GAMERA-ガメラ-/シンフォギアの守護者~The Guardian of Symphogear~ 作:フォレス・ノースウッド
#71 – 覚醒の鼓動
「だぁぁぁ~~~あのバカ響のことだよ!!」
あたしは自分が蒔いた種も混じっているとは言え、今差し向かいでお昼を食べ合っている朱音に仕掛けられた罠(トラップ)に嵌った状況に対し、渋々ながら……あの響(あのバカ)の名前を口にした。
「な~んだ、ちゃんとフィーネ以外の人間にも名前を言えるじゃないか」
ぐぐぅっ~~……やっぱそう言う意図があっての茶々入れだったのかよ!
「おまっ―――朱音が言わされたんだろうが!!」
このままだとさらに追撃(ちょっかい)されると危機感を覚えたあたしは、もう勢いのまま朱音の名前を口にしてやり。
「ほんとにお前は根性が捻くれた奴だよな!!」
「ふっ、褒め言葉として受け取っておくよ」
クーラーの利いた食堂じゃなくて蒸し蒸しバカ暑い日本の真夏な外だったら余計汗だくまっしぐら確定で、ほっぺに熱さを感じる中、朱音へ気質(ひととなり)ってやつにもの申してやったが、朱音は涼しい微笑み顔のまま、余裕綽々でスムージーを飲んで、食事を続ける。
ダメだ……この元神様さんは自分の性根(こんじょう)をしっかり自覚した上で他人をおちょくるのに存分に活用してるもんだから、下手なツッコミは通用しねえのだ。
聞くところによれば、神話に出てくる神様たちはどいつもこいつも良く言えば個性的、アタシ流に言えばツッコミどころ満載でアクの濃いキャラばかりだと言う。
前世は別次元の地球の守護神(かみさま)だったとのことな朱音も、その神々に負ける劣らず立ち過ぎたキャラの持ち主としか言いようがない。
だけど、そんな人(やつ)とこうして他愛のなくてバカバカしい会話を交わし合うのは、悪い気はしなかった。
むしろ《ルナアタック》が終わったばかり時みたく、黙って物思いに耽って腐ってるより、ずっとずぅ~~と良いものだとアタシは断言してやろう。
そいつはどう言うことかと言うと、ほんのちょっと前まで遡る。
《ルナアタック》の後始末が終わるまで、《特機二課》が用意した施設で一日中缶詰の状態だった頃のその日、アタシは廊下を全速力で走っていた。壁には廊下内を走るのはNGだと張り紙が貼られているのを一瞬目にしたが、そん時の自分はそれを守れる精神的余裕ってやつが一切無かった。
半ば無我夢中である部屋へと、飛び込むが如く盛大な音を立ててドアを開け――。
「特機部二(とっきぶつ)にはまともな人間がいないのかぁぁぁぁ~~~~!!!」
涙顔で私は部屋の主――朱音に、発散せずにはいられない思いのたけをぶつけていた。
「クリス、まずは君が落ち着こう」
突然の私の訪問に、さすがの朱音も戸惑いで額に冷や汗を浮かべていたけど、色んな意味で我ながら騒がしかったそん時のアタシを宥めて、どうにか落ち着かせてもらった。
「はぁ……」
淹れてもらった紅茶をゴクゴク一気に飲み干して、アタシの精神はやっと平穏となり。
「で?一体響と翼から何をされたのかな?」
「あ~~そいつはな……」
盛大にテンパっていた理由を朱音に話し始める。
〝成り行き任せで手を繋ぎあったけど……アタシはあいつらの様に笑えない……だって、アタシがしでかしてきた過ちからは、絶対に逃げられないだから……〟
自分で言うのはめっちゃ恥ずかしい話だが、なまじ事が終わってゆっくり安らげる時間ができたせいで、自分がフィーネに加担してたくさんの人たちを巻き込み、時には命まで犠牲に至らしめてしまった罪悪感に苛まれる状態に陥ってたんだ。
うん、めんどくせ~~奴と揶揄でもされたらな、まあそうだ、アタシはそんな面倒な人間だよと焼け気味に開き直って頷くしかない。
