 

 にゃ、尻尾も残さずいただくにゃ。

 

 尻尾は、衣以上に固く、独特の歯応えがある。衣の食感をサクサクと表現すれば、尻尾の食感はパリパリになるのかにゃ? 噛めば、薄い煎餅のように細かくなっていくそれ。若干染みついた衣の風味良い香りも相まって、何とも不思議な味が口内を過ぎる。

 いや、味というよりは、やはり食感を楽しむものなんだろう、これは。生半可な力では中々割れないその尻尾。ぐっと力を込めれば、小気味良い音を立てながら割れていく。何というか、噛むのが楽しくなってくるにゃ。

 それにしても、薄い煎餅みたいな食感、かにゃあ? 何だか、聞いたことがある――いや、食べたことのあるような気がするにゃ。一体何だったかにゃ?

 

 何て思いながら、エビフライを呑み込んだ。サクサクパリパリのそれが、口の中でゆっくり柔らかくなって。ぷりっぷりの身は、口の中で細かく、細くなって。そうして呑み込むこの感覚は、何とも余韻に浸ってしまうにゃあ。

 

 ……にゃ、二本目にゃ!

 

 さっきのは、エビフライそのものの味を楽しんだ。今度は、別のアタッチメントを付け加えたいと考えてるにゃ。

 

 そうして用意されたのは、薄黄色が白に混じる魅惑的な半固体。ツンとするマヨネーズの強い香りが特徴的な、タルタルソースにゃ。

 マヨネーズを土台に、レアオニオンやジャンボピクルス、ケッパーにレアパセリといった野菜、そしてゆでたまごをみじん切りにして混ぜ込んだそれ。マヨネーズの香りに隠れて、たくさんの野菜の香りがこっそり顔を出してるにゃ。中でも、よく茹でた白身がしっかり残っているゆでたまご。これがボクのお気に入りにゃ。

 

 そんなソースをたっぷりエビフライに付けて……いただくにゃー!

 

 口いっぱいに広がる潮の味。そうかと思えば、じっくりじっくりやってくる乳製品の甘み。酢が入り込んだ、マヨネーズらしいうっすらとした酸味。でもこれはマヨネーズじゃない、タルタルソースにゃ。この中には、たくさんの野菜が入ってるのにゃ。

 玉ねぎの爽やかな風味。ピクルスの独特な味わい。酸っぱいような甘いような、不思議な味。そして何といっても、ゆでたまごの濃厚な味わい。甘みも旨みも全部一緒に混ぜ合わせたような味に、まろやかでとろける様な口どけ。

 そんな黄身に対して、白身は細かいながらもそのつるんとした食感をよく残してる。黄身と、野菜と、白身。別々の味が一つのソースの中で混ざり合っていた。全く違う味のはずなのに、逆にそれが味に華やかさをもたらしてるにゃ。

 

 ……にゃにゃっ、これは革命的なのにゃ!

 

 甘くて、酸っぱくて、とっても美味しいこのソース。これがサクサクの衣に染み込んで、弾力溢れるエビのお肉に掛かり始めた。塩味に染まっていたそれに、タルタルソースの濃厚な味が重なっていく。何というか、フレッシュな味わいにゃ。

 ぷりぷりとしたその食感に、ほぐれていく繊維の中に、タルタルソースの爽やかな味が合わさって、もう口の中が雑貨屋の品ぞろえのようだにゃ。海の幸と山の幸、農場の幸が融合していく。素材も味も全く違う品の数々が、喧嘩しないで仲良くしてる。とっても微笑ましくて、食べてるボクも笑顔になってしまうにゃあ。

 

 ……にゃ、まだまだおかわりがあるのにゃ?

 

 タルタルソースの乗ったエビフライをまた一本呑み込んで、そっと目の前の皿に目を移す。するとそこには、山のような量のエビフライが積み上がっていた。

 数え切れないくらいのエビフライ。薄く焦げみを残した黄金色の衣、そして鮮やかな赤で染まる尻尾。それらで出来たこの大きな山は、僕にとっては魅力的で魅力的でしょうがなかったのにゃ。だから、もっといっぱい食べようと、その山に向けて手を伸ばして――――。

 

 ……にゃ? 旦那さん?

