帝国の劣勢は尚も続いている。
メセンブリーナ連合は遂にシルチス亜大陸を制圧、帝都ヘラスまで最短で四〇〇〇キロメートルのところにまで迫っていた。
事ここに至って帝国側も戦力を帝都付近に結集。
戦力を集中することで、敵の部隊に壊滅的打撃を与え、それを以て逆転の一手とするべく行動を開始した。
ヘラス帝国の国力からすれば、まだメセンブリーナ連合に伍する力はある。勢いが敵にあるために押し込まれているが、それでもきっかけさえあれば瞬く間に戦局をひっくり返すことは可能だと思われる。
敵軍が攻めてくれば、その進路にある村々や街は戦火に飲まれることだろう。
予想される敵の進路上には早期の避難勧告が為され、余裕のあるものたちはさっさと南部に疎開した。後は、すぐには移動できない者たちだ。病気や怪我、金銭の問題、さらには故郷を離れたくないという思いから疎開ができない人々である。
こうした人々に手を差し伸べるのはジークフリートの当面の仕事であった。
「さすがに人数が多すぎる」
アレクシアは焦ったように言う。
戦火がすぐ傍まで迫っているというのに、訪れた村には二百人近い人が取り残されている。ジークフリートのチームが独断で動かせるのは中型輸送船三隻だけだ。この村のマンタを掻き集めても、果たして全員を収容できるかどうか。避難させるのならば、百キロ近くは移動しなければならず、往復は不可能といっても過言ではない。
連合側の進軍速度が想像以上だったことに加えて、陸路が整備されていない辺境の村ということが疎開を難しくさせていた。
「近くの基地から応援は呼べんのか?」
「呼んでます。けど、やっぱり時間がかかるのです。敵が迫っている状況で、救助に船を割いてくれるかどうかも分からないのが現状です」
もう数日前から掛け合っているのに、色よい返事がもらえない。彼らがもっと手早く行動してくれていれば、すでにこの村は蛻の殻になっていたかもしれないのに。そう思うと自分の国のことながら動きの鈍さに腹が立つ。もっとも、今の帝国は防衛線を大きく引き下げている。辺境の駐留する帝国軍も主要な兵器は中央の総力戦のために供出しており、防衛能力はほとんどない。いわば、敵が侵攻してきたかどうかを報告するための監視能力しかないのである。
「女子ども、動けぬ者を最優先にするしかないだろう。それだけならば、三隻、いや二隻で事足りるはずだ」
全員を救えないのならば、優先順位をつけるしかない。
苦渋の決断ではある。
しかし、それはあくまでも初期対応だ。
全員を救えないから諦めていいはずがない。それで、かつての自分は後悔を残すことになったのだから。
自己満足でもこの道を進むと決めた以上、彼ら全員を救うために手立てを講じる必要があろう。ここにいる全員を何とか戦火から逃れさせるよう努めるのが己が正義だ。
「アレクシア、コリン。可能な限り軍の協力を取り付けるよう努めてくれ」
「へ、それはもちろんですが、ジークフリートは?」
立ち上がり、デッキの向かうジークフリートにアレクシアが問うた。
「少しばかり、連合の足を止めてくる。エアバイクを借りるぞ」
「え、あ……連合の足を止める? そんな、さすがに無茶がすぎます!」
「連合はここから三十キロ地点に集結しているのだろう。エアバイクを飛ばせば、敵が動く前に辿り着けるだろう」
「敵の動きに間に合うかどうかを言っているのではなくてですね、敵地に単独で乗り込むなど無謀にも程があるというのです! いいですか! 人を助けるのは正しいことですが、それで自分が犠牲になっては、助けられた人に重荷を残すだけなのです!」
「だが、他に手があるわけでもあるまい。連合が動き出せば軍はますます腰が重くなるだろう。だが、俺が敵の足止めに動いているという事実はそれなりに重いはずだ」
自分の名前がどれくらい帝国内に影響があるのか、正しくは知らないがそれなりの重さを持って受け入れられているとは自負している。これまでに重ねてきた功と、それを殊更に報道して士気の維持に利用してきた帝国政府の存在がそれを裏付けている。
それに、ジークフリートは無謀や蛮勇を好む性質なのだ。
雲霞の如き敵兵に我が身一つで挑む。その無茶無謀を乗り越えてこそ英雄であり、その力が自分にあるものと自覚している。