〝どうしたのクリスちゃん? あ、もしかしてお腹空いちゃった?分~かるよね~~~マジでガチでお腹空いてるとお喋りするのも億劫だよね~~~お昼どうする?緒川さんたちに頼んでピザでも取る!?さっき新聞の折込チラシを見たんだけどね―――〟
そんな屈託に浸って物言わずにいためんどくさいアタシを、あいつはあいつなりに気遣ってくれること自体は分かってるから、その心意気そのものは有難かったが……。
〝鬱陶しいんだよ!!!お前ほんとマジでガチでバカだろ!!?〟
〝お腹が空き過ぎてクリスちゃんが怒りっぽくなっちゃった~~?〟
〝ウキィィィィィ~~~~!!!!お前は黙れ!!アタシは今静寂を欲してんだ!!だから四の五の言わず黙れ!!いいからアタシに静謐(しじま)を寄越せやこのバカァァァァーーーーッ!!!〟
なまじあんまり広くない屋内であのテンションで煩く捲し立てられたら、思わず猿みてえな奇声も上げたくなるもんだよ、響(あのバカ)がよ……と今思い返すだけでもぼやきたくなる。
かと思えば―――あのアイドル首相さんにいる部屋に逃げ込んだら逃げ込んだで。
〝じぃ~~~〟
〝なんだよ……何か言いたいなら言ってみろよ!〟
何も言ってはこないが、ずっとこっちへガン見して自己主張が激しいお澄ましフェイスな相手に発言を求めたら。
〝常在戦場……〟
〝ひぃぃぃぃ~~~!!!〟
その澄まし顔のまま、淡々と発してきた四文字熟語(ばくだんはつげん)に、背筋が本当に凍えさせられ悲鳴が上がった。
〝やっぱり何も言うな!!見るぐらいは勘弁してやるからアンタは黙っててくれ!!〟
〝そうつれないことを言うな、雪音……〟
ダメ押しに、不気味に笑ってもきやがった。結構明るいLEDが照らされてるのに、あいつの周囲だけやけに黒味がかったフィルターが被さる幻覚まで見えてしまうくらい。
昔、興味本位にこっそり夜更かししてテレビ点けたら、ホラー映画が放送中だった上に丁度幽霊が化けてきたクライマックス真っ只中なのを見ちまって以来、あの手のジャンルが苦手になった私の脳裏、あの瞬間(トラウマ)を思い出させるくらいには下手なホラーよりホラーな恐怖体験だった。
そうして、もう安全圏はあそこだけだと、変人(おばけ)どもの魔の手からどうしても逃れたい一心で朱音の下へ駆け込んだ……に至ったわけである。
「響も翼もある意味で『コミュ障の悪魔』な天性の芸人(コメディアン)だからな、災難だったね」
アタシの愚痴(はなし)を一通り聞いてくれた朱音は、そう皮肉(ユーモア)も交えて共感を示す。
芸人とコミュ障って、それ相反する要素じゃねえか?とアタシはツッコミかけたが、二人のさっきのボケ具合を改めて思い返すと、その通りだと納得するしかなかった。
「でもいくら対抗兵器が使えるからって、特異災害相手に真正面から殴りこめる輩が、君の言う〝まとも〟とは言えないでしょ?クリスも私も含めてね」
「あ、ああ~~……」
さらに朱音からのこの注釈(はつげん)にも、思わず同意せざるを得ず、大きく頷く以外にリアクションが思いつかない中―――自分でも恨めしくなるタイミングで、アタシの腹の虫は、飯を食わせろと鳴き出してきた。
「これは知人の受け売りなんだけど、お腹が空いてると嫌なことばかり考えてしまうそうだよ」
「それは、そうみてえだな……」
バカ響の空腹で怒りっぽくなってるなんて発言、実はあながち間違ってなかったと言うことか。
「クリスの希望に合わせたランチを作ってあげるよ、自分のこれまで行いを戒めて、この先の自分の振り方とか、どうやって償っていくかを模索するのは、お腹を満たした後でも問題ないだろう?」
つい感心していると、本物の翡翠よりピカピカしてるかもしれない翡翠色の瞳で、朱音はさらりとアタシが抱える〝苦悩〟を看破さしてきやがった。