 

 ふと、その奥から旦那さんが姿を現した。やや覇気のない表情で、ユラユラと危うい足取りを刻みながら、ゆっくりエビフライの山へと近付いてくる。顔には少し影が掛かっていて、どんな顔をしているのか分からない。

 

 旦那さん? どうしたのにゃ? 旦那さんも食べるにゃ?

 

 食いしん坊な旦那さんのことだ。きっとこのエビフライを食べに来たんだろう。

 こんなにたくさんあるんだから、当然ボク一人じゃ食べ切れないにゃ。それに、旦那さんにもこの美味しさを味わってほしいにゃ。だから、食べて? 旦那さん――――。

 

 ……にゃっ? そ、その手に持っているの――何、にゃ?

 

 ようやくエビフライの山の目の前までやって来た旦那さん。そんな彼の右手には、どうにも怪しい透明の容器が収まっていた。

 伸縮性のある透明なそれは、中に黄色と橙色を混ぜ合わせたような液体を溜め込んでいる。ただの水とは違い、ねっとりとした印象のあるそれ。何やらただならぬ存在感を感じるにゃ。

 

 すると旦那さんは、突然その容器を振り被った。エビフライの山の頂上よりも高く、その上まで伸び切った彼の腕。そうしてエビフライの山へと照準を定める、透明な容器。

 

 ――何だか、嫌な予感がするにゃ。むしろ嫌な予感しかしないにゃ。まさか、まさか旦那さん。それを、それを――。

 

 瞬間、その容器からその中に入っているだろう液体の香りが漂ってきた。

 匂いで分かる、その甘さ。芳醇で、濃厚で、他に見ない強さをもつことがよく分かるその香り。甘くて、そしてどこか淡い酸味を含んでいるだろうそれ。そのねっとりとした粘液状の動きを相まって、ボクはいつか見た光景を脳内で再生したにゃ。

 

 調合用のビンを巧みに操る旦那さん。中に細かく刻んだ薬草とアオキノコを入れ、そうしてあの黄色の液体を注いでいた旦那さん。ビンの蓋を閉じて、調合を始めた旦那さん。

 

 つまり。つまりつまりつまり。旦那さんが握り締めて、中身を勢いよく押し出している液体の正体は。

 重力に従うまま、エビフライへと降り注いでいくその液体の正体は。

 全国のハンターさんが最も農場で栽培してる、もしくは商人に入荷を依頼しているあの――――。

 

 

 

 

 

 

「――うわあああぁぁん! やめるにゃーっ!!」

「へぶっ!?」

 

 振り被ったボクの肉球は、何かに直撃した。

 突然体に力が入ったかのように、違和感に染まったこの動き。それでも、ボクの肉球は確かに何かを弾いた。きっと、きっと名状し難い悪行を犯す旦那さんを成敗したんだろう。

 

「……っ! イルル、お前! 眠ってたと思ったらいきなりネコパンチかましてくんなよ!」

「……にゃ?」

 

 え、眠ってた? ボク、眠ってたの?

 そんな旦那さんの悲痛な叫びに応えるように、ボクは起き上がっては当たりを見渡した。あのエビフライの山はどこにもなく、あるのは勇壮と立ち昇る幾つもの山々。ボクたちを囲うように(なび)く、美しい森林。最近見慣れてきた景色、渓流だったにゃ。

 

「……あれは夢だったのかにゃ?」

「あ? 夢だぁ?」

 

 重い頭を振り回しつつ、地に付いたお尻を持ち上げる。そうして立ち上がった視線の先には、何とも立派なハチの巣があったにゃ。

 茶色をいくつも貼り合わせたようなそれは、ボクの体よりも大きく見える。小さなハチが何匹も飛び交って、この巣の規模の大きさを主張しているみたい。

 

