正義を目指す竜殺し《完結》   作:山中 一

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第十一話

 テオドラとアリカの秘密会談は、帝国領内の小さな地方都市で持たれる運びとなった。

 この秘密会談は、国民のみならず帝国の関係者にすら秘匿されるほど気を遣う内容だ。

 何せ情報が正しければ、連合のみならず帝国の中にも秘密結社の人間が潜んでいることになる。テオドラの周りにも、何食わぬ顔で公務に勤しみながら裏で戦争の拡大を狙っている馬鹿者がいたかもしれないのだ。迂闊に会談のことを漏らせば、身の危険があった。

「思えばおかしなことだらけだったのじゃ」

 グレートブリッジを落とした後の帝国の判断。

 あのままメガロメセンブリアを落とせば、この戦争はほぼ終わったも同然だった。

 それが、帝国はそこに踏みとどまり連合の反撃を許す失態を曝した。もちろん、戦術的な意図があったことは間違いない。帝国側には連合を滅ぼす意図はなく、ただ戦争に勝利したという事実が必要だっただけだ。無用な戦火を避け、降伏を引き出せればよかった。あの時点では、勝利は確実だったのだから。

 だが、その直後、想像以上の速さで連合は体勢を立て直してきた。

 敵があの戦力をどこに隠していたのか、なぜ劣勢極まりないところにまで追い込まれてから投入してきたのか。その辺りがまったく分からない。

 帝国が攻め込み、そして今度は帝国は攻め込まれている。

 戦線は膠着状態となり、散発的な戦いがそこかしこで起きている。

 終わるかに思えた大戦は、今となってはどちらに趨勢が傾くとも知れぬ長期戦の様相を呈し始めている。

「これでは互いに国力をすり減らすだけ。真の敵がいるのならば、このようなことをしている意味がないからの」

 テオドラは、ローブを羽織り、会談の会場に向かう。

 戦争が始まって以来地方都市は衰退する一方だ。連合側との交易が小さくなり、この街のように交易で成り立っていた地方都市は、職がなくなり社会不安が増大しつつある。帝国の敗戦の色合いが大きくなればそれだけ庶民の生活は脅かされることとなろう。

 敗戦国となった経験はテオドラにはないが、連合の亜人間への差別感情から考えれば皇族であるテオドラとて厳しい処遇は免れまい。

 テオドラは幼いが、聡明でもある。

 戦争を他の皇族の誰よりも客観的に捉えることができるのも、まだ政争に毒されきっていないからであろう。

「アレクシア、ジーク」

 信頼する二人の護衛を呼ぶ。

 会場となる小さなホテルは大通りから路地に入ったところにあって、通常であればとても皇族が利用するようなところではない。

 しかし、今は人目を憚る。

 辺境の地に第三皇女がいるということ自体が、表沙汰になれば諸々の問題を発生させるかもしれないのだから。

「アリカ姫はもう来てるか?」

「つい先ほど見えられました。ブレンダとベティが会場までご案内しております」

 アレクシアは声を潜めて言った。

 これが正式な公務であれば、騎士の礼を取り警備隊の模範を示すところだが、今はそのような状況ではない。目立つことを避けるため、姿勢を低くすることすらも避けている。それほどまでに、警戒する必要があるのだ。秘密結社は帝国と連合の双方を同時に手玉に取り、その存在にすら気付かせない怪物だ。この会談すらも、敵に知られている可能性は大いにあった。

「本来であれば、もっと警備を強められる場所を会場に指定するべきですのに」

「仕方あるまい。状況が状況じゃ。まさかアリカ姫と会うためなどと言って出るわけにもいかんからの」

 アリカは敵側の人間で、一国の姫でもある。

 そのような人物との会談を持つとなると、非常に繊細な配慮を必要とする。秘密会談は、かなりリスクの高い選択なのだ。

 それを承知した上でテオドラは引き受けている。

「いざとなれば、アレクシアもジークもいる。頼らせてもらうからな」

「もちろんです、姫様」

 アレクシアは頼られていることが嬉しいのか頬を緩めている。

 ジークフリートは黙して頷く。

 言葉に出すまでもなく、己がすることは明白だった。

 