「っ……」
図星を刺されたアタシは返答に困る中、刺してきた朱音(ちょうほんにん)は微笑んだ表情のまま、明らかにアタシからの昼飯の注文が来るまで口角が上がった口を開けるつもりは無い。
そして、空腹で背に腹は代えられぬ状況でもあるので。
「この間食わせてくれた……お好み焼きとおにぎり、そ、それでいいか!!」
「All right~♪」
そのまま朱音は注文の料理を作ろうと食堂に向かいだし、アタシも後を追った。
―――それがこの日アタシが体験した出来事(もろもろ)であり、こうしてアタシの胃袋は朱音に完全に掴まれて今日に至る、と言うわけ。
弱みを握られたんじゃね?と、もし問われたら……まあ否定はできないけど、以来今日まで含めて朱音の実に文明的でめっちゃ美味い料理を食べながら、さっきも言ったが朱音と下らない話題で雑談するのは、まんざらじゃなかった。
なんと言うか、上手いんだよな朱音って、他人との距離の測り方ってもんが……バカ響みたいに口数は多くないけど、防人アイドルみたいに少な過ぎもしないし、あの二人に共通して物言いのトンチき具合は遥かに控えめだし、……ごく自然と気遣って不用意に踏み込んでこない癖に、ジョークも織り交ぜて距離を縮める機会を絶対見逃さない。
だから気がつけば、すっかり朱音のペースに乗っかっているのだ。
どこまでが朱音の意図なのか、それとも偶然の産物かまでは分かんねえ、直接聞いたってはぐらかされるに決まってる。なのにこの掴みどころの無さが、距離の測り方が下手なアタシには逆に丁度良かった。
それに朱音がいなかったら、もっと特機部二との付き合い方に悪戦苦闘させられていたのは明らかなので、ハードルを下げてくれているのもまたありがたかった。
「我が祖父(グランパ)が言っていた―――〝相手とどう接していいのか分からない時は、まずは名前を呼ぶことから始めよう〟って」
「またじいちゃんの格言なんたらか、ほんと朱音はおじいちゃんっ子だよな」
「ありがとう、極上の賛辞を贈ってくれて」
現にちょくちょく出てくる朱音の祖父(じいちゃん)の格言(アタシはこれを《グランパ語録》と内心呼んでる)をまた一つ口にする当人に、さらっと切り返すくらいには、自分の肉声を会話に使う機会が増えている。
「で、響のことで何が気がかりなのかな?」
あ、自分から話題を振っておいて忘れかけていた。実際の時間はほんの数秒はそこらなのに、大分遠回りしちまった気がするが、独りで悶々として結局一歩も進めず停滞するよりは、ちゃんと前進してる方がずっと良い。
アタシは、ここ毎日必ず目にしてる光景――櫻井了子(フィーネ)が眠る病室に向かうバカ響の後ろ姿を思い返しながら、本題に入ることにした。
「いや、今日も……見舞いに行ってるのかって、気になってさ」
クリスの張りつめがちな肩ひじを少しでも和らげる意図も含めた雑談(よりみち)を経て、クリスが本題に踏み込んできた。
「うん、行ってたね、櫻井博士のお見舞いに」
私もさっき目にした響の後ろ姿を思い返して、クリスの質問に応じ。
「そう言うクリスは、まだ行っていないのか?」
「うっ……どんな顔していいのか分かんねえだよ……」
と、問い返すと、クリスはばつの悪そうに後頭部の髪を掻いて答えてくれた。
「騙して利用されたことには今でも腹立ってんだ、でも、言いたいのはそれだけじゃねえって言うか……」
クリスは長年、人の命が紙切れより安くて脆い紛争地帯(バルベルデ)を彷徨っていた境遇の身でありながら、他者を案じ、気づかい、思いやれる良心(やさしさ)を捨てなかった高潔さの持ち主である一方、その身の上の影響で、その優しさの扱い方はお世辞にも上手いと言えないし、逆に自分へ向けられる方でも素直に受け取れない性分の主。