「何だ、俺がハチミツ獲っている間美味しい夢でもみてたのか? おはよう」

「にゃ、お、おはようにゃ……ごめんなさい……」

 

 何てことだにゃ。旦那さんが採取に励んでいる間、ボクはうたた寝をかましてしまった。どころか、悠長に夢なんてみてたのかにゃ。こんなんじゃ、オトモ失格だにゃ――。

 

「気にすんな。それよりこれを見てくれよ、ロイヤルハニー! 上物だぞ!」

「にゃ、ハチミツ……?」

 

 そんなボクを全く咎めず、どころかとっても嬉しそうに手に持ったビンを見せてくる旦那さん。その表情はまるで少年のようで、何だか微笑ましい。見てるとこっちまで顔が自然に(ほころ)んでしまう。

 彼が見せてくれたビンの中には、黄金色にそっと橙色を落としたような、鮮やかで濃い液体で満たされていた。そこから漂う香りは甘く、それでいて深い。そこらのハチミツよりも質が良いということは一目瞭然だった。

 

「ロイヤルハニーって、高級なハチミツだったかにゃ?」

「そうだよ。回復薬グレードに使うようなちゃちなもんじゃないんだぞ」

 

 ――思い出した。ボクたちは今日、ハチミツを獲りに渓流に出掛けてたんだった。それもただのハチミツじゃない、ハチミツの王様であるロイヤルハニーを求めて。

 元はといえば、旦那さんがロイヤルバターを福引で当てたのが事の発端だったんだっけ。雑貨屋の福引で、八等という微妙な当て方をして、そうしてロイヤルバターを景品としてもらって。じゃあ、それを使った料理をしようということになって。

 バターにハチミツときたら、もうアレしかないにゃ。

 

「よし、これだけ取れれば充分だろ。そろそろ帰ろうか」

「にゃ、そうにゃ……にゃ?」

 

 満足そうにビンをポーチにしまっては、僕に目線を合わせるようにしゃがませていた脚を引き延ばす旦那さん。そんな彼の背後で、ユラリと立ち上がる一つの影。

 大きく発達した、厳つい腕。青い体毛に覆われた大柄な体躯。唸るように震える喉と、涎を滴らせる獰猛な牙。

 

「グルルル……」

「ん?」

 

 そんな影は、まるでハグでもするかのようにその両腕を広げた。棘のような甲殻に覆われた腕で、旦那さんを抱き締めようと精一杯広げて。

 そうして、一思いに旦那さんを抱き締める。というより、そのあまりある威力でハグをラリアットへと変貌させたにゃ。

 

「グオゥッ!」

「は――ぐっはッ!?」

 

 勢いよく吹っ飛んだ旦那さん。明らかに過剰なその勢いは、彼を地面へと転がしていく。

 そんな様子を見ながら満足そうな唸り声を上げた影は、その厳つい手で足元に転がっていたビンを拾い上げた。

 

「……ってぇな! 何だ!?」

「にゃ、にゃにゃ!? く、熊にゃ……?」

 

 腕装備で力強く受け身をとっては、吹き飛ぶ衝撃を押し殺した旦那さん。そうして素早く顔を上げて、現れたモンスターを見定める。

 その姿は、何というか、熊としか言いようがない。青い熊さんだにゃ。

 

「……なんだ、アオアシラかよ。ハチミツの匂いを嗅ぎつけたな、コイツめ」

「にゃ、ハチミツ好きなのかにゃ? 見た目に違わず、にゃ」

 

 そんなボクらの言葉に「はい、そうです」とでも答えるかのように、アオアシラと呼ばれたそのモンスターは拾い上げたビンを割り、そこに入っていたハチミツを取り出し始める。豪快にそれを舐めとっては、嬉しそうな声を上げた。

 

「にゃ、ハチミツ盗られちゃったにゃ!」

「……あれは俺のおやつ用のただのハチミツだ。幸いロイヤルハニーは無事だよ」

 