そして、アレクシアもまたジークフリートの言葉に一縷の望みを見出している。
彼が住民のために戦いに赴いているというのに、それを見殺しにしてはジークフリートを英雄視する帝国としては外聞が悪い。
餌として、ジークフリートの名は十二分に効果があるように思えた。
「で、ですが……」
「せっかく見つけた夢なのだ。ここで放り捨てるのは惜しい」
「夢って……ちょ、ジークフリート!」
呼びかけるアレクシアには構わず、ジークフリートは格納庫に向かう。
彼女は追ってこなかった。
ジークフリートが言葉を翻さないと理解しているから、説得に時間を割くのであればジークフリートではなく軍のほうだと割り切ったのであろう。
格納庫の扉を開けてエアバイクで飛び出す。
魔力を動力とし、宙を駆ける軍用品だ。最高速度は二〇〇キロ。サーヴァントではないジークフリートには『騎乗』スキルは備わっていないが、この程度の道具ならば多少の練習を積めば使うことくらい容易だ。今はとにかく、敵地に素早く到着すればいい。
フルスロットルで空を駆ける。
ものの十分で、敵地を目視できるほどに近付いた。
かなりの大部隊だ。
超弩級戦艦一隻とその周囲に重巡洋艦や駆逐艦が十隻以上浮かんでいる。地上には前線基地が設けられているのか、簡易テントやプレハブが立ち並んでいる。人員も数千人、いや万はいるかもしれない。そのすべてが戦闘要員ではないのだろうが、かなりの数だ。これは今まで相手にしてきた先遣部隊とは勝手が違う。
何よりも目立つのは鬼神兵だ。
一〇〇メートルはあろうかという巨人が十体もいる。
ヘラス帝国の首都を陥落させることも不可能ではないと思わせるような大部隊だが、おそらくはこれですら最前線の部隊でしかなく、その後ろに温存されている本隊がいるはずだ。
ジークフリートの接近はすでに敵にばれている。
監視結界を思いっきりぶち抜いたのだから当然だろう。それでも、空中に浮かぶ小さな人間一人を艦載砲で狙うのはまず不可能だ。これが、大魔法を使える魔法使いが、いまだ戦場で重宝される由縁でもある。
宝剣を抜くジークフリートは、初めから全開だ。
「
相手がただの機械ならば、この剣を振るうことになんら思うところはない。
鬼神兵の一体の頭を黄昏の一撃が消し炭にする。如何な屈強な鬼神兵とはいえ、現代の技術の産物だ。魔法が魔力によって成り立つものとはいえ、技術に成り下がった以上はその神秘は劣化せざるを得ない。何よりも、人間の技術で作ることのできる装甲くらい撃ち抜けなくては、対軍宝具の名が廃る。
しかし、この鬼神兵。ジークフリートからすれば非常によい出来だと思うが、果たして“黒”のキャスターが見たらどのような反応をするだろうか。
ほとんど言葉を交わすこともなかったが、彼のゴーレム作りに対する情熱は本物だった。
そんな彼が、鬼神兵を見たらどう思うか。新たなインスピレーションを得たとばかりに喜ぶか、人形術を冒涜していると怒り心頭になるか、あるいはそもそも興味がないか。
「む……」
頭を失った鬼神兵はそれでも堪えてジークフリートを叩き落とそうと腕を振り上げた。四方から速射砲にも似た魔弾が襲い掛かってくる。
『騎乗』スキルがあれば、掻い潜れただろう。あるいは、彼と共に戦場を駆け抜けた名馬であれば――――だが、聖杯との繋がりが切れ、サーヴァントとしてもクラススキルを失った今、エアバイクを自由自在に操るほどのテクニックを発揮することはできない。数え切れないほどの魔弾にさらされて、無傷で走り抜けることはまず不可能だ。
となれば、未練はない。
廃棄した上で戦うのみだ。
撃ち抜かれて爆発四散するエアバイクではあるが、乗り手は無傷のまま鬼神兵の腕に飛び移る。頭を潰したところで意味がないとすれば、動けぬように胴体を両断する他ない。手早く片付けるべく、ジークフリートは巨人の腕を駆け上り、そのまま敵の胸に向かって飛び掛った。
「
空中で放つ宝剣の煌きが鬼神兵一体を血祭りに上げる。
上下で切り分けられた鬼神兵が倒れ、地上に落ちる。これによって、連合の兵に幾分かの損害が発生した。
ジークフリートを狙って、別の鬼神兵が踏み込んでくる。