「何かしてあげたいけど、どうしたらいいか分からないって感じ?」
「おう……そんな感じ」
ゆえに気配りをしたい気があっても踏み出せず足踏みしがちだし、その気持ち自体すら上手く表せないのだ。
「アタシにはフィーネの言ってたことのどっからが嘘で、どこまでが本当(マジもん)だったのかアタシには見当もつかねえ……ましてやあん時のバカ響みたいな言葉(ストレートボール)、言える気がしないし」
〝だとしても、了子さんは了子さんです、ずっと昔に死んだなんて言われても、それが本当でも、私にとっては……櫻井了子さんなんです〟
フィーネが自身をフィーネだと突っぱねながらも、自分にとっては『櫻井了子』以外の何者でもないと言い切ったあの時の響。
「響みたいにああも根拠が無くとも、真っすぐ言い切れる逸材はそういないさ」
「違いねえ、あのバカ正直さに並べる奴がそこらにうろうろいるもんじゃねえよ」
お互いに響が持ってる唯一無二も同然の気質に対し、笑みで共有し合いつつも。
「でも、全部が嘘だったわけじゃないとは確かさ」
「なんで言い切れんだよ?」
「何から何まで嘘で塗り固めたものは、逆に見破られやすいんだ」
―――どんな嘘であれ、仮にそれで人を信じさせたいのなら、真実(ほんとう)を混ぜ込んだ方が効果的なのである。
「アジトに置手紙があったのを覚えてるだろ?」
「ああ、証拠隠滅の爆弾(トラップ)付きな突起物への決別表明だったアレだろ?それが?」
「なんの未練も無かったのなら、わざわざあんな手間の込んだ演出はしない」
「ああっ……」
クリスもあのフィーネの置き土産の意図を察して、はっとした表情を浮かべる。
そう、あの〝I LOVE YOU,SAYONARA〟は、それだけ櫻井了子として過ごしてきた十二年間も彼女にとって、手放すには名残惜しい、かけがえのない大切な思い出の一部になっていた証であり。
「クリスにも彼女なりに、本当混じりで思うところがあった筈と、私は思う」
極度の大人への不信と憎悪を抱えていたクリスが、彼女の目からも明らかに腹に一物を持っていたと想像できるフィーネの言葉を、少しキツい言い方をすれば鵜呑みにしてしまったのも、彼女に対して確かな真実(ほんとう)が存在していたに他ならないだろう。
「っ……そっか……」
私は残るお好み焼きを食しながら、自分の言葉を咀嚼中のクロスの表情を窺う。ほんの少し、ほっとした感じも見受けられ、すっかりソースの口紅が塗りたくられた口元をよく見てみると、安堵の笑みの形をしていた。これは本人も自覚がないパターンなので、あえて言及せずに胸の内にしまっておこう。クリスのことだから、言えば顔を真っ赤にして違うと突っぱねるのは明らかだし。
クリスがこんな反応を見せると言うことは、フィーネに色々と思うところはあったのだろう。
単純に言語化できない、おそらくは両親へのものに似た、複雑に入り組んで絡み合った感情(おもい)だ……下手につついていいものじゃない。
「つまり今日は思い切って博士のお見舞いに行きたいけど、一人では心もとないから、同伴してほしい――ってことで良いのかな?」
「おう……そういうこったな」
私は尋ねてみると、クリスは用意してあったティッシュを一枚抜いて、自分の顔をできるだけ見せまいとソースを拭き取るも、照れているのは見え見えである。
思い切って私にこういう話を切り出してきたってことは、その話題に関係する頼みをしてくるととうに把握していた。
「それもなんだけどよ、朱音に手伝ってほしいもんがもう一個あんだ」
―――が、このクリスからの頼み事に関しては、まさか彼女からそんな提案をされると思ってもみなかったので、私は大いに驚かされるのだった。
昼食(ランチ)を食べ終えた私とクリスは、櫻井博士が眠るメディカルルームへ向かって回廊を歩きつつ。