 得意気に懐からビンをチラ見せしては、悪戯っぽく笑う旦那さん。

 わざわざおやつ用のハチミツを別に獲っていたなんて、流石は食いしん坊さんなのにゃ。食べ物に関しては抜かりがなさすぎなのにゃ。

 

「アオアシラの肉は……いいや。コイツは放っておこう」

「にゃ、放っておいていいのにゃ……?」

「別段危険なモンスターでもないしな。放っておいてもそこまで害はないだろ、多分」

 

 抜刀していた剣を収めつつ、彼はポーチから別のハチミツを取り出した。

 先程見せてくれたロイヤルハニーより、やや色の薄いそれ。特別高級でもない、普通のハチミツで満たされたその小瓶。

 それを力強く握っては、旦那さんはちょっと悪巧みするような笑みを浮かべる。

 

「それっ、おかわりだ!」

「グォ? ……グオッ!」

 

 それをアオアシラに向けて投げ飛ばした旦那さんと、飛んできたビンに気付いては嬉しそうにそれをキャッチするアオアシラ。まるで餌付けするかのようで、心なしか闘技場の管理人さんの餌やりシーンを彷彿とさせる。何というか、狩場らしくない微笑ましい光景だにゃ。

 おかわりのハチミツを食べてはご満悦な熊さんに背を向けて、旦那さんは歩き出した。どうやら、ハチミツを囮として使うつもりみたい。

 

「さ、帰るか。作るぞ、ホットケーキを」

「にゃ、やっぱりにゃ! 甘いものにゃあ!」

 

 ハチミツのような、綺麗な夕陽に彩られた森を抜ける旦那さん。歩幅の大きい彼に、ボクは慌ててついていく。

 背後でハチミツを食べるアオアシラは、何だか気の抜けた声を上げていたにゃ。まるでごちそうさまとでも言ってるみたいだったにゃ。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「んじゃ、イルルはメレンゲ作ってくれ」

「ふにゃ? めれん……げ?」

「あれだ、卵の白いのをこう混ぜ返して、泡立てた奴だ。ほれ、泡だて器」

 

 ゲストハウスの一角、そのキッチン。

 そこで数々の食材を並べては、旦那さんはボクに卵白の入ったボウルと泡だて器を手渡した。回転式銃槍などで使われるらしい機構を取り入れた、加工屋特注のこの泡だて器。まさか、そんなものをわざわざ用意してくるなんて。

 

「旦那さんはどうするのにゃ?」

「分担作業だな。俺はこっちを作るよ」

 

 そう言って彼が見せてきたのは別のボウル。彼は彼で手動の泡だて器を手にしていて、ボウルの中身は卵黄と、まるでボクとは対極のような在り方だった。

 

「俺が土台作って、イルルはメレンゲを作る。焼く前に混ぜ合わせるから、しっかりな」

「にゃ、りょ、了解だにゃ」

 

 彼が砂糖を加えて卵黄を掻き始める傍ら、ボクは加工屋式泡だて器のスイッチを入れる。

 すると泡だて器の先の金属部分が音を立てて回り始め、透明な卵白は激しく掻き乱された。激しい音を立てながら白い泡を無尽蔵に作り始める泡だて器。思わずびっくりしちゃったにゃ。

 

「にゃあ! わわっわわっ!」

「おいおい、大丈夫か?」

「にゃ、にゃ! 問題ないにゃ!」

 

 ベルナミルクにベルナヨーグルト、そしてちょびっと溶かしたロイヤルバターを加えながらボクを心配する旦那さん。ボクの慌て様は想定外だったみたいだにゃ。

 でも、問題ない。少し驚いたけど、ただ騒がしいだけで暴れたりなんかはしないみたいだにゃ。これくらい、ボクでも簡単だにゃ。

 