その巨体ゆえに、動きが緩慢に見えるが速度も膂力も脅威の一言に尽きる。
――――魔力を足に集め、自分の身体を押し出すように……。
感覚的なことを頭で考えるのはやはり苦手だ。成功例を思い出し、落ち着いて、感じた通りに宙を蹴る。
虚空瞬動。
一応は成功した。
真横に跳んだジークフリートを巨人は仕留めることができずに空振りする。弾丸のような速度で地上に墜ちたジークフリートは体勢を即座に立て直して、鬼神兵の左アキレス腱を斬り裂いた。
鬼神兵の周りには敵兵もいない。
巨人の戦闘に巻き込まれる可能性があるからだが、それが幸いしてジークフリートは鬼神兵を切り刻むことができる。
とはいえ、兵器たる鬼神兵に痛みはない。
斬り付けられたのならば、斬り返すのみと剣を叩きつけてくる。
大威力の斬撃を、ジークフリートは受け流した。
凄まじい膂力に地を踏みしめる両足が軋む。
「
反撃とばかりに鬼神兵の下半身を消し飛ばした。
彼らの魔法障壁など塵芥に等しい。ただ大きいだけの的である。
落下してくる鬼神兵の腕に飛び移ったジークフリートはそのまま脚力を活かして駆け上がり、次の標的に向けて跳ぶ。第三の鬼神兵の肩に着地すると、さらにその余勢を駆って頭に飛び乗り、思い切り跳躍する。狙うは頭上に浮かぶ超弩級戦艦スヴァンフヴィート。鯨に似た姿をした巨大戦艦だ。雨霰と降り注ぐ魔力砲だが、狙いが甘い。至近距離を打ち抜くには精度が足りない。戦艦ゆえの弱点だ。
「
虚空瞬動を一応形にしたジークフリートは空中すら踏み込み可能な足場だ。宝具の狙いを誤ることはなく、精霊エンジンを確実に打ち抜いて停止させる。片方だけでは落とせないと見るや、さらにもう一撃を放ち、反対側も打ち抜く。余波で駆逐艦が数隻巻き込まれて沈黙した。
「ぬ……!」
鬼神兵の杖が横薙ぎに振りぬかれた。
虚空瞬動も間に合わず、ジークフリートに直撃する。
腕が折れ、身体がひしゃげそうになる。それほどの攻撃を受け止めて、ジークフリートは跳ね飛ばされた。
「さすがに一筋縄ではいかないか」
可能ならば、鬼神兵だけでも全滅させて置きたいところだった。
着地したジークフリートを魔法陣が包み込む。
数十人の魔法使いからなる大規模魔法だ。通常は軍隊を纏めて焼き払うのに使用する大魔法を、ジークフリート個人にぶつけようというのだ。
彼の頑丈さはグレートブリッジでの戦いで立証済みだ。その後の活躍からも、その危険性がはっきりしている。ここで始末をつけようというのだろう。
空から紫電が墜ちてくる。
数百メートル四方に千の雷を上回る雷撃を降り注がせる殲滅魔法に対して、ジークフリートは己が宝具を振りぬく。
紫電と黄昏が空中で激突し、激しい魔力の奔流を生み出した。四方八方に飛び散る余波が、森を舐め、火災を発生させる。
この余波で、魔法陣が崩れた。
敵魔法使いの居場所は知れた。
音速を超える跳躍で、一息に彼らの下に跳ぶ。途中いくらか魔法の矢や見たことのない魔法を受けたが、そのすべてを尽く弾き、ミサイルの如き勢いで敵のど真ん中に体当たりをする。
「な、わっ、ジークフリート!?」
「なんだ、こいつ。あれを無傷で乗り切るとか、おかしいだろ!?」
「て、帝国の傭兵剣士は化物か!?」
口々に驚愕と恐怖を紡ぎながら、連合の魔法使いたちは及び腰になる。軍隊を殲滅するべき大魔法を乗り切った相手に、個々人の魔法が通じるはずがない。鬼神兵による格闘戦や、艦砲射撃くらいでなければならない。
ジークフリートは宝具を使うまでもないと幻想大剣を送還し、代わりに腕輪から一振りの大剣を取り出す。
身の丈ほどもある巨大な剣である。
オーバーヒートを起こして使えなくなったアスカロンに代わりテオドラから贈られたアーティファクト、アスカロンⅡである。
対する敵魔法使いは三十人弱。
「こ、この人数を相手にやる気か?」
一人が発言する。
虚勢だろう。
鬼神兵や超弩級戦艦を落とした男に、三十人はむしろ少ない。
「次は、その百倍は用意するといい。それでそこそこいい線にいくだろう」
アスカロンⅡの刀身が色づいた。金色に輝いたアスカロンⅡはジークフリートの魔力を雷撃に変換して解き放つ。
これぞ、アスカロンⅡの固有能力、魔力の属性変化である。