「歌で眠ってたフィーネの記憶と人格を起こしたんだったら、同じ方法で目が覚めるかもしれねえだろ?」
私は改めて、クリスがこれからやろうとしてる行為を聞いている。
端的に言えば、十二年前の天羽々斬の起動実験同様に、櫻井博士に歌声を聞かせ、その眠りを解こうと言うものだ。
「私も、やってみる価値はあると思ってる」
実を言えば、私も前々から検討していた方法だった。
櫻井博士の肉体はフィーネの懺悔以来、前世でのギャオスとの戦いで傷ついた身体を癒す為の休眠中、自分と精神交感の影響を受けた浅黄を思い起こさせる眠りの中にいる。
つまり昏睡状態ではあるだけで、まだちゃんと生きている。
現に先日、博士が眠る病室に訪れて勾玉を翳してみた際、反応して輝いた。彼女の肉体には、生命活動を維持するだけの命(マナ)が宿っている証拠。
何らかのトリガーで、昏睡から目覚める可能性は少なからずあり、その切欠こそ櫻井博士に先祖(フィーネ)の魂を宿らせた―――歌。
「なら、善は急げで早速――」
「けどその前に――」
クリスのその献身さに敬意を抱きつつも、私は彼女と正面から向き合って立ち止まる。
回廊内に、緊張が走り始めた。
「耳がタコになる苦言(はなし)をさせてもらう」
「なんだよ……?」
粛然とする、自分のよりも丸々と大きいクリスの水色がかった水晶(ひとみ)に映った自身(すがた)を、より厳然に引き締まらせた。
私もクリスが提案してくれたかの方法を光明だと認識しているからこそ、敢えて忠告をはっきり口にする役を自ら担う為に。
「これはあくまで可能性の一つだけど、フィーネの魂は既に、櫻井博士の肉体から次の子孫に移っているかもしれない」
フィーネの魂が己が子孫に転生する《リインカーネーション》が発生する条件は本人から聞いたが、一方でどう次の子孫の肉体に移るのかのメカニズムはあやふやだ。」
「えっ……でもまだ憑りついてたご子孫は生きてるだろ?」
クリスの言う通り単純に考えれば、その時の依代が死した場合に、ランダムで地球上に点在する子孫たちのいずれかに魂が転移し、その者が歌声――アウフヴァッヘン波形を耳にするまで休眠状態となる、ところだが。
「奴は非願の為なら数千年の時間がかかろうと成就に執着してきたんだ、当代の依代が生きていようと、その代で叶わぬと判断した時点で、次の行き先に乗り換えれるよう事前にプログラムしていたかもしれないし……もしこの推測が当たっていたら――」
「起こせたとしても、そいつはもうアタシの知るフィーネでも、バカ響や司令のおっさんたちが慕ってた博士でもねえって……ことか?」
「Yeah(そうさ)」
私がクリスに伝えたかった懸念の一つがこれ。仮に歌声を聞かせて昏睡を解くことができたとしても、そこに私たちが知るフィーネにして櫻井了子だった人物がいる保障はない。
本当に自分の推測通りなら、ある意味で響やクリスに弦さんたちは見た目が同一な全くの別人とご対面する可能性も、無きにしも非ずなのだ。
「それともう一つ」
私が提示した可能性に少なからずショックを受けて俯くクリスに、次なる忠告を投げかける。彼女が抱いていた希望に水を差す行為なのは承知の上、そうまでして厳しい態度なのは、隠れ潜んでいるかもしれぬ絶望の罠に飲み込ませたくはないからだ。
「理由や経緯はどうあれ、櫻井了子はこの十二年間の人生を先祖とは言え別人に乗っ取られていたんだ―――」
「ああ……つまり、起こされた方からしたら玉手箱も勝手に開けられて爺さんになった浦島太郎状態になっちまうのか……」
クリスの比喩(たとえ)を、私は首肯し。
「櫻井博士は長年、終焉の巫女のエゴに振り回されてきた、たとえ善意の気持ちによるものでも、そんな彼女を目覚めさせようとする私たちの行為もまだ――〝EGO(エゴ)〟さ」