「ある程度泡立ってきたら、砂糖を加えな。そこのカップに入ってる奴」

「にゃ、これくらいかにゃ?」

「お、いいじゃん。そんな感じそんな感じ」

 

 薄力粉にベーキングパウダーを加える旦那さんは、ねっとりとした泡の塊が入ったボウルを見ては満足そうに頷いた。

 なるほど、これくらいになれば砂糖を加えるのかにゃ。何だかクリーム状になってきて、あの半透明な液体とは似ても似つかなくなってきた気がする。

 

「じゃあそれをもっと混ぜてな。数分混ぜたらチコンスターチも入れて、さらに混ぜてくれ」

「にゃ、たくさん混ぜるのにゃね……」

「でもそっちは加工屋式だから、そんなに手疲れてないだろ?」

 

 にゃ、そっか。

 旦那さん、ボクのことを考慮してこの加工屋式泡だて器をボクに使わせてくれてたのかにゃ。

 見れば、彼は手動の泡だて器で懸命に黄色の生地を混ぜ返している。あんなにたくさん腕を回していたら、きっと疲れるだろうに。生地も生地で少し重そうで、それが余計に腕に負担を掛けているみたい。

 ――相変わらず優しいのにゃ、旦那さん。ボクも彼の優しさに、しっかり応えないと。

 

「にゃ、頑張るにゃ! チコンスターチにゃー!」

 

 チコンスターチというのは、トウモロコシを処理して出来たでんぷん食材だ。チコ村原産チココーンで出来たこれは、まるで片栗粉のような白い粉末状となっている。

 そんなチコンスターチを四つまみ、そっとメレンゲの上に落としていく。ネコの手だから四つまみの量が人間のそれと少し違うかもしれないけど、気にしたら負けなのにゃ。たぶん。

 

「混ぜ混ぜ、混ぜ混ぜにゃ」

「……うん、そろそろ良さそうだな」

「にゃ、何かクリームみたい。これを、そっちに入れるのにゃ?」

「そうだな。三回に分けて入れるから、そのつもりで」

 

 旦那さんの合図の下、とろとろのメレンゲを彼が手掛けた薄黄色の生地の中へ入れていく。

 三回に分けられたその白は、黄色い世界にゆっくり身を投じていき、しっとりと、静かにその色を合わせ始めた。まるで離れ離れになった恋人が再会するかのように、離れ離れになった卵白と卵黄が手を取り合っていく。

 

「うんうん、良い感じ。残りも入れてくれ」

「はいにゃ!」

 

 全てのメレンゲが、旦那さんのボウルの中に落ちていった。入ってきたそれを旦那さんは混ぜ合わせ、生地がとうとう完成する。ここまで来れば、あとは焼くだけかにゃ?

 

「よし、じゃあ焼くか。ざっと十五分くらいだが……いけね、濡れタオル用意しなきゃ」

「濡れタオル?」

「必要な工程さ。とりあえず、イルルはフライパンを加熱してくれ」

 

 いそいそと棚を漁り始める旦那さんに応えつつ、ボクは釜戸の火を付けた。薪がパチパチと燃え上がり、温い熱風が頬を撫でる。モノが燃える特有の匂いが、ツンとボクの鼻を刺激した。

 一方で、水の滴る音を奏でていた旦那さんだったけど、水瓶から離れてボクの方へ寄ってきたにゃ。そうして、生地が入ったボウルをそっと覗き込むと――。

 

「この焼く前のタネってさ、こう……何か美味しそうじゃないか? 甘そうだし」

「気持ちは分かるけどつまみ食いはやめてにゃ。ほら、指突っ込まない」

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 何とか旦那さんのつまみ食いを阻止しつつ、ホットケーキを焼き上げることに成功した。出来立てほやほやの香りがボクの鼻をくすぐるにゃ。甘くて、温かくて、柔らかい香り。嗅いでいると何だか心が穏やかになっていく。

 もちろん香りだけじゃないにゃ。焼き目も鮮やかで、薄茶色と黄色のコントラストが美しい。見ている人の心を踊らすような、そんな魅力的な色合いにゃ。

 