 

 警備に投入できる人間はほとんどいないのが実状だった。

 秘密会談である以上それは当然ではあったが、帝国側にすら秘密であるということが警備しにくさを一層際立たせた。

 テオドラが自分で兵を連れ出すわけにもいかない。公務という形で外に出たはいいが、そのための警備以上のものは連れ出せない。

「姫様の警備ですから警備隊も全員出動していますけど……」

 数だけならば精鋭が六十人この街にはいる。

 だが、アリカ側が用意できた護衛は皆無。恐ろしいことにあの姫は、着の身着のままで敵地に乗り込んできたのである。その胆力に感心すると共に、六十人でテオドラとアリカの二名を守らなければならないという難題に直面することとなった。

 できれば数百人からなる警備でホテル周囲を囲み、常に危険に対応できる体制を整えるため魔法障壁が整備された会場を用意したかった。この街にそれがあればよかったのだが、この街にはそこまでの設備はなく、アリカが入り込めるのはここが限界だった。

「しかし、ジークフリートがいるからといって浮き足立ってる場合でもないでしょうに」

 廊下を歩いていると、警備隊の誰もがジークフリートを見ては立ち止まり、まじまじとその姿を見ているのが分かるのだ。

 男たちからは尊崇の念を、そして女たちからは多少色の入った視線を投げかけられて、ジークフリートは我関せずとばかりに無視を決め込んでいる。

 もとより口数の少ない男だ。

 好奇の視線に曝されたところで、何を言うはずもないか。

 ――――何事もなく終わってくれれば、それでいいのですが。

 口に出さず、心の裡で思う。

 テオドラの安全が第一だ。

 戦争が終わり、テオドラの活躍が表に出せるのならばそれに越したことがないが、無為に危険に晒すのも反対だ。

 使い魔、結界、人員。

 自分たちにできる精一杯をしている。彼女の知る万全ではないにしても、それでも今できる最善を尽くしていると自負している。

 ジークフリート共に扉の前に立ち、ノック。音を立てないように注意して、部屋の中に入った。

 まず、大きなシャンデリアが目に入ってくる。赤と金を基調とした内装で、ゆったりとした大きなソファが部屋の中央でガラステーブルを挟んで向かい合っている。

 対面するのは幼き帝国の第三皇女テオドラと、歴史と伝統のウェスペルタティア王国の姫君アリカ。

 アリカは表情の変化の少ない冷厳な印象の美女であった。長い金髪と整った細面が、深窓の令嬢を思わせる。そして、見た目に反してかなりの実力者であるとも見受けた。不思議な魔力を身に纏っているのが分かる。

 アリカの視線がテオドラを離れてアレクシアとジークフリートに向かった。

「紹介しようアリカ。我が護衛の任に就いているアレクシアとジークフリートじゃ」

 テオドラはアリカを呼び捨てにした。非公式の会談だからか、言葉遣いもずいぶんと崩れているらしい。気が合うのだろうか。

「ほう、主が帝国の竜殺しか。活躍のほどは聞いているぞ」

「人命救出を最優先にして活動している傭兵モドキじゃ。まあ、妾がパトロンじゃがな」

「帝国、連合双方の利権に疎いというのは此度の警備を任せるには適任じゃな」

 アリカはテオドラに視線を戻した。

 二人の会話を聞いてアレクシアは得心がいった。ジークフリート個人の武勇は比肩するもののないものだ。警備に雇うのならば彼ほど頼りになるものはないだろう。しかし、それ以上に帝国の命令すら場合によっては無視するほどの意気込みで人助けに奔走する彼だからこそ、真の敵についての会談では信用できるわけだ。彼にはそういった裏がない。世間ズレしているのも、政治に無縁なのも、軍人ですらなく、事実上第三勢力として活動しているのも連合と帝国のどちらにも敵がいる状況ではそれが信用に繋がるのだ。

「……しかし、メガロメセンブリアのナンバーツーまで敵の手先となると、この問題の闇は相当深いな」

 テオドラは困ったように顔を曇らせた。

 アリカが持ってきた情報は、ソースも確かなものだ。だが、だからこそ信じ難いものでもあった。メガロメセンブリアの執政官(コンスル)がテロに関与していたなどというのはスキャンダルでは済まされない。

