少女は龍と舞う   作:ぽぽぽ

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第5話

「うぬぅ……」

「どうしたの、ガッシュ君」

「ここ全部が葵殿の家なのだな?」

「そうだよ」

「大きいのう」

 

 よく言われる、と葵は笑って答えた。

 

「橘が金持ちとは知ってたが……。まさかこの屋敷に住んでるのが橘だったとは思わなかった」

 

 清麿も、ガッシュと同様に顔をあげて葵の家を門の外から見上げていた。

 立派なレンガの壁に囲まれた広大な土地の中に、まるで観光地となっても可笑しくない豪壮な屋敷が建っている。堂々とした雰囲気と共に、煌びやかな美しさを備えている。

 この家だけ見ていたら、ここがモチノキ町であることを忘れてしまいそうだった。

 

 住宅街から少し離れた所に大きな屋敷があることは、清麿も知っていた。

 小さい頃からたまに噂になっていて、あの家に住んでいる人はさぞ贅沢な暮らしをしているだろうな、と大富豪の生活っぷりを子供らしく妄想していたのだ。中はいつでもドレスやスーツを着た人に溢れていて、毎晩パーティーなどをして過ごしているのだろうと、幼き頃の少年少女の頭の中は一杯であった。

 

 それがまさか、クラスメイトの住む家だったとは思いもよらなかった。

 

「別に、家が大きくても大していいことはないよ」

 

 葵はあっけらかんとそう言いながら、門の外についてあるインターホンを慣れた手つきで触る。ピンポンという高めの音でさえ、気品を持っているように感じた。

 

『はい』

 

 女性の声がドアホンから聞こえてきた。若い女性だと清麿は予想した。

 

「吉川さん。私」

『はい。お帰りなさいお嬢様。後ろの方々を説明してくれますか』

 

 声の先からは、こちらの映像が見えているようである。

 

「もう、いいでしょう? 友達だよ」

『それでも聞くことが決まりですので』

「ガッシュ君と、高嶺君」

『分かりました。今開けます』

 

 ぷつり、と糸が切れるような音がして、通信が切れる。それから、門が自動的にゆっくり開いていった。

 

「怪しい人物が一緒に来ないようにって、こうやって誰かと来るときは説明しないといけないんだ」

 

 葵が若干申し訳なさそうに言うのが、清麿の心に残った。

 

 家が大金持ちだからと言っていいことばかりではなかったのだな、と、彼女の顔を見てそう思う。

 

 何かを持ってしまった者の苦しみは、それを持った人物にしか分からないのだ。

 周りよりも賢すぎたせいで嫌な過去がある清麿には、その事がよく分かった。

 

 

 

 門の内側に入ると、屋敷の前には一面芝生が敷かれた庭が広がっていた。

 ガッシュと清麿は、その芝生の合間に置かれた石畳の道を進んで屋敷の入り口へ、と足を進めようとした。

 しかし、先頭を歩いていた葵は一度立ち止まり、少し考えるような仕草をしたあと、そのまま真っ直ぐにとは進まず、右手の方にへと進んで行く。

 

「どうせ外にいるなら、最初にこの子を紹介しておこうと思うの」

 

 豪勢な屋敷にばかり気をとられていた二人は、葵の言葉によってやっとそちらに視線を向けた。

 

 葵は庭の奥にいるそれを、ピンと伸ばした人差し指で指す。

 

 

 

 

「これが、龍太郎だよ」

 

 

 

 

 そこにいたのは、まごうことなき龍だ。

 

 清麿とガッシュは同時に息を呑んだ。

 

 

 

 魔物、というにはあまりに神々しくて、今まで出会ってきた魔物と、その龍が同質なものとは思えないほどであった。

 

 龍は、葵の言葉によって、閉じていたその大きな瞳をゆっくりと開けた。

 そして、清麿とガッシュをその瞳の中に捕らえる。

 

「き、清麿……」

「あ、ああ、これは……」

 

 蛇に睨まれた蛙、という言葉がある。

 

 それは、天敵の蛇に睨まれた蛙が、恐ろしくて身動き出来なくなる、という意味だが、二人の心境にあるのはその程度のものではない。

 遥か高み、明らかに自分とは別格のものから感じるその視線。それはもはや別次元からの干渉に近く、どうしようもない、という絶望感すらあった。

 かつて、バリーという強敵と闘った時にも、その瞳に強者としての威厳を感じたガッシュであったが、今感じる圧はそれを遥かに凌駕するレベルである。

 