「にゃ~、美味しそうだにゃ~」

「たまんねぇなこりゃ。んじゃ、早速皿に分けて食おう」

「にゃあ!」

 

 へらでフライパンにくっつくホットケーキをつつき始める旦那さん。その隙間を裂くようにへらを入れては、そっとホットケーキを持ち上げた。

 ずっしりとした重みを感じさせるその見た目に、重さをものともせずに形を保ち続けるその厚さ。手を取り合った生地たちは、決してその手を離さない。そう言っているみたいだにゃ。

 

「イルル、このホットケーキを半分に切ってくれるか?」

「任せてにゃ!」

 

 棚に収納された包丁を取り出して、さっと水に浸す。刀身についた水滴が眩しくて、それを包丁を軽く振って落としつつ、今度はその刃先をホットケーキへと向けた。

 薄く鋭いその刃が喰い込む、ホットケーキの重厚な焼き目。その感触は柔らかで、滑らかで、思ったよりも軽かった。重厚な見た目とは裏腹に、どうやらとても柔らかいみたい。

 

「お、上手いじゃん。ピッタリ半分だ」

「えへへ……。にゃ? 旦那さん、それは?」

「本日の功労者、ロイヤルバター君とロイヤルハニーさんだ」

 

 そう言って旦那さんが机に並べた白いパックと透明なビン。パックには薄黄色の固形物が眠り、ビンには橙色のハチミツが息を(ひそ)めている。ホットケーキの無二の友たちとのご対面にゃ。ホットケーキの香りの中に別の色が入り込んで、何だか不思議な匂いになってきたにゃ。

 

「たっぷりハチミツをかけて、控えめサイズのバターを乗せて……っと」

「にゃあ、色合いが素晴らしいにゃ。黄色、橙、ホットケーキ色にゃ!」

「何だホットケーキ色って。ま、何はともあれロイヤルホットケーキ完成だな」

 

 ホットケーキの大地を満たす、ハチミツ色の湖。その上に浮かぶ、バター色の船。

 見事な光景だにゃ。ホットケーキに沿うように流れるハチミツの滝も相まって、とても綺麗。早くそのバターを溶かして、ホットケーキを頬張りたいと、身体が疼いてしまうにゃ。

 

「早く食べたそうだな。食べようか」

「にゃ、いただきますにゃあ」

 

 丁寧に肉球を合わせて、旦那さんが手渡してくれたナイフとフォークを受け取って。そうして、それを肉厚のホットケーキへと埋めていく。ナイフにほとんど抵抗せず、潔く切り分けられていくその様は、このホットケーキが如何に柔らかいかがよく分かる。先程包丁で切った時以上に、このしっとり感ともっちり感が伝わってくるにゃ。

 そんなこんなで、食べやすいサイズに切り分けたホットケーキ。トロトロのハチミツと、それに混ざるように乗ったバターの切れ端が乗ったこの一口は、きっと甘党のボクを満足させてくれる――そう確信出来るにゃ。

 

「にゃ……あむ」

 

 それをそっと口に入れては、目を閉じて咀嚼。口いっぱいに広がるハチミツの甘い香りを感じながら、柔らかいケーキを噛み続けた。

 軽く歯を当てても、ゆっくり裂けていく生地。ぐっと力を入れれば、それは簡単に細かくなる。噛む度にしっとりとした食感が顎に伝わって、ボクと旦那さんで丁寧に作った生地の旨味と甘味が広がってきて。比較的淡泊で味の薄いそれだけど、その控えめな味はとっても食べやすい。

 そんなもっちりとしたケーキにかかったロイヤルハニー。芳醇な香りを鼻の奥にまで撃ち出して、濃厚な甘みを口の中に塗りたくるそれは、この淡泊なホットケーキにとても合っている。噛む度に生地に溶け込んで、柔らかな甘みの中に品の良い酸味と爽やかな風味をそっと加えてくれるのにゃ。