「しかし、何故そのようなことを? これほどの高位に上ったのならば、悪事を働かずとも十分な財産を蓄えることもできるじゃろうに」

「彼自身の目的は分からぬ、がおそらくは彼すらもただの手先に過ぎぬ。幹部クラスではないというのが、わたしの考えでな」

「メガロメセンブリアの執政官すら幹部ではないと?」

「執政官ほどの地位の者がわざわざ戦争を長引かせる必要もあるまい。早々に終わらせたほうが、国が傾く心配もないのじゃからな」

「国がダメになってしまえば自分の地位も危ういからのう。となれば、狙いは別にあるのか、それとも……」

完全なる世界(コズモエンテレケイア)に利用されているのか、じゃな」

 むむ、とテオドラは眉根を寄せる。

 話の内容はかなり重い。

 ――――この会話、わたしが聞いて大丈夫なのだろうか。

 とすら思ってしまうほど機密性の高い話題だ。

 しかし、護衛をするとなれば部屋の外で待っているわけにもいかない。室内にいるのはアレクシアとジークフリート、ブレンダとベティの双子、それから第一警備隊の隊長と副隊長だ。窓際に立つあの二人も顔色が悪い。視線を交わすと諦観したような表情を見せた。 

 少なくともこの室内にいる人間は共犯者だ。この話を知ってしまった以上もう引き返すことはできない。歴史の転換点にいるのか、それとも地獄の門の前に立っているのか。

 ため息をつきたくなるような気分になる。

 二人の姫君は、そんな従者たちの気持ちを察することなく意見を交換し合っていた。

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 テオドラとアリカが会談をしているホテルから一キロほど離れた建物の上に、彼はいた。

 白髪長身の青年だ。どことなく人形的な雰囲気を醸し出す彼は薄ら笑いを浮かべて秘密会談が行われているホテルを見ていた。

「我らのことを嗅ぎつけて、帝国まで出向いてくるとはな」

 青年の背後にガタイの大きな男が現れる。二メートル五十はありそうな巨体で、全身を筋肉の鎧で覆っている。

「彼女の影響力は危険だよ。頭も回るし、お姫様でもある。そろそろいい加減にしてほしいところだね」

 青年が言った。

(プリームム)、帝国の姫さんはどうするんだ?」

 白髪の青年の名をプリームムというのか。

 どこからともなく現れた三人目の男が尋ねる。

 金色の髪を逆立てた細身の青年だった。目つきの悪さが、そこらのチンピラのような印象を与えてくる。

(ノーヌム)、そっちはどうなんだい?」

「この辺りに張ってた奴等は粗方寝てもらったぜ。つーか、質問に質問で返すな」

「帝国のお姫様にも同行してもらうよ。ここまで知られた以上は捨て置けないからね。説得してこちらの仲間になってもらえれば一番だけど」

 真っ直ぐな性格のようだ。世界の真実を教えればあるいはこちらに就いてくれるかもしれないが、今更第三皇女を取り込んだところで意味はないのだ。

 計画は最終段階に向けて着々と進行中だ。余計な茶々が入る可能性は潰しておくべきであろう。

 密かに完全なる世界を探っていた『紅き翼』も今は反逆の咎を受けて追われる身となっている。数日前に、プリームムが仕掛けた罠に嵌ってくれたおかげだ。これで、アリカとテオドラを確保すれば、完全ある世界を探る者はいなくなる。

「帝国の竜殺しがいるようだが?」

 強面の大男――――壱がプリームムに言った。

「そうだね。あの千の呪文の男とまともに戦って圧倒できるほどの戦士がいるのは厄介だが、別に彼を倒す必要もない」

「必要はないが、やってもいいんだろ」

「構わないよ。計画に支障がなければね」

「いいぜ、どの道アレが邪魔するのは確定だしな」

 壱は壮絶な笑みを浮かべた。

 前々から必要以上に戦闘に興味を抱く男なのだ。計画を優先するのは当然として、時折強者がいると知れば戦いを挑む悪癖がある。

 とはいえ、戦闘能力は折紙つきだ。

 殺傷性の高い火系統の魔法を、高次元で操る彼はプリームムに並ぶ最強格である。その一方で、火であるが故に生け捕りが苦手という欠点もあるが、こういうとき、邪魔になる強敵の排除を積極的にしてくれるのがありがたい。