この剣の前身であるアスカロンの能力は魔力の集束と放出であったが、アスカロンⅡはそれに加えて無色の魔力に雷、氷、炎、地、光、闇の六種の属性に変化させることが可能となった。これにより、ジークフリートは簡易的に属性魔法に近い攻撃を発動させることができるのである。
雷撃が魔法使いたちを打ちのめす。
魔法障壁のおかげで命に別状はないが、それでもジークフリートの大魔力を変換した雷撃だ。それだけで中位魔法くらいの威力にはなるだろう。
三十人を昏倒させるのに、時間はいらない。
始末をつけたジークフリートは、再び鬼神兵との戦いに突入する。
兵器が相手ならば早期殲滅を期して宝具を抜く。敵を殺さないのは慈悲もあるが、負傷者を回収する手間を取らせるためだ。敵の殲滅ではなく時間を稼ぐことが、この戦いの目的なのだから。しばらく軍隊が進軍できなくなるような損害を与える。
そのためには、人ではなく兵器の破壊こそが望ましい。
巨人に挑むは一人の男。
傍から見れば無謀に近く、神に挑むが如き蛮勇である。
「
黄昏の津波に、巨人が押し流されていく。
信じ難い光景に、連合の誰もが閉口する。
最早、この男に挑むだけ無駄であるとさえ思わされる。
「ッ」
跳躍したジークフリートを掠めて艦載砲が炸裂した。地面が蒸発し、激しい閃光が撒き散らされる。大小合わせて二十三の砲撃が、ジークフリートがいる辺りを纏めて攻撃し始めたのだ。
「これは、さすがに連続して受けるわけにはいかんか」
主力兵器なだけのことはあり、艦載砲の直撃はジークフリートをして脅威である。とりあえず、直撃を避けるに越したことはない。
隙を見ては宝具を解放し、重巡洋艦のエンジンを撃ち落す。
空中戦艦のようなものにとっては、こういった小さいながらも大威力攻撃が放てる魔法使いや魔法剣士こそが天敵なのだ。なにせ、兵器を相手にすることを目的に作られた戦艦らは、個を識別して狙撃する能力を持っていない。その必要がないからだが、それが一部の最上位に君臨するものにとっては付け入る隙となる。
竜の心臓が呼吸のたびに莫大な魔力を生み出し、全身に行き渡らせていく。多少の傷は竜の魔力が即時に癒す。宝剣の柄に埋め込まれた宝石はほんの少量の魔力を加速度的に増大させ、刀身から黄昏の剣気を解き放つ。消費した魔力は一呼吸のうちに補充でき、宝剣の性質からチャージする時間を取る必要もなく即時に真名解放をすることができる。
サーヴァントのころには失われていた能力ではあるが、肉体を持つ今、生前と同様に対軍宝具の速射連発が可能となっているのだ。
黄昏の剣気を引き連れた人間台風が、鬼神兵を薙ぎ払い、船を沈める。巨大であるが故に、格好の餌食となるのである。
超弩級戦艦一隻、重巡洋艦五隻、駆逐艦十二隻、鬼神兵七体を落としたジークフリートは、さらに次を狙うべきか思案する。
狙おうと思えば、さらなる損害を与えることはできよう。
森に潜み、ゲリラ戦をすればこの敵軍を壊滅に追いやることも不可能ではないとすら思う。
が、それは敵がこのまま受けの姿勢でいてくれたときの話だ。艦載砲を上回る超兵器を搭載している可能性も否定できない。そして、それらを受けてジークフリートが無事でいるかどうかも不透明だ。
『ジークフリート、生きてますか?』
アレクシアから念話が入った。
『ああ、問題ない』
『軍を動かせました。村の人たちの収容の目処も立ったので、早く退いてください。迎えに行きます』
『ああ、分かった。合流地点を教えてくれれば、そこに向かう』
これが潮時だろう。
荒らすだけ荒らした。これだけの損害を一人に出されたのだから、連合はしばらくこの場から動けまい。
退くと決めたのならば即座に撤退する。思案に暮れている間にどのような反撃があるか分からないからだ。
そうして、嵐が去るようにあっさりと破壊を撒き散らしたジークフリートは姿を消した。
大暴れしたジークだけども、この程度ならばラカンやナギでもできるという……。
ところで五世紀のヨーロッパはジークフリートだけじゃなくてアルテラ姉さんやら円卓やらシグルトやら英霊のバーゲンセールだったらしいが、ここも中々に魔窟ですな。
ファフニールも洞窟に篭ってないで、幻想種の楽園ブリテンに行けばよかったんだ。