 

「にゃん、美味しいにゃあ……」

「良い感じの甘さだな。ちょっと強いが、逆にこれくらいパンチが効いてる方が良い」

 

 甘さだけじゃない。溶けたバターの淡い味。しょっぱいような、甘いような、そんな不思議な旨みが良いアクセントになっている。

 ふわふわな噛み応えの生地に、潤いを与えてくれるこのアタッチメントたちは、やはりホットケーキと切っても切れない存在だ。この組み合わせを考えた人には敬意を表さずにはいられない、にゃ。

 

「にゃ~、これ最高にゃ。この前のエビフライ並みに最高にゃ。ボクの好きな食べ物ベストテンにランクインにゃ」

「へぇ? この前のエビフライ、そんなに気に入ったんだ」

「にゃ、そうにゃ。あれも美味しかったのにゃ~」

 

 ホットケーキとは全くベクトルの違う料理だけど、あちらもボクの舌を討伐するくらいの勢いで美味しかったのにゃ。今日の夢で見てしまうくらい、ボクのお気に入りなのにゃあ。

 思い返しては笑みを(こぼ)すボクを、旦那さんは意外そうに見ていた。そうして、咀嚼していたホットケーキをごくんと呑み込んで、そっとその口を開いた。

 

「イルル、お前の後ろにゴキブリいる」

「にゃ、ふにゃ!? みゃあ!?」

 

 瞬時に振り向いたその視線の先には、黒光りする物体が確かに存在していた。

 今の流れで言うことがそれかにゃ!?

 旦那さんへの呆れとゴキブリへの驚きで、ボクの頭は一杯になる。何とか言葉をまとめ、盛大に文句を言ってやろうと思えば、旦那さんは既にゴキブリを捕獲していた。

 

「ゴキブリの羽ってエビの尻尾と同じ成分らしいぞ、そういえば」

「……にゃ?」

「どっかの国では食べるというし、コイツも……」

「や、やめっ! やめてにゃあ!」

 

 素早いネコパンチで旦那さんの手からゴキブリを叩き落とし、それを宙でキャッチしては窓から投げ飛ばした。村の裏の森林へ、儚いゴキブリは吸い込まれていく。

 大きく肩で息をするボクに、旦那さんは残念そうな顔で溜息をついた。そうして、また無神経な言葉を並べ始める。

 

「でもお前、アルセルタスの羽は食ったじゃんか。そう変わらなくないか?」

「そっ、それとこれとは話が別にゃ!」

 

 吐いた唾は呑めぬ。

 見過ごし難い言葉をとめどなく垂れ流す旦那さんに、ボクは溜息をつくしかない。美味しい美味しいホットケーキの時間が台無しだにゃ。

 ――例えそれが蜜のように甘い話だとしても、吐いた蜜だって飲めないのにゃ。

 

 

 

 

~本日のレシピ~

 

『ロイヤルホットケーキ』

 

・ベルナミルク     ……200cc

・砂糖         ……80g

・溶かしロイヤルバター ……40g

・ベルナヨーグルト   ……80g

・ユクモ卵       ……4個

・薄力粉        ……300g

・ベーキングパウダー  ……20g

・チコンスターチ    ……4つまみ

 

・ロイヤルハニー    ……お好みに

・ロイヤルバター    ……少量

 

 




 

吐いた唾は呑めぬ、というのは一度口にした言葉は取り消すことが出来ないという例えです。もう少し上手い利用の仕方があったかなぁと感じております。

更新頻度が駄々下がりしていて申し訳ない。時間とやる気は執筆の敵ですな。
今回はホットケーキということで、ロイヤルハニーを贅沢に使えるかなぁと思ってこのメニューに致しました。エビフライの描写も結構頑張ってみた結果、どっちがメインかよく分からなくなってきましたが。そんな私の努力をぶち壊すシガレットさんの無粋な発言。飯テロ度も駄々下がりですね!

ではでは。


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