「じゃあ、行こうか」

 プリームムが右手の指をホテルに向ける。

 直後、空に出現した巨大な石槍がホテルに襲い掛かった。

 

 

 

 ■

 

 

 

 たった二人が話をするだけの静かで重い会談も終わりが見えてきた。

 もともと長く話をする必要もなかった。

 アリカが持つ情報をテオドラに渡し、その情報が嘘ではないと説明できればよかったのだから。ただ、その内容があまりにも重要で重いものだったから、ここまで緊迫した空気になっている。

 何事もなく会談が終われば取り越し苦労で済む。

 ああ、だがそれも叶わぬらしい。

 それも当然か。 

 秘密結社は正体不明であるからこその秘密結社。

 自らを探る者に容赦するはずがないのだから。

 アリカはメガロメセンブリアにいたときにはすでに襲撃を経験しているという。ならば、彼女が完全なる世界を探っていることは敵に知られているということだ。お忍びでここまでやってくることには成功したが、追っ手はすぐそこまで迫ってきていた。

「ブレンダ、窓側の障壁を最大出力で展開しろ!」

 突如、寡黙なジークフリートが大きな声を張り上げた。沈黙を打ち破るジークフリートの一声は、それだけで危機感を跳ね上げる。何が起こるのかは分からないが、何かが起こる。そう直感した警備隊の面々は各々が障壁を張り巡らせる。ジークフリートに命じられたブレンダは、とりわけ硬度の高い魔法障壁を張る。ホテルを包む障壁を張っているのも彼女で、ジークフリートはそれを強化しろと言ったのだ。

「――――多重城壁最大展開!」

 ブレンダが叫んだ瞬間、凄まじい轟音が響き渡りホテルを激しく揺らした。窓ガラスが砕け散り、突風が吹き込んでくる。

「な、何事だ!?」

「敵じゃな」

 テオドラは目を白黒させ、アリカはいたって冷静に状況を推察した。

「お二人ともお下がりください!」

 アレクシアが叫び、テオドラとアリカを庇うように窓側まで走る。

 窓ガラスは衝撃で砕けたが、ホテルそのものは無事だ。倒壊の恐れもない。

 ブレンダの障壁が敵の奇襲を見事に防いだのだ。

「石の槍!? こんな大きなものを一瞬で!?」

 窓の外に目をやったアレクシアが驚嘆する。

 障壁に勢いを殺された数十メートルもの長さの石槍が、穂先を地面に向けた状態で、反対側の建物に圧し掛かっていた。

「油断するな」

 ジークフリートが疾風かとも見紛う速度で剣を振り抜く。

 ブレンダの障壁を貫いた石杭が、アレクシアの顔面に迫っていたのだ。

「あ、な……わたしの障壁を!?」

 愕然とするブレンダの身体を、雷光が駆け抜けた。

「うあ……!?」

 紫電の直撃を受けた彼女が弾き飛ばされる。

 ブレンダが倒れたことで障壁が脆弱になってしまう。破られた障壁から、三人の男が室内に侵入してきた。

「僕の石槍を受け止めてしまうとは、大した魔法障壁だよ」

 砕けた窓から入ってきた青年が手を叩いてブレンダを賞賛する。

 三人組は軽装だった。鎧らしいものは身につけておらず、白髪の青年に至っては学生服のようなものだけだ。だが、魔法が身近なこの世界で、見た目の装備で判断してはならない。一級の実力者は、道具に頼らずとも兵器クラスの攻撃を受け止める魔法障壁を展開できるのだ。