もう一つの〝忠告〟をはっきり口にして。
「それでもクリスは歌えるか? たとえ自分の選択からどんな結果が生まれても、背負える覚悟はあるか?」
これから行おうとしてる〝人助け〟には、己がエゴイズムも混ざった代物なのだと、自分への戒めの意味も含んだ問いかけを発した。
たとえ心からの善行によるものでも、他者の人生に干渉する以上、人助けを行うこともまたエゴであるのも、事実なのだ。
「ああ……これがアタシの我儘(エゴ)なんだってのは、間違いねえし、朱音の言う通り……もうフィーネはいなくて、去っちまったかもしれねえ……」
一度顔を伏せ、隠されていた双眸をクリスは私へ向け直し。
「そんでもやっぱり、博士(あのひと)をこのままずっとお寝んねさせたくない、助けてやりたいって気持ちの方が、勝っちまうんだ……朱音の言う結末が待ってたとしても、このアタシの〝エゴ〟を―――偽りたくはない!」
改めて、櫻井博士に目覚めの歌を贈る決意を、クリスは私に表してくれたのた。
「そうか、じゃあその気概なら選曲も確定してそうだね」
「あっ……わりぃ……まだ決めてなかった」
―――ので、内心そうだろうと感づいていた上で、櫻井博士に聞かせる歌は決まっているのかと問うてみたら、案の定やる気のフライングで未定だった、やれやれ。
「ならまずは私のお勧めでもっと――」
取り出したスマホの音楽アプリを立ち上げた私は、前々から選定していた童歌(きょく)をクリスに聞かせるのだった。
〝~~~〟
櫻井了子の眠るメディカルルームの出入り口付近で練習(チューニング)をした上で朱音とクリスは入室。二人の耳に、櫻井博士の呼吸音と医療器具の電子音が入ってきた。
「ふぃっ……」
クリスは医療ベッド上で昏睡中の櫻井博士に終焉の巫女の名を呟きそうになったが、朱音から聞いた可能性(すいり)を考慮して、今はまだだと言い留めた。
二人は眠る博士の目の前にて並び立つと。
「手を……」
朱音は首にかけている勾玉(ペンダント)を外して掌に乗せ、クリスへその手を差し出す。
促されたクリスは、勾玉ごと、朱音の手を握り合わせた。
彼女たちは目を閉じ、息遣いも合わさる様に深く長く呼吸すると。
〝りん~ごは浮かんだ~~お~空に…~~♪〟
朱音は出だしの詩(かし)を――。
〝り~んごは落っこちた~~地~べたに…~~♪〟
その次の詩はクリスがそれぞれ独唱で歌い。
〝星が~生まれて~~歌が~生まれて~~~ルルアメルは~笑った~常しえと~~♪〟
三小節目より、朱音とクリスは二重奏(デュエット)で、十二年前の天羽々斬起動実験にて翼も歌った東ヨーロッパのかの国に伝わる童歌――《Apple》を奏でていくと、二人が包み込む様に握る勾玉から、夕焼け色の光が鮮やかに灯り脈打つ。
〝星が~キ~スして~~歌が~眠っ~て~~かえるところはどこでしょう…?~~かえるところはどこでしょう~~…?〟
二人が詩を唱えるに比例して、勾玉の輝きが増していき。
〝り~んごは落っこちた~~地~べたに…~~りん~ごは浮かんだ~~お~空に…~~〟
童歌の締めまで、歌い終えた瞬間、朱音の心(むねのうた)へと確かに響いた。
昏睡(ゆりかご)から解き放たれようとしている……〝覚醒の鼓動〟を。
つづく。
よくよく考えてみると、フィーネに憑依される前の了子さん本人ってほんと災難ですよね。
ご先祖に肉体乗っ取られて12年、最後は塵も残らずご先祖と相乗りで仏様に。
ビッキーが『それでも了子さんです』と言い切れたのは、フィーネと人格が融合してからの彼女との付き合いしか無かったからこそのものである一方……憑依される前の了子さんの尊厳はどうなるの?と考えた結果―――具体的にどうなるかは次回にて(コラ