 押し潰されるような圧というものではなく、恐怖による怯えというものでもなく、ただただあまりにも神聖なものを眼にしてしまい、身体が勝手に怯んでしまう、という状況であった。

 

 清麿とガッシュは、足をすくませ、身体中から汗が止めどなく噴き出ている。

 

 しかし。

 そんな二人とは対照的に、葵は簡単に龍に近付いていった。

 

 

「お、おい……」

 

 危険だ、と清麿は声を掛けようとした。

 だが、葵の足取りはあまりにも軽く、それはまるで久しぶりに再開した友達に近付いていくようなものであって、清麿は言葉が出なかった。

 

 

 

 

「龍太郎、ただいま」

 

 

 

 葵は、龍の頭をさらりと一撫でしたあと、自分の額を龍の額にこつりとぶつけた。

 

 龍は、その眼を葵にへと向けてから、きゅう、と鳴いた。

 

 

 少女と龍の組み合わせは、あまりにも不似合いである筈であった。

 巨大な力を持つ魔物と、ただの中学生である少女。彼等が住む世界は、大きく違う筈だ。

 だが、清麿とガッシュには、葵と龍が一緒にいるその姿が自然に見えて仕方がなかった。

 

 

「彼等はね、高嶺君とガッシュ君。私の友達」

 

 

 葵が笑いながらそう言うと、龍は、フン、と鼻を鳴らした。

 それから、おもむろに瞳を閉じていく。

 すると、清麿とガッシュを襲っていた圧がやっとなくなったのが分かった。二人は何十キロという重りが急に取れたかのように身軽くなった感覚に陥った。

 

 

「この子が、私が言ってた不思議な生き物のことなんだけど……。って、二人ともどうしたの?」

「いや、はは。ちょっと腰が抜けちまった」

「う、うむぅ。凄かったのだ」

「やっぱりびっくりしちゃった? どうみても龍だもんね」

「はは、まぁ、な」

 

 

 葵は、二人は未知な生き物に遭遇して驚き過ぎてしまったのだな、と判断したが、実際は違う。

 ただ、それを説明する体力すらもなかったので、二人笑って誤魔化すしかなかった。

 

 清麿とガッシュが腰を上げるまで、このあと5分ほどかかった。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 

 

 ようやく立ち上がり、三人で入った建物の中は、外観に劣らないほどの立派さであった。

 あちこちに入り組む道があるというよりも、はっきりと大きな道が左右に分かれていて、部屋へと通じる扉が幾つかある、という構造になっている。

 

 天井は高く、廊下には赤い渋滞が敷かれ、西洋な雰囲気が漂っていた。

 ただ、清麿は所々に場違いで古いものが置いてあることが気になった。その他にも、点々と様々な国の物が置いてある。それらもすべて長い年月を感じた。

 

 そのことを訪ねると、葵は興味が無さそうに答えた。

 

「昔、私の祖先が色んな所を飛び回って貿易してる時にとってきたものらしいよ」

 

 葵は、すぐ横にあった、仏像の入ったガラス箱の上に静かに手を置いた。

 

「この建物はひい爺ちゃんが建てたらしいんだけど、最初はすっごい反対されたんだって。でもひい爺ちゃんは無理やりこんな西洋な建物にして、それでせめて昔の物くらいは、ってずっと前から家にあったものをこうやって廊下に置いてるみたい」

「……へぇ」

「葵殿の家庭は昔からお金持ちだったんだのう」

「そーだね。噂じゃ平安時代からみたい」

「平安時代ぃ!?」

 

 清麿は思わず大きな声を上げてしまった。

 

「その頃から金持ちって、有名な大名かなんかだったのか!」

 

 だとしても、今までその財産が続くのは凄いことだ。

 葵は相変わらず興味無さそうにしながら首を振った。

 

「うーん。権力者で土地はあったらしいけど、大名とか上流貴族みたいな人達じゃなくて、色んな所で貰ったものを貴族達に届ける役職をしてたみたい。それも秘密でね」

「うむぅ。何故秘密だったのだ?」

「当時は自分の手でこんな凄いものを手に入れたって自慢しあうのが好きだった時代なの。お届けものを見せびらかして自慢だなんて格好悪いでしょ? だから皆誰から手に入れたのかなんて言わなかったらしいよ」

 