「そ、外回りは一体何をしていたのですか……!」

「ああ、外にいた警備なら、少し眠ってもらったよ」

「な……!」

 アレクシアは愕然とした。

 警備隊の実力は騎士団の中でも上位にある。

 皇女を護衛するために組織されてエリート部隊なのだ。それを、音もなく気配もなくこの少人数で無力化するなど非常識にもほどがある。

「姫様、お逃げください!」

 叫んだのは、第一警備隊の隊長だった。彼は、召喚した大剣を構えて白髪の青年に斬りかかった。それに次いで副隊長が呪文を詠唱する。

 それも大した時間稼ぎにはならない。

 白髪の青年はいとも容易く隊長を蹴り飛ばして無力化すると、石化の針で副隊長を石に変えてしまった。

石化(ペトリフィケーション)を無詠唱で!?」

 最高難度の石化の呪いを詠唱すらなく発動させる。もはや人間技とは思えぬ絶技に、アレクシアは絶句する他なかった。

 アレクシアでどうにかできる相手ではない。さらに他の二名の男も青年と同等の実力者なのは確実だ。

 となれば、抵抗は無意味だ。

 逃げの一手に限る。

「ベティ、ブレンダを!」

 叫んだアレクシアがポケットからビー玉を取り出した。それを投じようとしたアレクシアの前に白髪の青年が立ちはだかる。

 恐ろしく完成度の高い瞬動術だった。

「おっと、つまらない煙幕はなしだよ」

「あ……」

 青年が翳した手が淡く光った。無駄のない動きにアレクシアはまったく反応できない。体術も魔法も達人の域にあり、アレクシアが敵う要素は何一つとしなかった。

 もはや避け様のない自らの最期を白刃が両断する。

「姫を連れて下がれ」

 疾風の如き踏み込みで斬撃を放ったジークフリートが、アレクシアを庇うように立つ。

 腕を斬りおとすつもりで剣を振るったが、想像以上に敵の魔法障壁が固い。

 アスカロンⅡでは、攻撃力が不足している。加減ができる相手ではない。ジークフリートは剣を幻想大剣に持ち替えた。

「なるほど、帝国の中でも君は図抜けて厄介だね」

「何のために、このようなことをする?」

「崇高な目的のため、とだけ言っておこうか」

 アレクシアら仲間を背後に庇っている以上、ジークフリートは迂闊に動けない。会話で敵の目的を聞き出そうにも、もともと口下手なジークフリートは交渉による時間稼ぎも苦手なのだ。

「テロ行為に崇高も何もないだろうに」

「かもね――――ともあれ、君は危険だ。ここでリタイアしてもらおう」

 青年――――プリームムがジークフリートに指先を向ける。指先に魔力が集い、光を放つ。危険な呪文を使おうとしているのは明らかで、それをむざむざと撃たせるわけにもいかない。ジークフリートは、プリームムが魔法を完成させる前に、一瞬で距離を零にする。

 その腕は断頭台であり、その剣はギロチンであった。

 振り下ろされた幻想大剣は通常のアーティファクトをも凌駕する絶大なる神秘の塊であり、如何にプリームムの積層魔法障壁が頑強であろうとも容易く切り裂くことができる。

「――――ッ」

 とはいえ、それはそこにプリームムがいた場合のことであって、斬り裂いた手応えのなさは青年が分身を使っていたことの証明でもあった。

 魔法戦闘に疎い、その弱所をまんまと曝した形になった。水と消える分身。では、本体は。魔力の気配は側面に移動している。

「遅いよ、石化の邪眼(カコン・オンマ・ペトローセオース)

 完成した呪文がジークフリートに直撃する。

 指先より放たれる光線は触れたものを石に変える。殺害するわけではないが、石化させられれば死ぬこともできずに眠り続けることになってしまう。敵を無力化するという点で、これほど恐ろしい魔法はないだろう。だが、冷笑を驚愕に変えたのはプリームムであった。