 ガッシュにはその感覚がいまいち分からなかったらしく、ピンときていない様子だった。

 

「……それで、謝礼を貰っていたのか」

「多分そういうことだね。他の色んな貴族からたんまり貰って、その金で貿易して、上手くいって、お金持ち。私も詳しくはないけどそんな流れらしいよ」

 

 会話を断ち切るように葵はそう言ったので、この話題は終わった。

 

 そして葵はちょうどそこにあったドアを開けて、二人を中に招き入れた。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 

 

 

「どうぞ、紅茶です」

「あ、すみません。ありがとうございます」

「……ガッシュ君は、ジュースの方がいいですか? それとも、何かお菓子など食べれるものをお持ちしましょうか」

「いえ、そこまでこいつにお気遣いして頂かなくても……」

「吉川殿! 何でも良いのか!」

「ええ。用意出来るものならば」

「ならば! ブリがいいのだ! 」

「ガッシュ! お前は遠慮ってもんを覚えろ! 」

「……申し訳ございません。鰤は我が家には今ありませんので、すぐ漁師に届けさせます。少々待って頂けますか」

「ストップ! そこまでしていただかなくていいです! ほんとに!」

 

 ガッシュは残念そうな表情をしたが、清麿は本気でガッシュを黙らせた。普通ならば冗談と捉えるだろう吉川のその言葉も、やりかねないと思わせるには充分であった。

 これだけの豪邸で、メイド服を着た吉川さんと呼ばれる使用人までいるのだ。用意出来ないものの方が少なそうである。

 

 因みに吉川さんが二人を玄関で出迎えなかったのは、葵が以前、万が一友達を連れて来たときには出迎えないで、と注意したからだ。当時は今より家庭に反感を持っていたため、少しでも皆と違うと思われる条件を外したかったらしい。

 葵にとってはその時だけの子供の小さな抵抗のようなものだったのだが、吉川は律儀にその約束を守り続けていた。

 

 

 

 大きすぎる居間で騒がしくしている二人の前で、葵は一人落ち着いて紅茶を口に運ぶ。

 

「……それで、高嶺君。そろそろ説明してくれる?」

「ああ」

 

 清麿は、自分の言葉を整理するために、一つ咳払いをした。

 

「待って。吉川さんも訊くの?」

 

 清麿が、いざ話さん、とした所で、葵は自身の後ろに堂々とついている吉川に声を掛けていた。

 

「はい。駄目ですか?」

「駄目じゃないけどさ」

「私も、ドラゴンザレスのことが気になります」

「だから、龍太郎だってば。やめてよそれ」

 

 どうやら、あの龍の名前は彼女達が決めていたらしい。

 ウマゴンと同じ状況なのだな、と清麿は自身の家で羊のように鳴く魔物を思い浮かべながら思った。あの龍とウマゴンではスケールが違い過ぎるが。

 

「えーと、話、していいか?」

「あ、うん。ごめん。お願い」

 

 清麿の声によって、葵と吉川は顔を清麿の方に向けた。結局、吉川も話を訊くようである。

 

「まずは、そうだな、あの龍」

「龍太郎」

「そう、龍太郎について話そうか」

 

 葵はこくりと頷く。

 やっと、龍太郎について知れるのだ。そう思うと、緊張した気持ちになってきていた。

 

「あの龍は、魔物、と呼ばれるものだ」

「魔物」

 

 先程、公園で清麿がその言葉を連呼していたのを葵は思い出す。

 

「なんで、龍太郎が魔物って高嶺君が知っているの? そもそも、魔物ってなに? 」

「そうだな、一番分かりやすく言えば」

 

 そう言って、清麿は自分の横に座っているガッシュの頭に、ポンと手を置いた。

 

「ガッシュは、魔物だ」

「……」

 

 吉川は清麿のその言葉に声が出なかった。

 小さな子供に向かって魔物だ、と言いつけるだなんて、冗談にしては笑えなかった。

 

「……真面目に言ってる?」

 

 葵も吉川と同じような気持ちらしく、清麿を咎めるような意味を込めた視線を送った。

 

「真面目に言ってるさ。なぁガッシュ」

「うむ」

 

 清麿はその視線を受け止めた上でしっかりと頷き、ガッシュも頭の上に清麿の手を置かれたながら、同様に頷いた。

 

「……と言われましても」

「ねぇ」

「まぁ信じられないのも当然なんだろうけど。……吉川さん、ちょっとガッシュの頭見て貰えますか?」

「……頭、ですか」

 