 直撃したはずの石化の魔法が、いとも容易く弾かれた。自分の魔法がまったく効果を発揮しなかった驚愕から立ち直る前に、ジークフリートが正面に迫る。

 プリームムを炎に包まれた壱が突き飛ばす。ジークフリートは構わず振りぬいた。獲物が白髪の青年から紅蓮の大男に代わっただけだ。

「ぬうッ」

 壱の右手の肘から先を断ち切ったジークフリートは、返す刀で胴を薙ぐ。これは、後方に跳ばれたことで軽症を負わせるだけだった。

「ハハハ、これはまた信じ難い耐久力と攻撃力だな!」

 腕を落とされていながら壱は大きく笑った。

 痛みを感じていないらしい。それだけでなく斬り落とされた腕からも出血がないのだ。

「貴様、人ではないな」

 ジークフリートが言う。

「だとしたらどうだというのだ。それは、今の状況に関係があるか!?」

 壱が左手を振るった。

 燃える魔力がジークフリートを押し戻す。

「後方注意だ、竜殺し。万象貫く黒杭の円環(キルクルス・ピーロールム・ニグロールム)

 距離を取ったプリームムが、魔法陣から無数の石杭を召喚し、撃ち出した。

「く……!」

 敵の狙いはテオドラやアリカだ。降り注ぐ石杭の雨からテオドラたちを守るため、ジークフリートは我が身を楯にする。魔法による肉体強化でさらに加速し、数え切れない杭を撃ち落し弾き返す。思考に先んじる剣術で以て、背後に守る仲間たちに傷一つ付けさせない。

「ジ、ジーク!」

 テオドラの悲鳴が聞こえる。

 心配するなと声をかけてやりたい。だが、それをするだけの余裕がない。

 杭の嵐を潜り抜けた先に待っていたのは、炎と雷撃の竜巻だった。身体一つでこれを防ぎきることなど不可能だ。ジークフリートは無事でも、テオドラたちはただでは済まない。 

 ジークフリートは咄嗟にアスカロンⅡを手元に呼び寄せ、柄を握りこむと同時に振るう。ジークフリートの強大な魔力を吸い上げた刀身が淡く輝き、闇色の魔法を解き放つ。

 すべてを吸い上げ押し潰す漆黒の帳が、炎と雷を飲み込んでいく。

 激烈なる魔力の衝突を押し退けて燃える大男がジークフリートに近接戦を挑んでくる。その炎を纏った拳をアスカロンⅡを楯にして受け止め、幻想大剣を突き込む。彼らの魔法障壁をアスカロンⅡで突破するのは容易ではない。不可能ではないにしても宝具に頼ったほうが決着を早められるのは確かだ。

 チカリ、とジークフリートの視界の端を光る何かが駆け抜ける。

 それが何か、炎の魔法が叩きつけられたことでジークフリートは明確に理解することができなかった。

 対軍宝具さえ使えればよかった。

 だが、ここは街中だ。

 宝具を解放すれば、大惨事は免れない。

 どうするべきか、僅かな逡巡が大きな隙となる。

 通常であれば、ジークフリートを相手にしてその隙を突けるものなど皆無と言っても過言ではない。彼の反応速度は人間の常識をはるかに超えており、その肉体はあらゆる攻撃に適切に反応することだろう。

 とはいえ、千差万別の魔法が飛び交うこの世界はジークフリートにとって未知の常識に満ちている。油断はならぬと分かっていても、対処が遅れることもあろう。

 だが、それにしてもこれは反則だ。

 激戦の最中、突如として背後に現れる金髪の青年に気付いたのはジークフリートの戦士の勘によるところが大きいが、それでも驚愕せずにはいられなかった。

 転移魔法であれば、その気配を察することができる。

 だが、青年からはそのような魔法を行使した気配がなかった。ただそこに現れた。

 ――――まさか、自らを雷に変化させたのか!?

 青年の身体が纏う雷と、炎の魔法を受ける直前に見た雷が脳内で繋がった。

 雷光の速度で移動されては、さすがのジークフリートでも対処は困難を極める。初見で反応するのは難しい。

「く――――」

雷の暴風(ヨウィス・テンペスタース・フルグリエンス)!」

 超至近距離――――それも悪竜の血鎧に守られていない背中に放たれた大魔法がジークフリートを飲み込み、押し流す。

 雷撃と暴風がホテルをかき回し、貫いてはるか彼方まで一直線に駆け抜けていく。




ノラガミを大人買いしてホクホク顔でうちに帰り、袋から取り出したところ二巻が二冊あって一巻がなかった。

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