 そう言われ、吉川はガッシュの元へと近付いていく。そして、言われた通りにガッシュの頭を覗き込んだ。

 

「……これ、ツノ、ですか?」

「はい。ツノです」

「え」

 

 清麿がガッシュの髪の毛を分けて、頭皮の部分をしっかりと吉川に見せる。そこには、確かに小さな角が二本あった。髪の毛に埋もれるほど小さな角だが、作り物には見えない。ガッシュは少しくすぐったそうにした。

 

「……本物ですか」

「本物です」

 

 吉川が、つん、とその角をつつくと、ガッシュは、くすぐったいのだ、と今度は声に出した。

 

「……どういうこと? ガッシュ君はほんとに魔物なの?」

「そうだ」

 

 葵と吉川は、目の前にいる少年が魔物と突然言われ、何とも反応出来ない。角があろうが未だに彼のことは人間にしか見えないからだ。

 

「それで、ガッシュと俺は今、1000年に一度のある戦いに参加している」

 

 一つ一つを納得させながら話を進めるよりも、最初に全体の概要を言ってしまった方がいいと判断したのか、清麿は二人の理解を待たないままに話を進めた。

 

「……戦い?」

 

 葵と吉川は清麿のその狙いに気付いたのか、とりあえず次の彼の言葉を待つ。

 

「魔界の王を決める戦いだ」

 

 また、よく分からない。

 だが、葵はなんとか付いていこうとした。

 

「……それは、どうやって戦うの」

「その時に使うのが、この本だ」

 

 そして清麿は、ようやく自分の赤い本を取り出した。葵は自分の持っている本と彼の本を見比べる。色に違いはあれど、表紙に書かれている不思議な模様は全く一緒に見えた。

 

「ガッシュ、術を出すぞ」

「うぬぅ。しかし、ここは葵殿の家だぞ?」

「大丈夫、窓から空に向かって軽く打つ」

「分かったのだ」

 

 セット、と清麿は呟きながら、部屋の空いてる窓に手を向ける。ガッシュは椅子から降りて即座に清麿の手と同じ方に首を向けた。

 

 葵と吉川は、二人の動きに首を傾げることしか出来ない。

 清麿は本を開き、息を吸って、唱えた。

 

 

 

「ザケル!」

 

 

 

 その声と共に、ガッシュの口元から細い電撃が走るのを、葵と吉川は見た。

 葵はぽかんと口を開き、目の前で行われた事実をどう受け止めたらいいのかを迷ってしまっていた。

 人の口から、電撃が発生する。それは、普通あり得ない。

 龍の存在はあっさりと受け入れることが出来たのに、魔法じみた今の行動はすぐに納得することが出来なかった。

 

 吉川は、どこかに何か仕掛けがないのかを、目で探る。しかし、どう見てもそんなものはない。

 

「今のが、魔物が使う呪文だ」

 

 清麿はパタンと本を閉じ、二人を見ながら言った。

 

「魔物の子供達は、王を決める戦いに参加するために人間界にやってきた。数は100。その魔物達が自分の力を使うために必要なのが、この本と、そしてパートナーとなる人間だ」

「パートナー……」

「魔物のパートナーとして選ばれた人間は、本に書かれている呪文が読めて、魔物の力を引き出せる。」

 

 葵は、再び公園での会話を思い出した。

 清麿は、自分に向かって、あんたはパートナーだろ、と言っていた。

 

 戦い。呪文。パートナー。

 馴染みのない言葉が彼の口から飛び交っている。

 

 疑問に思ったことは、沢山ある。

 それじゃ今まで二人は戦ってきたの、とか、決着はどうやってつくの、とか、なんで人間界でわざわざ戦うの、とか。

 

 

 しかし、それよりも。

 葵は一つ、どうしても気掛かりになっていたことがあった。

 

 葵はパラパラと本を捲る。

 

「その、呪文っていうのは、どこに書いてあるの」

「ん?」

 

 清麿は不思議そうな顔をした。

 

「本の最初のページに書いてあるだろ? パートナーしかそれは読めないんだが」

 

 

 葵は、もう一度本を捲る。

 パラパラと、色んなページに目を向ける。

 

 

「ないよ」

「……え?」

 

 

 

 葵は、未だに本を手にしたまま、言う。

 

 

 

「私、この本読めない」

 

 

 

 


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